75.今すべきことは
「……ぇ! …………イ! セカイってば!」
「え?」
日中、昨日の夜の出来事を思い出していた俺を現実に引き戻したのはアイリスだった。
向かいに座っていた彼女は身を乗り出して俺の顔を覗き込んでいた。
「え? じゃないよ! さっきから何話しても上の空じゃん!」
「わ、悪い……」
アイリスは今日休日なようで、俺は彼女と昼食を一緒に摂っていた。
「昨日の事、考えてたんだ……」
力なくそう呟いた俺に、彼女は、カタリと椅子に座り直して
「そっか……」
と、そう言った。
昨日の出来事は既に街の住民全員に知れ渡っていた。
警備兵の皆は俺のせいではないと言ってくれたけど、俺はそうは思えなかった。
もしも俺にもっと力があれば、俺があと1秒でも早く現場に到着できていれば、彼は助かったかもしれない。
力が足りなかった俺のことを俺自身が許せそうにもなかった。
「よし! 外に出よう!」
「は?」
彼女は一体何を言っているのだろうか?
唐突すぎる提案に思わず困惑してしまう。
「気にするなとは言わないよ」
「え?」
「忘れないことは大切だと思う。……でもさ、前を向くことも、同じくらい大切だと思う」
彼女のその声は、真に迫っていた。
彼女の言葉を良く噛みしめて、考える。
……そうだ。今の俺がすべきことは、これ以上犠牲を出さないために行動することだ。決して、ここでじっとしていることじゃないだろう。
「そう……だな。その通りだ」
そう言うと、彼女はニカッと笑って俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でてきた。
「な!? なんだよ!?」
「なんとなく!」
「なんとなくって……」
呆れたような声とは裏腹に、自身の頬が緩んでいることを自覚していた。
やっぱり、彼女と一緒にいると後ろに向きがちな気持ちが前を向いてくれる。
何はともあれ、行動を起こすべきだと判断した俺とアイリスは、昨晩の現場に向かうこととなった。
◇◇◇◇◇
昨晩、謎の敵が出現した場所に俺とアイリスは来ていた。
周囲はただの住宅が立ち並び、これと言った特徴のない場所だ。
「やっぱり、特に手がかりがあるわけではないな……」
そもそも、黒いもやが霧散した時点で気配すら探れなくなっていたのだから、時間が経った今調べても何か出てくる可能性は低いだろうな。
「ん? これ何だろ?」
そう思っていたら、アイリスが何かを見つけたようで、地面にしゃがみこんで拾っていた。
「何か見つかったのか?」
言いながら近づき、彼女の手にした物を見るとーー
「黒い、羽?」
ーー黒く染まった羽が彼女の手の中にあった。
だけど、それがどうかしたのだろうか?
この街の中には多種多様な種族が入り混じって生活している。勿論有翼人もいるため、地面に落ちた羽はさほど珍しくもないだろう。
「………………」
「アイリス?」
黒い羽根を握りしめて黙りこくってしまった彼女に訝し気に話しかけた。
「ううん! 何でもない! …………君の言う通り、ここには何もないみたいだね」
そう言って笑顔を浮かべる彼女は、どこか儚げだった。
「何かーー」
ーー気になることでもあるのか? という問いは突如降って湧いた声にかき消された。
「ーーあ! アイリスお姉ちゃんとセカイお兄ちゃんだ!」
声の主はセイ君だった。
エルフ特有の長い耳をピコピコと動かしながら、こちらへと近付いてくる。
エルフは感情の起伏がその長い耳に現れやすい。一目で彼が喜んでいることが分かり、ほんの少しばかり頬が緩んだ。
「こんなところでどうしたのセイ? シルヴィアさんと一緒じゃないの?」
アイリスが首を傾げながら尋ねると、彼は口を尖らせながら言う。
「子供扱いしないでよ! いつもお母さんと一緒にいるわけじゃないし!」
アイリスは彼の頭をぐしゃぐしゃと撫でながらニカッと笑みを浮かべた。
「そうやってムキになるならまだまだ子供だね!」
そう言われて彼はムーッと口を尖らせていた。
「いっつも子どもみたいなアイリス姉ちゃんにだけは言われたくないし」
「はあ? 私は自他ともに認める立派な大人の女性だよ? ね? セカイ?」
「え? 何だって? もう一度言ってくれるか?」
俺は先程聞こえた彼女の言葉が幻聴だろうと思い、至極真面目な顔で聞き返した。
すると、
「ひっどい!」
「アハハ! やっぱりセカイお兄ちゃんもそう思うよね!」
セイ君はしてやったりとばかりに得意げな顔をした後笑い声を上げた。
「それで、話を戻すけど、セイ君はどうしてこんなところに?」
「今度の精霊大祭に向けて、イルミネーション? って言うのかな? 地面に装飾してきてってお母さんに頼まれたんだ。ほら、向こうでもやってるよ」
彼が指差した先では、孤児院の子供たちがあちらこちらで装飾用の紐を地面に敷いていた。
俺は彼が言ったとある単語が聞き馴染みのないものだったため問いかける。
「精霊大祭?」
「あ、そっか兄ちゃん知らないのか」
「え~? セカイ知らないの~? ぷ~、クスクス! しょうがないな~。お姉さんが特別に教えてあげても――」
「セイ君、教えてくれないかな」
「ちょっとどうして無視するの!?」
むしろ何故無視されないと思ったのか。
「今のはどう考えても姉ちゃんが悪い……。それで、精霊大祭ってのはその名の通りこの里で毎年開かれてる収穫祭みたいなものかな。夜には世界樹の周りに皆で集まって好き放題騒ぐんだ」
「それは楽しそうだね」
「うん! めっちゃ楽しいよ! あ、でも酒に悪酔いする大人はちょっと苦手かな……。面倒くさいから……」
セイ君のその言葉に、アイリスはうんうんと頷く。
「分かる。分かるよセイ。酒に酔った大人って面倒くさいよね!」
彼女の言葉に、セイ君はジトっとした視線を向けた。
「いや何を他人事みたいに言ってんの? 一番面倒くさいの姉ちゃんだよ?」
「ウソォ!?」
これでもかと紅の瞳を見開いて驚く彼女に俺は些か呆れた。
「君は本当に……」
「ちょっとその哀れみに満ちた視線を止めろぉ!? いや、何かの間違いですって! 私ほら、目に入れても痛くない美少女だもん! 酒癖も美少女だって相場が決まってる!!」
ちょっと本気でコイツが何言ってのか分からない……。
「セイ君。具体的にコイツはどんな酒癖をしてるんだ? 今年は俺が絶対に阻止するから」
「ついに私のことコイツ呼ばわりしだしたよ!? 何かセカイ私に対してだけ辛辣じゃない!? あ、でも新しい扉開いちゃうかも……」
コイツ呼ばわりすら上等な気がしてきた。
「剝き出しの刃をべろべろ舐め始めたり、股に武器をこすりつけ始めたりして、止めようとすると物凄い形相で――」
「――分かった。俺が悪かった。今年は一滴たりとも酒は飲ませない」
聞くに堪えないとはこのことだろう。
アイリスは脂汗をかきながらセイ君に問いかける。
「こ、誇張してる……よね?」
「いや、むしろマイルドに――」
「――いやあああああ!! 私はそんな変態じゃないもん! 違うもん!」
「時間取らせて悪かったね、セイ君。そこの変態は放っておいて良いから、シルヴィアさんに頼まれた用事を済ませちゃいな」
「うん! それじゃあね! 兄ちゃん!」
彼はそう言ってそそくさと去っていった。
「…………」
「…………」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
「あの、セカイ?」
「何ですか? アイリスさん?」
「唐突に距離を感じる!? 違うからね! 絶対セイが面白がって言ってるだけなんだから!」
彼女はその後も家に帰る道中、必死に弁解の言葉を繰り返し続けていた。
俺はそんな彼女の言葉を聞きながら、心の中で大きく感謝していた。
彼女と共に過ごすだけで、こんなにも温かい気持ちになる。この気持ちはきっと、そういう事なんだろう。
いつも読んでいただいてありがとうございます。




