沁みこんでいく
雨は昔から嫌いだった。
「…うん、わかった。今までありがとう。また、今度会う時は…友達として、ちゃんと接しようね。…うん…じゃあ、またね。」
はじめて自分から、通話終了のボタンを押した。
そして、恋人としての彼との最後の通話を証明する、無機質な記録が浮かび上がる。
その画面を見ることもできず、スマートフォンをポケットにしまって上を向く。
灰色に染まる、いまにも泣き出しそうな空が、私の瞳とリンクする。点と点が繋がってひとつの線になることで、堰き止められていたものがこぼれ落ちてゆく。
ああ、今日だけは、雨を好きになれるかもしれない。私の顔を乱した原因を、擦り付けさせてくれるから。
ポケットから、振動が伝わる。
仄かな希望が湧き、スマートフォンを手に取る。しかし、通話開始ボタンを押して、スピーカーから流れてきた声は、私のこの悲しみを沈めることはなかった。
「…そっか、ちゃんとお別れ、告げてきたんだな」
状況を察してすぐさま駆けつけてくれて、私を家まで送り届けてくれて。濡れた髪をタオルで拭きながら、君はわたしの悲しみも拭おうと言葉を紡ぐ。
ひとつひとつの慰めは心にじんわりと温かさをくれるけれど、それはわたしのほんとうに欲しているものではなかった。
それを君は知っている。
でも、わたしがいま一番してほしいことをしてしまえば、いまの距離感を崩してしまうことも、君は知っていた。
なのに。
「ねえ、髪だけじゃなくて、ここもふいて。ほら、このへん」
そうやって、君のわたしを拭く優しい手を掴む口実をつくって。そして、勢いで。
君と私との間に、薄く貼られていた壁を焼き焦がす口付けをした。
君はわたしを突き放そうとする素振りをみせた。でもわたしは君の優しさを拒んで、知らない振りをして、強く抱きしめた。
もう、君は拒まなかった。
「…お前とのキスは、もっと甘いって思ってた」
君の瞳に、ひどい顔をしたわたしが映り込む。そして、わたしの瞳には、君のその物憂げな傷ついた顔が映っているのだろう。
こうして致してしまっても、お互いを埋めることはないことを、知っていたはずなのに。
わたしの本能が、君の本能が、そして悲しみが2人を狂わせてしまった。
「…ごめん、ごめん。…ごめんなさい」
「…謝んな。俺だって、お前のことを拒めなかった。…今日は、もっと泣けよ。
…お前のそのひどい顔を晒せるの、俺くらいしか、いないだろ?」
ああ、そうか。
君がわたしを抱いたのは、今ま保ってきたものを壊してでも。
わたしの深い悲しみをさらけ出して、2人で共有することで、楽にしようとしてくれたから…なんだろうな。
君の優しさに、わたしは応えきれない。
でも、今日は。今日だけは。
その優しさに、甘えさせて。
弱いわたしを、許して。
雨音が、わたしと君の傷に沁みこんでいく。
その痛みはきっと。
雨を、もっと嫌いにさせるんだろう。