第三一話「ヴァンパイアの罠?」
ときは一〇月中旬の火曜日。場所はメルクリア大陸、第二二一開拓地。今日も今日とて、巽はソロで狩りをしているところだった。
「てえいぃ!」
巽の竜血剣が一旋し、モンスターの胴体が上下に真っ二つとなる。トロルの上半身がゆっくりと下半身から滑り落ち、吐き出された魔核は竜血剣へと回収される。他のトロルは怯んだように見え、巽はその隙に若干後退した。
今の巽の獲物は人型系モンスターのトロル。その全身は獣毛で覆われ、その体長は二メートルを優に超える。怪力と醜悪な容貌を有する、強力なモンスターだ。そのモンスターが四匹、粗末な棍棒を手にして巽を包囲せんとしている。が、巽は焦りも怯みもしなかった。トロルのレベルは五〇から六〇、今の巽からすれば物足りないくらいだ。
迂闊な一匹が棍棒を振りかざして襲いかかってくる。巽は慌ても騒ぎもせずにその懐に飛び込み、その後背に回り込む。トロルが振り返るよりも速く竜血剣が袈裟懸けに振るわれ、そのトロルは血を撒き散らして絶命した。
「奥義『蜉蝣』……」
誰も見ていないのにニヒルを気取って呟く巽。それは固有スキルの「蜉蝣」ではなく、塩小路蒔に教えてもらった剣術としての「蜉蝣」だ。もっとも奥義として極めるには程遠く、見様見真似の子供の真似事でしかない。が、トロル相手ならそれで充分であり、練習相手としても手頃だった。
巽がまた後退し、残る三匹のトロルが三方から一歩一歩、巽に接近する。慎重に包囲し、確実に仕留めるつもりのようだが、それは巽にとっても望むところだった。
竜血剣にも大分慣れてきた巽だが、それを使うことが大きな負担であることには何ら変わりはない。剣をできるだけ振るいたくなく、できるだけ動きたくない。その結論として選択されるのはカウンター狙いという戦術だった。
巽の眼球が小刻みに動き続け、敵の姿を補足し続け、脳はシミュレートを何百回とくり返している。どう動くのが最も効率的かを計算し、その演算結果に基づいて行動を開始。巽が大きく一歩踏み出し、敵の動きを誘った。それに釣られて二匹のトロルが突っ込んでくる。巽はその側面へと素早く回り込んだ。巽と二匹のトロルが一直線上に並ぶ。巽は水平に構えた竜血剣を顔の高さで握り込み、
「月読の太刀!」
それは固有スキルの「月読の太刀」ではなく、美咲の「月読の太刀」でもない。以前美咲の父親の鷹峯光悦氏に見せてもらった、美咲の祖父にとっての「月読の太刀」。突きを極めた奥義、その猿真似である。
「Bigigigigi!」
一匹目のトロルが汚い悲鳴を上げ、胴体に大きな風穴を開けた。巽はそのトロルごと突進して二匹目に体当たりし、その胴体を貫く。二匹目の背中から大量の血が噴水のように噴き出し、その二匹は同時に絶命した。
「Bigigigigi?!」
残った最後の一匹が怯んだように後ずさる。巽は剣を正眼に構えてその一匹が襲いかかってくるのを待った。が、そのとき、
「雷撃!」
攻撃魔法の一撃がトロルを黒焦げにする。誰が、と怒りに燃える巽の目が吐き出された魔核の行方を追った。巽が危険な状態だったのならともかく、そうでないのなら獲物の横取りは完全なルール違反だ。厳重に抗議をしようとする巽だったが、
「ふっ、危ないところじゃったな!」
魔核を横取りした相手の姿に、巽は唖然となった。太い木の枝の上で仁王立ちとなっているのは、十二、三歳くらいの女の子だ。ショートの髪は銀色で肌は褐色。平坦な身体を、やや大きさの合わないブレストアーマー等で部分的に覆っている。かなり露出の多い格好だが年齢が年齢なので色気は皆無だった。
「ディモン人? ドワーフ?」
もし外見通りの年齢なら地球人ではあり得ず、その特徴からしてドワーフの可能性が高いものと思われた。木の上から飛び降りたそのドワーフ?の少女は堂々と巽へと歩み寄り、指を突き付け、
「この程度の雑魚を倒したところで礼を言われるほどではないが……じゃが勘違いするでないぞ? お主のために倒したのではないのじゃからな!」
偉そうに言い放つ少女に対し、怒る気もそれ以外の気力を奪われた巽は膝から崩れ落ちそうになっていた。
「そのままこの子が付いてきてしまったと」
「はい」
珍妙な乱入者のせいで巽は早々に狩りを切り上げ、ヴェルゲランへと戻ってくる。巽が向かった先はマジックゲート社ヴェルゲラン支部のマルマリの下である。
場所はヴェルゲラン支部内の研究施設、その一室。マルマリの前には巽と、ドワーフの少女が並んで椅子に座っている。巽は途方に暮れた様子で、少女は棒付きキャンディを頬張りご満悦の様子だった。なおそのキャンディは露店で売っていたもので、少女にねだられて巽が買い与えたものである。
マルマリは頬に手を当て、小首を傾げて、
「でも、どうしてわたしのところに? この子に何か不審なところがあると?」
「不審と言えば何もかもが不審ですけど」
と巽は前置きの上でその少女へと向き直った。
「ええっと、クリアって言ったかな」
名を呼ばれた少女はキャンディをくわえたまま「うむ」と頷く。
「君はどうして俺に付きまとう? これからどうするつもりだ?」
「うむ。まずはこの酒を飲ませて前後不覚にした上でこの契約書にサインを」
と酒瓶と契約書を取り出すクリアの頭部に、巽のチョップが叩き込まれた。
「痛いではないか。何をする」
「何をしようとしている、何を」
巽の詰問にもクリアは不思議そうに首を傾げるだけだ。頭痛を堪えるような巽が助けを求めるようにマルマリに視線を向けるが、彼女もまた同じような顔となっていた。
「……先日のヴァンパイアがまた何かを企んでいるわけですか。でもどうして、わざわざこんな子を傀儡に選んで」
「俺が訊きたいです。でも放っておくわけにもいかないから」
「判りました。同僚にも手伝ってもらってこの子の解呪をします」
よろしくお願いします、と頭を下げる巽。退出する巽を追おうとするクリアだがマルマリは少女を逃がさない。研究施設を後にした巽は高辻の下を訪問してこの一件を報告。巽の中ではそれでこの件は片付いた事件となっていた。
が、その翌々日の木曜日。巽がいつものように新人冒険者を引き連れて「技術向上研修」を開催していると、
「なんじゃここは、つまらん。雑魚しか出ぬではないか」
狩場にふらっと姿を現したクリアがそのまま巽達に合流する。研修の受講生達は困惑し、巽は頭を抱えた。
「……何をしている、何を」
「何、ちょっとばかりメルクとカルマを稼ごうと思ってな。お主と会ったのはただの偶然じゃ」
白々しくそう言う少女を巽は冷たく見下ろし、
「そうか。邪魔だからどっか行け」
無造作な物言いにクリアは不満げに頬を膨らませた。また受講生の一人が、
「こんな小さな子を狩場に一人残していくのは……」
と控えめながら異議を唱える。巽は感情を抑えて反論した。
「こんな外見でもこの子は強力なメイジなんだぞ? トロルを一撃で殺せるくらいだから、最低でも五千番台相当の力はあると思う」
こんな子が、と驚く受講生達と、大威張りで胸を張るクリア。
「そういうことじゃ! どれ、ここはひよっこ共にわしの力を見せてやろうぞ!」
そう宣言した少女が先頭に立って歩き出す。当惑顔の受講生がそれに続き、
「力があるってことと冒険者としてやっていけるかどうかは全くの別問題なんだけどな」
最後尾の巽が受講生にそう講義をした。
「例えばモンスターの気配を察知する能力……」
まさにそのとき、茂みを割ってゾンビ兵が姿を現した。先頭を歩いていたクリアは手を伸ばせば触れられるくらいの距離でそれと対面する。全くの想定外の事態に硬直する少女を一〇匹近いゾンビ兵が包囲し、襲いかからんとした。
ゾンビ兵はゴブリンや骸骨兵と並ぶ、雑魚の中の雑魚、雑魚の代表格だ。トロルを一撃で殺せるクリアからすれば羽虫と何も変わらない。ただ問題は、それが「腐った死体」というグロテスクでおぞましい外見をしているということだった。
「い、いやーあああっっっ!!!」
悲鳴を上げたクリアが「雷撃」を乱発する。トロルどころからオーグルすらも一撃で殺せそうなくらいの威力であり、ゾンビ兵相手ではオーバーキルもいいところだ。実際ゾンビ兵の群れは一撃で全滅していて、それ以降の「雷撃」はただ地面を焼いただけだった。
……で、その後だが。
「歩きにくいから少し離れてほしいんだが」
「う、うるさい! お主は黙ってわしをエスコートすればいいんじゃ!」
クリアは巽の腕にしがみついて離れようとしない。涙目の少女を突き放すのはしのびなく、結局巽はその日一日ずっとクリアをしがみつかせたままだった。
で、さらにその後。研修を終えた巽がヴェルゲラン支部へと戻ってきて。
「モテモテだねぇ、巽ちゃん」
「いや、笑い事じゃないですよ」
ニヤニヤと笑う高辻に対し、巽は憮然とした顔をする。なおクリアは未だ巽にしがみついたままだが、それは背中側から首に、である。その様子は幼い子供が父親に「暇だから構え」と言っているかのようだった。
「それで、この子の身元は判ったんですか」
「ディモン出身のドワーフのメイジ、年齢は一五歳。マジックゲート社に嘱託として一〇月から勤務――不審な点は特に何も」
大真面目にそう言う高辻に、巽は刺々しい目を向ける。高辻は肩をすくめ、
「メルクリアン側の書類が整っているならマジックゲート社としてはそれを信じる他ないんだよねぇ」
「そんな、お役所みたいな……」
「ま、マジックゲート社も大企業だからねぇ。実際よりも書類の方が大事、ってのは洋の東西も時代も世界すらも問わないんだわ」
「でも、その書類が偽装されている可能性だってあるわけでしょう」
それはもちろん、と頷く高辻。
「でも書類は偽装できても入国審査の人格判定は偽装不可能だ。そこを通過している以上そんなにこの子を警戒する必要もないんじゃない?てのが上の見解」
「問題はこの子じゃなく、この子を利用しているヴァンパイアです」
巽はその点を強く主張した。
「マルマリさんとその同僚のメイジが協力してもこの子を解呪できなかった。ヴァンパイアが何を考えてこんな子供を罠に使おうとしているのか……それが判らない限りは警戒を解くことはできません」
「そりゃあ当然だろうねぇ」
と高辻はまず頷き、
「ただ、これ以上の詳しい調査はディモン側でやらないとどうしようもない。メルクリア評議会に要請はするけれど、彼等にとっちゃ他人事だからねぇ。結果が出るまで時間がかかることは理解してほしい、済まないけど」
「はい。それは仕方ないと思います」
もちろん不満はあるが、巽はただの石ころでしかない。黄金や白銀のためならともかく、ただの石ころのためにマジックゲート社もメルクリア評議会も本気になって動いてくれるわけがない……と、それは常識として判っていた。
「そうだ、巽ちゃん。ちょっと試してみていいかな」
そう言う高辻は巽から竜血剣を借りて、
「ほい」
とそれをクリアに手渡した。反射的に竜血剣を受け取ったクリアだが、事態を理解するのに何拍かの時間が必要だった。やがてクリアは大きく見開いた瞳を輝かせて、
「くれるのか?!」
「やらんやらん。貸すだけだ」
クリアは「ぶー」と頬を膨らませる。そのまま竜血剣を大事そうに抱きかかえる少女だが、持ち逃げしようするような様子は見せなかった。
「やっぱりこの剣が目当てか。この剣をどうするつもりなのかな? お嬢ちゃん」
「売って金にする」
拳を握り締めたクリアが力強く断言。巽は即座に少女から剣を取り上げた。あーあー、と玩具を奪われた子供のようにクリアが抗議の声を上げ、竜血剣を奪い返そうとしている。巽は両手で竜血剣を頭上高くに掲げ、クリアは涙目だ。巽は罪悪感を抱き、閉口した。
「お金がほしいわけね。何か理由があるのかな?」
高辻に問われたクリアが考え込み、それはかなりの時間に及んだ。
「待て、今思い出す。……ええと、確かモンスターの暴走があって、村が大変なことになったのだ。それで全財産がなくなってものすごい借金を抱えて、借金を返すために手っ取り早い方法を考えて……」
「そりゃ気の毒だな」
と同情を示す高辻。巽もまた少女の境遇は同情すべきものだと考えている……それが事実であるならば。
「思い出す必要があるってどういうことだよ」
「ヴァンパイアに植え付けられた偽の記憶の可能性もあるわな」
偽の記憶が原因の、本気の動機に基づいて竜血剣を手に入れようとしているのなら、解呪でその呪縛が解けないのも頷ける話だった。
「事実とは限らんけど、今の話は何かの手がかりになるかもしれない。評議会側に伝えておくわ」
高辻がそう言い、それでこの打ち合わせはお開きとなった。メルクリア評議会がマジックゲート社に調査結果を伝えてきたのは、それから一〇日以上先のことである。
その後もクリアは度々襲来。技術向上研修については、
「みんな青銅になるために、固有スキルを手に入れるために真剣に頑張っているんだからそれを邪魔しちゃいけない」
と諄々と言って聞かせ、その甲斐あってかクリアも遠慮するようになった。
「人格判定を通過しているだけあって、倫理観はまともなんだよな」
とその点には助かっている。その代わり巽個人の狩りには同行させる羽目になったが、それは我慢の許容範囲内だった。クリアも次第に狩りに慣れてメイジとしての力を発揮するようになる。メイジとしては青銅に近いくらいの力はあるが、まだほとんどド素人であることと相殺し、ペアの相手としては「一応足手まといにはならない」くらいとなった。
「優秀なメイジを紹介してもらってペアを組めたと考えれば、ある意味ラッキーだったかも」
今のところ大きな実害がないこともあり、巽はそんな風にも考えるようになっていた。
そして一〇月末の火曜日。クリアと正式に組んで二度目の狩りに行って、それを終えてヴェルゲランに戻ってきたところを、
「ああ、巽ちゃん。その子のことでちょっと話があるんだわ」
高辻に捕まった巽は彼に連れられて支部内を移動した。クリアもまたその巽の後をちょこちょこと付いてくる。そうしてやってきた先は、
「……ここで話ですか?」
「まあね」
石ころ用の鍛錬施設の一つ、模擬戦用のグラウンド。簡易ながら観客席もあるそこは、まるでちょっとした円形闘技場のようだ。
「その子の調査結果がディモンから届いたから、その報告をしようと思ってねー」
高辻はいつもの飄々とした態度を崩さない。が、その場所にわざわざここを選んだ事実が、それが容易ならざる話であることを物語っていた。自然と巽の顔が固くなる。
「結論から言うと、『クリア』という名前の、ドワーフのメイジの、一五歳の女の子は存在しなかった」
やっぱりか、と巽が苦い顔をする。当人のクリアはただきょとんとしているだけだ。
「入国申請の書類が偽装だと判明したんでメルクリアンも本腰を入れて調査してくれたよ。年齢・性別・種族――この子に該当しそうな子はディモンには存在しない。ただ、関係がありそうな事実関係が浮かび上がってきた。何ヶ月か前にバッハっていう小さな村がモンスターに襲われて壊滅的打撃を受けたそうなんだけど、封印されていたそのモンスターを解放したのが『クリア・ヴリシ』という名前のヴァンパイアなんだわ」
目を真ん丸にしたクリアが「おお」と手を打っている。まるで自分の本当の名前を今思い出したかのようだ。
「正確にはヴァンパイアじゃなくダンピールだそうなんだが、八〇〇年以上生きていてレベルは四桁近く。軍事用の大型モンスターの合成で大きな功績を残している、優秀な研究者だった、って話だ」
クリアは自分が褒められたかのように鼻高々に、偉そうに胸を張っている。巽はそんな少女を刺すような目で見つつも、同時に高辻へも視線を送った。
「その『クリア・ヴリシ』が村を襲ったのはどういう理由が?」
「いや、モンスターの封印を何かの手違いで解いてしまって、制御にも失敗したらしい」
巽は非難がましい目を少女へと向けるが、その色合いは先ほどとは違う種類のものだった。クリアはそっぽを向いてごまかそうとするが、その額にはでっかい汗が流れている。
「ダンピールはヴァンパイアと人間のハーフとされるモンスターだ。純粋なヴァンパイアならともかく、半分人間のダンピールにとって八〇〇年は短い時間じゃない。個体差が大きいから一概には言えないけど、お迎えが来ても不思議はない年齢だって聞いている」
「要するに……加齢で半分呆けていたと」
巽の端的すぎる結論を高辻が肯定。巽は頭痛を堪えるような顔となった。
「いや、わざとじゃないんじゃぞー。昔の研究データをまとめるように魔王様から命令があったんじゃが、昔のデータは戦時中の最高機密じゃから防諜のためにガチガチに封印が施されておってのー。パスワードも忘れてしまって、他に方法がなくてあらゆる封印を解く超強力な解呪の魔法を使ったら、施設で保管していたモンスターの封印も解けてしまって……」
クリアがそう言い訳するが、巽が少女を見る目がそれで変わるわけではなかった。
「元々制御に難があるから封印しておったわけで、進行方向を変えることもできんかった。じゃが村には避難勧告を出したから人的被害は出んかったぞ」
「物的被害は甚大だったけどねー」
「全財産を叩いてちゃんと弁済もしたし……」
「それじゃ全然足りなくて魔王様から借金したんだよねー」
高辻の補足に目が泳ぐクリア。巽は頭痛を訴える額を指で押さえた。
「なるほど、その借金を返すために竜血剣を狙って」
「傀儡を使って剣を手に入れようとしたんじゃが、元々わしは傀儡を操るのは不得手でのー。どうにも上手くいかんかった。そのうち借金の返済期限も迫ってきて、どうしようもなくなって、最後の手段で……」
クリアの説明はそこで途切れた。少女は首をひねり、頭を抱え、うんうんと唸っている。それでもどうにも思い出せなかったようで、
「最後の手段でわし、どうしたんじゃろう」
「知らんがな」
その答えにクリアは不満げだが、巽としては他に回答しようがない。
「これは受け売りだけど」
と代わりに回答を提示するのは高辻である。
「ダンピール『クリア・ヴリシ』は最後の手段で自分がメルクリアに渡ることを考えた。でもメルクリアの入国審査は厳格であり、書類は偽装できても人格判定を偽装で突破するのはほとんど不可能。その不可能を可能とするために、彼は生まれ変わることを選んだ可能性がある」
「生まれ変わる?」
「元々彼は寿命が尽きようとしていた。元の身体から記憶と人格と魔核を抜き出して新しく用意した身体に移植する――人間や他のモンスターには魔法を使っても不可能だけど、ヴァンパイアにとっては決してできない相談じゃない」
ああ、と巽は納得の声を出した。
「エルミオニってヴァンパイアが、それが得意だって話でしたね」
「うん。でも彼は同時にこうも言っていたらしい――『自分と同じことができる者はヴァンパイアの中にもほとんどいない』」
「つまり?」
「つまり、人格移植の魔法は極めて難易度が高い。レベル四桁のヴァンパイアが万全を期して準備しても成功するとは限らないくらいに。レベルが三桁しかなく、耄碌してよいよいのダンピールにとっちゃ成功の見込みはどのくらいだったんだろうね」
その答えは、今二人の目の前にあった。散々に言われたクリアは「ぶー」と頬を膨らませている。
「元の人格、残ってるんですかね?」
「人格よりも難易度が低いっていう記憶すらが断片的なようだしねー」
「クリア・ヴリシ」は男で人間とのハーフだったが、絶対に怪しまれないように以前の自分とは正反対の身体を用意したのだろう。だがそれは失敗の一因となったに違いなかった。身体はフラスコの中で培養したホムンクルスのそれと見られ、返済期限のためか培養期間を充分に確保できなかったのだろう。その結果このような幼い少女の姿になったものと思われたが、
「それもまた失敗の一因なんだろうね」
「むしろ成功する要因が一体どこに……?」
ボロカスに言われているクリアは涙目になって「うう……」と呻いていたが、ついに爆発した。
「ええい、やかましいわ! 黙って聞いていれば好き勝手言いおって!」
「ああ、ごめんごめん。でも悪いのも間抜けなのも『クリア・ヴリシ』ってディモンのダンピールであって、君じゃないから」
巽の謝罪は少女のお気に召さなかったようで、クリアはさらに怒りを沸騰させた。
「わしが『クリア・ヴリシ』じゃ! ディモンにその名を轟かせた天才メイジがこのわしじゃ!」
「でも八百年分のその記憶と知識、今どのくらい残ってるわけ?」
高辻の指摘にクリアは半泣きから九割泣きとなるが、「うるさいうるさい!」と勢いでごまかした。
「確かに今は記憶も知識もほとんど思い出せず、力も大半が封印されておるが、そのうち全部取り戻せるわ! そのためにもその剣を手に入れて、借金をちゃんと返して!」
「返す必要、なくね?」
高辻のその指摘にクリアは彫像のようになる。
「だって『クリア・ヴリシ』はディモンで死んだも同然。ここにいるのは彼とは全く関係のない、『クリア』って名前のドワーフのメイジじゃん? 魔王様だって今のお嬢ちゃんから借金を取り立てよう、なんて考えないだろうし」
こぼれんばかりに目を見開いたクリアだが、顎に手を当てて真剣に考え込んでいる。
「確かに……いやじゃが……」
言下に否定しないところを見ると、高辻の提案はかなり魅力的なようだった。クリアの心が大きく揺れているのが傍目にも判る。巽達はそのままクリアが結論を出すのを待った。
「……いや、やっぱりダメじゃ! 借金はちゃんと返さんと!」
「他人から剣を奪うのはいいのかよ」
「そのくらい我慢せんか! 魔王様が怒るとどんなに恐ろしいのか知らんのか?」
巽は今一度「知らんがな」と返答した。巽とクリアが同時に後退して数メートルの距離を取る。両者が戦闘態勢となったのも同時だった。
「ふっ、わしは戦闘は元々不得手な上に本来の力の大半を失っておる。じゃがそれでも、石ころに負けるほど弱くはないぞ」
クリアはそう余裕ぶり、両手と片足を上げる変な戦闘ポーズとなった。力の差は大きいけど普通に勝てそうだな、と巽は考えている。一方高辻は、
「まあこうなる可能性は当然考えていて、巽ちゃんだけじゃ荷が重いかも、とも思っていたわけで」
その言葉を合図のように、入口側から姿を現したのは三人の人影。美咲、しのぶ、ゆかりの青銅パーティだ。その援軍の姿にクリアは大量の冷や汗を流した。
「……せ、青銅ごときが何人集まろうと、元の力を取り戻しさえすればこのくらい……」
「力を取り戻すのに竜血剣が必要だったんじゃ?」
巽のもっともな突っ込みにクリアは「うるさい!」としか言えない。
「降伏する気はありませんか? 未遂犯を殺すのは気が進みません」
そう言いながらもしのぶは一片の油断もなく忍者刀を構えている。美咲やゆかりもまた万全の態勢だ。だがクリアは「うるさい!」とくり返した。
「元のわしは四桁近いレベルがあったんじゃぞ! それなのに青銅ごときに降伏するなど……」
「まあ、可能性は非常に低いけどそのレベル四桁近くの力をこの場で取り戻す可能性も当然考えてたんだよねぇ。だから」
高辻が合図を送り、物陰に潜んでいた数人が立ち上がって姿を見せた。さらなる援軍は戦士が二人、侍とメイジが一人ずつ。そのうちのメイジはあの鏡屋巴だ。
「手の空いてた白銀にも来てもらっている」
「ごめんなさい許してください」
クリアは即座にひれ伏し、無条件降伏した。
「それで、クリアの扱いはどうなったんですか?」
「当分は保護観察……的なやつかな」
それから数日後のヴェルゲラン。クリアの身柄は一旦メルクリア評議会憲兵隊の預かりとなった。その扱いをどうするかについてマジックゲート社も含めて協議がなされ、その一応の結論が出たのがこの日である。
巽と高辻はヴェルゲラン支部の研究施設の前にいる。建物の外で誰かを待ちながら立ち話をしている様子だった。
「マジックゲート社の嘱託メイジって身分にも変わりなし――と言うか、書類の偽装とかも一切なかったことにして、元通りにメルクリアへの移民の一人として扱うって聞いている」
「つまりは『クリア・ヴリシ』とも全くの無関係とする、と?」
そういうこと、と高辻は笑う。
「借金も無事踏み倒して、竜血剣を狙う必要もなくなり、今後悪さをする可能性はほとんどゼロ。でも当分監視は必要だし、知識や常識もあちこち抜け落ちちゃってるみたいだし、監督役が必要だよねー。それを買って出てくれたのが」
「お待たせしました」
そのとき、クリアを連れて姿を現したのはマルマリだった。巽の姿を認めたクリアが駆け出し、巽に抱きつく。
「何をしておったんじゃ、毎日会いに来んか!」
「いや、さすがにそれは難しい……悪かった悪かったって」
クリアのご機嫌が傾いでいくのを察知し、巽がなだめようとする。その様子を高辻とマルマリが微笑ましく眺めた。
「まあよいわ。とりあえず何か食べに行くぞ、お主のおごりで!」
「仰せのままに、お嬢様」
クリアが巽を引きずって歩き出し、高辻達がそれに続いた。前の二人に聞こえない声で、
「あの子の記憶は?」
「おそらくは新しい身体への書き込みに失敗したんだと思います。最初から零れ落ちたものは取り戻しようがありません」
「評議会もマジックゲート社も、当てが外れたってところかね」
と高辻は意地悪く笑う。クリアが事実上の無罪放免をあっさりと、非常に簡単に勝ち取ったのは、「クリア・ヴリシ」の知識が手に入るかもしれないと評議会やマジックゲート社が考えたから――高辻はそう推測している。
「もちろん、脳のどこかに残っている可能性もゼロではありませんが……」
マルマリがそう言いながらクリアへと視線を送る。無邪気に笑う、年相応のその横顔を。マルマリはそこで言葉を途切れさせるが、それ以上は続ける必要がないことだった。




