61.自己紹介
次の日。
俺は提供された家屋の一室で目を覚ました。
「ふ、ん〜〜」
上半身を起こし、少し伸びをする。
脇腹の傷はアイリスが治してくれた。彼女が俺に魔力を流すだけで傷が癒えていくのを見た時は妙な感動を覚えた。今まで母さんが使うような術式を介した治癒魔術しか見たことが無かったため、術式を介さない精霊魔術は新鮮という他ない。
ベッドのすぐ傍にあるガラス窓から暖かな光が降り注ぎ、部屋の中を優しく満たしていた。
宙に浮かぶ埃すらもキラキラと光っており、時間の流れが遅くなっているかのような錯覚を覚えた。
「久しぶりに熟睡できたな」
いつ魔物に襲われるのかという恐怖を感じる必要なく寝れるというのはやはり良いものだな。外では一瞬でも反応が遅れれば文字通り寝首を掻かれてしまうという状況下でしか睡眠を取ることができなかったので正直満足に眠ることはできなかった。
俺はベッドから起き上がり、窓を明けてその新鮮な空気を吸い込んだ。
緑に囲まれた街並みが眼下に広がる。この家は巨木をくり抜いて作られた家屋らしく、通常の家よりも高い位置に位置している。
万が一魔物が襲って来てもこの高さなら対処できることも増えるだろうな。
俺は朝の微睡みの中ぼんやりとそんなことを考えていたが、涼しい風を頬に感じていくうちに徐々に意識がハッキリとしていく。
「そういえば、俺の武器は何処にあるんだろうか?」
先のリザードマンとの戦いで壊れてしまったとは言え、あれは父さんから譲り受けた大切なものだ。それに砕けたのは刃のみで、柄にある父さんの楔石は残っていた。
取り敢えず、俺を捕縛したサラに状況を聞くのが良いだろうか。
俺はそう考え、部屋の扉へと向かった。
この家には他に住んでいる人がいるとアイリスが言っていた。昨日はあまり深く聞かずにそうなのかと流してしまったが、もしその住人が起きていなかったらとしたらあまり大きな音を立てて起こすのも悪いだろうな。
そう考え、そっとドアを開けるとそこには――
「おお神よ! 何故神はこんなにも素晴らしい武具を私に与えたもうたのか!」
赤髪をポニーテールにした少女が高い台の上に置かれた何かに対して両手を上げ、崇め奉っていた。
と言うか彼女は――
「――アイリス……さん……?」
彼女の後ろ姿と声からして、間違いはないのだろうが、ついつい疑問形になってしまう。そのぐらい、俺の頭の中は混乱していた。
彼女に俺の声は届いていなかったようで、尚も何かに対して跪いたままだった。
そしてよくよく見て見ると、あれは恐らく俺の、というか父さんの武器だ。
楔石の残った柄がキラリと光りを反射しており、バラバラに砕け散った刀身と一緒に台の上に置かれていた。
「あ~~! ほ、頬ずりしたい! 何なら股に擦り付けたい! い、いやでも流石に持ち主の許可なくそんなことをするわけには……。いやいやでも、こんなに綺麗な剣見たことないし! それにこれ何でできてたんだろう? 見たことも無いような金属だし、破片の硬度も私の知るどの金属よりも硬かったし。や、やっぱ無理! もう我慢できない! あの男の人には悪いけど、この剣使ってちょっとスッキリ――」
「――その剣を何に使うつもりだ……?」
途中まで呆気に取られて言葉も発することができなかったが、流石にこれ以上黙って見ていてはとんでもない事態に発展しそうだったので恐る恐る声をかけた。
俺が声をかけた瞬間、アイリスはびくりと肩を上げ、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「……っ」
やっぱり、顔が異常に整っているな……。
勝気そうな紅い瞳を真っ直ぐ見つめるのが、少し気恥ずかしいくらいだ。
目の前の美少女はスッと立ち上がり、軽くスカートの裾を払って柔和な笑みを浮かべた。
「おはよう。よく眠れたかな?」
「いや今更常識人ぶっても遅いだろ」
つい反射的に突っ込んでしまった。
そんな俺の突っ込みに、少女はむーっと頬を膨らませた。
「そ、そんな事ないし! まだ間に合うし! そもそも私常識人だし!」
俺は必死に常識人だと主張する彼女のことを見て、一瞬涙が出そうになり目頭を押さえた。
可哀そうに……。きっと、彼女の脳みそには何か深刻な病気があるのかもしれない。そうでなければ、他人の武器を股に擦り付けて自慰をしたいなんて考えもしないだろう。
俺は涙をそっと目で拭い、彼女に微笑みかけた。
「そうだね。君は紛れもない常識人だよ」
「憐みの視線と笑みを向けないでよお!?」
そんな俺の態度が気に食わなかったのか、彼女は全身全霊の咆哮をした。
まさしく全身で感情を表現するとはこういう事なのだろう。
ズンズンと肩を怒らせながら俺へと近づき、胸ぐらをつかんで前後に揺らしてきた。
「私はただ君の武器を見てただけ! それ以上でもそれ以下でもない! 分かった!?」
「え、いやでもさっき――」
「――さっき、何?」
「俺の武器を股に――」
「――シ、シラナイナ~……。きっと疲れて幻覚でも見たんだね」
彼女は脂汗を流しながらそう言う。
「いや、もう何か、良いや……」
俺はため息を吐きながらそう言った。
これ以上藪蛇をつついてもお互いのためにならなそうだ。と言うか蛇どころではないおぞましい何かが出てきそうな気配すらする。
そう判断した俺は素直に諦めることにした。
彼女の手を優しく掴み、そっと俺から離れるように促した。
なんか妙な出会い方ではあったが。俺と彼女はようやくまともに向き合った。
彼女の身長は俺より頭一つ分ほど小さかった。
俺はコホンと軽く咳ばらいをして話しかける。
「まあ、取り敢えず寝る場所を提供してくれてありがとう。おかげで久しぶりに熟睡できたよ」
彼女は得意げにニシシと笑う。
「それはどういたしまして。まあ、私達のせいで余計消耗させたんだから、自作自演みたいなものだけどね」
「そんなことは……」
まあ、正直ある。
言葉に詰まった俺に対して、彼女は少し苦笑しながら答える。
「本当にごめんね。あ! 言葉遣いが不快だったら丁寧にするけど……」
「いや、そのままで。俺も堅苦しい言葉は使わないからさ」
と言うか、先程の奇行を見てしまった後に敬語を使いたくないというのが本音だ。敬ってない相手に敬語など使いたくない。
「ん? 何か言いたいことがあるなら言ってみな?」
彼女は笑みを深め、両手を腰に当てながらそう尋ねてきた。女性らしい部分がやや強調されて俺は咄嗟に目を逸らした。
「いや、特に何も」
「ま、それなら良いけど。……それにしても相当疲れていたんだね。昨日の朝は目覚めなくて、それから丸一日経ってから目を覚ますなんて」
「ま、丸一日!?」
いや、昨日の朝に目が覚めなかったということは一日とさらに半日目が覚めなかったのか。
自身が思っていた以上に寝込んでいたようだ。
「うん。あまりにもぐっすり寝てるもんだから私もびっくりしたよ。故郷が無くなったって言ってたけど、一体どこから来て、何日彷徨ってたの?」
彼女は嫌なら答えなくて良いよ~と付け足しながら質問してきた。
特に隠すことでもないので俺は彼女の質問に答える。
「人から聞いた地名だから、合ってるかどうかわからないけど……。未踏破領域アグスラってところから出発して、ここに来るまで一週間近くはかかったと思う」
エレムさんが俺の住んでいた村が人類の本来到達していないとされる場所にあると言っていた。
彼女は大きく目を見開きながら俺の両腕を掴んできた。
「み、未踏破領域アグスラァ!? ほ、本当にそんなところから来たの君!?」
「あ、ああ」
彼女の勢いについ気圧されてしまう。
彼女の反応を見るに、やはりあの地で生活をしていたというのは相当に異常なことなのだろう。そして、その生活を維持していた父さんと母さんはやはり常識の埒外にいる存在らしい。
「いやまあ、異常な量の魔物を倒してたから強いとは思ってたけど、まさかそこまでなんて思いもしなかったよ」
何か勘違いがあるようだ。
「あ~~、悪いけど、俺自身はそこまで強くないよ。俺が住んでいた村を護ってたのは、俺なんか比べるのもおこがましいくらい強い人達だから」
甘めに見積もっても、俺の戦闘力など精々父さんの千分の一に届くかどうかと言った所だろう。
「いや、あの量の魔物を倒すだけでも相当……、でもまあ、そうなんだ、それなのに――。いや、何でもないよ。忘れて」
彼女はきっとこう言いたかったのだろう。それなのに、故郷が滅んでしまったの? と。
俺が彼女たちの質問に答えた時、故郷がなくなったと言った。シルヴィアさんは嘘を見抜く能力を持っているという。ならば、俺が嘘を言っていなかったということは彼女自身は良く理解しているはずだ。
「そう言えば、自己紹介がまだだったな。俺の名前はセカイ、よろしく」
話題を変えるために、俺は彼女に対して手を差し出す。
「私の名前はアイリス。アイリス・イグレシアス。よろしくねセカイ」
俺達は互いの手をしっかりと握り合った。
貴重な時間を割いて読んでいただき、また、ブックマーク、評価をしていただき、ありがとうございます。




