76.疑惑の勝利
その日の夜、俺は世界樹の近くで探知魔術を可能な限り薄く、広く展開していた。
「すぅーー、ふぅぅ……」
深呼吸をしながら深く意識を集中させる。
今の集中具合であれば街中に侵入してきた虫一匹すらも正確に探知することができるだろう。
何故世界樹の近くなのかと言うと、理由は単純でここが街の中央部に位置しているためどこに敵が表れようと即座に現場に向かうことが出来るためである。
「昨日はあまりにも距離が離れすぎていた」
事件が起こった現場と俺の位置は殆ど対角に位置していた。仮にもう少し近くで奴が現れていたのであれば兵士の命を救うことは出来ただろう。
ギシリと歯を食いしばりながら怒りで心を焚きつけていく。
もう二度と、同じ轍を踏むわけにはいかない。
集中を深めていく中、ほんの少しの綻びを探知した。
「あまり俺を舐めてくれるなよ」
次の瞬間には、俺は空中に万華による次元の足場を展開して最短距離で現場へと急行した。
到着した瞬間、俺は黒い影に向かって散華を放つ。
「なっ!? ああああぁあぁああ!?」
驚愕の声と共に、散華による数十の斬撃は奴の身体を粉々に引き裂いた。
だが仕留めることは叶わなかったようで、奴は息も絶え絶えになりながら離脱しようとした。
「逃がすか」
呟くと同時に、黒い剣を縦に振り下ろす。
「くうっ!」
呻き声を漏らしながら、奴は転がるようにして避ける。
外した斬撃が地面を深く切り裂いた。
「ハァ……、ハァ……、この、化け物め……」
全身から黒いもやをゆらゆらと吹き出し、右腕を抑えて呻く敵に対して、俺は冷たい殺気と共に言い放つ。
「俺程度で化け物だと? 仮にも神を自称するならこの程度で驚くなよ」
本当の神がどれほどに強大な力を持っているのかを俺は身を以って知っている。
目の前のこいつは、父さん達には遠く及ばない。それどころか、俺程度の人間にも及ばないのではないだろうか?
「何故、……私の場所が分かった? 気配は完全に消していたはず……」
「消し過ぎなんだよ、この間抜け」
俺が感知した僅かな綻びとは、気配が完全に断たれたが故の違和感だった。昨日までの俺では感じなかったかもしれないが、全神経を集中した今だからこそそれを可能にした。
「ククク……。やはり、貴様は紛れもない化け物だよ……。だが詰めが甘いな」
「何だと?」
困惑の言葉を口にすると同時に、奴は身体を霧散させた。
これは、昨日の夜と同じ!?
逃げる隙を窺っていたのか、深手を負った状態では使用できなかったのか理由は定かではないが、このままでは再び奴を取り逃がしてしまう。
「クハハハハハ! 新しい教訓を得たよ! ありガッ!?!?」
霧散していた奴の体は再び集まり、地面へと勢いよく落下した。
「グッ!? ガハッ!? ど、どボジて……ッ?」
俺は剣の切っ先を地べたを這う敵の顔面へと向けた。
「もうお前の魔力を逃がすことはない」
先程奴が時間を稼いでいる間に、俺は俺で魔力の同調を済ませていた。
魔力を同調したことで、周囲に展開した探知魔術を通して奴の体内に俺の魔力は侵入していた。
奴が身体を霧散させると同時に、俺は魔力特性『破壊』を発現させ、敵の体を内側から破壊したのだ。
「終わりだ」
俺は端的に言い放ち、奴の首を落とそうと剣を横薙ぎに振るった。
瞬間――
「待ってください! セカイさん!」
――右側から飛んできた静止の声により、敵の首に刃が当たる寸前でピタリと止めた。
敵の首に刃を当てた状態で、俺は声の主へと話しかけた。
「何故止めるんです? シルヴィアさん」
白い翼を揺らしながら、彼女は姿を現した。
その面持ちは、何故か緊張による強張りが見て取れた。
「その方の顔を、良く見てください」
「顔?」
言われるがままに敵の顔へと目を向けると、いつの間にか、黒いもやは消失しどこかへと消えていた。
これまで見えなかった敵の顔は――
「こいつは、いえ、彼は……!?」
――俺が先程まで闘っていたのは、昨日の夜に敵に飲み込まれていた兵士だった。
「一体、何がどうなっている?」
状況の把握ができずに、口からは戸惑いの声が漏れた。
シルヴィアさんは強張った顔のまましゃがみ込み、兵士の顔に触れる。
「やはり、手遅れでしたか……」
彼女はそう言って、兵士の瞼をそっと手で下ろした。
「俺が……殺した……?」
呆然とし、足元の地面が無くなったかのような浮遊感を覚えた。
「いえ、それは違います」
「え?」
「世界樹が探知したのは謎の死体と共に現れた黒い魔力です。昨日の段階で既に、彼は死んでいたのでしょう」
「そう、なのですか……」
ほんの少し、胸を撫でおろす。
「死体を使うなんて……」
ギシリと音が鳴るほどに、行き場の無い怒りの代わりに奥歯を噛みしめた。
俯いたままシルヴィアさんは祈りを捧げるように両手を握る。
「彼の者の諸事万端を、世界樹の元へと捧げん……」
彼女がそう言うと同時に兵士の体は柔らかな光に包まれ、やがてその光は収まっていった。
「今のは……?」
「軽いおまじない、とでも言うのでしょうか。死んでいった方達の全てが世界樹へと還り、そしてまた生まれ変われますように、という祈りですね。……まあ、結局は私の自己満足ですね」
「そんな事はありませんっ」
「セカイさん?」
「部外者の俺が知った風な口を利いてしまっているかもしれませんが、それでも、彼はきっと、世界樹の中で感謝しているはずです。死んだ後も想ってもらえるなんて、そんな幸せなことはそうないでしょう」
俺のその言葉に、彼女はツウ、と一筋の涙を零した。
「ありがとう……ございます……」
彼女が何故お礼を言ったのか、その理由は俺には分からなかった。
その理由を聞こうとした次の瞬間には、警備兵達がぞろぞろと集結していた。
「異変を感じた時点で警備兵達を集めてはいたのですが、またセカイさんに先を越されてしまいましたね」
「だからと言って、貴方が直接来るのは少々不用心では?」
もしも俺よりも早く彼女が黒い敵と交戦していたら、どうなっていたかは分からない。もしかしたら、この兵士の様に取り込まれ、死体を利用されていたかもしれないのだ。
「そうですね。ですが貴方のおかげで、今日は誰も犠牲になることはありませんでした」
「これで、終わったのでしょうか……?」
俺がそう言うと、彼女は僅かに眉間にしわを寄せて何かに集中し始めた。
「少なくとも、世界樹周辺の異常は私には感知できていません。セカイさんはどうですか?」
「俺の探知魔術も似たような物です。何も反応はありませんね」
先程同調していた魔力の波長も一切感じられなくなっていた。
街の外まで探知してはいるが、少なくとも範囲内に奴の魔力の痕跡は一つも存在していない。
「気を緩めることは出来ませんが、世界樹を通しての監視も潜り抜けられるとは考えられませんね。先程の敵はセカイさんの魔力によって粉微塵に粉砕されて消えたようです」
彼女の言葉はきっと事実なのだろう。ここで嘘を言う理由が彼女にはない。
だが俺の中には疑念が燻り続け、もやもやとした感情が胸に渦巻き続けていた。
終わったのか?
本当に?
こんなあっさりと?
そんな俺の葛藤とは裏腹に、この日から半月が経ってもあの黒い敵や魔物が現れることはなかった。




