第三五話「黒いドラゴン・前編」
最終決戦の再投稿です。多少の加筆訂正をしています。
日本には現在、一万二千人の冒険者がいる。
冒険者は青銅・白銀・黄金の三クラスにランク分けされている。青銅クラスは一一〇〇人程度、白銀クラスは一〇〇人程度。黄金クラスは日本には四人、全世界で一二人しか存在していない。
三クラスに入る冒険者は全体の一割。残りの九割はランク外の、「石ころ」と呼ばれる冒険者だ。冒険者歴二年一〇ヶ月(実質二年七ヶ月)、国内順位三五〇七位――花園巽は青銅クラスを目指して日夜戦う、石ころ冒険者である。
メルクリア大陸、第二二二開拓地。今、そこを四人の冒険者が進んでいるところである。全員男で、重戦士が一人、軽装の戦士が一人、盗賊が一人、侍が一人。装備や雰囲気からして順位はさほど高くはなさそうだ。彼等は普通の道から外れた藪の中へと足を踏み入れ、難儀しているところだった。
「いてっ、気を付けろよ」
先頭を歩く盗賊が木の枝を押し除け、それがたわんで後続の重戦士の顔を叩く。重戦士の文句に対して盗賊は煩わしげな顔をしただけで、無言のまま先へと進んでいく。その重戦士は聞こえよがしに舌打ちをした。
「大体、こんなところに何があるっていうんだよ」
「何ヶ月か前にこの近くで何とかって石ころが謎の魔法剣を拾っている。白銀がその魔法剣に五〇万メルクの値を付けたって話だ」
「そりゃ豪気だな」
重戦士はそう言って肩をすくめる。
「五〇万メルクもあるなら一番良い魔法剣を買って、鎧も新調して」
「その魔法剣を使った方がいいんじゃないか? そんな剣があれば俺達だって」
「四で割っても一人一二万メルク、冒険者なんかやらなくても一生遊んで暮らせるだろ」
他の三人が緊張感の欠片もないまま駄弁に興じるのを、盗賊が非難がましい目で見ている。その視線に気付いたのか重戦士が嘲るように、
「もう何ヶ月も経ってるんだろ? 今さら二匹目の泥鰌が見つかるとでも?」
「延々と調査がされたけど何も見つからず、結局打ちきりになったって聞いてるぜ」
重戦士と軽装の戦士が否定的意見を出すが、
「でもせっかく来たんだから少しくらい調べてみてもいいんじゃないか?」
と侍が反論し、その結果探索はもう少しだけ続けられることとなった。だが特に収穫はないまま四人は藪を突き抜け、森の中の広場のような場所へとやってくる。そこにはこれまでの数年間、延べ何千人という冒険者によって踏み固められた獣道が存在していた。
「ここからはこれを通ろうぜ」
重戦士の提案に二人が賛成し、盗賊は探索を続けたいようだがその意見は多数決によって否定される。少しの休憩を挟んで彼等が歩き出そうとしたとき、
「――何かいる、モンスターだ」
敵の気配を察した盗賊が警報を発し、全員が戦闘態勢となる。彼等はその場に足を止め、獲物の接近を待った。遠方からの足音が近付いている。道の向こうから、木々の陰から何かが姿を現そうとしている。重戦士は流れる冷や汗をぬぐった。
「魔法剣を拾った奴はギガントアントと戦ったって話だったが」
「狙い目の獲物だな」
そんな会話があるいはどこかに届いたのか――姿を現したのはギガントアントだ。一匹、二匹、三匹……一〇匹を越え、さらに増えていく。四人は顔を引きつらせた。
「くそっ、巣がまだ残っていたのかよ!」
「ど、どうする」
「どうするって逃げるしかないだろ!」
ギガントアントのレベルは一〇から二〇の間。彼等四人にとっては油断さえしなければ勝てるモンスターだった――数で圧倒されなければ。その個体数は既に二〇を越え、数秒ごとにカウントを増やしている。それと同時に彼等の勝率と生存確率は奈落へと向かって急降下していた。
「こいつ等の足はそこまで速くない。死ぬ気で走れば振り切れる……はずだ」
盗賊の言葉に二人が強く頷き、重戦士は絶望的な顔となった。彼は元々走るのは速くない上、何十キログラムという重りを全身にまとっているのだ。
「行くぞ!」
だが盗賊はそれを無視して号令を発し、真っ先に走り出す。それに三人が続いた。
「ひっ、ひぎゃあ!!」
そしてすぐに重戦士の悲鳴が響く。こうなる可能性は低くはないと考えていたことだが(それでも他の良案など何もなかったのだが)いくら何でも早すぎた。反射的に盗賊が後ろをふり返り、
「があっ!」
何かが彼の横をかすめて飛んでいき、行きがけの駄賃のばかりに彼の右腕を食いちぎっていく。盗賊は地面に引き倒されて転がった。彼が右肩からほとばしる血を残った掌で押しとどめようとしていて、その頭上をモンスターの影が覆った。太陽を背負い逆光となったため判りにくいが、それでもそのモンスターの形を見間違えるはずがない。
「な、なんだこいつ……これが本当にギガントアントか」
複数のギガントアントに同時に食いつかれ、彼は一瞬で絶命する。軽装の戦士と侍もまた既に食い殺されているのは言うまでもなかった。ギガントアントの群れは何事もなかったかのように進軍を再開する。四人の冒険者がそこにいた痕跡は地面に広がる血の水たまりしかなかったが、それもすぐにギガントアントの軍靴に踏みにじられて消えていった。
「お久しぶりです、塩小路さん」
「ええ、半年以上ですか。どうやら大分強くなっているようですね」
ときは二月初頭のある日。場所はメルクリア大陸ヴェルゲラン、マジックゲート社ヴェルゲラン支部。その中庭で、巽は塩小路蒔と会っていた。その中庭は石ころ用の鍛錬場や転移門に隣接している場所であり、通り過ぎる者も石ころが大半だ。このため白銀の中でも有名な蒔は通行人の注目を集めているが、話しかけようなどと考えるチャレンジャーはさすがに出てこなかった。
「その腕輪、まだしているんですね。順位は今どのくらいに?」
「先週の時点では三五〇七位です」
巽は右腕を軽く振って手首の腕輪を揺らした。
「固有スキルを封印している上では悪くない順位でしょうが……」
「まー微妙ですね」
蒔は何とも言い難い顔となり、巽は自嘲する。
「でも、封印する前の順位は追い抜いたんですから」
と巽のフォローをするのは付き添いのしのぶである。美咲やゆかりも一緒にいることは言うまでもなく、
「そろそろ封印を解いてもいい頃ですね」
「封印を解いてモンスター相手に無双して、一気に青銅クラスに!」
それぞれの物言いで巽を励ます。巽は「そんな簡単な話じゃないだろうけど」と苦笑しながらもその気遣いに感謝した。
「花園君はこの四月で丸三年ですか」
途中のブランクが三ヶ月ある点は省略し、巽は「ええ」と頷く。
「残り二ヶ月……間に合いそうですか?」
「難しいかもしれません。でも、結果はまだ決まっているわけじゃない」
巽は自分に言い聞かせるようにそう言い、拳を握り締めた。
三年――それは石ころにとって特別な意味を持った数字である。「三年以内に昇級できなければ、青銅になれる可能性は極端に下がる」――それは統計が示す厳然たる事実だった。もちろん三年を過ぎてから青銅になる冒険者はそれなりに存在するが、それは数少ない例外でしかない。三年は石ころが青銅になれる、事実上のタイムリミットなのだ。
三年目であるこの一〇ヶ月、巽は自分にできる全ての努力を尽くし、粉骨砕身してきた。固有スキルを封印して冒険者としての地力を高め、竜血剣を使い続けることで負荷をかけて魂を成長させ、コピーした固有スキルへの理解を深めてコピーの精度を向上させる。その上週二回の技術向上研修によりモンスターを狩る機会を増やしてカルマを少しでも多く獲得し、地球にいるときも日々の自主トレを欠かさない。これらの地道な努力により、巽は八ヶ月ぶりに会った塩小路蒔が瞠目するほどの急成長を遂げていた。固有スキルを封印したまま封印する前の自分の順位を追い抜き、三千番台も半ばとなっているのも、巽が冒険者としてそれだけ力を付けた証拠である。
だが、それでも青銅に確実に手が届くと断言することはできなかった。
「今なら、封印さえ解けば二千番台くらいは難しくないと思います。一千番台だって夢じゃない――でも」
「問題はそこから先ですか」
その確認に巽が「はい」と頷く。青銅になるための国内順位の目安は、一二〇〇位。一千番台になったとしても、その上に立ちふさがる八〇〇人を追い抜かなければ青銅には至れないのだ。才能をほしいままに振るい、青銅を目前とする天稟。三年を過ぎても青銅になることを諦めず、その順位に食い下がっている古参――そこにいるのは誰もが掛け値なしの強者であり、曲者であり、天才だった。
「……あと一つ。何か一つ決定打があれば」
青銅になるために何枚もの壁を突破し、残っているのは最後の一枚。だがその壁は鋼鉄よりも硬く、巽の前に立ちふさがっていた。青銅はもう目前なのに、この壁さえ突破できれば――焦燥は巽の腑を烙くかのようだ。
「花園君?」
「……ああ、すみません。それで、今日は何か話があるそうですけど」
蒔の声が自分の考えに没頭していた巽を呼び戻した。本題に入ろうとする巽の言葉に蒔が頷く。
「はい。今日時間を作ってもらったのは他でもありません――竜血剣、あれを使わせてほしいのです」
「……どういうことでしょう」
何拍かを置いて、巽が探るように問う。美咲達もまた精神的に第二種戦闘配置くらいになっているが、蒔は平静のままだった。
「もちろん売ってもらえるのならそれに越したことはないのですが、花園君にその気はないのでしょう? ですので一時的に使わせてほしい、二、三日の間貸してほしいと願っているのです」
巽達は複雑そうな顔だが、蒔がまた喧嘩を売りに来たわけではないと理解して警戒を解いた。ただ、その依頼を承諾するかどうかは別問題だ。
「誰が使うんですか? 塩小路さんが自分で?」
「いえ、先生に使っていただきます」
「阿頼耶剣が使うのなら魔法剣だろうと木刀だろうと結果は一緒なんじゃないの?」
ゆかりの指摘に美咲が深々と頷いている。
「確かに普通の敵なら先生にとってはものの数ではありませんが」
阿頼耶剣――一条如水が鍛錬用の木刀だけを持ってドラゴンを狩りに行き、一撃でこれを屠った、というのは有名な伝説であり、事実だった。
「今回の敵は普通ではないらしいので、先生には万全を期してほしいのです」
「どういうことでしょう」
巽が改めて、真剣に問う。蒔は「この件にはまだ箝口令が敷かれていますので、そのつもりでお願いします」と前置きした。
「『黄金のアルジュナ』が固有スキルでドラゴンの襲来を予知したそうなのです。黒いドラゴンが明日、カニンガムを襲うと」
カニンガムはメルクリアの都市の名前であり、メルクリアに七つある地球人の活動拠点の一つである。マジックゲート社大阪支部が転移門によりヴェルゲランとつながっているのと同じように、カニンガムは東京支部と直結している。カニンガムは東京支部の冒険者の町なのだ。
「その黒いドラゴンが普通ではない、強敵なわけですか」
「状況からしてそのように判断されています」
曖昧な物言いに巽達が首を傾げる。蒔が一拍置いて説明した。
「『黄金のアルジュナ』の未来予知は戦闘途中で途切れているそうなのです。その先がどうなったのかは見通せないと」
巽達が息を呑んだ。「黄金のアルジュナ」の「千輻星眼」は未来を見通す固有スキルだ。どんなモンスターだろうと彼は万全の態勢でこれと戦い、どんな攻撃だろうと彼に命中することは決してなく、どれほど防御を固めようと彼は弱点を的確に突き、敵を確実に屠ってきたのだ。そのアルジュナの固有スキルが通じない相手など聞いたことがない。
「まさかとは思うけど、『黄金のアルジュナ』が……」
ゆかりが憚るように言うが、それ以上は続けられなかった。だが口にせずとも、抱いた危惧は同じである。
「わたしもまさかとは思いますが、あのアルジュナにも判らない未来がわたし達に判るはずがない。ただ一つ言えるのはその黒いドラゴンがこれまでにない強敵であり、勝つために最善を尽くさなければならないということです」
蒔がそう断言し、少しの間巽達は沈黙した。
ドラゴンには事実上寿命はなく、個体によってはその年齢は何万歳にもなるという。人間を越える知性を持ち、人間やエルフのメイジなど足元にも及ばないほどの魔法を駆使し、戦車の装甲よりも硬い鱗で身を守り、戦艦並みの馬力を有し、ゼロ戦並みの速度と機動で空を飛ぶ――それがドラゴンというモンスターだった。
それはまさしく「モンスターの姿をした自然災害」であり、本来ただの人間が戦えるような相手ではない。だがその道理を覆してきたのが一二人の黄金クラスであり、その筆頭が「黄金のアルジュナ」だ。そのアルジュナが、あるいは戦いの途中で斃れるかもしれない。阿頼耶剣を心底から敬慕する蒔が少しでも師の力となりたい、何としてでも竜血剣を借り受けたいと願うのはよく判る話だった。
やがて巽がため息をつき、
「そういう事情なら貸すのはやぶさかではないですが」
その一言に蒔の顔が輝く。竜血剣を借りるためなら切腹だろうと裸踊りだろうと、蒔はどんなことでもやる覚悟を決めてきたのだ。もちろん巽には蒔にそんなことをやらせるつもりは毛頭なく……ただ、竜血剣を貸し出してしまうと狩りに使う剣がなくなってしまう。ほんの数日のことではあっても巽の残り時間は二ヶ月足らず、比率にすれば二〇分の一にもなるのだ。簡単に承諾するわけにはいかなかった。
「判っています。わたしも前のように手ぶらできたわけではありません」
蒔は大威張りでそう言い、用意していた竹刀袋を巽へと差し出した。巽が訝しげにそれを受け取り――ずっしりとした重さがある。口ひもを解くと中に入っていたのは西洋風のこしらえの剣であり、巽は鞘からその剣を抜いた。
「これは……アダマントか」
「ええ。ミスリル銀の芯材をアダマントの刀身で覆った剣です」
感嘆を堪えきれない巽に対し、蒔が自慢げに解説する。剣を握って魔力を流すと、その刀身は淡い光を放った。
「アダマントの剣には魔法付与はできないとされていますが、そういうやり方もあるということです。切断力と耐久性は何倍にも増幅されています」
巽はその剣を軽く振り回した。ちょっと軽すぎて物足りないのが気になったが、それ以外は何一つ申し分ない剣である。
「これならル・ガルーの胴体だって大根みたいに斬れそうだ」
「ええ、もちろん。青銅になっても充分使えますよ」
ふむ、と巽は考える。最近ようやく竜血剣を振り回すこともそこまでの負担にはならなくなったが、それでも負荷はかかり続けている。固有スキルの封印を解き、竜血剣の負担からも解放されれば自分はどこまで戦えるのだろう――やはり一度ちゃんと確認する必要があると思われた。
「ありがとうございます。それじゃしばらくお借りします」
「いえ、それは差し上げます。レンタル料だと思ってください」
蒔が軽い口調でそう言うが、巽も簡単に「そうですか」と受け取るわけにはいかなかった。
「そういうわけにはいかないでしょう。買ったらいくらするんですかこの剣」
「わたしが買ったときは確か一万七千メルクでしたか」
「い、いちまんななせん……!」と巽が戦慄する。
「今のレートなら一億九千万円! 工場の時給が一〇二七円だから」
「それはもういいです」
意味のない計算をしようとする巽を美咲がハリセンで止めた。痛そうな顔の巽だが少しは冷静になったようである。
「ともかく、そんな高価なものを受け取るわけには」
「気にしないでください。新しい剣を買って使わなくなったけど転売するのを忘れていて、今の今までタンスの肥やしになっていた剣ですから」
「でもそれでこの剣の価値が変わるわけじゃないですし」
「それに以前迷惑をかけたお詫びの印でもあります」
「それはもう終わった話でしょう」
巽と蒔はかなりの時間言い合いをするが、その主張は平行線のままだった。いい加減全員がうんざりしてきたところで、
「それじゃ、巽君は竜血剣の代わりにそれを一時預かったらいいんじゃない?」
ゆかりがそう提案し、巽も疲れていたので「判りました、それで」と話を終わらせる。蒔は不満げだったが巽が一応その剣を受け取ったのでそれ以上は何も言わなかった。どうやらそのまま巽に押しつけてしまおうと考えているようだが、それを察しているゆかりもわざわざそれを口にしたりはしない。
「それではお預かりします。黒いドラゴンの討伐が終われば必ず返しに来ますから」
巽から竜血剣を恭しく預かった蒔は、その足でカニンガムへの帰路に就くこととなる。
「新幹線で東京に?」
その確認に「いえ、まさか」と蒔は笑う。
「それだと竜血剣をカニンガムへと持って行けないでしょう」
ああそうか、と巽は今さらなことに気付いた。地球側の武器をメルクリアへと持ち込むのが不可能なのと同じように、メルクリアの武器を地球へと持って行くこともまた不可能だ。身体一つで移動して武器や装備は現地調達するのならともかく、そうでないのならヴェルゲランからカニンガムまではメルクリア上を移動するしかない。そしてヴェルゲラン・カニンガム間は何百キロメートルもあり未だ転移魔法のルートは開通しておらず、
「魔法の飛行船を使うんですよね。一度乗ってみたいですよね、あれ」
しのぶがあこがれを声に込めるが蒔は「それほど良いものではありませんよ」と肩をすくめた。
「料金は高いし便の数は少ないし危険ですし。飛行型モンスターに襲われても応戦もできず、籠の中で震えていないといけないんですよ?」
それは嫌ですね、と美咲が顔をしかめる。なお飛行型モンスターに襲撃されたときのために護衛として青銅上位の冒険者が乗船していて、彼等の武器は魔法の弓矢などだった。
「それでは、黒いドラゴンの討伐後にまた」
そう言い残し、塩小路蒔が立ち去っていく。巽達は少しの間その背中を見送った。
「さて。これから」
どうするかを相談しようとしたとき。鐘の音がヴェルゲラン支部中に鳴り響いた。その場の誰もが鐘の音に耳を傾けている。
「この鳴らし方は」
「確か緊急招集じゃ……わたしも聞くのは初めてですけど」
周囲の冒険者が戸惑い、「何があったのか」と憶測してざわめく一方、巽達はその「何か」を既に知らされていた。
「黒いドラゴンのことかな」
「タイミング的にはそうとしか。でも襲撃されるのはカニンガムのはずじゃ」
「とりあえず話を聞きに行くか」
巽はゆかり達三人と別れて事務棟へと向かった。青銅の彼女達は集まる場所がまた違うからだ。事務棟の前には大勢の石ころが集まっていて、巽はその群衆の中の一人だった。彼等の前に現れたのは、魔法の拡声器を手にした高辻である。
『あーあー、本日は晴天なり。皆さんお集まりいただきお疲れさま。それじゃマジックゲート社からの連絡事項を伝達しますねー』
高辻はいつもの軽い調子で、
『明日、モンスターの大群がヴェルゲランに襲来します』
まずその一言を全員へと告げた。
「なんだ、話の内容は同じなんだな」
ヴェルゲランから地球の大阪へと戻った巽達四人は、何よりもまず情報のすり合わせを始めた。場所は大阪支部ビル前の公園のような場所。時刻はまだ夕方だが、冬の真っ直中のためもう日没寸前となっている。
「ヴェルゲランが千に届くモンスターの大群に襲われる。襲来するのはギガントアントの変異体で、どの個体もレベル五〇を越え一〇〇に達する、強力なモンスター」
巽は竜血剣を手に入れたときのことを思い返していた。危うく敗れそうになり、五千メルクもしたアダマントの剣をへし折りながらも何とか倒したギガントアントの変異体――だがそのレベルはせいぜい六〇かそこらで、苦戦したのはそれが竜血剣を持っていたからだ。
「そこまで高レベルのモンスターがそれほどの大群になるのは、前代未聞ではないですか?」
呆れたような美咲の言葉にゆかりが「多分ね」と同意した。
「普通なら黄金クラスに緊急討伐を依頼する事態だけど、どうやらこれは陽動らしい。本命の黒いドラゴンがカニンガムへと襲来するので、黄金クラスはそれに備えるためにカニンガムに集結する」
「黒いドラゴンの目的は冒険者や町の住人を襲ってカルマを獲得すること。非常に好戦的で邪悪なドラゴンであり、必ず討伐しなければならない」
「でも「『黄金のアルジュナ』に加えて、『阿頼耶剣』『無明』『シャドウ・マスター』『鉄仮面』。日本の黄金クラスが全員揃うなんて」
「できることなら見に行きたいな」
巽の感嘆に三人が深々と頷いて賛意を示した。
「黒いドラゴンが強敵だからとは言っていましたが、アルジュナの予知のことは何も言っていませんでした」
「こっちも同じだ。まあそこまで内情を説明する必要はないってことか」
「でも『鉄仮面だけでもこっちに残ればいいのに』って声はありましたよ」
「確かに面倒よねー、緊急討伐に動員されるのは」
だらけたゆかりの声にしのぶが困ったような顔をし、美咲は刺すような目を向けた。
「ヴェルゲランはわたし達の町です、そこを守るのは当然でしょう」
巽達はモンスターテイムの固有スキルを有するゴブリンと戦ったことがあるが、ドラゴンならそれに類する魔法を片手間で覚えていても何の不思議もないだろう。黒いドラゴンはギガントアントの大群を操り、ヴェルゲランを襲撃させようとしている。その目的はマジックゲート社の目をヴェルゲランに引きつけ、黄金クラスを集める囮とするためだ。そうしてその分手薄となったカニンガムを奇襲する――「黄金のアルジュナ」は黒いドラゴンの目論見をそのように推測していた。
ならばそれにどう対抗するか。アルジュナは日本の黄金クラスを全員カニンガムに集め、用意し得る最高戦力でこれを迎撃せんとした。その分ヴェルゲランの守りは手薄となってしまうが、それは白銀と青銅を総動員して対処する。それがアルジュナの作戦だった。
「レベルがそれなりに高い上に数が多くて大変ですが、数には数で対抗です。大阪支部だけでも、青銅だけでも何百人もいるんですから」
「負ける心配はまずないと思います」
反論を諦めたゆかりが肩をすくめ、巽は「もうちょっとだけ敵のレベルが低ければな」と悔しさを口にした。緊急討伐に動員されたのは青銅クラスと白銀クラス。多くの石ころにはレベル差が大きく危険なため、石ころは参加禁止となっていた。
「一緒に戦えれば良かったんですけど」
「討伐には参加できないけど、高辻さんが伝令係って仕事をくれたから明日は俺もヴェルゲランに行くよ。他にも何か手伝いが必要になるかもしれないし」
残念そうにしていたしのぶが笑顔となった。
「近くにいてくれるのなら百人力です」
「無様なところは見せられませんね」
「仕方がないからお姉さんも張り切っちゃおうか」
三人がそれぞれの物言いで戦意を示し、巽も笑顔で彼女達を激励する。
「それじゃー景気づけに今夜はぱーっと飲みに!」
「ゆっくり休むに決まってるでしょう」
美咲のハリセンがゆかりに叩き込まれるが、それもまたいつもの光景だ。巽達四人は帰路に就き、JR大阪駅へと向かって歩き出した。
そして翌日、二月四日火曜日。場所はメルクリア大陸ヴェルゲラン。ヴェルゲランの町の外には今、何百人という冒険者が集まっている。
「壮観だよねー」
「すごいですね」
ヴェルゲランの東側には幅一〇〇メートルを超える、ちょっとした川が流れている。マジックゲート社はそれを最終防衛線とし、その外側に冒険者部隊を配置していた。草原にたむろする何百人という冒険者達。その大半が青銅クラス、そして一部が白銀クラスだ。
「緊急討伐にこれだけの数の青銅が集まるなんて、メルクリア全体でも初めてかもしれないねー」
「カニンガムには黄金クラスが五人も揃っているんでしょう? これだって絶対初めてですよね」
歴史的瞬間だね、と高辻が笑った。今巽と高辻が並んでいるのは四階建ての商家の屋根の上だ。その商家はヴェルゲランの町で、最終防衛線に一番近く一番高い建物であり、マジックゲート社はそこを観測所としていた。そして高辻は観測員、巽は観測員の予備兼護衛、それにいざというときの伝令役である。
「今日はありがとうございます、伝令役に選んでもらって」
「おっちゃん別にひいきなんかしてないよー? 知ってる石ころの中でいざというときに一番頼りになる冒険者を選んだだけだからねー」
高辻はそう言ってとぼけてみせる。確かに巽は封印さえ解けば石ころの中では上位となるが、実力や順位だけで高辻が巽を選んだわけでもないのだった。
「美咲達は……あそこみたいですね」
「ここから見えるのか。さすがだね」
高辻は望遠鏡を使うがそれでも美咲達三人を探すのは簡単なことではなかった。高辻が何気なく望遠鏡の方向を変え――ゆるかったその表情が一変した。その空気を感じ取った巽もまた即座に戦闘態勢となる。屋根の上で落ちそうなくらいに身を乗り出し、全ての神経を眼球へと集中した。
「来たか」
東の地平線の彼方で蠢く雲霞のような影。大地を覆う何かの群れはまるで黒いカビのようだ。それがアメーバのように身を震わせ、森を浸食し、少しずつ移動している。遙か彼方にあるように思われたそれは思いがけない速度で移動しているようだった。見る間にそれが大きくなっている。刻一刻とそれが近付いているのが判る。
「ギガントアントの群れを確認、数は不明だが最低でも数百。東から真っ直ぐにヴェルゲランへと向かっている」
高辻が魔法の通信機を使って報告。その間にも群れは接近しており、草原の冒険者達は第一種戦闘配置へと移行していた。広い草原を冒険者が走って移動し、彼等は大地に弧を描く。
「まるで鶴翼の陣だな」
と呟く高辻。鶴が翼を広げるように左右に兵を配置し、敵の攻撃を受け止めるのが鶴翼の陣だ。防御に適した陣形であり、敵を包囲殲滅しようとする場合に使われるという。
一方、鶴翼を形作っている大勢の一人である美咲やしのぶやゆかりは、自分達が今どんな状態なのかを完全に把握はしていなかった。ただ左右の他の冒険者との距離を測り、あまり離れないようにしているだけである。
「敵接近、間もなく会敵!」
伝令の声が轟くが、それを聞くまでもない。もう彼女達の視界には敵の姿が映っている。黒い影が彼女達へと向かって突進している。美咲の頬を冷や汗が伝った。
「Gigigigigi!!」
金属をこすり合わせたような耳障りな啼き声が何百と重なり、轟いている。敵の姿がもう手に取るように判る。通常より一本多い足で大地を疾走している個体、胸と背中からもう一対の腕が生えている個体、頭部が二つある個体、胸が異常に膨れ上がって肉塊となっている個体――千に届くギガントアントの群れ、それを構成するほとんどの個体が変異体だ。まともな身体のままの個体は一つもないように思われ、そのおぞましい姿にしのぶは怖気を振るった。
「攻撃開始! メイジは先制攻撃を!」
伝令の声に、ゆかりの身体が反射的に行動を選択した。目を瞑って精神を集中し、呪文を唱える。呪文が完成したゆかりが刮目した。
「雷撃!」
天から飛来した雷が何匹ものギガントアントを焼き払い、それらは聞き苦しい悲鳴を上げた。攻撃魔法を放ったのはゆかりだけではない。火炎・氷弾・烈風、あらゆる種類の攻撃魔法がギガントアントの群れに叩き込まれる。出鼻を強打されてギガントアント達は狼狽えたかのようだった――だがこの程度で怯むモンスターはいない。
「Gigigigigi!!」
ギガントアントは味方の死体を乗り越えて突進してくる。そして闘志を燃やす冒険者達がそれを迎え撃った。
「行きます!」
ゆかりの直衛にしのぶを残し、美咲がギガントアントへと吶喊した。モンスターが大口を開け、よだれを垂らしながら走ってくるが、
「月読の太刀!」
美咲の必殺技が炸裂し、何匹ものギガントアントがまとめて胴を両断される。哀れなギガントアントは美咲の中でただのキルスコアとなり、彼女は左右を見回して新たな獲物を探した。
「順調そうだな」
「問題はなさそうですね」
屋根の上から戦況を俯瞰している高辻と巽は、同じような安堵の呟きを口にしていた。冒険者側には全く損害はなく、ギガントアント側は数を減らす一方だ。冒険者とギガントアントの個々の戦闘力の差は歴然であり、ギガントアントの方が数は多くとも二倍三倍程度ではこの差は到底埋まりそうもなかった。その数も見る間にどんどんと減っていき、ギガントアントが全て駆除されるのも時間の問題なだけだろう。
「どうなるかと思ったけど、ちょっと拍子抜けですね」
「そりゃ青銅がこれだけ集まればねー。マジックゲート社は特別報奨金の支払いに頭を痛めているだろうけどね。それに、こっちはただの陽動で本命は」
そのとき高辻の持つ魔法の通信機が、それに付属するランプが点滅。高辻は通信機を耳に当てた。
「もしもし――了解。敵の増援も見あたらない、こちらは問題なさそうだ」
通信を終えた高辻が戦況を見据えながら独り言のように、
「カニンガムに黒いドラゴンが襲来したそうだ」
その事実を端的に巽へと伝えた。




