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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
三年目
48/52

第三五話「黒いドラゴン・後編」




 ――それは何千年もの間、地の底で苦痛と屈辱に呻いていた。

 数千年前、それは暴君として地上に君臨していた。他のドラゴンと比較すればそれの体躯は非常に貧弱で、それの鱗は薄っぺらく、それの翼はごくちっぽけだ。だがそれの奥の手は同族の中でも隔絶したものであり、他のドラゴンですら表立ってそれに敵対しようとはしなかった。

 人間とかいう虫けらはそれにとってはエサであり、暇潰しの玩具に過ぎない。町を襲って人間を喰らい、戯れに畑を焼き払う。悲嘆と怨嗟の声も、吐き出される呪詛も、それにとっては音楽のように心地良い音色だった。まるで、鈴虫の音に風流を感じるように。蝉時雨に侘寂わびさびを覚えるように。

 ドラゴンの中には人間を(正確には一部の人間を)認めているものもいる。友として、あるいは敬意を表する敵として――それからしてみれば失笑ものだった。こんな虫けらに何の力がある? それはそううそぶき、好き勝手に人間を喰らい続けた。他のドラゴンと比べればそれの身体は貧相だが、逆に言えば成長の余地があるということだ。奥の手だけでなく物理的にも他のドラゴンを圧倒するために、自らを成長させるために――人間の価値があるとすればそれはカルマの供給源として、だった。

 もちろん人間も唯々諾々と喰われ続けたわけではないが、それは全ての抵抗を圧倒的な力の差によって押し潰してきた。人間の中にもそこそこ戦える者がいるようだが、それでも人間がドラゴンに勝てるはずがない。人間相手に奥の手を使うなど――そこに油断と慢心があったのは否めない。結果としてそれは地の底に封印され、永遠にも等しい時間をこうして暗闇の中で過ごしている。

 ――殺してやる。一匹残らず喰らい尽くしてやる。大陸全てを焼き尽くしてやる。

 それは地の底で呻吟し続けた。何とか封印を解こうとあがいても、それの身体を貫いている「杭」はまるで根が生えたように微動だにしなかった。「杭」には想像を絶するほどに強固な呪いがかかっていて、それの奥の手も完全に封じられている。虫けらだけではこんなものを用意できはしない、虫けらに手を貸したドラゴンがいる――根拠など何もない。だがそれにとっては疑う必要のない、絶対の真理だった。ドラゴンも殺す、全ての人間を喰らい尽くしたあとは全てのドラゴンを殺してやる――それの憎悪は狂気の域に達している。

 ある日、不意に封印が解かれた。

 最初は夢か妄想ではないかと疑い、次いで罠の可能性を検討した。だが何度確認しても「杭」が抜けている。よくよく見ると、見たことのないおかしな虫がそれの墓所周囲に巣を作り、それ自身を掘り当て、「杭」を引っこ抜いたのだ。蟻そっくりのその虫は、おそらく「杭」を武器として使おうと考えたのだろう。

 それは喜ぶよりも何よりも先にまず「杭」を破壊せんとした。今すぐに粉々にしてしまわなければ、また封印されてしまう――焦ったそれがわずかに残った力を使い果たす勢いで駆使するが、「杭」は何をどうやっても破壊できない。何としてでも破壊するべく相当の時間と労力を費やすがそれらが全て無駄に終わり、破壊は不可能だと結論せざるを得なかった。何千年もの間それの身体に突き刺さり、それの魔力を浴び続けていた「杭」は、どうやらそれの存在と同化・同期してしまっているらしい。それが死ねば「杭」も自然と崩壊するだろうが、それでは何の意味もなかった。

 それは「杭」を人間の手の届かない、地中深くに埋めることで我慢することを余儀なくされた。それを発掘した蟻のモンスターは地下に巣を作るタイプだ。その蟻どもはそれの魔力を濃密に浴び、多くの個体が変異を起こすまでになっている。魔力の大本であるそれが命令を聞かせることなど、魔法を使うまでもない。それはそのモンスターに「杭」の処分を命令し、実行させた。

 ひとまずの満足を得たそれが次に何をするか。人間を皆殺しにしようとするに決まっている。だが「杭」と悪戦苦闘する中でそれも冷静さを取り戻したようだった。人間とドラゴンを皆殺しにするという大目的に変更はない。だがそれを達成するためには封印で失った力を回復する必要があり……いや、回復だけでは足りない。以前よりも強い力を手に入れなければまた人間にしてやられる――それは傲慢であっても愚劣ではない。それは人間の力を正しく認識し、理解していた。

 力を回復させ、以前よりも成長させるのに最も手っ取り早い方法は人間を襲ってカルマを獲得することだ。大目的にも沿い、それの趣味にも合い、ちょうどいい。だが人間を襲うにしても現状がどうなっているのか。何千年も経っている中、人間の数と戦力が今どの程度この大陸にあるのか。まずはそれを知らなければ何も始まりはしないだろう。

 それは慎重に情報収集から始めた。蟻のモンスターに拉致させた人間から情報を吐き出させ――石橋を叩いて正解だったと、それは胸をなで下ろした。現在大陸中に何万という異世界からの冒険者がおり、そのうちの一二人はドラゴンを殺した実績があるという。ドラゴンスレイヤーが一二人……! 戦慄するそれだが、だからと言って大目的を諦めるなど脳裏をかすめもしない。それが考えるのは一二人のドラゴンスレイヤーをどう出し抜き、如何にして人間の町を襲うか、それだけだ。

 一二人のドラゴンスレイヤーの、それぞれの能力。襲うべき町の位置と規模。ドラゴンスレイヤー以外の戦力。様々な要素の情報を収集し、くり返し検討する。「杭」があろうとなかろうと、ドラゴンスレイヤーを殺せるなどと考えるべきではない。だがドラゴンスレイヤー以外の戦力に見るべきものはなかった。何万という冒険者もそれから見れば高純度のカルマを提供してくれる、良いエサだ。

 人間の町を襲う計画が形となる頃にはそれの力もある程度は回復していた。封印前と比較すれば頼りないこと甚だしいが、それでもドラゴンスレイヤー以外と戦って負けるなど考えられない。

 ――泣き喚け、命乞いをしろ。それごと貴様等の生命と身体を踏みにじってやる。町という町を瓦礫と化し、畑という畑を焼け野原にしてやる。全ての人間を根絶やしにし、全てのカルマをこの手に……!

 それは計画を実行するため、黒い翼を広げて空へと飛び立った。











「黒いドラゴンが無明の担当地区に降り立った。すぐに支援を」


『いや、不要だ』


 魔法の通信機から返ってきたのは涼やかな男の声だ。彼は『すぐに終わる』とだけ伝えて通信を切った。小さく肩をすくめた「黄金のアルジュナ」が別の通信機に向かい、


「聞いての通りだ。その場で待機を」


『判った』


『早く終わらせてほしいわね』


 阿頼耶剣と鉄仮面からの返答があり、アルジュナは通信を終えた。今アルジュナがいるのはマジックゲート社カニンガム支部の一室。多くの机と椅子が並ぶその部屋は、カニンガム支部の会議室の一つだった。

 アルジュナは安物の椅子に深々と座り、足を机の上に投げ出し、眠るように目を瞑って額に人差し指と中指の先を当てた。


「……状況はどうなっている?」


 アルジュナの他は誰もいないのに何者かの声がした。その問いにアルジュナが天井に向かうようにして返答する。


「未来に変わりはない。無明は黒いドラゴンを圧倒する。黒いドラゴンは逃げ回るがついには追い詰められ、無明の拳によって真っ二つとなる。あと七分ほどだ」


「そこから先が見えないのも同じか」


 その確認にアルジュナは無言のまま頷いた。困惑するようなため息が聞こえているが、その姿は全く見えないままである。


「あと七分でお前の未来予知が途切れる。それは……」


「私の生命もあと七分、いやもう六分か。一体何が起きるのだろうな」


 アルジュナの声には恐怖も焦燥も、諦念もない。むしろ期待に浮き立つかのようで、見えない話し相手――シャドウ・マスターをさらに当惑させた。彼は咎めるようにアルジュナに問う。


「お前は自分の死を望んでいるのか?」


 彼は「まさか」と言下に否定した。


「今、私が楽しんでいるとするならそれは読めない未来と未知の敵に対してだ。自分の死を回避し、黒いドラゴンに勝つために私は最善を尽くしている」


 それはその通りだ、とシャドウ・マスターも同意した。たった一人でもドラゴンを倒せる黄金クラスを四人も集め、うち三人を迎撃に向かわせ、念のために一人を直衛に残している。


「黒いドラゴンは無様に逃げ回っているだけだ。ここからどうやって逆転するのか……」


 アルジュナは首から下げたいくつものアミュレットを軽く揺らした。その一つ一つに何十万メルクもの値が付き、その効果は防護・反射・結界・呪詛返し・隠形・変わり身等々。物理的・魔法的・霊的問わず、あらゆる攻撃から身を守るための万全の態勢を整えている。


「白銀のメイジには結界を張らせている。ドラゴンの呪詛だろうとこの結界とこのアミュレットの防護を突破できはしないだろう」


「仮に黒いドラゴンが瞬間移動か何かを使っていきなりこの場にやってこようと、私がいる限りはお前を殺させはせん。黒いドラゴンとは無関係な攻撃や暗殺に対しても過剰なほどの対策を講じている」


 カニンガム支部にはマジックゲート社オーナーのアルジュナのために執務室が設置されているが、今彼がいるのはそこではなく一般職員用の会議室だ。本来彼がいるはずがない場所で身を潜めているのも敵の目を眩ませるためであり、そんな姑息と言うべき手段を使っているのも逆に言えばアルジュナ達がそれだけ本気だという証拠だった。

 そんな話をしている間にも時計の針は進んでいる。予知のままに黒いドラゴンは無明によって追い詰められており、アルジュナは「そろそろか」と呟いた。

 ――アルジュナ達がいる場所から数キロメートル離れた、町の外。そこでは今、一匹のドラゴンが生命を絶たれようとしていた。黒いドラゴンは頭部から尻尾の先まで、その全長十数メートル。後ろ足で立った状態ならその全高は六、七メートルにもなるだろう。だがそれはドラゴンとしては子供かと思われるほどの小ささだった。


「RIRIRIRIRI……!」


 黒いドラゴンは一人の男を前にし、金属的な呻り声を上げている。黒いドラゴンの腕は折れ、足は砕け、翼は裂け、鱗は剥がれ、その全身は己が血で濡れている。満身創痍といった有様のドラゴンの一方、それと対峙する男は無傷のままだった。

 長身で痩身、二〇代後半と見られる、若い男である。身にしているのは中国拳法カンフーの道着。武器は一切手にしておらず、ただ黒いグローブで両手を覆っている。ドラゴンの皮をなめしたそのグローブが彼にとっての唯一の武器と言えるかもしれなかった。

 髪は肩胛骨に届くくらいの長さ。おそらく……いや、まず間違いなく美形である。彼は両目の部分にさらしを巻いて覆っているため、その顔の全てを見た者は誰もいないのだ。

 彼は「無明」の通称で呼ばれる、東京支部に所属する黄金クラスの冒険者だ。中国出身の功夫使いで、武器を使わず徒手空拳でドラゴンを殴り殺した男としてその名を轟かせている。そして今また一匹のドラゴンが彼の伝説に名を連ねようとしていた。


「RIRIRIRIRI!!」


 黒いドラゴンが口から火炎を吐いた。いや、熱と魔力が極限まで収束したそれは火炎などというものではない。まさしくそれはレーザーだ。が、無明はその攻撃にわずかに首をひねるだけだ。レーザーは無明の髪を数本焦がしただけで通り過ぎ、はるか後方に着弾し、爆発した。攻撃が途切れたタイミングで無明が突撃し、黒いドラゴンの顎を蹴り上げる。黒いドラゴンの巨体が宙に浮き、それは仰向けにひっくり返った。


「……」


 無明は構えを取ったまま警戒し、黒いドラゴンが起き上がるのを待った。黒いドラゴンは呻りながら起き上がり、再び無明へと牙を向ける。端正な無明の顔に当惑の感情がかすかに覗いた。


「……弱すぎる。こいつ、本当にドラゴンか?」


 無明は通信機に向かい最後の確認をする。


「このまま始末して問題ないか?」


『構わない。倒してくれ』


 アルジュナの返答には一瞬の逡巡もなく、無明もそれで迷いを捨てた。黒いドラゴンが無明を喰い殺すべく突進してきて、無明もまたそれを迎え撃つべく前へと出る。一瞬後にはドラゴンと無明が、その牙と拳が交差した。


「RIRIRIRIRI……!」


 黒いドラゴンが断末魔の悲鳴を上げる。無明の発勁により黒いドラゴンの身体は真っ二つとなり、大量の血を噴き出している。無明が後ろをふり返ってドラゴンの最期を確認しようとしたとき、黒いドラゴンもまたその首を身体の後ろへと向けた。


「――!」


 無明の全身が総毛立った。黒いドラゴンが嗤っている。無明を、アルジュナを嘲笑するように牙を剝いている。この期に及んでこいつはまだ何かをしようとしているのだ。それが何かは皆目判らないが、その前に確実に息の根を止めなければならない。無明が全力でその拳を黒いドラゴンに叩き込もうと走り出すが、黒いドラゴンの方が速かった。


「RI――」


 無明の拳が触れたのと同時に黒いドラゴンが呪文を唱えるように啼










「……みさん!! 巽さん!」


「先輩! しっかりしてください!」


「巽君!」


 聞き慣れた誰かの声が聞こえる。だが巽はそれを聞いていなかった。まるで頭の中に脳みその代わりに漬け物石が詰まっているかのようで、思考が全く回らない。それでも巽の身体がその声に反応し、何とか起き上がろうとした。


「ぎ……が」


 脳みそが漬け物石なら身体はブリキのロボットのようだ。全身の関節が軋みと悲鳴を上げている。ゆかり達に助けられながら上体を起こし、それで巽は自分が地面に倒れていたのだと初めて理解した。

 上体を起こし、地面にあぐらをかいて座り、大きく息をつき、左右を見回す。そこにいるのはしのぶ・美咲・ゆかりといういつもの顔ぶれ……それに何故か塩小路蒔。


「あれ、塩小路さん? カニンガムに帰ったんじゃ」


「ええ、これから帰ろうとしていたところです」


 その返答に巽は首をひねり、蒔もまた同じような顔となった。


「それより巽さん、大丈夫なんですか?」


「身体におかしいところは? 脳に異常は?」


 しのぶと美咲の心配をありがたく思いながらも、巽は「どういう意味だよ」ととりあえず突っ込んだ。


「とりあえず身体は大丈夫そうなんだけど……」


 そう言って巽は立ち上がり、点検するように軽く体操をする。先ほどまでの異常が嘘のように特に問題がないことを確認し、そうして周囲を見回し……見慣れた場所だった。マジックゲート社ヴェルゲラン支部、その中庭だ。


「何で俺はこんなところに……」


 巽の呟きにゆかりは「記憶が混乱しているのかしら」と首を傾げる。


「話があるって塩小路さんから呼び出されて、竜血剣をしばらく貸し出すってことになったんだけど、覚えてない?」


「いえ、覚えています」


 そう答えながら巽は自分の左手に視線を落とす。その手が握り締めているのは、身体に馴染んだいつもの重量――竜血剣だ。


「塩小路さんと話をしているときに巽先輩がいきなりぶっ倒れたんですけど、それは覚えていませんか」


「とりあえず大丈夫そうで良かったですけど、心配ですね。念のために病院に行った方が」


 そんな美咲やしのぶの声は巽の耳に届いていなかった。巽は穴が空くほどに竜血剣を見つめている。その脳裏ではあらゆる思考が驚愕とともに高速で渦を巻いているが、周りからは無言のまま硬直しているだけにしか見えない。ゆかり達は戸惑ったような顔を見合わせた。


「ちょっと困りましたね。飛行船の出港まであまり時間がないんですが」


「カニンガムまで飛行船で帰るんですか。一度乗ってみたいですよね、あれ」


「それほど良いものではありませんよ。料金は高いし便の数は少ないし危険ですし。飛行型モンスターに襲われても応戦もできず、籠の中で震えていないといけないんですよ?」


「それは嫌ですね」


 聞き覚えのある会話に、巽の全身から汗が噴き出した。自分の身に何が起こっているのか――まさかと思いつつも、馬鹿なと否定しつつも、ある一つの可能性しか考えられない。周囲の全ての状況が巽にその事実を突きつけている。


「時間が……巻き戻・・・ってる・・・?」


 そのとき、鐘の音がヴェルゲラン支部中に鳴り響いた。その場の誰もが空を見上げるようにして鐘の音に耳を傾けており、それは巽も同様だ。


「この鳴らし方は」


「確か緊急招集じゃ……わたしも聞くのは初めてですけど」


「黒いドラゴンのことかな」


「タイミング的にはそうとしか。でも襲撃されるのはカニンガムのはずじゃ」


 突然巽が走り出した。一拍の間を置き、美咲が、しのぶが、ゆかりがそれを追いかける。そして蒔が最後に続いた。巽が向かった先は石ころ用の事務棟の前だ。緊急招集を受けた石ころが三々五々と集まり出しているが、まだその人数は多くはない。


「ぐ……がっ!」


 巽が両肩を抱くようにして身をかがめた。まるで全身の血が突然沸騰したかのようだ。四肢が破裂するかと思うほどに痛むがそれを気にする余裕もなく、しのぶ達の声も当然耳に入っていない。左手の竜血剣はがたがたと鍔を鳴らしている。


「来る……やつが来る! もうそこまで!」


 そのとき、高辻が事務棟から姿を現した。彼が魔法の拡声器を手に持っているのを見て巽は何も考えず走り出した。人混みをかき分けて先頭までやってきて、高辻の手から拡声器を奪い取って、


「巽ちゃん、何を」


『黒いドラゴンがこの町を、ヴェルゲランを襲う!! 今すぐに逃げろ!!』


 精一杯の大声を出すが、返ってきたのは白けたような戸惑いだけだった。


「何言ってるの巽ちゃん。黒いドラゴンが襲来するのはカニンガム――」


 巽は黙って竜血剣を鞘から抜き、その刃を高辻や一同へと見せつけた。竜血剣は燃えるように赤く輝き、それは心臓の鼓動のように明滅している。


「これは……」


『この竜血剣は黒いドラゴンの身体に刺さっていた。この剣が教えてくれている、黒いドラゴンが近付いている、もう間もなくこの町を襲うって』


 巽は拡声器を使ったまま高辻に説明し、その声はその場の全員へと届いていた。


「でも、アルジュナの予知じゃあ」


『黒いドラゴンは予知通りに明日カニンガムを襲いました・・・。そして時間を巻き戻して、一日早くこの町を襲おうとしているんです』


「時間を……巻き戻す?」


 正気を疑うように高辻が問い、巽が大真面目に頷く。


『ええ、それがやつの、黒いドラゴンの固有スキルです。「黄金のアルジュナ」の予知が戦闘途中で途切れているのも、やつがその時点で時間を巻き戻したからだと思います』


「確かにそんな力があるのならアルジュナの予知の裏もかけるか」


 高辻が驚嘆を呟きにし、その場に集まった石ころがざわめきに包まれる。高辻は巽の言葉を信じたようだが、その場の多くは半信半疑――いや、一信九疑がせいぜいだった。


「もしそれが本当なら……今、黄金クラスはこの町に一人もいない?」


 蒔の指摘に高辻は一瞬頭を真っ白にし、次いで大きく動揺した。


「ま、まずい。はっちゃんも嬢ちゃんも東京に行ってる。すぐに呼び戻さないと」


 高辻が事務棟に向かって走り出そうとし、足を止めた。魔法のスピーカーから大音響のサイレンが突然鳴り響いたのだ。そのサイレンは始まったときと同じように唐突に途切れ、


『本当に放送していいんですね?! 責任取ってくださいね!』


 ヴェルゲラン支部全域に流される、聞き覚えのある女性の声。ひまわりちゃん?とゆかりが首を傾げた。


『「黄金のアルジュナ」からの緊急警告です! ドラゴンがこの町を、ヴェルゲラン支部を襲います!! 全員今すぐに逃げてください!』


 戦慄が颶風となって突き抜けた。巽はただの石ころでありその言葉に耳を貸す者は多くはない。だが「黄金のアルジュナ」の警告を無視し得る者など、メルクリアにいるはずもなかった。


「ど、どうする」


「どうするって逃げるしかないだろ!」


「でも非戦闘員は? この町の住人はどうするんだ?」


 石ころ達がざわめき、不安を口にする。不安と動揺は互いに増幅し合うかのようで、拡大する一方だった。

 その中で巽は竜血剣を握り締めて上空のある一点を見つめている。未だ肉眼では確認できないそこに、巽は剣を通じて敵の存在を既に察知していた。


「塩小路さん、お願いします」


 巽が拡声器を蒔へと投げ渡し、反射的に受け取ってから蒔は「な、何をですか?」と問う。


「黒いドラゴンがもうすぐここに、このヴェルゲラン支部に襲いかかります。とりあえずみんなを逃がさないと。せめて支部の外に」


「待ってください。巽さんはどうするつもりなんですか」


「時間を稼ぐ」


 その簡潔な回答に一同が言葉をなくし、


「石ころが何を言っているのです」


「死ぬつもりですか!」


「せめてわたしより強くなってから大口は叩いてください」


「それは無謀とかじゃなくてただの馬鹿だよ? 巽君」


 蒔は呆れ果て、しのぶは本気で怒り、美咲やゆかりも当然巽を止めようとする。巽はそんな彼女達に笑いかけた。


「勝算がないわけじゃない、俺にはこの剣がある。この剣が俺に力を貸してくれる」


 それよりも、巽が空を振り仰ぎ、皆がそれに続いた。


「来たぞ」


 上空のある箇所に黒い点があった。砂粒よりも小さかったそれが次第に拡大し……やがてそれの形が明らかになっていく。


「ど、ドラゴンだぁ!!」


 誰かの上げた悲鳴にその場の全員がパニックに陥りかけ、


「騒ぐな!!」


 蒔の一喝でそれが静まった。金縛りにあったかのように硬直する全員に対し、


「まずは非戦闘員が支部の外へ待避! 次に石ころ・青銅と続きなさい! 慌てない押さない走らない! それでは避難開始!」


 蒔の号令を受け、全員が行動を開始する。整然と、とまではさすがにいかなかったがそれでもパニックにはならず、避難は順調に進みそうだった。

 避難が開始されるのを確認して巽もまた走り出した。向かう先は一同とは反対のヴェルゲラン支部の中心地だ。そこには神殿のような建物があり、ディモンの魔法技術の結晶と言うべきそれは建物全体が一つの魔法陣だった。地球には七つしかない、異世界同士をつなぐゲート、転移門。それを発生させ、維持しているのがこの神殿の魔法陣である。

 その転移門の神殿が、爆撃を受けたように吹っ飛んだ。黒いドラゴン自身が大質量の砲弾となって直撃し、神殿を根こそぎ破壊。一部の瓦礫がヴェルゲラン支部中に撒き散らされ、大半はその場に崩れ落ちた。


「て、転移門が……」


 その光景に誰もが愕然とした。そして黒いドラゴンが瓦礫の中で勝ち誇ったように咆吼を上げるのを目の当たりにし、誰もが絶望に囚われた。


「……ど、どうするんだ。転移門がなければ大阪に帰ることも」


「それより黄金クラスは全員今カニンガムにいるんだぞ! 誰があのドラゴンを倒せるんだ?」


 誰かが発したその問いに答えるように、黒いドラゴンの啼き声が轟く。――そう、黄金クラスは誰もいない。カニンガムとヴェルゲランの間には転移魔法のルートは開通していない。


「カニンガムにもまだ飛行船はあるでしょう? それを使えば」


「飛行船ではどんなに早くても半日……五、六時間ははかかります」


「カニンガムから東京に戻って、新幹線で大阪まで」


「その、大阪からヴェルゲランに移動するための転移門を潰されたんです」


 そして誰もが沈黙した。その一方で黒いドラゴンが哄笑する。計算通りだ、計画通りだと己が勝利を謳い上げた。ドラゴンスレイヤーは誰もいない、自分を倒せる者はこの場にいない。この町は自分にとってのエサ場と同じだ。喰いでのあるエサがそこら中にいる。高純度のカルマを提供してくれる、絶好のエサが!

 さあどれから喰らおうかと周囲を見回し――黒いドラゴンの眼が一人の冒険者に止まった。正確には、それが持つ紅い剣に。


 な、なぜそれがここにある!!!


 足場の瓦礫が崩れて黒いドラゴンの体勢が傾き、倒れそうになった。もしそれが声を発せられたなら、多分その舌はもつれたことだろう。封印前・封印後を通してここまで狼狽した経験はない。このまま飛んで逃げるか、それともまた時間を遡行するか――選択肢として挙がったのはまずその二つだった。


 ――逃がさない、貴様はここで死ね。


 誰かの明確な意志が、殺意が脳裏に届き、黒いドラゴンはその全身を硬直させた。それが誰の声かは問うまでもない、あの「杭」だ。何千年も前にかけられた、想像を絶するほどに強固な呪いが未だ続いている。呪いは「杭」の意志となって黒いドラゴンの前に立ちふさがっている。「杭」は黒いドラゴンの身体と同化し、同期している。「杭」の意志が明瞭にドラゴンに届いたように、ドラゴンの怯臆もまた竜血剣に伝わっていた……それを持っている巽にも。


「怯えている……勝てるのか?」


「RIRIRIRIRI!!」


 次の瞬間、黒いドラゴンは怒り狂ったような咆吼を上げた。ドラゴンの咆吼には状態異常の魔法と同じ効果があり、声が届く範囲にいた非戦闘員の中には心臓麻痺で倒れた者もいる。その直撃を喰らった巽もまた心臓が止まる思いをしていたが、彼は恐怖を踏み越えて一歩前へと歩き出した。黒いドラゴンもまた瓦礫を踏み潰しながら前へと進み出す。

 黒いドラゴンは怒っていた――竜血剣に対し。それを持つ巽に対し。ドラゴンスレイヤーでもない、ただの虫けらの分際で、この世界の覇者である自分を怯えていると侮り、殺せると勘違いしたのだ。その増長がどれだけ高い対価を要することになるか、思い知らせてやろう。五体を引き裂かれ、全身を砕かれても死ねない呪いをかけてやろう。殺してくれと哀願するのを嘲笑い、そのまま地中に埋めてしまい、何千年もの時を過ごさせてやろう……この自分がそうされたように!!

 黒いドラゴンの殺意は物理的な威風となって巽の全身を苛んだ。一般人ならこの場にいるだけで即死しかねず、冒険者でも低順位ならかなり危ない。巽がこの場に踏み止まっていられるのも竜血剣が彼を守っているからだった。


「でも、勝てるなんて考えたのは油断だったな。反省反省」


 今の巽は三千番台の、ただの石ころでしかない。黒いドラゴンの弱点である竜血剣を持ったところで、力の差は蟻が獅子に挑むほどに大きかった。


「俺ができるのはみんなが避難するまでの、黄金が到着するまでの時間稼ぎだ。黄金の救援が五、六時間先なら五時間でも六時間でも無様に逃げ回って、粘ってやればいい」


 頼むぜ相棒、と巽が竜血剣を握り締める。竜血剣はそれに応えるように紅い光を明滅させた。そして巽は左手で右手首の腕輪を掴み、力任せに引き千切る。封印の腕輪は澄んだ音を立てて、硝子のように砕け散った。


「さあ、ここからの俺はちょっと違うぜ!!」


 黒いドラゴンに対抗して巽が獅子吼し、黒いドラゴンもまた殺意に紅い眼を光らせる。巽が雄叫びを上げて吶喊、黒いドラゴンの牙と巽の竜血剣が今、激突した。




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