66.異変
子ども達と暫く遊んでいると、孤児院に戻る扉から一人の女性が入ってきた。
絹のように滑らかな金髪を一結びにし、胸に垂らしている彼女は、白い羽をバサリと揺らした。背景の緑の豊かさも相まって一つの芸術作品のような印象を受ける。
「どこで遊んでいるのかと思えば……」
「「お母さん!」」
子ども達はシルヴィアさんの姿を見るなり、アイリスの時と同じように突撃していった。
ガバリと勢いよくシルヴィアさんに飛びついて行く子ども達。
シルヴィアさんは彼らの頭を優しく一撫でし、柔らかな声音で告げる。
「皆良い子ですから、先に孤児院の中に戻ってなさい。皆が戻ったら一緒に遊びましょう」
彼女の言葉に子ども達は目をキラキラと輝かせ、
「「はーい!」」
大きな返事と共に我先にと孤児院の中に戻っていった。
先程まで賑やかだった庭は僅かな葉揺れの音がなるのみだった。
俺とアイリスは互いを見つめた後軽く頷き、シルヴィアさんに近づいていく。
「この度は、多大なご迷惑をお掛けしまして大変申し訳ありませんでした」
シルヴィアさんは俺の事を見るなり、頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
「頭を上げてください。私はこの通り、万全の状態まで回復しましたので」
俺個人の意見を言えば、こうして傷も癒えているのだから先の件についてはさして気にしていないのだが、そうはいかないのだろうな。
「寛大な御心に感謝致します。それで、本日はどのような御用でしょうか?」
「単刀直入に言いますと、私をこの街に滞在させていただくことは出来ますか?」
そう言うと、シルヴィアさんは僅かに眉をひそめた。
「それは……」
「やっぱり駄目? でもでも、セカイなら大丈夫だよ! 街の人達も彼がセイを助けた事は知ってるでしょ?」
「話はそう簡単な事ではないのです。アイリス」
ムム、と眉間にしわを寄せるアイリス。
「じゃあ、何が問題なの?」
「貴方はこの街で起きた惨劇を知らないから、そんな事を言えるのです」
「惨劇って、昔の人間との戦争の事? でもそれは、セカイには一切関係ないことでしょ?」
「心の奥底に根付いた嫌悪と言うのは、そう簡単に払拭できるものではありません。彼は確かに人格者かもしれません。ですがそれは、直接触れ合って初めて認識できるものです。街の住民はきっと、又聞きした存在にすぎない彼のことを信用することはないでしょう」
シルヴィアさんの言うことに、俺は密かに賛同していた。何故なら、俺が住んでいた村でも、少なからずそう言った人はいた。決して、父さん達への態度を変えなかった人達が。確固たる己の価値観を持っていた人たちが、村にもいたのだ。
それを責める資格は俺にはありはしない。己の価値観のありようなど、他人が口を出すようなことでは決してないのだから。
ここに俺がいることで住人に迷惑をかけることは俺の本意ではない。
きっと、近隣の国や街の情報を聞いて早々に立ち去るのが最善だろう。
「あの――」
街への滞在許可を取り下げようとしたその瞬間、それは起こった。
ズゥン、という低い地響きが街中に響き渡った。
アイリスが焦燥感に満ちた声を発する。
「な、何の音!?」
「これは……っ」
シルヴィアさんが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
何か知っているのだろうか?
「シルヴィアさん。これは一体、何が起こっているんですか?」
彼女は俺のことを一瞥し一瞬言いよどんだが、意を決したかのように話し始めた。
「瘴気による、魔物の集団暴走です……っ」
「瘴気……?」
初めて聞く言葉だ。
「貴方は既に経験しています。セイを襲った魔物達も今回と同様のモノです。この音はきっと、街の外壁の樹木を攻撃しているのでしょうね……っ!」
あからさまな怒りを噛みしめるように、彼女は歯をギシリと鳴らした。
俺はそう言われ、あの時の状況を事細かに思い出す。
確かにあの時、黒い煙が周囲に立ち込め、そこから大量の魔物が現れた。今もまた、あの時のような現象が起きている?
「私は子どもたちを安全な場所に集めてから、万一に備えて住民の避難誘導をします。貴方たちも一緒に避難すると良いでしょう」
彼女はそう言うと、孤児院の方へと入って行った。
「シルヴィアさんの言う通り、騒ぎが収まるまで避難しよう?」
アイリスはそう言いながら俺の腕を引っ張った。
しかし――
「……セカイ?」
ーー俺はそこから一歩も動こうとはしなかった。
「どうしたの?」
彼女が心配するように俺の顔を覗き込んできた。
「魔物は一体、誰が倒すんだ?」
「え? それは、サラ達警備兵が闘ってくれると思うけど……」
「彼女達が絶対に勝てる保証はあるのか?」
「それは……、私には分からない……」
アイリスは、まず間違いなく戦闘経験がほぼないだろう。戦闘を生業とする者の気配が一切ないのだ。だからこそ、彼女は魔物に襲われないように避難するべきだ。
だが俺は違う。
「俺も闘う」
弱い俺に何が出来るのかは分からないけど、誰かの盾にぐらいはなれるはずだ。
彼女はそんな俺の言葉に目を見開きながら叫ぶ。
「き、君本気で言ってるの!? 病み上がりでしょ!? それに君が闘う理由なんてどこにあるのさ!? 君はこの街の住民じゃないんだよ!?」
俺は彼女の言葉が理解できず、本気で疑問を抱いた。
「誰かを助けるのに、理由なんて必要か?」
手が届くなら、伸ばさないなんて道理はない。父さんはそう言っていた。そして俺も、彼と同様の想いを抱いている。
彼女は俺の言葉を聞き、目をこれでもかと見開いた後に、何故か俯いて肩を振るわせ始めた。
「ど、どうしたんだ?」
俺が声をかけた瞬間、彼女は大きな声で笑い始めた。
「あははは! ほ、本気で言ってる!? お人好しだと思ってたけど、ここまでとは思わなかった。 あ~~、可笑しい!」
笑いすぎて涙が出たようで、彼女は目の端を指でさっと拭っていた。
「そ、そんなに笑わなくても……」
何だか納得がいかなくて、ついムスッとしてしまう。
俺は何も可笑しいことなど言っていないというのに。
「ごめんごめん。でも、そうだね。君は言っても聞かないだろうから、ここは笑って見送るのが良い女ってことかな?」
「良い女? どこにいるんだ?」
俺はお返しとばかりに周囲をキョロキョロと見回した。
「なんて失礼な男だ!」
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