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(8)

 じりじりとやけるようなアスファルトの道。ビルの谷間から湧き上がるような熱気は陽炎をなびかせていた。

アスファルトは吸熱材でできており、その下には人工河川が通してある。

 地面の熱を奪い取るようになっているのだ。

 それでも太陽から降り注ぐ光は容赦なく私の熱を上げていく。

「ふう・・・。」

 私はため息をつき汗をぬぐった。

「今日は、まだましなほう・・・だね。」

 隣を歩く唯奈がそう呟いた。

「まじか?」

 私は怖気づいたような表情になった。

「そうだよ。」

 私達は今、学校・・風見学園に向かって歩いているところだ。

四月も終わり、五月になって、紫外線の量、太陽からの光量なども比較的平穏になったので、夏休みも終わりになったのだ。

しかし、エアコンの中で生活していた私には、この暑さは拷問だった。

「まだか?」

 私は歩みを止めた。これは帽子が必要だ。まだ家から出てさほど歩いたわけではないが、日射病になってしまいそうだ。

「もう少し・・・だよ。」

 唯奈は“ほら”といいながら空を指差した。その指の先には木々に囲まれた学校が見える。確かに距離的にはたいしたことはない。しかし、

「まあ、行くしかないか。」

 私は熱のこもった溜息をはくと、歩き出した。

 まだ朝も早いので周りにはあまり生徒の姿は見えない。

 唯奈は吹奏楽部の練習があるらしいので、早くに家を出る必要があり、私は学校への道を知らない。結果、私はそれについていくしかなかった。

 古い言葉で言う心臓破りの坂を上り、私は一息ついた。

「職員室に行くといいと思うよ・・。」

 唯奈はそういうと、

「それじゃあ・・・・、私は行くから・・・。」

 吹奏楽部の部室に向かうのだろう。

「分かった。まあ、学校の見学も兼ねてぼちぼち向かうとするよ。」

 私が気楽な声でそう答えると、

「うん。」

 唯奈は元気な声とともに駆け出した。私の歩調に合わせたもんだから少し時間に押されているのだろうか。少し悪いことをしたかな?

 たとえ、そう思っていたとしても彼女がそれを表に出すことはないだろう。それが彼女のいいところなのだと思う。

「さて。」

 私は校舎に入ると、さらに一息ついた。

 このまま職員室に向かうのもいいが、時間もたっぷりある、一息がてら人の居ないところに行くのもいいな。

 私はしばらく立ち止まって考えた。

「まあ、時間もあるしな。」

 私はそういうと、ちょうど一階に来ていたエレレベーターに乗り、屋上へのスイッチを押した。

 誰も乗るものがおらず、ほぼ一直線に屋上についた。

 屋上には太陽を遮断する庇がついている、さらに送風機が回っているので常に風があるようだ。

 私は近くにあった腰掛に腰をおろした。

 ポケットにこっそりと忍ばせておいたタバコを取り出すと、一本咥えて火をつけた。

「ふう・・・。」

 携帯用の灰皿を取り出し、灰を中に払う。

 口から吐き出された白い煙が白い(もや)となって青い空に舞いきえた。

「なんや。先客かいな。」

 エレベーターの止まる音がした。私が振り返ると一人の男子生徒がエレベーターから出てくるところだった。

 聞きなれない方言だがこの学校制服を着ているということは、ここの生徒なのだろう。

「わいにも一本くれんか?」

 彼は、私の方に歩み寄るとそういった。彼もタバコが吸いたいらしい。

「ああ。」

 私は箱から一本だけ出すと、彼に差し出した。彼はそれを箱から引き抜くと、それを咥えながら、

「火ぃくれ。」

 私はライターを放り投げると彼はうまく受け取り、たどたどしい手つきで火をつけた。

 喫煙は初めてなのだろうか?

「ところで。見いへん顔やな。」

 彼は、少し怪訝な顔をしながら私を見た。それはそうだろう。

「私は、今日編入してきたばかりだからな。」

 と、私が言うと彼はうなずいた。

「ああ。うわさの転校生かいな。なんでもそのすじによると国語と社会以外は全部満点やったっちゅう噂やが。」

 私をチラッと見ると、灰を払った。

「へえ。そうだったんだ。」

 それは初耳だった。確かにさほど難しい問題ではなかったので結構いい線いっているのではないかと思っていたのだが。

「どないな優等生かとおもっとったけど。」

 また、チラッと私を見る。

「期待に添えなくて残念だったな。」

 と私は二ヤっと笑った。

「まあ、かえって安心したわ。近づきのしるしや。わいの名前は、藤野優。まあ、優って呼んでくれ。」

「宮野有希だ。よろしく。」

 私は手を差し出し、彼もそれをとろうとするが、

「やめとこ、女と握手なんて様にならんわ。」

 彼はタバコを投げ捨てると、かかとでそれを握りつぶすと、腰掛に寝転がった。

「ほんじゃ。おやすみ・・・・。起さんといてや。」

 あくびをつきながら目を閉じた。

 私も携帯用の灰皿にタバコを入れ、蓋をすると、エレベーターに向かった。

「まあ。また会おうや。」

 と、彼は手だけを振って私に向かって言った。

「ああ、またな。」

 私は3階に向かう、タバコの臭いは残っていないので胸を張って(実際そんなことはしないが)職員室に向かえる。校庭からは運動部の威勢のいい声が聞こえる。私はそれを横目で見ながら職員室のドアをノックして。

「失礼します。」

 そう一言、言って中へ。

 中にはそこそこ人がいた。みな、どういうわけかちらちらと私を見ながらひそひそと何かをささやきあっている。

 しかし、私にアプローチしてくる者はいないように思えた。

「あ、宮野さん。こっちにいらっしゃい。」

 私の考えはその声で否定された。

 見ると、私の見知った人物がこっちに手を振っている。あれは朱美先生だ。

「クラスは、私のところになったから、しばらく奥の部屋で待っていて。」

 私が彼女のそばに行くと、彼女はまずそう言って私を奥へと導いた。

「ああ。分かった。」

 私は一言答えると、好奇の目にさらされながらも小部屋に入っていった。

 そういえば編入試験をうけたのもここだった。懐かしいと言えばそうなのだろうが、別に何の感慨も浮かんでこない。ここにはさほど思い入れもないからだろうが。私は部屋を見回したが以前と何の変化もないことを確認したことにしかならなかった。なんだかなあ・・・。

 そんな退屈な時間をだらだらと過ごしているうちに予鈴のベルがなった。

「そろそろ行こうかしら?」

 廊下の喧噪に耳を傾けていると、朱美先生がひょこっと小部屋に顔を見せた。

「ああ。」

 私は立ち上がると、彼女の後ろについていった。

「二年生の教室はここの二階だから。」

 閑散とした校内を見回している私にそういった。そういえば、私は唯奈と同じ二年生だったっけ。どうも、自分の年齢というものが自覚できない・・・いい気分ではない。

「ああ。分かった。」

 私はそんなことを感じながらも適当に返事を返した。

「それと・・・。」

 彼女は、2年C組と書かれた教室の前に立つと私の方に振り向いた。

「???」

 私はいきなりのことなので、どう答えていいかわからずにいると、

「せめて生徒や他の先生がいるときぐらい敬語を使いなさい。宮野有希さん。」

 私は、一瞬何を言われたのか理解できなかったが、よくよく考えてみるとあたりまえのことだった。言われてみれば、なぜ私は朱美先生にまるで友人のような口調で会話をしていたのだろうか?

 私はにっこりと愛想笑いに近い笑みを浮かべると。

「分かりました。朱美先生。」

 少し皮肉な口調になってしまったが、彼女はにっこりと笑い返すと、

「分かればよろしい。」

 そういうと、彼女は教室の扉を開けた。

 私が教室に足をいれたとたんに今まで騒いでいた生徒達はとたんに静まり返り、ひそひそ話を始める。みな私の方を見ている、うわさの転校生という言葉がふと浮かび上がる。

「起立。礼。着席。」

 いつの時代でも決まりきった言葉。委員長らしき男子生徒がそういうと、教室中の生徒はみなばらばらと立ち上がり、締りがなく頭を下げ、ばらばらと席についた。なかには、頭を下げないものや、立ちもしない生徒も見受けられる。

「おはよう。今日もいい天気ね。」

 いい天気だ。確かにいい天気だ。いい天気過ぎるほどいい天気だ。何回繰り返したかな?いや、そんなことどうでもいい。ふと、窓の外の青空を見上げてみるがそれも却下だ。暑くて仕方がない。

「それでは・・・。まあ、みんなも分かっていると思うけど。転校生を紹介するわね。」

 みんなの視線がいっせいに集まる。私は少し居心地が悪くなった。見ると、そのなかには唯奈の顔もある。どういうわけか、優の顔も、彼は相変わらずやる気のなさそうな顔をしながら机に足を乗せている。

「それじゃ、自己紹介して。」

 朱美先生がそういったので、私は一歩前に出てぺこりとお辞儀をした。

「宮野有希です。いろいろ分からないことも多いと思いますが。いろいろ教えてやってください。」

 当り障りのないことをいうのがいいだろうと私は判断したので、ごく標準的な、すでに言い草になっているようなせりふを言うとまたぺこりと頭を下げた。

「どこすんでるのー?」

 と、少し軽そうな口調の男子生徒が高らかに手を上げながら聞いてきた。

「質問タイム?」

 私は、ふと朱美先生を見ると、

「まあ、いいでしょう。」

 朱美先生は少し諦めたような表情をして、イスに座った。

「えーっと。私は・・・。住所は唯奈に聞いてもらえばいいと思う。」

 私がこうあいまいに答えを返すのは実際自分の住んでいるところの住所をあまり覚えていないのだ。

「何で唯奈さんに聞けばいいんですか?」

 今度は、髪を金色に染めている女の子が聞いてきた。なんだか遊んでるって感じの子だ。

「居候しているって言うか・・・いとこだから。」

 また手が挙がる。

「どうしてこの町にきたんですか?」

 私は、少し表情を崩した。それを言われては少し痛い。というか答えにくい。今、その場しのぎでうそをでっち上げて、後でアリアや唯奈と口裏を合わせるのがベストだろうか。しかし、それは杞憂となった。

「まあ。そういう突っ込んだ質問はなしにしましょう。」

 朱美先生がそうはっきりとした口調で言った。私が言葉を濁しているのを見て、私が苦悩しているように思えたのだろうか。

 どうやらあの時の迫真の演技が功を奏したようだ。芸は身を助けるというが、こういうのとは違うか。

 私は、朱美先生の感謝のまなざしを向けると、一度教室を見回した。

 もう、手を上げるものはいないように思えた。が、一人、手を上げていた。優だ。

「趣味は?」

 やさぐれている感じの口調でそういうが、視線はしっかりと私の目を捉えていた。私は、少し笑うと、

「屋上で空を見ることかな。」

 と答えた。とたんに、彼もにやりと笑うと、

「まあ、そうやな。」

 示し合わせたかのような私達を見て、少しみんな困惑しているかのような雰囲気になった。

「何だ?優ぅー。宮野さんとできてんのか?」

 明らかにひやかしの声を誰かが上げた。一番最初に私に質問した男子だ。

「やかましいわい。」

 優はそう一言言い放つとまた、机に足を乗せてのけぞった。

「それじゃ、宮野さんはマックレイさんの隣でいいかしら?」

 これは私に聞いているというより唯奈に聞いているという感じだ。唯奈はいきなり名前を呼ばれ、少し困惑した表情を浮かべるが、

「は・・・はい・・・。べつに・・わたしは・・。」

 と、弱々しい口調でそう答えた。

「そう。それじゃ、これでホームルームを終わります。」

 朱美先生がそう最後に言うと、

「起立。礼。着席。」

 と、委員長がそう言ってホームルームを終わった。

 私は、唯奈の隣の席に座り荷物を降ろした。今日は、始業式とホームルームだけなのでかばんの中身もさほどない。といっても、普段でも中に入れるものといったらハンドモニターぐらいなものだが。

 私が席につき、一息つくと数人の生徒が集まってきた。優にさっきの男子だ。

「唯奈のいとこだってな。」

 彼は、相変わらずの口調で私に聞いてきた。

「ああ。」

 私が答え、唯奈はゆっくりとうなずいた。

「俺の名は沖合聡志おきあいそうし。聡志って呼んでくれ。」

 沖合聡志・・か。いい名前だな。

「聡志でいいんだな。私のことは有希でいい。」

 私は、そういうと挨拶がてら右手を差し出した。

「ああ。よろしく。あんたとはいい友達になれそうだぜ。」

 彼、聡志は私の手をとりきつく握った。彼の手は大きくて暖かい。こうしてみると、私が女であることをいやでも自覚してしまう。まだなれない感覚だ。

「優とはもう知り合いなんだよな。」

 聡志は優の方を見た。

「そうや。」

 彼はぶっきらぼうにそういうが別に疎ましいと感じているわけではないのだろう。

「有希ちゃん。藤野君と会ったこと、あるの?」

 唯奈がそう聞いてきた。気になるのだろうか?私が思うに、この三人は元々一つのグループみたいなもので、それに私が仲間入りするという形になりそうだ。私にとって願ってもないことだった。

「ああ。そうや。つい今朝な。」

「ああ。だから、屋上で青空を見るってか。なるほど。」

 聡志は納得したようにうなずいた。以外に洞察力が高いようだ。人は見かけによらないってことか。

「なあ、唯奈。」

「どうしたの?」

 私が彼女に耳打ちすると、彼女も声を潜めて聞き返してきた。

「聡志って、結構頭いい?」

「うん。この間のテストも学年3位だったよ。」

 なるほど。私はうなずいた。まあ、何もいうまい。

「あ・・そうだ・・・。」

 唯奈が珍しく声を上げた。

「どうした?」

 優が聞くと、唯奈は目をきらきらさせて彼を見上げると、

「今日は無理だけど・・・明日、屋上でお弁当食べない?有希ちゃんの歓迎もかねて・・。・・・駄目?」

 いや、断る理由がどこにあろうか。むしろ、楽しそうでいいじゃないか。わたしがそう思いながら二人を見ると、優も聡志もそう思っているのだろうか。お互い一瞬目を合わせると、

「ああ。いいんじゃないか?」

 二人を代表するように聡志が答えた。

「じゃあ・・・・決まり・・・。」

 唯奈が心底うれしそうにそういうと、なにやらこちらまでうれしさがこみ上げてきそうな感じがした。いい友達を持ったな。この二人なら安心だ。

 私は、見ず知らずの私を直ぐに受け入れてくれた二人に心から感謝したかった。ようやく私の第二の人生というやつが始まる。おそらく、それは、例え困難の付きまとう道であっても、希望に満ち満ちているのだろう。

 しかし、どういうわけか私の心の隅で私はこうも思っていた。それは、無視してしまえば気にもならないものだったが、しかし、そのくらい悲しい思いは確かに私の中に存在していた。「やがて、この光に満ちた日常にも終わりが来るだろう。それこそ、私の第三の人生の始まりなのだ。」と。私は、認めたくなかった。私は、希望をもっていたかった。


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