33.神殺し
父さんの正体を知った翌日、俺は一人でリザードマンの群れを狩っていた。
最後の一匹を残して、俺は森の中を縦横無尽に駆け回っている。
森の中には数十にも及ぶ魔物の死体が溢れ、地面は赤いペンキをぶちまけたように染まっていた。
「GURRRR……ッ」
リザードマンの表情など俺には分からないが、恐らく焦燥を抱いているであろうことは手に取るように分かった。
樹木と俺の足が衝突する鈍い音がするたびに、リザードマンはびくりと反応して音のする方を向いた。
俺は地面に足を付けることなく、樹木を蹴ることで空中を駆け回る。
わざと大きな音を立て、俺はここにいるぞとリザードマンへ知らせる。
リザードマンは俺の姿を見つけようと、幾度も音のする方を向くが、振り向いた時、既に俺はそこにはいない。
「GUROAAAAAAA!」
姿の見えない俺に対して、完全にパニックに陥ったリザードマンは、突然村とは反対方向へと走り出した。
それに追随し、リザードマンの周りを囲むように追い続ける。
以前グリフォンと戦闘した平原付近まで来たところで、俺はようやく奴を仕留めることにした。
冷静さを失い逃げることしか考えにないリザードマンの背後の木を、最後のみ音を立てずに蹴り、迫る。
赤い線が宙を走り、リザードマンは最後自分が何をされたのかも認識することなく、首を落とされた。
リザードマンの前に静かに着地し、手に持っていた剣を流れるように腰の鞘に納める。
「まあまあだな」
俺はリザードマンの首の断面を眺めながら先ほどの一閃を自己評価した。
風が樹木の間を通り抜け、冷たい風が頬を撫でた。
俺はふと空を見上げた。
空は、転生した初日に見た空の様に、鉛を流し込んだような灰色で埋め尽くされていた。
今にも雨が降りそうだ。
「雨が降り始める前に帰るか」
俺は何故か心に不安感が芽生え、今すぐ帰ろうとする。
きっとあの時のことを思い出したからであって、特に深い意味はないはずだ。
リザードマンの死体から踵を返したところで、俺は探知魔術に突然反応を感じた。
誰だ?
魔物ではなかった。
だが、なぜこんなところに?
しかも今の今まで俺はその存在に気付くことさえできなかった。
反応は、自分のすぐ後方にある平原の奥だった。
このまま放っておくわけにはいかないだろう。
もしも迷い込んでしまったのであれば、安全な場所まで送り届けなければならない。自分にそれができるかは正直自信がないので、父さんに頼ることになるだろうが。
俺は気配を殺し、木々の間からわずかに顔を出して探知に引っかかった人間の様子を窺った。
あれは……?
俺はその人間の姿に何故か強烈な既視感を感じた。
性別は男で、年齢は30歳に届くかどうかと言ったところか。
白衣を着用しており、髪は短く切りそろえ、その目は今まで見たこともないような鋭さを持っていた。元々の目つきが悪いのかもしれないが、それだけじゃなく、何かを憎んでいるような、そんな雰囲気を感じさせる視線だった。
白衣がこの世界にあるのかは知らないが、要はただの白い上着であるためあっていてもおかしくはない。おかしくはないのだが、どうにも俺はあの服を見たことがあるような気がする。
何をやっているんだ?
男は黙って村のある方角を見つめていた。
見たところ、怪我をしているわけではない。
自力でここまでたどり着いたというのであれば、相当な実力者であることは想像に難くない。
よほど上位の冒険者なのか、もしくはエレムさんの様に隠密性に長けた魔術が得意なのか。
俺は推論を重ねていたが、その考えは次の瞬間暴風にさらされた紙きれの様に吹き飛ばされた。
【しけた場所に住んでるんだな、神って奴は……。おかげでここに来るまでに無駄に時間食ってしまった。……この世界にはもう時間がないってのに。さっさと殺して持ち帰らないと、ただでさえ残り少ない実験の時間が無くなるじゃねーか】
この村で神なんて、父さん達しかいない。
父さん達を殺す?
こいつは確かにそう言った。
いやそれよりも、あいつがさっき話していた言葉は、俺が知っている日本語そのものだった。
日本人なのか?
どうしてこんなところにいる?
何故父さん達を殺そうとするんだ?
この問いに自身のみで答えが出ないことぐらい分かっていた俺は、今すぐこの場を離脱すべきだと考えた。
早く……っ、早く父さんに知らせないと……っ!
この男の実力は得体がしれない。
もしかしたら、俺の命など一瞬で刈り取られてしまう危険性すら感じた。
俺はこの場を離脱しようと後ろを向くと、そこには能面のような無表情をした大柄の男が立っていた。
「――ッ!?」
俺は反射的にその男から距離を取ろうと、後ろに飛びのく。
「しまっ――!」
一瞬で後悔するがもう遅い。
俺は飛びのいたことで、森から平原へと移動してしまい、あの男に見つかってしまったことを確信する。
白衣の男は嘲笑を浮かべながらこちらへと近づいてくる。
【それで隠れているつもりだったのか? いや、馬鹿にしているつもりは無いんだが、あまりにお粗末すぎてな】
男は一歩一歩、確実にこちらへと近づいてきた。
得体の知れない敵を目の前にして、俺は委縮し足がすくんでしまっていた。
本能が、この男は危険だと警鐘を鳴らし続けている。
白衣の男がこちらにたどり着くまでに、あと20歩ほどの距離がある。
今ならまだ、ギリギリ間に合うかもしれない。
この場から逃げ――
【――まあそう急ぐなよ】
「――ッ!?」
肩にポンと手を置かれ、俺の動きは静止された。
いつの間に……!?
男は瞬間移動したかのように、いや、まるで初めからそこにいたかのように、次の瞬間にはここに既に存在していた。
探知にも反応せず、認識阻害でもなかった。
一体なんなんだ、こいつは……っ!
【ところで、さっきから気になってたんだが、君、俺の言葉が分かっているよな?】
男は、俺の顔を掴み、その瞳を強引に合わせてきた。
ここで拒否してしまえば、すぐさま殺されてしまう。
そう直感した俺は素直に肯定をした。
【わ、分かります】
男は俺の言葉に少しだけ楽しそうな顔をする。
【そうかそうか、分かるか! で、君、何でこんなところにいるの? 髪色は灰色で、どう見ても日本人には見えないけど】
【移住した日に、何か手違いがあったみたいで、気が付いたらここにいました。髪色については、知りません。地球での記憶がないんです】
【ほう、記憶がない上に気が付いたらここに……。それは気の毒に】
全然気の毒とは思っていなさそうな顔をしながら、男は俺に話しかける。
【そうだな……。君、神様がここにいると思うんだが、その場所を教えてくれないか? 教えてくれたら、君を日本人が現在居住している場所にまで案内してあげよう】
その問いかけに、俺は心臓が飛び出るんじゃないかと錯覚した。
ここで父さん達の場所を教えてしまえば、この男は必ずそこに行くだろう。
父さんほどの強さなら、この男に負けることは無いはずだ。
だが、万が一、この男とその仲間が力を合わせた時、父さんよりも強かったら……?
【どうした?】
男は黙り込んだ俺に、威圧感をかけてくる。
【し、知りません】
俺の言葉を聞き、男の雰囲気が変わる。
【おい。誰が嘘を吐けって言った?】
先ほどまでと異なり、殺気をぶつけてくる男に全身が震えあがる。
【う、嘘なんて吐いていません。本当に知らないんです】
俺は精一杯の去勢を張り男に言い返すが、尚も冷たい瞳で俺のことを見下ろす。
【俺に嘘は通じない。別に君が教えてくれないなら、直接乗り込めばそれで終わる話だ。まあ、これから死ぬ君にはどうでもいい話か。おい6番! 《降ろして》こいつぶっ殺せ!】
男の呼びかけに、どこからか現れた、6番と呼ばれる少女が出てくる。
今気が付いたが、4番と呼ばれた男と6番と呼ばれた少女が来ている服は、俺がこの世界に来た時に着ていたものと酷似していた。
全身白の、肌に張り付いて伸縮性のありそうな服。
6番と呼ばれた少女は、肩辺りで切りそろえた黒髪に、感情の読めない瞳を持った、小柄な少女だった。
【術式展開 神位掌握】
6番が理解できない言葉を呟くと同時に、光の柱が空から降り注ぎ、少女を包み込む。
その光の発生と共に、世界が割れんばかりの衝撃が周囲を襲った。




