第三四話「多芸は無芸」
場所はメルクリア大陸ヴェルゲラン、マジックゲート社ヴェルゲラン支部。ときは一月のある土曜日、その夕方。巽は技術向上研修を終えて狩場から戻ってきたところである。
「あ、巽ちゃーん。待ってたよー」
いつものようにゆるい調子で巽に声をかけるのは高辻であり、巽もまたいつものように「どうも」と簡単にあいさつした。
「それで、何の話があるんですか?」
高辻から電話があったのは昨日の晩のことであり、今日の研修が終わった後に落ち合う約束をしていたのだ。
「巽ちゃんにはいつも無理を聞いてもらってるからねー。巽ちゃんにもメリットのある、悪い話じゃないから」
とニヤニヤする高辻に対し、巽は「はあ」と曖昧に返答する。
それじゃ行こうかと、高辻が先導して歩き出し、巽がそれに並んだ。そして歩くこと三分ほど、高辻と巽がやってきたのは支部前の喫茶店だ。ビアガーデンのように道路に面した庭にテーブルが並び、何組かの客が談笑している。高辻と巽がその中の席の一つに着いた。もう既に日は暮れているが各テーブルには魔法のランプが設置されていて、互いの顔もよく見える明るさだ。猫耳を生やしたウェイトレスが注文を聞きに来て、
「とりあえずビール」
「人面果のフレッシュジュースを」
「水」
三つの注文が出され、ウェイトレスがそれを受けて離れていく。巽は三つ目の注文に首を傾げ、左右を見回した。
「顔を出さないと話ができないよ? 北斗ちゃーん」
「いや、失敬」
テーブルの下から突然現れた第三の男に巽は驚いて軽くのけぞった。
「済まない、隠形が癖になっているもので」
そう言いつつ男が席に着く。巽は男をまじまじと見つめた。
身長は巽よりやや低い程度で、痩身。その身体を忍者装束で包んでいるが、各部位に革のプロテクターを配置したそれは現代風にアレンジされたものである。頭巾はかぶらず、長いマフラーで顔の下半分だけ覆っている。髪も長めで、伸びた前髪で目を半分以上隠していた。見える箇所がかなり少ないが、その範囲だけで判断するなら結構な美男子であると言えた。
「高辻さん、この方は……」
「今回の依頼人、ってとこかな」
「西之門北斗、見ての通りのしがない忍者だ。今週は六九九位だった」
男がそう自己紹介をし、その高順位に巽が小さく驚いた。なお現時点で美咲やしのぶやゆかり、三人の順位は(かなり三桁に近いとは言え)未だ四桁である。
「青銅の人が、石ころの俺に何の依頼が?」
「『西之門北斗』――巽ちゃんはこの名前に聞き覚えはないかな? 結構有名なはずなんだけど」
そう問われた巽が首をひねる。確かにどこかで聞いたような、と巽が延々と考えてようやく思い出せたのはそれなりの時間が経ってからだった。
「確か、固有スキルに目覚めないまま青銅になった冒険者が……」
「俺のことだな。少なくとも大阪支部には俺しかいない」
北斗は他人事のようにそう述べた。
――「固有スキル」が何なのかは諸説あるが、それは単なる必殺技などではない。それは「魂の形」とも「人生の軌跡」とも言われている。それがこの剣と魔法の異世界で具現化したものが固有スキルなのだと。メルクリアンが地球から冒険者を集める際の選考基準は公表されていないが、最も重要な基準は「固有スキルを持っているか否か」であるとされている。つまりは冒険者である限りは必ず固有スキルを持っているはずであり、冒険者の力とは固有スキルの力とニアリーイコール。
冒険者になりたてのひよっこや低順位のうちならともかく、順位を上げていくなら、青銅を目指すのなら固有スキルに目覚めなければ話にならない。固有スキルがあってこその冒険者――だが何事にも例外はつきものであり、中には固有スキルに目覚めないまま順位を上げていく奇特な者もいる。が、それでも青銅にまで至れるのはごくごく希少な例であり、
「そのうちの一人が俺だということだ」
「なるほど」
「で、ここまで話が進めば用件は判ったと思うけど」
と面白そうな顔の高辻に対し、巽は首をひねりつつ、
「まさかとは思いますけど……石ころの技術向上研修に青銅が?」
そういうことね、と軽く言う高辻に、巽は思わずうなってしまう。
「とは言っても、四桁五桁対象の研修に俺が加わるわけにもいかない。だから俺と君が臨時でペアを組んで狩りに行く形にしたいと思う」
「そうするしかないでしょうね」
「君はかなりの高レベルのモンスターにも通用する魔剣を持っているんだろう? それなら君が俺の狩りに付いてくる形にしたらどうだろうか」
さすがにそれは、と難色を示す巽。高辻も仲裁に入ってレベルの擦り合わせが行われ、レベル百超のモンスターを狙うことで話がまとまった。
「冒険者となってからずっと追い求めてきた俺だけの固有スキル。それがようやく手に入るのか」
と感無量の北斗に対し、巽は過大な期待をしないよう釘を刺さなければならなかった。
「技術向上研修は毎回五人くらいの参加者でやっていますけどそのうち固有スキルが判明するのはせいぜい一人、多くて二人です」
「打率二割でも充分すごいけど、逆に言えばそれでも八割は判らないってことだからねー」
二人の言葉に北斗は「判っている」と答える。
「だが、俺が固有スキルを使っていない可能性はやはり低いだろう。使っているがそれが自分で判らないだけ、の方がずっとあり得る話なんだ。だからそれを見分ける目を持っている君がいれば、割とあっさり判明するんじゃないかと思っている」
「これまでの実績は打率二割です。過剰な期待はしないでください」
巽がそれを念押しし、北斗もまた「判っている」とくり返した。
「……しかし、『他人の固有スキルを判別できる固有スキル』で一体どうやってその順位まで」
北斗の疑問に巽は「あー……」と困った顔となった。代わりに高辻が説明する。
「言ってなかったっけ? 固有スキルを判別するのはただの副産物で、巽ちゃんのは『何回か見ただけで他人の固有スキルをコピーする固有スキル』なんだよねー」
何故か自慢げな高辻の言葉に北斗が沈黙し……思いがけずそれが長く続いた。北斗が発する重苦しい気配に巽は息が詰まりそうだ。やがて、北斗が長々とため息をついて、
「……これ以上は話を聞かないでおこう。嫉妬のあまり君を殺したくなってしまう」
一瞬垣間見えた殺意に巽の鼓動が止まりそうになった――実際一、二回止まった。全身が彫像のようになり息も止まった巽の一方、高辻がたしなめるように、
「おっちゃん前にも言ったよね? 北斗ちゃん空気が読めない上にジョークがクソつまんないからしゃべらない方がいいって」
「忠告は忘れていない。本気で言っているだけだ」
「なお悪いんだけど」
高辻の言葉に北斗は肩をすくめた。
「殺したくなるのと実際に殺すのとでは千光年の差があるだろう。彼が無事に狩りから戻ってこれるよう俺にできる限りのことはやる」
「これも本気で言ってるからさ、巽ちゃん」
諦めたような苦笑いの高辻に巽は「判っています」と返し、
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく頼む」
こうして巽は青銅クラスの冒険者とともに、レベル一〇〇超の狩場へと挑むこととなる。
そして翌週、一月中旬の火曜日。場所は第二〇四開拓地。
「それじゃ行くか」
「はい」
ベースキャンプを出た二人は第二〇四開拓地の探索を開始した。生い茂る森の中の獣道を進む二人。そこには業務上必要な会話があるだけだ。巽は人付き合いが苦手な方だし、北斗はそれに輪をかけたコミュ障だった。
「……いるようだな」
「モンスターですか?」
北斗の呟きに巽が色めき立った。竜血剣を手に左右を見回す巽だが、北斗はある一点に視線を固定している。それに気付いた巽が、北斗が見ているものを見ようとした。が、何も見つからない。
「何があるんですか?」
「よく見ろ、ル・ガルーの体毛だ」
指摘されてよくよく目を凝らし、ようやくそれらしいものを発見する。木の幹に付着している何本かの獣毛……だがその数はほんの五、六本で、細すぎてその色も判然としない。
「この距離で見て、判るんですか?」
「半分は当て推量だ。この辺りはル・ガルーの縄張りだからな」
そう言う北斗が左右を見回し、さらなる痕跡を探している。一方の巽はその姿に目を見張った。
「こっちだ、行こう」
と北斗が先に進み、巽がそれを追った。追いながら、巽はその背中を凝視し続けている。
(……もしかして固有スキル? 探知系か?)
北斗が固有スキルを使っているような気がするがその気配がどうにも曖昧で、断言はできなかった。だが探知系の固有スキルを使っているのであればこの追跡能力も納得というものである。
(でもそれを伝えるのはまだ早いだろうな。もう少し明確な気配を感じられたなら)
などと巽が考えていると北斗がその足を止める。巽もまたその背中にぶつからないよう急停止した。
「いたぞ」
「……どこにですか」
巽が可聴域下限の小声でそれを問う。その向こうだ、と北斗は正面の茂みを顎で指し示した。が、どれだけ目を凝らしても何重にも葉が重なる茂みに、モンスターの姿を見出すことはできない。疑わしく思えた巽がそれを問おうとしたとき、茂みがガサゴソと音を立てた。何かがそれをかき分けてこの場にやってこようとしている。巽が緊張に息を呑んだ。
体感では何時間もの時間を、実際にはほんの何秒かを経て、茂みの中からモンスターが姿を現した。巽は竜血剣を固く握り締める。
「ル・ガルー……!」
身長は二メートルを優に超え、全身は針金のような獣毛で覆われ、その頭部は狼そのまま。人狼系モンスターのル・ガルーだ。そのレベルは一〇〇前後、これを狩れる冒険者が青銅クラスと呼ばれる、青銅への登竜門と言うべきモンスターである。
これまで何度かル・ガルーと遭遇したことがあり、これを倒したこともある。が、今目の前にいるル・ガルーはその中でも最大の大きさだった。その身長は二メートル半近くもあり、それに応じて相当の高レベルなのは間違いない。少なくとも一二〇から一三〇、場合によっては一五〇近くあるかもしれなかった。ル・ガルーとしては規格外のレベルであり、今の巽などただの雑魚である。
「西之門さん……」
助けを求めるようにその名を呼ぶ巽だが、いつの間にかその姿がどこにもなくなっている。焦って左右を見回すが北斗を見つけられず、その間にもル・ガルーが接近する。巽は恐怖と恐慌を噛み殺すように歯を食いしばり、流血剣を正眼に構えた。
ル・ガルーは大きく腕を振りかぶって巽の頭部を粉砕しようとし、巽はその隙に懐に飛び込んで竜血剣を突き通そうとする。だがレベル差は歴然であり、巽の勝ち目は万に一つあるかないかだった。それでも巽は決死の抵抗をしようとし、ル・ガルーはそれを蹂躙せんとする。
が、そのとき北斗がル・ガルーの背後に突然出現した。彼が忍者刀でル・ガルーの尻尾を斬り落とし、ル・ガルーが怒声を上げて後ろを振り返る。巽の目の前にはその大きな背中が広がっている。
「おおおっっっ!!」
雄叫びを上げた巽が突貫し、体当たりをするようにその背中に竜血剣を突き刺した。もちろんル・ガルーも巽の接近に気付いていたが、北斗に牽制されて身動きできなかったのだ。竜血剣は鋼の装甲に等しいル・ガルーの表皮を紙のように突き破り、石の城壁に等しい筋肉の壁を簡単に貫き、その心臓を完全破壊する。その身体から吐き出されたレベル一〇〇超の魔核は巽の剣へと回収された。
「……はあ」
巽は気力を使い果たしたようにその場に座り込む。そしてその横に北斗が佇んだ。
「ル・ガルーをあれほどあっさりと。大した魔剣だな」
ええ、まあ、と当たり障りのない返答をする巽は「それよりも」と北斗に問うた。
「一体どこに身を隠していたんですか?」
「気配を消してそこに伏せていただけだ」
と北斗が指し示すのは膝ほどの高さの草むらだ。何とも言い難い顔をした巽が、
「済みませんが、もう一度それをやってみてもらえませんか?」
ふむ、と頷く北斗がふと何かに気付いたようによそ見をする。巽がそれに釣られて北斗から視線を外し――次の瞬間にはその姿がかき消えていた。慌てて四方八方を見回す巽だがその姿はどこにも見出せない。先ほど隠れていたという草むらはもちろん念入りに確認したが、やはりそこにも北斗はいなかった。
不意に、肩を軽く叩かれて巽の全身が硬直する。巽の肩に乗っていたのは、忍者刀の白刃だった。ほんの一〇センチメートルもそれが動けば、巽は首の頸動脈を断たれて絶命するだろう。
「こんな感じでいいか?」
肩の上から剣が退かされる。ル・ガルーを倒した後のようにその場に座り込みたい巽だったがぎりぎりでそれを我慢した。流れる大量の冷や汗を拭いながら振り返る巽だが、北斗は呼吸一つ乱していない。
「今のは一体どこに」
そこだ、と北斗が指し示すのは頭上の梢だった。それなりの太さがあるとは言え、成人男子一人分の体重に耐えられるかどうかはかなり微妙である。
無言で唸るようにしながら自分を凝視する巽に対し、それを受け流すように北斗が肩をすくめる。
「まさか今のが固有スキルだ、とか言い出したりはしないだろうな」
「その可能性もあるかもしれません」
一瞬で姿を見失ったため見定めることができなかったが、固有スキルを使っている気配を感じたように思えたのだ。だがそれも曖昧な話であり、「そうだ」と断定するには程遠かった。北斗は「馬鹿馬鹿しい」と言いたげに鼻を鳴らす。
「この程度、ちょっと練習すれば誰にでもできるだろう」
巽の意識を逸らし、その隙を突いて死角に身を隠して気配を殺す――確かに、そこに使用された技術に超常的なものは何もない。やろうと思えば巽でも真似できる。ただ、その技術は極限まで洗練されており、その差は気が遠くなるほどだ。巽が真似をしたところで子供のかくれんぼにしかならないだろう。
「先に進むぞ」
と歩き出す北斗を追い、巽が急いで付いていく。精神力の大半を費やしてル・ガルーを狩り、一〇〇メルク超の稼ぎを手にし、巽にしてみれば今日はもう狩りを切り上げてもいいくらいだ。だが北斗にとってはル・ガルーなど前菜でしかなく、今日の狩りはまだ始まったばかりだった……本来の目的から考えてみても。
それからしばらくはモンスターとの遭遇はなく、時刻は正午近く。二人はようやくモンスターを発見した。
「オーグルだ。数は一三」
木に登っていた北斗が地面へと降り、巽へと報告する。が、巽はモンスターよりも別のことに気を取られていた。巽もまたその木に登り、オーグルの群れを探そうとする。
「どの辺りですか」
「西に少し開けた場所があるだろう。そこだ」
長い時間をかけて、巽はようやくその「少し開けた場所」と思しき地点を見つける。そこまでの距離は優にキロメートルの単位があり、モンスターの姿は見えたとしても砂粒よりも小さかった。
「……西之門さん、視力強化の魔法が使えるんですか?」
「いいや。だが冒険者ならこのくらいの距離は見えて当然だろう」
確かに、石ころと青銅の間には隔絶した身体能力の差が存在する――が、しのぶや美咲達を見る限り、いくら青銅でも西之門のこの視力は並外れているものと思われた。それに何より、
(固有スキルの気配……やっぱり探知系なのか?)
索敵する北斗から固有スキルの気配が感じられる。普段ならここで「彼の固有スキルは探知系だ」と判断して確認のために索敵を延々とやらせるところだが、
(でも、さっき身を隠したときもその気配を感じたわけで……一体どっちなんだ?)
「よし、行くぞ」
北斗がオーグルの群れを目指して歩き出し、巽がそれを追った。二人が目的の場所に到着し、目的の群れと遭遇したのはそれから半時間ほどの後である。
木々が切り払われて森が開けている範囲はほんの二、三十メートル四方ほどだ。あるいは以前、青銅のメイジが攻撃魔法を使った跡なのかもしれない。そしてそこに、一三匹のオーグルがたむろしていた。
「Gagagaga!」
巽達を見つけたオーグルが喜び勇んで襲い掛かってくる。オーグルは二メートル半に達する巨体と、醜悪な外見を有する人型系モンスターだ。そのレベルは九〇前後、今の巽が普通に戦って勝てる相手ではない。強力なモンスターの、群れを目の前にして巽が息を呑む。
「一、二匹残してやる」
一方の北斗には何の気負いもなかった。適正レベルが三〇〇台の北斗からすればレベル九〇のモンスターなどただの雑魚でしかない。彼は散歩のような足取りで何気なく群れの只中へと足を踏み入れる。オーグルは愚かな人間を嘲笑するように啼き、その剛腕を振り上げた。オーグルの腕がゴムのように何倍もの長さに伸び、鞭のように振り回されたそれが北斗へと叩き付けられ――その腕が無造作に斬り捨てられた。オーグルが不快な悲鳴を上げる。
オーグルは地球の伝承では「何にでも姿を変えられる」とされており、このメルクリアにおいてそれは「身体が自由自在に変形する」という形で現実となっている。巨体と、剛力と、変形能力と、それがもたらす変則機動。それこそがオーグルの強みなのだが……それでも六〇〇番台の青銅に届きはしなかった。
北斗はほとんど動かず、敵の動きを誘っている。それに釣られたオーグルが次々とカウンターで斬り払われた。移動は最短距離、機動は最小限、斬撃は最低回数。にもかかわらず、モンスターが次々と屠られていく。まるで敵が次にどう動くか最初から全て判っているかのようだ。
こぼれんばかりに目を見開いた巽は、北斗のその動きを一心に見つめている。それは今の巽が理想とする戦い方そのままであり、その極地の在り方だったのだ。北斗のその動きを自分の糧にするべく、一瞬たりとも見逃すことなく……だがそれとは別に、巽の脳の一部がその不可解さに困惑している。
(固有スキルの気配? 何がどうなってる、戦闘中の今にもその気配を感じるなんて)
北斗から固有スキルの気配を感じたのはこれで三回目だ。一つは探知系、一つは隠形系、そして戦闘系。そのいずれにも気配を感じ、だがいずれも曖昧過ぎて断言できない状態だった。
「花園!」
北斗の声に巽の意識がこの場に戻ってくる。気が付けばオーグルの一匹が目前に迫っていた。巽は剣を抜いて足を止め、カウンターでこれを仕留めようとする。が、オーグルは伸ばした腕を振り上げ、巽へと振り下ろした。剣を横に構えた巽が目を見開き、
「くそっ!」
その腕を転がり回って避けた。威力と言い速度と言い、巽の技量ではその攻撃を斬り払うなど不可能だ。オーグルが伸ばした両腕で連続追撃を加え、巽は無様に逃げ回っている。「最短距離の機動」など考えることもできず、とにかく敵の攻撃に当たらないよう必死である。オーグルはまるで嬲るかのように手を緩め、その顔は嘲笑を浮かべるかのようだ。
「ほれ」
オーグルの進路に突然現れた北斗が足を引っかけ、オーグルを転ばす。巽が急旋回してその前へと立ち、倒れ伏したオーグルが顔を上げ――巽は薪割りをするように竜血剣をその頭部へと叩き付けた。オーグルの頭部は西瓜のように血飛沫を撒き散らして砕け、その魔核は竜血剣へと回収される。
「そら、もう一匹行ったぞ」
オーグルの最後の一匹が巽へと襲い掛かってくる。が、それは北斗によって腕の一本を断ち斬られ、片足も足首から先がなかった。
「Gagagaga!」
それでも雄叫びを上げて巽を食い殺さんとするオーグルだが、その速度は本来の数割減だ。巽はオーグルの横を紙一重ですり抜け、行きがけの駄賃のように竜血剣を振るう。オーグルは脇腹の六割を吹き飛ばされて地面に倒れ伏し、二度と立ち上がることはなかった。
「……はあ」
戦闘が終わって気が抜け、巽はその場に座り込んだ。精神力をごっそりと持っていかれ、できれば今日はもう帰りたいくらいだった。
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
一方の北斗は全くの平静であり、あれだけの戦闘をこなしたのが嘘のようである。いったい彼とどのくらいの差があるのか――想像するだけで眩暈がするほどだ。
「ところで何か掴めたのか?」
「そうですね。今の戦闘でもおかしなところが」
「俺が弱すぎるってことか?」
それがジョークなのか本気なのか、巽には判別できなかった。固有スキルの見分けよりも難しいかもしれない。
「いえ、そういうわけではなく。固有スキルっぽい何かは感じるんですけど……」
巽はそのまま考え込み、長い時間沈思黙考が続いた。やがて巽が顔を上げ、
「……一つ提案があるんですけど、いいですか」
もちろん北斗はそれを断りはしなかった。
「ようやく見つけた。行ってくる」
「気を付けて。場合によっては俺も」
「いや、手出し無用だ。口出しもぎりぎりまで控えてくれ」
手短に言葉を交わし、北斗がモンスターの前へと進み出る。巽は手に汗を握り、その背中を見守った。
時刻は日差しが傾きつつある頃。場所は第二〇四開拓地の中の、森を抜けた岩場。北斗はそこで一匹のモンスターと対峙しようとしていた。
それは王冠のような形の銀の鶏冠を持つ、蛇のモンスター。それが吐く息は猛毒となり、その視線は見られた者を石を化す――バジリスクだ。通常のバジリスクは体長一メートルほどでレベル一〇〇超。今目の前にいるのは体長が一メートル半はあり、レベルも相応に高いものと思われた。それでも北斗にとってはただの雑魚モンスター……普通であれば。今、彼は普通でないことをやっている。
北斗は口元に巻いていたマフラーで目隠しをし、その状態でモンスターと戦おうとしているのだ。
「Kikikiki!」
バジリスクが甲高い啼き声を上げるが、それが嘲笑なのか忌々しく思っているのか巽には判らなかった。バジリスクは地球の伝承では「見たものを殺す」または「視線で敵を石化する」とされている。メルクリアのバジリスクにそこまでの力はなく、一方的に見られただけで死んだり石化したりする心配は不要である。ただ、「視線を合わせると石化する」。石化の進行を止められなければ本当の石になってしまい、そうなれば当然生命はなかった。
このためバジリスクを狩るときは剣を使って視線を遮断し、また剣を鏡の代わりにしてその視線を跳ね返すのが定石である。相手を見ないようにして戦うという高度な技量が求められるのだが、青銅であればその程度はあって当然だった。ただそれでも、「完全な目隠し」という曲芸でこれに戦いを挑んだ者はいなかっただろう。
北斗はにじり寄るようにして前進。バジリスクもまた音を立てないようにしてゆっくとり動いた。北斗が敵の気配を全身で感じるべく、その全神経が聴覚と触覚に集中する。そしてそれを見守る巽は、
「やっぱり使っている……!」
固有スキルが行使される気配を明確に感じている。
――北斗が固有スキルを使っているのかいまいち判然としないのは、状況が彼にとってあまりに温くて固有スキルを使うまでもないから。もっと厳しい状況であれば固有スキルも発揮されるはず――その提案を容れて、北斗にとっての「厳しい状況」を整えるべく二人は思案した。
レベル三〇〇や四〇〇のモンスターを狩りに行くのが一番話が早いのだが、巽の身の安全が保障されないため却下である。それなら逆に北斗にハンディキャップを負ってもらい、狩りをするしかない。どういうハンデを負うかと、この狩場にいるモンスター。その両方を勘案して出された結果が「目隠しをしてバジリスクを狩る」だったのだ。
目隠しならバジリスク最大の攻撃に対する防御にもなるし、いざというときに外すのも一瞬だ。そしてその難しさは、くどくどと説明するまでもないだろう。
(あと六メートル……五メートル。そろそろ毒が届くか)
バジリスクの吐く息が毒となって北斗へと忍び寄ってくる。事前に毒消しを飲んでいるとは言え、完全に無効化できるわけではない。毒の気配を肌で感じた北斗は極限まで呼吸の速度を落とした。足を止め、呼吸を止めて空気と同化する。その見事な隠形に巽は目を見張った。目の前にいるのにともすれば見失いそうになるくらいで、巽は目を凝らさなければならなかった。そして同時に、
「やっぱりこの隠形も固有スキルか」
バジリスクもまたその隠形に戸惑ったようで、その動きを止めた。だがそれも長い時間ではない。やがてそれは焦れたのか、北斗へと突進した。声は出さないが足音は殺しきれない。それでも数メートルの距離を縮めるのは一瞬であり、巽なら棒立ちとなったまま喰われて終わるだろう。北斗は、
――風、風圧、速度、距離、時間、敵の体長、急所の位置――無数の情報が言葉になる前に脳内で結合し、意識となる前に肉体に命令を下した。左足が半歩だけ外側に踏み出し、右腕は忍者刀型魔法剣を全力で振り抜く。両者の交差は一瞬であり、決着は刹那だった。長い胴体を両断されたバジリスクが大地に倒れ、その身体が吐き出した魔核は北斗の刀へと回収される。北斗が深呼吸をするように酸素をむさぼり、巽もまた同じように大きく息を吐き出した。
「大丈夫ですか、怪我は」
「見ての通りだ」
駆け寄ってきた巽の問いに北斗はそっけない言葉を返し、「それよりも」と問うた。
「何か判ったのか?」
「西之門さんは固有スキルを使っています」
巽の明言に北斗は少しの間沈黙した。
「……どこで、どういう形でだ?」
「全部ですね。索敵から気配を殺したところ、剣を振ったところまで」
またもや北斗は沈黙し、それは先ほどよりやや長く続いた。
「……どういうことだ?」
「多分ですけど、西之門さんの固有スキルは全ての技術を底上げするものなんだと思います。索敵、隠形、戦闘、全ての技術を」
北斗の固有スキルは彼に超常的な力を与えはしない。身体能力そのものは別として、その技術はあくまで人間にできる範囲。ただしそれを極限まで研ぎ澄まし、高めてくれる――それが北斗の固有スキルだと考えられた。
三度北斗が沈黙し、それはかなりの時間続いた。
「……それが固有スキルと言えるのか?」
「固有スキルってわりと何でもありですから。珍しい形でしょうけど、充分にあり得る範囲です」
理解は簡単だ。だがその説明を北斗が受け容れるのは、決して容易なことではなかった。やがて彼はため息をつき、自嘲する。
「『大抵のことはそつなくできる、だがこれと言った特技がない』……昔から言われ続けてきたことだが、まさか固有スキルまでそんな形だったとはな」
「でも決して使えない固有スキルってわけじゃないと思います。現に青銅にまでなっているんですから」
「だが、これで白銀に行けるのかどうか……」
と北斗は嘆息する。未だ青銅ですらない巽にはそれについては何も言えなかった。ただ、
「俺達は与えられた手札で勝負するしかありませんから」
自分に言い聞かせるような言葉に北斗がわずかに目を見開いた。そうだな、という呟くような返事が空気に溶けて、消える。
「ところで、名前はどうしますか?」
「そうだな。『器用貧乏』とでもしておくか」
別に登録するわけじゃないし、と独り言のように言う北斗。
「はい?」
「さて。帰るか」
と北斗がベースキャンプに向かって歩き出す。巽が急いでその後を追った。
夕日は東に沈み、町は夜のとばりに包まれている。ヴェルゲランへと戻ってきた巽達を、待っていたのか偶然かは判らないが高辻が出迎えた。
「おつかれー、巽ちゃん。それでどうだった?」
巽が返答しようとして、その前に北斗が割り込んだ。
「固有スキルは見つからなかった。残念だが」
「そっかー。でも打率二割なわけだし、そういうこともあるよね?」
「ああ、残念だが仕方ない。彼はよくやってくれた、感謝している」
そう言いながらも、殺気に近い気を込めて鋭い視線を飛ばす北斗。何か言いたげだった巽はそれで沈黙を余儀なくされた。
「見つからなかったものは仕方ない。考え方を変えて、固有スキルを持たないままどこまで上に行けるか、挑戦したいと思う」
「そのまま白銀まで上がっちゃったら前人未到の壮挙だねー。応援してるよー」
そう笑う高辻に「うむ」と力強く頷く北斗。巽は(呆れ果てて)何も言えないでいる。
「それでは御免」
と立ち去る北斗の背中を巽は無言で見送った――開いた口が塞がらないまま。
……その後、固有スキルを持たないまま白銀にまで至った西之門北斗が実は相当以前から固有スキルを駆使していた事実が露見し、ちょっとしたスキャンダルとなるのだが、それはまた別の話である。




