(7)
太陽の光を感じた私はゆっくりとまぶたを開けた。
見慣れた天井。ここに来てそろそろ1週間とちょっとがたとうとしていた。さすがにもう、目覚めたときこの天井が目の前にあることには慣れた。
私は、ゆっくりと起きだしあくびと共にのびをした。いくらこの生活に慣れたからといって、のびをするときに胸が前に出てしまうのはいまだ違和感がある。
「まったく。どうになからないものか。」
私は恨めしそうに自分の胸を握った。柔ららくて気持ちのいい感触と胸を鷲づかみにされる圧迫感とがミックスされて、何とも言えない気分になる。
私は、すぐに手を離すとため息をついた。
こんなことが何度繰り返されたことか。もう、いい加減慣れてしまえばいいのに、と私も思うが、どうもこれだけは脳のどこかで受け入れられないのだ。
こんなことがずっと続くようであれば、それこそ本気でアリアに相談しなければいけなくなるのかもしれない。
私は、ベッドを降りて壁を見た。そこには真新しい制服ハンガーに掛けられている。私が通うことになる学校の制服だ。見た目は暑そうだがその素材には通気性のよいものが使用されているので、思ったより涼しくて快適だった。ただし、このスカートというのはどうも腰回りがすーすーして落ち着かないものだと思う。
私は、いつものようにパジャマを脱いで服に着替える。
「・・・今日は病院に行く日だったか・・。」
部屋の隅につり下げられたカレンダーを見て私は思い出した。
アリアの言いつけにより指定された日には病院に行かなければならない。いわば、まだ退院したてのためいろいろ不都合が生じていないか、主に身体や記憶に関する検診となる。
疲れやすいのはそうだが、どうも私は夢を見ない体質のようだ。病院でもそうだったが、この家にきてからもずっと夢を見た試しがない。
私は、部屋を出て一階に下りた。ずっと前から唯奈はそこにいたようで、パンもすでに半分を胃の中に収めていた。
「おはよう。」
私が挨拶すると、唯奈はこちらに気がついたのかテレビから目を離すと、
「お、おはよう・・・・。」
と、しどろもどろになりつつも返事を返してくれた。
「何見てるんだ?」
私はテレビを指さして聞いてみた。この時代の人びとはこの時期になると外に出られないので、こういう娯楽に関する番組がものすごく充実していて、毎日違う番組をやっている。
「お料理番組・・・だよ。今は、推理ドラマだけど・・・。」
最近新しく放映し始めたというドラマか。私の記憶にある時代の設定らしいが、映像に出てくる場所のことはまったくと言っていいほど記憶になかった。ときおり出てくる土地の名前には覚えているものもあるのだが。
私もテーブルに座った。私の分のパンも用意されてた。いつもの自家製のパンだ。
すでに学校の宿題を終わらせてしまった私は、紫外線警報の出ていない日にはアリアにつれられて食料の買い出しに行ったりしているのだ。
その中にはパンの材料になるのだろう、大量の小麦粉が含まれていた。
「あ。そうだ。」
私は、唯奈に告げるべきことを忘れていた。
「・・・なに・・・?」
唯奈はテレビから目を離すと私の方を向いた。
「今日は、病院にこいって言われていたんだった。」
「お母さん・・・に・・・?」
「そう。だから、今日は昼食はいらないから。」
唯奈は一瞬寂しそうな顔を浮かべるが、すぐに表情を戻して、
「うん、分かった。」
とうなずき返した。
「記憶・・・・戻るといいね・・・。」
彼女も彼女なりに心配してくれていることはありありと理解できる。
「どうかな・・・?」
しかし、私は思ってしまう。はたして本当に記憶が戻って私は幸せなのだろうか?と、ある意味記憶が戻らない方が心安らかでいられるかもしれない。と、最近そう思い始めてきている。
「でも・・・ないよりは・・・あったほうがいいよ・・・。」
唯奈は珍しく反論してきた。
「そうだな・・・・。そうだよな・・・。」
私がそういうと彼女は少し微笑んだ。
「ありがとう。」
「・・・・?」
私がお礼を言うと唯奈は聞き慣れない言葉を聞いたような目を返してきた。
「いつも心配してくれてさ。」
「そんな・・・私は・・・別に。」
いつもの謙遜も私は愛おしくなってしまう。私ははっきりと思った、もう、私は唯奈なしでは生きていけないと。
それは、男の感性として彼女に恋愛感情を抱いていると言うよりはむしろ、純粋な愛情に近いものだったのかもしれない。
病院からの出迎えが来るまで、私もリビングでテレビを見ていることにした。この時間帯はバラエティー番組がほとんどで、唯奈から今どの芸能人が人気があるかとか教えてもらっている。これで、学校で話題になってもとまどうことはないだろう。
打算的だと思われるかもしれないが、私には周囲にとけ込むと言うことが何よりも大切なことだと言うことは理解してもらえると思う。
そうして退屈な時間を過ごしているうちに玄関の方から車の停車音が聞こえた。車のエンジン音がまったく気にならないのはすばらしいことだ。
「来たみたいだな。」
私はそういうと椅子から立ち上がった。
「結果・・・いいといいね。」
そうだな。と、薄く笑いながら答えると、私は何も持たずにリビングのドアを開けて玄関に出た。唯奈もついてきて私を送ってくれた。
「それじゃ。いってくるよ。」
靴を履き、玄関のドアノブに手をかけた。唯奈は、
「いってらっしゃい。」
と一言だけ言って手を振る。私も手を振り玄関をくぐった。
灼熱の目線で大地をにらみつける太陽のもと、私は一瞬目をしかめる次の瞬間にはたまらず待機していた車に向かってかけだしていた。
タイミングを見計らったかのように車のドアが開き、私は中に滑り込んだ。ドアがバタンと勢いよく閉まると、私は今の今まで息を止めていたかのように思いっきり息を吹き返した。
エアコンの冷気がとても心地よい。
「それじゃ、いくぞ。」
ドライバーの男性はぶっきらぼうな声を放つと、私がシートベルトを締めたかどうか確認もせずに、一気にアクセルを踏み込んだ。
「ぐっ!」
急激に強い慣性力がかかり、私はシートに半ばたたきつけられた。
「ごほ・・・ごほ・・。」
慣性力が和らぐと、いやな気分が腹からわき上がってきて、私は咳き込んだ。
「シートベルトしてろよ。」
前から男の声がするがもう遅い。そういうことははやく言うべきだ。
しかし、私は彼の声を聞いてなにやら引っかかるものがあった。
・・・この声、どこかで聞いた覚えがあるような、ないような。
私は、気になったので彼に聞いてみることにした。
「あんたとどこかで会わなかったか?」
遠回しな物言いは苦手なのであえてストレートに聞いてみた。
「キミが起きたときにな。」
と、これまた無愛想に答えた。しかし、私はそんなことは気にせずにその言葉を吟味してみた。
「私が起きたとき・・・?」
私が起きたとき、と言えば、コールドスリープから初めてこの世界をかいま見たときのことだろうか?しかし、あのとき、私の目の前にいたのはアリアだけだった。
いや、確かに目の前にいたのはアリアだけだったが、もう一人忘れているような・・・。
・・・「覚醒レベル6。順調です。」
機械的な男の声。私の視界にはいないものの声。
その情景が次第にはっきりとしてきた。そうだ、直接見ているわけではないが確かにあの場には少なくとももう一人誰かがいた。
「ああ。あのときの・・・。」
「そうだ。」
なるほど、どういう縁があるのか分からないが私たちは確かに初対面ではなかったのか。
「送迎が本職というわけではなかったのだな。」
私が冗談を聞かせると、
「そういうことだ。」
と、いかにも冗談が通用しませんという答えが返ってきた。
「あんたは、アリアの助手?」
彼は、私がアリアのことを呼び捨てにしたのが気に障ったのか、少し眉をひそめる。バックミラーからそれがよく見えた。あんまりしげしげと見ていたので、彼と視線が合ってしまった。
私は視線をそらさずに、にこっと笑いかけると逆に彼が視線をそらせてしまった。
やれやれ、おもしろくない。
「私はマックレイ先生の助手だ。元生徒だがな。」
アリアの助手にしては冗談が通用しない。アリアにとっては扱いづらい人物のような気がするが、本人からは優秀な助手だと聞かされている。
「名前は・・・?なんていうんだったか?」
「何故名前を言う必要がある?」
何故といわれても困ってしまう。ただ、出会った人の名前を聞くのは礼儀だと思ったからだ。それとも、名前を聞くときはまず自分からという常識がまだあるのだろうか。
私はそう思い当たると、彼は私のことをよく知っているだろうが、ひとまず自己紹介をしておこうと思った。
「先に名乗っておいた方がよかったか?私の名前は・・・・。」
と、言おうとしたら、
「宮野有希。」
と、先に言われてしまった。
「ああ。そうだ。」
少しムッとして言い返したが、彼は何も感じていないらしい。それとも、彼と普通のコミュニケーションを取ろうとしたのがそもそもの間違いだったのだろうか?
「斎原隆一・・・。」
つぶやきにも似た声を聞いて、私は一瞬何を言われたか分からず、
「へ?」
と、思わず聞き返していた。
「斎原隆一だ。俺の名前。アリア・マックレイ先生の元で助手をしている。」
「はあ・・・。」
私が曖昧な答えを返すと、
「別に答える気はなかったが、お前がどうしても聞きたそうだったから答えたまでだ。勘違いするな。」
「分かってるよ・・・別に・。」
勘違いといわれても何を勘違いすればいいのか、逆に分からなくなってしまう。どうも、私は彼と馬が合いそうにもない。
私は直感的にそう理解した。というか、すでにそれは明らかだった。
結局病院に着くまで、私たちには会話らしい会話がなく車を降りるときでも私は、
「また今度」
と言ってみたのだが、彼は、
「ああ。」
と言っただけだった。
「まったく。なんだってんだよ。」
私は少々ふてくされてアリアのもとに急いだ。私はどうも嫌われているようだ、コールドスリープから目覚めた人間というのは社会的に拒まれるのだろうか。だから、アリアは私がコールドスリープしていたことを黙っておけといっていたのだろうか。
唯奈はそうではなかった。いや、そんな彼女でも心の中では私を軽蔑しているのだろうか。・・・いや、唯奈に限ってそれは絶待にない。
私は、アリアに聞いてみようと思いながら病室に向かった。
「まだ記憶は戻らないってわけね。」
何を調べたいのか理解不能な検査を終え、アリアはそう結論づけるように書類に文字を書き連ねた。こういうカルテのようなものにはドイツ語を使用するのは変わっていないようだ。
私はそれをちらっと眺めてみる。それには、やはり彼女が今し方言ったことと同じことがかかれている。ほかにもいろいろかかれているが、専門的な用語が多いため内容を読解することはできない。
「普段と変わらない生活を続けていれば朧気にも思い出すって思ったんだけどねえ。」
彼女も少し困惑気味のようだ。
「脳みそを開いてみるわけにもいかないし。」
おいおい。独り言のようだが、ずいぶん物騒なことを言う。そんなこと言っていたら患者が引くぞ。
私は、ため息をついた。
「ああ、大丈夫よ。そのうちきっと元に戻るって。」
それを見て、アリアはあわてたように、そういうが、私がため息をついたのは記憶が戻らないことへの憂鬱ではない。自覚がないのが一番たちが悪いというかなんというか。
私はもう一度ため息をつきたい気分になった。
「ところで・・・。唯奈とは上手くいっている?」
唐突に話題を変えるようにアリアは探るようにそういった。
「気になるんだったら自分で確かめに来ればいいだろう。」
私はピシャッとそういった。
アリアは一瞬声を詰まらせて、
「そりゃ、私もできるならそうしたいわよ。」
「だったらそうしたらどうだ?」
「私もこう見えても忙しいのよ。」
「ありきたりないいわけだな。ただ面倒なだけじゃないのか?娘とコミュニケーションを取るのが。」
私はもう容赦しない。しかし、アリアもムッとした表情を浮かべて、
「面倒?言ってくれるわね。私がそんなことを思ったことがあると思って?」
「思うわけないだろう。だけどな、端から見れば誰でもそう思ってしまうんだよ。みんながみんなとは言わない、あんたの仕事に理解を示している人だって大勢いるし、あんたは確かに優秀な医者だってことは認める。だがな、それだけじゃだめだ。」
私は止まらない。普段ため込んでいたことを一気に言いたかった。そして、この気にアリアと思いっきり喧嘩をしておきたかった。
「分かり切ったようなこと言って・・・。あなたに何が分かるって言うの?」
「ああ、私には何も分からない。唯奈が寂しがっているってこといがいはな。何しろ私は自分のことすら何も知らない人間なのだから。」
アリアは一瞬声を詰まらせた。
私はアリアを心の中では、誰よりも尊敬していると思う。だから、アリアには唯奈のことで悩んでほしくないし、何よりも私は・・・・。私は・・・。
私は、声を落とした。そう、私は認めてしまった。本当に私が言いたかったこと。私がほしいと思っていたもの。今まで自覚をしていたわけではないが、今理解してしまった。
「私だって家族がほしいんだ。」
アリアは驚いたような目を浮かべ、私を見た。
「私が目覚めて、記憶を失っていて、しかもいきなり100年後の世界なんて言われて・・・。たぶん、私は不安だったんだと思う。」
私は、自分が本当に不安だったのか。それは分からない。実際受け入れることはできたが、心のどこかでは元の世界、記憶にない私の生きて生活していた本当の私の世界に戻りたいと思っていたのかもしれない。
しかし、それはかなうことのない夢だったということは考えなくても分かる。
「だから。あんたが私と一緒に暮らそうと言ってくれたときは本当に嬉しかったんだ。」
アリアは何も言わずに私を見ていた。私はいつしか俯いて自分の手を見ながら言葉を発していた。
「そのうち・・・。かなうこともないことかもしれないけど。本当の家族のようなものになったら、私はどんなに幸せだろうなって。そう思ったときだってあった。」
「私は・・・。」
私は息を飲み込んだ。
「私も・・・あんたのことを”母さん”って呼びたいんだ・・・。」
私は、息を吐き出した。私は言いたいことをすべていった。アリアはどんな顔をしているだろうか。あきれてものも言えない顔をしているのだろうか。所詮、私の夢など叶うことのない夢想にすぎないのか。
私は、面を上げようとした。すると、
「ごめんなさい・・・。」
暖かな腕に包まれるような感触が私の身体をおそう。私は、アリアの胸の中に抱き寄せられていた。
「あなたがそんなことを思っていたなんて私、気づきもしなかった。私は、逃げていたのね。仕事に忙しいなんて、そんなの逃げる理由にすぎなかったって気がついたの。ごめんね。本当にごめん。」
私は、なにやら心地がよかった。
これが、母親というものなのだろうか。それならば母親というのは、なんて暖かなものなのだろうか。私は、生命のゆりかごに包まれている錯覚に陥っていた。
本音で会話をした後というのは少し恥ずかしいものだ。思わず私も普段考えないでおこうとしてたことを口にしてしまってどうも居心地が悪い。アリアもそうなのだろうか。彼女も少し頬を染めながら机の書類をまとめていた。書類といってもハンドモニターが一つあって、それに電子ペンで記入をしているだけで、机の上には紙とかインクのペンなどは一つもないのだが。
「さて。」
アリアの威勢のいい声がしたと思うと、彼は書類をファイルにまとめながら立ち上がった。
「終わったのか?」
私は、だされたコーヒーをぐいっと飲み干すと立ち上がった。
「ええ。今日はおしまい。」
「そうか。」
「今夜。私も家で食事を取ろうかしら?」
アリアはふとそんなことを言った。
・・・やっぱり。
私はどこかでそれを予想していたのかもしれない。
「ああ、いいんじゃないか。」
そして、私も大賛成だ。私の言葉ではないが、やはり食事は大勢で食べた方がおいしいとも言う。唯奈に知らせてやろうか、それともいきなりかえって驚かせてやるのもいいな。
私がそう考えていると、
「いきなり私が帰ったら、唯奈、驚くと思う?」
見上げると彼女はイタズラ好きな少年のような笑みを浮かべていた。なるほど、さすが私の母親だ。
「いいんじゃないか?」
私も彼女に習い、イタズラっぽい笑みを浮かべる。そうして彼女と見つめ合っていると、自然に笑い声がこみ上げてくる。
私たちはお互いに大いに笑い合った。端から見たら滑稽だろうな・・・と心の中で密かに思いつつ、私はこの瞬間を楽しんだ。
「帰ろっか。」
アリアはそういって私を見た。
「そうだな。」
私たちはもう他人ではない。おそらく、今まではお互いにお互いを意識し合うことはあってもそれはまだ医者と患者の立場から抜け出せていなかったのだろう。
私たちは、この時初めて、本当の家族になる第一歩を踏みしめたのだ。




