表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/77

1.記憶を失った少年と見知らぬ森

「ぐ、うう……」


 目が覚めると、俺の頬には冷たい何かの感触があった。

 少なくともこれは、人工的な物による感触ではない。

 そう思った瞬間、意識が一気に覚醒する。

 跳び跳ねるように上半身を起こし、頬に付着した物体を手で削ぎ落とす。


「土……?」


 なぜ俺は土の上で寝ていたんだ?

 普通、土の上で寝る人なんているはずがないのに。

 

「ここはいったい……?」


 俺は不思議に思いながら、顔を動かし、周囲を見渡す。

 周りは樹木に囲まれていた。樹木の表皮や地面には緑色の苔が付着し、木々の間から太陽の光が漏れて、辺りを照らしている。宙に浮かぶ埃が木漏れ日を浴びてきらきらと光り、幻想的な光景が俺の周囲には広がっていた。何だか湿っているような、不思議な香りが鼻腔をくすぐる。

 木の香りなのか、土の香りなのか、少なくとも俺はこんな匂いは記憶にない。


「…………」


 しばらく呆けてしまっていたが、時間と共に脳が冷静さを取り戻してきたことを感じる。

 そうだ、確か俺は、俺達地球人はグリーゼに移住しようとしたはずだ。

 

 地球では氷河期が到来しており、人類は地下に居住することを余儀なくされていた。

 地球にある資源自体も限界を迎え、これ以上地球に留まることは困難だと判断した各国の代表は、共同で他惑星への移住方法の開発を進め、ようやく30年ほど前に人体を遠隔地で再構成するという手法を手に入れるに至った。

 地下に暮らしていた人類は森という言葉の意味は理解していても、それが実際にどのようなものなのかなんて分かるはずもない。精々、古い映像資料で確認したことがある程度だろう。


 俺の肉体がグリーゼに再構成したと仮定して、ここが再構成場所として適切なのかどうかについては、恐らく、何かの手違いがあったことが考えられる。適切な場所であるならば、他の移住してきた人類が周囲にいるはずだ。また、居住地の建設については、先行して移住した人達がすでに建設を終えていると考えるのが普通だろう。


 待て、普通?

 俺は何か大きな違和感を覚えた。

 

 そうだ、普通なら、移住について俺は詳しく説明を受けていなければおかしい。これだけ人生の大きな転換点となる行為だぞ。人類にはそれ相応に十分なアナウンスがなされているはずだ。

 惑星のどこに移住するのか。既に居住地はあるのか。そこにたどり着いた後にどうすればよいのか。着いた先でアナウンスに従わなければならないのか。などと言った事を一切知らされないはずがない。

 それなのに今の俺はその説明がどのようなものか思い出すことができない。それどころか、俺が関わってきた人々や、自分の名前すら思い出せないようだ。言語や一般常識は覚えているようだが、所謂エピソード記憶と言われるものが部分的に欠落していることに気が付いてしまった。

 

 俺は誰なんだ?

 今の自分の身体を見下ろしてみると、恐らく10歳前後であることが推測される。服装は全身白尽くめの服であり、伸縮性のある素材を用いているようだ。靴は履いておらず、裸足だった。胸のところ赤い糸で刺繍が施されており、【No.013 惺恢】と縫われていた。惺恢(せかい)と読むのだろうか? 恐らく、これが自分の名前だろう。名前が漢字であることから、自身が日本の生まれであることが推測できる。

 気にかかる点として、名字が記載されていないこと。Noが付いていることが挙げられるが、自身の記憶を失っている今、それを調べる術はないだろう。


「とりあえず、動くしかないか?」


 もしかしたら、他の人類と少し距離が離れているだけで、少し移動すれば合流できるかもしれない。そんな淡い考えを抱いて俺は立ち上がった。


「つっ!」


 立ち上がってすぐに、足に痛みを覚えた。


「そうか、土の上を裸足で歩こうとするとこうなるんだな」


 俺は自分の足の裏をのぞき込むと、小さな石の破片が足の裏に刺さり、血が滲んでいるのが分かった。

 このまま動き続けてしまうと余計な怪我をするかもしれない。

 だが、このままこの場所に待機して何か変わるのだろうか?

 今俺がここにいることが手違いによるものだとして、俺は日本の人に見つけてもらえるのか?

 手違いであるというのなら、恐らく俺の居場所を把握することは難しいのだと思う。

 それならば、今は少しでも動いて、できれば人里を探した方が良いのではないだろうか?

 

 俺は自身を納得させ、湿った土の上を踏みしめて歩き始めた。

 歩き出すと同時に、水滴が鼻先に落ちた感触があった。


「これは……?」


 いつの間にか太陽は雲に隠されており、空には鉛を一面に張り付けたような、重い雲が浮かんでいるのが見えた。

 雨、というものだろうか?

 初めての経験に戸惑うが、空から水が降ってきたからどうなるというのか。

 俺はそれを気にも留めず、歩き始めた。


◇◇◇◇


 体感で数時間後、俺は激しく後悔していた。

 駄目だ、体が重い……。

 空から降ってくる水滴は体の衣服に吸い取られ、重量を増すとともに俺の体温を奪っていた。


「はあ……、はあ……、はあ……」


 完全に甘く見ていたことを理解する。

 それに加えて、森の中は足場が非常に悪い。あちこちに植物や樹の根が張っており、真っ直ぐ歩行することさえ困難だった。

 この中を歩行するだけでも体力が奪われていくことを感じる。

 そして当たり前のことだが、今の俺には食料がない。その辺にあるものは食べられるのかどうかすら俺には分からない。


「喉が、はあ……、乾いたな……」


 だが俺は今水など持っていない。

 あまり、考えないようにはしていたが、俺は雨水を飲むしか道はないのだろうということは薄々分かっていた。


 もう、限界だ……。

 

 これ以上喉の渇きに耐えることができないと判断した俺は、空へ向けて口を開けて雨水を飲み干していく。

 水が体内に染み渡るにつれて、脳内が少しクリアになっていったが、後悔の念も浮かんできた。


 完全に見通しが甘かったと痛感する。

 しかし、あのままあの場所に留まり続けたところで助けが来るかどうかは分からなかった。見通しは甘かったが判断は間違っていなかったのだと信じたい。


「もう、進むしかない」


 自分に言い聞かせるように呟き、終わりの見えない先へと歩き続けた。


◇◇◇◇

 

 雨はいつしか止んでおり、空には再び森の中に光が差した。

 しかし転生した直後とは光の色が異なり、橙色の光が辺り一面を照らしていた。

 太陽は既に沈みかけているのか?

 森の樹木が視界を遮り、太陽がどうなっているのかを知ることはできない。


「なんか、気温が少しずつ下がっていないか?」


 誰に言ったわけではない俺の呟きは気のせいではなかった。

 太陽から放たれる光は徐々に少なくなっていき、周囲を見渡すことさえ困難になっていくことに気が付いた。

 これでは、これ以上の移動は困難を極めるだろう。

 俺は近くにあった木の根のそばに、光が完全になくなる前に座り込んだ。

 やがて、光は消え、周囲は完全な暗闇に閉ざされてしまった。


 ああ、これが夜ってやつなのか。

 太陽が沈むと、昼から夜へと移り変わる。

 それが、この世界での普通らしい。

 でもまさか、


「太陽がないと、こんなにも寒くなるのか……っ!!」


 ここまでとは想像していなかった。

 また、寒さも予想外だったが、暗い場所に一人でいるという状況が、想像をはるかに超えるほどの不安を俺の心にもたらしていた。

 

 俺はこれからどうなるんだ?


 不安感と恐怖で押しつぶされそうになり、俺はその夜、一瞬たりとも睡眠を取ることができなかった。

 

◇◇◇◇


 俺が転生してから、日を二日跨いだ。


「…………」


 今俺は樹に背中を預けて座っている。正直喋るのも辛い。

 水は、雨が降っているときは空へ口を開けて飲むことができたが、雨がやんでしまった今では水も摂取できていない。加えて空腹感がこれほどまでに人の精神を蝕むなんて思ってもみなかった。


「……あ」


 そんな時、視線を下げると目の前の地面に水が溜まっていることに気が付いた。

 これ、飲める、よな?

 接地している水は、衛生的に不安はあるが、背に腹は代えられない。とにかく、何か口に含みたかった。

 俺は倒れるように水たまりへと体を傾ける。

 水面に映ったのは、灰色の髪を持つ、中性的な顔立ちの少年だった。

 水を、早く水を飲まなくては……。

 どうやって?

 飲むための容器など持ち合わせてはいない。

 手ですくうには、浅すぎる水溜まりだ。

 ならば、吸うしかないだろう。

 俺は水溜まりへと顔を近付けた。


「ずるるるるる」


 土が混ざっているからか、少し変な味がするけど、飲めなくはない。


「ずるる――!? ごほっ! ごほっ!」


 吸っていた泥水が気管に入り、思わずせき込んでしまう。

 少し、体力が回復したことを感じる。少なくとも周囲を見渡せる程度には、だが。

 茸、と呼ばれるものが目に入る。鮮やかな青色をしたそれは、食欲をそそるようなものではないはずなのに、今の俺はこの茸を食べたくて仕方がなかった。

 今までは食べられるかが分からなかったため意識的に食べようとはしていなかったが、今は何でもいいから腹に入れなければ、自分が死んでしまうということが嫌でも理解できていた。

 俺は泥水が口についたまま、四つん這いになって茸が生えている場所まで這った。


「…………」


 無言で茸をむしり取り、そのままがぶりと口に含む。

 味は、美味しいとは言えなかった。苦味と酸味が口に広がるが、食べられないほどではない。俺は無心で茸をむしり、口に含んだ。


読んでいただきありがとうございます

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ