(2)
なぜ私はアリアとは名前の種類が違うのか?と聞いてみると、私が発見されたのはここよりも東方の国、かつてジャパンと呼ばれていた国で見つかったからだというらしい。
鏡を見せてもらったら、確かに私は彼女と違って黄色みのかかった肌をしていた。
私は暗がりの中一人ベッドに横になっていた。枕元の本を見てみると私は東方人(推定)だがどうやら英語は読めるらしい。当たり前か、朝も自然に英語で会話していたし、彼女に自分は東方出身(推定)であるといわれるまで自分はアリアと同じ人種だと思っていたぐらいだから。
「だが・・・いきなり100年か。」
私は、窓にかけてあるブラインドの隙間を広げて外を見た。月明かりが夜の庭を照らしている。この病院は軍所属と言ってた。軍人のメンタルケアの意味を込めて病院の周りを緑で覆っているというのだ。
この森の向こうにはいったい何があるのだろうか。超未来的な都市なのだろうか、それとも荒廃した廃墟なのだろうか?私が眠っていたこの100年、世界はいったいどのようにかわってしまったのだろうか。
そんなとりとめのないことを思いながら、私は次第に眠りの中に落ちていった。
居心地のよい闇が私の目の前を包み込んでゆく。よく眠れそうだ・・・・。
起きたときはすでに日の光は真上から差し込んでいた。
「昼まで寝てしまったってことか?」
以前も私は寝坊がちだったのだろうか。
「目覚めはどうかしら?」
見ると、アリアが入り口の前に立っていた。
「すっきりしているよ。流石にね。」
体を起こして思いっきりのびをした。体を反らせるとどうしても胸が前に出てしまって落ち着かないがまあ、慣れるしかない。
私は、ブラインドを引き上げた。強い太陽の光が差し込んできて私は一瞬目をしかめる。
「いい天気だな。今は春か?」
青々と茂った草花を見ると心が和む。
「まあ、夏の始まり、初夏ってところね。」
アリアはそういうとバインダーを抱えて私のそばにやってきた。
「食事の前に少し診断したいのだけど。」
私は何も言わずにうなずいた。身体の痛みもすでに消え失せている。昨日打ってもらった注射は痛み止めだけではなく、痛みのもとを直す作用もあったみたいだ。今は、とてもすっきりとしたいい気分だ。
「食欲は?」
「腹はだいぶ減ってるよ。」
私は苦笑しながらそう答えた。さっきから腹の虫がぐーぐー鳴り始めている。
「どこか痛いところはない?」
「特になし。」
「身体に違和感は?」
違和感、あえて言えば胸のあたりだが、それはいわないでおく。私は首を横に振った。
「そう。ストレスとか感じてない?」
「ストレスを感じるようなことをしていないからな。」
これは正直な話だ。ストレスを感じようにもその材料がない。
「何か思い出したことは?」
「なにも。」
彼女は少し困った顔で書類にいろいろと書き込んでいく。
「熱を測るから。手を出して。」
「脇に挟むんじゃないのか?」
私がそういうと、彼女は少し笑い、
「100年前はね。」
なにやら馬鹿にされたような気がして、私は少し憮然として手を差し出した。彼女はその手を取り人差し指に何かを挟むとスイッチを入れ、1秒もしないうちに引き抜いてしまった。
「ごく平熱。感染症や血圧、身体的異常、血液のphも白血球の数もまったく異常なし。絵に描いたような健康体か・・・。」
今の一瞬でそこまで分かってしまうのか。科学の進歩はすごいものだ。
「それでいて記憶だけが戻らないというのはどういうことかしらね。」
本人は独り言のつもりなのだろうが、はっきり言って独り言に聞こえない。それでも私は黙っていたが。
「珍しい事例なのか?」
「事例が確認されていないこともないけど。珍しいといえば珍しいわね。まあ、これからいろいろと検査をしていきましょう。それじゃ、食事を運んでもらうわね。」
私腹はは待ってましたといわんばかりにひときわ大きな音でグーッと鳴った。
「ふふ・・。すぐに持ってくるようにいっておくわ。」
そう言葉を残すと彼女は部屋を後にした。
食事は看護士の女性が持ってきてくれた。少し話をしてみると、この病院は表向き病院ということになっているが、いろいろなことを研究、実験したりする施設という趣が強いようだ。
私そこで、初めてアリア以外の人としゃべった。
食事が終わってみると後の時間は手持ちぶさたになってしまう。施設から出ることは禁じられているが、施設内の徘徊を禁止されているわけではない(もちろん許可されているわけでもない)ので私は、とりあえず歩き回ってみることにした。
よく考えてみれば、私の世界はまだこの部屋だけにとどまっている。ここは一つ自分の世界を広げてみるのも悪くないだろう。
そう思い立った私はベッドから起きあがり部屋から出ようとした。
廊下に出た私はいまいちうまく働かない足を思いやりながらとりあえず廊下を歩いてみようと思った。この施設がどんな構造になっているかは知らないが、歩いていれば何かに出会えるだろう。不思議な期待を込めながら、ゆっくりと一歩ずつ足を進めていく。
と言っても病み上がり、と言うか、起きたばかりの私の身体は思うように働いてくれず、息も絶え絶えになってしまう。
ちょうどそばにあったソファに腰を下ろすと私はため息をついた。後ろを見てみると、まだ私の病室のドアが見える。まだ10メートルも歩いていない。
「衰えたものだな。」
と再びため息をつこうとすると、廊下の向こうから見知った顔の女性が歩いてきた。アリアだ。
「あ、ちょうど今呼ぼうかと思ってたのよ。」
ソファにパジャマ姿で座っていた私を見ると彼女は感心したような表情を浮かべた。
「なぜだ?」
私は彼女の顔を見上げた。首を無理にそらせるのは正直かなり辛い。今気づいたのだが、私の体格はかなり小柄らしい。アリアも比較的小柄に見えるが、私はさらに小柄のようだ。何か、複雑な感じがするが・・・。どうしてだろうか?
「いろいろと検査したいことがあってね。」
「検査?」
実験の間違いではないのか?と言う言葉が一瞬頭をよぎったが口には出さない。
「ええ、いろいろと。」
彼女の持つバインダーもその検査の一つなのだろうか?私は立ち上がることにした。背が足りないため、残念ながらその中身までは拝見することはできなかったが。
「これからしたいのだけど・・・いい?」
「病み上がりの身体に負担にならない程度だったらいいぞ。」
ふと、私は、この言葉遣いも改めなければいけないかなと思った。本人ですらまだ納得したわけではないが、私は女性なのだ。
「ええ。それはもちろん。だけど、起きてまだ2日ぐらいしか立っていないのに、これだけ歩けるようになるなら。そうね・・・あと1週間で退院できるかもね。」
「行くあてはないがな・・・。」
私は、彼女に聞こえないようにつぶやいた。彼女は本当に聞こえていなかったのか、それとも聞こえなかったふりをしているのか、答えようとしなかった。
「それじゃ。病室に行きましょう。支えはいるかしら?」
ようは肩を貸そうか?と言うことだ。
「いいや。別に必要ない。大丈夫だ。」
ここまでこれたのだから帰ることぐらいできるだろうと思った。
「そう。」
アリアは安心したような表情を浮かべると、病室に向かって歩き出した。私はゆっくりとだがそれについていく。
「そういえば、シャワーとか浴びたくない?まだ、体を洗ったことないんでしょう?」
確かにまだ私は起きてシャワーを浴びていないな。汗をかいていないから臭うということもないが、女性である以上そういうことには敏感であるべきか。いまいち実感がわかないがそう思うことにした。
「そうだな。お願いしようか。」
私は素直に答えることにした。
「後で場所を教えるわ。」
よい気分転換になるだろう。
そんな期待もあって、世界を広めるべく部屋をたった私は、すぐに引き返すこととなっても、比較的心安らかにいられることができた。
検査と言ってもアンケートのようなもので、結局私は知識的なこと以外何も覚えてないという証明にしかならなかった。
そもそも冷凍保存されていた(言葉は悪いが)理由すらはっきりしていないのだ。その上100年も眠らされているとなると、いろいろと弊害が出てくるのだろうな、などと漠然と思っていたが、事態は思ったより深刻だった。
そもそも冷凍保存されている人間というのはまれなことでそれが、昔の技術上100年も持続して生きていられることはまずないというらしい。つまり、私はとっくの昔にあの世に逝っていても何ら不思議ではなかったということで。流石にそれを聞かされるとぞっとしない気分だった。
まあ、そのほかにもいろいろとつまらない検査をされて少し疲れた。
と言うわけで、というか、もっかの予定通り、私は今シャワールームにいる。
今は誰も使っていないらしく、私以外の人は見あたらない。脱衣所に立てかけてある大きな鏡を見ると細い線をした美少女と言えるような顔が映っていた。いうまでもない、自分の顔だ。
しかし、自分の顔をまるで他人のようにしげしげと見るのは落ち着かない感じだ。
「はあ・・・。」
私ははばかりもせずに大きなため息をついた。シャワーを浴びるには当然服を脱がなければならないわけで・・・。
まあ、くよくよしても仕方ない。
私は意を決して上着のボタンを外し始めた。
鏡の中の少女はその身をどんどんあらわにしていっている。
白い肌、細い腕や腰、儚いつぼみを思わせる胸や純粋さを象徴するかのような白い下着。
それらすべてが私を惑わせるように思われた。
正真正銘の女体にタオルを巻き付けて私はいそいそとシャワールームに入った。シャワールームは大きな部屋を小さな個室に分けているようで、一部屋にだいたい7こぐらいの個室があるようだ。
私は一番奥の部屋を選ぶと駆け足で入り、バタンとドアを閉め、やれやれとため息をついた。
「さっさと済ませてしまうか。」
黒ずんだ銀色を呈するシャワー口を見上げ、私は手元にあったコックをひねった。
流石にここら辺は何ら変わりないようだ。もっとも、いきなり熱い湯が降ってくるわけでもなく、また、いきなり冷水が降ってくるわけでもない。
設定した温度が始終維持されるのはありがたい限りだ。
こう思ったら、私はかなり古い時代に生きていたということになるが。100年前・・・・十分古い時代か・・。
私はため息と共にタオルを外して雨のごとく降り注ぐ水を見上げた。したたるしずくがまるで涙のように白い肌を滑る。
「なぜこんなことになってしまったんだ?」
私はそう漏らした。
私が女性であることはこれで明白になった。私の身体が正真正銘の女体であったことからいってこれは疑いのないことだ。
だったらなぜ、私はこのことに違和感を持っているのだ。私は当初、起きたばかりだからこんな感覚になるのだと思っていた、日がたてばこの違和感は消えるものだと。そう信じていた。しかし、それは消えるどころかどんどんふくれあがっていく一方で収まることがない。ひどく不愉快な感覚だった。
『性同一性障害。』こんな言葉を聞いたことがある。いわゆる、男性であるのに女性の感覚から抜け出すことができない、自分が男性であることに違和感を持つ。または、女性が自分が女性であることに違和感を持つような、そんな精神病だ。
ちなみに、その単語の前に『解離性』という言葉がつくと、俗に言う『多重人格障害』になるが、そんなことはどうでもいい。
しかし、私の場合はどうか。
私は女性の肉体を持っている。しかし、精神は男性のそれなのだろうか?
もし、私がそう聞かれたら否と答えるしかない。もっとも精神が男性よりなのは曲げることはできないが。もし、逆に私の身体が完全に男性のそれだったら。私はなんの違和感も持たずにいられたであろうが。
その答えも否だ。断定できるわけではないが、私にはそう思えてならない。
私は男性でも女性でもないのかもしれない。もしかしたら両方であるか、いや、本来は両方になりえたのではなったのだろうか?
・・・・・ばかばかしい。両方になりえたなんて、私はいったい何者なのだ?これでは、天使かモンスターではないか。
私は自嘲的な笑みを浮かべるとシャワーの水の量を抑え、タオルにソープをつけ泡立てた。少しの量でよく泡立つ。なかなかいいソープをつかっているようだ。
私は、適当に身体をごしごしとやった。所々突起り、へこんだりしているものをタオルでなでるのは何とも言えない感覚だが、やがて慣れるだろう。
身体を泡だらけにしながらもシャンプーを手にとって短くカットされた髪を洗う。シャンプーが少し目に入ってしまったが不思議と痛みを感じない。
「そういう素材なのか?」
私は薄目を開けてシャンプーの成分表示を見てみたが、あまりよく分からなかった。というのは、知っている物質名に混じって聞いたことのないような成分が含まれているからだ。
「まあ、いいか・・・。」
私はシャワーの水量を上げて一気に石けんとシャンプーの泡を洗い流した。
「ふう・・・。」
髪に残った水滴を適当にはらうと、シャワーを止め、固く絞ったタオルをでそれを丹念にふき取った。そのままタオルを頭に巻くと個室を出て脱衣所の扉を開けようとした、
「・・・!?」
私が扉に手をかけようとしたところにガラガラとドアが開かれタオルで前を押さえた見慣れない女性が面食らった表情で私の前にいた。
「失礼した。どうぞ。」
私が道(?)を譲ると、
「あ、すみません。」
と言いながらその女性はおずおずとシャワールームの中に入っていった。
「あ!」
私がようやく脱衣所に入れると思ったら、その女性は短く声を上げた。何事かと振り向くと彼女も振り向いて私を見ていた。
「あなた。最近コールドスリープから目覚めたっていう。」
ああ、そうか。私が見覚えがないと言うことは当然初対面のはずだ。
「ああそうだ。初にお目にかかる。・・・宮野有希と呼んでくれ。」
一瞬自分の名前を忘れてしまっていた。ここまで自分の名前と自分をつなげられないのも問題だ。
「私はクレア・ローニア。よろしく。」
二人ともとりあえず程度に自己紹介をすませた。私のことはこの施設の誰もが知っているとして、クレアと名乗った彼女はどうやらアリアの助手のようだ。
意外にもアリアはこの施設の責任者の一人でかなりの重役に就いているというらしい。いったい幾つなのだろうか?
ふとそんな疑問がわいてくるが、それは私のくしゃみによって遮られる。
どうやら湯冷めしてしまったらしい。
「あ、ごめんなさい。こんなところで立ち話をするなんて。だめねえ。私の悪い癖だわ・・・。この前だって。」
とさらに長話に発展しそうな気配を察知すると、私はすかさず、
「また後でゆっくりと話し合いましょう。」
と、なるたけ穏やかな女性らしい口調でそういった。
「そうね。この施設、人が少ないでしょう。今夏休みじゃない。話し相手がいなかったんだ。」
なるほど、私はいい話し相手になりそうだということか。
「楽しみにしてるわね。」
そういう彼女に向かって適当に会釈をすると、ドアを閉めた。
「やれやれ。」
なにやら私はどっと疲れたような感じがした。どうして女性というのは(私も女性だが)ああもおしゃべりが好きなのだろうか。
私はいそいそと用意された服に着替えると脱衣所を出た。