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打合せ1(前回の反乱の結末)

 公爵領、執務室にて席に座るエリージェ・ソードルは机を挟んだ向こうに立つ黒髪の男性、政務官長マサジ・モリタに対して、挨拶もそこそこに一枚の紙を滑らした。

「あなた、今から家令だから。

 代行印も追って届けられるからそのつもりでね」

 家令といえば、当主代行に続く名誉ある役職である。

 にも関わらずこの非常に簡素な対応は、いかにもこの女らしいものでもあった。


 もっとも、政務官長、改め家令マサジ・モリタにしても、

「畏まりました。

 所で、例の商会についてですが――」と流した事から分かるように、似たもの主従であった。


 家令マサジ・モリタは長身のジン・モリタ()リョウ・モリタ(息子)とは違いその背丈は平均的で、女性にしては高い妻、侍女長ブルーヌ・モリタと同じぐらいだった。

 また、幼少の頃は病弱で、武勇で名高いモリタ家の嫡子でありながら、ややふくよかな体格をしていて剣技などはからっきしであった。


 だが、その眼孔は鋭く、人々に一種の凄みを感じさせた。


 年は父ルーベ・ソードルの二つほど下で、幼い頃から学業に関しては同年代で並ぶ者はおらず、同い年の国王オリバーは『ルーベ・ソードル(あの馬鹿)にはもったいなすぎる逸材』と本気で悔しがっていた。

 ただ、少し神経質で気むずかしいところがあり、脳天気と言って差し支えないルーベ・ソードルとは折り合いが悪く、なかなかその才を十全に発揮できずにいた。


 家令マサジ・モリタは束になった書類を渡しながら話し始める。

「お嬢様から頂いた内容通りでしたね。

 ホルンバハ商会といえば、ブルクでは老舗中の老舗です。

 正直、わたしとしては半信半疑だったのですが……」

「代替わりして腐る。

 良くある話でしょう?」

「まあ、そうなのですが……」


――


 元公爵家騎士ヨルク・トーンらの反乱、そのより所になった、セヌ、フレコ、オラリルの三国による、ブルク侵攻計画――などというものは実際の所、存在しなかった。

 ”前回”それが明るみになったのは反乱後、三年もの月日が流れた後となる。


 ”前回”のこの女、ブルク侵攻計画の存在をその日まで信じていた。


 なので、その時の為の軍備に、ただでさえ逼迫(ひっぱく)していた領をさらに圧迫させながらも、必要だからと予算を振り分けた。

 この女自ら各商会に足を運び、値段交渉までする事までした。

 栄光ある公爵家にとって屈辱的な事であった。

 それだけ、なりふり構ってはいられない状況であったのだ。


 その中に、ホルンバハ商会もあった。


 公爵領の中では最大の商会で、その頃はもっとも隆盛を極めていた。

 その事もあり、ホルンバハ商会長の態度も横柄であり、女で若いエリージェ・ソードルに対して侮った態度をとって来た。

 どころか、女の発育の良い胸元や腰を舐め回すように眺めながら、下劣な言葉さえ漏らした。


 商人と言っても平民である。


 普段であれば、斬首にされてもおかしくない愚行だ。

 実際、怒りで顔を赤めた女騎士ジェシー・レーマーなどは柄に手をかけていた。


 しかし、この女はそれを手で押しとどめた。


 それだけ、公爵家は危機であり、ホルンバハ商会には勢いがあった。

 エリージェ・ソードルは耐えざるを得なかった。

 なので、扇子でボコボコにしたのちに「よろしく頼むわ」と軽くであったが、頭すら下げたのである。

「か、かひこまりまひた……」

 そんな女の態度に感じるものがあったのか、ホルンバハ商会長は体を震えさせながら赤黒く腫らした頬に一筋の涙を走らせた。


 そんな商会があの反乱に関与、どころか主導していた事を知ったのは、本当に偶然のことだった。


 この女の数少ない茶飲み仲間である、カルリーヌ・トレー伯爵令嬢が招いたという、珍しいものを取り扱っていることで有名な商人との面会に同席した時のことだ。

 商人がもったいぶって取り出した物に、女の目は釘付けとなった。


 それは抜き身の剣であった。


「こちらは東方の国、シンホンという国でよく使われている”太刀”という剣で――」

などと説明をし始めたが、そんなものどうでも良かった。

 エリージェ・ソードルは、この滅多に表情を変えぬ女らしからぬ剣呑な目で、商人をギロリと見た。

「あなた、これをどこで手に入れたの?」

「え?

 あの?

 ハハハ……出先情報は商人にとって命、それは流石に言えま……せん……」

 最後は商人の矜持なのだろう、この女の発する怒気に当てられながらも、唾を何度も飲みながらも、そう答えた。

「そう」

「エリージェ様?

 どうなさったの?」

 カルリーヌ・トレー伯爵令嬢が恐る恐る訊ねてきた。

 だが、女はそれを無視して立ち上がると、剣の柄を掴み、持ち上げた。

 ”太刀”というその剣は片刃の両手剣で、その刀身は三尺ほどになる。

 本来、令嬢の、まして十三の少女が持つには、些か以上に違和感のある代物だった。


 だが、この女が持つと、どこか様になっていた。


 その事で、商人はなお恐怖した。

 叩き斬られる。

 そう予感せずにはいられなかったのだ。

「ひぃ!」と漏らしながら、腰から落ち、這いつくばりながら逃げようとした。

 だが、そんな彼の体を黒い物がまとわりついた。


 ”黒い霧”である。


 商人は凄まじい力で持ち上げられると、あっというまに元の位置に戻された。

 抜き身の”太刀”を持った女の前へ、である。

「ひっひぃ!」

 商人は恐怖で震えるも、エリージェ・ソードルは頓着せず、その商人の眼前に”太刀”の鍔と刃の境目あたりを向けた。

 そして、「見なさい」と言った。

「な、なんでしょう?」と商人は恐る恐る”太刀”を見た。

 そこには、文字らしきものが彫り込まれていた。

「あなた、なんて書いてあるか分かる?」

「い、いえ、これは、恐らくシンホンの――」

「違うわよ」とエリージェ・ソードルは目を細める。

「ここには、古の言葉で、光、神、邪、絶、道と書いてあるの。

 分かるかしら?」

「っ!?」

 流石は名家トレー家の出入り商人、そこまで言えば、この女が言わんとすることは分かるようで、息を飲んだ。

 そんな彼に、エリージェ・ソードルはあえて説明をした。

「この剣はね、光神がご降臨なさる時の道を作るための”祭具”なのよ?」


 商人は先ほどなど比較にならないほどガクガクと震え始めた。


 目は大きく見開き、顔面は真っ青になり、ダクダクと汗が流れ、歯がカッカッカっと細かく鳴った。


 光神の祭事をするのはソードル公爵家だ。


 そして、この”太刀”と呼ばれる剣は光神の道を作る為のものという。

 であれば、この”太刀”の元々の持ち主は自明の理である。

 エリージェ・ソードルは冷たく言い放つ。

「よもや、あなた――”太刀”(これ)をうちから盗んだんじゃないでしょうね?」

 商人は出所をまくし立てるように話し始めた。


 エリージェ・ソードルとて、この件がそれほど大きくなるとは思っても見なかった。

 ただ、反乱の最中、行方知れずとなった家宝のあれこれがこの機に戻るのではないか?

 そう期待していただけだった。

 だが、芋の根を辿るように掘ってみると、とんでもない”もの”に行き着くこととなった。


「つまりあなた……。

 誤って買い込んでしまった武具を売りに出したい、ただ”それだけ”のために、侵攻計画をでっち上げ公爵家(うち)の騎士をそそのかしたというの……」

「ぼぉじわげあぢまぜん!

 ぼぉ~ぎゃめでぇぇぇ!」

 ソードル領、ブルクの屋敷にある尋問室にて――全ての指を砕かれ、歯の半数を砕かれた男が泣き叫んでいた。


 ホルンバハ商会長である。


 口と目から流れる赤と透明の液体にまみれ、転がっていた。

 だが、エリージェ・ソードルの漆黒の瞳は、ただただ冷たい。

 当然だ。

 あの時の事で、被害者とその家族はもちろんの事、加害者側の親族縁者も苦しんでいる。

 さらに言えば、公爵領の財政的な打撃はこの女を大いに苦しめ、ただでさえ反乱時にいくつもの失っていた家宝をさらに減らす羽目になっていたのだ。

 それなのに……それなのに……。

 あまつさえ、値を引き上げて大もうけをしていた。


 しかもである。


 これもこの時初めて知ったことだが、ホルンバハ商会長という男、以前から国法で禁止されている奴隷の売買にまで手を出していて、あの反乱によって孤児になった少年少女を捕らえ、他国に売り飛ばしていたのだ。

 どれだけ泣き叫ぼうが、エリージェ・ソードルは勿論、その場にいる者全ての瞳に温かいものが混じることは無い。


 ただ、エリージェ・ソードルは失敗した、失敗してしまった。


 この女、エリージェ・ソードルは凡庸である。

 どこまで行っても、その頭はそこらのご令嬢の域を越えない。

 若く、重ねた年齢の多くを仕事ばかりに費やしたことも災いしていた。


 故に、気づかない。


 その場に家令マサジ・モリタか、せめて執事ラース・ベンダーがいれば指摘できたかも知れない。

 だが家令マサジ・モリタは王城に今回のことを報告に行かせていたし、執事ラース・ベンダーは王都の屋敷にいた。


 だから、誰からも指摘されなかった。


 なので、人の憎悪のその向かい先について――それが”咎人(とがびと)”のみに向かうわけではないことを知り、それを思い知ったのは、ホルンバハ商会長の商会店舗と屋敷が炎に包まれている姿を目の当たりにした時となった。


 それが、どこから漏れたのかは定かではない。


 尋問の時に同伴した騎士の一人か、それとも別の誰かからか。

 とにかく、あの悲劇を起こした黒幕がホルンバハ商会長であるとの噂が広がると、火種を落とされた油のように人々の、特にあの時の遺族の、怒りが燃えさかった。


 その結果、差し押さえなくてはならない商会が蓄えていた食料も備品も、賠償として目星をつけていた美術品も――。

 ホルンバハ商会長の家族や従業員諸共燃えさかる炎の中で焼き尽くされた。

 エリージェ・ソードルはそこまでしてもなお気が済まない暴徒らが怒声をあげながら屋敷に石を投げつけているのを、呆然とただ眺めるしかなかった。


 問題は賠償金だけではない。


 ホルンバハ商会は公爵領の流通の多くを取り仕切っていた。

 それらを担っていた従業員や、その情報が記されているであろう帳簿などが灰になり市場の流れが滞るようになった。


 そして、暴徒達を裁かなくてはならない事も問題だった。


 法に照らせば当然、罰せなくてはならない。

 だが、人々はそれを不満に思った。

『あいつらは我らの妻や夫、子や両親、恋人や友の敵だ。

 だから成敗したのにそんな我らが裁かれるのか?』

 そして、それは公爵家に向けられ始めた。

『そもそも、公爵騎士が起こした問題だ。

 公爵様が、領主様が、しっかりしていれば良かったのではないか?

 なのに、我らだけが罰せられるのはおかしくないか?』

 流石に表立っては言わないが、そんな空気が領内を覆った。


 さらに、外国にまで問題が飛び火した。


 ホルンバハ商会長の妻は隣国フレコの大商会、デシャ商会会長ミシェル・デシャの娘であった。

 愛する末娘と孫を虐殺された商会会長ミシェル・デシャは三日三晩泣き叫んだという。

 そして、ブルクに対して、公爵家に対して復讐をする。

 利に誰よりも聡いはずの商人が、理屈も利害もかなぐり捨てて、牙を剥いたのだ。


 それは、ブルクとフレコとの流通を断ち切るというものだった。


 常時であれば、それなりに損害は出るものの、耐えられるものだっただろう。

 だが、それが行われたのがちょうど、大洪水と主要作物である丸芋が育たなくなる病気が流行り飢饉となっている最中という最悪の時期だった。

 この時はオールマ王国全体がそういう状況だったこともあり他の領からの支援も期待できず、苦しい領地運営を余儀なくされ、多くの私財をなげうちながらも、結局、幾人もの餓死者を出した。

 さらには追い打ちをかけるように流行病が猛威を振るい、多くの者が弱っていたこともあり、領民の五十分の一―二万人近くが、その命を落とすこととなった。


――


「お嬢様のご指示通り、ホルンバハ商会長を始めとする今回の件に荷担した者は全員捕らえておきました。

 ”真偽の魔術石”での尋問もわたしの立ち会いの元、一通り終えております。

 立案内容はともかく、実行した者達はなかなか優秀ですね。

 巧みに証拠を残さないようにしていました。

 ”真偽の魔術石”が無ければ証拠不十分としなくてはならなかったでしょう。

 それも、お嬢様から全容を知らせて頂けたからこそ、言い逃れが出来ないように追い込めました。

 ……いったい、どこからの情報ですか?」

「あなたであっても言えないわ」

「畏まりました」

 家令マサジ・モリタは軽く頭を下げる。

 彼としても、そこまで知りたい訳では無かったのだろう。

(ルマ侯爵辺りの情報でしょうか?)などと辺りをつけ、話を続ける。

「彼らの処遇はいかがしましょう?」

「主犯は速やかに斬首としなさい」

とあっさり言ったエリージェ・ソードルは万年筆の先を書類の上で走らせた。

 そして、指輪印を押すと、それを家令マサジ・モリタの前に滑らせる。

 家令マサジ・モリタはそれに目を通した後、口を開く。

「お嬢様、この件は――」

「マサジ、あらかじめ言っておくわ」

 女は家令マサジ・モリタの言葉を切る。

「この処刑はわたくしの名で確実に行って頂戴。

 間違っても、他の者の名では行わないように」

「お嬢様……」

 エリージェ・ソードルは強い視線のまま、家令マサジ・モリタに念を押した。

「いいかしら、マサジ。

 彼らの命は公爵家の殺意で刈るべきなの。

 それが、この領を率いる者の責任なのだから」


 ”前回”、反乱を起こした騎士の処刑は家令マサジ・モリタの名で行われた。


 これは、十歳のご令嬢に過度の負担を背負わせたくない、彼なりの配慮だった。

 これについては別段、不都合があったわけではない。


 だが、エリージェ・ソードルはそれを良しとする気にはなれなかった。


 むしろ、そういった指示こそ、才覚の無い自分の唯一すべき事と思っていた。

 だから、時間が戻った”今回”、そこにこだわった。

 家令マサジ・モリタはそういった強い意志を感じ取ったのだろう、「畏まりました」とただ、頭を下げた。

 エリージェ・ソードルはそれを見届けると視線を手元に戻す。

 そして、長方形に切りそろえられた紙の束から一枚抜き取る。

 大人の掌ほどのそれに万年筆の先を置いた。

 左上に番号を書き込んだ後、その下に日付と『ホルンバハ商会処刑手続き』と書き込んだ。

 そして、赤丸の印を右中央に押した後、横に長い箱型に切りそろえられた木片に糊付けする。

 そこまで終えると、女の机に置かれた金属製の枠を通しながら一番上に乗せた。

 その枠には同じように紙が貼られた木片が重なるように並んでいる。


 積み木式予定表である。


 積み木式予定表とは用件毎に木片を作り、優先順位が高いものが上に来るように積んでいく。

 それにより、何をすべきか一目で分かるようになり、また、やるべき事の漏れを無くす事が出来る、というものだ。

 木片に貼る紙には大体三カ所書き込むことになる。


 一つは左上、そこには番号を書き込むこととなる。


 例えば、548ー0000981といった風にだ。

 最初の三桁は年度、今で言うとオールマ歴548年なので548、その後の数字は年度内の連番、今年度、政務室に用件としてあがったのが九百八十だったので、それに一つ追加して振られる。

 この番号は事の詳細が書かれた資料や書類などが入れられた引き出しに書き込まれることとなる。

 資料の行方を探さなくてすむようにする工夫であった。


 次に日付である。


 いつまでに行わなくてはならないか、目処となる日付を書き込む。

 それを書くことで、いつまでかをその都度調べる必要が無くなる。


 そして、大まかな内容を表題として書き込む。


 言葉で短く、そして、分かりやすく書き込む。

 さらに、最重要のものには赤で印をつけることで、目に付きやすくする。


 それらを木片にしたのにも理由があった。


 例えば、予定をただ紙に書き込むとする。

 だが、思わぬ予定が割り込むことがままあった。

 必要な物が揃わず、先延ばしになる事も良くあった。

 そんな時、紙にかいた予定表では、間に加えようとしたり、順序を入れ替えようとすると非常に見難いものとなり、最悪全てを書き直さなくてはならなくなった。

 だが、用件毎に木片を作ればそういった場合も簡単に入れ替えることが出来る。

 また、終わった用件を抜き取る事で、やるべき事の把握も簡単になる。

 さらに、抜き取ったものも別所に、番号順に保管しておけば、振り返る必要が出た時に追いやすい。

 大量の用件に追われる老執事ジン・モリタを見ながら考えついた、エリージェ式の一つであった。


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