立場逆転
「あやぁー……」
「なーに、お兄ちゃん。あんまりくっつかないでよ」
「あーやぁー……」
清一と気持ちの通じ合った翌日。朝食の席でさっそく密着してくる兄を引き剥がすのに、私はとても苦労していた。
今日は起床してすぐ、バッタリ廊下で遭遇した兄に掴まり、ハグしてこようとする彼を押し返し、洗面所で顔を洗い、歯を磨いているときにもずっとガン見され、隙を見ては触れてこようとする清一を拒否し続けるのは大変だった。
そして今に至る。横並びで座る兄は、私の椅子に自分の椅子を隙間なくくっつけてきて、さっきから私の頭や腕をベタベタ触ってきている。それでいて朝食も順調に食べ進めているから、無駄に器用だ。
「もうっ。触っちゃ駄目だってば」
「なんだよぉ。じゃあ……はい、あーんして」
「……しない」
二の腕に触れていた清一の手を払いのけると、今度は私の皿に乗っていた玉子焼きを勝手につまんで私の口元に持ってくる。ちょっと迷いかけたけれど、それも断固拒否だ。
「なんでだよ。あやもよく、お兄ちゃんにしてくれたじゃないか、あーん」
「兄妹同士であーん、なんてしないの」
「兄妹でもするだろう。これくらい、してくれてもいいじゃないか」
どこかしょんぼりした表情の兄に、心が揺らぎそうになるが、まだ私たちは兄妹同士。カップルのようにイチャつくわけにはいかない。
「それにお兄ちゃん……」
兄の気を逸らすために私は、食卓の向かいに座った2人へと視線を向けた。
「親の前でイチャつくのは、嫌なんじゃなかったっけ?」
例のごとく、両親は私たちのやり取りを正面から見守っている。しかし明らかに、いつもとは迫る側が逆になっていることには、さすがの両親も驚いたようで、不思議そうな顔をしている。
「なんだお前たち。いつもとは立場が逆じゃないか。何があったのか知らんが、あやが嫌がっているだろう。やめなさい、清一」
「あやが俺に迫ってた時には止めなかったくせに……なんで俺の時は応援してくれないんだ。父さん」
不満そうな声を漏らす清一に、母が朗らかに語りかける。
「まあ。どうしたの。昨日は清ちゃん、あやちゃんが部屋から出てこないーって、すっごく落ち込んでたのに。仲直りしたのね?」
「う……うん。まあね……」
「その割には、ずいぶん嫌がられてるな。もしかしてお前……あやに変なことしたんじゃないだろうな」
「してない! これには事情が……って、もう出ないとっ」
怪しむ父の視線を受けながらも、時計を見た兄は急いで席を立つ。慌てながらも、きちんと食器をシンクへ持っていこうとする清一を、母がやんわりと止めた。
「いいのよ清ちゃん、置いておいて。お仕事、気をつけていってらっしゃい」
「ありがとう母さん。じゃあ、あや……」
トーストを齧っていると、玄関へ向かう前に兄が、私に向かって身を屈めてきた。キスされるのではと、身を引きかけたが、そうはせずに耳元で "あのことで詳細が決まったら、いってね" と囁いてきた。
私はそれに頷いて、今度こそ兄に手を振って送り出したそうとしたのだが……一瞬の隙を突かれ、頭のてっぺん辺りにキスをされてしまう。ふんわり柔らかい感触が、何気に恥ずかしい。
その光景もばっちり目撃していた両親が、声を上げる。
「きゃあ!」
「やるな……」
恋愛映画のワンシーンでも見たかのような母の喜ぶ声と、父の感心したような声を背に、清一は今度こそ家を出ていった。
私はというと、さっき兄から囁かれた言葉により、前日の夜のことを思い出していた。
「私まだ、お兄ちゃんとは付き合えない」
昨夜、私がそういい切った時の兄の表情は、間抜けといっては可哀想だけれど、まさにそんな顔だった。
「ん? ん? なんていったんだ、あや?」
「だから、お兄ちゃんの気持ちは嬉しいけど、まだ、お兄ちゃんとは恋人同士にはなれないの」
「……は!? なんで!」
私は先日、影近と交わしたばかりの約束のことを、兄に話した。
影近は春奈のことが好きだけれど、肝心の影近が春奈との関係を積極的に進める気がなさそうだったため、私が2人の仲を取り持つと約束したこと。それが今回のニセップル作戦を提案し、協力してくれた2人に対する恩返しになるだろうと、私は考えていること。
そう真剣に話してみたが、清一の表情は渋いままだった。
「いやいや、ちょっと待って。100歩譲って、その2人の仲を取り持つのに協力するのはいいとして、なんでそれで、俺とあやが付き合っちゃいけないことになるの? 俺は何のために、長年秘めてきたあやへの気持ちを打ち明けたのかなぁ?」
顔を引きつらせる兄に、私は申し訳なさそうに返す。
「カゲチーと春奈がうまくいくまで、私とお兄ちゃんも付き合わないって、条件つけたの。私が勝手にだけど。だから、それまでは私もお兄ちゃんに触るのやめるから、お兄ちゃんも私に触っちゃだめだからね」
「……え? 触るなって……触るなってこと? 嘘でしょ。無理無理」
「なんで? 今までだって、私がベタベタしても、お兄ちゃん平気だったじゃん。っていうか、さんざん突き放されたし」
ならば、影近と春奈の仲がうまくいくまでの間、触れ合わないくらい余裕だろう。むしろ私のほうがつらく感じるはずだ。そう思っていたのだが、清一はとんでもないという風に頭を抱える。
「いや無理……あのね、あや。あやからどれだけ体を密着させてこようと、キスされそうになろうと、今まで俺が平然としていられたのは、兄妹っていう境界線をきっぱり引いてたからであって、その線引きを越えた今となってはもう、あやに触らないなんて選択肢、ありえないからね? なんなら今も押し倒しそうだからね?」
「えっ……でもお酒飲んだ時は、越えてたじゃん。その、境界線?」
「……それは、まぁ、酔ってたし。勢いというか、次の日には忘れたふりして、またお兄ちゃんに戻れば問題ないし」
さっき、このことで私に泣かれたせいもあり、バツが悪いのか、歯切れも悪い。
しかし私も、勝手にした約束とはいえ、やっぱり影近の力にはなりたかった。
「ごめん。でも私、お兄ちゃんの彼女になるためにも頑張るから。カゲチーたちがうまくいったら、いっぱいデートしようね」
「なんかもう、勝手に話終わらせようとしてるね、あや……」
はぁ……と呆れたような溜息を吐かれて、嫌われたかな……と急に怖くなる。でも兄は私の頭にそっと手を置いて、優しく語りかける。
「……わかったよ。あやがそうしたいっていうんなら、俺も応援しないとね」
「っ、お兄ちゃん! ありがとう!」
「そのかわり、俺も協力するから」
「え?」
思わぬ兄の申し出に、私はあっけにとられる。清一は、影近のことを嫌ってしまっているだろうから、影近に協力するようなことなんて、絶対にしたがらないと思っていた。ましてや、自らなんて。
「お兄ちゃんも、カゲチーたちにうまくいってほしいの?」
「いいや? まったく興味ないよ? 大体あや以外の人間に興味ないからね、俺は」
きっぱりと否定。
「ただまあ……あれだよ。うん」
「えー……なに?」
曖昧な清一の応えは気になったけれど、ひとまず影近の恋に協力する了承は得られた。
そのあとも、どうやって影近と春奈の距離を今よりも近づけるかを兄と話し合った結果、まずは2人をデートさせてみようということになった。
さあ、新たな作戦を決行する時がきた。