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 それでも夏休みというのは私が思っていたのとはまた少し違った。それは、一年でとりわけその期間(三月から四月にかけて)は太陽からの有害紫外線やガンマ線の量が多くなるため、自宅に待機している期間という意味合いが強いらしい。

 季節は初夏。三月が終わりいよいよ四月を迎える。

 そして、この月が終われば五月、学校の新学期が始まるのだ。

 私は、照りつける太陽のもと、空調の効いた車に揺られ街を走っていた。運転手は、アリア。今日は何でも編入試験を受けるために学校に行くというのだ。

「試験は難しいのか?」

 私は運転中のアリアに向かって、少し不安そうにいった。

「大丈夫じゃないの?一応、あげた教科書とか見てみたんでしょ?」

「まあな。」

 確かに教科書は一通り見てみた。教えている内容はほとんど変わらないし、忘れていることも少なかったが、なにぶんそれを渡されたのはほんの一週間前のことだ。

「じゃあ大丈夫よ。」

「うーん。」

 私は唸った。確かにやれないことはないと思う。しかし、なんというか。試験というのはどうも苦手意識があるみたいだ。

「みて。」

 唐突にアリアがそういう。

「うん?」

 私は面を上げた、見るとアリアは窓の外を指さしている。彼女が指さしているのは、そびえるビルでもなく、整然とした町並みでもない。それは、私の生きていたはずの世界にはないものだった。

「壁か・・・。」

 そこに見えるのは天に届かんとするほどの巨大で広大な壁。外の世界と街とを遮断するためのものだが。私の目にはどうもあれが世界の果てを思い起こさせる、いやな感じをさせるものに映った。

「あれが私たちの生きることのできる限界。あの先には何もない。荒れ果てた土地が眠っているわ。」

 私はしばらくそれを黙って見つめていた。スライドで鮮明な画像を見せてもらったが、これを見るまではまだ夢の中の話としか感じられなかった。しかし、今、それは私の目の前に広がっている。

 箱庭のような都市。私たちは、そんなジオラマのような世界に生きることを余儀なくされたと言うことか。

 これは、夢ではない現実なのだ。たとえ100年間の眠りについていたといっても、今に生きている以上これは私にとっても現実であるに違いない。

 私は、またそんなことを思った。

 と、突然車が停車した。あまりに急なことだったので、私は慣性力を受け少し前にのけぞってしまう。

「ついたわ。」

 私は、窓の外を改めてみた。確かに少し近未来風な感じがするがその外見は私の記憶するそれに遜色ない。

 それは、正真正銘の学校だった。

「さて、ガレージにはいるわね。」

 アリアは再び車を発進させ、校内に入っていく。学校内に専用のガレージがあるらしい。しかし、それは私の想像をまたも超えていた。車が傾いたと思うと、今まで照りつけていた太陽の光が一気に遮られた。

 それが、単に車が地下に潜ったということに気がつくのにさほど時間はかからなかった。

「こうしないと車から降りたら太陽光線をもろに浴びることになるでしょう?」

「なるほど。徹底しているのだな。ということは、この窓ガラスも紫外線カットってやつか?」

 私は、窓を叩いてみた。こんこんという小気味のいい音が響く。

「そういうこと。さて・・ついたわ。」

 今度こそアリアは車を完全に停止させエンジンを切った。

 今気づいたのだが、この車は異様にエンジンの反応がいい。エンジンを発動させてすぐにアイドリング状態になるし。しかも、乗っている最中もほとんど振動がなく、また排気ガスを出している様子もなかった。

「この車の燃料はなんなんだ?」

 私は彼女と共に車を降りると周りを見回しながら聞いてみた。

「水素よ。水素燃料電池。まあ、電気自動車なのよ。」

「ふーん。水素を酸化させて水を作るっていうやつか?」

「そういうこと。」

 水素を酸化させるというのは、何も酸素と反応させる燃焼のことをいうのではない。酸化還元反応というのは、その本義は電子の受け渡し、ついては酸化数の増減により引き起こされるものなのだ。つまり、水素が電子を放出して水素イオンになるのも酸化反応といい、逆に水素イオンが電子を受け取り水素分子になるのも還元反応というのだ。と、昨日見た化学の教科書に書いてあった。

「さ、こっちよ。」

 車の鍵をかけるとアリアはさっさと歩き出した。指紋がキーとなっているためわざわざ金属の鍵を持ち歩かなくてもいいし、指紋はなくすことなどあり得ないし、少し傷が付いてもすぐに元通りになるのでこれはかなり便利なのだ。

 私はいわれるままに歩き出した。上に向かうエレベーターを降りると、そこは私の記憶にあるような学校の校舎の風景だった。

 これなら違和感なく受け入れられそうだ。

「職員室は・・・こっちね。」

 学校案内のモニターを見たアリアはそういうとまた歩き出した。アリアもここに来るのは初めてなのかもしれない。だけど、アリアには唯奈がいるし、唯奈もここの学校出身のはずだから来たことがないはずはないと思うのだが。

 そこらへんはどうなのだろうか?

 構内は夏休みのために生徒も教師の姿もほとんど見受けられない。学校全体に空調が行き渡っているようで、校内はかなり快適だ。

 そうこうしているうちに、「職員室」という看板のある部屋の前についた。日本語で書かれている。どうやら、ここは日系の生徒が多いらしい。そういえば、唯奈はアリアの子供なのに、なぜ日本風の名前なのだろう。唯奈・マックレイ、父親の方が日系人なのかな。

 などと漠然に思いながら私は職員室に入った。もちろん、「失礼します」という言葉も忘れずにだ。

「ああ、Drアリア。お待ちしていました。」

 アリアが部屋にはいるとほぼ同時に柔和な笑みを浮かべた一人の女性が彼女のもとに歩み寄ってきた。ここの教諭だろうか。とても若そうに見えるから、おそらく新人かそこらだろう。生徒に人気のありそうなタイプだ。

「朱美先生。この子です。」

 アリアはそういうと私を差し出すかのように前に押しやった。

「宮野有希・・です。」

 いまだ慣れないこの名前をいうと、私が女性であることを再度認識させられる。しかし、その教諭、朱美と呼ばれた女性は私にも柔和な笑みを浮かべ、

「宮野さんね。確か、唯奈さんのいとこの。」

 そういうことになっているのか?と私は目でアリアに問いただした。

 そういうことにしておいてね?と彼女もまた目で返事を返す。私は気づかれないように短くため息をつくと、

「はい、そうです。急にこの街に来ることになってしまって。」

 朱美教諭はふーんそうなの・・。とさして興味もなさそうにもとれる返事を返すと、再びアリアの方を向いて、

「それでは早速。いいですか?」

 アリアは、「もちろん」といって首を大きく縦に振るった。

 試験のことだろう。私もはやく終わらしてさっさと帰りたいところだ。

「じゃあ。こっちに。」

 私は職員室の一角に案内された。小さな小部屋になっているらしく、周りにも飾りがない。応接間か何かだろう。唯一あるとしたら何かの賞状やトロフィーなどが整然と置かれているのみ。

「ここに座って。」

 見ると、そこにはいくらかの問題冊子が積まれていた。私は、うなずいて座ると、

「それじゃ、終わったら連絡をください。すぐに迎えに来ますので。」

 アリアはそういうとさっさと小部屋から出て行こうとした

 なんだ帰ってしまうのか。たとえそれがアリアであってもいなくなると寂しくなるものだ。

「分かりました。」

 アリアは職員室を出た。彼女もあれで結構忙しい人だから、今日もかなり予定を割いてくれているのだろう。感謝するべきだと思う。

「それじゃあ。ひとまず英語から始めましょうか。マーク形式と記述形式があるけど、どっちにする?」

「・・・穴埋めは苦手だ・・。」

 私がぽつんとそう漏らすと、彼女は一瞬驚いたような仕草をした。おそらく私が男のような言葉遣いをしたのがその原因だろうが、ぶっちゃけていってしまえば、私にとってそんなことはどうでもいいし、今更変えようとも思わない。

 彼女は気を取り直すと、記述式、と書かれた問題冊子を私の前に置いた。私は、筆記具を取り出す(驚いたことにこの時代に置いてもまだこういうものがつかわれているらしい。授業はハンドコンピュータを使っているらしいが。)と、手に持った。準備は完了だ。

「時間は一時間。・・・・始め。」

 その声と同時に私は問題冊子を開いた。

 問題自体は最初、発音アクセント問題、語文整序問題、会話問題そして長文とごくごくスタンダートな形式になっている。

「ふーん。」

 私は思わず声を漏らしてしまう。

「どうしたの?」

 朱美は怪訝そうな顔を浮かべるが、

「いや、なんでもない。」

 こういうことはいつまでたってもかわらないものなのだな・・。と思いながらも私は、問題に取りかかった。

 そうして、私はせっせと問題を解いていった。英語が終わると次は数学IAIIBIIICそして、国語、社会と続いて最後に物理化学。

 物理、化学、生物、地学。とくに物理に置いてアインシュタインの基礎的な相対性理論や聞いたことのないような定理や法則が出てくるのは面食らうが、ほとんど教科書の内容に即したものなので、抵抗なく説けてしまう。

 しかし、アインシュタインの相対性理論が基礎的な部分のみとはいえ、すでに高校の分野になっているとは・・・、時代は変わるものだ。

 そんこんなですべての問題を解き終わった。

「おわりね・・・。だいぶ時間が余ったわね。それに、見たところほとんど正解だと思うわ。」

「そりゃどうも。」

 歴史系に置いてはさすがに100年のブランクがあるためいまいちだったが、基本的にかわらないもの、数学の公式や理科の理論に関するものは分からないものはほとんどなかった。

「唯奈さんのいとこなんだってね。」

 ふと、彼女がそうきりだした。

「ああ。そうだが。」

 私はとりあえずそう答えた。実はなんの関係もないのだが、アリアがそういうことにしておけというからそういうことにしておいた。

「やっぱり他の都市で暮らしていたの?」

「まあ、そういうことになるか。」

「以前すんでいたところはどんなところだった?」

「別に。こことほとんどかわらない。」

 もちろん嘘だ。しかし、今は当たり障りのないことを言っておかないと後で何が起こるか分からない。それだけはさけるべきだろう。

「だけど。この時期に転校生なんて思いもしなかったわ。唯奈さんのところで下宿しているのだろうけど。家族とかはどうしたの?」

 いやに聞いてくる人だな。そんなものいないから答えようがないではないか。

「どうしても・・言わないとだめか・・・?」

 私はいかにも過去に何かありました、両親のことについてはふれないでくださいという雰囲気を醸し出すような口調でそういった。

 私の思い通りに、彼女は一瞬口ごもった。

「そうね。ごめんなさい。探るみたいだったわね。」

「いえ。別にいいんです。もう、受け入れたことですから。」

 さすがに迫真の演技だっただろう。私の時代でいうアカデミー賞(今はおそらくないだろう)ものの演技だ。

 それ以来、朱美先生は私の過去を探ろうとせず、これからのことを話し始めた。

「おそらく編入手続き書が一週間以内に届くと思いますから、それにサインをして頂くだけでOKです。そこら辺の手続きはDrアリアにお任せするのがいいでしょう。」

 わたしは、

「分かりました。」

 といってしっかりとうなずいた。

「そろそろいらっしゃってもいい頃なんだけどね。」

 彼女は時計を仰ぎ見た。おそらくアリアが来る時間のことをいっているのだろう。しかし、心配は無用だ。アリアはずぼらに見えて結構時間とかそういうことに関してはシビアだから、逆に彼女が時間に遅れるようなことがあれば、彼女の身に何かあったのではないかと思わなければならない。と、唯奈がいっていた。

「失礼します。」

 ほら、噂をすれば何とやらというやつだ。すぐにアリアは小部屋のドアから顔をのぞかせる。

「終わったかしら?」

「ええ、今終わったところ。」

 朱美は、いや、朱美先生はそういうと私の答案を抱えると立ち上がった。

「じゃあ、連れて行っていいかしら?」

 なんだか微妙な表現だな。

「あんたは誘拐犯か?」

 私らしくないといわれるかもしれないが、私はつっこみを入れてみた。

「たまに食べちゃいたいと思うことはあるけど。」

 アリアはにっこりと笑った。冗談じゃない。

「私にはあいにくとそんな趣味はないのでね。」

 背筋がぞっとしたのを隠しながらも私はふてくされたように彼女の前を素通りする。

「かーわいいんだ。」

 アリアは私の頭をなでなでした。

「子供じゃないんだから!」

 こういう扱いはやめてほしいものだ。

「もう。かわいいっていわれれば普通喜ぶものなのに。」

 彼女はさも残念そうにそういうと手を下ろした。まさか本気で言っていたのか?どうも彼女の性格はつかみきれない。

「手続きは追って指示しますので。今日はこれで結構です。」

 朱美先生は私にいったのと同じことをまたアリアに言った。

「分かりました。今日は失礼します。」

 そういうと、アリアは私の手を引いて職員室から出た。扉が開くと、私はその手を払いのけた。

「まったく。あんなに子供扱いすることもないだろうに。家族でもないというのに。」

 アリアはフッと一瞬だけ寂しそうな顔を見せるが、すぐににっこりと笑って。

「ごめん、ごめん。あの子には親らしいことしてあげられなかったものだから。ついね。だけど、私はあなたのこと、家族同然だと思ってるわよ。でなけりゃこんなこと他の人に頼むわよ。」

 私は心に突き刺さるものがあった。

 家族同然に思っている。それは、ひょっとしたら私が一番ほしかった言葉なのかもしれない。起きたら記憶を失っていて、しかも、100年間眠っていたといきなり聞かされた。当然私の記憶にない両親も友達もこの世にいないだろう。私は、孤独感を感じていたのかもしれない。

「そうか。悪かったな、邪険にしてしまって。」

 私が視線を落としながらいうと、アリアは、

「まあ、いいって。それより早く帰りましょう。今日はごちそう作ってもらわなきゃ。」

 アリアはそう言い残すと歩き始めた。

「御馳走?なんの?」

 私もあわててそれを追う。

「新しい同居人の歓迎の為よ。」

「新しい同居人?誰?」

 アリアは少し大げさにあきれてみせる。

「あなたよ。あなた。決まってるじゃない。」

「は?私がなんだって?」

「今日から唯奈と一緒に生活してもらうのよ。学校からも近いし。法的に唯奈とあなたはいとこってことになっているんだから。」

「確かにそれはそうだが。少し唐突すぎるぞ。」

 私はいきなりのことで少し頭が混乱していた。整理してみると、私は法的に(アリアのでっち上げによって)唯奈のいとこになった。とすれば唯奈と一緒の家で暮らした方がそのカモフラージュになるし、これから彼女と一緒の学校に通うことになるので、通学にも便利。一石二鳥だといいたいわけか?

「そういうことか。」

 私は一瞬でそこまで頭の中で整理をするとうなずいた。

「そういうこと。それに・・・。」

「それに?」

「それに。唯奈はあの家に独りで住んでいるようなものだから。」

 アリアは視線を落とした。

 ああ、そういうことか。私は理解した。やはり、彼女は家庭より自分の仕事を優先するタイプの人間なのだ。特に若い頃など、それに没頭してしまったあまり、娘や家族のことなど気にもかけなかったのだろう。

 そして、今はそれに後悔している。

「そうだな。・・・だけど。私を代用するんじゃなくて。いつか、唯奈自身にも自分の気持ちってやつを伝えていくべきだと思うぞ。」

 こんな私が偉そうに言えたものではないが、それだけは彼女にいっておきたかった。

「そうね。だけど、まだ時期が早いのよ・・。」

「そんなのに時期なんてあるのか?大切なのは伝えるか伝えないか・・・だろう?」

「・・・・。」

 アリアは何も言わなかった。彼女が黙ってしまい、私も言葉を失った。少し、言い過ぎたかもしれない。だが、私のいいたいことはいったつもりだ。後悔などしない。

 私はそう思うと、彼女の手を取った。

「・・・・。」

 私はアリアが何を考えていたのか。そんなことは分からない。私が彼女の手を握ったことにどんな意味があったのか、それも分からない。だが、彼女の手のぬくもりは私に安心を与えてくれるものだった。

 私は、そのぬくもりが彼女にも伝わっていればいいなと漠然と思っていた。

 夕日はいつしか闇へと代わり、人の造り出した都市(ジオラマ)も闇へと沈んでいく。はたして、この世界に、そして、人間に明日への希望はあるのだろうか?

 一年中、何はばかることなく外に足を踏み出し、いつしか外に世界にも自由な場所を求められる。そんな日が来るのだろうか?

 たとえ、そんな未来が私たちの先に用意されていなくとも、私は、そう願うよりほかがなかった。


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