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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
三年目
51/52

番外編その二「死霊使いの野望?」

番外編の追加です。時期的には33話と34話の間の話になります。


 日本には現在、一万二千人の冒険者がいる。

 冒険者は青銅・白銀・黄金の三クラスにランク分けされている。青銅クラスは一一〇〇人程度、白銀クラスは一〇〇人程度。黄金クラスは日本には四人、全世界で一二人しか存在していない。

 三クラスに入る冒険者は全体の一割。残りの九割はランク外の、「石ころ」と呼ばれる冒険者だ。冒険者歴一年九ヶ月(実質二年と六ヶ月)、国内順位四四七九位――花園巽は青銅クラスを目指して日夜精進する、石ころ冒険者である。






 第二〇二開拓地はアンデッド系モンスターの出現が多い新人向けの狩場であり、巽が何人もの新人冒険者を引き連れてそこにやってきたのは技術向上研修のためだった。

 今は封印されているが巽の固有スキル「つぎはぎの英雄」は他者の固有スキルを何回か見ただけでコピーする固有スキルで、その派生効果として巽は「その人が固有スキルを使っているかどうか」を識別することができる。それを使って、未だ固有スキルに目覚めない冒険者の固有スキル獲得を目指すのが「技術向上研修」だった。固有スキルに目覚めないことを悩んでいる低レベル冒険者は数知れず、藁にもすがる思いで巽の研修に申し込む者が順番待ちの長蛇の列を作っている。

 今回、第二〇二開拓地へとやってきたのは巽も含めて七名。


「しかしまー、ぱっとせん者ばかりよー集まったの」


 口さがない少女の頭に巽が拳骨を落とし、涙目の少女が巽をにらんだ。七名のうちの一人はクリアという、褐色の肌と白髪を持つ少女だ。彼女はドワーフのメイジで、今は亡き高位のダンピールからその記憶と経験(の一部)を引き継いでいる。彼女は引率側で、巽の補助だった……外見に応じてその精神年齢も幼く、他者への配慮だけでなくあらゆるところが抜けているが、それでもメイジとしては青銅レベルに優秀なのである。

 本当のことを言っただけじゃろうが、と今度は巽だけに聞こえるように呟くクリア。実際、今回の参加者は良くも悪くも平均的なド新人ばかりで、目を惹かれるような者は見当たらない――いや、一人だけ、悪い意味で目立っている者がいた。


「……えーっと、六角さんでしたか」


「はい、六角連司ろっかく・れんじです。今日はよろしくお願いします」


 深々と頭を下げるのはメイジの黒いローブを身にまとった男で、その年齢はどんなに若くとも四十代、順当に見るなら五十代。髪の薄い、貧相な、しょぼくれた、人生と生活に疲れた中年男である。


「大丈夫か? こやつ」


 クリアと同じ心配を巽も共有しているがここまで来て一人だけ帰らせるわけにもいかず、予定通り技術向上研修は開催された。巽とクリアは五人のド新人冒険者を引き連れて森の中へと入っていく。


「花園さん、やっぱり私のような年齢で冒険者になるのは珍しいんでしょうか」


「そうですね、俺が直接知る範囲では最高齢かもしれません」


 他の参加者はいずれも二十歳前後で六角と話が合うはずもなく、結果として孤立気味の六角を巽が相手することとなっている。なお名前を知っているだけの話でいいなら、黄金クラスの「シャドウ・マスター」は四〇代男性と言われており、ロンドン本部所属の通称「ヤーガおばさんバーバ・ヤーガ」は六〇代女性である。


「でもどうしてその年齢で冒険者に?」


「はい。三〇年間勤めていた会社が倒産して、退職金もなしで放り出されて路頭に迷いまして。女房からは離婚届みどりのかみを突き付けられて、子供の親権も家も女房あっちに取られて今は団地住まいです」


 六角が淡々と説明し、巽は「はあ」と間抜けな相槌を打つしかない。


「事務のスキルには多少の自信はありますが事務職での再就職はやっぱり年齢的に厳しく、しばらくは工場の派遣社員をやっていたんですが腰を痛めて辞めるしかなくなってしまって。どうしようと途方に暮れながらハローワークに向かっていたんですがその途中でたまたまマジックゲート社の冒険者募集の告示を見かけたんです。それで」


「気の迷いか自棄で受けてみたら受かったと」


 クリアの言葉に「はい」と頷く六角と、「なるほど」と頷く巽。そう言えばゆかりさんも同じような経緯だったと、巽は懐かしく思い返した。


「……正直に言えば冒険者になったときは有頂天でした。これで私を馬鹿にしていた上司や同僚や女房子供だって見返してやれると。ですがそんな甘い話があるはずもなく……私が使えるのは治癒魔法だけで、それにしたって特に優れているわけじゃありません」


 巽は「治癒魔法しか使えないメイジ」を何人か知っているが、その全員が入れてもらえるパーティをなかなか見つけられず苦労していたのを覚えている。


「じゃあ今はソロで」


「はい。狙うのはゾンビ兵や骸骨兵で、これで何とか」


 と六角は錫杖型の杖を示した。頭部はハンマーのようにごつく、遊輪は形だけ。魔法の発動体としての杖と近接戦闘用ハンマーを兼ねた、低レベル向けのアイテムだ。


「使うのもほとんどこの狩場で、毎週一〇匹くらい狩っていますからとりあえず生活はできますが」


 ん?と不審を感じる巽。ド新人でも戦士ならそのくらいは普通にできるだろうが、見たところ六角の物腰は素人そのものだ。正直に言えば「一対一でゾンビ兵を倒すのも厳しい」と思えるくらいだった。


「来たぞ、骸骨兵が二体」


 クリアが警告を発し、そのすぐ後に茂みをかき分けて骸骨兵が出現した。剣で武装したそれがのそのそと巽達へと接近してくる。


「六角さん、一人であの二体を相手できますか?」


「やってみます」


 六角は緊張も気負いもなくそれを引き受け、一人で前へと進んだ。同じように骸骨兵も前進して両者が互いの間合いに入る、その寸前。


「え?」


 骸骨兵が動きを止め、力が抜けたように頭をうなだれた。それはまるで殴ってもらうように頭を差し出したかのようで、六角は振り上げた錫杖を力任せにそこに叩き付ける。骸骨兵の頭部は陶器のように粉々となって、吐き出された魔核は錫杖へと回収された。それがくり返されて二体のモンスターを始末し、六角が巽の下へと戻ってくる。


「どうかしましたか?」


 丸くした巽の目に六角がそう問い、


「……六角さんの固有スキルですが、多分モンスターを操るものだと思います」


 今度は六角が目を丸くする番だった。






 六角連司の固有スキルの詳細が判明したのは後日のことである。


「他のモンスターは無理だったって話です。やっぱりあの人の固有スキルは」


死霊使いネクロマンシーじゃな」


 巽とクリアの報告に「なるほど」と頷くのは高辻鉄郎だ。


「メルクリアではほとんど使われぬがディモンではありふれておる」


 モンスター全般を使役するのがモンスターテイムという能力で、その中でもテイムの対象がアンデッド系に特化したのが死霊使いである。なおアンデッド系と言えばゾンビ兵や骸骨兵という雑魚代表からヴァンパイアのようにドラゴンに次ぐ超強力なモンスター、その中間のデュラハンまで多岐に渡っている。


「ヴァンパイアやダンピールであれば死霊使いは生まれながらに持っている能力じゃ。それは身体に伴う力で、今のわしには使えぬが」


「その専門家の目から見てあのおっちゃんの能力はどの程度なわけ?」


「そりゃーもう雑魚の雑魚、ド底辺もいいところじゃな」


 当人が目の前にいないのでクリアは好き勝手を言う。


「レベル二桁になればもう通用せん。狩れるのはゾンビ兵と骸骨兵だけじゃろう」


 巽と高辻は難しい顔で唸っている。


「それだけを狙って、それで生活するのはできない相談じゃないけど……」


「上を目指すのはまず無理だわな。それで一〇年やっていく、というのもありっちゃありなんだが」


 冒険者を一〇年続けて青銅クラスに昇格できなければ自動的に廃業となる。もし六角が一〇年間続けられるのならそのとき彼は六〇過ぎ、一般社会でもリタイア・年金生活となる年代だった。


「でも第二〇二開拓地だって、数が少ないだけでアンデッド系以外のモンスターも出ます。そのときにあの人が戦えますか?」


「いずれ必ず殺されるな。廃業した方が身のためじゃろうて」


 肩をすくめるクリアに巽と高辻は何も言えなかった。言い方はともかく、その結論には二人も同意するしかないのだから。

 ……六角連司を呼び出した高辻が廃業を促したのが後日のことで、彼はそれを拒否。第二〇二開拓地に狩りに出た六角が未帰還となったのはその翌日のことである。






 六角連司は巽にとってただすれ違っただけの相手に等しく、そもそも大阪支部だけで毎週のように一人二人死んでいくのが冒険者という職業だ。その死に関しても巽は多少の感傷を抱いただけで、その名もすぐに記憶の片隅へと追いやられた――もっとも、すぐに引っ張り出すこととなるのだが。


「緊急討伐ですか?」


「第二〇二開拓地で?」


 高辻に呼び出された巽とクリアは同じように首を傾げ、高辻はいつものように軽薄な態度で「まーねー」と頷いた。


「最近あそこでモンスターが出なくなって新人が困っているって話、聞いてるでしょ?」


「もちろん」


 困っているのは新人だけでなく高辻や巽のような研修を行う側も同じなのだが、それは置いておこう。


「昨日ある新人パーティがあそこに狩りに行って、一〇〇を超えるアンデッドの群れを見かけたって証言していた。狩れなくはないだろうけど安全を優先して帰ってきたと」


「いい判断ですね」


 アンデッドが群れを成すのは珍しくないがその数は最大でも二〇から三〇。一〇〇を超えた群れなど聞いたこともなく、


「何かおるな、上位モンスターが」


「そういうこと、早急な調査と討伐が必要って上は判断した」


 そしてそれにクリアや巽が動員されるのもまたいつもの話だった。


「最近こんなことばかりしている気がします」


 愚痴とも何ともつかないその感想に、


「いやー、巽ちゃん頼りになるからつい!」


 と高辻は笑ってごまかそうとした。


「いや、別にいいんですけど」


「助かるよー、恩に着るよー巽様!」


「わしが受けた依頼じゃぞ」


 大げさに感謝する高辻とちょっと不満げなクリアと、苦笑する巽。クリアは未だ保護観察処分の身の上で、それを解除するにはマジックゲート社に対する貢献が必要で、こういう依頼を一つでも多く引き受けていくしかない。そして腐れ縁の巽がそれに付き合わされるのも、半ば運命のようなものだった。

 そしてその日のうちに巽とクリアは調査に出発。それにある新人パーティ、昨日アンデッドの群れを見かけたというパーティが同行する。


「お前等かよ」


「お久しぶりっす! 師匠!」


 巽達の前にいるのは、メイジの鳴滝瑞穂、ごつい魔法の鎧で全身を隙間なく覆った竹田七瀬、それに忍者の柳馬場万里。この三人と一緒にゴブリンの群れを緊急討伐したのはつい先日の話で、彼女達はそれが縁でパーティを組むようになったという。


「でも昨日狩りに行ったばかりでまた今日も狩りに出るなんて」


「昨日は群れを見かけてすぐに引き返したから消耗はほとんどゼロです」


『でも収穫もゼロだったらしっかりお金を稼ぎたいですし』


「道案内できるのはわたし達だけだって一生懸命お願いして、許してもらったっす!」


 うーむ、と難しい顔で唸る巽だが、


「雑魚の相手は面倒じゃ、こやつ等に掃除をさせればよい」


 とクリアが同行を受け容れ、また三人も揃って祈るように指を組み、すがるような目で一心に巽を見つめてくる(七瀬は鎧に覆われているが)。巽は深々とため息をついた。彼女達の事情はよく判っているし、今の巽にとって雑魚の相手が面倒なのもまた本当なのである。


「こっちの指示にはちゃんと従うこと。それに何より安全第一、『生命を大事に』だ」


「判ってるっす!」


『もちろんです』


「がんばります!」


 三人はそれぞれの物言いで、明るく朗らかに返答する。返事だけはいいな、と巽は苦笑した。


「よし、それじゃ行くぞ」


 おー!と拳が突き上げられ、可愛らしい四つの声が重なった。


 ……第二〇二開拓地を歩くこと数時間、太陽の高さからして時刻は午後二時過ぎ。


「……あの砦っす」


 まだ距離があるのに声を潜める万里。ほとんど消えかけの獣道を数百メートル進んだ先には、一つの廃砦が存在していた。真四角の巨石をいくつも積み重ねて建てられたそれは、高さ数メートル。全体が蔦で覆われているため一見だけなら小高い丘と勘違いするかもしれなかった。


「この脇道はモンスターの発生頻度が非常に低く、あの砦もこの一〇年散々調査されて何もないことが確認されている」


「アンデッドがこの脇道に入っていくのを見かけて、後を追ったんです」


『そうしたらあんな風に』


 と七瀬が指差す砦は、ゾンビ兵と骸骨兵であふれていた。砦のあちこちに骸骨兵が見張りのように立っていて、砦の周囲は百を超えるゾンビ兵と骸骨兵がたむろしている。


「『モンスターホイホイ』は?」


「反応なしっす」


 万里の固有スキルは「モンスターホイホイ(仮)」、周囲のモンスターを自分へと引き寄せるスキルである。


「つまりはそれ以上の力でアンデッドが砦に引き寄せられておる……おるな、『死霊使い』が」


 その名詞に、巽はある人物を想起することを禁じ得なかった。


「六角さんはこの開拓地に狩りに出て帰ってこなかった」


「殺されたあの男が何かの拍子でモンスターとなったか」


「殺したモンスターがその固有スキルを奪ったか」


 巽が挙げたその可能性に瑞穂達は目を丸くした。


「そんなことがあり得るんですか?」


「具体的な実例は知らないけどあり得ない話じゃない」


 殺した冒険者の知識を奪い、しゃべるようになったゴブリンを知っている。その固有スキルを奪うために巽を殺そうとした冒険者のことを知っている。固有スキルを奪うモンスターがいたとしても、巽にとっては驚くような話ではなかった。


「それで、どうするつもりじゃ?」


 クリアの、瑞穂の、七瀬の、万里の視線が巽へと集中する。少しの間沈思黙考していた巽が決然と顔を上げた。


「――よし、焼こう」


 それから一〇分ほどの時間を経て。


「いきます! 『爆炎の乱舞バースト・ルンバ』!」


 木々をかき分けて砦の反対側に回った瑞穂がその固有スキルを行使。新人としては破格の威力を有する爆炎が砦全体を包み込んだ。同行する巽が「おー」と感心する。


「さて、どっちに……」


 と思っていたら信号弾代わりの発光魔法が天を貫くように発せられた。巽は即座に走り出そうとし、


「ちょっ、ちょっと待ってください……」


 魔力を使い果たしてへたり込んだ瑞穂に引き留められた。やむを得ず巽は瑞穂を背負って元来た道を全力疾走で引き返していく。

 ――巽の立てた作戦は非常に単純なものだった。


「まずは鳴滝の固有スキルで砦全体を焼く」


「さすがに砦丸ごとの破壊は無理だと思いますけど……」


「構わない。敵を燻り出すのが目的だ」


『でも裏側から逃げられたらどうするんですか?』


「うん、だから鳴滝が砦の裏側に回って固有魔法をぶっ放す。それで追い出された砦の主が表側に出てくれば良し」


 裏側に出てきた場合は瑞穂に同行する巽が相手をする予定だったが、表側に出てきたとクリアから発光魔法で合図があったのだ。砦の主はそこまで高レベルだとは思えず、実力だけなら青銅に匹敵するクリアもいるのだ。


「最悪でも俺が戻るまでの時間稼ぎぐらいは何とかなるはず!」


 それでもどこに落とし穴があるのか判らないのがこの商売であり、巽は最大戦速でクリア達三人の下を目指している。燃え盛る砦の脇を風のように走り抜け、瞬く間に巽は砦の正面に到着した。ちょうどそこではクリア達三人と砦の主が対峙しているところで、巽はその背後を突く形だ。上手くいくなら意表も突いてやろうと巽はその場に伏して身を隠した。砦の主はそれに気付いていない様子である。


「……やっぱり六角さんか」


 そこにいるのは六角連司だが黒いローブは破れ、肌は死体そのものの土色だ。その彼が憤怒と憎悪に満ちた目をクリア達へと向けている。


「……やってくれたな、よくも我が王国を」


「は、死者の王国で王様気取りか」


「それの何が悪い。ここに私の王国を、王道楽土を築くはずだったのに……!」


 六角と会話しつつもクリアは冷静に分析する――どう見ても死者だが彼は人間と変わらない知性と意志を残している。


「……お主、死霊使いのスキルで死体となった自分を操っておるのか」


「その通り。今の私は死者を超えた存在、リッチだ!」


 六角は破れたローブをひるがえし、巽は驚きに目を見開いた。リッチと言えばヴァンパイアに匹敵する、アンデッド系の最上位。石ころの巽など指の一振りで容易く殺せるくらいの怪物である。だが、


「リッチ……?」


 とクリアは不思議そうに首を傾げ、


「……リッチ、うーん、リッチ……確かにそう呼ぶしかないかもしれぬが……」


 うんうんと唸るクリアに六角は不満げな顔となり、


「何か文句があるのか」


「いや、お主がリッチを名乗ったら本物のリッチが怒ってここに押しかけてくるかもしれんぞ」


「え、本当に?」


 その暴言に六角は怒るよりも先に怯えている。


「それじゃ私は何のモンスターだと名乗ればいい?」


「ああ、うん。リッチを名乗るにはあまりにザコいからとりあえずただのアンデッドでいいんではないか?」


「よし、判った――今の私は死者を超えた死者、アンデッドだ!」


 格好つけて改めてローブを翻す六角だが、クリアや万里は生温かい目をそれを眺めている。一方の巽もまた疲れたように頭を抱えた。


「それでお主、結局ここで何をしておったんじゃ?」


「ふん、言っただろう。ここに私の王国を、王道楽土を築くのだと!」


「王道楽土?」


「その通り!」


 六角は再度破れたローブを翻し、朗々と、


「通勤に毎日往復三時間もかかることも、休日出勤やサービス残業を強要されることも、ボーナスを年間で一月にされることも、自社商品の自爆営業を無理強いされることもない! 専業主婦の女房にATM扱いされることも、娘に臭いと嫌われることも、自分の洗濯物を自分で洗濯することも、毎日自分一人だけコンビニ弁当ばかり食べることもない! そんな王道楽土を、ここに!!」


「ああ、うん。築けるといいっすね……」


 六角の瞳が光るのは、あるいは涙かもしれなかった。また万里や七瀬の目にも深い哀れみが宿っている。


「……このおじさん退治するの?」


『……どうしましょう?』


 と途方に暮れる瑞穂と七瀬。


「まだ何もしておらんしのー、さてどうするか」


 完全にモンスターに成り果てたとはいえ、六角はまだ人間側に対して被害らしい被害を与えていない。ここまでちゃんと意思の疎通のできる相手を問答無用でぶっ殺すのは、彼女達にはさすがに無理な相談であり、


「六角さん、マジックゲート社に出頭してはもらえませんか?」


 それは巽も同様なのだった。背後からいきなり声をかけられ、驚いた六角が振り返ると巽が歩み寄ってくるところである。


「出頭だと? だがモンスターの私を受け容れてくる場所などあるはずがない。だからここに王道楽土を」


「ディモンの魔王軍ならお主のような者などいくらでもいるぞ」


 クリアの言葉に六角が硬直する。その動揺をさらに揺さぶるように、


「何の保証にもならないけど俺もできる限りの口添えはします。マジックゲート社に出頭して今後のことを相談しましょう」


「だ、だが私はここに私の王道楽土を」


「さっきの条件くらいなら何とでもなるぞ」


 六角が出頭に同意したのはその直後のことだった。






 ――後日のことだが、結論を言えば六角連司のディモンへの移住と魔王軍への所属は無事認められることとなった。


「色々とお世話になりました、ありがとうございます」


 そこはヴェルゲラン支部の転移施設。六角はこれからディモンへと移動をするところで、それを巽や高辻やクリアが見送りに来たところだった。


「いや、俺は大したことは」


「おっちゃんは結構頑張ったけどねー」


 と高辻が胸を張り、六角が何度も頭を下げる。


「ディモンに言ったら間違ってもリッチとは名乗らぬようにな。死よりもひどい目に遭わされるぞ」


「気を付けます」


 クリアの忠告に六角は震え上がった。

 そして六角が魔法陣の向こう側へ、光と粒子となって消えていき、


「……さて。六角さんは築けるのかねぇ。王道楽土とやらを」

 クリアが「さてな」と肩をすくめる。


「魔王軍は力なき者にはとことん冷たい、この上なく生きにくい場所じゃからな。あの男は苦労するじゃろうが」


「幸運を祈るしかないねぇ」


 ――魔王軍は力こそ正義、力こそ全てのリアル世紀末と言うべき状況であり、日本のブラック企業など足元にも及ばないくらいの超絶ブラック組織。それでもモンスターとなった六角の居場所はもうそこくらいしかなく、彼が逃げないようその辺の説明は大分端折ったのである。この企てに加担した巽もまた何とも言い難い顔となるが、彼を死なせないためには他に選択の余地などなかったのだから仕方ない。

 ……その後、事務の経験を買われた六角連司が魔王軍の事務方で重宝された、という話は聞いていないが、そうなっていることと彼の幸運を、巽は何者かに祈らずにはいられないのだった。

新作宣伝のために番外編を追加しました。新作もよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます!
[一言] 更新きたー! 魔王軍、事務方が多いとは想像できん……。 六角さん、頑張れ!
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