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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
三年目
38/52

第二七話「黄金クラスの弟子」




 アダマントを一撃で打ち砕き、エルフのメイジが「どうやっても壊せない」と保証した謎の魔剣、竜血剣。それを手にした巽は現在……絶賛超低空飛行中だった。墜落寸前と言ってもいい。


「でええいいっっ!」


 第二一四開拓地で狩りをしている巽は四匹のトロルを相手に苦戦を強いられていた。二匹のトロルが棍棒を振り回し、巽がじりじりと後退する。


「くそっ、トロル程度に!」


 意を決した巽が棍棒を狙って竜血剣を一閃、棍棒は硝子のように砕け散った。そのまま横薙ぎにしてようやく一匹を両断。以前ならそのまま返す刀でもう一匹を始末するところだが、巽は後退した。この間にトロルは動揺を鎮めて態勢を整えている。包囲するようにゆっくり慎重に接近するトロルに巽は舌打ちをした。

 巽は今手にしている竜血剣の他に予備の剣を背に負っている。竜血剣と予備の剣を入れ替えるべきか迷うが、もうそんな時間は残っていなかった。

 トロルが三方から巽を包囲し、既に目の前まで接近している。だが巽は剣を構えたまま、足がすくんだように立ち尽くすだけだ。トロルが嘲笑うように口を歪め、巽は歯を軋ませ――それでも巽は動かない。動けないわけではない、動きたくないのだ。


「Bigigigigi!」


 トロルが三つの棍棒を同時に振り下ろし、だがそれは地面を叩いただけだ。風のような速さでトロルの懐に飛び込んだ巽が一匹の胴体を両断する。怒り狂った二匹が同時に襲ってくるが巽はその横を駆け抜け、行きがけの駄賃とばかりにその首を斬り落とした。


「Bigigigigi?!」


「これで最後!」


 動揺する残り一匹へと巽が突撃、上段から真っ直ぐ下へと剣を振り下ろす。トロルは棍棒で剣を受けようとするが、全くの無意味だった。竜血剣は棍棒とトロルの頭部から股間までを一撃で真っ二つにする。トロルの身体が二つに分かれて人体模型みたいな断面をさらして倒れる。そこから吐き出された魔核は巽の剣へと回収された。


「……はあ」


 巽はその場に座り込んで休息した。たった四匹狩っただけで丸一日狩りをし続けたかのようだ。竜血剣は相手の防御を一切無効にし、体幹に直撃したならどんなモンスターだろうと一撃で仕留められる。だがその代償も小さくはなかった。

 その辺の武器店で売っている、石ころ向けの魔法剣でも使いこなすには魔力という対価を必要とする。青銅向け、白銀向けと魔法剣が上等となれば支払う対価もまた相応に大きくなり、当然竜血剣もその例外ではなかった。


「一体何が吸われてるんだろうな、これ」


 通常魔法剣を使えば魔力を消耗するが、竜血剣は魔力をほとんど必要としていない。普通の剣よりかなり重いものの、それが問題となるほど巽は柔ではない。竜血剣を振るうたびに奪われているもの――それは気力や精神力と呼ぶべきものだった。

 まるで真冬の早朝に布団から抜け出して起き上がるときのように、剣の一振り一振りに一大決心が必要だ。モンスターと対峙してもできるだけ動きたくなく、できるだけ剣を振るいたくない。仮に腕輪の封印がなくても固有スキルを使うなど不可能だ。


「今日はもうこれで……いやいや」


 弱気で怠惰な思いがまとわりつくのを振り払うように、巽は頭を強く振った。


「ただでさえレベルを落としているのにたった四匹じゃ話にならない。もっと狩っていかないと」


 立ち上がった巽はモンスターの姿を求めて歩き出す。巽の足取りは重く、腰に下げた竜血剣はまるで重り付きの鉄鎖のようだった。


「そんなわけで今日も……」


「なるほど」


 最近の狩りがそうであるように、この日もまた不漁で終わってしまう。討伐実績と順位は下がる一方で、巽の口からはため息がこぼれるばかりだった。

 狩りの後、巽はヴェルゲラン支部付属の古代遺跡研究施設を訪れている。巽の説明にエルフのメイジは「ふむ」と少し考え込む素振りをした。


「魔力や体力は消耗せず、気力が著しく消耗すると」


「はい。もちろん魔力や体力も減りますけど気力や精神力ほどじゃありません。……この剣に呪いはかかっていないんですよね」


 もちろん、とメイジは断言する。


「人間に影響を与えるような呪いはかかっていません。そもそもこの剣の非壊性質は時間的、あるいは空間的にこの剣が隔絶されているから、としか考えられない。どのような形であれ外部に影響を与える呪いがかかっていることはあり得ません」


「それならどうして」


 そう問う巽にメイジは「これは推測でしかありませんが」と前置きして、


「竜血剣はあなたの魂に負荷をかけているのかもしれません」


「魂に?」


「はい。重量物が筋肉に負荷をかけるように、ドラゴンの秘宝かもしれないそれの霊的質量があなたの魂の負担になっているのではないでしょうか」


 その説明が脳に浸透するにつれ、さえない顔をしていた巽は血色を取り戻した。


「それじゃこの剣を使っていれば魂が鍛えられて成長して、いずれは青銅クラスに」


「そうなる保証はありませんよ」


 喜び勇む巽にメイジは水を差した。


「魂に負荷をかける、というのもただの推測で本当は違うかもしれない。仮にそれが正しいとしても、それで魂がどこまで成長するかは判らない。筋肉は負荷をかけなければ衰えますが、負荷をかけすぎても損なわれます。その剣のかける負荷が適量なのかどうか、それは誰にも断言できません。そもそも……」


 彼は少し躊躇いながらも、


「はっきり言ってこの剣は石ころのあなたには分不相応な武器ではないでしょうか」


 巽は顔を俯かせ、こぼれそうになる呻きを抑え込む。極めて失礼で腹立たしい物言いだが、それは紛れもない事実だった。


「確かにそうかもしれません。でも……」


「この剣の話は少しずつ広がっているようです。譲ってもらえるよう交渉の仲介をしてほしいという申し出が私のところにも何件か来ています」


「俺のところにも来てますよ。五万メルクで買い取るって申し出が」


 巽はそう言って雑に肩をすくめた。五万メルクは今のレートなら五億五千万円。この剣を売って冒険者を辞め、一生遊んで暮らすことも不可能ではない額だった。だが、


「それでも売りませんか」


 はい、と巽は確固として頷く。


「今は我慢の時だと思います。この剣に慣れて使いこなせるようになればきっと青銅になれる――そう考えれば手放すことはできません」


 エルフのメイジとの会話はそれで終わり、巽は研究施設を後にした。


「とは言うものの……」


 と巽はため息をつく。竜血剣を使用するようになり、巽は狩り場のランクをさらに下げなければならなかった。順位も下がり、自分が強くなっているという実感は全くない。


「本当にこれで強くなれるのか……? むしろ弱くなってるんじゃ」


 無駄な回り道をしているのではないかという疑念が頭をもたげてくる。この調子で、あと一年弱で本当に青銅になれるのか。素直にこれを売却して実力に応じた魔法剣を手に入れた方がいいんじゃないか――弱気な思いが心を浸食する。


「……いや、ここは我慢我慢。今は辛抱のときだ」


 巽の意地と根性が弱気と妥協に辛勝する。巽はこの後も竜血剣を使い続け、当然のように国内順位を下げていく。五月に入ってそれが終わる頃にはついに四千番台からも滑り落ち、五千番台にまで落ちぶれていた。










「やっぱり無理があったのかな」


 巽は陰鬱な顔でため息をつく。場所はマジックゲート社ヴェルゲラン支部、ときは六月に入って最初の月曜日。国内順位が更新され、巽はそれが刻まれた石の冒険者メダルを受け取ったところである。五一〇一位――その数字が重りのように頭にのしかかり、巽の顔を俯かせた。


「巽先輩」


 美咲に声をかけられ、巽は顔を上げた。


「おう、久しぶりだな」


「どうですか、調子は」


「ぼちぼちだな」


 あまり無様なところを見せられないと、巽は無理をして笑顔を作っている。だがそんな巽の見栄は美咲だけでなくゆかりやしのぶにもお見通しのようだった。しのぶ達は心配そうな顔をし、巽は素知らぬ顔を装う。巽は話題を変えることにした。


「それで、どうしたんだ今日は?」


「はい。その……先輩を紹介してほしいという人がいまして」


 美咲が言いにくそうに説明し、巽は苦笑を漏らした。


「竜血剣を売ってほしいって人か」


「済みません、色々と義理のある相手で断れなかったんです」


 恐縮する美咲に対して巽は軽い態度で笑いかける。


「いや、別に構わないさ。とりあえず会おうか」


 美咲と巽が移動し、ゆかりとしのぶがその後に続く。四人がやってきたのはヴェルゲラン支部の中庭であり、そこでは一人の女性が彼等を待っていた。巽は驚きに目を見開く。


「あの人は……」


 女性としては長身でスレンダーな体格、身にしているのは標準的な侍装束。ストレートの黒髪はショートのボブカット……と言うよりはおかっぱと言った方が早い。年の頃は二〇代半ば、凛々しく勝ち気そうな美女である。


「まさか、塩小路蒔?」


「はい、東京支部の塩小路蒔しおこうじ・まきです。初めまして」


 蒔がきれいな礼を取り、巽も慌てて頭を下げた。


「初めまして、花園巽です」


 彼女、塩小路蒔は東京支部に所属する白銀クラスの冒険者だ。何かと有名な人物でありメディアへの露出も多く、巽ももちろん彼女の顔と名前を知っている。国内順位は二桁番台で、巽にとっては雲上人に等しかった。

 彼女、蒔は値踏みをするように巽のことを上から下まで眺め回す。そしてつまらなさそうに小さく肩をすくめた。どうやら彼女は巽から興味を抱くような何かを見出せなかったようで、巽は「当たり前だろうな」と思いながらもあまり愉快ではなかった。


「用件は他でもありません。あなたが持っているその剣を見せてほしいのです」


「見せるくらいでしたら」


 一応断っておき、巽は気軽に竜血剣を蒔へと手渡す。蒔は驚いた顔をしながらもそれを受け取った。彼女が鞘から剣を抜き、


「これが……」


 と目を見張る。水晶のような刀身は鮮血のように紅く輝き、あふれ出る魔力は渦を巻くかのようだ。業物とされる魔剣を何本も見てきた蒔だが、その彼女でもこれほどの魔剣を見たことはなかった。


「試し切りをします」


 と言い出した蒔が剣を持ったまま移動、巽達は慌ててそれを追った。彼女の向かった先は青銅・白銀用施設の一角、青銅昇級試験にも使用される円形闘技場だ。


「来たわね」


 とそこには一人の人物が。身にしているのはフリル満載の黒いゴシックロリータドレス。蒔と同じ白銀クラスの冒険者、ゴーレムマスターの鏡屋巴だ。


「お手数をかけますがよろしく」


「構わないわ。もらうものはもらっているし」


 蒔と巴が簡単な挨拶を交わす。巴が指揮棒のような小型の杖を振るい、彼女の背後に控えていたゴーレムが立ち上がった。それは一見だけなら人間と見間違えるかもしれない。巽と変わらないくらいの身長の、頭部から爪先までを全身鎧で覆った冒険者――だがよく見れば鎧には隙間もつなぎ目もない。まるで鋳造で作ったかのように全身が一つの部品の鎧だが、そんなものはあり得ない。それは鎧ではなく人間型、鎧型のゴーレムなのだ。


「鋼鉄のゴーレムに、エルフのメイジに頼んで魔法をかけてもらっている。強化・硬化・防護、それに反射。わたしが魔力を注ぎ込めば、その子はアダマントの一〇倍も二〇倍も硬くなるわ……ほんの一分足らずの間だけど」


 よく見ればそのゴーレムの表面には魔法陣のような紋印が刻み込まれ、魔力を放って薄く光っている。蒔は「申し分ありません」と満足げに頷いた。

 巽達四人と鏡屋巴が見守る中、塩小路蒔が鋼鉄のゴーレムと対峙する。蒔は竜血剣を正眼に構え、ゴーレムは鋼鉄の剣を持って形だけ構えた。先に動いたのはゴーレムの方で、おぼつかない足取りでのろまに突進してくる。蒔は巽達の方へと顔を向けた。


「せっかくですからわたしの奥義を披露しましょう」


 正面を向いた蒔が一瞬でゴーレムとの距離を詰めた。彼女が頭上高く剣を掲げ、


「魔鏡剣!」


 ゴーレムの左肩から袈裟懸けに剣を一閃。ゴーレムは斜めに真っ二つとなり、巽達は驚愕に目を見張った。


「今、剣が……」


 竜血剣を振り抜いたその切っ先は、足下四時の方向。左肩から右脇腹へと振り抜いたはずのその剣は、まるで右肩から左脇腹へと移動したかのようだ。そしてゴーレムの斬られた痕跡もまた右上から左下へとなっている。


「何? 今何があったの?」


「袈裟斬りのはずの斬撃が実際には逆袈裟……恐るべき奥義です」


 首をひねるゆかりに対して美咲が解説。その声には畏怖と感嘆が溢れんばかりに込められている。


「目に映る剣閃は鏡に映ったかのような幻で、真の斬撃は逆方向から――故にその名は魔鏡剣」


 勿体ぶってそう呟きながら蒔は竜血剣を鞘に収める。巽や美咲はその固有スキルに嘆息をこらえられないでいるが、巴は白けたような様子だった。


「それで? その剣はどうだったの」


 そうでした、と蒔はごまかすように咳払いをし、


「想像以上です。わたしが知る限りこれ以上の剣はありません」


 そして美咲達へと視線を向けた。


「この剣の銘、なんと言いましたか」


「とりあえずは竜血剣と呼んでいます」


 巽の返答に蒔は「いまいちですね」と眉を寄せた。


「絶対に壊れないという意味で『非壊剣』でどうでしょう」


「どうでしょうと言われても」


 困惑する巽の一方、美咲が蒔へと反論する。


「ちょっとそのまま過ぎて浪漫が足りません。それならまだ『紅の魔剣』の方がいいと思います」


「それも悪くはないですが、ありがちではないですか?」


 美咲と蒔がかなりの時間議論を重ねる。約一〇分の後、


「この剣の銘は『非壊剣・ドラゴンズブラッド』となりました」


「竜血剣でいいでしょう」


 二人が笑顔で誇らしげに結論を出し、巽がそれを却下。美咲は不満そうな顔をし、蒔もまた不機嫌となった。


「わたしがそう決めたんです」


「勝手に決めないでください」


 巽は蒔の手から竜血剣を取り上げようとする。だが蒔はそれを掴んで離さなかった。


「……何の真似ですか」


「石ころがこの剣を持ったところで宝の持ち腐れです」


 見下しきった蒔の言葉に巽は反発を深めていく。


「そうかもしれませんが、あなたには関係ありません」


「そうはいきません。この剣、非壊剣はしかるべき方に使っていただきます」


「勝手なことを!」


 巽が力尽くで剣を取り返そうとする。蒔は抵抗せず、むしろ剣を押しつけるようにし、巽が体勢を崩してしまう。蒔が軽く手を捻り、巽の身体が地面を転がった。


「巽さん!」


「巽君!」


 しのぶ達が慌てた声を出すが、もちろん巽は怪我一つしておらず即座に立ち上がる。その瞳には敵意と戦意が燃え上がり、同じような目をした美咲達が巽に並んだ。そのとき、


「そこまでにしておきなさい」


 巴があっさりと蒔の手から竜血剣を取り上げてしまう。あ、と蒔が手を伸ばすが届きはせず、巴はそれを巽へと返却した。


「鏡屋さん、何を」


「白銀が力の差にものを言わせて石ころの武器を取り上げるのは感心しないわね。対価もなしじゃただの強盗でしょう」


 巴の指摘に蒔は「失礼な」と心外そうな顔をした。


「誰もただで寄越せ、なんて言っていません。充分な対価を支払う用意があります」


「いくらですか」


 巽の問いに蒔は胸を張り、


「一万メルク。石ころにはそれで充分でしょう」


 傲慢なその言い草に美咲が歯を軋ませたことを、蒔は気が付かないようだった。巽はため息をつき、


「確認ですが、塩小路さんは自分でこの剣を使うわけではないんですよね」


「ええ、もちろん。この剣は先生に、一条さんに使っていただきます」


 蒔が陶然とその名を呼んだ。一条如水いちじょう・じょすい――その通称を「阿頼耶剣」。東京支部に所属する、黄金クラスの侍の名だ。

 東京支部に所属する何十人もの侍が阿頼耶剣を師として仰ぎ、徒党を作っている。その集団の名を「阿頼耶組」と言い、塩小路蒔はそのリーダーとして名を知られていた。


「知っての通り、先生の固有スキルにはどんな妖刀・魔剣も耐えられません。どれほど強化した魔剣だろうと砕け散るだけ……ですがこの剣ならあるいは耐えられるかもしれない。きっと喜んでもらえるはずです」


 蒔は陶酔したような表情となり、「やはり君は頼りになる。君は僕の右腕だ、いや、僕の人生の伴侶に」「ああ、一条さん。不束者ですがよろしくお願いします」等と一人小芝居を演じている。巽達や巴がそれを生温かく眺め、ふと正気に戻った蒔は赤面しつつ咳払いをした。


「武器は実力・ランクに応じたものを使うべき――あなたも冒険者ならこの道理が理解できるでしょう」


「ええ、その通りですね」


 巽はまずその言葉に同意。そして、


「お引き取りください。ものの価値の判らない人間にこの剣を譲りたくはありません」


 蒔は大きく目を見開き、次いでそこに怒りと殺意を宿した。


「どういう意味ですか」


「黄金クラスに相応しい剣が一万メルクで買えると思うならこの町で買っていって、それを持って帰ればどうですか?」


 巴や美咲達が失笑する。巽の痛烈なカウンターに蒔は歯を軋ませた。一万メルクを換金すれば一億一千万円。大金ではあるが、それで買えるのはせいぜい青銅の下位向けの武器でしかなかった。

 激発するかと思われた蒔だがゆっくりと息を吐いて自制する。


「……確かにわたしが間違っていました」


 蒔が懐から口座振替伝票を取り出し、それに数字を書き殴って巽へと突きつける。


「これなら文句はないでしょう?」


 そこに記されていたのは五〇万メルクという、見たこともない巨額の数字だ。さすがに巽も息を呑んだ。


「あなた、こんなに貯金があったわけ?」


「いえ、ありません。半分は借金になります」


 それでも半分は払えるのかと巽は驚き、


「一、二年あれば返済できるでしょう」


 とその言葉にさらに驚く。蒔は得意げに「さあ、どうぞ」と伝票を差し出し、巽がそれを受け取った。美咲が何か言おうとし、その前に巽が、


「な」


 その伝票を破り捨てる。伝票の残骸を紙吹雪のように散らし、巽は得意げな顔をした。


「……何の真似です」


「いえ、ちょっとしたお返しです」


 と巽は皮肉げに笑う。蒔は今度こそ激発寸前となった。


「それじゃこれで」


 巽は蒔へと背を向け、立ち去ろうとする。美咲達もまたそれに続いた。だが、


「待ちなさい」


 怒りを無理に押し殺した声が巽の足を止める。蒔は自分の剣を抜き、巽へと突きつけた。


「わたしも子供の使いではない、手ぶらで帰るわけにはいきません」


「どうするつもりですか」


 巽が冷や汗を流し、巴が「強盗は見過ごせないわよ」と警告する。


「誰が強盗ですか。ここは冒険者らしく決闘で決めましょう。わたしが勝ったなら五〇万メルクでその剣を売ってもらいます」


「強盗と変わらないじゃない」


 と巴は呆れ顔だ。


「大人が小学生をカツアゲするようなものよ、それ」


 石ころと白銀の差は小学生と大人よりもさらに大きく、決闘にも何にもなるはずがない。だがその程度のことは蒔にも判っていた。


「判っています、ですのでハンデ戦です。まずあなたにはそこの青銅三人の助太刀を認めます。得物も狩りに使っているものをそのまま使いなさい。魔法も固有スキルもポーションも、全て自由に使って構いません。わたしは」


 と蒔は闘技場の片隅に移動、戻ってきたときには木刀を手にしていた。


「これを使います。固有スキルも使いません」


 蒔が木刀を一旋、烈風が巽の頬を薙ぐ。巽は高速で思考を巡らせるが、それも数秒のことだった。


「判った、受けて立ってやるよ。ただし」


 と立てた人差し指を蒔へと突きつける。


「こっちにも条件がある。これが呑めないなら勝負はなしだ」


 いいでしょう、と蒔が即答。巽は彼女に対し、


「固有スキルを封印するな。あんたも自由に使え」


 その要求の意味を、蒔は少しの間理解できなかった。


「……どういう意味ですか?」


「言葉通りだ。後になって『固有スキルが使えたなら勝てた』とか文句を言われて勝負を無効にされるのはゴメンだからな」


 巽が挑発するように笑い、蒔は静かに怒りを募らせている。


「そちらこそ、後になって前言撤回しないでください」


「判っている。固有スキルを使うあんたに勝てなきゃ意味がない」


 巽が真剣な、決意と覚悟を秘めた目をする。その目に蒔も感じ入るものがあったようで、冷静さを取り戻していた。

 巽は審判役の巴に申し出、試合前の作戦タイムをもらった。闘技場の一角に巽と美咲・しのぶ・ゆかりが集まり、額を寄せ合っている。


「済まない、変なことに巻き込んで」


 頭を下げる巽に対し、


「気にしないでください。わたし達の仲なら助け合うのは当然です」


「困ったときはお互いさま」


 としのぶとゆかりが笑う。巽は安堵の顔となった。一方美咲は、


「むしろ感謝します、この喧嘩を買ってくれて」


 と誰よりも戦意を高揚させている。


「義理で仕方なく巽先輩を紹介したのにこの無礼の数々……巽先輩が買わなければわたしが勝負を挑んでいたところです」


 蒔の振る舞いは仲介役の美咲の面子を粉砕するがごときであり、美咲に喧嘩を売ったも同然。美咲が怒りと戦意に燃えているのも当然というものだった。


「……正直言って、この剣はもてあましていた。この剣を売って普通の魔法剣を買った方がいいんじゃないかって、ずっと考えていた。黄金クラスが、あの阿頼耶剣が買ってくれるのなら名誉なことだって、売るのも悪くはなかったんだけど……」


 ため息をつく巽に、美咲達が頷く。


「あの人に売るべきではありません」


「わたしも反対です」


「もう損得の問題じゃないよね」


 蒔が巽に対して敬意や礼節をもって接し、誠意をもって交渉したなら五〇万メルクも出さずとも竜血剣は手に入ったのだ。だが彼女は全てその逆を行き、結局力尽くで手に入れることを余儀なくされている。彼女は交渉人としてはおよそ最悪であり、阿頼耶組の他の誰であっても彼女よりはマシな交渉ができただろう。


「それで、どうやってあの人と戦うのですか?」


「普通じゃ到底勝負になりませんよ」


 美咲達の疑問に対し「うん、確かに」と巽が頷く。その上で、


「でも、一回だけなら意表が突けると思う」


 巽が作戦案を披露、三人がそれを承認した。


「正直言って博打に等しい作戦で成功したら奇跡みたいなもんだけど」


「石ころが白銀に挑むんだからそんなの当たり前じゃない」


 とゆかりが笑う。


「でも、勝っちゃったら最高よね!」


「ああ、勝つぞ!」


 巽が気勢を上げ、美咲達がそれに応える。巽達四人が闘技場の中央へと走り、そこには腕組みをした蒔が待ち構えていた。


「作戦は決まりましたか?」


「ああ。吠え面をかかせてやるよ」


「それは楽しみです」


 蒔が不敵に、巽が牙をむき出しにして笑う。燃え上がる戦意は肌を焦がすかのようだが、中立の巴は一人涼しげな顔だった。


「それじゃ双方とも用意はいいわね。一本勝負、自分で負けを認めるか、わたしが戦闘不能と判定したところで負けとする。何か問題は?」


「いえ、何も」


「それで構わない」


 巴の説明に両者がそれぞれに「是」を示す。巴が闘技場の中央から端の方へと後退し、


「それじゃ――はじめ」


 いまいち気合いの入らない声で決闘の始まりを告げた。


「いきます!」


「手加減はなしです!」


 まずは美咲としのぶが突撃、左右から挟み込むようにして蒔を襲撃する。後方支援のゆかりはともかく、巽もその横で足を止めているのを見て蒔は訝しげな顔をした。その隙を狙うように、


「取った!」


 しのぶが忍者刀を一閃、狙いは蒔の木刀だ。いくら腹立たしく思っていても、いくら隔絶した力の差があっても、本身の剣で身体を狙って攻撃できるはずがない。しのぶ達の狙いは武器破壊であり、それなら手加減も容赦もなく全力で剣を振るうことが可能だった。

 しのぶや美咲の得物は魔法剣。それと正面からぶつかれば鍛錬用の木刀など硝子よりも簡単に砕け散る。蒔も当然それは百も承知であり――蒔の木刀は柳のようにしなやかにしのぶの剣を受け止め、その勢いを殺してしまう。


「きゃあっ?!」


 その上で木刀の柄がしのぶの顔面を殴打、しのぶが地面に倒れた。


「月読の太刀!」


 美咲が固有スキルで攻撃。不可視の力を線に収束させたその斬撃を、蒔はしゃがみ込んで回避。その体勢から蒔が反撃し、膝を殴られた美咲は顔をしかめた。

 美咲としのぶが一旦後退して仕切り直しをする。ゆかりは二人に「加速」の補助魔法を使い――巽はその横でただ立っているだけだ。竜血剣を正眼に構えて戦闘態勢を取っている。だが動こうとしていない。


「実力差を考えれば当然かもしれませんが……」


 巽が戦列に加わっても足を引っ張るだけ、だから動かない。それは正しいのかもしれないが、理屈だけで意味のない正しさだった。


「あれだけの剣をこんな腑抜けが持つなど……」


 身の程を思い知らせる、蒔はその思いを新たにする。そこに美咲が問いを発した。


「固有スキルは使わないのですか」


「そんなに使ってほしいのですか?」


 蒔の確認に美咲は「ええ、是非に」と頷き、しのぶもまた無言のまま首肯している。そこまで言うなら、と蒔は木刀を構えた。


「何かの土産話にしてください」


「そうします!」


 美咲が疾風のような速度で突進、蒔がそれを迎え撃った。


「月読の――」


 美咲が固有スキルを発動しようとするが、その寸前に蒔が懐に飛び込んでくる。タイミングを外されて固有スキルは封じられ、二本の剣の柄が激突した。互いが互いを押し合って距離を取り、鋭い殺気が美咲の胴体を貫く。美咲が反射的に防御態勢となり、


「魔鏡剣!」


 左から迫る木刀をカウンターで斬り捨てようとし、美咲は右側頭部を殴られた。目を回した美咲がその場にしゃがみ込む。


「美咲さん!」


 敵討ちと言わんばかりにしのぶが蒔へと正面から突撃。蒔がそれを迎撃しようとし、


「隠形……!」


 しのぶが固有スキルを発動、その姿が蒔の視界から消えた。だがそれが通用するのはほんの一秒にも満たない時間だけだ。しのぶはその貴重な時間を最大限生かして蒔の背後へと回り込んだ。一方蒔はそれを予測したかのように身体を回転させている。蒔が奥義を発動させ、


「くっ!」


 しのぶの忍者刀を蒔が紙一重で躱す一方、蒔の木刀はしのぶの脇腹を強打していた。しのぶが後退して距離を取る。その横に美咲が並び、同じような苦い顔を蒔へと向けた。


「想像以上ですね」


「確かに。ですが攻略の糸口は見えています」


 美咲が剣を構えて突進、蒔がそれを迎え撃つ。美咲が大きく剣を振りかぶり、


「奥義、魔鏡剣!」


 蒔は木刀を右から横薙ぎにしている。だがそれは見せかけだけだ、真の攻撃は左側から――美咲が身体の左側を防御する。だが右から来た木刀が美咲の胴体を薙ぎ、


「な、なぜ」


 美咲は驚きと痛みに顔をしかめた。一方蒔はつまらなさそうな顔だ。


「奥義を使うように見せかけて使わなかっただけです。ただの小細工ですよ」


 美咲は唇を噛み締める。今度はしのぶが突貫するが、目の前で揺れる木刀の先端に我知らずのうちに足を止めた。


「いきます、ただの袈裟斬り!」


 固有スキルか通常攻撃か、右と左のどちらを防御するか、迷ったしのぶが硬直する。それはほんの一秒ほどのロスだが、蒔の攻撃が命中するには充分すぎる時間だった。

 ……展開はワンサイドゲームの様相だった。加速の補助魔法を受けていても美咲としのぶは蒔に速度で勝てず、二人がかりでも翻弄されるばかりだ。その上固有スキル「魔鏡剣」とそのブラフに幻惑され、殴られる一方で反撃もままならない。右か左か、いずれかに山を張っても結果はあまり変わらなかった。その賭けに絶対の自信がない以上、「もし山が外れたら」という思考を捨てきれず、身体がその備えをしてしまう。そんなどっちつかずの半端な姿勢は蒔にすれば良い的でしかなかった。


「……まだまだ」


「くっ……」


 攻撃を受け続け、自分の攻撃は空振りばかりで、二人とも疲労の色が濃くなっている。彼女達が普段から身につけている防護のアミュレットは物理的衝撃を拡散させて大幅に減衰させる効果を有している。このため得物が木刀程度ならそれで頭部を殴られようと怪我をする心配はまずなかった。だが白銀クラスの攻撃となれば減衰してもその打撃は無視できないし、精神的打撃は素通りだ。


「これだけ一方的に殴られれば身体より先に心が折れるはずですが、粘りますね」


 蒔は二人の健闘に感心しつつも「でももういい加減へし折ってしまおう」と積極的攻撃に転じようと一歩前へ出る。美咲達が思わずその分後ずさった、そのとき。


「美咲、しのぶ、ありがとう」


 巽が前へと進み出た。美咲としのぶは安堵と期待を半々にした笑顔でふり返る。


「巽先輩」


「巽さん」


「後は任せておけ」


 巽が剣を手に提げ、無造作に歩いていく。美咲としのぶの横を通り過ぎ、二人はゆかりの下へと後退した。蒔の正面に立った巽は足を広げ、竜血剣を正眼に構える。一方の蒔は白けたような顔だ。


「青銅の二人ですら勝てなかったのに、あなたがわたしに勝てると思っているのですか?」


「ああ、もちろん」


 巽は満腔の自信をもって――それがあるように振る舞いながら頷く。実際のところ、万全の作戦と蒔の油断を突いても勝ちを得るのは一〇に一つだろうが、巽は最初の勝負でそれを奪い取ると覚悟を決めていた。


「さて、どうしましょうか」


 と蒔が呟く。


「奥義を使って力の差を思い知らせるのがいいか、それとも奥義など使わずに一蹴するか。どちらがいいですか?」


 それは巽を惑わせるためのブラフであり戦術だが、巽は迷いもせずに「是非固有スキルを使ってくれ」と即答。蒔は表情を変えず眉だけ上に動かした。



「ゆかりさん、お願いします」


「判ってる、出し惜しみはなしね!」


 これが最後とゆかりは残った魔力全てを注ぎ、「加速」の補助魔法を行使。巽の精神と肉体が加速され、周囲の音が低く重くなる。


「ううおおおっっ!!」


 雄叫びを上げながら巽が突貫。蒔は冷静にそれを迎え撃った。美咲としのぶは後方から手に汗を握りながら見守っている……二人の脳裏を駆け抜けていくのは巽との作戦会議での会話だった。


「まず美咲としのぶで勝負を挑む、それが作戦の第一段階だ」


 巽の言葉に二人は真剣に頷いた。


「塩小路さんを挑発するか何かして、とにかく固有スキルを使わせてほしい」


「判りました、微力を尽くします」


 巽の依頼を美咲は迷うことなく承諾した。


「でも、普通に戦っても勝ち目は薄いのに固有スキルまで使われたら勝負にならないんじゃ」


 しのぶの懸念を巽は「そうだな」と肯定する。


「俺が塩小路さんなら、あの固有スキルを『使う』と言って使わなかったりその逆をやったりして、二人を翻弄すると思う」


 美咲は「あり得ますね」と顔をしかめた。


「でも翻弄されるのも作戦のうちだ。小細工なしで正々堂々と戦って、できるなら塩小路さんを少しでも疲れさせてほしい。二人の後に俺が一人で勝負を挑む」


「でもはっきり言って、ちょっとやそっと疲れさせたくらいで力の差は埋まらないんじゃないの?」


「そこは武器の差と、気合いと根性で何とか」


 と巽は笑った。


「不意を突けるのは一回だけ、一瞬だけだ。それに全てを賭ける」


 そう言って戦意を燃やす巽の横顔を、しのぶと美咲が見つめていた……


(ここまで全て作戦通り……作戦とは無関係に一方的にボコられましたけど)


(塩小路さんを疲れさせることはできませんでしたが、それでも巽先輩なら……!)


 数メートルの距離が埋まるのに一秒未満、巽と蒔がお互いを射程に捕らえた。蒔が木刀を横に構え、


「魔鏡剣!」


 巽の左側へと横薙ぎする。巽はそれに反応し、右へと・・・竜血剣を一旋させた。


(なにっ?!)


 蒔は驚愕に目を見開く。巽の剣閃には一切の迷いがなく、まるで固有スキルと通常攻撃を見分けたかのよう――蒔は知らない、巽にはそれができるのだと。

 巽が全力で竜血剣を振り抜き、木刀を一撃。アダマントをも打ち砕く竜血剣からすれば木刀など硝子細工も同じだ。木刀は微塵に……砕けることはなかった。だが蒔の手から弾かれて十数メートル向こうへと飛んでいっている。


「よし、勝った!」


 巽が内心でガッツポーズを取り――だが勝負はまだ終わっていなかった。巽の視界が一回転し、背中が強打される。一瞬目の前が真っ暗になり、次に青空が広がった。そしていつの間にか手から竜血剣が失われ……それを持った蒔が切っ先を巽の喉に突きつけている。蒔が腕を取って巽を投げ飛ばし、その手から竜血剣を奪ったのだ。巽が慌てて起き上がろうとするが、


「それまで、あなたの勝ちよ」


 審判が巽の敗北を告げる。上体を起こしていた巽は怒りと屈辱に身を震わせた。


「……くそっ!」


 拳が振り下ろされて地面を叩く。蒔はそんな巽の姿を、複雑そうな顔で見下ろしている。その横へと巴がやってくるが、彼女は蒔の木刀を手に持っていた。巴が蒔へと木刀を手渡すがそれはほとんど折れていて繊維だけでつながり、まるでささらのようだ。激突の瞬間、蒔が咄嗟に自分から木刀を投げ捨てていなければ断たれて二つになっていたのは間違いなかった。


「危なかったわね。彼が固有スキルを使えていたなら負けていたかも」


「どういう意味です?」


 気が付かなかったの?と巴が逆に問うた。


「固有スキルを封印する呪いの腕輪。彼が右手にしているのはそれよ」


 蒔がこぼれ落ちんばかり目を見開く。次いでその目に怒りの炎が燃え上がった。


「石ころの分際で、手加減をしてわたしと戦っていたのですか」


「彼が判断を誤っただけで、気にする必要はないんじゃないかしら」


 巴はそう言うが蒔の屈辱は晴れはしない。この勝負は無効、そう宣言しようとし――蒔はその言葉を詰まらせた。手に入れた竜血剣を自分で使うつもりだったのなら、彼女は屈託なく勝負の無効を宣言しただろう。だが、


「この剣は先生に使っていただくもの……それを手にしながら捨て去るなど」


 蒔の葛藤は短くない時間続いた。だが白銀クラスの誇りよりも、剣士の矜持よりも大切なものを彼女は持っていて、彼女にとってはそれが最優先だったのだ。蒔が未練を振り切るようにして立ち去ろうとした、そのとき。


「最初から無効に決まっているだろうが、こんな勝負」


 そう言って何者かが蒔の手から竜血剣を取り上げる。蒔が慌ててそれを取り返そうとし、そのまま塩の柱と化した。


「まさか……」


「どうしてこんなところに」


 驚きに言葉もないのは美咲達も同じである。その人物は座ったままの巽へと手を差し出した。


「済まなかったな、うちの馬鹿弟子が迷惑をかけて」


 巽は何も考えられないままその手を取って立ち上がり、彼の横に並んだ。阿頼耶剣――一条如水。東京支部の黄金クラスが今、すぐ横に立っている。

 身長は巽よりわずかに高く、痩身。身だしなみには頓着しない性格のようで、身にしているのは古びた剣道着。髪は中途半端に長く、口ひげが生え、無精ひげも生えている。四〇手前の精悍な色男だがその目は白刃よりも鋭く、雑魚モンスターくらいなら眼光だけで殺せそうだった。


「阿頼耶剣……」


 巽が我知らずのうちに如水の異名を呼び、睨まれて震え上がる。彼が自分の二つ名を「誇張が過ぎる」と言って嫌っているのは有名な話だった。


「あの、先生、どうしてここに……」


 ようやく再起動をした蒔がそれを問い、


「何、どこかの白銀が石ころの持っている魔法剣を無理矢理奪い取ろうとしているって聞いてな」


 如水が凶悪な笑みを見せ、蒔は迷子のキツネリスのように怯えて「あの、その」と言い訳をしようとする。その前に如水が蒔の尻に思い切り蹴りを入れ、蒔が地面に顔から突っ込む。蒔はそのまま土下座の体勢となった。


「も、申し訳ありません!」


「謝る相手が違うだろうが」


「は、はい」


 蒔はわずかに方向を変えて巽へと向かって土下座し、


「どうか、平に、平にご容赦を」


 と謝り続ける。辟易した巽は「判りましたから」とそれを受け容れ、蒔を立たせた。


「まあ白銀クラスとの勝負なんて願ってもない機会ですし、それに固有スキルも見せてもらいましたから」


 竜血剣を失わずに済むのなら巽にとって今回の騒動はメリットしかないのだ。如水もそれを理解し、それ以上は蒔を責めなかった。


「帰ったらアルティメットデンジャラスルナティックデスコースだな」


 ……この場では。蒔の顔色が死人のそれとなった。


「それじゃ邪魔をした。この埋め合わせはいずれな」


 如水が巽達から背を向け、それに哀愁を漂わせる蒔が続く。巽達は黄金クラスとその弟子が去っていくのをずっと見送っていた。

 ……それから小一時間の後、JR新大阪駅。東京行きの新幹線のホームに如水と蒔の二人が立っている。古びたスーツを着崩した如水は懐からスマートフォンを取り出した。


「馬鹿弟子の暴挙は止めさせた。知らせてくれて助かったぜ」


『礼には及ばないさ』


「ただ、できればもう少し早く教えてくれれば良かったんだがな」


 如水はそうぼやかずにはいられなかった。


「もっとまともに交渉ができる奴は何人もいる。蒔を止めて最初からそいつを送っていればあの魔剣が手に入ったかもしれんのに」


『いや、あの剣は君ではなく彼が持つべきものだ』


「……どういうことだ? 未来で何が起きるんだ?」


 如水の真剣な問いに電話の向こう側の人物は、


『まだ判らない。ただ、そんな予感がするだけだ』


 如水は「予感?」と失笑せざるを得なかった。


「未来の見える固有スキルを持っているお前が予感など……」


『未来が見えると言ってもごく近い先だけだ。遠くなるほど可能性は無限に増えて何も見えなくなってしまう……ただ、それでも注意するべき遠くの未来が無意識に引っかかる。私はそれを予感のように覚えるのだ』


 ふむ、と如水は判ったような素振りをした。


「まあいいさ。あの坊主には借りができたからな。何かあるときは呼んでくれ」


『ああ、必ず』


 通話はそこで切られ、それとほぼ同時に新幹線のぞみがホームへと入ってくる。如水と蒔はそれに乗って東京へとの帰路へと就いた。

 この日、このような会話を交わした記憶は時間の果てへと流れ去っていき、思い返されることもなかった。二人の黄金クラスがこの日の会話と巽の名前を思い出すのはずっと先のことである。




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