第三二話「ホーンテッドハウス」その2
太陽の傾き方からして、時刻は目算で一五時前後。平原を進んでいた巽とクリアはようやく次の痕跡を発見していた。
「これは……」
巽は呆然としたように呟き、それ以上続かない。草むらが広い範囲で焼けていて、ここで戦闘があったことは判る。だがそれ以上のことは見当もつかなかった。
「メイジが攻撃魔法を連発したのか?」
「参加者の中でメイジは一人だけじゃったんじゃろう? ならば魔力は可能な限り温存させるはずじゃ。それに、この焼け方は攻撃魔法のそれではない」
「それじゃ一体?」
「まるで酸で焼いたような……いや、推測するにしても根拠が足りん」
クリアが鋭い目で周囲を観察し、根拠を探している。巽もまたその場を歩き回り、何かを探し求めた。自分が何を探しているかもよく判らないままの巽だったが、
「クリア、これ!」
呼ばれたクリアが足早に巽の下へと駆け寄る。顔を青ざめさせた巽が立ち尽くし、その足元に転がるのは、
「……金属鎧か。安物じゃな」
損傷した箇所を修復した跡のある、中古の金属鎧。巽も駆け出しの頃にこんな鎧を着ていた覚えがあった。
「でもどうしてここに、着ていた奴は一体」
クリアはそれに答えずその鎧を持ち上げ――何かの液体が流れ落ちた。
「今のが鎧の中身のようじゃな」
より正確を期するなら、その成れの果てだった。巽がこみ上げる吐き気と怒りを噛み締める。
「見よ、向こうにもある」
クリアが先へと進み、巽が続く。鎧は一領だけではなく複数転がっており、さらには剣や刀も散乱していた。
「モンスターに襲われてこの方向に一斉に逃げ出したが、追いつかれて一人ひとり食われて……といったところか」
「でも何のモンスターに。まるで身体を溶かすみたいに」
「まるで、じゃなく本当に溶かされたんじゃ」
クリアは一拍置き、正解を巽へと告げた。
「正体はスライムじゃな。まず間違いない」
スライム――不定形の身体を有し、捕食した人間を強力な酸で溶かしてしまう。物理攻撃への耐性が極端に強く、その一方魔法攻撃への耐性が非常に弱い。レベルが上がれば四桁にも達する、強力で厄介なモンスター。概要だけだが、その程度の知識は巽も有していた。
「でも、メルクリアでスライムが出たなんて話……」
「報告事例があったかどうかは知らんが、ディモンでは特別珍しくもないモンスターじゃぞ? 誰かがディモンからメルクリアに持ち込んだことも考えられる」
巽がまず思いついたのは「エルミオニ」という名前である。彼ならば強力なモンスターをメルクリアに密輸入する手段も理由も持っているだろう。次に「クリア・ヴリシ」という名前も可能性の一つとして考えられたが、
「言っておくがわしではないぞ?」
「判ってる」
彼にはまずそれを成す理由がなく、それを実行するだけの力が不足している。またエルミオニにしても有力な容疑者の一人というだけであり、彼の仕業だと断定はできなかった。
点在していた剣や鎧は百メートルほど先に落ちていたのが最後だった。二人はさらなる痕跡を探し求めている。
「意図してかどうかは判らんがゴブリンの群れをエサにして誘い出し、多数の冒険者を残らず喰らった。それなりのカルマと、あるいは知恵もついたかもしれん」
「残ったゴブリンの群れは?」
「おそらく喰われたんじゃろう」
「でもモンスターがモンスターを殺してもカルマは得らないはず……」
もしそれでカルマが得られるのなら、モンスターはモンスター同士でまず殺し合い、食らい合うことだろう。だが自然状態でそれが発生した事例は、絶無ではないがそれに近い。このため「モンスターがモンスターを殺してもカルマは得られない」というのが定説となっていた。
「カルマは得られんじゃろうな。じゃが身体を作ることはできる」
意味を理解できず首を傾げる巽に、クリアは説明を重ねた。
「スライムは人間を襲い、食らえば食らうだけ身体が大きくなる。図体がでかければそれだけ戦闘に有利じゃから、スライムは人間を殺すだけでなく捕食しようとする。また、魔王軍に使役されたスライムなどは手っ取り早く成長させるために、ゴブリンなどの雑魚モンスターを食わせることを覚えさせておった。このスライムが、そういう戦争用のスライムから株分けされたものであれば……」
「その上人間を捕食して高い知能を手に入れた個体であれば、ゴブリンの群れを捕食して身体を大きくしようと考えることも」
あり得ん話ではない、とクリアが結論づける。厄介な、と巽は舌打ちした。
「見つけた、こっちじゃ」
大型の何かが通った跡が北の方へと続いている。二人はその足跡を追った。
「どうやら、できるだけ足跡を残さぬよう注意はしておったようじゃな」
それでも点在するその痕跡を追うことはさして難しい話ではなかった。巽達は先へと急いでいる。
「つまり高い知能を持っていることは確実か」
「それと、相当に大型化していることもな。小さな家くらいの図体にはなっておるかもしれん」
ますます厄介な、と巽は内心で唸っている。また、もう一つの懸念がそろそろ間近に迫っていた。巽は後ろを振り返って、沈みゆく夕陽に目を向けた。
「まずいな。そろそろ日が暮れる」
夕陽の位置からして時刻は一六時を回っている。夜になれば途中であろうと追跡は打ち切る他ないが、
「ここまで追っていながら敵の姿も見ずに引き返すなんて……」
「阿呆が。石ころの分際でスライムと戦おうなんぞ」
クリアがジャンプして巽の頭を叩き、巽は痛そうな顔をした。
「わし等の仕事は調査だけ、それはもう充分に果たした。実際の討伐は青銅なり白銀なりのメイジに任せるべきじゃろう」
「判っている」
と巽は自分に言い聞かせるように頷く。
「でも幸いと言うべきか、スライムの進路はちょうど帰り道と重なっている。行けるところまで……」
そこまで言って、巽は愕然とした顔をクリアへと向けた。クリアもまた似たような表情となっている。
「まさか、ベースキャンプに」
「冒険者を狙っておるんじゃ! その近くで巣を作るかもしれん!」
東へと向かって走り出したのは二人同時だった。が、あっと言う間に両者の距離は開いてしまう。巽は引き返してクリアを背中に担ぎ上げ、全速で疾走した。
「じゃが、スライムが移動したのは昨日の話じゃ。巣を作ったなら今日にはもうできておるじゃろう」
「あのベースキャンプは第二一九開拓地の終端で、今日は使用禁止だった。犠牲者はまだ出ていないはずだ」
「討伐が終わるまではそのまま閉鎖じゃな。むしろ問題は、わし等が無事に帰れるかじゃ」
確かに、と深刻な顔で頷く巽。そんな会話をしているうちにやがてベースキャンプが視界に入ってきた。
「お主はこのままじゃ。わしが探知魔法を使う」
目を瞑り、全霊を込めて探知魔法を行使するクリア。それに応えるように巽はさらに足の回転を速めた。クリアを背負ったままベースキャンプの木柵を飛び越えて着地。転移の魔法陣が設置されている小屋までは一投足だ。小屋に入って転移の魔法陣を前にし、巽はようやく一息ついた。
「よし、ここまで来れば」
「阿呆が!」
クリアが巽の背中を蹴るようにしてジャンプし、巽は小屋の端まで飛ばされて倒れ込む。着地したクリアは攻撃魔法を行使しようとし……それは途中で途切れた。
「おい、クリア」
抗議を声音に込めて巽がその名を呼ぶが、呼ばれたクリアは無言のまま顎である一点を指し示した。小屋には窓がなく、中はかなり暗い。床は地面のままで、転移の魔法陣は地面に設置されていて、その横に、
「何だ?」
転移の魔法陣の横の地面に、掘り返されたような跡があった。一応その痕跡をなくすべく努力はされているが、ちょっと注意して見ればすぐ判る。あるいは、部屋の中が充分に明るければすぐに目に付いただろう。
「くそ、気付かなかった……朝からあったのか? これ」
「さてな。不注意だったのはわしも同じじゃ」
とクリアは自分の迂闊さに腹を立てている様子だった。
「巣を作るにしてもまさかこんなところに陣取るなんて。スライムの気配は?」
「感じられん。あるいは……」
とクリアが転移の魔法陣に視線を固定させる。巽は彼女の考えを理解し「まさか」とつぶやくように問うた。
「モンスターが魔法陣で移動するなんて、そんなこと」
「できんわけでもあり得んわけでもあるまい。スライムは転移の魔法陣が何たるかを完全に理解していた。この部屋に陣取って、出てくる冒険者を捕食しようとしていた……いや、ここは単に通り過ぎただけか。もっと上流までさかのぼれば冒険者の質も量も大幅に増える」
「判った、急ごう」
巽が転移の魔法陣に足を踏み入れ、クリアがそれに続いた。
「急ぐのはいいが、転移が終わって出てきたところを狙って奇襲される危険もあるぞ」
「確かにそれくらいのことはやりそうだ」
と巽は忌々しげな顔をする。
「奇襲される前提で、最大限警戒するしかないな」
竜血剣を抜いた巽がそれを正眼に構える。クリアもまた杖を手にし、戦闘態勢となる。二人はその姿勢のまま魔法陣の中で光に包まれ、やがて粒子なってこの場から消え去っていった。
時刻は一七時三〇分前後、場所は第六分岐点。
「おい、何があった!」
しのぶ達が見えない敵と戦う中で悲鳴が響き、彼等がその声の下へと到着したところである。転移の魔法陣が設置された小屋の一つ、その前で二人の冒険者が腰を抜かしたように座り込んでいる。二人とも女性で、装備からして石ころのようだった。
「何かに襲われて、北白川さんがわたし達をかばって……!」
その女性が震える声でそう説明し、小屋の中を指差す。しのぶ達がその中を覗き込むと、中にいたのは一人の侍の姿だった。その侍は剣を手にし、立ち尽くしたまま絶命している――首から上を喪って。
それは美咲にとっては当面の目標の一人。白銀クラスの侍・北白川伊織……その最期の姿だった。
「まさか、白銀の侍が」
美咲がそうつぶやき、歯を軋ませる。悔しさを噛み締めているのは他の者も同じである。
「白銀のカルマを獲得した以上、敵はさらに強くなったものと見るべきです」
「これ以上犠牲者が出ないうちに倒さないと、でもどうやって……」
その中で朝日と明星の姉妹が視線を交わし、無言で二人だけの会話をした。そして無造作に小屋の中へと足を踏み入れる。
「嵯峨さん、危険です」
「わたし達を誰だと思っているの? 白銀を舐めないで」
何秒も数える間もなく、二人が目的の場所に到着する。二人の足元の地面には掘り返したような痕跡がそのまま残っていた。
「魔力の無駄遣いは避けたいけれど」
「これ以上いいように振り回されるのはゴメンだわ」
キラキラシスターズが地面へと杖を向ける。
「煉獄の炎!」
「永遠の氷結!」
先に明星が攻撃を放ち、刹那だけ遅れて朝日が続いた。いや、朝日のそれは攻撃魔法ではない。明星の超高熱の攻撃魔法が地面の中を焼き尽くし、朝日の凍結魔法が地面を塞いでいる。まるで地震のように地面が揺れて小屋が崩れ、しのぶ達が慌てて退避。さらにあちこちの地面が割れて溶岩や蒸気が噴き出した。さらに、
「vvvvvvvvvv!!」
どこから声を出しているのか判らない。それが啼き声なのかも判然としない。が、奇怪な音を立てながら巨大なモンスターが地面から這い出してきた。全体が濁った白色の、アメーバのように不定形の、巨大な粘体がずるずると地面を這い回っている。
「な、なんだこいつ……」
「まさか、スライム?」
「でもスライムがメルクリアにいたなんて話」
しのぶやゆかり達は驚愕や戦慄を顔に貼り付け、そのモンスターを見上げている。その高さは五メートル以上にもなり、ちょっとした山のようだ。重量は一〇トンや二〇トンにもなるかもしれず、そのレベルは四桁に届くかもしれなかった。
が、キラキラシスターズの二人にとっては正体が割れてしまえば、レベル三桁のモンスターなどお化け屋敷の脅かし役でしかない。
「まさかのスライムとは驚きだけど」
「運がなかったわね。わたし達がいなければもうちょっと頑張れたかもしれないのに」
二人がそれぞれの固有魔法を行使する。紅蓮の赤と蒼穹の青、レーザーのような二条の光がスライムの巨体を斬り裂いた。スライムは断末魔の悲鳴を上げてのたうち回っている。スライムは物理攻撃がほとんど効かない一方、魔法攻撃には滅法弱い。しかも攻撃しているのは白銀の中でも高威力の固有魔法を有する、キラキラシスターズだ。
「くそ、良いところを見せる間もなく終わっちまったな」
と面白くなさそうな様子の飛鳥。彼だけでなく、美咲やゆかりももう終わったと、スライムは間もなく倒されるものとばかり思っていた。が、
「……おかしい」
「でも、スライムには物理攻撃はほとんど効かないんだろう?」
終端の第五ベースキャンプから第四、第三とさかのぼり、第二を過ぎてようやく第一ベースキャンプまで戻ってきた。この間ずっとスライムの襲撃に警戒し続け、巽はかなり消耗している。
「もちろん俺も戦うけど、俺にできるのは多分クリアの補助だけだから」
「うむ、おそらくわしが主戦力となるじゃろう。じゃが油断するでないぞ? このスライムに魔法攻撃が有効とは限らぬからの」
意外な話に巽が目を丸くして「どういうことだ?」と問い、クリアが続けた。
「スライムが戦争に使われた、という話をしたじゃろう。じゃがスライムほど弱点が明確なモンスターはそうおらぬ。わし等はその弱点を克服するため、属性を反転させたスライムを開発したのじゃ。それぞれの弱点を補う二種類のスライムはかつての戦場で猛威を振るったものじゃ」
と懐かしそうな、また偉そうな顔となるクリア。巽がはばかるように、
「属性の反転て……」
「うむ、魔法攻撃を無効とするスライムじゃ」
巽とクリアが転移の魔法陣へと足を踏み入れる。二人は光となり粒子なり、第一ベースキャンプからその先へと移動した。
「……おかしい」
しのぶと同時に朝日と明星もまたそれに気が付いた。二人が攻撃を中断する。
「どうしたんですか?」
暢気に飛鳥が問うが、誰もそれに応えられなかった。何物かが彼等に襲い掛かってきたからだ。
「なんだこいつ等!?」
「くっ、あなた達は中へ!」
妖怪のぬりかべのように、白い壁となって覆いかぶさろうとするそれを、美咲が横薙ぎの剣風で払い飛ばす。さらに飛鳥が魔法剣でそれを斬り裂いた。それ等――小型のスライムとしか思えないモンスターが多数、彼等を包囲する。石ころの女性二人をかばい、しのぶや美咲、飛鳥が前に立った。ゆかりもまた、
「雷撃!」
それ等のスライムへと向けて攻撃魔法を撃ち放つ。が、
「うそ、効いてない?!」
小型スライムは一瞬動きを止めるが、それだけだ。非常にゆっくりだが、するずると這い寄ってくる。
「烈光剣!」
飛鳥の固有スキルは剣に魔力を凝縮させてそれで敵を叩き斬るものだ。飛鳥はそれでレベル二百の、複数のワーウルフを藁人形みたいに無造作に斬り捨てたのだが、
「くそ、何なんだよこいつ等は!」
小型スライムは棍棒で殴られたほどにも堪えていない様子だった。退避するしのぶ達が退避するキラキラシスターズと合流。だが逃げ場はもう残っていなかった。彼等は三六〇度を小型スライムの群れと、一匹の大型スライムで包囲されている。ただ、大型スライムは嵯峨姉妹の攻撃を受ける前よりその質量が半分以下となっているようだった。
「分裂したスライムが自立して動いている?」
「いえ、斬り裂かれて分離した身体の一部を本体が操っていると見るべきです」
本体から分離したスライムの一部が本体に融合する。そしてまた身体の一部が本体から分離し、しのぶ達の包囲網へと加わった。
「多分、あまり長時間は分離して動けないんだと思います」
「いずれにしても、本体を倒せば済む話だわ」
キラキラシスターズの二人が全力で固有魔法を撃ち放ち、スライム本体には巨大な風穴が空いた――が、それだけだ。粘体の身体はその穴をすぐに埋め、攻撃の跡は欠片も残っていない。ただ二人が魔力を消耗しただけである。
「……どういうことよ」
「スライムに魔法が効かないなんて」
悔しげな言葉に隠しようもない焦りをにじませる嵯峨姉妹。二人の固有魔法は威力が絶大な分、消耗も激しい。さらにこれまで散々乱射した攻撃が全て無意味だったと知らされ、精神的疲労も倍増した。
「くそったれが!!」
飛鳥の烈光剣が小型スライムの一体を斬り裂く。が、
「vvvvvvvvvv!」
飛鳥を嘲笑するように啼き声をあげたそれは、すぐにくっついて元に戻ってしまった。飛鳥は怒りと屈辱に歯を軋ませる。敵の真っ只中に飛び込んであたるを幸い切って捨てたいところだったが、積み重なった疲労がそれを自制させた。
焦りが、消耗が彼等の身体にのしかかる。絶望が彼等の心を腐食しようとしていた。それでも、
「まだ諦めるべきじゃありません」
「ええ、粘っていれば援軍が来るかもしれない」
しのぶも美咲も愛刀を手に、最期の最後まで戦い抜こうとしていた。飛鳥は「けっ」と吐き捨てる。
「こんなところに誰が援軍に来るんだよ」
「たとえば、巽君とか?」
ゆかりの言葉にしのぶと美咲は顔をほころばせた。
「そうですね、巽先輩なら来てくれそうです」
明るい彼女達の顔に飛鳥は嘲笑するばかりだ。
「はっ! 石ころが一人来たからって何になるんだよ! 五百番台の俺ですら、白銀ですら手も足も出ない相手に!」
スライム本体は何メートルも上へと広がり前進する。そのまま前へと倒れ、彼等を一気に呑み込み、捕食するつもりのようだった。
「そうかもしれません。でも巽さんなら何とかしてくれそうな気がするんです」
しのぶの言葉を嘲笑するようにスライムが身体を震わせ――突然、その中央に巨大な風穴が空いてその全身が崩れ落ちた。スライムはパニックを起こし、悲鳴を上げてのたうち回っている。
「無事か? しのぶ、美咲、ゆかりさん」
そう問うのは――言うまでもなく巽である。しのぶ達は満面の笑みでそれに応えた。
「来てくれると信じていました」
「わたし達は大丈夫です」
「本当、ヒーローみたいだよ巽君」
その言葉に巽もまた頼もしい笑みを返す。そして獲物を前にした猛獣のように牙を剥き、
「もらうぞ、お前のカルマを!」
剣を振りかざしてスライムへと突貫した。スライムもまた必死に応戦するが、それはまるで熱したナイフの前のバターのようだった。竜血剣は紙よりも容易くスライムの身体を斬り裂いていく。それに触れただけでスライムは千切れ、飛散し、その身体は再び元に戻ることはなかった。
「なんで、どうして……」
と唖然とするばかりの飛鳥。それはキラキラシスターズも同じである。
「どういうこと? あのスライムにはわたし達の攻撃も通用しなかったのに」
「あれは属性を反転させたスライムじゃからな。全ての魔法攻撃はあれには効かぬ」
しのぶ達に歩み寄り、そう解説するのはクリアである。
「属性を反転させた? それじゃ……」
「うむ。魔法攻撃に対してはほとんど無敵となるが、その代わり物理攻撃には極端に弱くなるのじゃ」
しかも巽の得物はドラゴンの秘宝とされる「竜血剣」、それは時間が停止しているため何があっても絶対に破壊できないと言われている。いくら物理攻撃が弱点であっても石ころの攻撃がレベル三桁のモンスターに届くはずがないが、得物が竜血剣ならば話は別である。
「つまりあやつはあのスライムにとっては最悪の天敵、ということじゃな」
しのぶ達が見守る中、巽はスライムを追い詰めていた。中心核を体内で移動させて巽の斬撃から逃れるが、斬られた身体は崩れていくので逃げ場は狭まる一方だ。そしてついに、
「そこっ!」
竜血剣が中心核を両断する。一瞬だろうと持ちこたえられるはずもなく、中心核は完全に粉砕。スライムの全身が泥のように崩れ、吐き出された魔核は竜血剣の束へと回収された。
「はあ、疲れた……」
後先を考えずに竜血剣を振り回したのは今回が初めてかもしれず、その疲労度合は尋常ではない。スライムを倒した場所からもう一歩も動けず、巽はその場に座り込んだ。
「巽さん!」
「巽先輩!」
「巽君!」
そこにしのぶ達が飛び込んできて、巽はもみくちゃにされる。対抗するようにクリアも加わり、さらにキラキラシスターズや石ころの二人も巽の下へと向かった。
「……けっ」
一方で飛鳥は面白くなさそうな顔で一人、所在なげな様子である。巽が多少なりとも動く気力を取り戻し、彼ら全員がその第六分岐点を立ち去るまでいましばらくの時間が必要だった。
ヴェルゲランに戻った巽は高辻に簡単に報告し、詳細は翌日としてもらうこととした。そして翌日のヴェルゲラン、マジックゲート社ヴェルゲラン支部。その事務棟の一室。
「いや、悪かったねー。とんでもないこと頼んじゃって」
「いえ、調査に行ったのが俺で良かったです」
と恐縮する高辻に対し、巽は本心からそう言う。実際、巽より上位の石ころが調査に行ったところで、スライム相手では手も足も出ずに捕食されて終わりである。しのぶ達三人も助けられず、あるいは彼女達もあそこで死んでいたかもしれない。それがなかったとしても、さほどの危険もなく高レベルの魔核とカルマを獲得でき、巽としては何一つ損のない話だったのだ。
「まあそれも、わしがおってこその話じゃがな!」
と偉そうに胸を張るクリア。それもまた事実であり、この少女がいなければこれほどスムーズに調査が進むこともなく、仮にスライムを倒せたとしても間に合ったかどうかは判らなかった。
「それにしても巽ちゃん、今回はレベル八八〇のスライムを狩ったわけか。レベル二五〇〇のヴァンパイアと比較すればまだおとなしめではあるけれど……」
「それは比較の対象がおかしすぎるだけじゃな」
クリアの言葉に高辻は深々と頷く。
「前にも誰かが言っていたけど、巽ちゃんはやっぱりそういう星回りなんだろーね」
「前にも言いましたけど、青銅とかになってからならともかく、石ころのうちからこんな目にばっかり遭うのは不本意です」
「確かに、普通の石ころならもう一〇回くらいは死んでおるじゃろうな」
「愛されてるよね、巽ちゃん。幸運の女神か運命の女神か判らないけど」
「トラブルの女神かもしれないですね」
自分で言いながら「トラブルの女神」を脳裏に思い描く巽。その女神さまは一升瓶を抱えながら、ゆるい笑顔を巽へと向けていた。
「……おそらくお主は大きな運命の輪の中にある。これまでのことも、今回のことも、それに向けての試練じゃ」
いつになく真剣なクリアに、笑い飛ばそうとしていた巽はそれを引っ込めた。
「試練?」
「運命はお主に何かを成し遂げさせようとしておる。そのための、言わば準備じゃな」
「その何かって?」
その問いにクリアは「さてな」と肩をすくめた。
「それこそ運命の女神でもなければ判ることではあるまい」
「青銅になれるんだったら、運命でも試練でもどんと来い、ってとこなんだけどな」
独りごちるようにそう言う巽。そのとき巽の脳裏をトラブルの女神さまが横切り、
「よっしゃまかせろー。生き残れるかどうかは保証しないけどー」
どこかの誰かみたいなゆるい笑顔でそう告げてくる。
「いや、やっぱなし」
「はい?」
その取り消しを女神さまが聞き届けてくれたかどうかは……多分無理だろうな、と思う他ない巽だった。




