ニセップル作戦
「私とカゲチー、つ、付き合うことになったの!」
兄が仕事場より帰宅して早々、影近からも促されて、ついに宣言してしまった。
これでもう引き返すことはできない。
兄に、清一に本音をいわせるための作戦――ニセップル作戦決行だ。
長い沈黙が、その場を重苦しくさせた気がした。でも、本当はたぶん一瞬で、兄が口を開くのにも、そう時間はかからなかった。
「あぁ……うん、そうか」
予想はしていたけれど、兄の反応はあっさりしたものだった。少しは、取り乱す様子を見せてくれるんじゃないかという期待は正直、あった。それだけに、ちょっと残念だった。
さて、宣言したはいいけれど、ここからどうすれば……と考えあぐねていると、隣に立っている影近が、私の肩を抱いてきた。
「え? カゲチー?」
焦って影近を見上げると、彼も兄に向かって宣言をする。
「お兄さんとは面識もあるし、ちゃんと挨拶しておかないと、と思いまして。なんといったらいいのか分かりませんけど……これから妹さんと交際させていただきます。本田影近です。よろしくお願いします」
「あ? あぁ……うん」
「どうかしましたか?」
「いや別に。ヨロシクホンダクン」
……あれ? 何の動揺も見られないと思っていたけれど、影近に対する兄の態度が、どこかぎこちないことに気づく。緊張しているわけじゃなくて、何か感情を抑えているような。
やっぱり嫉妬してる? と、兄の真意を探ろうとしても、心の中までは見えない。兄の顔を凝視していると、影近が私に向き直った。
「じゃあな、あや。今日は帰るから」
「あ、うん。また明日ね。カゲチー……」
帰るという影近に、バイバイと手を振ろうとした私は、次の瞬間、固まることになる。
私の前髪をそっとかき分けた影近が、なんとそのまま私の額へと口づけたのだ。
「え!? か、カゲチー!?」
「また明日」
口づけられた額を押さえ、顔を赤くする私を置いて、影近はさっさと我が家を後にしてしまった。
後に残ったのはもちろん、私と兄の2人だけ。
たしかに恋人のフリをするとはいったけれど、これは気まずすぎる。
「えーっと……晩ご飯、作ろっかなぁー。お兄ちゃん、カレーとシチューどっちがいい?」
目を合わさずに、できるだけ明るい声音を意識して訊いてみるけれど、兄からの返事がない。仕方なく清一の顔を見ると、彼はまっすぐこちらを見ていた。その真剣な眼差しにドキリとする。
「……なぁ。あいつと付き合うって、本気?」
「う……」
いつもより1トーン声の低い兄から、謎の威圧感を感じる。でもいわなければ。もうニセップル作戦は始まっているのだから。
「……うん」
「声小さいなぁ……」
「っ!?」
やっとの思いで1つ返事をしたら、兄は私の両腕を抱き寄せるようにして、ぐっと顔を近づけてきた。
キスされる!? と、反射的に目を閉じて固まった。しかし兄が私に降らせたのは、キスではなく、無情な言葉だった。
「お前にはまだ早いよ。彼氏なんて」
「……え?」
「恋愛に憧れるのはわかるけど、憧れてるうちはまだ子どもなんだよ。もう少し大人になって、本当にずっと一緒にいたいと思えるような人に出会うまでは……」
「……うるさい」
何をいうのかと思ったら、やっぱりいつもと同じ子ども扱い。
ずっと一緒にいたいと思える人? それならいる。目の前に。だから好きだといっているのに、相手にしないのはそっちじゃないか。
私は無性に苛ついて、掴まれていた腕を振りほどいて、兄の胸を突き飛ばす。
「っ、あや!」
「うるさい! どうせ子どもだよ! でも好きなんだからいいじゃん、付き合ったって! もう放っといて!」
追いかけてこようとする兄から逃れるように、階段を駆け上がって、自室に閉じこもる。
今朝まで兄のことを好きだといっておきながら、放課後になって突然、彼氏ができたなんていっても、本気だと受け取られるわけがない。好きでもないのに、彼氏を作ったのがバレバレだ。
自分から紹介しておきながら、放っておいても何もないな……と、自己嫌悪にかられながら私は、その日は自分の部屋から1歩も出なかった。