70.模擬戦
街に魔物の襲撃があってから一月後、俺は街の警備兵として雇われ、同僚たちと修練に励んでいた。
今はサラと木剣を使った模擬戦を行っている。魔力の使用を禁止しているので、純粋な武力のみの勝負だ。
彼女が振るう木剣を、最低限の動きでひらりひらりとかわす。
「相変わらず、器用に避けますね!」
「それはどうも」
獣人の身体能力は人間である俺よりも遥かに優れているようで、恵まれた体躯から生み出される攻撃は、俺のそれを優に凌駕していた。彼女の動きは、人間の俺では目で追うのも一苦労するほどだ。
だがしかし、身体能力だけで戦闘の結果が決まるわけではない。
「…………」
俺の体を正中に叩き割ろうとする木剣の軌道を冷静に見極める。そして木剣の腹を優しく撫でるように触れ、力の流れを制御してあらぬ方向に逸らした。
「なっ!?」
己が振るった技の力の流れを突如変えられ、彼女は僅かに体勢を崩した。
バランス感覚にも優れている彼女が体勢を崩したのはほんの一瞬。
だがこと勝負においては、その一瞬があれば十二分であった。
「ふっ!」
軽い吐息と共に木剣を横薙ぎに振り、サラの脇腹に強かに打ち付けた。
「くぅっ!」
呻き声と共に、彼女は地面をザザザ、と擦りながら吹き飛ばされた。
追撃をかけるように吹き飛ばした相手に肉薄する。
「ハア!」
彼女はバランスを崩した状態で苦し紛れの横薙ぎを繰り出してきた。
だがそんな攻撃を馬鹿正直に受けるわけがない。
俺はサラの木剣に己の木剣をわざと当て、その力の軌道を上方へと逸らした。
「あ!」
彼女の手を離れ、宙高く舞う木剣。俺は冷静に、彼女の喉元に木剣を当てる。
そして宙をくるくると回っていた木剣が地面にカラン、と落ちた後にサラは両手を上げ、
「参りました」
と敗北宣言をした。
「ありがとうございました」
俺は彼女に対して一礼をした。
模擬戦が終わった俺とサラは修練場の脇に退いて、他の兵士達の模擬戦を見ながら休憩することにした。
隣に座るサラは茶色い尻尾をブンブンと振っていた。今日は随分と上機嫌だな。
しばらく街の住民たちと交流していくうちに、少しずつ理解が深まったように思う。例えば狼の獣人であるサラは尻尾や耳にその時々の感情が強く表れているようだ。
「それにしても、セカイ殿の武術は何度見ても素晴らしいですね」
ピコピコと彼女の耳が跳ねるように動いていた。
サラは俺のことを様付けで呼ぶことは無くなったが、その代わりにセカイ殿と呼ぶようになっていた。結局敬称は取れないのかと思ったが、様付けよりはマシかなと思い妥協したのだった。
「ありがとうございます。師の教えが良かったからでしょうね」
俺の今の武術は、二人の師を混ぜた物となっている。基本的な動きや技は父さんから教わったものが大半だが、力の流動的な使い方はエレムさんの動きを模倣したものだ。先程の模擬戦の様に、身体能力で劣る俺にとって、力の流れを自在にコントロールする技術は必須とも言えるものだ。
優れた武術を持つ二人の教えを受けることができた俺は本当に運が良いのだろう。
サラは俺の言葉を聞いて、何故か少し頬を染めていた。
「ほ、本当にセカイ殿は謙虚ですね……」
「そうですかね? 自分ではあまりそうだとは思わないのですが……」
そう言うと、サラは苦笑して答える。
「貴殿は十分に謙虚ですよ。武術を褒められて、自身の努力よりも先に師の教えだと説く人はあまりいないと思いますよ?」
「あ、ありがとうございます」
何だか照れくさくなってしまい、頭の後ろをポリポリと掻く。
「あ、おこがましいことは重々承知していますが、もしよければ私が教わった武術をサラさんや他の警備兵の方たちにもお教えしましょうか? 基本は以前にもお教えしましたけど、今度はもっと本格的に――」
俺程度で教えられることはそう多くはないだろうが、少しでも彼らの役に立てるのであれば本望だ。
俺の提案に、彼女はゆっくりと首を横に振るった。
「いえ。それには及びません」
「そ、そうですか……」
何となく断られると分かっていたとはいえ、少し気落ちしてしまった俺はシュンと顔を俯いた。
そんな俺の様子を見てサラは慌てたように付け足した。
「あ! 勘違いしないでくださいね! 私達にその武術の習得は難しいだろうな、という意味で言ってるんです」
「難しい、とは?」
「以前セカイ殿に力の受け流し方を聞いた際に、力の流れを視認する、と言ってましたよね?」
「はい」
相手の一挙手一投足を観察し、その力の流れを視認することで、力を流動的に制御することが可能となる。
「まずそれが、我々には出来なかったんです」
「あの、本当に視認できているわけではないんですよ? あくまでもイメージです」
「ええ。それは理解していますし、相手の力を利用する武術に関しても、基本は習得できたように思います。ですが、セカイ殿のように力を相手に跳ね返すといった領域までには至れそうもありません……。正直……常識の埒外と言っても良いと思います。相手の力を吸収するなど、想像もつきませんよ……」
元々の身体能力に優れている彼女には、俺の、と言うかエレムさんの技術はそれほど重要ではないのかもしれないな。あくまでも非力な人間族のための武術なのかもしれない。
「そう……ですか……。でも、気が変わったら言ってくださいね」
俺がそう言うと、彼女は明るい笑顔で頷いた。
その後はしばらく、お互いに何か言葉を発するわけでもなく、優しい風に吹かれながら戦闘で火照った体を涼めていた。
本当に、平和な集落だ。たまにはこうして、何も考えずに風に吹かれるのも良いかもな……。ただ、何故だろうか。風が気持ち良いのは事実なのだが、俺はどこか物足りなさも感じていた。
そうして少しだけ考え、一つの答えに行きつく。
ああ、そうか。彼女が、アイリスが隣にいないから俺は物足りなさを感じているのだろう。
彼女は平たく言えば奇特な女性だと思う。だがそれ以上に、一緒に過ごして楽しい、魅力的な女性だ。
俺がアイリスのことを考えていると、サラさんが訳知り顔でニヤついていた。
「な、何ですか……?」
聞かない方が良いと思いつつ、俺は彼女にそう問いかけた。
「いえいえ。ただ、アイリス様のことを考えている顔だな、と」
「……そんなことはないですよ。考えすぎでは?」
正直図星だったのだが、気恥ずかしさから誤魔化そうとした。
すると、
「セカイ殿、人は嘘を吐くときに独特の汗をかくことをご存じですか?」
「…………俺の負けです。アイリスのことを考えてました」
獣人である彼女に嘘は付けないことがよく分かった。
「セカイ殿は意外と初心なんですね~~。普段は余裕を持った態度をしているので何だか意外です」
「余裕とかないですよ。ただ俺にできることを必死にやっているだけですから」
その後は他愛もないことを話しているうちに時間が過ぎていった。
夕刻になった辺りで、サラさんが立ち上がった。
「それでは私はこれで! 昼過ぎなので外壁の警備兵たちと交代してきます!」
「あ、それなら俺も」
本来俺の警備の割り当ては深夜だが、少し早めに交代しても良いだろう。
「セカイ殿は夜まで体を休めてください! それでは!」
彼女はそう言って、足早に去って行った。
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