スタートオブ異世界生活 2
魔王を倒して供物にされてしまった肉体を取り戻さないかぎり、僕は現実世界には戻れないらしい。
たいへんに理不尽な運命を背負わされたわけだけど、泣いても喚いても事態が良くなるわけじゃない。
やるしかないのだ。
衣鳥あたりの言葉を借りれば、「女房子供を路頭に迷わせるわけにはいかんべや」ということになるだろうか。
これといった特徴のない平凡な僕ではあるが、すくなくとも良き夫でありたいし良き父親でありたいとは思っている。
帰りたい。
妻や子供のもとへ。
ならばやるしかない。相手が魔王とやらでも、倒すしかない。
たとえひとりでも……。
と、そこまで考えて僕は思い当たった。
仲間たちはどうなったんだろう?
衣鳥は? 佐藤は? 丹沢は? 豊島は?
白い人を見る。
「それぞれこの世界にきていますよ」
意を汲んだのか、あっさり答えてくれた。
なんというか、基本的に僕が口に出さなくても勝手に心を読んでくれるっぽい。
便利ではあるけど、すこしだけ気持ち悪いよね。
「戦士エイリアス。魔法使いルーファス。盗賊ザンドル。僧侶ラーハー。これがあなた方です」
そうか。
みんな、自分のキャラクターになってしまったのか。
あれ? でもそれだと衣鳥は?
あいつはゲームマスターだ。自分のキャラクターというものはない。
どうなったんだろう?
消えちゃった?
「……いるよ。ここに」
地の底から響くような声が、僕の背後から聞こえた。
慌てて振り返ると、そこに立っていたのは少女だった。十五歳くらいの。
透けるように白い肌と金の髪。
そして溶鉱炉で燃える石炭みたいな赤い瞳。
んっと、この子はだれだ?
まさかこれが衣鳥ってことはないだろう。
「いえ? そのまさかですよ?」
しれっと答えてくれる白い人。
うん。そうじゃない可能性を模索していた僕の努力なんて、まったく気にしないよね。
知ってたよ。
はぁぁぁ、と、僕は大きく息を吐いた。
三十年来の友人が、まさか少女に変身する願望を持っていたなんて。
ショックだよ。
「なんだそのため息はっ!」
げしげしと少女が僕の足を蹴る。
凶暴性は変わってないね。
「こいつはNPCのマリーシアだ! てめーらと一緒に旅をしていただろうが!」
「おうふ」
ぽんと手を拍つ。
僕たちは四人パーティーじゃない。
案内役みたいな存在が一緒なのだ。それが魔法剣士マリーシア。
ゲームマスターの衣鳥が操るNPCだ。
なんでそんなのがいるかといえば、その方が便利だからである。
状況を説明したり、ヒントを小出しにしたり、シナリオへの導入をおこなったり。
けっこうNPCの用途は広い。
僕がマスターをしているときにも使うしね。
「でもなんでマリーシアになってんの?」
「思い入れがあるからでしょう。あなたが戦士エイリアスに対して持っているのと同様に」
白い人が説明してくれた。
ふむ。
他にもNPCはたくさんいるのに、マリーシアには格別の思い入れがあったんだね。
美少女だもんね。
けど、歳考えろよ衣鳥。犯罪だぞ?
「ちょっ! おまっ! ちがっ! 最終回でこいつは重要な役割を果たすから! それでしっかり設定を練り込んでいただけでっ!!」
なんか地団駄ダンスを踊っている。
あれかな?
自分の中にある受け入れがたい性癖に気付いてしまった、とか、そんな感じかな。
難儀なことだ。
あたたかく見守ってやろう。
僕たちは友人だもの。
「にまにま笑ってんじゃねえっ!!」
ついにぶち切れたマリーシアが殴りかかってきた。
キレる中年である。
見た目は美少女だけど。
「さて。気は済みましたか?」
呆れたように白い人が訊ねた。
両者ノックアウトで地面に寝っ転がっている僕とマリーシアに。
なんつーか、魔法剣士むちゃくちゃ強いです。
女の子の身体なのに、戦士エイリアスになっている僕と、ほぼ同じくらいの戦闘力だった。
ぜーはーと息を弾ませながら、僕とマリーシアが起きあがった。
うん。
殴り合いをしている場合ではないのである。
魔王を倒して、肉体を取り戻さなくてはいけないのだ。
そしてそのためには、まず仲間たちと合流する必要がある。
僕と衣鳥だけ帰っても仕方ないからね。
帰還するときは全員で、だ。
「そこまで判っていて、無益にじゃれあうのは、余裕があるのかバカなのか、どちらなのでしょうね」
やれやれといった風情の白い人だが、実際のところは僕たちに興味なんてないんだろうね。
「着の身着のままというわけにはいかないでしょうから、これを差し上げます」
そういうと、何処からか現れた剣が二振り、地面に落ちた。
がしゃん、と。
なんか、あんまり強そうな武器には見えない。
「いかにも初期装備って風情だな」
不平満々の体でマリーシアがそれを拾い、一振りを僕に投げ渡した。
受け取って鞘から抜く。
ふつーの長剣だね。
とくに魔力とかも宿ってなさそうだ。
「いや……特別なのは俺たちの方か」
「マリーシア?」
「エイリアス。おめー、なんで剣の善し悪しが判るんだ?」
「あ……」
少女の言葉で、僕ははっとした。
そうだ。
判るわけがないのだ。日本で生きている僕には。
本物の剣なんて見たことも触ったこともない。一見しただけで、それが良い剣なのか悪い剣なのか判断できるはずがない。
「でも僕はできた」
「ああ、俺にも判ったぜ。ついでに、みっつよっつばかり魔法も使えるっぽいな。使い方が判りやがる」
吐き捨てるように言うマリーシアだ。
気持ちの良い事態ではないのだろう。
僕だって同じだ。
本来の自分の肉体ではないことは判っていたが、知識や思考までおかしくなっている。
これで、僕ってすげーなんて思える人は、たぶん頭の中がだいぶパラダイスなんじゃないかな。
ふたりして白い人を睨みつける。
僕たちの頭の中までいじったのか、という問いを視線に込めて。
「最適化しただけですよ。日本の常識は、おそらく足かせになってしまいますからね。この世界で生きるには」
肩をすくめる仕草だ。
たしかに、魔王がいて魔法があるような世界である。
ほいほいって剣を渡されるような場所で、日本的な道徳観に縛られていたら、たぶん一週間も生きていけないだろう。
僕たちはこれから、モンスターなんかと戦うことになる。
場合によっては人を殺す必要があるかもしれない。
その可能性を考えると、日本人としての僕は戦慄し恐怖するけど、エイリアスとしての僕はとくに気にしない。
当たり前のことだから。
練達の戦士であるエイリアスは、多くのモンスターをこの手で倒してきたし、人間を斬ったこともある。
もちろん、喜んでではないが。
「魔王を倒すことができたなら迎えにきましょう。あなた達が死んだ瞬間に送り返します」
淡々と言った白い人の姿が消えてゆく。
ふん、と、マリーシアが鼻を鳴らした。
「ヒントのひとつもよこさねえってか。くそマスターだな。あれ」
「仕方がないね。あれはマスターじゃないっしょ」
「だべな」
どっかりと地べたに座り込んで頭を掻く。
服が汚れることも気にせずに。
ていうか僕たちはすでに泥だらけだけどね。さっきとっくみあいのケンカをしたから。
桜色の唇から紡がれる呪文。
「ホントにファンタジーだなぁ……」
「だまっとけ。集中が乱れる」
とん、と、指先が地面に触れた。
「……あっちか」
赤い瞳で彼方を見はるかす。
「なにをしたんだい?」
「魔力感知で街の方角を調べた。人のいるところに行かないと、なんにもできねえからな」
よっと立ち上がり長剣を腰に提げる。
僕もマリーシアも、たぶんこの世界では一般的な服装なのだろう。
貫頭衣に粗末なズボン姿だ。
ベルトがわりの麻紐でウエストを絞っている。
「いくべか。エイリアス」
「良いんだけどさ。その喋り方、なんとかしたほうが良いんじゃないかな」
一人称代名詞が俺で話し方はあきらかな男言葉。
これで見た目は美少女なんだから、悪い方に目立ちすぎる。
「そうですわね。ヲホホホホホ」
「きも」
「おめーがやれって言ったんだろうが!」
げしっと尻を蹴られた。
歩き出す。
街を目指して。