宿敵の来訪2
大商人ミシェル・デシャはエリージェ・ソードルの内心を見透かすように話を続ける。
「わたしも商いを生業としてきた者、公爵代行様が現在、どのようなもので行き詰まっているかは察することも出来ます。
どうでしょうか?
せっかくの流れが致命的に詰まってしまう前に、わたし共に売り渡してしまいませんか?
そうしていただけたら、現在残っている誰よりも娘が把握していますので、すぐにでも綺麗な流れに戻して見せます」
「……」
エリージェ・ソードルは畳んだ扇子の先を口元に置きながら少し考えた。
この女、エリージェ・ソードルは何事も最短で突き進む。
それはこの女の短所だが、同時に恐るべき長所でもあった。
なので、”前回”災厄を振りまいた元凶たる商会、その利になるだろう事に対して、(悪くないわね)と思った。
自分の心情を天秤に一切置かない、このことはこの凡庸たる女が持つ数少ない美点でもあった。
ただ、それでも一つ釘を刺さなくてはならなかった。
「悪くはないわね。
ただ、あらかじめに言っておくけど、あなたの孫にはここで商売をさせることは出来ないわよ」
大商人ミシェル・デシャは笑みを浮かべたまま訊ねる。
「それは、反逆者の子、だからでしょうか?
そうなると、元妻である娘も手伝わせるのはいけませんか?」
「反逆のことも無いとは言わないわ。
だけど、もう一つの罪が大きいわね」
そう言いながら、エリージェ・ソードルは少し探るような視線を大商人ミシェル・デシャに向ける。
ただ、思い当たる事がないのか、大商人ミシェル・デシャは訊ねるように娘を見る。
大商人の娘ソフィア・デシャは分からないと言うように首を横に振った。
視線を戻した大商人ミシェル・デシャに対して、エリージェ・ソードルは答える。
「”あれ”と”あれの弟”はこの国でもっとも最悪な商売を行っていたのよ」
その言に、流石の大商人ミシェル・デシャも顔色を変えた。
「まさか、奴隷売買ですか!?」
「嘘!?」
不意に出た言葉だろう、大商人の娘ソフィア・デシャは「申し訳ございません」と慌てて頭を下げた。
だが、その顔からは血の気が失せ、細かく震えている。
オールマ王国での奴隷売買は完全に禁止されている。
それは百五十年ほど前、お転婆な王女がお忍びで下町に遊びに出た時、奴隷商に連れ去られたことが原因とされている。
一月後、とある娼館で王女は発見された。
実際、王女の純潔が守られたかは”定か”でない。
だが、王命により娼館の主と従業員、その娼館に一度でも通った者、そして、連れ去った奴隷商の全員が拷問の末斬首となり、国法で奴隷が禁止になった翌日に王国すべての奴隷商やそれに関わったほとんどの者全員が絞首刑になった。
さらにほとんど間を置かずに娼館法が作られたことから、憤怒する王の為に口にこそ出さなかったが、王女がどのような目にあったのかは多くの者が察せられた。
美しく利発な王女だったのだが、それ以降、社交界から姿を消した。
最終的には愛する男に降嫁され、小さい領の男爵夫人ながらも幸せに暮らしたというおとぎ話のような話が残されているのみとなった。
随分昔の事で、当然、その当時のことを知る者はほぼいない。
ただ、王族が関わっていることもあり、現在でも厳しく罰せられる。
エリージェ・ソードルが今回は当事者のみとしたので、ホルンバハ商会長とその側近、ホルンバハ商会長の弟フリックのみで留まったが、法務官によってはそれこそ当事者の父方、母方、妻方の一族皆殺しになってもおかしくない大罪である。
大商人ミシェル・デシャにして、上擦った声で頭を下げた。
「公爵代行様、改めて、娘や孫を助けていただき、ありがとうございました!」
大商人の娘ソフィア・デシャもそれに習って頭を下げる。
エリージェ・ソードルは閉じた扇子を振りながら、「不要よ」と答えた。
エリージェ・ソードルとしては、すでに”真偽の魔術石”で奴隷売買に一切関わっていないことが分かっている大商人の娘ソフィア・デシャやその子供たちの事などどうでも良かった。
さっさと、話を先に進める。
「もうすでに、”気持ち”は受け取っているわ。
ただ、わたくしがあなたの孫にここで商売をさせられない理由は分かったでしょう?
……あなたの娘に多少、手伝わせるのなら何とかなるでしょうけど、長くは無理ね」
「公爵代行様、孫達に”そういう”選択肢を与えて上げようという気持ちもありました。
ただ、それだけではないのです」
と大商人ミシェル・デシャはエリージェ・ソードルが話せる相手だと判断したのか、踏み込んだ話を始める。
「我が商会が交易都市ブルクを介する取引は、入出荷共に大きな割合を占めています。
特に出荷は四割にも及びます」
その言に、この女にして「四割!?」と声を漏らした。
それは、その取引量に驚いただけではない。
そんなものを自ら断ち切った、”前回”の大商人ミシェル・デシャの行いに驚いたのだ。
まさに、狂気の沙汰だった。
自らが傷つくのも歯牙にかけない怒りを改めて感じ、エリージェ・ソードルが内心で戦慄を覚えているのも気づかず、大商人ミシェル・デシャは「そうなのです」と頷いて見せた。
「実はすでに我が商会の取引にも支障が出始めています。
そんな状況下、さらに”見ず知らず”の者がホルンバハ商会の後釜に座ると、その関係構築に時間がかかってしまう――そんな状況を出来れば回避したいのです。
なので、仮に孫がここに戻ることが出来なくても、出来れば我が商会で押さえておきたいのです。
それも早急にです」
「……」
エリージェ・ソードルはちらりと大商人の娘ソフィア・デシャを見た。
彼女がわざわざブルクの商会まで嫁いできた理由が分かったからだ。
だが、むろんそんなどうでも良いことは口にはしない。
他のことを話し始める。
「わたくしもあなたも新たなる”橋台”の誕生を急いでいる――それは間違いないようね……」
大商人ミシェル・デシャが肯定するのを眺めながら、この女、探るように訊ねる。
「仮に売るとしても、元ホルンバハ商会、その全てを売ることは出来ない。
それでも、あなたの興味は続くのかしら?」
ホルンバハ商会はブルクだけではなく、公爵領の全域に広がっている。
外国の商会にそこまで押さえられるのは問題であった。
それに対して、大商人ミシェル・デシャはニッコリ微笑む。
「むしろ、そうしていただけると助かります。
わたしもいきなりそこまで手を伸ばすと、目が届かなくなってしまいますので」
エリージェ・ソードルは頷く。
そして、言った。
「ここからは実務担当の者と話し合って貰うわ。
あなた、いつまでここに滞在するつもりかしら?」
「公爵代行様のご意向のままに」
「そう?
なら、明日にでも話し合いの場を設けるわ。
そうね、今日は夕食を共にしましょう」
そして、エリージェ・ソードルは立ち上がった。
大商人ミシェル・デシャと大商人の娘ソフィア・デシャが床に膝をつき、頭を垂れる。
そんな二人に見向きもせず、エリージェ・ソードルは女騎士ジェシー・レーマーが開けた扉から廊下に出る。
そして、外に控えていた三人の侍女の一人に指示を出す。
「夕食はミシェル・デシャらと共にするわ。
小貴族程度のもてなしで準備して頂戴。
あと、”あなた”からの提案という形で、ここに泊まることが出来る旨を伝えて頂戴」
エリージェ・ソードルから言えば命令になるが、侍女からなら断っても礼を失することにはならない。
その辺りについて正しく理解しているその侍女も「畏まりました」と一礼した。
次にエリージェ・ソードルは腰の鞄から取り出した指示書に手早く筆先を走らせると、それを渡しながらもう一人に声をかける。
「あなたはマサジに執務室に来るように言って頂戴。
緊急のもの以外は後回しにして来るようにと念を押してね」
そして、最後の一人、侍女ミーナ・ウォールと女騎士ジェシー・レーマーを引き連れ、執務室に向かった。




