74.VS謎の敵
俺が警備を任されたのは街の南方の外壁周辺だった。
探知魔術を周囲に展開しながら、壁に背を預ける。
何度かこうして警備任務に付かせていただいているが、俺が街の住民達に認められたあの事件以降、瘴気による魔物の大量発生は一度も起きていなかった。
だからと言うわけではないが、今日も何も起こらないのではないか、と心のどこかで油断していた。
「今日は星が良く見えるな……」
夜空を見上げながら、誰に言うでもなくそう呟く。
俺の頭上に広がる数えきれないほどの満天の星を見ながら、こういうのを『振るような星空』と言うのだろうか。などとどうでも良いことを考えていた。
この満天の星空は宇宙から届く光が今ここにいる俺に届いているものだ。そしてその宇宙には今も、地球が存在しているのだろう。
俺達が放棄した地球は今、どうなっているのだろうか? 相も変わらず大地は氷に包まれているのだろうか?
地球での記憶など欠片も無いが何故か、妙に郷愁に駆られるのは何故なのだろうか?
…………いや、欠片も無いわけではないか。
度々、白銀色の髪を持つ少女の姿が脳内をちらついていた。
誰かは分からない。名前も、顔も、思い出すことはできないその少女は、一体俺の何なのだろうか?
「って、何を考えているんだ俺は……。 集中しないと……」
頬をパンパンと叩いて再び警備に集中する。
魔物の気配は一向に察知することはなかったが、突如耳に付けた魔導具から声が聞こえた。警備兵全員に配られたこの魔導具は、隊員たちの意思疎通のために作られ、俺も警備兵となると同時にシルヴィアさんから直接渡された。
「……セカ……き…………か……っ!」
耳から聞こえる音声はざらつきすぎていて、ハッキリとは聞こえなかったが焦燥感はハッキリと伝わってきた。
今までにも耳飾りから定期連絡は受けていたが、ここまでざらついていたことはなかった。
いや、今はその原因は後回しだ。
探知魔術は常に外壁周囲を警戒していたが、何も異常は感じられなかった。
つまりは――
「悩んでいる暇はない」
――異常は街の中で発生している可能性が高い。
俺は外壁を切り裂き、街中に侵入した。外壁は切り裂いた傍から修復され塞がっていくため、魔物が侵入する心配はしなくても良いだろう。
街中のどこで事件が起きているのか調べるために探知魔術を行使する。
すると、街中の警備を担当していた方たちが街の北側に向かって一斉に向かっていることが分かった。風精霊で空中を飛んでいく者、身体強化をして地面を疾走する者などそれぞれだが、ただ一つ共通していることがある。全員が、全力で移動しているのだ。
「一体何が……?」
ただ事ではない様子だ。
俺も万華で足場を展開し、空中を全力で疾駆して彼らを追い越して行く。
そうして全員が向かっていたであろう場所まで辿り着くと、一人の警備兵が黒いもやに包まれたナニカに襲われていた。
「糞! 糞が! 俺から離れろ!」
警備兵は装備した剣を振るってそれを追い払おうとするが、敵はその剣を優しく撫でるように逸らした。
「なっ!?」
兵が驚愕すると同時に敵の肉体から黒いもやは瞬く間に広がり、兵の全身を包み込んだ。
「ぐっ……!?」
あの技は……っ!?
「離れろ!」
驚愕すると同時に、俺は着地の勢いを利用して黒いもやに包まれた敵に対して剣を振るった。
「……っ!?」
しかし俺の振るった攻撃は、僅かに息を飲んだような雰囲気と共にスルリと回避された。
外した斬撃は地面を深く斬り裂く。
そして、地面を蹴りこちらから距離を取る敵に対して、俺は油断なく剣を正中に構えた。
「彼をどうした!?」
眼前に悠々と佇む敵に対して、声を荒げる。
先程まで黒いもやで包まれていた兵士の姿は跡形もなく消失しており、探知魔術でも見つけることができなかった。
返答があるとは思っていなかったが、予想外なことに敵は俺に問いに対して反応してみせた。
「相変わらず邪魔をしてくれるな」
その声は、何やらノイズがかかったように聞き取り難かった。男か女かの判別すらできない程に。
「相変わらず、だと? どういう意味だ!?」
「ああ、そうか。この姿だから分からんのか。貴様は以前にも、供物を集めようとした我を邪魔したであろう。それも二度も」
二度も?
その返答に俺はここに来てからの記憶を掘り返していく。そうして、以前引っかかっていた記憶のピースがかちりとはまった。
「お前……、あの時の黒い魔物か?」
俺の返答に敵は笑う、いや、笑いと言うよりは嘲りと言う方が正しいか。
「ククク。ようやく思い出したか……。貴様には辛酸を舐めさせられたからな。今回はここに来ないようにさせたはずだったが、それでもこうして我の目の前に貴様は現れた。……だが今回は間に合わなかったようだな」
「貴様ァ……っ」
奴の発言はつまり、取り込まれた兵はもう助からないということを言いたいのであろう。
全力で、切り刻んでやる。
大気が俺の殺気に呼応するようにビリビリと震え始めるが奴は一切意に介した様子もなく佇んでいた。
「セカイ殿!」
「助太刀に来ました!」
「逃がさねえぞ!」
今にも斬りかかろうとした瞬間、サラとこちらに向かっていた警備兵達が到着した。
これで奴の逃げ場はない。
空にはエルフやケットシーが浮かび、地面には獣人とドワーフが武器を構えて包囲していた。
「貴様が何者かは知らんが、もう逃げ場はないぞ! 観念しろ!」
サラは声を張り上げ黒いもやに包まれた敵を牽制した。
俺達の殺気を全身に浴び、周囲を包囲された状況でも尚、敵の憮然とした雰囲気は揺らぐことはなかった。
「ククク……。クハハハハハ!」
それどころか、高らかに笑い声を上げている。
「何がおかしい!?」
「いや、何。我の正体も知らずに不敬な奴らだと思ってな」
「……正体?」
訝し気な声が周囲のどこかからか漏れた。
「お前の正体なんか、どうでも良いんだよ」
俺はこれ以上の無駄な問答を断ち切るようにそう言うと同時に、地面を全力で踏み加速した。
瞬く間もなく相手の前に移動した俺は、袈裟懸けに敵の体を両断しようと剣を振るった。
黒い剣が赤く瞬き、敵の肩口に触れ――
「なん……だと……っ!?」
――敵の肉体は剣の勢いに吹き飛ばされるように霧散した。
「魔術を!」
サラさんは反射的にそう言って、霧散した黒いもやに対して多くの魔術が放たれた。
しかし掴みどころが無いようで、もやは徐々に薄まっていく。
探知魔術では斬りかかる直前まではそこにいたのに、霧散した瞬間に気配を探れなくなってしまった。
俺も含めた警備兵達は周囲をキョロキョロと見回すが、どこにも先程までの敵の姿は存在していなかった。
虚空に奴の聞き取りにくい声が響きわたる。
「今回は、供物一つで引いてやろう。……だが努々忘れるな。お前たちは神の一柱に歯向かっているということを……」
その言葉を最後に、街中には先程までの剣呑とした空気が嘘のように静寂がもたらされた。
「セカイ殿! 先程の敵は一体……。それに、襲われていた兵士は……」
「すまない……」
俺は歯を食いしばり、地面に俯いた。
彼を助けることができなかったのは、俺の力が足りなかったからに他ならない。
夜間の警備は、忘れられない後味の悪さを残して終了した。
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