67.外壁での戦闘
憤慨する彼女を見て、俺は薄く笑みを浮かべた。
「それじゃ、行ってくる」
「うん。行こう!」
そう言って俺の隣に立つアイリス。
「ああ。…………。ん?」
あまりに自然に言い放つのでつい返事してしまった。
「いや、君は避難しなよ」
動揺するあまり、声を荒げる余裕もない。
「いやいや、ここには良い女なんていないらしいので」
そう言って彼女はニヤリと悪い笑みを浮かべた。
俺は彼女の言葉に一本取られたな、と思いながら苦笑した。
「危険なのを分かって言ってるんだよな?」
「勿論! それに私のことは大丈夫。どれだけ傷つこうが、私は絶対に死ねないから」
自信満々にそう言い放つ彼女。俺はその独特な言い回しに違和感を覚えたが、それを問いただす時間はもうなかった。
再び、地面に響くような振動が伝わってきた。恐らく樹木の外壁が攻撃を受けているのだろう。
「絶対に俺から離れるなよ」
俺はそう言って彼女を抱えようとしたが、彼女は冷静に手を差し出して俺の行動を制した。
「私なら大丈夫」
彼女がそう言った瞬間、周囲に風が吹き荒れて俺達の体をふわりと持ち上げた。
「これは……」
驚く俺に、アイリスは得意げな笑みを浮かべた。
「風の精霊達に手伝って貰ったんだ。さ、行くよ!」
彼女の宣言と共に、俺達は空高くへと舞い上がる。
徐々に高度を増していき、やがて街の全貌が把握できる高さまで舞い上がった。
俺は探知魔術を行使し、街のどこで交戦しているのかを探った。
どうやら、俺達から見て左側の外壁で戦闘が繰り広げられているようだ。
サラ達警備兵達が魔物と対峙していた。
「アイリス。あそこの外壁の外だ」
「了解!」
現場に向かおうとした瞬間、虚空にシルヴィアさんの声が響き渡った。
『精霊の民の皆様! 今現在、西側の外壁が魔物によって襲撃を受けています! 警備兵が交戦中ですので、決して戦闘区域には立ち入らないようにしてください! また、外壁が破られ、街中に魔物が侵入してくる可能性がありますので、移動できる方は街中央の世界樹へと避難してください』
「世界樹?」
「ほら、あれだよ」
そう言って彼女が指さしたのは、街の中央にそびえ立つ巨大な樹木だった。金色の葉がキラキラと輝いて見えた。その樹木の周囲には鬱蒼と木々が生えていた。世界樹が大きすぎるせいで感覚がおかしくなるが、麓に生えている木々の大きさは一般的なものだと思う。
街の中央に避難するのであれば、何処の外壁からも離れているため無難だろうな。
「行くぞ」
俺の言葉と共に、アイリスは風の精霊を使役して加速する。
眼下には翠に包まれた街並みと我先にと世界樹へと殺到する住民の姿が見えた。その様子は先程までのゆったりとした雰囲気とは一転している。
一刻も早く事態を収束するために急がなくては……っ。
とめどない焦燥感に俺は胸を焦がしていた。
◇◇◇◇◇
街の西側の外壁の外では、数百にも及ぶ魔物の大群と100名弱の警備兵たちが対峙していた。
近接戦闘に長けた獣人族を前衛とし、魔術の扱いに長けたエルフやケットシー達を後衛とした部隊編成である。
「絶対に外壁を壊させるな! ここで食い止めるんだ!」
茶髪の獣人の少女、サラは声を張り上げて部下の警備兵達を鼓舞する。
周囲の警備兵達も声を張り上げて返事をし、眼前の敵を切り捨てていた。
戦況は精霊の民の優勢だった。
「前衛部隊はこのまま戦線を押し上げろ! 少しでも外壁から遠ざけるんだ! 後衛部隊は前衛部隊の強化、回復に専念しろ!」
魔物の数は多いが、その殆どが有象無象であり精鋭ともいえる精霊の民の警備兵が負ける要素はなかった。
そもそも、この瘴気による襲撃自体は初めての事ではない。ここ数か月ほどで、頻度はまちまちではあったが何度か魔物による襲撃を受けていた。
油断なく、いつも通りに対処すれば問題はない――
「な、何だこれは!?」
――はずだった。
魔物の数が目に見えて減ってきたその時、外壁の周囲に漂う瘴気はその濃度が明らかに濃くなっていった。
「……うっ」
「くっ!」
「ぐっ!? がっ、アアァ!?」
濃くなった瘴気を吸引した前衛部隊十名ほどが突如として地面に突っ伏し、喉元を抑えてバタバタともがき始めた。
「!? 後衛部隊! 風魔術で吹き飛ばせ!」
サラの命令とほぼ同時に、風魔術が放たれ、前衛部隊を覆っていた瘴気が僅かに後退する。
後退した瞬間、サラは倒れた前衛部隊へと駆け寄り、跪いて彼らの状態を確認する。
「これは……っ!?」
倒れた隊員はヒュー、ヒュー、というか細い息を繰り返しながらバタバタともがき苦しんでいた。
「回復を!」
後ろに追随するようにしてきた後衛部隊のエルフ達が前衛部隊の獣人達に回復をかけていく。
回復魔術の効果を受けて、苦しんでいた彼らはすう、と安らぐような表情で意識を落とした。
どうやら、回復魔術の効果はあるようだ。
「一体、これはどうなってるんだ?」
サラの口から思わず零れるその問いに、答えられるものはこの場にはいなかった。
瘴気の発生は今までにも何度か起きていたが、今までは瘴気から魔物が生み出されるのみで、それそのものが毒の様に体を蝕む様な事態は起きていなかった。
だが今回、明らかに濃度の濃くなった瘴気に包まれた兵は突如もがき苦しみ始めたのだ。
「いや、今は為すべきことを為すだけだ」
フルフルと、首を振るって疑問を振るい落とす。
彼女は己の役割を考え、最善を尽くさなければと考え直した。
「風魔術はこのまま維持するんだ! 瘴気を前衛部隊に近付けさせるな!」
精霊の民の風魔術により、瘴気は明らかに後退していた。
魔物の数も残り百体を切るというところまで討伐したその時、押し戻されていた瘴気が一か所に集まり始めた。
「今度は一体何なんだ!?」
「もう終わってくれよ……」
「しぶとい……っ」
兵達から隠し切れない程の動揺がにじみ出ていた。そしてサラも例外ではない。
「吹き飛ばせ!」
エルフは一斉に風魔術で瘴気を吹き飛ばそうとしたが、瘴気は意に返さないとばかりにそれを弾いた。
「何!?」
やがて一か所になった瘴気から、二体の魔物が出現した。
「黒いサイクロプスと、黒い……ワイバーン!?」
瘴気を振り払うようにして現れたのは、一つ目の巨人、サイクロプスと、ワイバーンと呼称される翼竜だった。
通常であれば、そこまで警戒するべき魔物ではない。
しかしただのサイクロプスとワイバーンの比ではない圧力が放たれていることは誰の目から見ても明らかであった。
「「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!!」」
サイクロプスとワイバーンは、人には理解できない不快な咆哮を周囲に轟かせた。大気が2体の放つ異常な圧力と咆哮で軋んでいく。
「くっ」
2体の魔物は弾かれた様に地面を蹴った。
ドウ! と轟音を立てて地面を疾駆する怪物の速度は、文字通り目に留まるような代物ではなかった。
前衛部隊に突進したサイクロプスはその強固な拳を撃ち放つ。
「がっ!?」
受け止めようとした獣人の男はいとも簡単に吹き飛ばされ、外壁に叩きつけられた。
バギィ! と不快な音を立てて外壁に損傷が走る。
「ハア!」
サラは剣を抜き、己の全身全霊を込めて剣をサイクロプスに叩き込んだ。
獣人の膂力は人間の比ではない。魔力強化する前の状態ですら普通の人間の数倍から十数倍を誇る肉体に魔力強化をした場合、その強大さは考えるまでもなく明らかだろう。
さらに、サラは獣人の中でも特別と言われるほどに才に満ち溢れた少女だった。単純な戦闘能力で彼女に匹敵する存在は精霊の民の中にはいない程に……。
だが――
「な、にぃ!?」
――現実は、無常である。
彼女が振るった刃は僅かにサイクロプスの黒い肌に食い込んではいたが、切断するには程遠い程の損傷しか与えられなかった。
惑星の瘴気によって異常強化された魔物に対して、傷を付けられる者は少ない。
サラは僅かとは言え、傷を付けた。傷を、付けてしまった。
それが、災いした。
サイクロプスはギョロリとサラのことを一瞥し――
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!!」
至近距離で怒りの咆哮を上げて、武器ごとサラを掴んで先の男と同様に外壁へと吹き飛ばした。
「くっ!」
サラは空中でくるりと体勢を立て直し、両手両足を地面に付けて減速した。
敵の次の行動に対応するために即座に顔を上げると、空高く飛んだワイバーンが後衛部隊の魔術をものともせずにブレスで薙ぎ払っていた。
「きゃあああああ!?」
「うわああああ!?」
ワイバーンのブレス攻撃を受けて、警備兵たちは勢いよく吹き飛んでいく。さらに、ワイバーンはブレスは衰えることなく放ち続け、横薙ぎに振るった。
「くそっ」
サラは小さく毒づき、壁に叩きつけられて意識を失っていた獣人の男を抱えてその場から離脱した。
わき目も降らずに離脱した先には――
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!!」
――まるで待ち構えていたかのようにサイクロプスが佇んでいた。
ビリビリと肌を刺激するような殺気に、一瞬サラは足がすくむ。
刹那――
「……っ!」
――彼女の眼前で、黒いサイクロプスが腕を振りかぶりこちらを叩き潰そうとしていた。
油断も、慢心も無かった。
ただ、ほんの一瞬の綻びをサイクロプスは見逃さなかった。
サラはその綻びを突かれてしまった。そしてそれが致命的な一撃となる。
回避する時間は、無い。
己の肉体が次の瞬間には肉片になることを悟り、彼女は反射的に目をつぶった。
「…………?」
しかし、待てども待てども、彼女の肉体に如何なる衝撃も走ることは無かった。
恐る恐る彼女が目を開けるとそこには――
「大丈夫ですか?」
赤く輝く剣を持った灰色の髪の少年惺恢が、サラに背を向けて佇んでいた。
「さ、サイクロプスは……?」
サラが恐る恐るそう問いかけると、惺恢はどうと言うことはないとでも言うように、
「もう死んでますよ、ほら」
そう言い放ち、目の前の真っ二つにされた肉塊を一瞬で切り刻んで完全な肉片にした。
「……あ、ありえない」
余りに常軌を逸したその光景に、彼女の口からそんな声が零れた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
私に学が無いため、3人称がとても難しいです。
話の大筋は変わりませんが他に良い表現、文章が思い付けばその都度変更するかもしれません。




