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己の敵

「――え?」

 女騎士ジェシー・レーマーは少し間の抜けた声を上げた。

 自身の腰にあるはずの剣がするりと抜かれたからだ。

 いやそれは、抜かれたから――というよりも、なぜ抜けたの? という疑問だったろう。

 エリージェ・ソードルにとってはどうでも良い話だったが……。

 この女にとって、それよりも重要なことがあった。

 少し、理解が出来ない状況が目の前で起きたからである。


 この女、エリージェ・ソードルは凡庸である。


 国王オリバーや祖父マテウス・ルマなどはもちろん、老執事ジン・モリタや執事ラース・ベンダーなど使用人と比べても、その頭は劣る。


 ゆえにこの女、一瞬理解できない。


 女騎士ジェシー・レーマーの腰の剣を抜くまでは見事にやり遂げた女が、義母ミザラ・ソードルの首を狙ったつもりが――その腕の皮を切り裂くにとどまった原因に、気づかない。

 自身の体格が十歳の頃に戻った事による感覚のズレに思いつかないでいる。

(なぜ?)とその理由を剣に向けた。


 ゆえに一瞬、間が空いた。


「ぎゃぁぁぁ!」

 甲高い悲鳴に、エリージェ・ソードルは少し驚いた。

 義母ミザラ・ソードルが腕を押さえながら仰向けにひっくり返っている。

 そして、「痛い痛い」と泣き始めた。


 貴族の、まして婦人である。


 下々の者を平気で傷つけるにも関わらず、自身が傷つくことにはめっぽう弱い。

 生まれてこの方、多くの使用人に守られ、陣痛を含む様々な痛みは医療魔術によって防がれていた。


 だからこそ、平然と弱者をいたぶる事が出来るとも言える。


 そんな、痛みを知らない代表のような女が、腕の皮を剣で裂かれたのだ。

 見苦しくのたうち回るのも致し方がない。

 お嬢様の突然の凶行に、侍女ミーナ・ウォールを始めとする使用人は呆然としていたが、女主人のその痛がりように我に返った。

 慌てて駆け寄ろうとする。


 しかし、「止まりなさい!」の声でぴたりと固まった。


 そして、抜き身の剣を持つエリージェ・ソードルにギラリと睨まれると、縮こまりながら後ずさった。

 その威圧感は、騎士として十二分すぎる鍛錬を受けてきた、女騎士ジェシー・レーマーですら飲み込まれたのだ。

 老執事ジン・モリタか、せめて年季の入った侍女長シンディ・モリタがいれば別だが、若い侍女達ではどうしようもなかった。

 エリージェ・ソードルは視線を義母ミザラ・ソードルに戻した。


 この女、エリージェ・ソードルは滅多に表情を変えない。


 ゆえにその場にいる誰もが理解した。

 その眉を怒らせる表情から――その漆黒の瞳のぎらりと輝く光から――察することが出来た。

 この女は、この場で、殺す気だ、と。

「ちょ!

 誰か止め……いやぁぁぁ!」

 義母ミザラ・ソードルは半狂乱になりながら這いずるように逃げた。

 スカートに足を取られながらも、何かを漏らしながらも、ひたすら逃げた。

 逃げるどころか、自らの足で走る事すらしなかった女だ。

 動きにくい姿と言うことを加味しても、非常にのろかった。

 エリージェ・ソードルが二、三歩進み、一振りすれば、向けられている大きな臀部に簡単に届くだろう。


 ただ、エリージェ・ソードルは少し、待った。


 先ほどの失敗から、斬る動作に不安を感じたのだ。

 だから待った。

 義母ミザラ・ソードルはその間、大階段まで何とかたどり着いた。

 そして、まるでトカゲのように手足を使って上り始めた――その瞬間、女は動いた。

 スッと距離を縮めると、義母ミザラ・ソードルのスカートの裾を引っ張った。

「ひっ!?」

 階段のためにただでさえ上がっていた上半身がさらに反り、その細くて白い首が露わになった。

 そこに、エリージェ・ソードルは細身剣の先を吸い込ませ――。


「ひゃぁあ!

 ひゃぁあ!」

と醜くわめきながら階段を上り終えた義母ミザラ・ソードルは、近くにあった部屋に転がり込んでいった。

 エリージェ・ソードルはそれを、階段の一番下の段に足をかけた状態で鋭い目線で見送った。


 女の持つ細身剣の剣先は、宙に止まって動かない。


 エリージェ・ソードルはそのままの姿勢で後ろに訊ねる。

「なぜ止めたの?」

 若い男の声がそれに答える。

「血で手を濡らすのはご令嬢のされることではありません。

 必要ならば、”我々”にお任せください」

 エリージェ・ソードルは不機嫌そうに一つ、ため息を付いた。

 そして、優しく、それでいて強固に自らの両手を包む男の手を払うように振った。


 特に抵抗する様子もなく、それは外れた。


「ミーナ」

「ひゃい!?」

「剣を拭く物を持ってきて」

「か、畏まりました!」

 侍女ミーナ・ウォールの背中を見送った後、エリージェ・ソードルは女騎士ジェシー・レーマーに謝る。

「ごめんなさいね、ジェシー。

 あなたの大事な剣を汚してしまったわ」

「い、いいえ!

 あの、お嬢様!」

 女騎士ジェシー・レーマーは片膝を床に着く。

 そして、一度口元を引き締めると真剣な目で言った。

「この方が仰るとおりです!

 お嬢様がもし必要とされるのであれば、わたしに仰って下さい!

 わたしが望む通りにします!」

「駄目よ」とエリージェ・ソードルは侍女ミーナ・ウォールから手ぬぐいを受け取り、丁寧に刃を拭う。

「あなたが公爵夫人を殺したら絞首刑は免れないわ。

 ばかりか、ルマ家にもレーマー家にも迷惑をかけてしまうもの」

「でも!」と食い下がる女騎士ジェシー・レーマーを手で制し、剣を返しながらエリージェ・ソードルは続ける。

「でも、わたくしが殺せば年も若いし、そこまで問題にはならないわ」

 ”前回”、公爵夫人どころか、公爵自身を殺してもお咎めは無かったし――などと思っていると、

「ならばわたしが殺しましょう」という凛とした女性の声が聞こえてきた。


 屋敷の奥から現れたのは侍女長シンディ・モリタであった。


 それに気づいたエリージェ・ソードルの口元が、少しひきつる。

 静かに、それでいてよどみの無い足運びで侍女長シンディ・モリタはエリージェ・ソードルの前に立つ。

 そして、続けた。

「お嬢様、わたしにお命じ下さい。

 こんなしわくちゃな首なら、吊った所で惜しくはありませんし、モリタ家など木っ端貴族、潰れた所で物の数ではありません」

「シンディ、そうじゃ――」

「お嬢様!」

 その剣幕に、エリージェ・ソードルにして、ビクっと震えた。

「敵を打ち倒すのであれば、騎士の道。

 賊を打ち倒すのであれば、領主の道。

 悪を倒すのであれば、正義の道。

 しかしですよ、お嬢様!

 どんなに素行が悪くても、明確な落ち度のない肉親を殺すなど、外道としかなりませんよ!」

「分かったわ、シンディ。

 わたくしが悪かったわ」

 侍女長シンディ・モリタは幼い頃からソードル家に仕え、現在では最古参となっていた。

 謹厳実直な性格で、普段はけして出しゃばる事の無い女性だが、いざという時ははっきりと進言をし、代々の当主は頭を抱えつつも、頼りにした。

 ”前回”も含めて、唯一、エリージェ・ソードルを叱りつける事の出来る使用人でもあった。

(そういえば、お父様を殺した時も、マテウス・ルマ(お爺様)以上に怒っていたわね)

 などと思い出しながら、エリージェ・ソードルは手ぬぐいを侍女ミーナ・ウォールに渡した。

 侍女長シンディ・モリタはさらに続ける。

「それでお嬢様、奥様は如何しますか?」

「もういいわ。

 怪我の手当をしてあげなさい。

 その場には……そういえば、お父様は?」

「あ、あのう……」と侍女ミーナ・ウォールが言いにくそうに会話に交ざる。

「先程、急ぎの用事があるとか言って、出て行かれました」


 逃げたな、とその場にいる者すべてが察した。


 エリージェ・ソードルは少し眉を顰めたが、すぐに話を続ける。

「まあいいわ。

 シンディ、多分気が立っているだろうから、何かあった時に守れる者を連れて行きなさい」

 そこで、エリージェ・ソードルはようやく、視線を先ほど自分を止めた若い男に向けた。

 若い男は濃い黒髪を短めに切り揃えていた。

 背丈が高く、しなやかな印象を与える体躯を白地に青い刺繍の入った騎士の軍服で包んでいた。

 それは、ソードル家の騎士を示すものだった。

 若い男は片膝を着き、臣下の礼を取る。

 エリージェ・ソードルは少し不機嫌そうに言う。

「あなたが、わたくしの新しい護衛騎士ね。

 分かっているでしょうけど、わたくしが公爵代理、エリージェ・ソードルよ」

「先ほどは失礼しました。

 騎士団から転属します。

 公爵領、政務官長マサジ・モリタの息子リョウ・モリタです。

 祖父母同様、ご随意(ずいい)にお使い頂きますよう、お願いします」

 リョウ・モリタは、老執事ジン・モリタと侍女長シンディ・モリタの孫で、公爵領を取り仕切っている、執務官長マサジ・モリタの息子である。

 そして、”前回”エリージェ・ソードルを殺した者だ。

 なのでこの女、正直言って側に置きたくない。


 エリージェ・ソードルは、彼があの時、ああまでして前主人を殺そうとしたのか理解できない。


 ”前回”、代々使えるモリタ家の嫡子、それを抜きにしても忠臣を祖父母に持つ彼には、できる限り目をかけた。

 その高い才を生かせるように、王国親衛隊へ推薦もした。

 にもかかわらずだ。

 一切の躊躇どころか、むしろ、怨念すら漂わせて殺しに来たのだ。

 エリージェ・ソードルとしては、訳が分からないのだ。


 だがしかし、それでも忠臣中の忠臣の孫、または息子である。


 それこそ、確固たる理由無くして、突き放すことは出来ない。

 だから、渋く思いながらも「よろしくね」と言うしかなかった。

 エリージェ・ソードルは騎士リョウ・モリタを立たせると、指示を出した。

「早速で悪いけどリョウ、義母(あれ)が治療する人間に向かって物を投げてくるかも知れないから、あなたはそれを防いで」

「畏まりました」

 ”前回”の自身の”(かたき)”が恭しく頭を下げるのを見るその瞳には、冷めた色が混じっていた。


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