衝撃
昨日はさんざんだった。
兄の前で影近と恋人同士のフリをしたはいいが、それが原因で、兄とはいざこざを起こし、自室に一晩中閉じこもっていた。今朝も顔を合わせるのが気まずくて、兄が会社に出勤した後にやっと部屋を出たため、危うく学校に遅刻しかけた。
「どうしようカゲチー……お兄ちゃんと会いづらいよ……」
現在は学校が終わり、放課後になってからさっそく影近を自宅に招いて、例のごとくリビングでシミュレーションゲームをしている。1人用ゲームだから、私がプレイしているのを、影近はただ見ているだけだが。
あと数十分もせずに兄も帰宅して、嫌でも顔を合わせなければいけない。それを考えると、ソワソワして落ち着かなくて、意味がないとわかっていても影近に助けを求めてしまう。
しかし影近は気にした様子もなく、ケロリといった。
「いや、別にいいんじゃないか。今のこの状況で」
「え、何いってんの。カゲチーは見てなかったけど、昨日あの後、すっごいお兄ちゃんと嫌な感じになって、私、お兄ちゃんのこと突き飛ばしたりしたんだよ? あんなケンカしたの、初めてだよ……お兄ちゃんのこと怒らせたかも…………嫌われてたらどうしよう……」
「いや、ケンカっていうのかそれ。あの兄さんがお前のこと嫌うとかも、考えられねぇけど」
影近はフォローしてくれるけれど、考えれば考えるほど、兄と会うのが怖くなってくる。ニセップル作戦は、あくまで兄の気を引くためのものであって、気を引く前に嫌われてしまっては、元も子もない。
しかし影近は、さらりと補足する。
「だからさ。この作戦は、兄さんに妬かせるのが目的なんだろ? だったらいいじゃないか。妬いたからこそ、兄さんも俺とあやを別れさせようとしたわけだろ」
「うん……? 妬いたのかな?」
「十分、妬いてるよ。いや、そんな可愛いもんじゃない。昨日、俺が挨拶した時、すげぇ殺気、感じた」
「えぇ? ほんと?」
「昨日だけじゃない。今まで春奈や丸助と何回かあやの家、来たろ? そのたび、兄さんと顔合わせると、俺や丸助にも殺気飛ばしてたよ、あの人」
「え……」
それは全く気が付かなかった。ただの男友達相手に、兄が妬いていた? やっぱり、にわかには信じがたいが、もしそれが本当なら、影近たちには悪いけれど、なんだか嬉しい。
「っていうか、丸助にも?」
「うん。あいつ中身はそうでもないけど、見た目チャラいし。何よりあやのこと好きだろ、あいつ」
「うーん…………ん!?」
ちょっと待て。今何か衝撃の、寝耳に水の発言があった気がした。
「え。ごめん。今、丸助が……なんて?」
「だから好きなんだよ。丸助はお前のこと」
「えええええぇっ!!?」
いやいや、まさか。そんな話、本人から聞いてないよ? っていうか、そういうのって、本人以外の口からいっちゃ、駄目なんじゃないの? なんで、さらっといっちゃってるの?
「ま、まさかぁ……丸助が私のこと好きなんて…………影近に、そういったの? 丸助が」
「いや、俺が勝手に気づいただけ。あいつはあやに伝えるつもり、ないんじゃないか」
伝えるつもりないのなら、なおさらダメなのでは? なんでいったし。
テレビのゲーム画面を見つめる影近の横顔からは、その真意が読み取れない。かといって、人の秘密を勝手にバラしたら駄目じゃないかと説教する気にもなれない。なんだろうこのモヤモヤは。
「はぁ……なんかカゲチーが、春奈に見えてきた」
「なんで春奈?」
「人の秘密を大胆に暴露しちゃうところが、そっくり」
私が兄に想いを寄せていることは、本当は男友達の影近や丸助には、教えるつもりはなかった。しかし、隠し事のできない春奈に初めに相談したのがそもそもの失敗で、あっさりと秘密はバレされて、恥ずかしい思いをする羽目になった。もう今となっては、吹っ切れているところもあるが。
「春奈は……悪気はないと思う。あやのことを大事に思ってる」
影近なりに、想い人を庇おうとしているらしい。私もなにも、春奈を悪い子だとは思っていない。長い付き合いだ。
「わかってるよ」
丸助の件も気にならないといったら嘘だけど、それよりも当面の問題は、兄である清一とのことだった。
村づくりのゲームを淡々と続けながら、無心になろうとするけれど、清一のことを考えると、胸のモヤモヤは消えてくれない。
「おい、何の建物だよそれ。心が乱れてるんじゃないか」
「ううっ……そりゃそうだよ」
石を積み上げて砦を作りたいのに、うまくいかない。さっきから、いつもはしないようなミスを何度も繰り返していて、一向にゲームが進行しない。
「でも、昨日閉じこもってたっていうわりには、動画2本も上げてたよな」
「だって、暇だったんだもん。お兄ちゃんのことも考えたくなかったし、そういう時はやっぱりゲームでしょ」
「現実逃避な。内容は酷かったけどな」
「いわないでよぉー……」
そう。昨日、兄ともめて部屋に逃げ込んだ私は、勢いだけで実況動画を2本撮り、サイトにアップしていた。あえて操作性が悪く、難易度の高い山登りゲームをやっては発狂し、視聴者がくれるコメント欄には、大丈夫ですか!? と心配される声がいくつもあった。
「……はっ!」
「ん? なに?」
「お兄ちゃんの車の音がした……」
どうやら帰ってきたようだ。たしかにあのエンジン音は、兄の車のものに間違いなかった。ガレージに車を停めたらすぐに家に入ってくるだろう。
「そうか……えーっと、俺どうしよう。帰ったほうがいい?」
「ダメ! 帰んないで! 1人にしないでぇ!」
むしろ、影近を今日家に呼んだのは、私1人で兄と顔を合わせるのが、心細かったからだ。今このタイミングで帰られては、彼を家に呼んだ意味がなくなる。
ほどなくして、玄関の鍵が開く音がする。そしてまっすぐリビングルームへ向かってきた清一が、部屋へと入ってきた。
「あ、あや……」
私を視界に入れた兄の表情は、なぜか少し泣きそうに見える。目が赤いせいだろうか。いったいなぜ? と気になるけれど、気まずさから、おかえりの一言もいえずに、口をパクパクさせてしまう。すると、影近が私を呼んだ。
「え。なに?」
「ごめん、あや……」
私にしか聞こえないような声量で、囁くように謝られる。
何がごめんなのかと聞き返す間もなく、私の唇は――影近の唇に塞がれていた。