男爵領取得4
「では、始めましょう。
初めに前提となる事を話しておくわ。
この領は現在、ソードル家が押さえてはいるけど、近い内に別の誰かが継ぐことになるわ。
ただ、その前に、わたくしの責任である程度落ち着かせる必要があるの。
これは、国王陛下からの王命であると思って頂戴」
「王命ですか!?」
執務の準備を終えた従者ザンドラ・フクリュウが目を見開く。
それに、エリージェ・ソードルは頷く。
「ええ、今回のマガド男爵家との契約を承認して貰う上での条件といってもいいわ」
王都マガド男爵邸で契約書を準備させる時、エリージェ・ソードルはソードル家への賠償としてマガド男爵領をソードル公爵家に譲渡すると書かせようとしていた。
これは別段、絶対に受諾させようとは思っていなかった。
ただ、紙に適した木がたくさん育つ領だと思い出した事で、勢いに乗って指輪印を押してくれたらぁ~なんていう、期待半分の指示だったが、王都公爵邸執事ラース・ベンダーにそれは止められた。
マガド男爵領が王都から近すぎることが理由だった。
いくらこの女が国王オリバーに認められ、信頼されていても、次の代、その次の代まで忠義臣とは限らない。
にもかかわらず、王都から目と鼻の先にある場所を大貴族であるソードル家の領にするほど、国王オリバーは迂闊ではない。
認められないばかりか、変に勘ぐられる事となるというのが、執事ラース・ベンダーの言であった。
そして、執事ラース・ベンダーが提案したのが、”次期男爵の任命権をエリージェ・ソードルに渡す”という契約だ。
『お嬢様が欲しいのがその木だけであれば、お嬢様の意向通りに動く者を男爵にすればよいのです』という執事ラース・ベンダーの言に、エリージェ・ソードルは『なるほど』と頷いた。
そして、契約が結ばれると、祖父マテウス・ルマの元に相談に出かけた。
これも執事ラース・ベンダーの勧めで祖父マテウス・ルマを巻き込んだのだ。
法務大臣の職に就いている祖父マテウス・ルマが関わっているのであれば、横やりも防げるというのが理由だった。
そして、相談した結果、次期男爵はソードル家からではなく、ルマ家から出すこととなった。
何かが発生しても祖父マテウス・ルマに受け持って貰えるし、そもそも、エリージェ・ソードルにとってルマ家の者は身内のようなものだ。
何の問題もなかった。
さらに、数日後、国王オリバーから書状で契約履行の許可が得られた。
そこには男爵領の事を任せる旨が書かれていた。
「陛下も男爵領が半ば領主不在状態であることを懸念されていたみたいなの。
だから、くれぐれもとおっしゃっていたわ」
エリージェ・ソードルとしては、『だから、横やりが来ても追い払えるわよね』という意味で言ったのだが、従者ザンドラ・フクリュウはその様には捉えなかったようで、眉間を指で押さえつつ顔をしかめた。
「であれば、なおさら失敗が出来ないじゃないですか?
これで別の所に持って行かれたり、それでなくてもいざこざが押さえきれなかったらお嬢様、ソードル家の面目は丸潰れですよ」
「そ、そうね……」
エリージェ・ソードルは従者ザンドラ・フクリュウから視線をスーっと外す。
そして、話を続けた。
「しかし、思ったよりも酷い状況ね。
復旧には少し時間がかかるかしら。
……すぐに男爵を任命しようと思っていたけど、少し待った方がよいかもしれないわね」
女の言に従者ザンドラ・フクリュウが指摘する。
「当てがあるのであれば、任命されてはいかがですか?
統治する方が苦労をされている様子を見せれば、民も心動かされるでしょう」
「なるほどね」
エリージェ・ソードルは頷いた。
そして、ルマ家騎士レネ・フートに視線を向けた。
「だ、そうだけど、レネ、あなた男爵をやってみる気はないかしら?」
「はぁ!?」
突然の言に、さしものルマ家騎士レネ・フートも目を見開き、口をパクパクさせている。
当たり前だ。
平民にとって爵位を得るなどとは夢のまた夢、それこそ思春期の少年の妄想に近い――それほどあり得ない事であった。
戦場を駆け回り敗戦間近の軍を英雄的な活躍によって勝利に導くか、大都市の中で生き馬の目を抜くような戦いをくぐり抜け大商人として王国に金貨数千もの利益をもたらすかして、ようやく得るのが騎士爵や準男爵といったエセ貴族位だ。
それが下位とはいえ、領持ちの貴族になれると聞いて驚くなという方が無理であった。
エリージェ・ソードルは、この女らしからぬ事に悪戯っぽく目を細め、唇の端を上げた。
「ふふふ、いい表情ね。
マテウス・ルマにお見せしたかったわ」
「じょ、冗談……ですよね?」
困ったような、何とも言えない表情でルマ家騎士レネ・フートが訊ねてくるが、エリージェ・ソードルは扇子を振って、その言を否定した。
「本気よ。
お爺さまもご存じだし。
後はあなたが覚悟を決められるか、否かね」
探るようにルマ家騎士レネ・フートが女を見る。
「覚悟、とはどういった類のものでしょう?」
「取りあえず、三つほどかしら。
一つ目は当然のこと、領主として領民を導く覚悟ね。
二つ目は”フート”を捨て”マガド”の家名を継ぐ覚悟。
三つ目はあなたがどれほどの女性とおつきあいしているかは分からないけど、彼女らとの関係をきっぱりと切り、マガドの分家の令嬢と婚姻を結び、早々に子供を作る覚悟ね」
「な、なるほど……。
婿養子になる、ということですね。
しかし、なぜわたしが?」
「お爺さまの推薦よ。
『あいつは人を率いる才があるのに、めんどくさがって逃げ回っている。
この際、逃げれない所に放り込んでやろう』
っておっしゃって」
エリージェ・ソードルの言に「だからって男爵にするってのは……」とルマ家騎士レネ・フートは口元をひきつらせた。
そんなルマ家騎士レネ・フートの様子にエリージェ・ソードルはあっさりとした口調で言う。
「まあ、無理なら無理で良いわ。
ルマ家なら正直、なりたい人間も、適任も、掃いて捨てるほどいるしね。
ザンドラ、もしあなたがルマ家にいたら手を挙げるでしょう?」
女の言に、従者ザンドラ・フクリュウは「はい」と大きく頷いた。
「女性でも問題なければ絶対に手を挙げていますね。
男爵という爵位も然るものながら、このマガド領は農作地として適しているだけではなく、王都にも近く産業を育てるにも良い場所です。
やりようによっては、下手な伯爵家よりも裕福になりますよ」
「でしょうね。
わたくしも併呑出来るのであれば、したかった場所だもの」
そこで、ルマ家騎士レネ・フートをチラリと見ながら言った。
「まあ、無理強いは出来ないわ」
女の言に、ルマ家騎士レネ・フートは柔らかな笑みをたたえながら首を横に振った。
「お嬢様、無理などではありません。
このレネ、マテウス・ルマやお嬢様のご期待には、全力で応えていきたいと思っております」
「あらそう?」
「ただお嬢様、一つだけお答えいただけませんでしょうか?」
「何かしら?」
「……マガド家ご令嬢にはお会いされましたよね?」
「……」
女はマガド男爵邸の前にマガド家分家邸に訪問している。
ルマ家騎士レネ・フートは椅子に座るエリージェ・ソードルのそばで片膝を付き、真摯な顔で女を見上げた。
「どのようなご令嬢だったか、お聞かせくださいませんか?」
まるで騎士物語の主人公のようなルマ家騎士レネ・フートに対して……。
エリージェ・ソードルは静かに目を反らした。
そして、言った。
「……残念だけど、仕方がないわね。
この話は無かったことに――」
「待ってください!
まだ断ってません!
断ってませんから!」
「当主に関しては取りあえず保留ということで。
次に――」
「お嬢様!
お受けします!
お受けしますから、せめて年齢だけでも!」
「治安については――」
「お嬢様ぁぁぁ!」
ルマ家騎士レネ・フートの執務室中に響きわたるその絶叫に、エリージェ・ソードルと従者ザンドラ・フクリュウは顔を見合わせ苦笑するのであった。