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(9)

 しかし、学校の授業というのはどうしてここまで退屈なのだろうか。

 私は、気を抜けばなくなってしまいそうな意識を何とか呼び戻そうと頭を振った。この時間が終われば昼飯時。ここがふんばりどころなのは分かっているのだが。

「ふあ・・・。」

 何の変化も持たない平坦な口調。そして、単調な板書。さすがにカリカリというチョークの音は聞こえないが・・・。私は、モニターペンシルをくるくると回しながら手のひらにあごを乗せて聞いていた。

 今は、数学の時間なのだが、よく見たら私の記憶にあることばかりの内容で購入した手の教科書を前日にチラッと見てみたのだが、分からないところは一つもなかったし、教科書応用の問題集とやらにも特に問題となる問題は存在しなかった。つまり、今の授業内容は、いってはなんだが、聞いているだけ無駄だということだ。

 私は、窓の外を見た。憎たらしいほどの快晴の空には鳥一つ飛んでいない。いわゆる、砂漠の真ん中に建てられたと都市なだけに渡り鳥などはまったく姿を見せない。

「というわけで。・・・・おい、宮野。きいとんのか?」

 いきなり私の名前が呼ばれたので、私は驚いて前を見た。見ると、数学の先生、中川先生が神経質そうに眼鏡をつり上げ私をにらんでいた。

「この問題の答えは?」

 彼はモニターペンシルで黒板を叩いた。そこには、どこかで見たような問題が書き連ねられている。以外と、字は上手いのだな・・と思いながら私はその問題を読んだ。どうやらベクトルの問題で、三角形の中にある点Pの大きさを求めるというものだ。

「0P=2√2・・・。」

 頭の中で適当な計算をすると難なく出てくる。教科書レベルの問題なら考えるまでもないな。

「・・・正解だ。」

 彼は、渋々とした表情で私がすっ飛ばした途中の計算式を書き連ねていった。メネラウスの定理をつかえばすぐに答えが出てくるし、線分の内分公式を利用しても、少し面倒だが、答えは出る。

 彼は、誰でも分かる内分公式を利用した解法を実行しているようだ。

 その結果、私の言った答えが正しいことが証明された。

 それ以降、私は相変わらず外を見ていたが彼は憎々しいまなざしを向けるだけで、何も言ってこなかった。。

 しばらくして授業終了のチャイムが鳴った。

「今日は終わりだ。予習してこいよ。」

 中川先生はそう言い捨てると委員長の号令を待たずに教室を出て行った。教室のドアをくぐるときに私を一目にらんだように見えたが私は気にしないことにしておく。

「よう。大変だったな。」

 一息ついて、そろそろ飯にしようかと思っていたところ、聡志がにやにやしながら私の方に歩み寄ってきた。

「なにが?」

 私はとぼけたようにあくびをすると、

「中川センコーってな結構根に持つタイプだからな。用心しといた方がいいぜってこと。」

 ああ。なるほど。

「確かにそういうタイプに見えるな。」

 学校に通うようになってそろそろ一週間にもなりそろそろここの生活にも慣れてきた。

「まあ。なんやな。あいつは自分の気に入ったやつにはそうでもないが。気にいらんやつには厳しくするタイプやからな。」

 そういうやつに限って自分には甘いものだ。

「さてと。飯だな。なあ、優ぅー今日も買いか?」

 聡志は腹を押さえながら優の方を見た。

「そうや。」

 優はうなずいた。

「んじゃ。いくか?」

 優は”ああ。”言いながら私の方を向いて。

「いつものところ待っといて。すぐ行くさかい。」

 いつものところというのは屋上のこと。私と唯奈と聡志と優はいつも屋上で昼飯を食べることにしている。何せ、天気がいいし屋上は思ったより涼しいのだ。ちなみに私のお気に入りの場所でもある。

「ああ。わかった。」

 私がそう答えると、聡志は手をひらひらと振りながら教室を後にした。一階のエントランスでは毎日昼時になるとパンが売られている。

 昼になるとそれを買い求める生徒でそこは戦場になる。

 私も一度行ってみたが、もう行きたくないというのが本音だ。それに、唯奈はほとんど主婦業と同じことを家でもやっているので、毎朝弁当を作ってくれる。やはり、昼はこれに限る。

 私は立ち上がると、友達と話していた唯奈に、

「今日もいつものところだってさ。先に行くぞ。」

 というと、唯奈は、

「あ。わたしもいく・・・。」

 といってその友達との会話を中断して机の上に置いてあった弁当を抱えると私の後ろを追いかけてきた。

「別に話していてもよかったんだが。」

 と、私は唯奈と唯奈の話し相手を交互に見るが、唯奈は、

「いいの。」

 といって私の隣を歩く。彼女は歩幅が狭いので自然と私が彼女の歩調に合わすかたちとなる。

「今日も暑いな。」

 何となく会話のきっかけがつかめなかったので、私はありきたりのことを言ってみた。

「そう・・・だね。」

 彼女も私の方を見ながら、何故か嬉しそうに微笑んだ。

 私もつられて微笑んでしまいそうになる。私たちはぽつぽつと会話を交わしながらエレベーターに乗り込んだ。

 屋上へ続くボタンを押した。誰も乗ってこないらしく。ほとんど一直線に屋上に着いた。優と聡志はまだ来ていないようだ。

「あーあ。やっぱりここは落ち着くよな。」

 私は、少しわざとらしくのびをしてフェンスに向かって歩いていった。

「風が気持ちいいね。」

 そういえば、今日は送風機が作動していない。今日は、比較的風があるようだ。やはり、自然の風はどこか違う。なんというか、気分を新たにさせてくれるというか。

「なあ。」

 フェンス越しに街を見下ろしていた私は、口火を切った。

「なに?」

 唯奈は私の方に歩いてきて私の隣にたった。

「あの街の向こう。」

 私は指をさした。その先には人が作り出した境界線となる巨大な壁が、そしてその先には言わずともしれた、人の生きることを拒む世界が広がっている。

「うん。」

 唯奈は少し沈んだような声で答えた。

「行ったことあるか?」

 唯奈は首を横に振った。

「いけないのか?」

 今度は縦に、

「いっぱい書類とか書かないといけないから。」

「そうか・・・。」

 たとえその先に世界が広がっていようとも、人は立ち入ることができない。荒廃は人から翼を奪ってしまったとでも言うのか。ただ、自分たちの過ごすこの大地にわずかな自分たちの世界を作り出すことにとどまっている。

 箱庭のようなこの都市。そして同時にこの箱庭こそが私たちの生きることの許されたフィールドなんだ。

「何でこんなことになってしまったんだろうな。」

 社会の時間でも感じたことだった。かつて災害があった、そして世界は荒廃した。我々人類にとってそれは過酷な試練の始まりであり、新たな時代の夜明けでもあった。教科書にはそのようにしか記されていない。

 すなわち、そのことの大本である災害に関しての記述が皆無と言っていいほどなのだ。図書館で調べても何も記されていない。

 誰かが意図としてのことか。それとも、ただ単純に記録が失われているだけなのか。私が目覚めさせられたのは、医学上の配慮のためといっていたが、その実は古い時代の記憶を得たいだけなのかもしれない。

「あー。めんどくさかった。」

 突然私の後ろから声がした。見ると、優と聡志がいかにもだるそうな顔で立っていた。

「そんなに混んでたの?」

 唯奈は彼らのもとに駆け寄る。私もそれに続いた。

「ちゃう、ちゃう。それが原因やない。」

 優は思い出すのもいやそうな顔をしていた。よっぽどのことだったのだろうか。

「原因は。お前だ・・宮野。」

 私は聡志にビシッと指さされてしまった。

「私か・・?なに?」

「まったく。勘弁してくれっての。お前を紹介しろって言う野郎どもがわんさといてさ。うざってえのなんのって。」

 私を紹介しろ?この私を?

「何故。私なんだ?」

 私は心底不思議そうな顔をしてたのだろう。彼らにとってそれは間抜け面に見えたのか、聡志は大きくため息をついて。

「そりゃあなあ。編入試験で、とりわけ難しいって言う噂のこの学校の編入試験で国語と社会以外すべて満点だった噂の転校生が思ったよりかわいくて、しかもガリ勉君みたいな生真面目な性格じゃないって分かったら。そりゃあ声をかけてみたくなるってのは男の性でしょうが。」

 少し皮肉っぽく聞こえるがあえて無視だ。それより私は皆にそんな風に思われていたなど考えてもみなかった。

「私は、そんな風に思われていたのか・・。」

 私は少し沈んだような声で答えたのが悪かったのか。彼らに少し気を遣わせてしまったらしい。

「まあ、その無自覚さがお前のいい所ってんだけどな。」

 身長差のためか私は、聡志に頭をなでられてしまった。

 人に頭をなでられるのは心地いいのか腹立たしいのか。なにやら奇妙な感触がする。

「いい所ってもねえ。私の性格を知ったら幻滅するかもな。」

 なんてたって、私はまだ女性になりきれていないのだから。身体の方は完全に女性だが。

「いや。そんなことはないと思うけどな。」

 彼は、私の頭に手を乗せたままそうつぶやいた。何よりも私が男から告白された時を思い浮かべてみると、違和感があるような気が大いにする。

「やっぱり勘弁だな。そういうことは。」

 私は、頭の手をやんわりと離すとそういった。

「おい。そろそろ飯にせえへんか?腹ぺこや。」

 優はすでにベンチに腰を下ろしてパンを広げていた。

「おお。悪い悪い。」

 何故か私のふりほどいた手を見ながら神妙そうな顔をしていた聡志は、その声を聞くと、にへらっと笑って優の方にかけていった。

「今日は焼きそばパンをゲットできたんだよなあ。」

 変なやつ。私は単純にそう思うと、唯奈の方を見て。

「私たちも行こうか。」

 そういうと唯奈も、

「うん!」

 とうなずいた。

「実はね、有希ちゃん。」

 二人の方に行こうとすると唯奈が口を開いた。

「ん?」

 私は振り向くと、唯奈は楽しそうな笑みを浮かべてこっちを見ていた。

「女の子の間でも人気なんだよ。有希ちゃんって。」

「はい?」

 私はそういう趣味はない。ということは明らかにしておかなければならない。

「有希ちゃんって凛々しくてお姉様って感じだってみんな言っているんだよ。」

 お、お姉様?おいおい、同年齢だろうが。

「私も、有希ちゃんがみんなに人気があるのはとっても嬉しいんだ。」

 それだけ言うと唯奈は二人の方にかけていった。

 私は、複雑な感情に包まれていた。

「私は・・・いったいどっちなんだ?」

 誰もいない空に向かって歩そっとつぶやく。答えは返ってくるはずもない。なぜなら、それは自分で決めなくてはいけないことだろうから。

 だけど、はたして自分で決められるのだろうか。

「おーい。宮野。はよう。」

 優が私の方に向かって手を振っている。

 まあいいか、今はこのままでいつかきっと決められる日が来るさ。いつになるか分からないけど。

 私はほっと笑みを漏らし、三人の方に歩いていった。


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