とある子爵令嬢のお話2
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事を起こしたのは件の男、フロリアン・ジューレであった。
フロリアン・ジューレは、騎士を目指す者にとっての最高峰であるルマ侯爵家騎士団に、自分に恥をかかせた家来筋の娘が所属しているのが嫌で、その兄妹達に嫌がらせを始めたのだ。
それは酷く陰険なもので、お茶会に呼んでおきながら席がなかったりお茶に虫が入っていたり、はたまた、騎士演習と称して集団で暴行を行うなど、その場に居合わす者の多くが顔をしかめたという。
他の家ならいざ知らず、子爵家とはいえ、陪臣とはいえ、レーマー家はその名が広く知られる名家だ。
さらに、ジェシー・レーマーの父親は、清廉潔白を地で行く男で、多くの貴族や騎士に慕われ、敬意を受ける人物である。
そんな家を侮辱するなど、敵を増やすだけの愚かしい所行であった。
だがしかし、フロリアン・ジューレは取り巻きの調子の良い言葉ばかり耳に入れ、時折漏れ聞こえてくる苦言など一切聞かない。
また、現ジューレ家当主は自身を鍛えることしか興味のないどうしようもない男で、息子の事など無視をしている。
その事を、暗黙の了解と捉えたのか、フロリアン・ジューレの所行は度を超え始めた。
そして、ついにはジェシー・レーマーの下の兄を崖から突き落とすという蛮行を働いたのである。
ジェシー・レーマーの下の兄は騎士と言うより魔術師よりで、この時も魔術を巧みに使い、大怪我はしたものの助かった。
ただ、それもギリギリ命を拾ったというべき状況であった。
これに激怒したのがレーマー家”以外”の陪臣達だ。
陪臣などとなっているが、正確には五百年近く前はそうだっただけで、今は王家直属の配下になっている家がほとんどだ。
南西にある隣国セヌが領有を主張している地域がある地理的問題から、そうしておいた方が戦いやすいという事で、”表向き”そうしているだけであった。
だが、その辺りをフロリアン・ジューレは理解していない。
使用人の家程度に扱っていたので、それらの家の苦情をはねのけた。
あげく、もっとも厳しい口調の手紙を送ってきた家に対して、懲らしめてやろうと兵まで送る始末だった。
貴族同士の戦争は御法度である。
どんな理由があるにせよ、たとえ、家格が最上位の家が、最低辺の領地に対してであっても、無許可で攻め込んだら罰せられる。
だが、フロリアン・ジューレは相手は家来だからと気にもせず、当主である父親に許可すら得ぬまま、攻め込んでしまった。
結果は惨たらしい敗戦だった。
当然のことだ。
剣の腕もジェシー・レーマーに届かず、勉強もろくにせず、戦争経験もない、家格だけの小僧が、軍国セヌと殴り合ってきた海千山千の武家の人間にかなうはずがない。
たった五十名余りに対して、フロリアン・ジューレに従っていた五百名は、かさが増えた川に、落石に、魔術に、散々いたぶられ混乱した。
大将であるフロリアン・ジューレが真っ先に逃げ出したこともあり、ジューレ軍は誇りであるはずの軍旗すら放り出して潰走した。
結局、ジューレ軍は敵を一人も討ち取る事すら出来なかったという。
もちろん、それで話が終わる訳がない。
王国の上層部がこの問題に頭を抱えたのである。
貴族が貴族を攻め込むなどという暴挙もさることながら、場所も悪い。
まだ動きは見せないものの、好機とばかりに軍国セヌが攻め込んで来てもおかしくないのだ。
国軍の派遣はもちろん行ったが、ジューレ辺境伯家とそのまわりの家との問題が長期化すれば隙を見せることとなる。
それを逃すほど軍国セヌという国は甘くない。
それが分かっていたからこそレーマー家は、必死になって耐えていたのである。
だが、その思いも無に帰すこととなる。
それがレーマー家の、その清廉さゆえなのが皮肉な事であった。
「今回、”攻め込まれた”方を切り捨てるか、それとも、ジューレ辺境伯を押さえ込むか……」
執務室にて、国王オリバーは腹心の反応を机越しに窺いながら、考える。
普通に考えたら――大を生かし、小を斬る。
それなりに武勲を挙げているとはいえ攻められたのは木っ端といっても差し障りのない貴族、併合前は小さいとはいえ一つの国だったジューレ辺境伯とは当然、扱いが変わる。
”御法度”など、”正義”など、後から幾らでも曲げられるものなのだ。
だが、国王オリバーには他の案もあった。
「リーヴスリー大将軍、率直な意見が聞きたい」
「はっ!」
老将ザーダール・リヴスリー大将軍が発する声は、彼の斬撃同様鋭い。
国王オリバーは続ける。
「現在のジューレ辺境伯は、頼れるか?」
国王オリバーを見つめる、切れ長の目がスーッと細くなった。
「先代ジューレ辺境伯の時ならば、なぜそのようなくだらぬことを! と叱りつけている所でしたがなぁ……」
ザーダール・リヴスリー大将軍のその言葉は尻しぼみしていく。
そして、一つため息を付いた。
「残念ながら、現在の”それ”は、陛下の期待には応えられますまい」
「そうか……」
国王オリバーは顎に手を置き、少し考える。
この若き国王は非常に柔軟に思考することが出来る。
十歳そこそこの娘であるエリージェ・ソードルの案を採用する所にも、それは顕著に現れていた。
そして、この王は国を良くするために、幾らでも冷淡になれるという、まさに為政者に相応しい素質も持っていた。
ジューレ親子を(切り捨てるか)と思う。
現在の当主は評判も良くない。
他の親族との仲も悪い。
であれば、今回のことをテコにする事でそこまで難しい事は無いと、国王オリバーは思った。
問題といえば、どこまで切り捨てるか、だ。
「陛下が何かをするまでもござらん」
国王オリバーが視線を向けると、法務大臣であるマテウス・ルマが肩をすくめた。
「老いてもなお、英傑は英傑。
身内の不始末ぐらい自分ですることでしょう……」
そこまで言うと、普段、城中に響きわたるとまで言われた、良く響く彼らしからぬ、弱々しい声で呟いた。
「……ただ、彼の御仁の余命は大きく削られるでしょうなぁ」
その予感は的中することとなる。
それから数日後、国王オリバーと要職につく者達が慌てて城門に向かうと、そこにはジェーレ親子とその取り巻き数人の首が並んでいた。
そして、その後ろには前ジューレ辺境伯、ヴォーレン・ジューレが立っていた。
老人の顔は土気色で、自慢の長い髭もどこか萎れていた。
老齢に入っても力強く盛り上がっていた体は、その見る影もなくやせ細っているばかりか、細かく振るえていた。
それでも、ギラリとした眼光は往年のそれと遜色がなかった。
ヴォーレン・ジューレは国王オリバーを認めると、両膝を付き、首を垂れた。
「陛下、このたびは……」
続きは言えなかった。
せき込み、地面を赤く染めたからだ。
「もうよい!
もうよいから!」
オリバー達は慌てて老人に駆け寄った。
そして、国王オリバーは自らのマントを地面に敷き、そこにヴォーレン・ジューレを寝かせた。
「陛下……」荒い息のまま、ヴォーレン・ジューレは続ける。
「……陪臣達は、レーマー家は元よ……り、他の家も……罪は……ござりませぬ……」
「ああ、分かってる、分かってるぞ!
もう良いから、喋るな!」
「……ジューレ家は……許……されるなら……我が弟の次男……エルマーで……」
「うんうん、分かった!
そのようにしよう!」
横から魔術治療師が治療を始める。
だが、その甲斐もなく、ヴォーレン・ジューレから生気がどんどん失われていく。
それでも、ヴォーレン・ジューレという老人は言葉を続けた。
「陛下……マテウス……。
レーマー家の娘を……守って……。
若者がこんな事で……」
それを最後に、ヴォーレン・ジューレという英傑は死んだ。
軍国セヌと大小合わせて三十も戦い、オールマ王国を守り抜いた男だったが、最後の最後で息子と孫を自らの手で殺めるという悲惨な末路であった。
ただ、その決断があったからこそ、ジューレ家は残り、オールマ王国も危機を脱することが出来たのであった。
とはいえ、すべてが丸く収まったかと言えば、そうでもなかった。
ジェシー・レーマーの問題である。
前当主やフロリアン・ジューレ、その取り巻きなどは処罰を受けた。
だが、それを免れた者の中にも彼らから様々な恩恵を受けていた者もいた。
前当主の妻やフロリアン・ジューレ以外の子やフロリアン・ジューレの婚約者もいた。
フロリアン・ジューレに率いられた兵の遺族たちもいた。
彼らは、彼女らはジェシー・レーマーを恨んだ。
あの女が、ルマ家の騎士にさえ入らなければ――自分たちはこんな目に遭っていなかったはずだ。
にもかかわらず、あの女は今も何も変わらずのうのうとしている。
こんな事が許されるのか!?
そう、呪詛を紡ぐように言っている。
本来で有れば、それらは前当主やフロリアン・ジューレを含むジューレ家に向かうべきである。
だが、人は大本よりもより、”たやすい”方に攻撃的になる。
現在もなお禄を貰っているジューレ家よりも、現在もなお領主であるジューレ家よりも、レーマー家令嬢とはいえ小娘であるジェシー・レーマーの方が恨みやすいし、仮に漏れても罰せられる心配もない。
だから、ジェシー・レーマーに対する悪意が膨れ続けたのであった。
それは実際あったものから、徐々に何から何まで全ての元凶にされ始めた。
挙げ句の果てには、日照りが続くことも、大雨で家が流された事も、流行病が起きたことも、ジェシー・レーマーが悪い、あの女が全て悪いのだ。
そんなことを言い出す者もいた。
恐ろしいのは、一人の狂人が言っているだけならともかく、それが何人もとなると徐々に信憑性が出てくることだ。
ジェシー・レーマーという名が徐々に悪魔の名前のように語られはじめて来た。
ヴォーレン・ジューレはそれを見越して、最後に彼女を守るように言ったのであった。
マテウス・ルマは様々な対策を考えていた。
だが、結局の所、ジェシー・レーマーを除隊させるしかない。
そういう結論に達したのだった。
そう言った理由で有れば、ジェシー・レーマーとしても是非もない。
ようやく、自分の居場所と思えるようになったルマ家騎士団であったが、直接的な責任が有るわけではないにしても、彼女の事で実家やルマ家に迷惑をかけるわけにはいかない。
断腸の思いであったが、それを表に出さず、ジェシー・レーマーという少女はマテウス・ルマに深々と頭を下げて了解と、これまでの礼を述べた。
苦悩に満ちた顔のマテウス・ルマは、三つの道を示した。
一つ目はレーマー家に戻ること。
ただ、そうすると恐らくは騎士としての道は絶たれる。
レーマー家は有事の際、地理的問題から単家での活動で終わることはほぼ無い。
ジューレ家や他の陪臣達と轡を並べなくてはならない。
そんな状況下、不和を招きかねないジェシー・レーマーを従軍させるわけにはいかない。
なので、レーマー家に戻るので有れば、騎士をあきらめ、どこか遠方の貴族に嫁ぐ事となる。
二つ目はオールマ騎士学校に進学する道だ。
そもそも、フロリアン・ジューレの問題がなければ、入学できていたのだ。
他の入学生より年は上になってしまうが、そういった事は別に珍しくもない。
ジェシー・レーマーが望めば、騎士学校で学び、王国や他家の騎士団に挑戦する事も出来る。
そして三つ目は、ソードル公爵の令嬢に仕える道だ。
ソードル公爵の令嬢、エリージェ・ソードルはマテウス・ルマの孫娘で、年は十歳になる。
どうしようもない父親の代わりに、公爵家を支えている才女だと、マテウス・ルマは説明をした。
「あれは頭も良く、意志が強い。
だが、理屈を重んじ過ぎる嫌いがある。
いずれ必ず、あの子に危害を加えようとするものが出てくるはずだ。
その時に、守ってやってほしい」
そこまで言うと、マテウス・ルマは遠慮がちにジェシー・レーマーの表情をのぞき込む。
「実はこちらを選んでくれると、わしとしても助かるのじゃよ。
ただ、護衛だからな。
お前が望むような、”騎士”とは少々趣が違う。
わしの事はいっさい気にせず選んでくれ」
だが、ジェシー・レーマーは即決した。
「いえ、ソードル令嬢の護衛をさせてください!」
「良いのか?」
「わたしは人々を守りたくて騎士を目指したのです。
今、お守りする必要なお嬢様をわたしは守りたいです!」
ジェシー・レーマーは騎士団長などへの挨拶を終え、宿舎に戻り、荷物をまとめて外に出た。
ジェシー・レーマーが言ったこと――人々を守りたくて騎士を目指した、は半分本当で、半分嘘だ。
確かに人を守りたい、という動機は本当だが、思い描いていたのは、騎士団で国や民を守る、そんな騎士を目指していた。
だから、やはり、本意ではなかった。
それでも、いろいろな場面で心を砕いてくれた主、マテウス・ルマのために、働きたいと思った。
だからこそ、彼の大切な者を守る存在になろう、そう思ったのだ。
ジェシー・レーマーは最後にと、鍛錬場を眺めた。
泥だらけになり、汗塗れになり、何度か死にそうになりながらも、それでも先輩騎士に食らいついていった。
その場所は今、昼前にも関わらず誰もいない。
その理由はジェシー・レーマーには分からなかった。
本来は訓練が入っていたはずだが、予定が変わったのだろう。
ジェシー・レーマーに知るすべはない。
なぜならもう、ジェシー・レーマーは部外者に――なったのだから。
ジェシー・レーマーは首を横に振った。
暗い気持ちを払うように。
自分は短いながらも誇り高きルマ家騎士団に所属していたのだ。
そんな弱い姿を見せるなど、その誇りを汚すに等しい行為だ。
だけど、涙が、どうしても、こぼれて――。
「ジェシィィィ!」
突然大声で呼ばれ、ジェシー・レーマーはビクリと体を振るわせた。
そして、視線をそちらに向ける。
騎士団駐屯地の門の前に正装した騎士が、道の両端を沿うように並んでいた。
その先頭にはルマ家騎士団隊長、ウルフ・クリンスマンが立っていた。
壮年の彼は、ジェシー・レーマーにもっとも厳しく接して来た。
そんなウルフ・クリンスマンが、目をつり上げて再度呼んでいる。
「ジェシィィィ!
さっさと来い!」
「は、はい!」
ジェシー・レーマーはほとんど条件反射的に叫び、荷物を放り出してウルフ・クリンスマンの前に立った。
大柄な彼にギロリと見下ろされて、ジェシー・レーマーはぶるりと震えた。
「ジェシー・レーマー!」ウルフ・クリンスマンは右手を突き出した。
その手が巨大すぎて一瞬気づかなかったが、そこには一振りの細身剣が握られていた。
騎士団長ウルフ・クリンスマンは続ける。
「除隊する理由が理由だ。
マテウス・ルマから何かを渡すわけにはいかん。
それがかえって、お前の重荷になってしまうからだ。
だが、騎士団から去りゆく者に何も渡さずにおくなど出来ぬ。
よって、我らからこれを贈ることにする」
凄い勢いで押しつけられ、思わず受け取ってしまう。
その細身剣には三つの魔石が輝いていた。
その石の大きさから、さほど高い効力は発揮しないだろう。
それでも子爵家の、しかも令嬢ごときが持つには余りにも不釣り合いな剣であった。
仮にここにいる全騎士団員からのカンパがあったとしても、けして安くはなかったはずだ。
「た、団長!?」
「ジェシー・レーマー!」
ジェシー・レーマーの声を打ち消すように、騎士団長ウルフ・クリンスマンは続ける。
「これから進む道は苦難なものになるかも知れない。
胸くそ悪い雇い主に、胸くそ悪い扱いを受けるかもしれない。
ひょっとしたら、挫折して進むことが出来なくなるかもしれない。
別の道を歩まざる得ないかもしれない。
だがな、ジェシー・レーマー!
お前は決して忘れるな。
お前は誇り高きルマ家騎士団に所属をしていたことを。
我らの、仲間だったことを!」
騎士団長ウルフ・クリンスマンは胸に拳を当てて敬礼をする。
後ろにいる団員もそれに習う。
ジェシー・レーマーの目から、先ほどとは比較にならないほどの涙がこぼれ落ちる。
そして、ジェシー・レーマーも同じく敬礼をした。
「皆さん、ありがとうございました!
落ちこぼれなわたしを受け入れてくれて!
駄目なわたしを……受け入れてくれて!
あ…ありがとう……ござい…ましたぁぁぁ!」
それから、落とした荷物を同僚だった騎士に拾ってもらい、歩き始める。
道沿いに並ぶ騎士に肩を叩かれながら、叱咤激励をされながら、こぼれ落ちる涙を袖で拭きながら、ジェシー・レーマーは歩みを進める。
新たなる道を進むために……。
そして、受け取った剣に誓う。
この剣を誇りに生きていこうと……。
そして、この剣に賭けて、新たなる主、ソードル公爵令嬢を守り抜こうと……。