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とある平民達のお話5

「それもまた、奇っ怪じゃのう」

 老人ヨナスは小首をひねった。

 他の者も大体同じ様な顔をしていた。

 ただ、老人ヨナスは言動とは裏腹に、何となく状況を把握し始めていた。

 娘ザンドラが確認するように三人に訊ねる。

「あのご令嬢、ソードル公爵代行様ですよね?」

 老人ヨナスは目を丸くした。

「お嬢ちゃん、よく知ってるのう?」

「いえ……」と娘ザンドラは苦笑気味に言った。

「引き連れている騎士のマントと言動を見れば、誰だって分かるかと。

 あ、ただ、ルマ家の騎士が混ざっていたのは少々気になりましたが」


(誰だってもは、分からんじゃろうが……)

と老人ヨナスは苦笑した。


 貴族ならともかく、平民にとって騎士は、どこの家の者であっても同じだ。


 むしろ、どれも王家の騎士だと勘違いしている節すらある。

 なので、誰でもは明らかに、言い過ぎであった。

 それに、老人ヨナスが言いたいのは”そこ”ではなかった。

(大々的に宣伝している訳ではない、”公爵代行”について話を聞いているとは、よほど良い耳を持っているのか、はたまた推測したのか……。

 どちらにしても、ただ者ではないな)

 などと考えているうちに、娘ザンドラの話は続く。

「しかし、公爵代行様が自ら先頭に立ち、行うには、わたし達の捕獲は小さすぎる気がします。

 それこそ、指示を出せば済む話ですし……」

「確かに、そうじゃのう」

と老人ヨナスは同意した。

 それに対して、青年マルコは別の意見を出す。

「しかし、こうも思えないか?

 老人ヨナス(じいさん)はともかく、俺やザンドラさんはご令嬢がいなかったら悲惨な状況になっていた。

 それを見越して、ご令嬢自ら足を運んだ、と」


 エリージェ・ソードル抜き――例えば、女騎士ジェシー・レーマーのみだった場合、青年マルコの妻を救うために医療魔術師を用意することは難しかっただろう。

 それだけ、医療魔術師は管理保護されていた。

 また、娘ザンドラを救うために、法務組合の事務員を尋問したり、違法()とはいえ娼館に乗り込み、彼女を救い出すことも難しかっただろう。

 その場に、公爵代行であるエリージェ・ソードルがいたからこその荒技である。


 老人ヨナスはう~む、と唸る。


「それを見越すのは難しいと思うがのう。

 ただ、辻褄も合うのかのう?

 お嬢さん、お前さんもそんな事情があるのかな?」

 老人ヨナスに振られて、鍋を抱えている少女の表情が、困惑色に染まる。

 そして、おずおずと話し始める。

「あ、あのう……。

 わたしは、お二人ほどの切迫感は有りません。

 ただ、やっぱりあのまま行っていたら、危なかったと思います……」


<とある少女のお話>

 少女ミラの父親は魔石加工を生業としている職人で、その腕はブルク一と賞される男であった。

 そんなこともあり、平民でありながらもそれなりに裕福な環境の中、少女ミラは幼少期を過ごしていた。


 だが、そんな生活に影が差すこととなる。


 それは、一つの成功に端を発した。


 ミラの父親が長年研究を積み上げてきた成果、魔石の魔力完全除去技術の確立であった。


 魔石には魔力をため込む性質がある。


 その性質を利用して魔道具などでは、魔石を魔力を保管する容器代わりに使っている。

 ただ、その魔石には元々含まれている魔力が鍋にこびり付いた焦げの様に残っていて、ため込む魔力量を減らしたり、含めた内容を変異させたりする問題を引き起こしていた。

 ミラの父親はそれを完全に除去する術を編み出したのだ。


 それは魔術工学における偉業だった。


 ミラの父親は王都の魔術工組合に表彰された。

 そこには、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが出席した事からも、いかに偉大な功績かが分かる。


 だが、ミラの父親は失敗した。失敗してしまった。


 彼は平民であり、”ただの”職人に過ぎなかった。


 だから、彼は知らない。


 煌びやかに輝く”それ”が、平民にとって、後ろ盾のない功労者にとって、”毒”でしかないことを、知らない。

 ドロリドロリとしたものが背後に忍び寄っている事とは知らず、妻と娘を引き寄せながら暢気に賞賛の声に笑みを向けていた。


 王都から戻ってきて数日後、ミラの母親が死んだ。


 突然倒れた彼女はそのまま帰らぬ人となった。

 医師が言うには心臓発作との事だった。


 ミラの父親はとても信じられなかった。


 彼女は農家の生まれで、体の頑丈さだけが自慢だと笑う女性であった。


 なのに、何故?


 それに追い打ちをかけるように、ある貴族が令嬢を伴いやってきた。

 その貴族の名はアルトゥール・ハンケ子爵という。

 ハンケ伯爵の弟で、現在は魔術省に勤めている法服貴族だ。

 そんな男が、娘を引き連れてやってきたのだ。

 その内容は分かりきった話であった。


 ミラの父親はそのご令嬢と再婚することとなった。


 ミラの父親は恐ろしかった。

 ただただ、恐ろしかった。

 それでも、逃げ出さなかったのは、娘であるミラがいたからに他ならない。


 だから必死に我慢した。


 仕えてくれていた使用人が全てクビになり、自分を主とは認めないような者ばかりになっても、妻となった女の我が儘に振り回されても、時におもしろ半分に折檻されても、妻に”あり得ない”娘が生まれても――我慢した。

 せめてミラが独り立ち出来るまでと、歯を食いしばった。


 ミラの父親は娘であるミラにもその事を言って聞かせた。


 この家はお前の味方はいないこと。

 成人したらすぐに、独り立ちをしないといけないこと。

 そしたら、ミラの父親(自分)はここからいなくなること。

 そう心づもりをしておくようにと言って聞かせた。


 ミラもその言葉に大きく頷いた。


 ミラとて幼いなりに自身の現状を理解していた。


 だから、生きていけるように頑張ろうと覚悟を決めていた。


 他の町ならともかく、流石はその名を轟かす交易都市ブルク、女であっても学や技術、経験さえあれば仕事には困らなかった。

 十歳になったミラは、ブルクの平民の間ではその名を知られた男の私塾に通うようになった。

 さらには、経験を積むためにと父親の工房の事務を手伝うようになり、その才を開花させた。


 ミラは記憶力もさることながら、物事を良い方向に組み立てることに長けていた。


 特に予定を立て直す事が巧かった。

 例えば、父親の工房で材料の入荷が遅れて予定通りに作業が出来なくなったとする。

 その時に、いかに効率よく仕事を振り分け直すかが問題になった。


 単純に繰り上げていくと問題が発生する。


 それは物を作る各工程には準備が必要なものや、場所や人員の問題で同時進行できないものがあったからだ。

 また、納期の問題で特定の期日までに終わらせなくてはならないものもあり、複雑化した。


 だがミラはそういう諸々を加味して、振り分けることを得意としていた。


 的確に指示を出すことで、ミラは工房内で信用を勝ち取っていった。

 さらに、その噂を聞きつけた他の工房から見学者がやってくるまでになった。


 そして、彼らはミラの手腕に驚愕し、絶賛した。


 その何人かから、成人したらうちに嫁に来てくれと手を取られた。

 ミラは彼らから賞賛を浴びる度に、自信を深めていった。


 一人でも生きていける。

 そう確信した。


 だが、ミラ達は貴族の残酷さをまだまだ甘くみていた。


 ミラが十三になった頃、父親が死んだ。

 いつものように工房に行くために家を出た数分後、馬車に牽かれたのである。


 そこから、ミラが落ちていくのは早かった。


 葬儀が終わった頃、悲しみに暮れるミラは突然、使用人等に地下に連れ込まれると、散々に殴り蹴られた。

 そして、痛みと恐怖で震えるミラの前に一枚の紙が差し出された。


 それは、遺産を破棄する誓約書だった。


 父親の工房と、彼が心血を注いで編み出した魔力完全除去技術の特許から得る利益を放棄するというものだ。


 たかだか、十三の小娘にあらがう術はなかった。

 それに署名をした。


 さらに髪を掴まれ、義理の母親と妹の前まで連れて行かれる。

 義理の母親は顔を赤黒く腫らしたミラを見て愉快そうに笑みを浮かべた。

 その隣には、見慣れぬ貴族風の若い男が、まるで(あるじ)面で座っていた。


 義理の母親が歪んだ笑みで言葉を吐いた。


「あなた、成人したらどこかに逃げようとしてるだろうけど、許さないから。

 もし逃げたら、あなたを匿ったものはあなたの比にはならないぐらい酷い目に遭わせてあげるから、よく考える事ね」

 そこまで言うと、義理の母親は男の使用人に指示を出した。

 その男の使用人はにやにや笑いながら、ミラに近づくと思いっきり平手打ちをした。

 大柄の男に叩かれ、ミラの小さな体は軽々と吹っ飛んだ。

 頭を抜けた衝撃の為、ふらふらするミラを義理の母親も妹もフフフと笑った。


 そこから、ミラは奴隷のように扱われた。


 使用人たちよりも下のように扱われ、時に無意味に殴られた。

 使用人の余り物を床に投げられ、それを食べるように強要された。

 時々、親族や義理の母親によって売却された工房の人や可愛がってくれた他の工房主、塾の関係者などが心配してやってきてくれたが、義理の母親らによって追い払われた。


 彼らの内の幾人かは散々暴行された。


 それでなくても、貴族の家名をチラつかれては平民ではなにも出来ない。

 悔しげに顔をしかめながらも、立ち去るしかなかった。

 義理の母親達はミラが他の者の元に行き、自身の権利を主張するのを恐れ、家の者以外とは交流を持たせないようにした。

 だが、ミラという存在が煩わしいものだったようで、ある日、庭園に引きずり出されたミラは、優雅にお茶を飲む義理の母親に、にこやかにこのように言われた。

「あなたに良い縁談が来てるのよ。

 良かったわね」

 そして、義理の母親は口元を扇子で押さえながら、フフフと笑った。

「ホルンバハ商会の商会長の弟でフリックさん、お幸せにね」


 その名に、ミラは目を大きく見開き、ガクガクと震えた。


 フリックという男はホルンバハ商会の資金を元に奴隷家業を生業とする男だった。

 その性格は残虐で幼女趣味も持ち合わせていたこともあり、幼い娘を攫っては屋敷に連れ込んでいた。

 そういう娘達や彼女らを助け出そうとした親類達も含めて、誰一人帰ってこなかったことから、男の屋敷は”帰らずの屋敷”と呼ばれ、恐れられていた。

 涙を流しながら荒い呼吸を繰り返すミラを、義理の母親は楽しげに笑う。

「彼って、すごく気前がいいのね。

 幾分年増、とか言いながら、あなたみたいな小汚い娘に、金貨一枚くれるそうよ」

「嫌ぁぁぁ!」


 ミラは耐えかねて、逃げ出した。


 だが、待ちかまえていたかのように立つ使用人に捕らえられた。


 そして、目一杯殴られた。


 売るためか、顔は避けられた。

 だが、体中、青あざだらけにされ、意識が途絶えるまで散々に痛めつけられた。


 ミラはフリックの元に連れて行かれるまで、監視されることとなった。


 働かされるのは相変わらずで、その日も外の水場で大きな鍋を一生懸命洗っていた。

 もたもたしていると、男の使用人に殴る名分を与えることとなるので、必死なのだ。

 その鍋の上にポトリポトリと水滴が落ちた。

 ミラの視界がぐにゃりと歪む。

 脳裏に両親の優しげな笑顔が過ぎる。


 二人とも、殺されたのだと思う。


 だが、ミラの心には不思議と殺意は湧かない。

 ただ、恐怖が……。

 貴族に対する恐怖が溢れて溺れそうになった。


 簡単に人を殺し、簡単に人を踏みにじる。


 そのおぞましさにミラはただただ恐怖した。

(お父さん、お母さん、怖いよう……。

 怖いよぉ……)

 すると突然、肩を叩かれた。

「ひぃ!

 ごめんなさい!

 ごめんなさい!」

 必死に謝るミラに、冷めた声がかかる。

「あなたの名前は?」

 それは女の子の声だった。

 頭を抱えていたミラが見上げると、一人の少女が見下ろしていた。


 まるで、オラリルの人形のように可憐なご令嬢だった。


 余りの美しさにぽかんとしてしまうほどだった。

 そんなミラに対して、ご令嬢はヒンヤリとした声で続ける。

「あなた、聞いているの?

 名前は何?」

「は、はい!」 

 ミラは慌てて立ち上がった。

 美しいだけではなく、家格の高いご令嬢だと気づいたからだ。

 ミラは深々と頭を下げて名乗った。

「ミ、ミラと申します」

「そう、わかったわ」

 ご令嬢の淡々とした声がさらに続く。

「連れて行って」

 はじめ、何を言われたのか分からなかった。

 だが、突然、両脇を掴まれると引きずられるように連れて行かれそうになった。


 ミラは慌てた。


 慌てたまま、言ってしまった。

「あ、あの、鍋……」

「ああ……」とミラを掴んでいる騎士の一人が頷くと、鍋を拾ってくれた。

 そして、「あ、ありがとうご――」”ざいます”と言う間も与えられず、ミラは引きずられて行く。

 そして、護送車に押し込まれて、焦りながら振り向いた先では、何故か見張りの使用人が女騎士に踏みつけられていた。


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