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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
三年目
39/52

第二八話「ご奉仕しますご主人様」




「こんにちはー」


 ときは六月上旬、場所はゆかり・美咲・しのぶのシェアハウス。夕食を作りにそこへとやってきた巽を、


「お帰りなさい、ご主人様!!」


 メイド服姿の塩小路蒔が笑顔で出迎えた。


「……」


「……」


 ゴルゴンに魅入られたかのように硬直する巽と、こわばった笑顔のまま立ち尽くしている蒔。両者の沈黙は思いがけず長い時間続いた。巽は衝撃で頭の中が真っ白になっていて、蒔は「いっそ殺せ」と内心で滂沱の涙を流している。


「おかえりー、巽君。何してるの?」


 そんな二人を救ったのはゆかりの能天気な問いかけだった。巽としては「それはこちらの台詞だ」と言いたいところである。


「ええっと……どうしてここに塩小路さんが」


「その辺の説明もするから中に入ったら?」


 ゆかりに招かれて巽は靴を脱いでシェアハウスへと上がる。その後に蒔が続いた。

 ……それから小一時間ほど後。蒔の作った夕食に巽達が舌鼓を打ち、片付けも終わって落ち着いた頃。シェアハウスの居間では卓袱台を挟んで巽と蒔が向かい合い、ゆかり達は空いた場所に座っている。


「……要するに、一条さんが言っていた『埋め合わせ』のために?」


 巽のまとめに蒔が「はい」と頷いた。


「先日はわたしの浅慮で花園君や皆さんに多大な迷惑をかけてしまいました。その償いをするまでは東京に帰ってくるなと、先生から厳命を受けまして」


「償いと言われても……」


 と巽は当惑するしかない。


「例えばですが、料理洗濯掃除。花園君の命令することなら何でもするように言われています」


「ああ、それでメイド服を」


 と納得する巽に蒔が首肯する。蒔が着ているのはフレンチメイドと言われる、フリル満載で装飾過多のミニスカートのメイド服だ。非常に可愛らしい格好で、美咲やしのぶが着たなら服と本人の可愛らしさが相乗となったことだろう。だが高身長で大人びた美人の蒔にはあまり似合っていない……というより違和感がひどい。まるでいかがわしい夜の店の店員のようで、漂う悲壮感と哀愁がそれを一層強くした。


「花園君に対する奉仕の心を持たなければならない、と先生に言われまして……まずは形から入るようにと」


「はあ」


「償いが終わるまでは他の服は着ないように指示されています」


「はあ」


「東京の道場で着替えて、この服で新幹線に乗ってここまで来ました」


 なにその罰ゲーム、と巽達の心が一つとなった。


「でも奉仕してもらうと言っても」


「巽君がエッチなご奉仕を要求をしたならそれに応えちゃうわけ?」


 ゆかりの問いにしのぶと美咲がブリザードのような冷気を発し、巽が顔を青ざめさせる。そして――壊れたバイオリンのような、壮絶な音の歯軋り。


「ど、どんな要求にも決して逆らわないようにと……」


 蒔は血涙を流しそうな勢いでそう答える。「そんな要求しませんから! 絶対に!」と巽は断固として否定しなければならなかった。


「……ともかく」


 美咲がゆかりをハリセンで叩いているのを横目で見、巽はため息を一つ。


「結果として実害はなかったわけですし、強力な固有スキルもコピーできましたし、別に何をしてもらう必要も」


 しのぶ達も同意を示しているが、蒔は「いえ」と首を強く横に振った。


「皆さんの寛容さに甘えるわけにはいきません。自分の愚行の後始末をしない限りわたしは阿頼耶剣の一番弟子を名乗ることも許されないのです」


 蒔の目が「石にかじりついても帰らない」と雄弁に物語っている。巽は「うーん」と唸って腕を組んだ。はっきり言えばそれは、蒔の都合であって巽達の都合ではない……だが、


「何をしてほしいっていうのはすぐには思いつかないけど、とりあえず色々と手伝ってもらったらいいのかな」


 巽はそこまで彼女を突き放すことができず、受け容れる姿勢を示す。


「わたしはこれでも白銀クラスです。きっと力になれると思います」


 と蒔は張り切った様子を見せた。


 ……蒔の処遇についての話し合いが一応決着し、


「それじゃ今日はこれで」


「はい。お休みなさい」


「それではまた明日」


「おつかれさまー」


「わたしもお暇します」


 巽が自分のアパートに帰ろうとするのと同時に、蒔もまた辞去しようとする。巽はちょっと首を傾げた。


「あれ、塩小路さんはどこに泊まるんですか?」


「はい、すぐそこに拠点を確保しています」


 と蒔が指差すのは駅とは全然関係ない、明後日の方向だ。嫌な予感を覚えた巽は、


「……その拠点を見せてもらっていいですか?」


「ええ、もちろん」


 蒔が巽とゆかり達を案内して移動する。数十メートル歩いて到着した先は近所の神社であり、


「ここです」


 と蒔が指し示す場所はその境内で、そこにはキャンプ用の小さなテントが立てられていた。


「……」


 巽と美咲は頭痛を堪えられない様子で、しのぶは「わざわざテントを用意するなんてまだまだ甘いですね」と言わんばかりの、何故だか勝ち誇った顔だ。そしてゆかりは、


「うん。うちに泊まったらいいから」


 と慈母のように優しくも生温かい笑顔で蒔の肩に手を置いた。


「そこまで甘えるわけには」


 と抵抗する蒔だが巽が、


「仕事の都合もありますから塩小路さんはゆかりさん達の家に泊まってください」


 と強権を発動。不承不承ながらも蒔はそれに従わざるを得なかった。











「あの……その人は一体」


 ときはその週の土曜日、場所はメルクリア大陸ヴェルゲラン。巽は例によって技術向上研修を開催しているところであり、


「わたしはただの付き添いです。気にしないでください」


 巽の横には塩小路蒔の姿があった。なお彼女はこちら側でもメイド服を身にしており、


「メイド服……」


「何でメイド服?」


 と受講生はざわめいている。最初はメイド服のインパクトが強かったがそれが過ぎると彼女の素性に気付くようになる。


「あの人、白銀の塩小路蒔に似てないか?」


「似てる……よな。もしかして本人か?」


「そんなまさか。白銀クラスがメイド服着て石ころの研修に参加するなんて」


「あるはずないじゃん」


 受講生はそうして「似ているけど別人」という結論を出してしまう。巽はどうするべきか迷い、結果としてその誤解を訂正せずに放置することを選んでいた。


「ええっと、それじゃ行きます」


「判りました」


 巽は受講生を引き連れて狩り場へと出発する。蒔は巽と並んで歩き出し……先頭に立って進んでいく勢いであり、巽はため息を禁じ得なかった。


 そして狩り場では、


「ただの袈裟斬り! ただの逆袈裟! ただの横薙ぎ!」


 ゴブリンの群れが出た途端蒔が飛び出してしまう。四桁が適正レベルの蒔からすればゴブリンの相手など蟻を踏みにじるのと変わらず、群れはほんの一瞬で掃討されていた。そして誇らしげな顔を巽へと向けて、


「では先に進みましょう。ゴミ掃除はわたしに任せてください」


「違う、そうじゃない」


 頭を抱える巽に対し、蒔は不思議そうな顔をする。蒔にとってゴブリンなどゴミも同然だろうが受講生にとってはそうではなく、まさしくそれを目当てにここまで来ているのだ。

 その後も蒔は隙あらばモンスターを一人で狩ろうとし、そのたびに巽が必死に制止する。夕方、研修が終わる頃には巽は普段の倍以上疲れていた。

 その夜、ゆかり達のシェアハウスを訪れた巽は今日の研修について報告をする。


「というわけで……」


 と深々とため息をつく巽にゆかり達が同情の顔を見せた。


「本人に悪気はないんでしょうけど」


「でもちょっと困りますよね」


 と美咲としのぶ。なお蒔には夕食の用意をお願いしており、巽達は台所の蒔に話を聞かれないようにして小声で話をしている。


「正直言って研修に差し障っていると言うか……邪魔と言うか」


「何とかしないとダメですけど……うーん」


 と腕を組んで唸るしのぶ達。そこにゆかりがある提案をした。


「蒔さんは要するに巽君の役に立ちたいわけよね。だから研修は遠慮してもらって、問題のない他のところで役に立ってもらうべきじゃない?」


「でもその問題のないところって」


 とりあえずこんなのはどう?とゆかりが発案し、巽が諸手を挙げて承認する。それが実行に移されたのは翌日曜日のことだった。

 翌日曜日、巽達四人と蒔は近所の町立体育館に集まっている。見学のゆかりは普段着、美咲は剣道着。巽としのぶはジャージのスポーツウェアで、蒔は当然ながらメイド服だ。


「今日は塩小路さんもいることだし、模擬戦メインでトレーニングをやりたいと思う」


 白銀を相手の模擬戦など美咲達にとってもそうそうある機会ではなく、巽にとっては普通なら絶無である。蒔にとっても得意分野の本領発揮で「償い」ができるわけで、一挙両得というものだった。


「それはいいのですが……わたしの流儀で構わないのでしょうか」


 と蒔。阿頼耶組は稽古が厳しいことで知られているが、


「望むところです」


 と巽は頷く。美咲やしのぶにも異存はなく、四人はトレーニングを開始した。


「防御が甘い! 攻撃が鈍い! 切り替えが遅い!」


 そして巽は早速ズタボロにされていた。巽の竹刀は蒔に触れることもかなわず、蒔の竹刀は巽の急所を直撃する。一方的に殴られて動けなくなった巽に代わり、美咲としのぶが蒔に挑戦。二人がかりで戦うことで多少は試合らしい展開を見せることもできた。その間巽が一人で竹刀を振り回していると、


「……それは何をしているのですか?」


「え?」


 いつの間にか模擬戦を終えた蒔が近近付いていて、巽に声をかける。巽は剣を振りながら答えた。


「その、イメージトレーニングです。固有スキルを封印していて使えないから、せめて使い方を忘れないようにと思って」


「なるほど。盆踊りを踊っていたわけではなかったのですね」


 蒔は嫌味や皮肉ではなく本気でそう言っており、巽は苦虫を噛み潰したような顔となった。巽が自棄になったように剣を振る。想像上のモンスターへと突撃し、その左右側面に対して連続攻撃。その技に蒔が目を見開いた。


「花園君、ちょっと面白いものを見せましょうか」


 不意に蒔がそんなことを言い出した。竹刀を持たせた巽に対して蒔がその正面に立ち、その様子を美咲達が見守っている。巽と蒔が竹刀を正眼に構えて対峙し、


「よく見ていてください」


 白刃にも等しい蒔の眼光が巽を射貫いた。向けられているのが真剣と錯覚するほどの気迫に巽は息が詰まる思いをしている。巽は肺と掌と目に気合いを入れ、それに抵抗した。次の瞬間、蒔の身体が揺らぐ。反射的に巽が防御しようとし――


「え」


 巽は咄嗟に竹刀を盾のようにして左側面を守った。だが蒔の竹刀が触れているのは巽の右腕だ。蒔が寸止めしなければ竹刀は巽の右腕を痛打していたことだろう。


「もしかして今のは」


「魔鏡剣……?」


 美咲と、実際に技を受けた巽はこぼれんばかりに目を見開き、似たような表情となっている。しのぶとゆかりは何が起こったのかいまいち理解できないようだった。


「わたしは元々大徳寺流という流派の門下だったのですが、そこの奥義の一つがこの魔鏡剣です」


「剣術にあった技なんだ……」


 巽は深々とため息をついている。固有スキルという異世界の魔法とは関係なく、己の肉体だけであの恐るべき奥義を実現しているのだ。しかも蒔はこの若さで流派の奥義を体得している。その技量は、その才能はまさに驚嘆するべきものだった。


「右薙ぎを打つように見せておいて、一瞬で左薙ぎに切り替えてる? いや、いくら速くてもそれだけじゃ」


「視線で巽先輩の予測を誘導したのだと思います。左側を見続けて『左を打つぞ』と思わせて、視線を固定したまま実際には右を打ったんです」


「そんなことができるのか……」


 巽の口からは感嘆がこぼれるばかりだ。美咲もまた感に堪えない様子で首を振っている。


「それだけじゃなく体裁きや足裁き、全身を使ってフェイントをかけているんだと思います。実際に打たれるまでは左から攻撃が来るものと錯覚するくらいに」


 巽と美咲のやりとりに蒔は内心で鼻高々だったがそれを表には出さなかった。「ところで」と蒔が二人の注意を引く。


「花園君の固有スキルは他者のそれをコピーするものだそうですね」


「はい」


「わたしの魔鏡剣もコピー済みだとか」


「はい」


「ただ先ほどのイメージトレーニングを見るに、果たしてまともにコピーできたのかちょっと疑問に感じました。だから奥義を見せたのですが……」


 その指摘に巽は息をするのも忘れたかのようになった。確かに先ほどのイメージトレーニングでは魔鏡剣のコピーも使っていたのだ。


「何かの参考になったでしょうか?」


「はい、もちろん! ありがとうございます!」


 深々と頭を下げた巽は大きな姿鏡の前に移動し、張り切って竹刀を振り回している。魔鏡剣を再現しようとするその姿を蒔は微笑ましく見つめているが、今の巽は他人の視線など完全に意識の外だった。

 それから小一時間、飽きることなく竹刀を振り回していた巽だがさすがに疲れたので小休止を入れた。体育館の片隅で巽達が足を投げ出して座り、スポーツドリンクを飲んでいる。


「それでどうなんですか? 魔鏡剣は習得できそうですか?」


「さすがに簡単じゃないな」


 しのぶの問いに巽が苦笑しつつそう答え、「でも」と続けた。


「完璧でなくても、ある程度でも再現できればそれだけ魔鏡剣を理解したことになる。そうすれば魔鏡剣っていう固有スキルもより本物に近い形でコピーできるようになる……と思う」


 ゆかりが少し考えて、


「要するに、上辺だけのコピーじゃなくてより本質的なところからコピーができるようになるってことかしら」


「まさしくそんなところです……考えてみれば当たり前のことなんですが」


 青銅になるために、上に行くために、より力を付けるために。これまでの巽はそのために手札を増やすことばかりを考えてきた。今ある手札をどう強化していくか、もちろんそれにもそれなりに力を注いできたが、それは効果の曖昧なトレーニングを惰性でやってきただけである。


「コピーなんだから劣化するのは仕方ないと思っていたけど、別にそう決めつけなくても良かったんだ。コピーを本物に近づける努力はどれだけ払ったって損にはならないんだから」


 巽は決意を形にするように拳を握り締めた。固有スキルを封印して冒険者としての地力を高め、竜血剣を使うことで負荷をかけて魂を成長させ、固有スキルのコピー精度を高めて技の威力を向上させる――これが青銅へと至る筋道だと巽は確信している。これまでは暗い森の中を右も左も判らないまま彷徨い歩いていたかのようだったが、今は森を抜け出して山頂へと至る道が目の前に開けているかのようだ。もちろんその道は山あり谷ありで前途多難ではあるが、歩くべき道が判っているのなら全力でそれを突き進むだけである。


「でも『元々は地球こっち側にある技だった』って固有スキルはそんなに多くないんじゃ?」


 しのぶの指摘に巽は「確かに」と指折り数えようとし、


「『蜉蝣』と『阿修羅拳』と……『円の極意』もかろうじてそうかも」


 その指は三本しか折られなかった。


「わたしの『月読の太刀』だって鷹峯流の奥義ですよ」


「いやでもあれは」


 美咲の異議に巽は苦笑半分困惑半分の顔をした。


「美咲はあれをこっち側で撃てるのか?」


 からかうような巽の問いに美咲が「ふむ」と首を傾げ、音もなく立ち上がった。そして体育館の中央へと移動し、抜刀術のように横に木刀を構える。美咲の視線は数メートル先に転がるバレーボールのボールに固定されており、それを仮想敵に見立てたようだった。


「月読の太刀!」


 間合いが何メートルも離れたまま美咲は木刀を一閃。次の瞬間そのボールは破裂した。


「できました!」


「なんでだよ!」


 晴れやかな笑顔の美咲に対し、巽はそう突っ込まずにはいられなかった。


「でも青銅クラスならこのくらいはできて当然では?」


「そうですよね」


 そんな風に頷き合う蒔と美咲に対し、巽は己が常識を崩されたような顔をするしかない。そしてしのぶは、自分が地球側でも普通に「隠形」が使える事実について沈黙することを選んでいた。


「……ともかく」


 深く考えると頭痛がするばかりなので巽は話をまとめようとする。


「剣術の奥義が固有スキルになったものなら話が早くて助かるんだけど、ほとんどの固有スキルはそうじゃない。でも俺はこれまでそれをコピーしてきて使ってきたんだから、それを全く理解していないわけじゃないんだ。どうにかしてその理解を深めて、コピーの精度を上げていくしかないと思う」


「どうにかって?」


「……何度も真似してみるとか」


 頼りなげにそう言う巽だがゆかりや美咲達に他の案があるわけではない。色々と試行錯誤をしてみる、というありきたりな結論にしかならなかった。そして蒔は、


「……『蜉蝣』と言えば嵐山流でしたか」


 一人そう呟いていたのを他の四人の誰も耳にはしなかった。











 そして翌月曜日。いつもの技術向上研修を終えた巽がシェアハウスへと顔を出し、その横に蒔の姿がないことにゆかりが首をひねった。


「あれ、塩小路さんは一緒じゃないの?」


「今日はちょっと用事があるらしい」


 蒔はそう言って一人でどこかに行ってしまい、巽は一人で研修を開催したのだ。だがそれはいつものことであり、逆に言えば蒔がいないために平和に平穏に終えることができた。


「と言うか、まだ戻ってないんですか」


 巽の確認にゆかりが頷く。不思議に思う巽だが、「まあいいか」とそれを気にしないことにした。実際、蒔は巽など足元にも及ばない強さだし巽より何歳も年上だ。心配する必要などないに決まっている。

 巽が蒔の分も含めて五人分の夕食を用意し、だが夕食の時間になっても蒔は帰ってこず、少しだけ待って先に四人で食べてしまい、後片付けも終わったような頃。


「遅くなりました」


 ようやく蒔が帰ってくる。玄関で出迎えた巽は「お帰り……」とその先の言葉を詰まらせた。

 蒔はメイド服を着たままだが、それがあちこち破れている。泥や埃の汚れも付いており、さらにその顔にも何かのかすり傷があり、まるで喧嘩でもしてきたかのようだ。


「どうしたんですか、それ?」


「その話は後です。見せたいものがあります」


 身を翻して外へと出て行く蒔に、慌てて付いていく巽。さらにしのぶとゆかりがその後に続いた。

 蒔がやってきたのはシェアハウスの庭である。彼女は竹刀を二本用意してうち一本を巽へと手渡した。


「塩小路さん?」


「構えてください」


 蒔が竹刀を正眼に構え、巽もまた同じ体勢となった。対峙する二人の姿をゆかりとしのぶが見守っている。


「花園君の方から打ってみてもらえませんか」


「判りました」


 巽は一呼吸置き、気合いを入れた。指示の通り、一気に踏み込んで蒔の脳天へと竹刀を叩き込まんとする。それに対して蒔もまた前へと進み出た。巽と蒔が激突――することなく、蒔は巽の身体を突き抜ける。


「――!」


 巽の意識は愕然としながらもその身体は蒔の攻撃に備えて行動を続けていた。背後からの攻撃に対して巽はふり返って――その頭部に竹刀が軽く置かれる。巽は竹刀を振り上げた姿勢のまま硬直した。


「……まさか」


「『蜉蝣』……?」


 自らの身体を陽炎と化して敵の突進を突き抜けさせ、その背後に回り込んで逆襲する――それはまさしく固有スキル「蜉蝣」の形である。そして「蜉蝣」は本来ある流派の奥義であり、それが固有スキルとして昇華したものだった。


「『蜉蝣』は確か嵐山流の奥義だったはず。どうしてそれを塩小路さんが」


「教わってきました」


 蒔の端的な説明に巽は二の句が継げなかった。「蜉蝣」は敵の突進を躱す、それだけの技だった。だが体裁きや足裁きを駆使してまるで身体が陽炎になったかのような錯覚を敵に与える、奥義の中の奥義だ。そう簡単に伝授してもらえるような代物ではないし、仮に伝授してもらえるとしても会得するのはそれ以上に至難のはずである。


「今日一日で伝授してもらって、会得してきたんですか」


 その確認に蒔は当たり前のように「はい」と頷き、巽はつくづくと感嘆するしかなかった。


「一体どうやって……」


「そんなことはどうでもいいでしょう。花園君にとってこれは『蜉蝣』という固有スキルをより深く理解する、絶好の機会のはず」


 確かにそうだ、と巽は意識を切り替える。


「もう一度お願いできますか」


「構いませんよ」


 巽と蒔が再び正眼となって対峙。両者が同時に突進し、その影が交差する。時間を置いてそれが何度かくり返された。


「それでどうなの? 『蜉蝣』の理解は深まったの?」


「ああ、もちろん」


 ゆかりの確認に巽は興奮したように頷く。


「固有スキルと本物の奥義ってやっぱり同じじゃないんだな。固有スキルは奥義『蜉蝣』のあるべき姿……理想の形?」


 奥義の「蜉蝣」に触れた巽は固有スキルの「蜉蝣」の何たるかをより理解するようになっている。さらに奥義と固有スキルの関係についても考察を進めており、それは今後他の固有スキルの理解を深めていく上で大いに寄与することになるだろう。


「どうやらわたしの役目もここまでのようですね」


 そう満足げに頷く蒔の様子に、巽は目を瞬かせた。


「そうか。塩小路さんは埋め合わせのためにここに来たんでしたっけ」


「多少なりとも償いになったでしょうか?」


「ええ! もちろん!」


 巽は深々と頭を下げて「ありがとうございます!」と礼を言った。元々期待していなかった「埋め合わせ」で固有スキルの強化方法を発見し、青銅に至る筋道の一つを見つけることができたのだ。蒔と一条如水にはどれだけ感謝してもしたりないくらいである。


「一条さんにもくれぐれもお礼をお願いします。何なら俺から説明を」


 そして蒔の償いがこれで無事に終わるよう、巽は必要であれば何でもするつもりだった。蒔は「そこまでは」とそれを固辞する。


「花園君にそう言ってもらえるのならわたしも胸を張って先生の下に帰れます。色々とご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした」


「いえ、こちらこそありがとうございます」


 少しの間巽と蒔のお礼合戦が続いた。やがてそれも終わり、


「それではわたしはこれで。花園君が青銅になれるようわたしも祈っています」


「はい、塩小路さんも頑張ってください」


 それを最後の別れの挨拶とし、蒔がシェアハウスから立ち去っていく。その後ろ姿を巽達は見送った。

 蒔のメイド服が夜の道へと消えていき、巽としのぶとゆかりが屋内へと戻ろうとし、


「あの、塩小路さんは……」


「うおっ」


 幽鬼のように屋内から姿を現した美咲と鉢合わせになり、巽は思わず声を上げる。美咲はまるで二、三日徹夜したかのような、精神的に消耗しきった顔色となっていた。しのぶやゆかりも目を丸くしている。


「何かあったんですか?」


「塩小路さんならたった今帰ったところだけど?」


 美咲がため息と共に吐き出したのは言葉にならない悪態のようだった。巽がおそるおそる確認する。


「あの、塩小路さんが何か……」


「今向日さんから連絡があったんですが……あの人、嵐山流の道場に乗り込んで道場破りをしたらしいです」


 巽達が沈黙し、美咲がまた疲れ切ったため息をついた。


「当主や師範代を叩きのめして、無理矢理奥義を伝授させたとか。嵐山流からマジックゲート社に猛抗議があったそうで、とりあえず大阪支部から誰かを謝罪に行かせるらしいですが……塩小路さん、直接巽先輩の名前を出したわけではないんですが藤森玄蕃のことを引き合いに出して『弟子の不始末をつけるべきだ』と言っていたそうなので」


 疲れ切ったため息が今度は四つとなって重なった。


「……どうしよう」


「別に巽さんが何かお願いしたわけじゃないですし」


「ひまわりちゃんから事情を聞かれたら素直に答えればそれでいいんじゃない?」


 しのぶやゆかりがそう言い、責任の一端を感じていた巽も少しは気が楽になった。


「阿頼耶剣にももう連絡は行っていると思います。弟子の不始末は阿頼耶剣がつけるべきではないでしょうか」


「塩小路さん自身がそう言っていたものね」


 ゆかりの皮肉に美咲は肩をすくめ、巽は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


「……まあ、頑張ってください。塩小路さん」


 ――その後、嵐山流の道場にメイド服姿の白銀クラスがやってきたという話を巽は聞いていないが、いずれにしてもそれは巽には関わり合いのない話だった。




第一話からの見直しと改訂をやりますのでまたしばらく更新を停止します。

次話更新は七月になる予定です。

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