0.プロローグ
この惑星に移住してから七年後、俺は薄暗い森の中で、一人の男と対峙していた。
「じゃあな、13番。器の壊れたお前に、もう用はない。その化け物と殺し合って勝手に死んでろ」
俺を13番と呼ぶ男、伊吹は臭いものから顔を逸らすように踵を返した。
「伊吹……っ! 待て!」
地面を蹴り、男に斬りかかろうとした瞬間、
「がっ!?」
鈍色に光る生物が衝突し、俺の進行を阻んだ。
明かりの無い夜の暗闇の中、俺は眼前の敵と幾度も衝突する。
「ああああぁあぁぁあぁ」
呻きとも、悲鳴とも取れるような声をまき散らしながら、赤黒く脈動する剣を横薙ぎに振るった。
ガキン! と金属同士が衝突し、赤い火花が夜の闇を微かに照らす。
敵の姿が、火花で僅かに照らされる。
人間の上半身に蜘蛛の下半身を取り付けた異形の怪物は、その体表面を鈍色に光る金属で覆っていた。
「コ……、コノ、ハナ……、キレ、イ、ダネ……」
俺が対峙している目の前の怪物は、先ほどまで人だったもの。
そして今は、人であることを忘れてしまった怪物だった。
彼女は、俺の大切な人だった。いや、大切という言葉で片付けられるような人ではない。俺は彼女を愛していた。
「アアァァ……。セカ、イ……。マダネテル、ノ?」
目の前の彼女だったものは、壊れた記録媒体の様に生前の記憶を辿って意味の無いセリフを繰り返していた。
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ」
それ以上口を開くな。
頭がどうにかなってしまいそうだ。
「コンカイ、ハ、ジ、シンサク、ナノ」
怪物は意味の無いセリフを垂れ流しながら、何度も俺に対して攻撃を加えてくる。
鈍色の金属に包まれた8本の足を生かし、間隙の無い攻撃を放ってくる怪物。
幾本もの銀の閃光が闇のキャンバスを瞬き、俺の命を屠らんと襲い掛かってくる。
ギギギギィン!
その全てを一寸の狂いなく迎撃し、静寂を引き裂くような轟音が周囲に広がった。
何故だ?
俺は右手に持った剣を振り下ろす。
どうして?
化け物はそれを後ろに下がることで避け、すぐさま俺の顔面へ脚で刺突を放ってくる。
こうなった!?
「ぐ、……オオ!」
俺は左足を前へ踏み込み、奴の刺突が己の頬を掠るように避け、懐に潜り込む。
刺突の鋭さに頬が切れ、灰色の髪にもかすり、数本の髪が宙を舞った。
攻撃の瞬間懐に潜り込んだため、奴は一瞬無防備になる。
この一撃で殺す。
俺は彼女を袈裟懸けに両断しようと剣を振るった。
だが――、
『セカイ! 今日は料理少しは上手にできたと思うんだけど、食べて感想を聞かせてほしいな』
『見て見て! 新しい服買ったの! どう? 似合ってる?』
『あ、セカイ、また寝癖付いてるよ。直してあげるから私の膝に頭を乗せなさい』
『この剣、大切なモノなんだよね。それは分かってるけど、だからこそ、それを私に直させて欲しい』
『セカイ、ただいま! 今日は野菜が安かったんだよ! もう! そんなに嫌そうな顔しないでよ! 本当に野菜が嫌いなんだから……』
『私、男の人にこんな気持ちになったのって初めてだよ……』
彼女の笑顔と、長く、燃えるような赤髪が脳裏に浮かんでくる。
――出来なかった。
彼女を両断しようとした剣は斬ろうとする直前で止まってしまった。
「――――がっ!」
止まった一瞬の隙を突かれ、敵の攻撃が俺の腹部に直撃した。
その衝撃で俺の体はゴミクズのように吹き飛ばされる。
森の樹木を何本もへし折った末に俺の体はようやく止まる。
「ぐ、あああぁぁ」
俺は無様に横たわり呻く。
起き上がろうと地面に腕を付くが、ゴボリ、と鮮やかな色をした血が口から溢れ出す。
ボタリボタリと血の塊が堕ち、大地を真紅に染めた。
腹を貫かれてやがる……。
どう考えても致命傷だった。
ここで、俺は死ぬのか……?
自分の命が目に見えて減っていくのを感じ、俺は呆然とする。
だが、彼女のことを手にかけるくらいなら、いっそのこと……。
そう思った瞬間、己の手に握る、光焔と言う一振りの片刃の長剣が目に入った。
この剣は、一度壊れ、そして彼女に打ち直してもらった物。
つい先日の彼女の言葉が、脳裏に蘇る。
『完成したよ、セカイ。これが新しい剣。銘は光焔。セカイの行く道が、明るく照らされますようにって想いから付けてみました』
「俺の行く道が……明るく照らされますように……」
アイリスのいない世界に、明かりがあるとは思えない。
全く思えないが……、それでも……今ここで生きることを諦めてしまえば、それこそ、彼女の想いを踏みにじることに繋がるだろう。
俺は時空魔術が込められた袋から、最高級のエリクサーを取り出し、傷口に乱雑にぶちまけた。
「ぐ、う……っ!」
じゅうじゅうと肉が焼けたような音と煙を立てて、損傷した俺の組織を回復させていく。
痛みで正常な思考が阻害されかけてはいるが、この程度の痛み、今までに何度も味わってきた。
俺は彼女の位置を確認するために、魔力をソナーの様に薄く広げる、探知魔術を使用した。
俺が吹き飛ばされて姿を見失ったからか、彼女はゆっくりとこちらへ歩いてきていた。
ここに来るまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
その間に、少し状況を整理しよう。
心を落ち着けるため、軽く深呼吸をしながら思考を開始する。
端的な事実から言えば、彼女は魂を引き抜かれ、魔物と体を無理やり結合させられた。
あの状態から元に戻す方法を、俺は知らない。
そもそも、魂を抜かれてしまっている時点で、彼女はもう生きているとは言えないだろう。
つまり俺は彼女を――
「――殺さなければならない」
ギシリ、と軋む程の音を立てて、歯を噛みしめた。
じわりと鉄の味が口内に染み込んでくるが、それを気にかけるほどの精神的余裕はない。
とっくに分かっている。俺がどうするべきかなど。
それでも、先程俺は彼女を殺そうとして、見事に失敗した。
彼女と過ごした日々を、彼女が確かに生きていた日々を思い出して、この剣を振るうことを躊躇した。
それがこの様だ。
だが、二度目はない。
これ以上、無様を晒すわけにはいかない。
同じ過ちを繰り返すなど、この剣を託してくれた父さんにも、この剣を直してくれたアイリスにも失礼極まりないことだ。
簡単かどうかではなく、俺は今、それをやらなければならない。
ああ、本当に最悪だ。
俺はこの先、この時の自分の行動を何度も何度も思い出し、悔やむことになるのだろう。
だがそれでも、今俺は――
「アァァアァ、セカ、イ……?」
のそり、のそりと彼女だったものが近づいてくる。
――彼女を殺さなければならないんだ。
「いくぞ、アイリス」
俺はゆっくりと近づいてくる彼女を見据え、剣の切っ先を向けて上段に構える。所謂、霞の構えを取った。
「桜花陽炎流 四ノ型――」
赤黒い魔力が心臓から流れ出し、光焔の切っ先に魔力を込めていく。魔力の密度が限界を超え、切っ先の空間が歪んでいく。
穿つは心臓。当たれば必殺の一撃。
この世界に、この一撃に耐えられるものなど存在しない。
だからこそ、一息で確実に仕留めるためにも、俺はこの技を使う。
「アアァアァ……?」
「――閃華!」
言うと同時に、俺は地面を踏み抜き全身全霊を込めた刺突を放った。
二人の距離は瞬く間に潰れ、刃は彼女の心臓を正確に貫いた。
魔力によって歪んだ空間はそこにある物質全てを削り取る。
閃華により、彼女の心臓があった部分には腕が一本通るほどの穴が開通していた。
「――――?」
彼女は何が起こったのか分からない、という顔をしながら、大地に後ろ向きで倒れる。
ドサリ、と倒れた彼女の傍に、俺は寄り添った。
彼女の眼は閉じ、普段と変わらず寝息を立てているのではないかと錯覚するほどに安らかな顔をしていた。
そんな彼女の姿を見て、俺の視界は徐々に滲んでいく。
「ごめん、君のことを守れなくて……っ! 君のことを守るって誓ったのに! 俺は……っ!」
何度も、何度も、何度も、俺は彼女に謝った。
彼女はもう死んでいる。この声は届くことは一生ないのだと分かってはいても、話さずにはいられなかった。
その時――
「ナカ、ナイデ」
――彼女の鈍色の手が、俺の目元を拭った。
「アイリス……?」
彼女の眼には、確かな理性の炎が灯っていた。
奇跡だと感じた。
「ゴメン、ネ。ワタシノ、セイダヨネ……?」
俺は必死になって彼女の冷たくなった手を握りしめ、首を横に振るう。
「そんなわけないだろう! 俺が……っ! 俺がもっと強ければ――」
――彼女をさらっていったあの男よりも強ければ、こんなことにはならなかったのだ。結局、俺が弱いからこの悲劇は起きてしまった。
再び涙が零れるが、彼女はまたそれを拭う。
「ワラッテ? セカイ、ハ、エガオガイチバン、ニアッテルカラ」
こんな状況で、笑えるわけないだろう。
そう思うが、彼女の最期の頼みを無下にすることなんて俺にはできなかった。
「こ、こうか?」
酷く、歪な顔をしていたと思う。
絶対に、笑顔とは呼べないような顔をしていたと思うが、それでも、彼女は俺の顔を見て、満足そうに笑った。
「ウン。アノ、ネ。サイゴニヒトツダケ、イイタイコトガアルノ」
「何だ? 何でも言ってくれよ……っ! 俺、アイリスのためなら何だってする、何だってできるから……っ」
「キス、シテホシイノ。デモ、イマノワタシ、キモチワルイカラ、ダメ、カナ……?」
気持ち悪いわけがない。姿が変わろうと、アイリスはアイリスなのだから。
「駄目なわけ、ないだろう!」
「アリガトウ、セカイ」
俺の大好きな笑顔を浮かべている彼女に、俺は優しく、それでいて精一杯の情熱を込めて口づけをした。
感情を、昂りを、存在そのものを、己の全てを愛する人に注ぎ込むように、口づけをする。
同時に、彼女からもその全てが流れ込んできているような、そんな錯覚さえ覚えた。
――やがて彼女の口は命が抜け落ちるかのように離れ、静かにその息を引き取った。
その顔は曇りの無い笑顔だったが、瞳の先が微かに光っていた。
嬉しかったのか、無念だったのか。
それは俺には分からないけれど、どうか、安らかに逝って欲しい。
「…………ああ……、ああああああぁぁぁあああ…………、あああああああああああぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁああぁああああああああぁ!!」
口から、悲鳴が漏れるのを、抑えられなかった。
彼女は今度こそ死んだ。
その事実を頭が受け入れられず、どこかにこの気持ちを吐き出さなければ、体が、頭が、心臓が、何より心が、破裂してしまいそうだった。
俺の慟哭は一晩中、暗く冷たい夜の闇に響き続けた。
一体どうして、こうなってしまったのだろう?
俺の頭の中に、今までの記憶が走馬灯のように駆け巡った。
貴重な時間を割いて読んでいただきありがとうございます。
始まりこそ暗いですが、ハッピーエンド至上主義なので物語の終着点は明るいものになります。
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