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(3)

 そうして、私が眠りから覚めて1週間が過ぎた。私の体力は通常までに回復し、今は中庭を走れるほどにまでになった。

 しかし、未だ記憶は戻らない。それが私にとって一番悩ましいことだった。

 そんなこともあってまだ私はこの施設の外を見たことはない。一度脱出を試みたが、意外とガードが堅く数分もしないうちに元に戻されてしまう。

 さすがに2度目を決行する気などなかった。そんなことをしても無駄だと分かったからだ。私はとりとめのないことをするのは嫌いではないが、無駄なことをするのは嫌いだ。もちろん、無駄に時間を浪費するだけのつまらないおしゃべりなどもその中に含まれる。

「いつになったら外に出られるんだ?」

 これを聞くのは今日で何回目だろう。数えるのもめんどくさくなるほど、彼女に出会うたびにそれを聞いている。彼女、もちろんアリアのことだ。

「まあ、経過次第ね。」

 そして、何度同じ答えを返されるのか。

「もうその言葉には聞き飽きた。もう私は健康体なんだろう?体力も生活するには問題ないはずだ。いい加減外の世界というものを見てみたいんだよ。」

 私は正直いらだっていた。その苛立ちの矛先がアリアに向かってしまうのは仕方のないことだった。

「まあ、いろいろあるのよ。そのうちいろいろ話したげるから。今は待っていなさいな。」

 聞き分けのない子供をごまかすようにアリアは私の頭に手を乗せた。しかし、当然ながら私はそんなものでだまされるはずもない。逆にその仕草は私にさらなる苛立ちを与える材料となった。

 私は、無造作にその手をはらった。

「私は・・・・!」

 私は威嚇するように目をとがらせ、さらに口を開こうとするが、それは阻害された。

「あの・・・お母さん・・・。」

 儚くもろい声が私の後ろから聞こえた。聞き逃してしまうほど細い声、私は後ろを向いた。

 そこには身を小さくしている少女の姿があった。

「あ・・・。」

 私とその少女と目があった瞬間。彼女は何かにおびえるように少し後ずさった。私の苛立ちを感じ取ってしまったのか。どうやら感受性の高い子のようだ。だが、この子はいったい何者?

唯奈ゆいなじゃない。どうしたの珍しい。」

 アリアが私の横をすり抜けて彼女の方へと歩み寄る。

「えっと・・。その・・・。たまには・・・一緒に・・ご飯、食べようかと・・思って・・・。」

「すてきね。ここのところずっと保存食(レトルト)だけだったから嬉しいわ。」

 確かに、この人が自分で料理するなど考えられない。

「だめだよ・・・。ちゃんと食べなきゃ・・・。」

 心なしか、唯奈と呼ばれた少女は笑ったように思えた。

「だけど今私は忙しいから。もう少ししたら・・・ね?」

 私以上に小柄な少女と視線を合わせるようにアリアはしゃがみ込んだ。

「うん。じゃあ・・・あとで・・呼ぶね・・・。」

 そういうと彼女はぱたぱたと軽そうな足音を残して走り去っていった。

「娘か?」

 少女はアリアのことを『お母さん』と呼んでいたから間違いないだろう。

「そうよ。料理上手で家事全般もそつなくこなす。私より優秀な娘よ。」

「だけど。性格は母親譲りではないらしいな。」

 私がそういうと彼女は苦笑を浮かべる。

「それが、専らの悩みなのよねえ。友達も少ないらしいし。」

「ずいぶん他人事みたいにいうのだな。」

 自分の娘を捕まえておいて”らしい”はないのではないか。

「そうね。今はましだけど。あのこの父親がいなくなるまでは自分に母親がいることすら知らなかったっていうぐらいだし。」

 つまり、アリアは家庭のことを顧みずこの仕事に没頭していたのか。この人ならやりかねないかもしれない。

「ひどい話だな。」

 私は率直に言った。

「まったくそうね。ひどい親・・・。あの娘は私にはもったいなさすぎる・・・いや、自分の娘なんていうもおこがましいわ。」

 私は何も言わなかった。何も言う必要はない。彼女が一番分かっているだろう。すぎてしまったことは取り返すことはできない。それは、今も昔も変わることはない。

「あなたがあの子の友達になってくれればいいんだけどね・・・。」

「私が・・・?なぜ?悪影響を及ぼすだけかもしれないぞ?」

 私はアリアを見上げた。アリアは何とも言えないような表情を浮かべている。

「いいえ。私はそうは思わない。あなたはいい子よ。自分ではどう思っているかなんて私には分からないけど。あなただったら安心だわ。」

「まるで嫁にもらってくれっていっているみたいだな。」

 私はからかうようにそういってみた。

「あははは・・。それはちょっと。さすがに女の子に自分のかわいい娘をあげる気なんてないわよ。そんな趣味ないし。まあ、、もっともあなたが”男”だったら話は違っていたかもしれないけど。」

 私が”男”だったら・・・か。私は何か責められるような感じがした。私が女性であることに違和感を持っていることはまだ話していない。そんなこと、どうやって話せばいいのだ。

 しかし、いつかすべてを暴露するべき時が来るのだろうか?そうなれば、アリアはどんな顔をするのだろうか。軽蔑するか、それともいつも通りに笑い飛ばして、「なんなら男になってみる?」なんて気楽な冗談をほのめかすのだろうか。

 私は正直、それを確かめたくない。確かめる勇気もない。

「あ。そうだ。」

 突然アリアは名案を閃いたといわんばかりに手をパンと叩いた。がらんとしたホールにその音だけが異様によく響いた。

「これからあのこと一緒に食事するけど・・あなたもどう?」

「一緒に食事しないか・・と言うことか?」

 私はわざわざ確認を取った。

「あったりまえじゃないのよ。それ以外に何があるっての?」

 アリアは私の背中をばんばんと叩いた。

「痛いって。」

 私は聞こえないようにそうつぶやくと、

「そうだな。ご一緒させてもらうとするか。」

 それに、あの唯奈という娘のことも気にならなくもない。

「それなら決定ね。っていってもパジャマで食事ってのも色気がないわね。」

 私は入院中であるためか、日中もパジャマを着させられている。少しはましな服装をしたいと思うが、私が着るとしたらやはり女物の服になってしまうのだろうか?

「ちょうどいいわ。今日はちょうど紫外線警報も出ていないことだし。食事の前にあの子と少しショッピングをしてくるから。」

 そこで私に合うような服を選んでこようということか・・・。至れり尽くせりだな。ついでに親子の親睦も深めようって魂胆なのはありありと見受けられる。

「まあ・・・よろしく頼むよ・・。だけど。」

 私は一つ重要なことに気がついた。

「だけど・・どうしたの?」

 私は真剣な目を彼女に向けた。それが伝わったのか、いつものへらへらした表情でなく、私の前ではけして見せようとしない、科学者のそれにかわっていった。

「私は金を持っていない。」

 それを聞くとアリアの目が点になった。私の思惑通りだ。自然と私の頬がにやけてくる。

「あなたねえ・・。そんなの出世払いに決まってるじゃない!」

 しゅ、出世払い?なんじゃそりゃ?

「おい、なんだよ出世払いって。」

 アリアはとたんににんまりとした笑みを浮かべ、

「あら、出世払いって言葉を知らないのかしら?」

 などとぬかした。

「そんなことをいっているんじゃない。」

「だったらいいじゃない。」

 今にも鼻歌が聞こえてきそうだ。

「だから・・・。」

 私は反論を決め込もうとした、

「あ、いっけない。もうこんな時間?唯奈を待たせちゃうわ!」

 ありもしない腕時計を見るふりをすると、彼女はすたこらさっさと駆け足で歩いていった。

「おい、待ち合わせ時間決めてなかったろ!」

 完敗だ・・・。

 クソ、おちょくってやろうとした矢先にしっぺ返しだ。アリアをからかうのはかなり技術がいるのだな。と、私はアリアの背中を苦々しく見つめながらそう思った。いつからか、私の中にあったはずの苛立ちはすっかりと姿を消していた。

 そういえば、紫外線警報とはいったい何なのだろうか。私はさっきアリアが口にしていた聞き慣れない言葉を思い出した。少なくともそんな言葉は私の生きていた時代には存在していなかったはずだ。

 しかし、考えても分かるはずもない。後でアリアに聞いてみることにしよう。私は、そのことをとりあえず保留しておくことにした。ホールの天窓の向こうからは相変わらず強い日差しが照りつけていた。


 彼女たちが選んできた服はまあまあだった。女物であったのは変わりないが、白くて薄いブラウスにハーフパンツと、私が覚えているそれと何らかわらないものだった。

 いきなりキャミソールにミニスカートだったらどうしようかと本気で悩んでいたところだったから、少し拍子抜けだったのも正直な話だ。

 ただ、それのすべてが再利用から作られているのには正直驚いた、しかし、彼女たちにとってはそれは当たり前のことらしい。

 時代が変わればかわるものだ。

 ともあれ、私はマックレイ親子の招待にあずかったのだが・・。

「学校?」

 食事の後味を殺さず、しかもそれ自体プロが入れたのではないかと見まごうほどうまい紅茶をすすりながら私は素っ頓狂な声を上げた。

「そ、学校。」

 対するアリアは昼というのに低アルコールのワイン(本人はグレープジュースだと断固主張しているが)をちびちびやりながらそういった。

 そのあっけらかんとした物言いは実に彼女らしい。

「学校・・入れるのか?」

 そもそも私は100歳を超えているのだ。そんな人間が今更学校など。ふつうに考えても無茶というものだ。

「大丈夫よ。法的手続きなんてあってないようなものだから。」

 などと軽々しく答えてくれる。そいうあんたの性格、私は好きだよ。

 とジョークでも飛ばしてやろうかと思ったが、唯奈の手前それははばかれた。

「そんなに堅く考える必要なんてないわよ。たかが学校よ。ようやく外に出られるんじゃない。」

 確かにそれは言えている、しかし、たとえ学校に編入することになってもそれは夏休みが終わってからの話。

 裏を返せば、私は夏休みが終わるまで施設から出られないということだ。

「うーむ・・・。」

 私は唸った。どうも気にくわない。

 別に悪い条件だとは思っていないが。それでもどうも操作されているような感じがして気に入らないのだ。

 しかし、たとえ気に入ろうが気に入らなかろうが答えは決まっていた。そうするしかほかに方法はなかった。

「分かったよ。言うとおりにするよ。」

 渋々私は承諾した。

「そうそう。女の子は素直さが一番よ。」

 やれやれ人の気も知れずによく言う。私はため息を押し隠すために紅茶をぐいっと飲んだ。

 特に専ら私の悩みというのは、その「女の子」の部分にあるのだが・・・。

「あの・・・。」

 カラになったカップを置くといつの間にかそこにいたのか、唯奈がおずおずと尋ねてきた。

「ん?」

 少し私は不機嫌だったので、ぶっきらぼうな受け答えをしてしまい、すぐに後悔した。

 案の定、彼女はそれっきり何もしゃべらなくなってしまう。

「ああ。ごめんなさい。どうしたの?」

 せめてこの子の前ではあまりトゲのない言葉遣いをすることを心がけよう、と私は決めた。

「紅茶・・・おかわり・・。」

 彼女は私のカラになったカップを見つめていた。

 ああ、そういうことか。

「ありがとう。いたたくよ。」

 自分にできる最大限の笑みを浮かべてカップを差し出した。

「・・・。」

 心なしか唯奈は微笑んだように思えた。彼女の笑みはとても柔らかい。今まで苛ついていた私の心を優しく拭ってくれるような不思議な感覚に包まれた。

 この子だったらいいかもしれない。この子だったら、居場所のない私の支えになってくれるかもしれない。

 このときからだったのかもしれない。私がそう思い始めるようになったのは。

 ともかく、唯奈と私の不思議な関係は思わぬところで始まったていたのだ。

「ところで。どの学校に行けばいいんだ?」

 アリアは不思議そうな表情を一瞬浮かべたが、すぐにいつもの表情に戻して。自分の娘をたぐい寄せ、

「このこと同じよ。風見学園。いいところよ。緑いっぱいで。静かで。」

 実際見たことはないが、彼女はそういうのだから、そこはいいところなのだろう。彼女は隠し事はするが、嘘は言わない。だから私も彼女に信頼を置いているのだ。

「編入試験とかは?まさか、そこまでごまかすことはできないだろう。」

「まあ、おいおいとね。別に難しいもんじゃないわよ。見たところ、あなたの学力はそれなりに高そうだから。入って苦労もしないと思う。」

 なるほど。それもそうだな。とにかく何事も肩の力を抜いておかないと肩がこってしまうと言うことか。

「どうせ、最初からゼロなんだから後から詰め込むのも悪くないってことか。」

 私の心にわずかな期待が芽生えてきた。

「まあ、そういうこと。せっかく目覚めたんだから楽しまないと損よってね。」

 まあ、言えてるな。実にアリアらしい考え方だ。

「それで。やっぱり転校生ってことで編入になるのか?」

「それぐらいしかないんじゃない。」

 まあ、そうだな。それぐらいしかないか。私は紅茶をぐいっと飲み干した。少し時間がたってしまっていたため、少々温めだったが、味は崩れていない。

「あの・・。」

 また唯奈が私のそばにやってきた。

「ん?」

 私はまた彼女を見上げる。今回はおびえた様子もなさそうだ。

「紅茶・・おかわり・・。」

 私は笑ってカップを差し出した。

 そうして私は3杯目の紅茶に口をつけた。


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