第二四話「地底からの侵略者・後編」その3
しのぶは胸のペンダントを握り締めたまま三人の黄金クラスの姿を、その中のシャドウ・マスターの姿を見つめた。シャドウ・マスターの方も視線を悟られないようにしながら愛娘を見つめ、その無事に心底安堵している。
「念のためにとあれを持たせておいて本当に良かった」
しのぶが持っているのは救難信号の発信器だが、送信できるのは何らかの強い感情だけ。通信機としては落第点もいいところだ――ただしそれは因果線をたどって情報を送信する。故にそれは結界だろうと距離だろうと世界の壁だろうと関係ない。親子という血のつながりがある限り、しのぶの救援を求める声は東山氏に確実に届くのである。ただその危機が判ってもどこにいるか判らなければ、そしてその場所へと急行できなければ意味はないが、それを補ったのは「黄金のアルジュナ」だった。
「一体何故……どうして黄金クラスがここに。どうやって転移の魔法陣の場所を突き止めたのだ」
エルミオニは現実を受け容れられず、何故とくり返すばかりである。ゆかり達が推測したように、エルミオニは転移の魔法陣を使用してヴェルゲランまでの直通ルートを密かに設置している。だがヴェルゲラン側の転移施設は入念な偽装を施し、容易に見つかるはずがない……そのはずだったのに。
彼の疑問に対してアルジュナは「少し未来の自分に教えてもらった」等と親切に解説したりはしなかった。無言のまま、ただ退屈そうな目をエルミオニへと向けるだけである。エルミオニの胸中は屈辱と怒りで満たされるが、それも一瞬だけのことだ。彼がしのぶ達を鋭く指差し、
「まずはその三人を殺せ!」
と配下に命令する。それを受けてワーウルフが、ゴブリンが動き出した。それはアルジュナ達に対する嫌がらせ以外の何の意味も持たなかったが、
「貴様等のすまし顔の前でこの三人をバラバラに引き裂いてやるよ。せいぜい吠え面をかくがいい」
その光景を空想し、端正なエルミオニの顔が愉悦に歪んだ。六匹のワーウルフが群れを成してしのぶ達へと突進。美咲やしのぶは剣を構えて決死の抵抗をしようとし、
「え」
六匹のワーウルフが一瞬で絶命した。縦に真っ二つにされ、横に両断され、袈裟懸けに斬られ、首を刎ねられ、心臓をえぐられ、胴体に風穴を開けられ――それが全て同時に起きる。何が起こったのかしのぶ達にもエルミオニにも理解できない。
(早く彼等の下に)
ゆかりの耳元で何者かがささやき、ゆかりはびっくりしながらも「はい!」と返答。彼女はしのぶと美咲の手を引いて走り出した。エルミオニは舌打ちする。
「まだだ! あの三人を狙え、撃て!」
ゴブリンの火縄銃部隊が銃口を揃えて一斉射しようとし――それらのゴブリンはまとめて胴を両断されて、血を噴き出して崩れ落ちる。ギガントアントの兵隊蟻が接近しようとするが、それらもまた文字通り虫けらのように潰されていった。それが複数箇所で同時進行している。
「くそっ、何が起こっている」
エルミオニが黄金の三人の方を見ると、そこにいるのは二人だけだ。シャドウ・マスターの姿がない。そうか、とエルミオニは事態の一端をようやく理解した。
「シャドウ・マスターが姿を隠したまま敵を狩っているのか。だが奴は分身も使えるのか?」
エルミオニは五感を最大限駆使してシャドウ・マスターの気配を探るがその切れ端すらも掴むことができなかった。苛立ったエルミオニが舌打ちをくり返している。
固有スキル「隠形絶影」を行使しているシャドウ・マスターは誰にも観測することができない。そうであるが故に彼はわずかでも可能性があるのなら、どこにでも存在できるし、どんなことでもできる。エルミオニが察したのは「隠形絶影」のほんの表層だけ、その本質は全く理解の外だったのだ。
ほんの一〇秒余りの時間を経て、ゆかり達三人はアルジュナと鉄仮面の下へとたどり着いた。彼等の背後では転移の魔法陣が光と魔力を放っており、アルジュナは視線でそれを指し示した。
「それを使えばヴェルゲランに戻れる。早くこの場から避難してくれ」
「判りました、ありがとうございます」
ゆかりはそのまま転移の魔法陣の中に入ろうとするが、しのぶが「待ってください」と足を止めた。
「あの人は……」
何を訊きたいのか自分でも判らないまま、しのぶはシャドウ・マスターの姿を探している。アルジュナは困ったような顔を一瞬閃かせ、鉄仮面はそんなしのぶを一瞥した。ただし自分の目ではない。鉄仮面が手にしている杖、その柄頭が人工の眼球になっていて、握り拳ほどもあるそれがしのぶを見たのだ。
「邪魔よ。死にたくないなら失せなさい」
「しのぶちゃん、早く」
ゆかりに手を引かれ、しのぶが転移の魔法陣へと引き込まれる。しのぶ達三人が光の粒子となってその場から消え去り、それを確認してシャドウ・マスターが再び姿を現した。そこに並ぶ黄金クラス三人の勇姿にエルミオニは忌々しげな顔をする。
「……わたしが来る意味あったの? 雑魚ばっかりだし、おじさん一人で充分じゃない」
「いや、最近腰痛がぶり返して無理はできないんですよ」
「もう一年近く狩りに出ていないだろう。ここで少しはポイントを稼いだ方がいい」
黄金の三人は緊張感の欠片もないまま会話を交わしている。アルジュナに促され、鉄仮面が面倒そうに前へと進み出た。彼女がかぶっている仮面は非常に大きく、身にしているのがローブなこともあり、その姿はまるで黒いてるてる坊主のようだ。仮面があまりに大きく重く、バランスが悪いため、彼女は岩の凹凸につまずいて転んだ。座り込んだ彼女が仮面の中で悪態をついている。
その姿にエルミオニは一瞬唖然とし、次いで血色を取り戻した。
「鉄仮面と言えば黄金クラスで最弱、固有スキルを除けばその力は石ころにも劣ると聞いている。『黄金のアルジュナ』やシャドウ・マスターは無理でも、あれになら一矢報いることができるかも……」
彼は気付かなかったのだろうか? その考えがまさしく、戦車兵が戦車から降りたところを狙って石で殴り殺そうとするようなものだ、ということを。
エルミオニは残ったモンスターを全て集め、鉄仮面を襲わせようとする。だが鉄仮面の方が早かった。彼女が仮面の留め金を外し、それが重々しい音を立てて地面に落ちる。
その仮面が鋼鉄製なのは一番外側だけで、それは一〇種類の違う材質を重ねて作られていた。外側から順に、第一層に鋼鉄、第二層に聖別された水銀、第三層に鉛、第四層にドラゴンの血、第五層に削り出したドラゴンの骨、第六層にオリハルコン、第七層に金のアマルガム、第八層にアダマント、第九層に貼り合わせたドラゴンの鱗、第一〇層にミスリル銀。魔神でも封印しているのかと思われるようなそれは、全て彼女の固有スキルを封じ込めるためのものだった。
仮面を外し、彼女の長い髪が広がる。顔を上げた彼女は――さらにマスクをし、顔の上半分を覆い隠していた。マスクはドラゴンの革を鞣したもので、その表面にはミスリル銀で緻密な魔法陣が描かれている。彼女がマスクをわずかにずらし、ようやくその片方の眼が外に――
「な」
洞窟の中が光で埋め尽くされ、エルミオニの意識も一旦そこで途切れた。何百何千という光の球が溢れかえり、それが放つ光が洞窟内を隅々まで照らしている。それらは全て、一つ残らずモンスターの魔核だった。エルミオニ自身を筆頭に、ワーウルフ、ギガントアント、ゴブリン。ドワーフやエルフ、中立売正親や武者小路一松といった冒険者の傀儡。洞窟内にいる何千というモンスターの魔核が全て一瞬で身体から離れたのだ。そしてそれらの魔核は鉄仮面の持つ杖へと吸い込まれていく。
視界に入ったモンスターを皆殺しにする、それが彼女の固有スキル「殲滅の魔眼」だった。発動条件はただ一つ――「彼女が見る」こと、ただそれだけ。「一瞬で相手を視界に入れる。相手は死ぬ」という、問答無用の大量殺戮固有スキルである。
見ることさえできるのならドラゴンだろうと魔王だろうと関係なく、有象無象の区別もない。ただし敵味方も無差別で、視界に入った生物は草木や虫けらに至るまで全て皆殺しにしてしまう。自分で制御もできないために、間違っても人間を見てしまわないように普段はあの鉄仮面をして魔眼を封印しているのである。
彼女に勝とうと思ったら見られる前に、または見られないようにして殺すしかないが……はっきり言って、黄金クラスであればその程度のことは誰でもできるのだ。故に彼女は他の黄金クラスの誰と戦っても勝てない。彼女は自他共に認める、「最弱の黄金クラス」である。
最後の魔核が杖に回収され、洞窟内は暗闇に等しい状態となった。彼女は仮面を拾い上げて再び装着する。
『……いやはや、ここまで一方的にやられるとはね。参ったよ』
声のした方を見ると、壁を飾る不格好な竜の石像――石像のモンスター、ガーゴイルだ。
『黄金クラスと言えば魔王とも同格。勝てると思っていたわけじゃないが……これほど力の差があったら悔しさすら湧いてこない』
もし今エルミオニが人間の姿をしていたなら彼は肩をすくめただろう。だがそのガーゴイルはただ声を発するだけだ。他にできることと言えばものを見聞きすることくらいだが、今はそれで充分だった。
『何年もかけて準備した計画が一瞬で水泡に帰したわけだが、仕方がない。次はもっと上手くやることにしよう』
「お前に次などないさ、ヴァンパイア」
アルジュナが言い放ち、エルミオニは「ほう」と興味深げな声を出した。
「未来は可能性の数だけ無数に分岐し、無限に増えていく。だがお前の可能性はもう収束したよ。お前の残り時間はあと二分ほどだ」
『私の未来が見えていると? 私の居場所すら判らない貴様等が?』
「お前は自分の魂と魔核を身体から分離し、安全な場所に隠している。それがお前の固有スキルだ」
エルミオニは「然り」と頷く。
『同じ真似ができる者はヴァンパイアの中にもほとんどいない。私が「人形師」と呼ばれる所以だよ』
「だがいくら何でもディモンから人形を操れるわけではない。お前の魔核があるのはメルクリアで、ここからそれほど離れていない場所だ」
エルミオニは「それで?」と悠然とした態度を保っている。
「お前はギガントアントにいくつも巣を作らせているが、お前が身を隠しているのはそのうちの一つだ。地下深くに潜って絶対に地上に出てくるな、決して目立つ真似をするなと、女王蟻に厳命していたようだが……運がなかったようだな」
『何?』
そう問うエルミオニの声からは余裕が失われつつあった。
「ある冒険者のパーティが偶然その巣を見つけたらしい。そのパーティは兵隊蟻に殺されて終わったようだが、女王蟻は彼等のカルマを獲得して高い知能を手に入れたと思われる。さらにカルマを獲得したい、さらに強くなりたい――そう望むのはモンスターの本能だ。お前の厳命で今まではそれを抑える他なかったが、人間並みに知恵が回るなら何とか抜け道を見つけようとするだろう」
例えば、必要もないのに偵察を出して、帰還を命令し忘れてそのまま放置する。例えば「近くを通る冒険者を皆殺しにすれば見つかるリスクをゼロにできる」と命令を曲解して冒険者を襲う。例えば、襲った冒険者の遺物を片付けるよう命令し忘れ、そのまま放置する……
「曲解や拡大解釈で抜け道を作り出し、冒険者を襲おうとする。だがそんなことを続ければいずれは高順位の冒険者に見つかることになる」
『貴様、何を』
「お前を倒すのは黄金クラスではない」
アルジュナは静かに、だが処刑執行人のように冷徹にエルミオニへと告げる。
「お前はただの石ころに殺されるんだ。ヴァンパイア」
「手間かけさせがやって! 死んでカルマを寄越しやがれぇぇええ!!」
「Gigigigigi?!」
巽は疲労困憊の身体に鞭打って女王蟻へと突撃。女王蟻も自ら前に出、最後の抵抗を試みていた。だが、
「蜉蝣!」
固有スキルで女王蟻の背後に回り込んだ巽がその背中に剣を一突きしようとする。モンスターが背中に何か宝石のようなものを背負っていて、女王蟻は切っ先をそれで受け止めようとしたようだが、
「構うか!」
巽はそのまま剣を突き通した。剣がその宝石のようなものごと胴体を貫通し、女王蟻は断末魔の悲鳴を上げる。やがて魔核が吐き出され、それは巽の剣に回収された。
「やっと終わった……」
女王蟻を倒した巽はその場に座り込む。わずかに生き残った兵隊蟻が逃げ出しているが追いかける体力はゼロである。
「今、魔核が二つあったように思えたけど……気のせいだな」
ゼロでなければ、三つだろうと四つだろうとどうでもいいことだった。巽は全身から脱力し、一時の休息をむさぼった。
『が……な』
自分の魂が砕かれたことにエルミオニは悲鳴を上げるが、激痛を感じたのもほんの一瞬だった。急速に意識が遠のいていく。死の闇へと心が呑まれていく。
『なぜ……なぜ……』
エルミオニは残った時間と魔力の全てを注ぎ込み、それを問う。だがそれに応える者はいなかった。三人の黄金クラスは彼に背を向け、去っていく。エルミオニが最期に見たのは三つのその背中であり、
「……ああ、そうか」
彼は最期の最後になり、自らその答えを得ていた。
「彼等を敵に回したこと、それが私の敗因だったのか」
疑問が解消されたことにひとまずの満足を感じ、エルミオニの意識は果てていく。黄金クラスの三人も転移の魔法陣を使って立ち去り……その洞窟にはもう、生命と魔力のある者は一人も残っていなかった。
「だ、大丈夫ですか? お怪我は?」
「な、何とか……疲れてるだけです」
ギガントアントの巣の駆除を終え、巽がヴェルゲランへと戻ってきたのはかなり遅い時間だった。日はとっくに暮れ、マジックゲート社の受付ももう店じまいしようとしていたところである。
疲労のあまりふらふらになりながらも、巽は狩りの終わりにいつもそうしているように受付で精算をお願いした。
「それではそちらにどうぞ」
職員が指し示した水晶玉に、巽は抜いた剣をそっと当てた。剣が無数の光を放ち、それが大量に水晶玉に吸い込まれていく。すごいですね、と職員は目を丸くした。
「大収穫じゃないですか」
「そりゃ、巣を一つ潰しましたから」
「一人でですか? それは危険ですよ」
眉をひそめる職員に対し、巽は素知らぬ顔をした。やがて魔核の回収が終わり、職員がそれを数えている。
「……ええっと、レベル二〇までの魔核は全部で四〇四。レベル一〇二が一つ。それにレベル二五五九が一つです。よろしいですか?」
職員は事務的にそう述べ、巽は反射的に「はい」と応えておいて。
「えええーーっっっ??!」
次の瞬間、声を揃えた二人の絶叫が事務棟に響き渡った。
二年目はここで終了。次話から正念場の三年目に突入です。次の更新まで間が空くと思いますが(多分四月)ご容赦ください。




