第六話「四人でパーティ」その2
そしてときは火曜日、場所は異世界。マジックゲート社ヴェルゲラン支部、その建物の前。
巽はおろし立ての鎧を身にしてパーティメンバーを待っている。少し前にメルクリアン商人の罠にかかってヴァンパイアと戦う羽目になり、死ぬような目に遭い、鎧も全損してしまった。この鎧はメルクリア評議会が慰謝料代わりに巽に進呈したもので、完全な新品だ。普通に買えば千メルク以上するのは間違いなく、値段に応じて高性能だった。
「ふっふっふ。これでまた防御力がアップしてしまったぜ」
と巽は一人、不気味にほくそ笑んでいる。
「死にかけたとは言ってもたった三日入院しただけだし、悪くない取引だったな。またあんなことがあれば今度は魔法剣を――」
非常に虫のいい皮算用をしていた巽は不意に正気に戻り、ガントレットの両掌で両頬を張った。
「何考えてるんだ、俺は。あのヴァンパイアに手も足も出なかったのをもう忘れたのか。あの人達の助けがあとほんのわずか遅かったら俺も深草もあそこで死んでいたのに……」
安全第一、生命を大事に、と巽は呪文のようにくり返し唱えている。そこに、
「あの、花園さん?」
「お、おう。おはよう、深草。今日も安全第一で頑張ろう」
しのぶが姿を現し、巽は挨拶をする。しのぶも「はい、安全第一で」と笑顔を見せた。さらに程なくして美咲がその場へとやってくる。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「おはよう。今日は頑張ろう」
美咲の職業は侍であり、武器はもちろん日本刀。装束もそれらしい小袖と袴で、小袖の下には鎖帷子を着、籠手や臑当も装備している。それに三日月の模様の入った羽織に、頭部には鉢金と、新選組みたいな格好だった。
「ところで紫野さんは?」
巽が訊ね、美咲がそれに答える前に「美咲ちゃん早いー」と文句を言いながらゆかりが現れた。ゆかりが着ているのは標準的なメイジのローブで、手にしているのは長目の杖だ。
「おはよー、みんなー」
とゆかりが明るく挨拶をし、巽達もそれに応じる。
「それじゃーみんな、今日はモンスターをがんがん狩って、じゃんじゃんばりばり稼いじゃおー!」
とゆかりが気勢を上げるのに対し、
「お、おー……」
と中途半端にでも応えたのは巽だけで、しのぶは「は、はい」と困ったように言うだけ。美咲はきっぱり無視していた。
……転移魔法を使い、中継地点をいくつか挟み、巽達は予定通り第二一三開拓地へとやってくる。さらに開拓地から転移魔法を使ってベースキャンプに移動。木製の柵に囲まれたそこを出た先が狩り場である。
「さて。この狩り場を使うのは初めてだし、出てくるモンスターもレベル一〇だ。決して無理をせず、慎重に行こう」
巽が穏やかに、だが断固としてそう言う。しのぶとゆかりは頷き、美咲も反対はしなかった。
ベースキャンプを出、森の中へと入り込み、延々と歩くこと半時間。巽達は未だモンスターを発見できずにいた。
「この狩り場はギガント系のモンスターが多く出るって話なんですが……」
「なかなか見つかりませんね」
「まだ一時間も経ってないだろ」
モンスターが見つからないことに美咲は失望している様子で、巽はそんな美咲に苦笑する。
「丸一日歩き回って空振りだったこともあるし、休む間もなくモンスターに襲われ続けたこともある。こういうのは巡り合わせだ、焦ったって仕方ない」
説教じみた巽の言葉に美咲は何も言わない。一同は口数も少ないままさらに三〇分ほど歩いた。ベースキャンプを出て一時間が経ち、巽達はようやくモンスターの姿を発見する。
「見つけました、ギガントサーペントです」
としのぶ。彼女が指し示す先には体長三メートルを超えそうな大きな蛇がとぐろを巻いていた。ギガント系モンスターの多くがそうであるように、ギガントサーペントもまた「単に巨大化した蛇」であり、毒や特殊攻撃を有しているわけではない。だが、
「来ました……!」
ギガントサーペントが身体をうねらせながら巽達へと向かって突進してくる。大きな身体というのはそれだけで充分な脅威であり、巽は身を固くして剣を強く握り締めた。その巽を追い抜いて、美咲が一人で前に出る。
「待て!」
だが美咲は止まらなかった。静かに剣を抜いた美咲に向かい、ギガントサーペントが突っ込んでくる。大地を踏み締めた美咲が刮目し、
「――破月剣!」
わずかに身体をひねった美咲が日本刀を一閃する。ギガントサーペントはきれいに二枚に下ろされ、二つに分かれてじたばたと地面でもがいている。巽がその頭部を破壊してとどめを刺し、その魔核を回収した。
美咲は「ふむ」等と言いながら懐紙で剣に付いた血と脂を拭き取っている。
「……大したもんだな」
巽は複雑な思いを抱きつつもそれを隠して美咲を賞賛する。美咲は、
「それほどでもありません」
と言っているが内心では鼻高々な様子が見て取れた。
「ところで技の名前を呼んでいたけど、もう固有スキルを?」
「いえ、違います。わたしの実家は古流剣術の道場で、戦国時代からの流派を受け継いでいるのですが」
ああ、と巽は納得する。
「その流派の奥義を使っているのか」
「いえ、あれはわたしが考えた必殺技です」
巽はずっこけそうになっているが美咲はそれに気付いていない様子だった。
「流派の奥義は『月読の太刀』――ですがこの奥義は秘伝であり、わたしはまだ伝授されていません。わたしの固有スキルが剣に関するものになるのは間違いありませんし、その名は『月読の太刀』以外にはあり得ないのです」
巽は「なるほど」と小さく頷く。少女には何の疑いも、陰もない。自分がいずれ強力な固有スキルに目覚め、近い将来青銅クラスまでたどり着けると確信している。
「固有スキルに目覚めないのではないか」
「貧相な固有スキルしか得られないのではないか」
「青銅クラスになれないまま終わるのではないか」
そんな疑いを持ったことはまだ一度もないのだろう。そんな彼女のあり方は眩しく、輝かしく……それ故にもろく危ういように思われた。
巽達はモンスターの縄張りに足を踏み入れていたようで、その後は調子良くモンスターの姿を見つけることができた。出現したモンスターはギガントサーペントが何匹かと、ギガントリザードが何匹か。
「繊月剣!」
「円月剣!」
美咲はオリジナルの必殺技を使ってモンスターを屠っている。呼び方が違うのでそれぞれ別の技を使っているらしいが、剣術にそこまで詳しくない巽はその違いを理解することができなかった。
「……それが花園さんの戦闘スタイルなんですか?」
「いや、この間かなりの高順位の人の戦闘を見る機会があって、真似してみようかと」
今日の巽が使っているのはカットラスという武器で、ゆかりに「加速」の支援魔法を使ってもらい速度重視で戦っていた。が、手本である「疾風迅雷」と比較すれば蝸牛のようにのろまな、子供の真似事でしかない。それが理由の一つとなり、モンスターを倒して魔核を回収するのは主に美咲で、巽は美咲の半分も魔核を回収できないでいた。
「ふふん、もう六〇メルクは稼いでいるでしょうか」
と美咲は勝ち誇っている。差をつけられた巽は無言で肩をすくめるだけだ。その様子を後ろから眺め、
「……うーん」
とゆかりは眉を顰めていた。
「美咲ちゃんにはちょっと困っちゃうよねー」
しのぶは「そうですね」と同意する。
美咲よりも何倍も問題児のように思われたゆかりだが、非常にそつなくメイジとしての役割をこなしていた。状況を的確に把握し、必要なときに最適な支援魔法をかけてくれる。
「俺にはもう支援は要らない。魔法をセーブして魔力を温存してほしい」
「ん、りょーかい」
巽の指示にも逆らうことなく素直に従っている。「優秀なメイジ」という高辻の評価に嘘はなく、どこのパーティでも歓迎されただろう彼女を紹介してくれたことに、しのぶは改めて感謝していた。
それに対して美咲は増長する一方で、しのぶは密かに苛立ちを深めている。
美咲がギガントサーペントと斬り合っているその後背で、美咲を狙って急降下してきた吸血コウモリを巽が斬り捨てた。が、美咲はそれに気付きもしていない。そしてギガントサーペントを屠ってからようやく巽が吸血コウモリを何匹か始末したことを知り、
「そんな小物なんて放っておけばいいのに」
軽侮をにじませて放言する。しのぶの機嫌は急速に傾いでいき、ゆかりの口からはため息が漏れるばかりだ。
「わたしが注意しても聞いてくれないし、ベテランさんと一緒なら判ってくれるかなって思ったんだけど……」
一度痛い目を見ればいい、と思いつつもしのぶはそれを表に出さなかった。
「巽さんもその辺りはちゃんと考えてます。もう少し様子を見ましょう」
「それはいいけど……『巽』さん?」
飢えた肉食獣が生肉を目の前にしたような良い笑顔をゆかりが見せ、しのぶは、
「『花園』さん『花園』さん、言い間違いですっ」
と小声で必死に言い訳している。だがそれはゆかりには通用しないようだった。
「何を騒いでいるんでしょう、あの二人」
「さあ――待て、何かいる」
巽の制止に美咲が足を止め、剣を構える。その間にしのぶとゆかりが二人に追いついた。
「何かが森の中を動いているようですが……敵はどこに?」
「見て、あそこ!」
ゆかりが指差すその先に、巨大な何物かの影――そこにあるのは全長五メートルを超える、おぞましい蜘蛛の姿だった。
「ギガントタランチュラ……!」
巽が畏怖と戦慄を込めてその名を呼ぶ。美咲は不敵に笑い、
「あれがそうなのですか。相手にとって不足はありません」
と今にも突貫しそうだった。その美咲の手首を巽が握り締める。
「花園さん?」
「逃げるぞ」
巽が美咲を引っ張って走り出し、しのぶとゆかりがそれに続いた。一キロメートルほども走って移動し、ようやく四人は一息つく。
「はあ……ここまで来ればいいか」
地面に座り込んで安堵する巽に対し、美咲は「そうですね」と冷たい声を出した。
「何故逃げたのですか? せっかくの大物を……」
「んなもん逃げるに決まってるだろ」
と巽は呆れたように言う。
「ギガントタランチュラは他のギガント系とは完全に別格、別物なんだぞ。あの大きさだと最低でもレベル三〇を超えている。今の俺達にどうにかできる相手じゃない」
ですが、と反論しようとする美咲に対し、ゆかりが巽の援護をした。
「昆虫タイプって硬いししぶといし魔法は効きにくいし、面倒な相手なのよねー。それにあれは粘着力のある糸を吐くし、喰らったら即死するっていう強力な毒も持っている。逃げて正解よ」
それでも「ですが」と言う美咲にしのぶが重ねる。
「あれにはわたしの『隠形』も全く通用していませんでした。戦っていたら多分全滅していたと思います」
「そんなこと、どうして判るんですか」
「判るんだよ、それが」
物分かりの悪い子供に言って聞かせるように、巽が美咲に説明する。
「深草の固有スキル『隠形』は高レベルのモンスターには通用しないけど、通用するモンスターのレベルは前よりちょっとずつ上がっている。深草の固有スキルが通用するレベルが、俺達が頑張れば狩れるちょうどのレベルなんだ」
「そんなの、あなた達が弱くて臆病なだけです」
美咲が吐き捨てるように言うが、そこまでは巽にとってまだ許容範囲だった。弱くて臆病なのは事実なのだから。だが、
「身を隠すだけの、卑怯者のスキルを行動の指針にするなんて」
その雑言は聞き捨てならなかった。自分に対する嘲笑を我慢できても大事な仲間に対する侮辱を許すわけにはいかない。我知らずのうちに一歩踏み出していた巽の腕を、ゆかりが掴む。それを振り解こうとする巽だが、ゆかりはその手を放さなかった。
「ちょっと待って」
とゆかりが巽を制止している間にしのぶが行動を起こしている。
「そうですね。確かにわたしは卑怯者で、これはそのわたしに相応しいスキルです」
さすがに口が過ぎたことを理解した美咲が謝ろうとしたそのとき、しのぶの姿が目の前から消えた。
「え? え?」
美咲が左右を見回すがしのぶの姿はどこにもなく――突然、天地がひっくり返った。次の瞬間には自分が倒れたのだと理解したが、その理由は全く判らない。即座に起き上がろうとしたが見えない何かが上にのしかかっているらしく、上体を起こすことができない。
「わたしにできるのはこんなことくらいですから」
しのぶがスキルを解いて姿を現す。仰向けに倒れた美咲の胸の上でしのぶが座っていて、両膝でその肩を押さえ込んでいて……フリーの両手に持っているのは苦内だ。二本の苦内の鋭い切っ先が、美咲の二つの眼に突き付けられている。切っ先と眼球との距離はわずか二、三センチメートル。美咲は全身を硬直させ、呼吸すら止めた。気のせいか切っ先が大きくなっている。近付いている。美咲は目蓋を閉じることも思いつかず、そして苦内の切っ先がその眼を――
「深草、ちょっとやり過ぎだ」
巽が困ったようにしのぶを止め、しのぶはすぐに素直に美咲の上から退いて美咲を自由にした。そして「ごめんなさい」と頭を下げる。
「いえそんな、元はと言えばわたしが言い過ぎたからで……わたしこそ謝らないと」
しのぶと美咲の謝罪合戦がくり広げられ、ゆかりはそれを微笑ましく眺めている。
「これで一件落着……ってわけでもないか」
「そうですね。問題はまだ残っている」
それをどう解決するべきか、巽は頭をひねるが容易に妙案は思いつかなかった。
……その後は特に揉めることもなく、巽達は狩りを続けた。昼食を挟んでギガント系モンスターをさらに何匹か狩り、この日の成果は一〇〇メルクをもう超えているだろう。そして夕方に近い時間となり、四人はベースキャンプへの帰路に就いている。
「先輩は何かスポーツを?」
「いえ、その、家計にあまり余裕がなくて、アルバイトを……」
あんな揉め事があった後だから美咲としのぶが気まずくなるかと思えば事実はその逆で、美咲はしのぶに懐いていた。懐かれたしのぶの方は戸惑っているようで、対応に苦慮している様子だったが。
女子高生のようにおしゃべりをしながら歩く二人の様子を、巽とゆかりは後ろから窺っている。
「……とりあえずかえって仲良くなっているようなのは良かったけど」
と不思議そうな顔の巽に対し、ゆかりが笑いながら説明した。
「美咲ちゃんて、要するに少年漫画の主人公みたいな子なのよ。拳で語れば解り合えるし、強い奴はその力を認める」
ああなるほど、と巽は納得した。
「だから巽君とも一度本気でやり合えば、あの子も巽君の力を認めると思うんだけどねー」
「いや、対人戦闘じゃ勝てませんて。ボコられてかえって軽蔑されるだけです」
巽が苦笑しながらそう言い、ゆかりは「本当に?」と疑わしげに問う。
「……そりゃ、何でもありの殺し合いなら負ける気はしませんけど」
巽がやや気まずげに返答し、ゆかりは「うーん」と唸った。
「試合形式じゃ勝てないってことか……。こんな言い方はなんだけど、美咲ちゃんは今の身の程を知るべきだと思うのよねー。何か手頃な、そういう機会があればいいんだけどねー」
「まあ、そのうち何とかなるでしょう。冒険者をやっていればそういう機会はいくらでもありますから」
巽は気楽な調子でそんなことを言い――「そういう機会」はすぐにやってきた。
「こ、これ……」
としのぶが声を引きつらせている。ベースキャンプも程近い森の中、広場のように開けたその場所で、巽達はモンスターの群れと遭遇したのだ。その数は一〇匹以上、体長一メートルを超える巨大な蟲――ギガントタランチュラ、その幼生体だ。
巽は周囲を見回し、地形を確認した。その間にしのぶが「隠形」のスキルを使用し、それが敵に通用するかを確認している。
「どうだ?」
「いけます」
戻ってきたしのぶに巽が確認、巽は強く頷いた。
「もう一踏ん張りだ。掃討していこう」
巽の判断に美咲は「そうこなくては」と剣を抜いて前に進み出た。だが巽はその美咲を押し止める。
「ポジション変更だ。深草が前衛、鷹峯は紫野さんの直衛」
「な……どうしてです!」
強く反発する美咲に対し、巽は呆れたような顔となった。
「んなもん当たり前だろ。そんな紙装甲でタランチュラとやり合うつもりか?」
「毒なんて喰らわなければいいだけでしょう」
そう言って美咲はタランチュラの群れに向かって突進する。巽は舌打ちをしてその後を追った。
「てええいっ!」
美咲が上からまっすぐに剣を振り下ろし、タランチュラの一匹を真っ二つとする。さらに背後から襲ってきた一匹を串刺しとした。
「よし、これで二匹――な?!」
元の世界の昆虫や節足動物がそうであるように、ギガントタランチュラには痛覚がない。胴体を剣で貫かれていても急所さえ外していれば動き続けるのだ。タランチュラは糸を吐いた。いや、それは糸と言うより鳥もちだ。それが美咲の手に吐きかけられて、
「な、これは、くそっ!」
運悪く剣を両手持ちしていて、両手を固められてしまった。まるで手錠を掛けられたように両手を放すことができない。一応剣は持ったままだが握り直すことも不可能だ。焦って両手のこの拘束を振り解こうとする美咲だが、モンスターはそれを待ってはくれなかった。体長一メートルを超える巨大な蜘蛛が何匹も美咲に迫ってくる。美咲にその牙を突き立てんとしている。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
美咲は剣を振り回すが、そこには技も何もなかった。刃の向きを変えること一つままならず、体重を乗せて切っ先を通すことなど望むべくもない。子供が棒を振り回しているのと大して変わらず、タランチュラの外殻はその半端な剣を弾き返して余りあった。押し寄せるモンスターを押し返すこともできず、ついにタランチュラが美咲の身体に取り付いた。一匹だけでなく、二匹、三匹と。
「い、いや……」
ギガントタランチュラの毒はあまりに強力で、それを喰らった冒険者はポーションを使う間もなく即死すると言う。美咲にそれを逃れる手段はもう残っていなかった。
「こんな、こんな、こんなところでわたしが……」
美咲は己が死を理解し、絶望し、目の前が真っ暗となり、
「だから言っただろ」
それは一瞬で彼方へと遠ざけられた。巽がカットラスをタランチュラの脳天に刺して回っている。まるで樹木から果物をもぎ取るような容易さで、三匹のタランチュラは瞬く間に魔核を奪われ、ただの骸となった。
「あ……」
まるで助かったことが信じられないかのように、美咲はただ立ち尽くして呆然と巽を見つめた。今日一日実は結構ストレスを溜めていた巽が助けに入るタイミングをぎりぎりまで待っていた事実は、巽としのぶとゆかりだけの秘密である。
巽は無言のまま美咲を担ぎ上げる。米俵みたいに美咲を肩に担いで素早く後退、ゆかりとしのぶのいる場所まで戻ってきて巽は美咲を投げ捨てた。尻から地面に墜落した美咲が痛がっているが、それを気に懸けるものは誰もいない。
「深草、行くぞ」
「はい!」
巽が再びモンスターの群れへと向かい、しのぶが嬉しそうに返事をしてそれに続いた。ようやく立ち上がった美咲はその背中を見つめることしかできない。
「く、くそ……ゆかりさん、何とかこれを、わたしもあそこに」
だがゆかりは「だーめ」と首を横に振るだけだ。
「狩りが終わったら切ってあげる。美咲ちゃんのお仕事はわたしを守ることだから、今はそこで見ていなさい」
ゆかりの口調は優しく、だが確固としたものであり、その意志が揺らぐとはとても思えなかった。美咲は口惜しさを噛み締めながら二人の戦いを見つめている。
戦いは、狩りは一方的だった。ギガントタランチュラの幼生体はレベル一〇に近い力はあるはずだが、巽はそれを一方的に蹴散らしている。たまに巽の背後から襲おうとしている個体があったが、それは突然体液を噴き出して絶命していた。しのぶが「隠形」を使いながら巽を援護しているのだ。
「そ、そう言えばゆかりさん、支援魔法は」
「ん? 巽君が必要ないって。もしものときのために魔力を温存してほしいって、お昼過ぎからね」
そう言えば、と美咲は巽の今日の狩りの様子を思い返す。確かに途中から巽は支援魔法を受けておらず、その一方で自分は支援を受け続け――それを理解した途端、美咲の頬が燃え上がるように熱を持った。
「わたしは……わたしは自分だけ支援魔法を受けて、支援を受けていない花園さんの動きが悪いと、見下して……」
何と愚かな、何と幼稚な――まるで台の上に乗った幼児が、父親よりも背が高いと威張っているようなものではないか。美咲は羞恥と自己嫌悪に身悶えしつつも、巽の戦いから目を離せないでいる。
巽の戦い方は無骨そのものだった。ギガントタランチュラが食いついてくるのも構わず、剣を振るいなぎ払っている。タランチュラの牙では巽の鎧を食い破ることはできず、巽はその脳天にガントレットを叩き付けて文字通り虫けらのように潰していた。
タランチュラは鳥もちのような糸を吐いて攻撃する。糸が巽の両手を拘束するが、それは一瞬のことだ。次の瞬間には、巽は力任せにそれをそれを引きちぎっていた。金属のガントレットには粘着の効果は弱まる上に、その拳は刃のように鋭く尖らせている。その両拳は巽にとって第二第三の剣に等しかった。
「……あんなの装備がいいだけで、あの人の実力では」
美咲が負け惜しみを言うが、ゆかりがやんわりとそれをたしなめる。
「装備だって実力のうち――冒険者の常識じゃない? あの鎧、どんなに安くても千メルクはしそうじゃない? それを手に入れるのにどれだけのモンスターを狩らないといけないのか、美咲ちゃんは想像できる?」
美咲は沈黙する。ゆかりの指摘がぐうの音も出ないほどの正論だったからである。が、
「ま、あれは買ったんじゃなくて貰い物らしいんだけど」
ゆかりがそう付け加えたため美咲はずっこけそうになっていた。
「そ、それじゃあの装備は実力のうちとは言えないでしょう!」
「そう思う?」
その確認に美咲が頷くと、ゆかりは悪戯っぽく笑った。
「それなら一度、あの鎧を借りてみたら? 町に帰るまででいいから着けてみるといいわ」
ゆかりはそれ以上何も言わない。美咲は不満げに口を閉ざし、巽達の戦いを見守った。
そして何分か後。長いようで短い時間が過ぎ去り、狩りは終わった。十数匹のギガントタランチュラ、その幼生体は全て掃討され、巽達は百メルク以上の稼ぎを手にしている。
「やっぱり雑魚の群れは美味しいな」
「そうですね。毎回こんなのばかりだと嬉しいんですけど」
と笑顔を見せる巽としのぶに対し、美咲は地の底まで沈みそうな暗い顔だった。
「ふっ、雑魚……あれが雑魚ですか。その雑魚に殺されそうになったわたしは一体……」
「あー。まあ、何だ」
落ち込む美咲を巽は慰めようとする。
「鷹峯だってちょっと経験を積めばこれくらいすぐにできるようになるさ。俺なんか研修が終わって二ヶ月経っても吸血コウモリに殺されそうになっていたぞ?」
美咲が意外そうな顔を巽へと向けた。
「花園さんが? まさか」
「いや、本当に。それで、そのとき助けてくれた子達が、今の鷹峯ほどじゃないけど相当優秀でさ。その子達と臨時パーティを組んでゴブリンの群れを狩りに行ったんだ」
「その人達は?」
ある予感を抱きつつ美咲が問い、感情を抑えた巽が返答する。
「一人はゴブリンに殺られて、もう一人はそれが理由で廃業した。その二人は双子の姉妹だったから」
その回答は概ね美咲の予想通りだったが、彼女は「そうですか」と形通りのことしか言えなかった。沈黙が巽と美咲の間を流れていく。今日の失敗が、他者の教訓が、美咲の中で糧となってくれることを巽は願わずにはいられなかった。
「さて、帰るか」
ベースキャンプの方向へ歩き出そうとする巽だが、「待ってください」と美咲が止めた。
「どうした?」
「あの……済みません。その鎧を貸してもらえませんか? 町に帰るまでの間だけ」
巽は首をひねっていたが、
「まあいいけど。重いぞ?」
と鎧を脱ぎ出した。まずガントレットを、次いで肩と二の腕の防護を外し、鎧の胴体部分から身体を抜く。巽の上半身は下着と鎖帷子だけの姿となった。
「上だけでいいか?」
「そうですね。まずはそれから」
美咲はまず、シャツを着るように鎧の胴体部分に頭を通した。その美咲がちょっとよろける。
「お、重いですねこれ……」
「だから言っただろ」
次に美咲は腕の防護とガントレットを装着、美咲はさらにふらついた。
「それじゃ行こうか」
「は、はい……」
そして四人が歩いていく。ベースキャンプまではあと一キロメートルもないはずだった。ただ、ちょっとばかりの丘を登らなければならなかったが。
……小一時間ほどを経て、巽達四人はヴェルゲランの町へと戻ってきた。場所は町の中心地、マジックゲート社ヴェルゲラン支部、その建物の前。時刻はすでに夕方である。
「おーい、大丈夫か?」
「な、な、なんとか……」
巽の鎧を身にした美咲が地面にぶっ倒れている。巽としのぶが美咲から装備を外し、美咲はようやく一息ついているところだった。
「こ、この装備……一体重さはどのくらい……」
「そこまで重くないぞ? 下と鎖帷子、全部合わせても四〇キロにはならないくらい」
起き上がろうとしていた美咲が再び突っ伏す。具体的な数字を聞いて疲労が倍増したかのようだった。やがて美咲がのろのろと顔を上げる。
「花園さん……あなたはこんなものを着込んで今日一日あれだけ歩き回って動き回って、モンスターと戦っていたんですか?」
正気を疑うかのように美咲が問うが、巽の答えはもちろん決まっていた。
「見ての通りだけど?」
「ばけもの……」
美咲が呆れ果てたようなため息と共にその一言を漏らす。巽はちょっと傷ついたような顔をした。
「疲れているから余計に重く感じるだけだろ。最後以外は君一人で狩りをしていたようなもんだったし」
「それもあります。それもありますが……」
確かに美咲は体力を使い果たし、疲れ切っていた。それは美咲がそれだけ張り切ってモンスターを狩っていたからで……要するに体力の配分など全く考えていなかったのだ。ギガントタランチュラの群れに殺されそうになっていたのも、自分では気付かないうちに疲労を溜め込んでいたからだと、今なら判る。
一方の巽は、美咲が一人で突っ走る分セーブし、体力の温存に努めていた。周りが全く見えていなかった美咲をフォローし、いざというときは助けるために。また、それを抜きにしたとしても今の美咲の体力が巽の足元にも及ばないのは明白だった。四〇キログラムと言えば美咲やしのぶの体重とそれほど変わらないということで、そんなものを身に着けて一日中歩き回るなど、今の美咲にできるはずもない。
「四ヶ月……たったの四ヶ月なのに」
巽は美咲より四ヶ月早く冒険者となり、四ヶ月だけ美咲より先に進んでいる。たったの四ヶ月なのに、巽が今いる地平は遙か彼方のように思われた。今から四ヶ月先の自分が今の巽くらいに経験豊かで、目配りや気配りのできる冒険者になれているとは、想像することもできない。
美咲は握り締めた自分の拳を見つめた。巽のそれと比較してあまりに小さく、華奢なそれを。
「わたしは……こんなことで本当に青銅になれるのでしょうか。高校を中退して、あんな大見得を切って冒険者になったのに、こんなことで……」
思いがけない言葉が口を突いて出た。ゆかりやしのぶが驚いているが、それ以上に美咲自身が自分の言葉に驚いている。だが、口にしてしまえば理解できる。今、胸の内にわだかまる黒い黴のようなものは、心を腐食させていくそれは「不安」なのだと。自分は不明確な未来を不安に思い、怯えているのだと。
「鷹峯ならなれるさ。一つのことを守りさえすれば」
天啓のような二言が上から降りてくる。美咲は顔を上げ、すがるような瞳を巽へと向けた。巽は頼もしげな笑みを見せている。
「鷹峯ほど才能のある奴がそう何人もいるはずがない。一つのことを守りさえすれば、鷹峯ならそれほど時間はかからずに青銅に手が届くんじゃないかな」
「一つのこととは? 早く教えてください」
立ち上がった美咲が巽に食いつく。巽は「判った判った」と美咲を落ち着かせた。
「別に何も難しい話じゃない。絶対に守るべき一つのこと、それは」
「それは?」
「『生命を大事に。』」
一陣の風が二人の間を吹き抜ける。美咲は巽の後ろに、尻にパンを挟んで左手でボクシングをしながら右手で鼻くそをほじっている変なおっさんの姿を見たように思ったが、それは全て気のせいだった。
「……それで?」
「それだけだ」
威張って言う巽に対し、美咲は失望のため息を殊更について見せた。
「勿体ぶって何を言うかと思えば……」
「冗談で言ってるわけじゃないぞ? 例えば今日の狩りで、君は『生命を大事に』していたか? レベル三〇のギガントタランチュラを見かけたときは? その幼生体の群れを狩ったときは?」
「それは……」
美咲は気まずそうな顔をし、口を濁らせた。
「俺達が君を止めなかったなら君は今日死んでいた。死んでしまったら経験も積めないし、順位も上げられないし、つまりは青銅になることもできない。逆に言えば、死なないようにして狩りをして、経験を積んで、順位を上げていれば、鷹峯ならいずれは青銅になれるだろう」
「死なないように……」
美咲は神妙な顔をし、巽の言葉を腑に落とし込んでいるようだった。巽は野太い笑みを美咲へと向けた。
「冒険者ってのはな――死なない限りは負けじゃないんだ。強いモンスターを避けることや逃げることは負けじゃないし、弱い獲物を狙うことも恥じゃない。生きている限りは狩りができるんだから」
「……はあ」
美咲は大きなため息をついた。肺の空気と一緒にわだかまりやら不安やら、劣等感やら敵愾心やらを吐き出し、身体の外に捨ててしまったかのようだった。心が軽くなり、自然と笑顔が湧いて出た。
「あまり含蓄のある言葉ではありませんが……当分の間はそれを座右の銘とすることにします。『生命を大事に』!」
「『生命を大事に』!」
「『生命を大事に』!」
美咲が、巽が笑ってそれを言う。ゆかりやしのぶもまた笑い、続いて唱えた。しばらくの間四人はその言葉をくり返し唱え、そして大阪への帰路へと就いた。
「今日も一日おつかれさま! それじゃー飲みに行こう!」
場所はマジックゲート社大阪支部のビルの前、ちょっとした公園のようになっている場所。傾いた日差しがビルのガラスを赤く輝かせている。メルクリアから戻ってきた巽やしのぶを引きずるようにしてそこに集め、ゆかりは気炎を上げていた。巽としのぶは困ったような顔をし、美咲は腰に手を当てて見下ろすような目をゆかりへと向けている。
「パーティ結成記念パーティってことでさー。最初くらい羽目外して騒ごーよー」
「あなたの羽目が外れていないことがあったんですか」
ゆかりは美咲にすがって、その手を取って左右に振って懇願しているが、美咲は冷たい声を出すだけである。
「……まあ、最初くらいはそういうのがあってもいいかもしれないけど」
と巽が取りなすように言い、しのぶも反対はしなかった。ゆかりは「本当?」と顔を輝かせる。
「花園先輩がそう言うのなら」
と美咲も言い出し、ゆかりのブレーキ役がいなくなってしまった。ゆかりは一気にアクセルを踏み込み、トップスピードで突っ走る。
「よおーっし! 今夜は寝かせないよぉ! 朝が来るまで飲み明かそう!」
「いや俺明日もバイトですし、持ち合わせもあまりないのでほどほどで……」
巽の異議にしのぶが深々と頷いて同意する。だがゆかりは「だいじょーぶっ!」と豊かな胸を張った。
「メルクを全部換金してきたから! 良いお店知ってるからそこを貸し切って」
「あなたという人は――!!」
美咲が神速の居合抜きでハリセンを抜いてゆかりに斬りかかり、
「そのメルクで触媒やポーションを補充するのがあなたの仕事でしょうに……! 来週の狩りはどうするつもりなんですか!」
美咲がゆかりを斬って捨てようとし、ゆかりは真剣白羽取りでそれに抵抗した。
「き、今日はそんなに触媒使わなかったから、美咲ちゃんがちょっとだけメルクを貸してくれれば大丈夫!」
「そう言ってきたこれまでの借金がどれだけになると……!」
ゆかりを斬り潰さんと美咲が全身の力と体重をハリセンに込め、ゆかりはブリッジみたいな体勢になって必死に堪えている。開いた口がふさがらない巽だったが、やがて気を取り直して「まーまー」と二人の間に割って入った。
巽は親指で後背のマジックゲート社大阪支部を指し示した。
「とりあえず、そのお金はメルクにして預けておこう」
美咲は「そうですね」と深々と頷いているが、ゆかりは「えー」と不服そうだった。
「余計な手数料取られるじゃないー」
「誰のせいですかっ。ほら、行きますよ」
ゆかりを連行してマジックゲート社へと戻ろうとする美咲だが、巽が少しだけ待ったをかけた。
「鷹峯、全部預けるんじゃなくて一メルクだけ円を残しておいてくれ。それでみんなで飯食いに行くってことで」
「そうですね。そのくらいは認めてあげても」
としのぶ。美咲も「まあ、そのくらいは」と寛大な姿勢を見せるが、ゆかりは大いに不服そうだった。
「一メルクなんて飲んだうちに入らないじゃないー」
「四人で一メルクですからね?」
「一メルクあったら何日ご飯が食えると思ってるんですか」
ゆかりは抗議し続けていたが、三人がそんな妄言に耳を貸すはずもない。何十万円という大金は無事にマジックゲート社に預けられ、それはただのカード上の数字となった。
「仕方がないわね……こうなったら飲み放題のお店に入るしかないじゃない」
「食べ放題が付いてくるならそれでいいですよ」
最近まで高校生だった美咲はもちろん、巽やしのぶにも大阪キタの土地勘などない。一方ゆかりにとってキタは自分の縄張りのようなものだった。
「それじゃ行くよー」
気を取り直したゆかりが巽達三人を引き連れ、馴染みの居酒屋へと向かった。三千円以内で飲み放題食べ放題コースのあるその店に入り、
「とりあえず唐揚げ盛り合わせと焼き鶏盛り合わせと豚キムチと炙り牛と……」
巽は普段あまり食べる機会のない、ジャンクな動物性タンパク質と脂肪分をひたすら摂取せんとしている。さらにゆかりは、
「とりあえず黒霧島と泡盛! それにギムレットとマルガリータとマティーニとアンダルシア、それと」
二時間の制限時間でどれだけのアルコールを摂取できるか、限界に挑戦しているかのようだった。しのぶは冷や汗を流し、美咲は諦めのため息をついている。
「さあさあさあ! 時間がないんだから始めちゃうわよ! この四人でのパーティ結成を記念して! かんぱーいっ!!」
「かんぱいー」
ゆかりのグラスには焼酎が注がれているが、巽達はもちろんソフトドリンクだ。四つのグラスが涼しげな音を立て――それは闘いのゴングだった。
……そして二時間後。今日の狩りに匹敵する過酷な闘いが終わり、彼等は敗残者のような足取りでその居酒屋を後にした。
「……これ、どうしよう」
「捨てていったらだめですか?」
居酒屋から少し離れた通りの片隅では、ゲ○塗れとなったゆかりが魔核を回収されたゾンビ兵のように地面に倒れ伏し、無様な姿をさらしていたという……。