第二三話「地底からの侵略者・前編」
「二年目」の締めということで、ちょっとばかり派手な話を。珍しく前後編です。
メルクリア大陸、第二一一開拓地。背の高い草が生い茂るその草原を、熊野亮率いるスパルタ団が進んでいる。スパルタ団は最近メンバーを増やし、現在は総勢五名。新メンバーの二人もまたマントと赤パンツ一丁という姿であることは言うまでもない(かもしれない)。
斥候役を務めるのは新メンバーの一人だが、彼が手で合図をして後方の面々に注意を促した。
「リーダー、モンスターの群れだ。少なくとも一〇匹はいる」
「ようやく出てきたか」
熊野は臆することなくハルバードを握り締めて前へと進み出、神ゴリ子や円山鷲雄もそれに並んだ。やがて待つこと十数秒、草の茂みを割ってモンスターが姿を現した。背の高さは小学生ほど。全身が黒く輝く外殻で覆われ、四本の腕と鋭い牙を持った、巨大な複眼と触角の……
「……蟻の化け物?」
「ギガントアントってことか?」
そのモンスターはまさしく蟻そのものの姿をしていた――ただしその大きさは何百倍だが。蟻が巨大化したギガント系モンスター、ギガントアント。初めて見るモンスターに熊野は警戒を強めている。
「Gigigigigi!」
ギガントアントが鬨の声のように啼き声を上げ、一斉に襲いかかってくる。意を決した熊野がハルバードを叩きつけ、それは体液をまき散らしながら砕け散った。
「なんだ、この程度かよ」
と熊野は気の抜けた様子だった。レベルはおそらく二〇にもならず、固有スキルを使うまでもない。十数匹のギガントアントが全て掃討されるまで五分も要さなかった。
「さて、先に進むか」
熊野や神ゴリ子にとってこの程度の戦闘は行きがけの駄賃でしかなく、本命のモンスターを探すために先へと進もうとする。が、円山は足を止めて難しい顔で考え込んでいた。
「わっさん、どうした?」
「このモンスターですが」
そう言う円山の足下にはギガントアントの頭部が転がっている。
「ギガントアントというモンスターの話も名前も今まで聞いたことがないんですが、皆さんはどうですか?」
熊野と神ゴリ子が顔を見合わせる。円山の指摘に全員沈黙し、それは思いがけず長く続くこととなった。
「ギガントアント? そんなモンスターがいたんだ」
「はい。先日報告があったところです」
ときは三月下旬のある日、場所はマジックゲート社ヴェルゲラン支部。その事務棟の一室で美咲・しのぶ・ゆかりの三人は向日ひまわりと話をしているところだった。
「メルクリアでは最初の目撃例です。評議会とマジックゲート社は事態を重視し、緊急討伐の準備を進めています」
「そんなに厄介なモンスターなんですか?」
ひまわりが真剣に「はい」と答え、美咲達も表情を引き締めた。
「戦闘力では見るべきものはありません。強い個体でもレベル二〇に届かず、女王蟻でもレベル一〇〇以下。それも知能や繁殖力に大部分のステータスポイントを割いてのことで、石ころでも中堅なら倒すことができるでしょう。……ですが」
「群れを成す、ということですか。本物の蟻がそうであるように」
しのぶの確認にひまわりが「はい」と頷いた。
「ギガントアントは地下に巣を作って何千という群れを形成します。巣が地下にあるため簡単には見つからず、その上女王蟻は元から知能が高くて警戒心が強いんです。ですのでいつの間にか町の近くに大規模な巣ができていて、ある日突然何千というギガントアントに襲われて町を滅ぼされた――そんな例がディモンではいくつもあるそうです」
なるほど、と三人が頷く。そんなモンスターが湧いて出たならメルクリアンが危機感を持つのも当然だろう。
「マジックゲート社は集められるだけの冒険者を集めてしらみつぶしにしてでも巣穴を見つけ、ギガントアントを駆除する予定にしています」
「メルクリア評議会が鉄仮面を指名して緊急討伐を要請した、という噂を聞きましたが」
「そりゃ、石ころの二千三千よりもあの人一人の方が頼もしいだろうけどね」
鉄仮面は大阪支部に所属する冒険者で、全世界で一二人しかいない黄金クラスの一人である。その通り名のままにいつも鉄仮面を付けているため素顔は誰も見たことがない。判っているのは、おそらくは日本人の女性だということだけ。本名・経歴一切が非公開となっている。
「確かに鉄仮面に協力を要請しているのは最悪の事態に備えてのことですけど……その」
ひまわりはちょっと言い難そうな顔となった。
「正直言って皆さんの順位ではまだまだ早いと思うんですけど」
「言ってください。わたし達でできることであれば協力するのはやぶさかではありません」
美咲が即座にそう言い、しのぶもゆかりも反対しない。それを受けてひまわりも覚悟を決めたようだった。
「先ほどゆかりさんも言っていましたけど、ギガントアントの目撃例はメルクリアでは今回が初めてです――ギガントアントは自然発生しないモンスターなんです」
ゆかりが首を傾げ、美咲が目を瞬かせ、しのぶが「それって……」と独り言のように言う。
「ギガントアントは人為的に作られたモンスターだとされています。実際、ディモンでの過去の戦争では様々な場面でギガントアントが利用され、軍・民問わず大きな被害が出たと聞いています」
「ディモンには『魔王』の名を冠する強力なモンスターがいるそうですが」
「はい。最初にギガントアントを作り出したのはおそらく四大魔王のうちの一人でしょう」
ディモンには人間と同等以上の高い知性を獲得したモンスターが大勢いて、独自のコミュニティを形成しているという。その中で絶大な魔力を有し、モンスターの頂点に立っているのが「四大魔王」と呼ばれる存在である。
「知性を持ったモンスターは人間と平和共存していると聞いたことがあるんですけど……」
「知性のあるモンスターにも穏健派から過激派まで色々といるそうですが、穏健派は変わり者の少数派でしかないそうです」
ひまわりの回答にしのぶは「それはそうか」と納得する。
「大多数の過激派は人間を喰らってカルマを得たいと考えていて、でも今は情勢が不利だから大人しくしているだけだとか」
「でも裏では色々と画策していて……」
「その一環でメルクリアへの侵略を企てていると?」
その確認にひまわりが「その可能性も考えられるということです」と深く頷いた。だが実際、「自然発生しない、戦争用のモンスターが初めて目撃された」となれば他の可能性はなかなか考えられないだろう。
「それじゃわたし達は役割は?」
美咲の問いにひまわりはちょっと困ったような顔をした。
「黄金や白銀の上位には万一の事態に備えて待機が要請されているそうですが、青銅の、それも四桁番台の皆さんには特に何も」
「それじゃわたし達もギガントアントの駆除をしたらいいんじゃない? 手っ取り早く稼げそうだし」
借金も早く返せるし、と言うゆかりに対しひまわりが、
「ら、ランク外の人達の獲物を横取りするような真似は……」
苦渋の様子で、血涙を流しそうな面持ちでそう諫める。その姿にゆかりもそれ以上は自己主張をしなかった。
「とりあえず皆さんは普段通りに。万一の事態に対して心の準備だけしていただければと思います」
ひまわりのその結論に対し、しのぶは平静に「はい」と、ゆかりが朗らかに「はーい」と返答する。美咲もまた「判りました」と頷いたが、やや不満そうな様子を垣間見せていた。
「ギガントアントってモンスターのこと、聞いたか? 緊急討伐に参加することになった」
巽がそう報告したとき、三人はそれぞれの表情で「納得」の思いを示していた。ときはひまわりとの打ち合わせが終わった後、場所はヴェルゲラン支部内。たまたま巽とばったり会った三人が立ち話をしているところである。
「マジックゲート社にも認められた、雑魚掃討用固有スキルの切れ味。モンスター共に思い知らせてやるぜ。ふふふ……」
そう含み笑いをする巽の背中にはどこか哀愁が漂っていた。
「でも鉄仮面の人だって雑魚掃討用だ、黄金最弱だなんて好き勝手言われてるんだし」
ゆかりのよく判らない慰めに巽は「黄金クラスと比べられても」と苦笑する。
「相手は雑魚ですがヴェルゲランを守る重要な任務です。頑張ってください」
「でも油断しないでくださいね。それに今はソロなんですから無理もしたらダメです」
美咲の激励に、しのぶの心配に巽は「判ってる」と笑顔を返した。
「明日にはもう緊急討伐だから今からポーションとかの仕入れに行くところだ」
「今週分の狩りはもう終わっていませんでしたか?」
「そうなんだけど、石ころの上位は特例で認めてくれるらしい」
今日はもう週末で多くの石ころは今週分の狩りを済ませているだろう。だが事態は一刻を争うかもしれず、来週まで待つなどと悠長なことを言っている場合ではない。ギガントアントは一匹一匹がレベル一〇から二〇、それが最大で何千もの群れになる。その掃討には上位順位者の協力が必要不可欠であり、「狩りに行けるのは週に一度だけ」という原則の緩和は当然かつ必然というものだった。
巽は消耗品の仕入れに青空市場へと向かい、美咲達三人は特に用事もないがそれに同行する。時刻は夕方で閉店に近い時間帯だったが滑り込みで必要なポーションの他、暗視ゴーグル等を一通り購入。ヴェルゲラン支部へと引き返す頃には日はもう完全に沈んでいた。
「遅くなっちゃいましたね」
「早めに帰りましょう」
巽達四人は夜のヴェルゲランの町を歩いていく。街灯が整備されているわけでもなく、家々の照明は数も光量も(元の世界の日本と比較すれば)ごく貧弱なものだ。ヴェルゲランの町は暗闇に近く、人通りも絶えてほぼ無人だった。
「こんな時間帯にこの町を歩くのは初めてかも」
「これだけ暗いと物騒な人達も出てくるかもしれません」
しのぶのその懸念をゆかりが「メルクリアにそんな人達が」と笑う。だが、
「たっ、たすけ!! だ、だれか!!」
その途端遠くから聞こえてくる男の声、それは明らかに悲鳴である。巽と美咲が脊髄反射の速さで走り出し、しのぶとゆかりがそれを追った。
曲がり角を一つ曲がり、巽達は事件の現場に到着する。何人かの男が一人の人間を拘束し、担ぎ上げている。どう見てもそれは誘拐の現行犯だった。
「待て!」
「何をしている!」
美咲と巽が鋭く誰何し、しのぶも加えて誘拐犯に向かって走り出す。誘拐犯は被害者を放り捨てて剣を抜いた。敵は三人、こちらも三人。刹那の時間を経て三箇所で剣と剣が激突、火花が飛び散った。
「な、冒険者?!」
巽が驚愕に目を見開く。つばぜり合いをするところまで接近してようやく気が付いたが、誘拐犯はどう見ても地球人。マジックゲート社に所属する冒険者だったのだ。美咲やしのぶも同様に驚いている。
「冒険者が一体、何のために!」
巽の問いに誘拐犯は無言を返した。相手が人間であるために剣にためらいが生じ、また元々実力差もあったようで、巽は誘拐犯に押されている。美咲やしのぶもまた不利な状況にあった。ただ誘拐犯の方も積極的に巽達を害しようとはせず、このため戦況は一方に傾きつつもそこで止まっている。その天秤をひっくり返したのは、
「勝吾! あんたどうして……!」
第三者の乱入だった。巽と斬り結んでいた誘拐犯が動揺し、次いで舌打ちした。彼は巽を強く押して距離を取る。彼は剣を鞘に収め、代わりの武器を巽達へと向けた。巽達三人が硬直する。
「銃器……?!」
誘拐犯が手にしているのはクラシックな外見の銃器、火縄式のマスケット銃だ。その銃口が巽達へと向けられ――轟音と共に大きな火柱が立った。
「巽さん!」「巽先輩!」「巽君!」
巽の身体が吹っ飛び、しのぶ達が悲鳴を上げる。その隙に誘拐犯が遁走しているが三人はそれどころではなかった。慌てて巽へと駆け寄り、
「痛ててて……ちくしょう」
痛がりながらも平然と起き上がる巽に、しのぶ達はスライディングをしそうになった。
「巽さん、怪我は……」
「ああ、ちょっと痛いけどどうってことない」
巽は咄嗟に固有スキル「筋城鉄壁」を行使し銃弾を跳ね返したのだ。その姿にしのぶ達は気が抜けた様子でその場に座り込んでいる。
「あの……助けていただきありがとうございます」
と誘拐されそうになっていた男性――まだ年若いドワーフの男だ。
「ええと、皆さんお怪我は」
と声をかけてきたのは乱入してきた女性――マジックゲート社の冒険者だ。さらに近くの民家から近隣住民がおそるおそる姿を見せ、事態は混沌とするばかりである。
「ええっと、ちょっと待って。ちょっと待って。整理するから」
年長者としてこの状況の収拾に努めようとするゆかりだが、幸いそれはすぐにゆかりの役割ではなくなった。複数の馬蹄の響きが聞こえてきて、それがどんどんと接近してくる。
「憲兵隊か。面倒な連中だけどこういうときはありがたいかな」
メルクリアの治安を担う組織、憲兵隊。それがようやく駆けつけたのだ。ゆかりは安堵し、全ての仕事を彼等へと押しつけた。
――ただもちろん、ゆかり達にとってこの事件はこれで終わりではなく、始まりでしかなかったのだが。
ときは翌日、朝の早い時間帯。美咲・しのぶ・ゆかりの三人、それに巽はヴェルゲラン支部へと集まっている。
「それでみんなはどこに捜索に?」
「第二〇九開拓地に手がかりがあるらしいので、そちらに」
「そうか、近いな。俺の担当は第二一〇開拓地だ」
巽はギガントアントの緊急討伐のために開拓地へ。美咲達三人もまた別の開拓地へと向かおうとしているところだった。
「巽さんも一緒だったら良かったのに」
しのぶのその愚痴に巽は苦笑するしかない。
「いや、石ころの俺があのメンバーに混ざれるわけがないって」
「場違いなのはわたし達もあまり変わりません」
としのぶ。二人はこっそりとある一団へと視線を送った。
「中立売正親、固有スキルは『炎の魔神(Ifrit)』」
「武者小路一松、固有スキルは『風神雷神剣』」
「土御門清和、固有スキルは『氷の覇王(General Frost)』」
中立売は盗賊らしい軽装で、両手には真紅に輝く無骨なガントレットを装備している。武者小路は正統派の侍の姿だが、二本の長剣を装備。土御門もまた正統派のメイジ然とした装備だが、そのローブは白一色だ。
彼等三人は三人ともが国内順位二桁番台の、白銀クラスの冒険者である。あの人達の視界に入って不快な思いをさせたら申し訳ないと、巽は身を縮めている。
「関係者枠の牛ヶ瀬さんでもわたし達より高順位なんですよねぇ」
「済みません、無理をお願いすることになってしまって。今日はよろしくお願いします」
いきなりしのぶ達の前に現れて深々と頭を下げたのは、昨晩の事件の現場に乱入してきた女性である。彼女の名は牛ヶ瀬弥生、国内順位一〇五五位の青銅クラスだ。彼女は女性としては背が高く、重装の金属鎧で全身を固めていた。
巽は関係者だと間違われないうちに「それじゃ気を付けて」と逃げるように去っていく。しのぶは「巽さんも」とその背中に声をかけた。
「ああ、いたいた。しのぶちゃーん」
巽と入れ替わりのように現れたのは高辻鉄郎だ。珍しい人の久々の登場にしのぶは目を丸くしている。
「高辻さん、どうしたんですか?」
「何、しのぶちゃんにちょっとした餞別をね」
と彼が差し出したのは宝石のペンダントで、しのぶは反射的にそれを受け取った。大きな宝玉の中にはミスリル銀で精密な魔法陣が刻み込まれている。
「これは?」
「防犯ブザーみたいなもんかな。使うときは握り締めて魔力を込めればいい」
「しのぶちゃんだけ? わたし達には?」
と不満げなゆかりに対し、高辻はにやにやと笑うだけだ。
「悪いね、足長おじさんが気にかけてるのはしのぶちゃんだけだから」
「……あの」
しのぶが何か訊きたそうにし、高辻は「何?」と笑う。しのぶは結局、
「いえ、何でもないです。ありがとうございます」
とお礼を言っただけだった。
「――それじゃ行くか」
この捜索隊のリーダーとなったのは中立売で、彼が号令をかける。それを受けてしのぶ達三人も行動を開始。一同は転移施設へと向かって歩き出し、その背中を高辻が見送った。
……転移魔法を使い、中継地点をいくつか挟み、やってきたのは第二〇九開拓地。そこは峻険な岩山の中であり、美咲・しのぶ・ゆかりの三人はパーティメンバーと共に道なき道を進んでいる。パーティは美咲達三人に加え、案内役の牛ヶ瀬弥生。護衛役の白銀クラスの三人、そのサポート役として青銅クラスの上位者から選ばれた三人。合計一〇名という面々だった。
なお白銀クラスにまでなれば固定パーティを組むことはほとんどなく、基本ソロで活動する。必要に応じてその都度臨時パーティを組むこととなるが、今回のこのパーティもそういった臨時パーティの典型例だった。
「――ところで、俺達はどこへ何をしに向かっているんだ?」
武者小路の問いにしのぶは開いた口がふさがらない。中立売や土御門も呆れた様子だった。
「お前……最初に話があっただろう」
「強力なモンスター、あるいはヴァンパイアと戦闘になるかもしれない、とは聞いている」
昨日の今日で急に集められたんだから仕方ないのかも、と思いつつ、
「敵が確定したわけではないですけど、状況からしてその可能性があるということです」
まずは美咲が昨晩の誘拐未遂事件について説明、弥生がその補足をした。
「誘拐未遂犯の一人は樫原勝吾、わたしのパートナーです。少し前から様子がおかしかったんですけど、まさかあんなことを……」
弥生は嘆息して首を振る。一同は口を閉ざして続きを待った。
「半月くらい前にこの山に二人で狩りに来たことがあって、そのときにわたしは滑落してしまって、勝吾とはぐれたんです。夕方には下山してきた彼と合流できたんですが……そのときから様子がおかしくて。どこがどうと説明するの難しいんですけど」
「覇気や気力が感じられなくなり、全てに対して消極的になる。特に人混みや日中に出歩くのを避けようとする。まれに人形のように何に対しても無反応となる――そんなところか?」
土御門の確認に弥生は驚きながらも「はい、まさしく」と返答する。
「ヴァンパイアに支配されたらそんな状態になるってことか?」
「必ずそうなるわけではないが典型的なパターンの一つ、とは言えるだろう」
中立売と土御門のその会話に、
「でも、いくら何でもパートナーがヴァンパイアになっちゃったら牛ヶ瀬さんが気付かないわけないんじゃ?」
とゆかりが疑義を挟む。それに対し、
「ヴァンパイアが人間を支配するにはいくつかの段階を踏むこととなる」
土御門は順を追って説明した。ゆかり達はその端正な横顔を見つめている。
「ヴァンパイアに噛まれるとその人間はヴァンパイアとなってしまう――まずこれは事実ではない。ヴァンパイアは人間を噛み、自分の血を相手に送り込んで支配下に収める。だが同族にまでしてしまうのは非常に気に入った、ごく一握りの人間だけで、ヴァンパイアになれるのも特別な素質に恵まれた、ごくごく限られた人間だけだそうだ。こういった成り立てのヴァンパイア、及びその予備軍は『使徒』と呼ばれている」
ほー、とゆかりが感心し、気を良くした土御門は滑らかに説明を続けた。
「『使徒』の下は『眷属』と呼ばれている。これはヴァンパイアの支配下にあり、かつ自分の意志を持っているモンスターを総じて呼ぶ言葉だ。だからそのヴァンパイアの血が身体に入っているかどうかは関係ない」
人間の冒険者に狩られないためにヴァンパイアの庇護下に入り、対価としてそのヴァンパイアを主君として仕え、主君のために人間と戦う――ディモンのヴァンパイアはそのような契約関係に基づく眷属を多数有していると言う。
(ディモンのことにまで随分詳しいんですね)
(白銀クラスにまでなれば入手できる情報量が違うということでしょうか)
しのぶ達は首をひねりながらも興味深い話に耳を傾けている。
「『眷属』の下は『傀儡』。これは血の魔力で人間を強制的に操っている状態のことだ。『傀儡』にもまた段階があり、支配力を最大にまで強めれば人間の自由意志を完全に消し去ってしまうことができる。そうなってしまった『傀儡』はもうゾンビ兵と変わらない、ただの動く死体のモンスターだ。死体を生き返らせることができないように、そうなってしまった人間を元に戻すことは、もうできない」
「そうなる前なら元に戻すことができる……?」
期待を込めて弥生が問うが、土御門はやや気まずい顔をした。
「それにしたって簡単な話ではない。親となっているヴァンパイアよりも強い力を持った、メイジか僧侶の浄化魔法が必要だ。ごく限られた支配しか受けていなければそれで浄化することもできる……だがその状態では血の魔力は非常に弱く、ヴァンパイアの支配下にあると外から見破ることは容易ではない。支配下にある当人自身にその自覚がない――そんなことすらあり得ると聞いている」
「そんな……」
美咲達が一様に慄然とした顔となった。知らないうちにヴァンパイアに支配され、誘拐のような犯罪に荷担させられる――そんな恐ろしいことはそうはないだろう。
「樫原勝吾や誘拐未遂犯は、その弱い支配下にある『傀儡』ってことよね」
「状況からしてそう考えるべきだろう。メルクリアンの金持ちならともかくドワーフの職人を誘拐する理由が冒険者にあるとは――」
土御門はそこで言葉を途切れさせた。しのぶ達もそれぞれ顔を見合わせている。
「……ヴァンパイアにドワーフを誘拐する理由が、何かあるんでしょうか」
「樫原勝吾はマスケット銃を持っていましたね。あれは完全な禁制品でしょう」
美咲の指摘に土御門達が刮目した。
「ドワーフを誘拐して銃器を作らせている? だが一人二人のドワーフで」
「ここ四年間で行方不明になっているドワーフやエルフはメルクリア全土で五〇人以上になるそうです」
しのぶの報告に中立売達はうなり声を上げた。
「さすがにその全員が一人のヴァンパイアに誘拐されたわけではないでしょうけど、仮に半分でも二五人。銃器の量産も不可能ではないと思います」
「だが火縄銃程度の玩具が何になる? ヴァンパイアがそれに興味を持つのか?」
「いくら上位でも石ころ一人殺せなかったんだろう?」
その指摘に美咲は沈黙するが、しのぶは反論を試みた。
「『樫原勝吾が禁制品の銃器を所持していた』
『彼はドワーフの職人を誘拐しようとしていた』
『彼はヴァンパイアの支配下にある可能性がある』
――だったらそのヴァンパイアが銃器に興味を持っていて、密造に取りかかっていると判断してもおかしくはないんじゃないでしょうか」
今度は中立売や武者小路が沈黙する番だった。土御門は「筋は通っている」としのぶの言い分を認める。
「ただ、根拠は充分ではない。予断を持たずにあらゆる可能性を考慮するべきだろう」
あの……と弥生が手を挙げながら、ためらいつつも口を挟んだ。
「あの銃は勝吾の自作の可能性も……彼はガンマニアで、この世界で銃器が禁止されていることを常々残念がっていましたから」
「え、そうなんですか」
としのぶ。せっかくの推理を振り出しに戻された気分である。
「はい。彼の固有スキルは『射撃狂』と言って、掌からごく近い任意の場所で爆発を起こす、というものなんです。昨晩皆さんの知り合いを銃撃したときも火薬は使わず、その固有スキルを使って銃撃していたと思います」
「そんな使い勝手の悪そうな固有スキルで青銅にまで」
「ええ。普段の狩りで使っていたのはドワーフの職人さんに作ってもらったパイルバンカーです」
それを聞いた土御門は思わず苦笑した。
「そいつは非合法すれすれだな。ちょっと改造すれば銃器になるだろう」
「はい……でも昨日使っていたのはパイルバンカーの改造品じゃありません。形が全然違います」
しのぶは昨晩のことを思い返した。確かに昨晩樫原勝吾が持っていたのは最初からそれとして作られたマスケット銃である。
「ところでメルクリアンが銃器を禁止しているのはなんでだっけ。銃器を使えば彼等だけでモンスターを狩れるのに」
ゆかりの今さらな疑問に答えたのはやはり土御門だった。
「銃器が禁止されているのはメルクリアだけじゃなく、ディモンでも同じだ。銃器は彼等の世界でも独自に発明され、一定の進歩を遂げた。そして二〇〇年前に大戦争があったときにそれが本格的に使用され、悲惨な戦禍をもたらした……らしい」
なおその大戦争で大規模に使用され、多大な戦果と悲惨な戦禍をもたらしたのは主に炸裂弾を発射する大砲だと言う。
「その戦争の後、ディモン人は銃器の使用に制限をかけた。『銃器は卑怯者の使う野蛮な武器』という観念を発達させ、制限を段階的に厳しくしていき、何十年もかけて銃器を完全使用禁止にし、ほとんど全廃に近い状態を今日まで維持している」
へー、とゆかり達は感心した。
「すごいのね、ディモンの人達って」
「江戸時代の日本も似たようなことはやっているだろう?」
と土御門は肩をすくめる。
「江戸時代の日本がそうだったようにディモンもここ二〇〇年は大きな戦争がなく、平和な時代が続いている。ただ魔法や科学技術でも新しい発見や発明がなく――本当にないのかそれとも握り潰されているだけなのかは知らないが――二〇〇年前と全く変わり映えのしない生活をしているそうだ」
「確かにメルクリアの技術水準や生活水準は地球の二〇〇年前くらいです」
「戦争はなかったけど、進歩もない……どっちが良いのかは何とも言えないわね」
ゆかりの呟きに「確かにな」と言ったのは誰か、それは判らなかった。だがそれはその場の全員の言葉なのだろう。ここ二〇〇年の地球側の進歩は目も眩むほどで、ディモンやメルクリアを圧倒して余りある。だがそれと引き替えだったのが大戦争と大虐殺の歴史なのだ。ディモンでの戦禍がどれだけ悲惨だったのかは判らないが、第二次大戦のそれと比較すればそんなものは児戯に等しいだろう。
……そんな話をしているうちに、いつの間にか彼等は目的地へと到着していた。岩山を乗り越え、尾根に沿って進み、二つの岩山に挟まれた谷底のような場所を歩き、約二時間。
「皆さん、あそこに」
先導役の弥生が指差す先には洞窟の入口があった。
「いかにも、な場所だな」
「他に当てがあるわけではなし、調べてみるべきだろう」
三人の白銀クラスが率いる一〇名のパーティはその洞窟へと足を踏み入れていった。
洞窟はそれほどの長さではなく、一同はすぐにそれを抜け出た。洞窟を抜けた先にあったのは、ちょっとした広さの空間だ。四方を岩の壁に囲まれた、小学校のグラウンドほどの窪地。そこはまるで天然の円形闘技場のようであり……何百という観客が血の惨劇を待っていた。
「こいつら……ギガントアントってやつか?」
岩の壁には何百というギガントアントが集っていて、一〇人の冒険者を完全包囲している。ギガントアントは罠に填った愚かな冒険者を嘲笑するように、耳障りな声で啼いていた。
「誘い込まれたということか、私達は」
「そういうことだ」
そう告げつつ姿を現したのは、黒いマントの男だ。金の髪に、死体のように蒼白の肌。とがった耳はエルフの証だがその目はルビーのように紅く、禍々しかった。
「白銀が三人、青銅が六人。なかなか悪くない成果だ。これだけのカルマを得られれば……」
そのヴァンパイアは土御門達を前にして舌なめずりをする。だが冒険者の方も決して臆しはしなかった。中立売が二、三歩前へと進み出、ヴァンパイアへとガントレットを突きつける。真紅のガントレットが炎をまとい、輻射熱がヴァンパイアの肌を照らした。
「てめーがどの程度かは知らねえが、白銀三人を相手にして勝てるとでも?」
だが肌を焦がすその高熱と殺意を前にしても、ヴァンパイアは涼しげな態度を保ったままである。
「確かに、少しばかり面倒だ。とりあえず一人減らそうか」
そう言ってヴァンパイアが指を鳴らし――牛ヶ瀬弥生が土御門に襲いかかったのはそれと同時だった。短剣を握り締めた弥生が土御門へと体当たりをし、短剣が土御門の腹部へと突き刺さる。
「貴様!」
武者小路が剣を一閃させるが弥生は思いがけない速度でそれを避け、ヴァンパイアの下へと移動。ヴァンパイアを守るように彼女が立ち、そして岩陰から出てきた樫原勝吾がそれに並んだ。
「生きてるか、土御門」
「かすり傷だ。だが毒を使われた」
と土御門は毒消しのポーションを飲んでいる。中立売は「使い物にならないか」と舌打ちした。
「俺達二人でヴァンパイアを殺る。お前等はあの二人だ」
中立売の指示にサポートメンバーの三人が頷く。
「お嬢ちゃん達はありんこの掃除を頼む」
任されたのがただの雑魚であることに美咲は不満だったが、さすがに文句を言ったりはしなかった。美咲が、しのぶが、そしてゆかりが、自分の役割を果たさんとする。戦いの合図を待っている。
「愚か者どもが! 不死の王の力を思い知るがいい!」
ヴァンパイアが吠えながら冒険者へと襲いかかり、中立売と武者小路がそれを迎え撃つ。ヴァンパイアの爪と武者小路の双剣がぶつかり、火花を散らした。
「風神雷神!」
武者小路がその双剣から雷撃と真空の斬撃を放ち、ヴァンパイアが後方と飛んでそれを避ける。だがそこに、
「死ねやおるあ!」
中立売の連続打撃。両拳の業火は固有スキル「炎の魔神」の発現であり、かすっただけで肌が炭化してしまう。ヴァンパイアは舌打ちをしながらさらに後退した。
「舐めるな!」
ヴァンパイアが掌を突き出し、何もない空間から生じた水の塊が弾丸のように撃ち放たれた。地面に着弾したそれが岩を溶かし、「毒か」と中立売が瞠目する。毒の弾丸が連射されるが、中立売は炎の拳でそれを打ち払い、武者小路は双剣でそれを切り払った。ヴァンパイアは忌々しげな顔をし、じりじりとさらに後退している。
一方、ヴァンパイアに操られている樫原勝吾は――最大速度で土御門へと突貫した。
「何? 氷壁!」
咄嗟に氷の防壁を生み出して身を守る土御門だが、樫原はマスケット銃でくり返し銃撃。ついには壁は破られたが、
「貴様の相手は俺達だ!」
樫原の前にサポートメンバーの三人が立ちはだかる。さらに弥生が樫原に加勢し、二対三の混戦が展開された。
「くそ、こいつ一千番台のくせに……!」
樫原勝吾と牛ヶ瀬弥生は青銅の中でも低順位に属するのに対し、サポートメンバーの三人は国内順位三百番台とかなりの高順位だ。にも関わらず樫原達は互角以上に戦っている。
「身体が壊れるのも構わずに限界以上の力を引き出しているのでしょうか」
「うん、多分」
一方の美咲やゆかりはギガントアントを掃討しつつそんな言葉を交わしている。戦いは三局に別れているが、ギガントアントの相手など彼女達にとっては戦いと言えるほどのものではない。雑魚を蹴散らしながらも他の二局の情勢を観察し、手助けできないかと考える。その程度のことは余裕だった。
樫原勝吾と牛ヶ瀬弥生がアイコンタクトを交わし、二人が青銅の三人へと突撃した。弥生が前に出、その後ろを樫原が続いている。三人が一斉に弥生へと襲いかかり、弥生はそれを避けられない――いや、避けようとしなかった。
「な……こいつ?!」
弥生の全身が三本の剣で斬り刻まれる。だがそれは三人を弥生一人で拘束しているということでもあった。弥生の身体を踏み台にして樫原が大きくジャンプし、着地した先には驚いた顔の土御門がいる。
「――!」
その顔面に向けて樫原が銃撃、弾丸は土御門の髪の毛を散らし――まさに間一髪だった。だが樫原はなおも攻撃を続け、土御門は剣を抜いて抵抗している。
「何余所見してんだよてめえ!」
中立売の拳がヴァンパイアの腹部に叩き込まれ、そのまま背中まで貫いた。胴体には大穴が空き、業火が内臓を内側から焼き尽くす。ヴァンパイアが断末魔の悲鳴を上げ、武者小路が双剣でその首を断ち切ってそれを止めた。
「これで終わりだ!」
さらには土御門が剣を一閃、樫原の右手首を刎ね飛ばす。樫原が手首ごとマスケット銃を取り落とし、その彼をサポートメンバーの三人が包囲した。
「……」
樫原は倒れ伏す弥生を見つめていたが、思いを振り切るように彼女から背を向ける。そして全力で走り出した。サポートメンバーはそれを追うべきかどうか迷い、その間に樫原は岩の向こうに姿を消している。
「片付いたのか?」
「まあな」
ヴァンパイアを倒した中立売と武者小路が土御門の下へとやってくる。ギガントアントを掃討したゆかり達もまたそこへと集まった。
「牛ヶ瀬さんは?」
「手の施しようがない。まだ生きているのはヴァンパイアの血の魔力が残っているからだが、それでも時間の問題なだけだ」
その結論にゆかり達は暗い目を伏せた。
「親のヴァンパイアが死んだらその傀儡はどうなるんですか?」
「血の魔力はそのうち消失する。樫原勝吾も、手遅れでないならいずれ正気を取り戻すだろう」
手遅れの場合はアンデッドの一種になってしまうわけだが、土御門はそこまで言及しなかった。
「それなら放っておいても別にいいか。ヴァンパイアも退治できたし、これで緊急討伐完了だろう」
中立売の言葉に武者小路やサポートメンバーも頷き、今にも帰路に就こうとする。だが、
「いえ」
静かに異議を唱えるしのぶが一同の注目を集めた。
「樫原勝吾を追うべきです。これで終わりだとは……ちょっと考えられません」
一方同時刻、第二一〇開拓地。巽は朝から延々とそこを捜索し、雑魚モンスターは何匹か狩ったものの本命を見つけられずにいたが、
「ん? これって……」
ようやく手がかりらしきものを発見したところだった。巽は獣道の端に転がっていた剣を拾い上げ、じっくりと観察する。
「……新人用の数打ち物、ってとこか。錆の具合からして一月二月は経っているか?」
巽は剣をその場に戻し、周辺を調査する。そして獣道を外れた森の中に洞窟を発見するまで、それほどの時間はかからなかった。
「いかにもモンスターが巣くっていそうだな」
しばらく前にこの辺にやってきた新人がモンスターの群れに奇襲され、この洞窟に引きずり込まれてしまった、あの剣はそのときに落としたもの――おそらくそんなところだろう。ギガントアントかどうかは判らないが洞窟の調査は必要だった。
「よし」
巽は昨日購入した魔法の暗視ゴーグルを装着、洞窟の中へと足を踏み入れた。洞窟は入口側は狭いが奥へ行くと広くなっている。二人くらいなら横に並んで歩けそうだ。巽は周囲を観察しながら慎重に歩を進める。そして湾曲した通り道を曲がったところで、出会い頭にモンスターと遭遇した。
「な!」
角を曲がったらいきなり何匹ものモンスターがいたのだ。冒険者であってもびっくりするが、それも一瞬未満のことだ。考えるよりも疾く巽の剣が閃き、複数のギガントアントが分解された。
「Gigigigigi?!」
ギガントアントもまるで狼狽しているかのようだ。手前の一〇匹近くが巽に惨殺され、中程の約一〇匹は右往左往するだけ。後方のもう一〇匹は一目散に逃げていく。その逃げていく集団が何か荷物を担いでいて、どうやらそれは冒険者の着ていた鎧のようだった。
「待て!」
巽は邪魔な群れを蹴散らして逃げ出したギガントアントを追う。洞窟はまたも湾曲していて、巽は全力疾走のままその曲がり角を曲がり――
「え」
足場がなくなって巽の身体が宙に浮いたのは、突然だった。地面の底が抜け、足下にあるのは空気と、墨よりも濃い漆黒の闇だけだ。声にならない悲鳴を上げながら、巽は地獄へと続くかのような地の底へと落下していった。
都合により三月上旬→下旬に修正。




