宿敵の来訪4
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晩餐も終盤にさしかかった頃、エリージェ・ソードルが口を開いた。
「そうそう、お礼の件だけど、どれくらいの物なら貰えるのかしら?」
先ほど、『あなたに何かを望むことはない』と言っておきながら、催促を始めたのである。
もう、関わりたくないと思ったから、”いらない”と断ったものの、会談が終わった後、やっぱり貰える物は貰っておこうと思い立ったからの発言である。
格好の良い話では無いが、大商人ミシェル・デシャは特に気にする素振りも見せず、微笑んだ。
「さて、公爵代行様はどのような物をお求めでしょうか?」
エリージェ・ソードルは首を傾げた後、ナイフとフォークを置き、真剣な目で大商人ミシェル・デシャを見た。
「わたくし、お金で買えない物が欲しいの」
「ほほう、お金で買えない――ですか?」
「ええ、その通りよ」
大商人の娘ソフィア・デシャが自分の父親を一瞥したのち訊ねる。
「それは、人の心――そういった類の物でしょうか?」
それに対して、エリージェ・ソードルは少し目を険しくする。
「何を言ってるの、あなたは。
そんなものを、商人に求める訳ないでしょう?」
「も、申し訳ございません」
大商人の娘ソフィア・デシャが体を縮こまらせるのを、大商人ミシェル・デシャは咎めるように見る。
「申し訳ございません、公爵代行様。
この子は、実務はともかく、物事を推し量る事には疎いもので」
エリージェ・ソードルは一つ溜息を吐く。
「もういいわ。
わたくしが欲しいのは、飢饉での食料よ」
「……なるほど、確かにお金があっても買えないものですなぁ」
大商人ミシェル・デシャは得心いったというように頷いて見せた。
前回の公爵領では食料の値段が急騰した。
それこそ、公爵家の私財を投げ売っても餓死者が出たほどだ。
だからこの女、美術品や宝石を出されても食指は伸びなかったのである。
大商人ミシェル・デシャは真摯な表情で訊ねる。
「公爵代行様は先ほども、飢饉について口に出されていました。
ご懸念する何かがございますか?」
「ええ、あるわ」
とこの女、ハッキリと言う。
「公爵領は一種に偏り過ぎているの」
女の言に、大商人ミシェル・デシャは「なるほど、確かに」と頷いた。
この女が言う一種というのは丸芋のことである。
ソードル公爵領だけに留まらず、オールマ王国全域で丸芋が作られている。
無論、麦などの穀物を専業とする農家も有るにはあるのだが数は少なく、必要数の多くをフレコを初めとする外国に依存し、国内では偏執なほど丸芋を作っていた。
それには理由があった。
オールマ歴ニ十五年、オールマ王国の西側地域とその隣国が突然の冷夏に襲われた。
後に、ジューレ・ソードル大飢饉の呼び水となるその年の夏は、夏だというのに日によっては吐く息が白く色付くほどだったという。
その時、主要作物である小麦が軒並み全滅し、当時、小国ながらも独立していたジューレ王国はオールマ王国に併呑されるきっかけとなった。
この時、オールマ王国を救ったのが、丸芋である。
丸芋は戦争などで荒れた土地でも比較的簡単に育ち、小麦などより沢山の収穫量が見込まれた。
時の国王ヴィンツェ二世が外国から手に入れたその芋は、戦乱のために疲弊しきっているオールマ王国全土で試験的に植えられる事となった。
それは、偉大な初代国王ヴィンツェ亡き後、跡を継いだヴィンツェ二世が、何とか自分の実績を作ろうと苦し紛れに行ったもので、重鎮や古参らの多くが『くだらない事業』と露骨に嘲笑したものだった。
だが、それが結果的に王国全土を救うこととなる。
国王ヴィンツェ二世は散々馬鹿にされたことで半ば意地になり、王国中に植えた丸芋は驚くべき生産量を叩き出し、ジューレ・ソードル両領地を平然と支えて見せたのだ。
そのため、助けられたソードル公爵、ジューレ辺境泊からの強い後ろ盾を得る事となったヴィンツェ二世は自身を馬鹿にしていた古参等を一掃し、だからこそと言うべきか、丸芋の推進事業もさらに推し進めることとなった。
そのこともあり、オールマ王国――特に飢饉が酷かったジューレ領、ソードル領では丸芋を好んで育てていた。
「ただ、偏りすぎているのよね。
これで、何らかの問題で丸芋が育たなくなったら、我が領は揺さぶられることとなるわ」
「確かにそうですなぁ」と大商人ミシェル・デシャは考えこみながら言う。
「丸芋を枯らす病気も有ると聞いております。
そう考えると、公爵代行様の心配も、杞憂とは言い切れません」
「それよ」とエリージェ・ソードルは我が意を得たというように、頷く。
事実、”前回”は今から数年後、その病気によって丸芋は壊滅的な被害を受ける。
大商人ミシェル・デシャは難しい顔で続ける。
「ただ、今から小麦などの穀物に移行するのは時間がかかりますなぁ。
大局を見るので有れば、それも良いですが……」
「小麦の割合を増やす事については取りあえずゆっくりやるわ。
作るのに手間がかかるし、教育も必要だから、一気に行うとこちらも農家にも負担がかかるもの。
なのでそれとは別に、早めに打てる対策を講じておきたいの」
丸芋は作るのが簡単で、その上、生産量も多い。
それに慣れた農家に小麦を作らせる場合、教育を含むある程度の補助が必要だと女は思っていた。
「そうですなぁ」と頷きつつ大商人ミシェル・デシャは、内心驚いていた。
貴族の中で、平民の手間や負担を考える者は少ない。
自分の命令一つで何でもやるべきだし、やれて当然だとすら思っている節がある。
そして、仮に失敗したので有れば、自身の判断などどこかに放り出して、平民の首を切り捨てるのだ。
なのに、この令嬢は大貴族でありながらも、そのことを考えて、道を模索しようとしている。
それに、大商人ミシェル・デシャは衝撃を受けたのだ。
(この方とは、長くお付き合いしたいものだ)と、本気で思った。
もっとも、エリージェ・ソードルは別に苦労するだろう農家への労りがある訳では無い。
あくまでも、効率を偏執的に慮るこの女が、その方が良いと結論を出したに過ぎない。
なので、そんなことを思われてるとも知らずに、エリージェ・ソードルはさっさと話を続ける。
「ねえ、丸芋の代わりになりそうなものって無いかしら?
出来れば、味はともかく、簡単に量産できて、お腹にたまる物がよいわね」
そこに、大商人の娘ソフィア・デシャが難しそうな顔で言う。
「余り気が進まれないと思いますが……。
甘芋などはいかがでしょうか?」
「……確かに、進まないわね……」
「やはり、そうですか」
微かにではあるが、眉を寄せる女の様子に、大商人の娘ソフィア・デシャは苦笑する。
エリージェ・ソードルは目を細めながら”前回”を思い出しつつ、話を続ける。
「わたくしとしては、正直どうでも良いのだけれど……。
オールマ王国の甘芋嫌いは筋金入りよ。
頭に来るぐらいに、ね」
オールマ王国では同じ芋でありながら、丸芋と甘芋の扱いは全く変わる。
それは、オールマ王国の主神である光の神の伝説が色濃く影響した。
前記の通り、ジューレ・ソードル大飢饉の折りに丸芋は多くの人々を救った。
その時、丸みがあり、薄黄色のそれが地面から掘り出される様子に”日が昇る”様子を見た人々は、助けられた恩義も相まって丸芋を『光の神』の象徴のように愛した。
今日でも、収穫祭の折りは必ず丸芋を祭壇の中央に積む。
だが、甘芋は違う。
紫色の細長い芋は、こと光の神の信徒には受けが悪い。
それは、王立美術館にあるもっとも有名な絵画、『神使レムと邪獣』に描かれている芋虫のような形の獣が甘芋と瓜二つだという事に起因する。
それを描いた画家が大の甘芋嫌いだった、などと言われているが、確たる証拠はない。
ただ、その絵が神官の聖書に模写される事で、光の神の信徒が甘芋を毛嫌いする遠因になったことは間違いないところだった。
「光の神が関わるのだから、ある程度は仕方が無いとは思うけど……。
飢饉の時ぐらい、せめて、嫌々ながらでも作ったり食べたり出来て欲しいものだわ」
そう言いながら、この女、”前回”を思い返し溜息を吐く。
”前回”のこの女、飢饉によって飢える彼らのために、甘芋を輸入した。
一本銀貨一枚の値段で、である。
常時で有れば、百本は買える値段でだ。
狂っているとしか言いようがない。
だが、それでも買わざるえなかった。
大陸中で食料の値段が上がっていて、その中で、フレコとの流通を切断された公爵領としては背に腹は代えられなかった。
むしろ、”それ”を運んで来てくれた御用商人が相当無理をしてくれたことが分かっていたので、素直に言い値で買い取った。
それで家宝を売って作り出した金貨の大半が失われても、領民が少なくとも飢える心配が無くなるならと、胃をキリキリ痛めながらも払った。
だが、肝心の領民は反発した。
特に年配の、敬虔な信徒からの非難は激しかった。
『このような……。
このような物を信徒に食べさせようとは――罰が当たるぞ!』
『あの女、さては魔女だな!』
『異端者がぁぁぁ!
光の神に死して詫びよ!』
などと、”陰でこっそり”悪態をついている事も、女の耳に入ってきた。
だけではなく、我慢しきれなくなったのか、女が村の様子を視察している時に、目の前で甘芋を投げ捨てて、それを踏みつぶす蛮行を働く者も現れた。
その男は狂気じみた顔で何度も何度も芋を踏みつけ言った。
『自分が失政をしたくせに、それを補うために平民に虫を食わせるつもりかぁぁぁ!
ふざけるなぁぁぁ!
ふざけるなぁぁぁ!』
『貴様ぁぁぁ!』
女騎士ジェシー・レーマーは怒りの形相で抜刀した。
エリージェ・ソードルがどんな思いで家宝を売りに出し、どんな思いで甘芋を購入したか――それをそばで見ていた女騎士ジェシー・レーマーは男の行いは看過できない。
その首を切り落とそうと一歩、踏み出した。
だが、エリージェ・ソードルはそれを止めた。
女自身、その男の言う通りだと思ったからだ。
自身が不甲斐ないせいで、領民に食べたくない物を食べざるえない状況に追い込んだ――そう痛感していたからだ。
だから、この女、男を罰することは出来ない。
その代わりに、男を”黒い霧”で身動きが出来ないようにすると、踏みにじられた甘芋(生、泥付き)を男の口に突っ込み、『食べてみたら美味しいでしょう?』と誤解を解いた。
思ったものと違ったのか、男は砂利と赤みの含んだ涎をボトボトとこぼしながら、『お、美味しいです……』と答えた。
飢えが収まったからか、その目からは大粒の涙がこぼれていた。
大商人ミシェル・デシャは難しい顔で言う。
「宗教が関わる事となると、やはり難しくはありますなぁ。
……直接的に禁忌とされているわけではないのは救いではありますが」
「そうね」とエリージェ・ソードルは頷く。
著名な絵画に描かれている獣に似ているだけで、別段、甘芋自体が宗教的に問題があるわけではない。
”前回”女が甘芋を輸入した時も、教団からの詰問も当然受けていない。
ただただ、その姿形が保守的な者達から嫌がられているだけなのである。
エリージェ・ソードルは苦々しく言う。
「問題は農家にもっとも保守的な者達が揃っている事なの」
「……作る者達がそれでは、なかなか手間がかかりそうですなぁ」
「無理矢理……。
という手もあるけど、変に不満を溜めさせて、無駄に暴走されることを考えると、ねぇ」
「何ヶ月もかけた物が燃やされる、あり得る話ですなぁ」
「誰一人として得をしない結末になるわ」
そこに、大商人の娘ソフィア・デシャが口を挟む。
「姿形だけであれば、一つ、方便があります」
「何かしら?」
「細長い姿は確かに芋虫にも見えます
ただ、真ん中を輪切りにするとどうでしょう?」
そこまで言うと、大商人の娘ソフィア・デシャは両手を胸元まで持ち上げ、双方の人差し指と親指の先を合わせ、輪を作る。
「薄黄色の切り口は太陽に見えませんでしょうか?」
「……なるほど」とエリージェ・ソードルは頷いた。
芋虫では無い、これは太陽なのだと強弁すれば抵抗感も薄れるかもしれない。
そう納得したのだ。
大商人ミシェル・デシャも続く。
「そうですなぁ、甘芋は茹でると黄色がさらに濃くなります。
それを見せれば、忌避感も薄れるかもしれません」
エリージェ・ソードルは何度か頷くと、大商人の娘ソフィア・デシャに向き直った。
「ソフィア、あなたの発想、素晴らしいわ。
早速試させていただくわ」
大商人の娘ソフィア・デシャは姿勢を正し、表情を柔らかくしながら「恐れ入ります」と頭を下げる。
大商人ミシェル・デシャが微笑みながら、提案する。
「公爵代行様、種芋と甘芋関連の書物、そして、栽培や調理について説明できる物を”こちら持ち”で準備させていただきます」
エリージェ・ソードルはそれに頷いてみせる。
「そうして貰えると助かるわ。
あなたの”感謝”として受け取らせていただくわ」
「ありがとうございます」
大商人ミシェル・デシャは深々と頭を下げた。




