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 だんだんと夏も本番に入りつつある。初夏から夏への転換はさほど苦ではないが、夜にかく汗の量が次第に多くなっていくのは少し気分が億劫になっていく。

 その日も私はべっとりと肌につきまとうパジャマをうっとうしく感じながらベッドから体を起こした。

 昨晩は特に暑かったせいか、いつにもまして汗の量が多く、胸の先っぽが浮き出てしまって少し恥ずかしい。

 ここ2,3日ほど部屋の空調が故障しているのだ。しかも修理屋も夏休みだと言ってこれない。

 そういえば初夏に夏休みがあるということはどういうことだろうか。そこら辺の制度は変わってしまったというのか。

 アリアは別に何も言わないので特に気にする必要のないことなのかもしれない。

 それにしても暑い。太陽の光が異様に強い気がする。地球が太陽に近づいたって話なんて聞いたことがない。ただ単純に温室効果が促進されたのだったら納得できるが、これから毎年この暑さを体験することになると考えると気が滅入ってくる。

 私は手を扇のように仰ぎながらベッドから立ち上がり服に着替えた。マックレイ親子はあれ以外にもいくつかの服を購入していたようで、今のところそれに不自由することはない。さすがにキャミソールにミニスカートは遠慮させてもらうが。どれもこれも今の季節を乗り越えるのに最適なものばかりだった。

 だが、冬が恋しくなるのは人情というものだろう。まあ、冬になれば夏が恋しくなるのも人情であるが。人の人情というのは結構、現金なところがあるものだ。

 着替え終わったのを見計らうように病室の扉が叩かれた。

「おはよう。」

 それはいつも見慣れた顔、アリアだった。

「一つ聞きたいのだが?」

 私は服を引っ張りながら中の熱を逃がすとアリアに面と向かった。

「どうしたの?」

 ここ2,3日、アリアは私の検診をしなくなった。つまり、私はもう患者ではないということなのだ。

「なぜ修理屋が来ないんだ?いくら夏休みだからといってもこれでは商売にならないのではないか?」

 あまりの暑さに滅入ってしまいそうになりながら私は聞いた。

「そうねえ・・話すと長くなるんだけど・・・。」

「それでもかまわない。私は暇をもてあましているのだからな。」

 正直やることがないので日中は暇で暇でしょうがないのだ。外出もまだ許可されていないので、この施設にいるしかない。しかし、もう患者ではないのだ、いい加減外に出してくれてもいいのではないか。私は、毎日のようにこういっている。

 アリアは少し表情を曇らせた。何かを言おうか言わないか。それを考えているような仕草だ。

 そして、10秒もたたないうちに彼女は私の方を向いた、神妙な顔をして。私も表情を引き締める。

「そうね。いいでしょう。この機会に話してあげます。私の部屋に来て。話はそれからよ。」

 彼女はそう言い放つと立ち上がり部屋を出ようとした。私は、何も言わずただ黙って彼女についていくしかなかった。

 どちらが彼女の本性なのだ?いつものようなヘラヘラしておちゃらけた冗談を言う方が本当の彼女なのか、それとも、今のような、この世にあるものはすべて自分の研究対象だという雰囲気を放つ科学者としての彼女が本当の彼女なのか。

 私は分からなくなった。

 アリアは部屋の扉を開けると、私を中に招いた。

 進まれるままに私は少し背の高い椅子に腰掛けた。

「何か飲む?っていっても冷えてるのはビールだけだけど。」

 見ると彼女は冷蔵庫からビールの缶を取り出していた。

「私は飲めるクチなのかな。」

 ビールの味はどこかで覚えている気がした。以前の私はアルコールは大丈夫だったのだろうか。

 しかし、法的に17歳である私に酒を勧める彼女の感性はどういうものなのだろうか。

「まあ、ためしてみたら?」

 まあ、試しに飲んでみるのも悪くないか。私はあっさりと承諾してよく冷えたビールの缶を受け取った。しかし・・・、

 私は缶を眺めた。この感触からしてアルミニウムであることは変わりないのだが、

「どうしたの?」

 ビールを片手に空いている椅子を見つけて座ろうとした彼女がふとこちらを向いた。

「タブレットがない。」

 口らしきものは確かにあるのだが、いかんせんそれを開けるための引っかかりがどこにも見あたらない。

「ああ、真ん中に円い出っ張りがあるでしょう?」

「ああ。」

 確かに中心に人差し指の腹ぐらいの大きさの円い出っ張りが顔をのぞかせているのはよく見える。

「それを・・・こうやって・・・。」

 アリアは私に見せるようにその出っ張りを押し込んだ。

 シュッ!という小気味のいい音がしたと思うと飲み口を覆っていたアルミ片が一瞬にして中に収納され、口が開いた。

「分かった?」

 そういいながら彼女はビールをぐいっと飲んだ。

「ああ。」

 そういいながら私も缶を開け、彼女に習ってぐいっと飲んでみた。ほどよい苦みと炭酸の刺激が口の中に広がり、のどを通って腹に染み渡ってゆく。

「どう?」

 アリアは缶を書類やらでごちゃごちゃしたテーブルにのせると私をのぞき込んだ。

「ああ、うまいな。この味はまったくかわっていないらしい。」

 懐かしい味の広がりを堪能しながら、私はさらにもう一口飲んだ。

「そう。良かった。よければ、また一緒に飲みたいわね。」

「私はまだ17歳だが・・。」

「なにいってんの。100歳越えてるくせに。」

「それは・・そうだが・・。」

 そういわれると返す言葉がない。しかし、他の人の前ではこのことは明らかにしない方がいいだろう。もちろん、この施設の外での話だ。

「さて。どこから話したものかしらね・・・。」

 アリアはしばらく手を口に当てて考え込む、

「そうね。まずは、なぜ修理屋が来ないかってところからいきましょうか。」

 アリアはゆっくりと語り出した。


・・・そもそもね、修理屋はなぜこないかっていうと、実のところこれないのよ。

・・・これない?それはどういう・・。

・・・あなたはまだ外の世界を見ていないわよね。

・・・見せてくれもしないからな。

・・・そう、時期が悪い。

・・・時期?

・・・私は今の季節は初夏・・夏だっていったわよね。

・・・ああ、

・・・夏の前は?

・・・春だろう?

・・・その前は?

・・・冬だ。

・・・そのさらに前は?

・・・秋だろう?それがどうしたって言うんだ?そんなこと、記憶がなくても知   っているぞ。私が聞きたいのはそういうことではない。

・・・そう。たぶん100年前だったらそれが普通だったでしょうね。だけど・・・ないのよ。

・・・ない?なにが?

・・・今、私たちの住むここでは、春と夏しかないの。秋も冬もない。私たちは   秋の紅葉を知らないし、冬の銀世界も知らない。草木はいつも青々として、   太陽はいつもさんさんと降り注ぐ。そんな世界しか知らない。

 私は面食らった。私の脳裏には確かに秋の深まり、雪の白さのイメージがしっかりとある。しかし、この世界にはそれがない・・・?

 彼女はさらに続けた。

・・・かつて、そう、それこそ100年近く前に大きな災害があった。

・・・災害?自然災害か何かか?

・・・分からないわ・・・。その記録はもう失われているし。とにかく大きな災   害があったことのみが人びとの記憶に残っていた。そして、気がつけば、   人類は荒れ果てた大地に立っていた。

・・・それから?

・・・そして、少しでも荒廃のましなところに移って行き、都市を建設した。

・・・それが・・・・

・・・そうよ。それが私たちの街。

 アリアは、スライドを操作した。その映像には私も見慣れたような街の風景が映し出されていた。これが今私が住んでいる町であることは想像に難くない。

・・・そうして、これが上空1000メートル付近で見たもの。

 そこには、まるで街が箱庭のような形で周りが囲まれている。その外側には・・・何もない。

 ただ荒廃した、半分は砂漠に埋もれつつあるようなそんな大地が広がっていた。

・・・これが・・・私たちの世界なのか?

・・・そうよ。そして、私たちは一年のうちでもわずか3分の2ほどしか外に、太陽のもとに出ることしかできない。夏休みというのは避難の期間。その間、私たちの世界は人が活動するにはあまりにも過酷な環境へと変貌する。今、確かに暑いわ・・。だけど、外。この施設の外はこんなものではない。摂氏45度以上の日が幾日も続く。まさにこの世の地獄よ。

・・・そんなことが・・・。

 私は言葉を失った。

「季節の移り変わりを肌で感じられていたあなた達がうらやましい。もう、この世界にはそんなものはないのだから。」

 アリアはそう付け加えた。

 私は何も言えなかった。

 理想の未来・・。私はそんな言葉を思い浮かべた。

 100年前の私はいったいどんな未来を理想に思っていたのだろうか?今より発展した都市、誰も何不自由することなく幸せな毎日が過ごせる世界。

 しかし、そんな未来は存在しなかった。

 過去の人間は未来を憧れ、そして未来すなわち今に生きる人間は過去にあこがれる。何とも皮肉な話だ。

「夏休みって言うのはそういうことか。」

 そういえば、私は今が何月なのかを失念していた。初夏と聞いたために私は6月か7月あたりだと勝手に予想をしていた。

「で?今は何月なんだ?」

「・・・・三月よ。」

「なるほど。」

 三月か・・・。私はなぜか妙に納得してしまった。

「はあ。」

 思わず私はため息をついた。重い、限りなく重い。聞かなければよかったと一瞬思った。

 しかし、いずれは聞かされることなのだ。いつまでも逃げていることはできない。

 それに、ここはもう私にとって未来ではない。私が今ここに生きている以上、まさにこここそが私にとっての現実には違いないのだ。

 のみさしのビールは私の手のひらの中ですっかりと温くなっていた。


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