第三六話「竜を屠るもの」
黒いドラゴンがレーザーそのものの火炎を口から発し、巽の身体は一撃で消し飛ばされてしまう。レーザーはそのまま背後の瓦礫に直撃、瓦礫が蒸発して瞬時に気体となったそれが業火とともに爆風となった。
黒いドラゴンは己が勝利に満足するが、それも一瞬未満のことだ。側面から襲来する巽を黒いドラゴンが迎撃し――巽の身体がドラゴンの頭部を突き抜けた。ドラゴンの反対側面に回った巽はそのまま後退して距離を取る。ドラゴンは怪訝と苛立ちを半々にして呻り、巽は大量の汗を手でぬぐった。
「影分身」で黒いドラゴンを惑わし、側面に回り込んで攻撃するように見せかけて「蜉蝣」で反対側面に回り込み、攻撃は断念してそのまま後退。この間「疾風迅雷」と「奥歯のスイッチ」は発動し続けている。たった数秒の攻防で気力体力の半分を費やしてしまったかのようだった。
「思った以上に、きつい」
この一〇ヶ月、巽は固有スキル封印の腕輪に手足を縛られてきた。さらに竜血剣の存在は足につながれた鉄球付きの鉄鎖と同じであり、巽はずっとその状態で冒険者を続けてきたのだ。だが今、腕輪の封印からは解放され、竜血剣は鉄鎖から羽根の生えたサンダルへと変わっている。竜血剣は己の存在を燃やし尽くしながら巽を支援してくれている。これまでと比較すれば体重がゼロとなり、背中に翼が生えたかのようだ。今ならル・ガルーの群れだって雑草を刈るように倒すことができるだろう。
だがそれでも、ドラゴンの力は圧倒的だった。
これまでがボウフラなら今はヤブ蚊――巽の力は結局のところその程度だった。逃げ回ることはできるし、竜血剣での嫌がらせもできるだろう。だがそれだけだ。逃げ回る体力がなくなればすぐに捕まって潰される。そしてその体力はこうして相対しているだけでどんどんと減り続けている。
これを半日続けるのか……巽の気が遠くなる。その弱気となった一瞬を見抜いたかのようにドラゴンが火炎を放射。逃げることもできず火炎は巽を直撃――切り裂かれた火炎が無数の炎の帯となって広がった。
「RIRIRIRIRI……」
黒いドラゴンが忌々しげに唸る一方、巽は目を丸くしている。竜血剣が巽を守るために勝手に動き、火炎を切り裂いたのだ。それに巽は気付いていないがドラゴンは状態異常の魔法や呪詛を既に行使し、その全てを竜血剣に無効にされている。元々竜血剣は黒いドラゴンに対抗するために生み出された呪いの結晶であり、何千年もの刻を経て黒いドラゴンと完全に同期している。呪詛を防ぐくらいは片手間仕事ですらなく、ドラゴンの側もその事実を把握する。
つまりはこの虫けらを始末するには直接踏み潰すしかないのか……黒いドラゴンは舌打ちをしたような顔となる。苛立たしげなその感情は竜血剣を通じて巽にも伝わった。
よし、と巽は再び気合いを入れ、身を翻した。瓦礫の山を飛び越えて走って逃げ出す巽に対し、黒いドラゴンは一瞬呆けたようになる。そしてすぐに巽を追って動き出した。
幅一メートル程度の建物と建物の間を走って逃げる巽。その頭上に差しかかる黒い影。上を見上げた巽の顔が引きつった。翼を広げた黒いドラゴンが建物を崩しながら巽に襲いかからんとする。必死に走って建物の間を駆け抜けて広い通りに出るが、そこにドラゴンが滑空してきた。
「空中疾走!」
巽はドラゴンを踏み台にして飛び越え、その背後に回り込んだ。そしてそのまま瓦礫の中に身を隠してしまう。怒ったドラゴンが火炎で瓦礫の山を消し飛ばすが、それは巽はさらに遠くまで逃げた後だった。
巽が逃げ、黒いドラゴンが追う。生命を懸けた鬼ごっこはそれなりの時間続き、ヴェルゲラン支部の中心部は瓦礫の荒野と化した。多少は申し訳なく巽だが職員や冒険者は避難済みで人的被害はないのだから、許してもらう他ない。
「よし、ここなら」
と巽が逃げ込んだのは鍛錬場だった。そこは客席がないだけの円形闘技場のような形をしており、そこそこの広さがある。第二ラウンドを始めるには悪くない場所だろう。黒いドラゴンがそこまでやってくるのに多少の間があり、巽は呼吸を整えることができた。
黒いドラゴンが上空から鍛錬場の中央へと降り立った。竜血剣を構えて臨戦態勢となる巽の一方、ドラゴンからはまるで殺意が感じられなかった。地形を覚えようとするかのように周囲を見回す黒いドラゴン。怪訝な顔の巽に対してドラゴンが嘲笑を見せつけ、
「RI――」
呪文を唱えるように啼き声を上げる。そうして黒いドラゴンは時間を巻き戻した。
時間を遡行したのはほんの数分だけだ。ドラゴンはその上で鍛錬場へと先回りし、上空に待機した。巽が姿を見せた瞬間に急降下して踏み潰そうとし――その後頭部がしたたかにぶん殴られた。体勢を崩したドラゴンが墜落する。混乱しながらも後ろをふり返ると、そこにいるのは巽だ。巽が空中疾走でドラゴンの背から逃げ出し、ドラゴンは体勢を立て直して無様な墜落だけは何とか免れた。
何故だ、と黒いドラゴンが虚空に問う。時間遡行まで使って裏をかいたのに、何故あの虫けらはさらにその裏をかくことができる? まさかあの虫けらも時間遡行か予知能力を……そこで黒いドラゴンは思い当たるのだ、巽が竜血剣を持っていることを。
ドラゴンが時間遡行を使えば、それと同期している竜血剣も時間を遡行する。そして竜血剣と深くつながっている巽もまたそれに巻き込まれて時間を遡行し……そこまで考えて「いや、まさか」とそれを否定する。完全に同期している竜血剣が時間遡行をしてしまうのはある意味当然だが、それを持っているだけの人間まで遡行するなど……可能性としてはあり得る話だが、そうなるのはその人間が竜血剣とよほど深くつながっていて、その上でその魂の容量がよほど小さい場合だけだろう。
一方の巽は自分に何が起こったのかを、完全にではないが把握していた。竜血剣に引っ張られる形で自分の魂が時間をさかのぼったことを、巽は感覚で理解している。
「完全に死ななければ時間を巻き戻して何度でもやり直せるなんて、反則そのものだな。でも、今の俺には通用しない」
巽のその自負は竜血剣を通じて黒いドラゴンにも伝わっている。ドラゴンは憤死するかと思われたがそれも長い時間ではなかった。あんな虫けらを相手にとっておきの奥の手を使ったことが間違いだったのだ。この爪で、この牙であの虫けらを八つ裂きにすればいいだけのこと……
「RIRI!」
突然足に強い痛みが走った。見ると、いつの間にか忍び寄っていた巽が竜血剣を足に――後ろ足の爪と肉の間に突き刺している。憤怒の咆吼を上げた黒いドラゴンがでたらめに火炎を連続放射し、巽は尻に帆をかけて逃げ出した。
両者の死闘は……死闘というほど華々しいものではなく、黒いドラゴンからすれば単に嫌がらせを受けているだけだが、巽にとってそれは死闘そのものだった。瓦礫に身を隠して隙を突いて決死の突撃をし、建物を盾にしてドラゴンの攻撃を必死に躱す。巽にしてみれば無限に等しい時間でありもう二、三何時間は稼いだかと思えたが、実際にはまだ十数分しか経っていなかった。
一方黒いドラゴンもまた苛立ちを深める一方であり、肉体的な損傷はゼロに等しいものの精神的なダメージは決して浅くはなかった。特にドラゴンとしての誇りはもうボロボロだ。だがそれは傲岸不遜であっても愚昧ではなく、何かの不運や間違いで再び封印されてしまう可能性を軽視もしなかった。この際は手段を問わずこの虫けらを始末するべきと判断し、
「な、なんだ?」
その手段はようやくこの場に到着したようだった。瓦礫を乗り越えて何者かが姿を現し――ギガントアントだ。ギガントアントの変異体が集まっている。一匹や二匹ではなく十匹、百匹、それ以上と。
「くそっ!」
竜血剣の一閃でギガントアントの身体は豆腐のように砕け散った。だがその戦闘の気配は巽の存在をドラゴンに知らせる目印となってしまう。逃げ出す巽だがその前に無数のギガントアントが立ちふさがった。
竜血剣の支援を受けた今の巽なら、ギガントアントの変異体だろうとゴブリンと変わらないただの雑魚だ。だが問題は圧倒的なその数だった。巽の逃げ場を奪うようにギガントアントが集結し、
「RIRIRIRIRI!」
ドラゴンはギガントアントを巻き込むことを一切厭わず攻撃してくる。ドラゴンの尻尾が旋回し、巽と何匹かのギガントアントが諸共に吹っ飛ばされた。ギガントアントは肉片となって飛び散り、巽は宙を舞って地面を転がる。
「く……はやく」
早く立ち上がって逃げなければならないのに、身体が動かない。その巽にドラゴンが接近し、大口を開け、ギロチンの刃のようにその牙が迫り――
「あ、あぶなかった……」
「な、しのぶ?!」
まさに危機一髪の巽を救ったのはしのぶだった。彼女は巽を突き飛ばすようにして竜の顎から逃れさせたのだ。
「馬鹿か! なんでこんなところに」
「話は後です」
巽としのぶが立ち上がってそれぞれの剣を構える。全身の痛みに顔をしかめる巽だが、それが急速に和らいだ。見ると、
「巽君、次は『加速』をかけるね!」
「雑魚の掃除くらいは任せてください」
ゆかりが巽に治癒魔法をかけ、その直衛に美咲が立っている。美咲は剣を縦横に振り回し、あたる幸いギガントアントを斬りまくった。巽は意味もなく口を開け閉めするだけで、何も言えないでいる。
そのゆかり達を、ドラゴンが一瞥した。美咲達は一歩だけ後退るがその場に踏み止まっている。ドラゴンが火炎を浴びせようとし、
「余所見してんじゃねーよ!!」
「空中疾走」で一気にドラゴンに接近した巽が竜血剣を大きく振りかぶる。が、ドラゴンは首を急旋回させ、その砲口を巽へと向けた。
「しまった!」
巽は竜血剣を盾にして我が身を守ろうとする。次の瞬間放たれた火炎が巽を直撃――
「世話かけるんじゃねーよ!」
巽の身体が下へと引っ張られ、間一髪で火炎は避けられる。巽はその人物と一緒に地面に降り立った。
「鞍馬口さん……」
「へっ、もう一生分の運は使い果たしたな」
そうふてぶてしく笑った鞍馬口天馬は速やかに後退。巽がそれに続いた。その後退を、
「どっこいせー!!」
「だうりゃー!!」
熊野亮と神ゴリ子が支援する。二人は大きな石を投げつけてドラゴンの注意を引こうとした。さらには、
「花園君、これを。治癒魔法も使います」
後退した先には円山鷲雄がいて、彼は巽に魔力補充のポーションを渡した。巽はそれを飲みながら、
「円山さんまで……どうしてこんな」
「いえ、私達ではドラゴンと戦うなんて無理ですが、ほんの小さなことでも何か手伝えるのならと」
「そういうことです」
そう言って剣を抜くのは塩小路蒔だった。
「わたしがあれの気を引きます。花園君は少しでも休んでください。それじゃ行きますよ」
「こういうのは柄じゃないんだけど」
そう言いながらも蒔と並んでいるのは鏡屋巴だ。二人がドラゴンへと走り出し……いや、二人だけではない。巽の知らない白銀、青銅、それに石ころまで。大勢の冒険者が集まってドラゴンに立ち向かっている。
「永遠の氷結!」
「煉獄の炎!」
撃ち放たれるのは紅蓮と蒼穹、二条のレーザー。それを連射しているのは二人のメイジだ。キラキラシスターズこと嵯峨朝日・嵯峨明星の二人である。
白銀の二人の攻撃を黒いドラゴンは物ともしなかった。が、煩わしそうな顔をする。殺意に見た眼が二人へと向けられた。
「ほら、時間を稼いで。わたし達を守りなさい」
「いっそ特攻してくれば? 骨は拾ってあげるから」
「無茶言うなー!!」
そう絶叫するのは今出川飛鳥だ。そう言いながらも彼は固有スキルを行使、ありったけの魔力を己が魔法剣に注ぎ込んでいく。大量の魔力を貯め込んだその刀身が灼熱となって輝いた。
「烈光剣!」
本当なら突撃して叩き斬るべきところだが飛鳥もそこまで無謀にはなれず、全力で剣を投擲する。剣はドラゴンの鱗に命中し、爆裂した。その程度で傷を負うドラゴンではないが、目眩ましとしては充分だ。飛鳥が注意を引いている間にキラキラシスターズは逃げ出している。
「みょんみょんみょん!」
いつになく気合を入れて己が固有スキル「モンスターホイホイ(仮)」を行使するのは柳馬場万里だ。万里に惹かれたギガントアントが集まってきて、万里を守るべく鳴滝瑞穂と竹田七瀬の二人が立ちふさがった。
『集まってきちゃったよー! どうするのー?! わたし達まだまだ低順位なのに!』
「でも師匠を放っておけないっす!」
「わたしの固有魔法ならあいつ等にも通用するはず! 時間を稼いで!」
『そんな無茶な!』
と泣き言を言う七瀬達の前に、一人の男が現れた。忍者装束のその男はギガントアントを虫けらのように次々と殺していく。
「雑魚の掃除は任せろ」
とその忍者――西之門北斗が三人に告げる。
「その代わり、メイジの君はドラゴンに攻撃を。派手な攻撃で一瞬でも注意を惹ければそれでいい」
「判りました!」
瑞穂が力強く頷く。北斗が周囲のギガントアントを一掃している間に瑞穂の魔法が完成した。
「いきます! 『爆炎の乱舞!!』
大規模な爆発がドラゴンの顔面を覆う。ドラゴンにとってそれはかんしゃく玉ほどの脅威にもならなかったが、瑞穂が作ったその隙に蒔がドラゴンに剣の一撃を加えている。
「あいつ等まで……」
と唖然とする巽。その横に並んで立つのはドワーフの少女、クリアである。
「ドラゴンに勝とうなどとは考えておらぬ」
少女はそう言いながら「加速」の魔法を蒔に対して行使する。
「じゃが『黄金のアルジュナ』ができるだけ早く救援を送ると言っておる。ならばそれを信じて、少しでも時間を稼ぐだけじゃ」
クリアの言葉は自分に言い聞かせるようであり、少女は血反吐を吐きそうになりながら補助魔法を行使している。巽はそんなクリアから視線を移し、蒔達の戦いを少しの間見守った。
「奥義、魔鏡剣!」
蒔がその必殺技を行使するがドラゴンがそんなものに惑わされるはずもなく、その剣はドラゴンの鱗に傷一つ付けられない。苛立たしげな黒いドラゴンが火炎を放射しようとし、蒔が唇を噛み締めた。今にも逃げ出したいのを必死の思いで耐え、
「いま」
火炎が放射されるのと同時に、その射線に岩の塊が割り込んでくる。それは鏡屋巴がこの場ででっち上げた瓦礫のゴーレムだ。不格好なゴーレムは火炎によって一瞬で蒸発するが、それは蒔が死地から脱出するのに充分な時間だった。
「あああ、あぶなかった……巴さんもう少し頑丈なゴーレムを」
「無茶言わないで」
いや「充分」は言い過ぎだったようで、蒔の侍装束はあちこちが焦げている。それでも戦闘に特に支障はなく、蒔と巴は生命を懸けた綱渡りに再挑戦した。
その戦いはまさに綱渡り――いや、白刃の上を歩くかのようだった。黒いドラゴンが致死性の呪詛を行使しようとするが、それを察した巽が吶喊して妨害。その巽をドラゴンが火炎放射で焼き殺そうとするが、それを鏡屋巴のゴーレムが阻止する。何十というゴーレムが生み出され、それが片端から火炎によって蒸発した。魔法の行使しすぎで魔力が干涸らび、酷使しすぎで脳が焼き切れても不思議はなかったが、彼女には何人もの青銅のメイジがバックアップとして付いていた。魔力が不足すればポーションで補充し、脳が痛めば即座に治癒魔法が行使される。もちろん魔法を使ったところで気力体力まで回復するわけではなく、彼女のそれはとっくに底を突いていたが、彼女は白銀としての意地だけで苛烈な戦いを続けていたのだ。
鏡屋巴の活躍と奮闘は誰の目にも明らかで非常に判りやすかったが、見えないところで彼女に匹敵するくらいに過酷な戦いを続け、戦線の維持に貢献していた者がいた――そう、ゆかりである。
(あいつ、鏡屋さんを狙って――)
(鏡屋さんは後退、嵯峨姉妹が後退を支援。巽君は後ろに回り込んで)
(こっちを狙ってきたか。でもこれなら耐えられる)
(嵯峨姉妹は攻撃! 巽君は一旦後退して治療と補給を受けて)
(よし、補給終わり)
(西側の瓦礫の山はあの火炎を受けても一回くらいは耐えられそうね。バックアップの第四班はそこに移動して待機、巽君は次の攻撃の後は西側に逃げ込んで)
(了解)
ゆかりは己が固有スキル「一心同体・生助帯」を駆使して何百人という冒険者を指揮していた。巽が竜血剣経由で察知している黒いドラゴンの思惑はリアルタイムでゆかりに伝わっている。それだけではなく何百人もの冒険者がそれぞれの居場所から見聞きしているドラゴンの行動・ギガントアントの抵抗・味方の配置といったあらゆる情報をゆかりは一人で集約し、それを元に全員に指示を飛ばしているのだ。
「くっ……」
消耗のあまり意識を失いかけ、倒れそうになったゆかりを青銅のメイジが支える。彼女はゆかりに魔力補充のポーションを手渡した。
「今治癒魔法を使います」
「ん、ありがと」
流れる鼻血を手でぬぐい、口に溜まった血を吐き捨て、残った血はポーションで胃へと流し込む。十秒に満たない中断を経てゆかりは再び全体の指揮に、戦線に復帰した。
鏡屋巴と同様、ゆかりにも何人ものメイジが専属のバックアップとして付いている。脳の神経が焼き切れそうになりながらもゆかりが何とか戦い続けていられるのはそれが理由だった。もしゆかりが指揮を執らず、それぞれが勝手に戦っていたなら巽を除く冒険者はおそらく全滅していただろう。犠牲が最小限に止まったのは間違いなくゆかりが死力を尽くしたからであり……逆に言えば、巽やゆかりでも戦死者をゼロにはできなかったのだ。
「ひ、た、たすけ――」
黒いドラゴンがわずかに火線をそらし、ある冒険者の至近に着弾。爆風はその冒険者を完全に呑み込み、彼の死体は肉の一片も残らなかった。それはドラゴンが意識してやったことではなく姿勢がぶれてそうなっただけの偶然であり、ドラゴンは冒険者を消し飛ばしたことにすら気付いていない。
巽やゆかりは唇を噛み締めるが、それも刹那の間でしかなかった。これ以上犠牲を出さないためには全神経をドラゴンに集中し、全身全霊を剣に込めて振るうしかないのだ。巽は何百回目になるか判らない突撃を敢行し、ゆかりは全体に若干の後退を指示した。
「ゆかりさん、ギガントアントはこれで一掃できたみたいです」
「石ころが何人か……助けに入るのが遅れて」
「そう……でもこれでひとまずは」
ゆかりの下にやってきたしのぶ達がそう報告。ゆかりは哀悼の思いをこの場は棚上げし、作戦を練り直そうとする。ゆかりの横に美咲としのぶが並び、ドラゴンに立ち向かう巽を見つめた。ドラゴンの吐き出す火炎を巽が剣で斬り裂く。ドラゴンの攻撃が途切れ、両者は動きを止めて対峙。殺意を込めた視線が虚空でぶつかり剣戟のように火花を散らし、やがて両者は実際に激突した。
「どのくらい経った? あとどのくらいで黄金が来てくれる?」
独り言のようなゆかりの問いに美咲としのぶが一瞬顔を見合わせ、
「戦いが始まってから……多分一時間くらい」
言い辛そうに告げられるその事実に、ゆかりの膝は崩れそうになった。もう丸一日は戦い続けたかのように思われたのに、まだたったの一時間――ゆかりの心に絶望が広がり、彼女は慌てて固有スキルの使用を中断した。
無理矢理気を取り直したゆかりが再び指揮を執り、中断はほんの十数秒のことでしかない。だがこの十数秒の空白は巽達にとっての致命傷だった。黒いドラゴンの攻撃を躱し、巽は手近な瓦礫の山の陰に逃げ込む。だがそこには何人かの石ころがいて、
「しまった!」
ゆかりはドラゴンの思考を読んだ上で巽に安全な逃げ場所を指示し、周囲の冒険者には必要に応じて待避を命じていた。その誘導がなくなったために巽は逃げ込む場所を安直に選んでしまい、そこには同じように考えた何人かの冒険者が既に避難していたのだ。
巽は即座にきびすを返してドラゴンへと向かって吶喊した。ドラゴンは大きく息を吸い込むようにし、最大出力で巽を攻撃しようとしている。生存本能が悲鳴を上げているが、躱すわけにも逃げるわけにもいかなかった。巽が避ければその後ろの冒険者達は火炎の直撃をくらい、骨も残さず蒸発するだろう。
「RIRIRIRIRI!!」
持てる魔力の大半を注ぎ込んだ、最大最高出力の火炎攻撃。ゆかり達はかなり離れた場所にいるのにまるで目の前に太陽が墜ちたかのようだ。その光だけで失明しかねず、その輻射熱だけで火傷をするかもしれず、彼女達は地面に伏せて身を守るしかなかった。
「た……巽さんは」
火炎放射が終わり、顔を上げたしのぶはまず巽の姿を探した。だが地面が焼けて立ちこめる煙が彼女達の視界を奪っている。少しの時間を経てまず明らかになったのは黒いドラゴンの姿だった。
その舌は灼け、牙は熔け……黒いドラゴンは自分自身の攻撃で手傷を負っていた。だが軽微な傷であり、この先の戦闘に支障があるわけではない。そしてその前に立っている人影が一つ。剣で身体を支えていたその人影は、両膝を屈して座り込んだ。
「た、たつみさん……」
手に持っている竜血剣からその人影が巽だと判断したしのぶだが、それが巽だとは信じられない……信じたくはなかった。髪は燃え尽き、服はほとんど灰となり、皮膚は大半が焼け落ち、むき出しとなった肉が炭化している。それはどう見ても焼死体の姿だった。
まずしのぶが、一歩遅れて美咲が巽へと向かって走り出す一方、ゆかりはその場に立ち尽くし、血が出るほどに唇を噛み締めている。巽が死んだとは思いたくないが……生きていてもどのみち戦闘は無理だろう。巽と竜血剣がなければ鏡屋巴やゆかりが生命を捨てようとドラゴンを抑えられるわけがない。この一時間ゆかり達が続けてきたのは結局のところ「巽の支援」でしかなかったのだから。
黄金が到着するまでの何時間か、野放しとなった黒いドラゴンはカルマを獲得するためにまず冒険者を、次いで町の住人を襲い、これを喰らうだろう。犠牲は何百人、何千人になるか見当もつかない。ゆかりは自分のミスでそうなるのだと思い込み、自責の念に囚われている。
だが戦列に加わった者の中で――もちろん巽も含めて――ゆかりを責める者が一人でもいるとはまず考えられなかった。ゆかりがミスをしたのは単に人間の限界を超えたからであり、ゆかりでなければ鏡屋巴が、彼女でなければ巽が似たようなミスをしただろう。巽も鏡屋巴もとっくに限界を超えていて……いや、戦いに加わった冒険者全員がもう限界だった。たまたまゆかりが先だっただけのことで、要するにドラゴンを相手に一時間戦えたことの方が奇跡であり偉業なのだ。
しのぶ達に大分遅れながら、ゆかりもまた巽の下へと駆け寄ろうとし、
「……何、この音?」
彼女は東の空を振り仰いだ。
「巽さん!」
「巽先輩!」
巽の下に駆け寄ったしのぶはその身体を抱きしめるようにして担ぎ上げた。炭化した肉を通し、心臓の鼓動がかすかに伝わる。
「まだ……まだ生きてます……!」
「良かった、すぐ病院に」
涙が溢れそうになるしのぶだが、安堵するのはあまりに早かった。黒いドラゴンが一歩前へと進み出る。美咲が巽達を守るためにドラゴンに剣を向け、ドラゴンは嘲笑するように牙を剝いた。
「RIRIRI……!」
ドラゴンはなぶるかのように殊更にゆっくりと歩を進める。美咲は大量の汗を流しながらも剣を向け続け、しのぶもまた巽を肩に担ぎながら忍者刀を抜いた。竜血剣の力によって巽が生き永らえていることは黒いドラゴンも把握している。ドラゴンは巽にとどめを刺すべく火炎を放射しようとし――それが空を見上げた。黒いドラゴンが東の空を見上げ、怒りと警戒に紅い眼を輝かせている。
「RIRIRIRIRI!」
黒いドラゴンが火炎を吐いた。東の空を飛ぶ何か――それに向かってレーザーのような火炎が一直線に突き進む。だが飛行している何かはそれをするりと躱した。
「何が来たんですか? 何に攻撃を?」
「そんなことは後です」
巽を担いだしのぶ達が後退するが、ドラゴンはそのことすら意識にないようだった。ただ忌々しげに東の空を――接近する何かを見つめている。ドラゴンと同じように全ての冒険者が空を見上げる中、見る間にそれは大きくなっていった。
「あの大きさにあの速度……まさか飛行機?」
「いや、違う……まさか」
黒いドラゴンに続き、接近するそれが何なのかを理解したのはその場にいるレンジャー達だった。魔法で強化された彼等の視力はその姿をもう捉えている。
「ど、ドラゴン……」
「いや……確かにドラゴンだがあれは」
そう、それはドラゴンの一種である。だが長く鋭い翼と細い胴体を持つそれは、ワイバーンと呼ばれる種類だった。ドラゴンの中でも最速を謳われ、その最高速度は音速を超えるとさえ言われている。
ヴェルゲラン上空、マジックゲート社ヴェルゲラン支部の直上へとやってきたワイバーンは速度を落として大きく旋回した。そうして高度を下げ――その背中から何者かが飛び降り、着地した。長身の男性で、髪は中途半端に長く、口ひげと無精ひげを生やし、古びた剣道着を着、肩に木刀を担ぎ……
「せ、先生……!」
感極まった声を上げたのは塩小路蒔だ。その男――阿頼耶剣こと一条如水は精悍な笑みを愛弟子へと向けた。
「遅くなったな、馬鹿弟子」
「いえ……いえ」
目に涙を溜めた蒔はそれ以上何も言えない。その横の鏡屋巴は「思ったよりずっと早かったわね」とその場に座り込んだ。一条如水は散歩のような何気なさでドラゴンへと向かって真っ直ぐに歩いていく。そして巽を逃そうとしているしのぶや美咲とすれ違い、
「……坊主はまだ生きているのか」
変わり果てた姿となった巽だがその得物で誰かを判断したらしい。しのぶもまた安堵の涙を湛えていて、その問いに頷くのが精一杯だった。一条如水は「そうか」と呟くように言い、後方に集まりつつある冒険者達へと顔を向けた。
「動けるメイジは全員集合! この坊主を死なせるんじゃねえぞ!」
何十人もの冒険者――全員ローブ姿のメイジだが、それが一斉に駆け寄ってくる。しのぶ達はあっと言う間にメイジの集団に包囲された。巽を中心に何重もの輪を作った彼等は高順位の白銀から順番に巽へと対して治癒魔法を行使する。彼等は残った魔力を空にする勢いで全力で治療を行った――ドラゴンの目の前で。ドラゴンが火炎を放射すれば彼等はまとめて巽と同じ姿となるのに、彼等はそんな危惧を一切抱いていないかのようだ。
「ああ、良かった……一時はどうなるかと思ったけど、何とか生き残れたね」
『でもあのワイバーンは一体どこから……調教されたワイバーンがカニンガムにいるなんて話、聞いたことない』
「どうでもいいっすよ、そんなこと」
そしてそれは他の冒険者達も同じである。彼等は安堵のあまりその場に座り込み、雑談を始める者もいる。ドラゴンはまだ彼等の目と鼻の先にいる。だがその場の冒険者達にとって黒いドラゴンはもう屠られたものと同じだった。黄金クラスが、阿頼耶剣がこの場に来てくれたのだから。
そしてその光景は黒いドラゴンの誇りを完膚無きまでに粉砕していた。強力無比な援軍に勇気づけられ、勢いづく――それならまだ判る。だが事態はそれをすっ飛ばし、誰も彼もが「戦いは終わった」と思い込んでいる。ドラゴンスレイヤーが負けるなどと、想像すらしていない。
この愚かな虫けらどもに己が力を思い知らせてやるべき――頭に血を昇らせる黒いドラゴンだが、近付く阿頼耶剣の姿にすぐに冷静となった。ドラゴンスレイヤーが到着するまで半日はかかるはずだがこれほど短い時間でやってくるとは――それは苦々しさと忌々しさを噛み締めている。
カニンガムからヴェルゲランまで、最速で援軍を送ることを求められたときに「黄金のアルジュナ」がどうしたか? 当然彼は固有スキル「千輻星眼」を行使し、少し未来の自分に教えてもらった。その上で彼は「ディモンの魔王からワイバーンをレンタルした」のだ。
騎乗できるように調教されたワイバーンはカニンガムも、メルクリアのどの町も有していない。だがディモンの四大魔王の配下にはそれなりの数が配備されていた。そしてシャドウ・マスターは四大魔王の幹部の一人、通称「ドッペル先生」とのチャンネルを持っている。そのコネを通じて交渉し、多大な借りは作ったもののワイバーンのレンタルとメルクリアへの配送を実現。アルジュナはわずか一時間で援軍を送ることができたのである。
黒いドラゴンにはそんな裏事情までは判らない。だがカニンガムからヴェルゲランまで、ごく短時間でドラゴンスレイヤーを送り込めることは理解し、把握した。今はそれで充分だった。
――それを計算に入れて、今度はもっと上手くやる。黒いドラゴンは内心でそう呟き、邪悪な笑みを口に浮かべた。今回は失敗したが、それがどうしたというのか。成功するまで十回でも百回でも同じ時をくり返せばいいだけのことだ。時間を巻き戻せば「杭」を持っている虫けらもまた時間が戻ってしまい、鬱陶しいことこの上ない。だがやつは異世界の虫けらだ。この町に、この世界にいないこともあるだろう。まずはもう一日早くこの町を襲ってみて「杭」を持っている虫けらが出てくるかを確認する。やつが出てこなくなるまで一日ずつ時間を巻き戻せば……そんなことを考えているうちに、ドラゴンスレイヤーはもう目の前までやってきていた。
黒いドラゴンは嘲笑するように牙を見せる。一方の阿頼耶剣もまた鼻を鳴らし、木刀を横に構えて抜刀術のような体勢となった。時間を巻き戻すのに手順も時間も必要ない。ただそれを願えばいいだけだ。次は見ていろ、と内心で呟いた黒いドラゴ
「RIRI―― ?」
胴体が両断され、中心核が完全に破壊された。黒いドラゴンには何が起きたのか理解できない。ただ判るのは自分の魂が取り返しの付かないレベルで破壊されたことだけだ。胴体が斜めに切断され、重力に引かれて上半分が滑り落ちつつある。なぜだ、なぜ、やつはまだ何もしていない、まだ攻撃をしていない――気が付けばドラゴンスレイヤーは木刀を振り抜いていた。ドラゴンの目にすら止まらない剣閃であり、木刀は刀身が蒸発して柄だけになっている。だが見間違えようがない。それの身体が両断され、魂が破壊されたのは彼が剣を振る前だった。
避けようのない死を目前にし、黒いドラゴンはひたすらに「なぜ」と問う。なぜ、なぜ斬られる前に斬られているのか――
――一瞬という言葉がある。「瞬き一回ほどの短い時間」という意味だが、秒にすれば十分の一秒ほどである。
刹那という言葉がある。短い時間を表現する言葉の一つであり、その長さは諸説あるが七五分の一秒とするのが一般的だ。
話を判りやすくするために剣と腕の長さをそれぞれ一メートルと仮定しよう。「剣を振る」という動きを、剣を持った腕が旋回して九〇度の弧を描くものと仮定しよう。この場合、剣の一振りでその先端は半径二メートルの弧を描き、三・一四メートル移動する。もしこの剣撃が「一瞬」の間に行われるなら、その速度は時速にして一一三キロメートル。「刹那」の間ならその速度は時速八四七キロメートルだ。
阿頼耶という言葉がある。何種類かの意味を持つ単語だが、数の単位としては百垓分の一を意味している。一条如水の剣閃はそのくらい速い、として付けられたのが「阿頼耶剣」の異名であり、彼の固有スキル名だった。もし彼の剣撃が一阿頼耶秒で行われるなら……いや、止めておこう。彼の剣はそこまで速くなく、あまりに誇張が過ぎている。実際の彼の剣閃は一沙秒、すなわち一億分の一秒ほどの速度だった。
一億分の一秒で三メートル強の距離を移動するなら、その速度は秒速三〇万キロメートル以上――つまりは光速を越えるのだ。
光速を越えるが故にその剣撃は時間も因果をも超越し、斬る前に斬った結果が実現する。どのような物理的・魔法的防御も一切意味がなく、これを阻むものは何もない。ヴェルゲランへの援軍には一条如水だけでなくシャドウ・マスターも立候補し、行くことを強く望んだのだが、固有スキル同士の相性を考慮したアルジュナが阿頼耶剣の方を選んだのだ。そして結果はアルジュナの計算と未来予知通り。
「RI――」
なぜ、と問うように黒いドラゴンが最期に啼く。そうしてそれは永遠に沈黙した。
「とりあえず時間を止める結界を展開したわ。この中にいる限りこれ以上悪化はしないけど、あまり長くは持たないわよ」
「ここの病院には同じようなマジックアイテムがあったはずだ」
「連れて行くよりもそれを取ってきた方が安全そうですね。何人か同行してください」
そして、戦いが終わる前に終わった結果が現実となって動いている。集まったメイジ達は巽を救うために最善を選んで行動しており、しのぶや美咲やゆかりはその光景を祈るように見つめている。
名も知れない黒いドラゴンは斃れ、死闘は終わりを告げた。マジックゲート社ヴェルゲラン支部は多大な被害を受けたが、冒険者達はもう復旧に向けての行動を始めていた。
黒いドラゴンの襲来から二ヶ月近くが経過し、ときは三月の月末。場所はメルクリア大陸ヴェルゲラン、マジックゲート社ヴェルゲラン支部。
「ああ、ようやく退院できるか。この二ヶ月長かった……」
巽はそう感慨にふけっている。焼死体同然だった巽は白銀を筆頭とする多数のメイジの尽力によりかろうじて一命を取り留め、実に二ヶ月近くも入院。そして今日ようやく退院の運びとなったのだ。
お大事に、とメイジの医者や看護士に声をかけられ、巽は「ありがとうございます」と返答しながら歩いていく。扉を開けて巽が病院の外に出、
「おめでとー!」
「退院おめでとうございます」
「おめでとう!」
十何人もの冒険者が拍手で出迎えた。しのぶ・美咲・ゆかりは言うまでもなく、高辻・熊野亮・鞍馬口天馬・神ゴリ子・円山鷲雄・クリアといった親しい友人の他、鳴滝瑞穂・竹田七瀬・柳馬場万里の三人、技術向上研修で知り合った冒険者達。それに塩小路蒔まで。
「みんな……ありがとうございます」
感無量の巽はありきたりな礼を言い、深々と頭を下げることしかできなかった。
「それにしても二ヶ月は長かったですね。身体の方は大丈夫ですか?」
蒔の問いに巽は「ええ、もうすっかり」と笑顔を見せる。実際、巽の身体に火傷の跡はもう一つも残っていない。
「でも、塩小路さんまでわざわざ東京から」
「わたしは先生の代理です。先生自ら行こうともしていたんですが、わたしが代わりに行くからと止めました」
巽は「助かりました」と安堵の顔となった。
「塩小路さんで良かったです。阿頼耶剣にご足労を願うなんてそんな恐れ多いこと」
「『黄金のアルジュナ』が巽ちゃんの見舞いに来るって話もあったんだぜぇ?」
と高辻がからかうように言う。
「巽ちゃんはドラゴンと戦ってヴェルゲランを守った英雄なんだからそのくらいはあってもいいと思うけどねー。ま、そのお見舞い話は流れちゃったけど」
「でもお花は届いてたわよね」
「シャドウ・マスターからも届いていました」
「うちの先生も当然送っています」
ゆかりやしのぶや蒔の言葉に巽は深々と頷き、「普通の花だったけど無闇に豪華だった」と改めて嘆息した。
「あと、メルクリアンの評議会から退院の祝電が」
「後で読ませてもらいます」
と巽は辟易した様子となった。
……ある目的地へと向かって巽が歩き出し、一同がそれに同行する。巽は復興の進むヴェルゲラン支部内の様子を興味深げに眺め回した。いくつもの建物の建築が同時に進んでおり、ディモンから集められた大勢の人足が忙しく働いている。エルフのメイジが動かしているのは建築作業用のゴーレムであり、石のそれは自分で自分の身体を分解するようにして石の建物を作っていた。
「大分元通りになってきたんだな」
「マジックゲート社は通常通りの業務を再開しています」
「全部の施設が元に戻るのはかなり先だろうけどね」
「そりゃーあれだけ壊されればな」
鞍馬口が軽口を叩いて巽がばつの悪そうな顔をする。しのぶ達に睨まれて鞍馬口が怯み、
「壊れた建物はまた建てればいいじゃん?」
「冒険者から一四人、非戦闘員から五人。建物のことを気にしていたら犠牲はこの程度じゃ済まなかっただろうさ」
高辻と熊野がフォローをし、
「生き残れたかどうかも判らないしね。巽君もわたし達も」
ゆかりがそう結論づけ、一同が頷いてそれに同意した。
散歩するように歩くこと数分、巽はようやく目的地に到着した。同じヴェルゲラン支部にありながら巽がこれまで一度も足を踏み入れたことがない場所――青銅以上専用の施設である。美咲達にとっては普段使っている施設だが巽や熊野達には初めての場所であり、彼等は物珍しげに周囲を見回している……設備自体は石ころ用とほとんど何も変わらないのだが。
「巽さん、あそこです」
しのぶに案内されて巽は受付に向かい、職員に声をかけた。
「済みません。昇級の申請をした花園です」
「はい、お待ちしておりました」
その男性職員は笑顔で巽を出迎える。
「申し訳ありませんが花園さんには無試験で昇級するだけの実績が足りません」
「はい、判っています」
そう頷く巽だが野次馬気分で同行している面々は、
「巽先輩はドラゴンと戦ってこの町を守った英雄なのに」
「ドラゴンと一時間も戦って生き延びたのに、それでも実績が足りねーって言うのかよ」
等と文句を言っている。職員はそれをなだめるように、
「手続きは守っていただかなければ……ドラゴンと比べればレベル一〇〇のゴーレムなんて玩具みたいなものですから」
「試験って言っても形だけみたいなもんだよねー」
高辻の言葉に一同の不満も収まる。巽は苦笑しながら、
「さすがに黒いドラゴンと戦ったときのようにはいかないけど」
それでも満腔の自信をその台詞ににじませた。黒いドラゴンの死と共に竜血剣はその役目を終えて消え去り、今巽の手にあるのはミスリル銀とアダマントの合成剣だ。色々あって塩小路蒔から譲り受けることとなった剣だが、レベル三桁のモンスターと戦うのにも不足はない。
「巽なら心配ないだろう」
「俺達も青銅になれるほどじゃなくてもかなり順位を上げたしな」
鞍馬口達が言うように、あの戦いに参加した多くの者が冒険者として成長し、大きく順位を上げていた。石ころ上位の中には青銅になった者も複数いる。ただのモンスターではない、ドラゴンという圧倒的・絶対的な強者と戦い、生き延びた経験。それが彼等の殻を破り、その魂を成長させたのだ。もちろんその程度は一律ではなく、過酷な状況にあった者ほど成長の度合いが高い傾向にあり――誰が最も苛烈な戦いを強いられていたかは言うまでもないだろう。
「でも巽君。二ヶ月も入院していて今日退院したばっかりなのに、いきなり試験はちょっと無茶なんじゃない?」
「確かにそうです。少しならし運転をしてからの方が」
それはこれまで何度かくり返された忠告なのだが、巽の返答は決まっていた。
「いや、今日を逃すと明日からもう四年目だ。今日のうちに青銅になっておかないと」
巽はそう強硬に主張し、ゆかり達の懸念もその決意を変えることはできなかった。退院にしても本当はもう何日か様子見したいと医者は言っていたのだが、巽が半ば無理矢理今日を退院日にしたのである。三年のうちに青銅クラスとなるために。
「そんなの気にする必要はないのに」
と考えているのは美咲達のような青銅組だけで、熊野や鞍馬口といった石ころ組は「気持ちはよく判る」と巽を止めはしなかった。「三年」という数字は石ころにとって何より強固な呪縛なのである。
「それでは頑張ってください」
「ありがとうございます」
職員に礼を言って巽は施設の奥へと向かう。一分も歩かないうちに巽は青銅昇級の試験会場へと到着した。そこは客席がないだけの円形闘技場そのもののような場所であり、
「来たわね」
そこで巽を待っていたのは黒いゴスロリ姿の女性――鏡屋巴である。その彼女の背後には一体の鎧型ゴーレムが控えている。身長や体格は巽の鏡写しのようだ。
「それが俺の試験の相手ですか」
「ええ、その通り……正直時間の無駄だと思うんだけど」
面倒だわ、と呟きながら鏡屋巴がゴーレムを起動。巽もまた剣を抜いてそれと相対した。
「試験官としては公正を期して、最初から全力でいくわ。さっさと終わらせなさい」
「判りました」
しのぶ・美咲・ゆかり、高辻や熊野や石ころの仲間達、それに塩小路蒔。彼等が見守る中、巽とゴーレムが剣を向け合い、対峙する。数拍の時間をおき、
「それじゃ、はじめ」
鏡屋巴が気合いの入らない合図をし、試験が始まった。
「おおおーーっっっ!!」
巽が裂帛の気合いを込めて吶喊し、石のゴーレムを一刀のもとに――
「……レベル五桁のドラゴンには負けなかったのに、三桁のゴーレムには負けるのかよ」
あっけなくゴーレムに負けて、巽は試験に不合格となった。
「あの、その……二ヶ月も入院していて身体が鈍っていたからですよね」
「準備不足もいいところでしたね」
「だから今日でなくてもって言ったのに」
「まあ、巽ちゃんには合計で五ヶ月のブランクがあるんだし、三年のジンクスをまだ気にする必要はないんじゃないの?」
しのぶ達や高辻は慰めの言葉をかけてくれるが、鏡屋巴や塩小路蒔、その他の面々は開いた口がふさがらない様子で呆れた目を向けるばかりだ。そして巽の落ち込みは地殻を掘り抜いてマントルに達するかのごとき勢いだった。
日本には現在、一万二千人の冒険者がいる。
冒険者は青銅・白銀・黄金の三クラスにランク分けされている。青銅クラスは一一〇〇人程度、白銀クラスは一〇〇人程度。黄金クラスは日本には四人、全世界で一二人しか存在していない。
三クラスに入る冒険者は全体の一割。残りの九割はランク外の、「石ころ」と呼ばれる冒険者だ。冒険者歴三年(実質二年と七ヶ月)、国内順位五〇一九位――花園巽は「ドラゴンに勝っていながらゴーレムに負けた」という伝説を作った石ころ冒険者である。なお巽がその汚名を返上するのは今しばらく先のことだった。
本作はこれにて完結です……とこれを書くのも2回目ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。




