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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
一年目
7/52

第五話「異世界の冒険者達」その2




 それからしばらくの後、巽達は遺跡に到着する。正確には、その奥に遺跡があるという洞窟の前までやってきたのだ。


「ここに?」


 巽の確認に「はい」と頷くカルジツァ。

 首を傾げる巽達を置いてカルジツァが中へと入っていき、それに四人が続いた。カルジツァが魔法のランプを使って洞窟内部を照らして進んでいく。


「……遺跡があるってことは、メルクリアンの入植前に誰かが住んでいたってことですよね」


「はい。ですがそれが何者だったのかは判っていません。何千年も前のことで、調査もまだまだ始まったばかりで……遺跡はテランのものではないかという説もあります」


 へえ、と巽達は感心するが、


「可能性だけならあるけど、ほとんどただの与太話よ」


 とファルサラは笑った。


「要するにそれくらい謎で、何も判っていないってこと」


 なるほど、と巽としのぶは深く頷いた。


「……ここ、普通に人の出入りがあるようなんだけど?」


 周囲を検分するファルサラが疑わしげに問うがカルジツァは慌ても騒ぎもしない。


「奥で道が分岐していて、行き止まりだったそこの壁が最近崩れたそうです」


 ふーん、と頷くファルサラだが、いまいち不審の様子である。そんな話をしているうちに、今の話の分岐に到着し、


「こちらです」


 とカルジツァが分かれ道の一方へと一同を先導し、巽達はそれに続いた。そしていくらも進まないうちにその道は行き止まりとなった。


「ええっと、上の方に人が通れるくらいの大きな穴があるはずなんですが……」


 とカルジツァがランプで洞窟の上方を照らしている。巽達も上を見上げて見回して穴を探すが、


「ねえ、下を照らしてくれない?」


 ファルサラがやけに平坦な声でカルジツァに要求する。言われて気が付いたが、足下が磨いたように真っ平らだ。洞窟そのままでなく、何らかの加工を施されているのは間違いない。

 カルジツァが「はい」と頷き――洞窟が暗闇に閉ざされた。


「カルジツァさん?」


「済みません、すぐに点けます」


 すぐに再び明るくなったが、それはランプの明かりではなかった。地面が光っている。光が無数の線と紋様を描き――それは魔法陣だ。磨いたような石の床に魔法陣が刻まれていて、それが魔法を行使しようとしている。


「な――」


 魔法陣を見てそれが何の魔法を使うのか、判別できるほど巽は魔法に詳しくはない。だがこれと同じような状況は毎週何度も、くり返し経験している。それは転移の魔法陣にそっくりだった。

 巽達はその場から逃げ出そうとするが、一歩遅い。転移の魔法が発動し、巽達五人はまばゆい光に呑み込まれて一瞬で姿を消す。そして光が霧散し、魔法陣は力を失う。洞窟の中は再び永遠のような暗闇と静寂に閉ざされた。

 一方、巽達五人は一瞬で別の場所へと運ばれている。


「……ここは」


 巽は周囲を見回した。足下には転移の魔法陣の片割れがあり、左右と後方、天井は岩によって覆われている。転移した先もどうやらどこかの洞窟のようだった。そして前方は、やはり洞窟だった。ただ、ちょっとした体育館ほどの空間が広がっている。人の背丈ほどもある巨大な水晶がいくつも地面から生えている。壁と地面が水晶で覆われている。水晶が淡い光を放っている。そしてその奥には巨大で平らな水晶がまるで舞台のように地面に横たわっていて、その上には祭壇のように玉座が鎮座していて……そこに何者かが座っている。


「ふうん、今回は四人か」


 身にしているのは漆黒のドレス。子供のような体格で、その声は女性のもの。その姿はメルクリアンのものだった。だが、その眼が紅い。まるでルビーのように、紅く禍々しく輝いている。


「それにしても……また貧相な小物ばかりじゃないの。もっと食い甲斐のある捧げ物は用意できないの? あなたは」


「無茶を言わないでくれ。もう何度も危ない橋を渡っている。マジックゲート社にもかなり怪しまれていて、何とかごまかしたんだが」


「わたしに口答えをするつもり?」


 静かに、だが断固としたその言葉にカルジツァは何も言えないでいた。彼はただ項垂れるだけである。そして一連のやりとりを横で聞いていたしのぶやボロス達は、嫌でも理解せざるを得なかった。


「罠に誘い込まれた……ということですか。わたし達」


「どうやらそのようじゃの。儂等をあのメルクリアンの餌にするつもりのようじゃ」


「まさかメルクリアンが……」


 としのぶは唇を噛み締める。人格測定の魔法は犯罪者やその予備軍、不穏分子を排除する――だが人間のやることである以上は何事も完璧とはいかないし、人格測定も入国の度に毎回実施しているわけではない。また、この世界にやってきてから人が変わってしまっては人格測定にも意味はないし、そのような事態も起こり得る――現に今、起きていた。


「あれはもうメルクリアンじゃない。メルクリアンの身体を苗床とした、モンスターよ」


 苦々しげなファルサラ達の様子をそのメルクリアン――そのモンスターは愉しげに眺めている。その中で巽が何歩か前へと進み出、一人でそのモンスターと対峙する。そのモンスターはやや訝しげな顔をした。


「あんたはモンスターのようだが……人間と変わらないだけの知識や知性、自分の意思があるように見える」


 巽の確認に彼女は「ええ、その通りよ」と頷いた。


「あんたは俺達を餌にするつもりのようだな。俺達を殺し、俺達のカルマを奪って今よりも強くなろうと考えている」


「ええ、その通り」


「それを止めるつもりはないか? 知性のあるモンスターの中には人間系種族と平和共存している者も大勢いるって言う。あんたも……」


 そのモンスターは可笑しそうに笑った。かなり長い時間、延々と笑い続けている。巽は自然と口を閉ざした。やがてそのモンスターが笑い終えて、


「……エラソナ、このテランの言う通りだ。こんな真似、もう長くは続けられない。ディモンに戻ってどこかに隠れ住めば……」


 カルジツァが必死にエラソナという名のモンスターを説得しようとするが、彼女はわずかも聞く耳を持っていなかった。


「わたしはこれまで何人ものテランの冒険者を喰らってきた。そのことに一片の後悔もないし、これからだって何度でも同じことをくり返すつもりよ」


 エラソナは傲然と嘯き、カルジツァは絶望を顔に浮かべた。巽は唇を噛み締めていたが、やがて長剣を抜いて前に構えた。エラソナは興味深げにそれを見ている。


「あら、抵抗するつもりかしら? わたしが何のモンスターか判っているの? レベルの差がどれだけあるか判っているの?」


「判らねぇよ。俺には高辻さんみたいなスキルはないんだから。でも」


 巽は確固たる意志を両掌に込め、長剣を強く握り締めた。


「諦めるつもりはないし、こんなところで死ぬつもりもない――相手がどんな化け物だろうとな!」


 巽が獅子吼し、エラソナが一瞬怯んだ様子を見せる。そして怯んだ自分と巽に対して強い怒りを覚えた。エラソナは牙を剥き出しにし、巽を眼で射貫いている。その巽を庇うようにしのぶが、ボロスが、ファルサラが前へと進み出た。巽の意志が、覚悟が彼等を動かしている。闘志の炎が彼等の胸で燃え上がっている。エラソナはますます苛立たしげな様子となった。


「不死の王、ヴァンパイアとなったこのわたしに挑まんとする、その度胸だけは認めてあげなくもないけど……」


「いやいや、儂等はただの場末の冒険者。ヴァンパイアと戦うなどとんでもないよ」


 とボロスがおどけたように言い――いきなりカルジツァを殴り倒した。予想外の一撃にカルジツァはひとたまりもなくぶっ飛ばされて地面に倒れる。ボロスはロングアックスをその首へと突き付けた。


「さてヴァンパイアよ、取引じゃ。この者を殺されたくなければ儂等を見逃せ」


 巽は何か言いそうになり、結局何も言わなかった。エラソナは無表情でボロスを見つめる。ボロスはひそかに冷や汗を流しながら続けた。


「見たところ、生前のお主はこの者と親しかったのじゃろう? お主の夫か、恋人か。その者をそのまま殺されるか?」


 エラソナはつまらなさげに鼻を鳴らし、腕を振る。それに応えるように一匹の狼が姿を現した。その狼が遠吠えを発し――どこからともなく無数の狼が湧いて出てくる。十匹、二十匹、四十匹を超え、さらに増え続ける。狼の数は百を優に超えた。その群れの中心にいるのは、最初に現れた尾のない狼だ。


「あいつ、クールトーか!」


 クールトー自身はレベル一〇に届かず、その配下の狼も普通の狼と特に変わらず、そのレベルは二から三。総じてただの雑魚なのだが、百を超えるその数は今の巽達にとって圧倒的な脅威だった。

 エラソナはひっくり返りそうになるくらいに胸を反らして巽達を見下した。


「あなた達のような雑魚にこのわたしが手を煩わせるまでもないわ。野良犬相手にせいぜい踊ってみせなさい」


 交渉の失敗を理解し、ボロスが舌打ちをする。ボロスはロングアックスをカルジツァへと――その足へと振り下ろした。アキレス腱を切られて血が噴き出し、カルジツァが悲鳴を上げる。巽は顔色を変えるがそれも一瞬のことだった。今はカルジツァより自分のことを、仲間の身を案じなければならないのだから。


「まずは頭から潰すか」


「ええ、そうね――『加速』!」


 ファルサラが補助魔法を行使、「加速」の魔法をしのぶへと掛ける。しのぶはその状態で「隠形」のスキルを使用し、姿を消す。数秒後にはクールトーは喉を裂かれ、さらには両眼を苦内で潰された。


「Gggrrryyuuu!!」


 クールトーは激痛と屈辱に怒り狂っている。レベル一〇に近いだけあり喉を裂かれてもまだ生きていたが、それも無駄なあがきでしかなかった。巽がクールトーへと突っ込んで力任せに長剣をその頭部へと叩き付ける。首から上を真っ二つにされたクールトーは魔核を吐き出し、哀れな遺骸となった。


「ちっ……役立たずね」


 とエラソナが舌打ちする。エラソナが腕を振り、それに合わせて一部の狼が移動する。無能なクールトーに代わり、エラソナは狼の群れを直接指揮することとした。


「囲みなさい! エルフを狙って一斉に飛びかかりなさい!」


 エラソナの命令に従い狼の群れがまずファルサラを喰い殺さんとする。これに対し、ファルサラは壁際に移動して後背を守り、ボロスが前に立ってファルサラを守った。巽が縦横に剣を振るって次々と狼を屠り、その巽をファルサラが魔法で支援する。


「『剛力パワー』!」


 補助魔法により腕力を倍増した巽は荒れ狂う暴風となった。無数の狼が肉体の部品を撒き散らして果てていき、血の雨が降る。エラソナの意識と敵意が巽に集中し――その隙を突いてしのぶがこっそりと狼を斬り殺していく。


「ちっ、小賢しいわね」


 しのぶのスキルはエラソナには通用せず、群れに命令を下してしのぶを殺さんとした。が、肝心の狼にはしのぶは見えていない。エラソナの命令は狼を混乱させるだけである。


「やはり素人か」


 とボロスは戦いながら見当を付ける。それにファルサラが頷いた。


「元はメルクリアンの商人、その妻でしょう? 戦い方は知らないでしょうし、ヴァンパイアになりたてで経験も浅いんでしょ」


 二人の会話はエラソナの耳にも届いている。エラソナは平静を装っているがその柳眉は逆立っており、群れに二人を狙わせた。が、


「おおっと」


 ボロスはカルジツァを足で転がして自分の下に引き寄せる。カルジツァが邪魔で、狼は二人を攻撃しかねているようだった。


「やはり見捨てはせんか」


「この人を失ったら人間社会とのつながりがなくなってしまうからね」


 カルジツァの方はどうか知らないが、今のエラソナはパートナーに対し、何らかの人間的な愛情を残しているとは考えられなかった。だがエラソナにとってカルジツァは得難い「道具」であるはずだ。彼がいなければ冒険者を罠に嵌めて餌にすることもできないのだから……とボロス達は予測していたが、それは正解のようだった。実際エラソナはカルジツァを惜しみ、手加減を強いられている。

 群れのリーダーの喪失、エラソナの経験不足、カルジツァという足枷。これらが相乗し、巽達は戦いを優位に運んでいた。狼の群れは見る間に半減していき……だがそれでも、巽達も無傷というわけにはいかなかった。


「くそが!」


 太腿に食らい付いた狼に対し、巽はガントレットの拳を叩き付ける。頭蓋骨を砕かれてその狼は死に、巽はその死体を投げ捨てた。太腿から牙が抜けて巽の血が弧を描く。しのぶが巽の下に戻って彼を守り、


「悪い、助かる」


 巽は治療薬を使って手早く止血をし、すぐさま戦線に復帰した。狩るべき狼はまだまだ何十匹も残っているのだから。

 ……そして、無限とも思えるような時間がようやく過ぎ去った。百匹以上の狼は全て屠られ、巽達の周囲は狼の血がしたたり、屍体で足の踏み場もないほどになっている。


「……へっ、大漁旗だぜ。雑魚の群れはおいしいな」


 クールトーの率いる群れを殲滅し、ここで回収した魔核は換金すれば二、三百メルクにもなるだろう。確かに大収穫だが、その代償も小さくはなかった。ファルサラは魔力を使い果たし、ボロスの体力は底をつき、しのぶの気力は費えている。そして巽の生命は燃え尽きそうになっていた。

 エラソナの注意を引きつけ、狼の殺意をほぼ一身に受け、一人で群れの七割を屠り、それ以上に攻撃をされ続けた。狼に食いつかれたのは一箇所や二箇所ではなく、傷がない場所を探す方が難しいくらいだ。血と一緒に生命も流れ去り、今生きているのが奇跡のようにすら思われた。

 それでも、これで狩りが終わりなら何も問題はなかっただろう――本番が始まるのは今これからだった。


「なかなかの健闘ぶりだったわね、誉めてあげるわよ」


 エラソナはゆっくりと拍手をし、巽達を苛立たせた。配下の狼を一掃されてもエラソナは余裕のある姿勢を保っている。カルジツァとは違い、クールトーとその群れなどエラソナにとってはいくらでも代替のある消耗品でしかなかった。


「さて。好き勝手にわたしの手駒を狩ってくれたけど、今度はわたしの番よ。わたしがあなた達を狩ってあげる。冒険者に狩られるモンスターの気持ちを理解させてあげるわ」


 エラソナは心底愉しげな笑みを見せながら玉座から立ち上がった。巽達は最後の力を振り絞って剣や杖を構え、攻撃に備えた。疲労が気力を腐食させ、諦念が心を浸食していく。


「がああーーっっ!!」


 巽は残った体力の半分を費やして咆吼し、弱気な自分を振り払った。意識を切り替えた巽はこのモンスターにどうやって勝つか、最低でもレベル三桁だというヴァンパイアを相手にどうやって生き延びるか、それだけに意識を集中する。


「何か作戦はないか?」


「……作戦と言えるほどじゃないけど」


 とファルサラ。巽達は比較的近くに集まり、視線だけはエラソナから外さないままこそこそと相談していた。エラソナは余裕を示すためか、笑みを浮かべてそんな巽達を見逃している。


「ヴァンパイアの後ろに転移の魔法陣があるわ。あれは多分ここからの出口」


「そこまで逃げ込めば……!」


 と顔を輝かせる巽だが「そんな簡単な話じゃない」とファルサラは首を振った。


「魔法陣にはまず間違いなくロックが掛かっている。それを外さないことには……」


「外せるのか?」


「一応手順は知ってるけど、わたしは盗賊シーフじゃないから」


 とファルサラは自信なげな様子である。


「でも、他に逃げ道も方法もないんだろう?」


 巽の確認にファルサラが頷き、ボロスが、しのぶが続く。巽も頷き、四人の瞳に戦意と決意が光となって宿った。


「ではファルサラよ、頼むぞ。慌てず急いで正確にの」


「深草はファルサラさんを守ってくれ。俺達で時間を稼ぐ」


 しのぶは何か言いたげにし、結局何も言わなかった。最悪でも深草とファルサラさんだけでもこの場から逃げられれば――巽がそう考えていたことを理解しつつも、一縷の望みを掴み取るにはこの配置が唯一最善だとも判っていたからだ。


「相談は終わったの?」


「ああ。待ってくれて助かったぜ」


 巽はボロスと並び、己が刃をエラソナへと向ける。エラソナは愉悦の笑みを浮かべてそれを迎えんとしていた。


「後悔させてやる」


「どうやって?」


 長剣を振りかざした巽がエラソナへと突貫する。エラソナもまた刃のような爪を伸ばして腕を大きく振り上げた。

 巽が正面から突っ込み、長剣をエラソナの脳天に叩き付けんとする。鉄と鉄がぶつかり合う鈍い音。巽の掌は剣で巨岩を殴ったような手応えに痺れている。


「ぐっ……」


 エラソナは長く伸ばした爪で巽の剣を受け止めていた。少しの間両者の力は均衡するが、それも長くは続かなかった。エラソナの爪が火花を散らして長剣の刃を削っていく。長剣に爪が食い込んでいく。巽の額は冷や汗で濡れた。


「この……化け物!」


 巽は身体を引いてエラソナの体勢を崩そうとするが、エラソナもそこまで迂闊ではない。両者が一旦離れ、そこにボロスが突っ込んでくる。ボロスはエラソナの首を飛ばすべく、野球のバットのようにロングアックスを横にスイングする。エラソナは正面からロングアックスの刃を殴りつけ、体勢を崩したボロスが地面を転がった。エラソナがボロスを追撃しようとし、巽がそれを妨害しようと横から斬りつける。何故かエラソナが足を止め――巽の剣が空を斬った。


「な!?」


 巽はエラソナの姿を見失って右往左往する。その巽の顔面が何者かに蹴られ、巽は倒れ伏した。


「くそっ、どこに……」


 倒れたまま顔を上げてエラソナの姿を探す。エラソナは――上にいた。単に巽が地面に這い蹲っているからではない。エラソナは立った巽よりもずっと高い位置にいる。宙に浮いている。鳥の翼のような形の髪が風に揺れ、まるでそれが羽ばたいてホバリングしているかのようだ。


「くっ……」


 巽は唇を噛み締めた。エラソナが本気を出せば巽達など瞬殺だろう。エラソナは遊んでいる。巽達を傷付け、弄び、踏みにじることを愉しんでいる。怒りと絶望に巽は視野狭窄となり「こうなったら破れかぶれで一矢報いて」などと考え……

 そのとき、巽の目にしのぶの姿が映った。忍者刀を構えたしのぶは今にもエラソナに突撃しそうだ。そしてその横では、転移の魔法陣に取り付いたファルサラが必死に解析を進めている。

 巽の頭は一瞬で冷えた。軽く深呼吸を一つし、剣を構え直した巽はその刃をエラソナへと向ける。エラソナを挟んで反対側ではボロスが同じようにロングアックスを構えている。エラソナは上空にいて手出しできないが、それは巽にとって好都合だった。


「別にこいつに勝てなくていい、時間さえ稼げたならそれでいいんだ。俺達をいたぶって時間を費やすつもりなら、めいっぱい付き合ってやろうじゃないか」


 だが、巽が絶望から抜け出して冷静さを取り戻したのは、エラソナの望む展開ではないのだろう。今一度絶望を与えるべく、エラソナは上空から巽に攻撃を仕掛けた。猛禽が鼠を仕留めるように、風のような速度で滑空して突っ込んでくる。巽は剣を突き出してそれを迎え撃ったが、エラソナの爪に弾かれて地面を転がった。さらにエラソナが追撃、爪の一撃が金属鎧ごと巽の右肩を切り裂く。血が噴き出すがそれは大した量ではなかった――傷が浅いわけでなく、血がもう残っていなかったのだ。


「ぐっ……」


 巽の右手から長剣が滑り落ち、巽は左手でそれを拾い上げた。剣を構える巽に、またエラソナが滑空して突撃。それが三度、四度とくり返され、巽は倒れる間もなく傷を増やしていく。


「テラン!」


 エラソナという魔弾の射線上にボロスが身体を割り込ませた。ボロスは確と大地を踏み締め、エラソナの攻撃を全身で受け止めんとする。だがエラソナは嘲笑を浮かべ――ボロスのロングアックスを掴んだ。


「ぬぅ?!」


 武器を奪われては戦いようがなくなると、そこまで考えていたわけではない。ロングアックスにしがみつくようにして抵抗したのはほとんど条件反射である。だがそれは結果として失敗だった。エラソナはロングアックスを持ち上げ、振り回し――ボロスはそれにしがみついたままだ。エラソナがロングアックスを投げ捨て、ボロスはそれを握ったままで、その先には巽がいて、


「ぐわぁっ!」


 ボロスが飛んできて、巽はそれを避けようがなかった。諸共に吹っ飛ばされて地面を転がり、何回転もする。全身がバラバラになりそうな程の衝撃で、ボロスは指一本動かせないでいる。巽もまた生半可ではないダメージを負っていた。何とか起き上がったが、それだけで残っていた力の九九パーセントを使い切ったようだった。立ち上がれない、腕が上がらない、指に力が入らない、剣を構えることができない。

 地面に降り立ったエラソナはゆっくりと巽に歩み寄った。巽にもそれは判っているが、何をどうすることもできない。今の体勢を維持するだけで精一杯だ。エラソナは巽に己が爪を誇示した。今からこれで巽の首を刎ねる――エラソナは無言のまま雄弁にそう物語っている。


「巽さん!」


 ついに我慢できなくなったしのぶが持ち場を離れ、エラソナへと突貫した。全身全霊を懸けて固有スキル「隠形」を行使し、気配を殺し、エラソナの喉を裂かんとし――


「馬鹿ね、そんなものが通用するとでも?」


 だがエラソナの目にはしのぶの姿など丸見えだった。無造作に腕を振ってしのぶの刀を払い退ける。その一撃で忍者刀はへし折られてしまい、しのぶの手に残っているのは根本だけである。


「くっ……」


 それでもしのぶはエラソナの前に立ちはだかった。背に巽を庇い、右手に折れた刀、左手に苦内を握り締め、最期の最後まで抵抗しようとする。


「その男のために死ぬつもり? 泣かせるわね」


 エラソナが揶揄するが、しのぶはまさしくそうする覚悟だった。たとえ自分がここで死んでも巽が生き残れる可能性が一パーセントでも上げられるなら、それはしのぶにとって生命を懸けるに値することなのだから。


「ご安心なさい。あなただけでなくすぐにその男も殺してあげる。天国には二人で仲良く行きなさい」


 エラソナが大きく腕を振り上げ、刃よりも鋭いその爪を閃かせんとした、まさにそのとき。


「何?!」


 洞窟の中が光で満ち溢れた。眩い光が一同の視界を塗り潰す。真っ先に事態を把握したのはエラソナだったが、彼女は驚愕していた。


「馬鹿な、何故転移の魔法陣が!」


 その呟きは巽達の耳にも届いている。


「ファルサラさんがロックを解除したのか?!」


 と色めき立つ巽だが、しのぶが「いえ」と首を振った。


「起動したのは入口の方――わたし達が入ってきた方の魔法陣です」


 巽は目を庇いながらも魔法陣を、洞窟の入口を見つめた。転移の魔法陣の上では光が奔流となり、竜巻となっている。やがて光は螺旋を描いて凝固し、人の形となる。そして光が弾けて散って、その場には三人の人影――転移の魔法陣を使って何者かがこの洞窟へと侵入してきたのだ。


「よっしゃ、やっと入れたぜ! 無事だといいんだがな、あの四人!」


「盗賊のあんたが『解錠アンロック』を覚えていればもっと早く入れたんじゃない!」


「二人とも、ここはもう敵地だぞ。どんな高レベルのモンスターが待ち構えているかも判らんのに……」


 その三人は冒険者だ。どう見ても日本人で、巽やしのぶと同じくマジックゲート社に属する冒険者だ。重武装の戦士が一人、軽装の盗賊が一人。その二人は男で、残りのメイジは女性だった。巽達が彼等のことを理解するのと数瞬遅れ、彼等もまた事態を把握したようだった。彼等は即座に戦闘態勢に移行する。


「ようこそ。歓迎するわ、間抜けな冒険者さん達。わざわざ餌になりに来てくれるなんて」


 とエラソナは艶やかに笑う。一方の三人には会話する意思はないようで、エラソナのことをただ「狩るべき獲物」とだけ見ていた。軽装の盗賊が前に出、メイジが補助魔法でそれを支援、重武装の戦士はメイジの直衛だ。エラソナは薄笑いを浮かべて彼等が動くのを待っている。

 メイジの女性が杖を構え、呪文を唱えた。それと同時に盗賊が剣を抜く。六〇センチメートルほどの、その短めの剣はカットラスと呼ばれるものだ。盗賊は全身の力を両脚に溜めた。空気が軋むほどの力がそこに集中している。限界を超えて蓄積された力は重力を歪め、足下の地面に亀裂を入れた。


「疾風迅雷……!」


 その盗賊が静かに、だが決然と言い放ち――盗賊はその言葉そのものとなった。


「な――」


 エラソナの左腕が吹っ飛んだ。血を撒き散らしながら、左腕が宙を舞って何回転もする。その腕が地面に落ちる前に、今度は右腕が断ち切られる。


「くっ!」


 わずか数秒で両腕を失ったエラソナは上空へと逃れようとした。だが、遅い。盗賊の両脚蹴りがエラソナの顔面に叩き込まれ、エラソナの身体が吹っ飛んだ。盗賊はその反動で宙を飛び、身体を丸めて縦に回転する。その間は何とか盗賊の姿が見えていたが、盗賊が地面に降り立つともう目で追うこともできなくなった。突然大きな音がして水晶が砕け、盗賊がそれを蹴って駆けているものと思われたが、判るのはそれだけだ。まさしく疾風のように姿が見えず、雷のように速い。

 それは盗賊の男の固有スキル「疾風迅雷(Blitzkrieg )」。高速機動を可能とする固有スキルに加え、メイジの補助魔法「時間加速タイム・アセレーション」、さらには体重軽減のペンダントや速度上昇のブーツ等、いくつもの魔道具を併用し、彼はこれほどの超高速機動を実現しているのだ。


「こ、こんな……!」


 エラソナは恐慌状態に陥っていた。ヴァンパイアの動体視力や反射神経は人間の何倍も優れているが、その彼女ですら盗賊の攻撃に対抗することができなかった。それでも致命傷だけは何とか避けているが攻撃自体は躱しきれず、そのため彼女は肉体を端からどんどん失っていく結果となった。傍目にはまるで、盗賊が致命傷を与えないようにして手足ばかりを攻撃し、なぶりものにしているように見えただろう。


「こんな、馬鹿な、ばかな、ばかな――」


 右足を斬られて地面に倒れ、空中に逃れようとして今度は左足を斬られ、エラソナは四肢を失い達磨のような姿となった。激痛と混乱と恐慌のために浮遊魔法が上手く使えず、高度が取れず、頭ほどの高さをただ漂っているだけのエラソナ。それは盗賊からすれば手頃な的に過ぎなかった。


「ばかな、ばかな、ばかな――」

 盗賊の一撃がエラソナの胴体に直撃、胴体には腕が二本は入りそうな大きな風穴が開いた。エラソナの身体は地面に墜落し、盗賊は渾身の力でエラソナの首を断ち斬る。


「ばかな、ばかな、ばかな――」


 それでも、首だけになってもなおエラソナは生きていた。首だけのエラソナが歩くようにして左右に跳ねながら逃げていく。盗賊は力を使い果たしたのか、動けないでいる。エラソナは一瞬「このまま逃げられる」と考えた。


「が――」


 だがそれは本当に一瞬のことだった。エラソナの頭部をミスリル銀の杖が貫通する。三人の冒険者の一人、メイジの女性が既に動いていて、逃げようとするエラソナを銀の杖で串刺しとしたのだ。


「ばかな、ばかな、なぜ、なぜ――」


 エラソナにはもう戦うことも逃げることもできないし、本人にもその意志はないようだった。ただ自分の疑問をその冒険者達にぶつける。


「なぜ黄金クラスがこんなところに!!」


 唱えていた呪文が途切れてしまった。そのメイジは呆然としながらエラソナを見下ろす。


「あなた程度の相手のために黄金クラスが動くわけないでしょ」


「ならば白銀か?! くっ、黄金ならともかく白銀ごときにこのわたしが……」


 とエラソナは悔しげに呻いている。一方、三人の冒険者はエラソナの近くに集まっていて……呆れたような顔を見合わせていた。


「知性があるように思えたけど、頭腐ってんのかな?」


「そりゃ、アンデッド系のモンスターなんだから当然腐っているんだろう」


「てっきりヴァンパイアか何かだと思ってたけど、それにしてはあまりに弱っちいし……」


 と首を傾げている三人にファルサラが口を挟む。


「そいつはヴァンパイアよ。ただメルクリアンが苗床になっていて、なりたてだから」


 メイジの女性は「ああ、なるほど」と理解を示した。


「さらに言えば、レベルの高さを知性に振り向けた個体だったんでしょ。だからレベル三桁に達していても実質二桁の強さしか持っていなかった」


「でも頭腐ってるぞこいつ。自分のレベルも判らないくらいに」


 盗賊のその疑問にメイジが苦笑しながら答える。


「せっかくの知性の高さを油断とか増長とか、性格が台無しにしていたってことじゃない?」


 彼等の会話はある事実をエラソナへと突き付けていた。彼女は首だけとなった身を震わせるようにして、問う。


「まさか、まさか、まさか貴様等、青銅……」


「いいや」


 哀れむような笑みを浮かべ、盗賊は首を横に振ってそれを否定した。











「俺達はただの石ころだよ」











 エラソナは甲高い奇声を上げた。憤怒とも、悲鳴ともつかない絶望の奇声――盗賊がカットラスを振り下ろしてそれを止め、それと同時にエラソナの存在もそこで終わった。

 エラソナという名のヴァンパイアが屠られ、レベル一〇〇の魔核が盗賊の剣に吸収される。その光景を確認し、巽は意識を手放した。巽は水晶の地面に倒れ伏す。


「巽さん!」


 しのぶが自分の名を呼んでも巽の耳には届いていない。しのぶやファルサラが三人の冒険者に手助けを求めているのも、巽にとっては遠い世界の出来事だった。











 メルクリア大陸の町の一つ、ヴェルゲラン。その中心に建つマジックゲート社ヴェルゲラン支部、その付属病院。巽がそこに入院してもう三日経っていた。そして今日が退院日である。


「こっちで三日も入院するってよほどのことなんだぜ? 判ってる巽ちゃん?」


「ええ、もろちん」


 高辻の言葉に巽が頷く。巽が入院したと聞いて高辻は毎日顔を見に来てくれていたのだ。しのぶが巽に付きっきりだったことは言うまでもないだろう。

 元の世界なら一ヶ月は療養が必要な大怪我だったが、治癒魔法を使えるこちら側なら一日半でほぼ完治。残りの一日は減りすぎた血が増えるのを待っていたのと、念のための様子見である。


「それじゃ、お世話になりました」


「お大事に」


 看護婦やメイジの医師に頭を下げて、巽は病院を後にする。巽の両側にはしのぶと高辻が並んでいた。


「ああ、やっと退院できるか。でも二日も休んでバイト先には迷惑をかけたな」


「いいじゃん、バイトくらい」


 と高辻は言うが巽は「いえ」と強く首を振った。


「ちゃんと稼がないと生活できませんし。それにこっちでも、今回割と稼げましたけど鎧はもう使えないだろうし、この入院費だって……」


 一体どれだけのメルク金貨が必要となるのか、考えただけで気が遠くなり、気が沈んでくる。しのぶは「ま、また頑張りましょう!」と何とか励まそうとした。


「まあ、その辺は大丈夫」


 と高辻がへらへらと手を振る。


「メルクリア評議会から見舞金が下りてるから。入院費は全部向こう持ちだし、鎧だってそれなりのを一領贈ってくれるそうだぜ?」


「え、どうして」


 と首を傾げる巽に対し、高辻が呆れたように説明する。


「そりゃ、ヴァンパイアの単独犯なら連中には何の義理もないだろうがな。評議会に所属する商人がヴァンパイアに協力してマジックゲート社の冒険者を何人も死なせていたんだから」


 メルクリア評議会はこの大陸、この世界の統治を担う機関であり、メルクリア在住のメルクリアン商人によって構成されている。マジックゲート社と契約関係にあるのはこの評議会だった。

 高辻に指摘されて巽はようやくその点に思い至っている。


「……確かにそうだ。あのメルクリアン商人、カルジツァさんは」


「全財産没収の上に鉱山送りだとさ。死ぬまで鉱山で奴隷としてこき使われるらしい。どんなに頑丈な犯罪者でも二年以上生き延びた例がないって話だし、メルクリアンにとっちゃさっくり死刑になっていた方がまだマシかもしれんな」


 高辻が肩をすくめて言い、巽は少しの間何も言えなかった。巽と同じマジックゲート社の冒険者を何人もエラソナの生け贄に捧げてきたのだ。それは一回死んだくらいで償えるほどに軽い罪ではない。だが、


「……哀れですね」


 巽にはカルジツァに対する憎しみはない。ただ哀れに思うだけである。


「……わたしは、あの人の気持ちが判るような気がします」


 としのぶ。


「たとえモンスターになってしまっても、愛する人が生きているなら……」


 巽やしのぶがカルジツァに対して同情的なのは、彼が犠牲にした冒険者のことを顔も名前も知らず、人数すら聞かされていないからだった。もし直接の知り合いを殺されたのなら二人もまた悪鬼羅刹のように怒り狂っているだろう。

 ――刑の執行前にカルジツァは評議会の憲兵から事情聴取を受け、カルジツァは抵抗することなく全ての経緯を話したと言う。それによると、カルジツァとエラソナはやはり夫婦だった。零細商人のカルジツァは一攫千金を狙って未調査の遺跡を発掘していて、そこでヴァンパイアに襲われる。そのヴァンパイアは、おそらくはマジックゲート社の冒険者に狩られそうになり、殺される寸前で何とか逃げ出し、逃げ切ったのだろう。そして人気のない遺跡に身を隠し、力を回復しようとしていたのだ。

 だがそこにカルジツァ達が現れ、戦闘となり、護衛の冒険者はヴァンパイアによって全滅。一方そのヴァンパイアの生命も尽きようとしていた。だがそれは最後の力を振り絞ってエラソナを殺し――その身体を乗っ取ったのだ。だがあまりに瀕死だったために、またエラソナという器が小さく脆かったこともあり、知識も経験も、力すらもろくに継承させることができず……結果として生まれたのはエラソナという名の、最弱のヴァンパイアだった。

 カルジツァから見れば、死んだエラソナがヴァンパイアとなって甦ったようにしか思えず、事実としても八割五分はその通りだった。圧倒的な力の差と、妻を死なせたことに対する負い目、そして妻に対する愛情。それが、カルジツァがエラソナに協力していた理由だったのだろう。


「まあ、そのメルクリアンが哀れなのはその通りだろうが、それを言うならそいつに騙されてヴァンパイアの生け贄となった冒険者の方が何倍も哀れでみじめだ。巽ちゃん達もそうなる寸前だったんだぜ?」


 高辻の指摘に巽は「判っています」と頷く。


「で、だ。ここからが肝心だが――メルクリア評議会はできるだけ穏便にことを済ませたいと思っている。冒険者やマジックゲート社の敵意や反感を買いたくはないと。だからその商人をさっさと鉱山送りにしたし、死んだ冒険者達に対しても相応の見舞金を払うと言っている」


 巽は「はい」と頷いて続きを促した。


「メルクリアンと良い関係を保っていたいのはマジックゲート社も同じだ。だから生きているお前達はともかく、死んだ冒険者に対する見舞金は謝絶した」


 巽の目が驚きに見開かれた。


「どうしてそんな……死んだ人間こそ、残された者にこそそういうのが必要でしょう!」


「落ち着け。冒険者ってのはモンスターに殺されるもんだ。理由がどうあれ、こちら側で死んだことに関して、マジックゲート社が遺族に対して規定以上の見舞金を支払ったことは一度もない」


 高辻がことさらに冷徹にそう告げる。


「その原則を崩すことはない。そういうことだ」


「でも……」


 巽はそれを受け入れかねているようだったが、高辻は露悪的になりさらに重ねる。


「理由はもう一つある――今回はたまたまメルクリアンがヴァンパイアとなった。でもな、その条件なら冒険者がヴァンパイアになっていても不思議はなかったと思わないか?」


 高辻の問いに、巽は少しの間言葉を失った。


「……確かにそうです。むしろそちらの方が自然です」


「もしそうなっていたらどうなると思うよ?」


 巽は想像する。戦闘力で言うならレベル一以下のメルクリアンがあれだけの力を有する化け物となったのだ。もし冒険者がヴァンパイアとなっていれば……たとえ苗床が石ころだろうと、最低でも四桁に達するくらいの本物の化け物が生まれていたのは間違いない。


「……恐ろしいことになりそうですね」


「もちろんそんなことになればマジックゲート社は白銀クラスを動員して緊急討伐をするだろうけどな。そのモンスターがメルクリアンを襲ったなら……これは単なる杞憂じゃない。どういう形になるのかは判らない。だがテランとメルクリアンがこうして隣人として接している以上、テランが加害者となる事態もまたいつか必ず起こることなんだ」


 巽は少しの間、高辻の説明を腑に落としていた。


「……だからメルクリアンの責任を追及しないと?」


「今回は貸し一ってところかね。ま、高度な政治的判断てやつだ」


「高辻さんは俺にそれを納得させるために?」


 その問いに高辻は笑う。だが否定はしなかった。


「巽ちゃん達はそれなりにまとまったメルクが手に入る。新しい鎧だってほしいだろ? ここはおっちゃんの顔を立てると思ってさあ」


「高辻さんがそう言うなら」


 巽は決して納得したわけでないが、納得したふりをすることにした。巽が頷き、高辻が笑う。


「判った、借り一だな。近いうちに返してやるよ」


 高辻の話が終わり、「じゃあ、またな」と去っていく。それと入れ替わりのように何人かの人間が二人の前に現れた。


「もう大丈夫そうね」


「テランは貧弱じゃのー」


 と笑って言うのはファルサラとボロスだ。そしてその後ろには、


「よっ」


 と軽い調子で挨拶する、三人の冒険者。洞窟で突如現れ、エラソナを斃した三人だ。何組かのパーティ全滅にメルクリアン商人が関わっている――その疑念を持ったマジックゲート社に依頼されて彼等三人はカルジツァの動向を見張っていたのである。


「ご心配をおかけしました」


 とまず巽はファルサラ達に頭を下げ、次いで「その節はありがとうございます」とその三人にお礼をした。盗賊の男は「いいってことよ」と手を振っている。


「わたし達はディモンに帰るから、その前に挨拶をね」


 と言うので、巽はまずファルサラ達と別れを交わすこととした。


「そうですか。どうかお元気で」


「ええ、あなた達もね。正直、こんな魔境で冒険者を続けるつもりのあなた達の気が知れないんだけど……」


 とファルサラは肩をすくめる。


「儂等はディモンの田舎で細々と、趣味と実益を兼ねてモンスターを狩るわい。お主等も死なぬようにな、冒険者を引退できるならそれが一番じゃて」


 ボロスも笑ってそう言い、そして二人は去っていった。巽としのぶは、そして三人の冒険者達もそれを見送る。


「……ま、あの二人の言うことも間違いじゃないでしょうけどね」


 とメイジの女性。「ちょっと顔を見に来ただけだから」と彼等もまた立ち去ろうとしていた。が、そのとき。


「あの……済みません。一つだけお願いが」


「ん、何だ?」


 巽は意を決して、盗賊の男に頭を下げる。


「あなたのメダルを見せてもらえませんか。お願いします」


 真剣な巽の眼差しに男は戸惑いながらも、「ほらよ」と気軽に自分のメダルを巽へと差し出した。巽は宝石のように大事にそれを受け取る。ランク外の冒険者が全てそうであるように、彼のメダルもまた薄い石の円盤だった。そこに記載されているのは以下の情報である。


「諏訪開人/盗賊/ランク外/一万三六五〇ポイント/二一〇二位」


 巽は穴が空くほどにそのメダルを見つめ続けている。


「……あれだけ強くて、戦えて、ヴァンパイアすら一蹴できるくらいなのに、それでも石ころなのか……」


 巽が心の底から慨嘆する。あるいはそれは失礼の極みのように聞こえたかもしれないが、諏訪達三人はそうは受け止めなかった。今巽がいるのは、彼等もまた通ってきた道なのだから。


「俺達だっていつまでも石ころじゃねえよ」


 諏訪は巽の手から石のメダルを引ったくった。


「五年かけてようやくここまで来たんだ。あとちょっとで青銅に手が届く」


 そういって諏訪は拳を握り締める、決意と同じくらいに固く、鋼鉄よりも固く。戦士の男とメイジの女性もまた無言のまま、諏訪と同じ目をして頷いていた。


「じゃあな、ひよっこども。簡単に死ぬんじゃねーぞ」


 諏訪達がそれだけを言い残して去っていき、巽としのぶはその背中を見送った。今はまだ遙かに遠いその背中に、いつか追いつく日が来ると信じて。




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