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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
二年目
31/52

第二二話「人生損益分岐点」その2




 巽がスパルタ団を抜け、また椥辻早海も鞍馬口パーティを抜け、二人でパーティを組むことが確定した。鞍馬口天馬は歯噛みして悔しがったが、抜けようとするパーティメンバーを止める方法など存在せず、どうしようもない。


『パクリ野郎にパーティのメイジをパクられた!!!』


 掲示板で愚痴って憂さを晴らすくらいがせいぜいである。だが、


『まーよくある話だよねー。同情はするけどね』


『逆恨みしてもしょうがないんじゃないの?』


『俺もメイジに逃げられた口だけど、メイジって連中はそういう人種なんだってもう割り切るしかないわ』


 スレッドへの書き込みが非常に少ない上に、鞍馬口に同調して巽を非難するようなレスは皆無だった。鞍馬口に対する同情はあるが、たしなめる声の方が多いくらいである。だがそれで鞍馬口が冷静になるかと言えばそんなことはなく、むしろその逆だった。


『くそ、椥辻の野郎……魔核の配分でも大幅に譲歩して散々優遇してやったのに。魔核返せよ!!』


 鞍馬口一人の口汚い書き込みが続く中、あるレスが書き込まれる。


『三月まで俺達と組んでいた椥辻を自分のパーティに引き抜いたとき、俺達が抗議したときにあんたは何と言った?


「実力のあるメイジが上に行ける冒険者と組むのは当然のことで、恨むのは筋違い」


――あんたが俺にそう言ったんだろう? 今どんな気持ちだよ、おい』


 その一言によりスレッドの空気は一変した。鞍馬口に対する同情は消えて批判的な書き込みが連続する。これに対して鞍馬口は、おそらく反論のしようがなかったために沈黙し続け、このためスレッドはすぐに過疎化。書き込む者が誰もいないまま過去ログへと沈んでいった。

 結局、鞍馬口と椥辻とのトラブルは冒険者界隈では珍しくも何ともない、掃いて捨てるほどよくある話でしかないのである。こうして鞍馬口が沈黙を余儀なくされ、椥辻は誰をはばかることもなく巽とパーティを組むこととなる(元々誰もはばかっていなかったが)。


「奥歯のスイッチ!」


 場所は第二一二開拓地の森の中。巽と椥辻のパーティはそこでギガントホーネットの群れを狩っているところだった。今の巽にとってギガントホーネットは大して危険な獲物ではないが、二〇匹以上というその数は充分な脅威である。さすがに挑むのは無謀だと、これまでの巽なら判断しただろう。だが今の巽には椥辻という優秀なメイジがいるのだ。


「加速!」


 椥辻から「加速」の補助魔法をかけてもらい、巽は思考速度を限界まで加速した。


(右から二匹、左に三匹、足下から一匹、後ろから二匹か)


 巽が獲物の位置を把握し、どれから片付けるか吟味する。剣を抜いた巽はまず右の二匹をそのまま斬り捨て、次いで左の三匹へと向き直った。


「シッ!」


 巽が一息で剣の三連撃を放つ。それは固有スキル「阿修羅拳」ではなくただの連続攻撃だが、喰らった方からすればどちらも大差なかっただろう。三匹のギガントホーネットが一瞬で三匹とも串刺しとなって墜落する。足下から迫っていた一匹は蹴り上げて潰し、身体ごと剣を旋回して後ろの二匹を叩き斬る。地面にはギガントホーネットの死骸がいくつも転がった。

 椥辻の補助魔法「加速」と巽の固有スキル「奥歯のスイッチ」の同時使用は極めて凶悪なコンボだった。ギガントホーネットは素早さが売りのモンスターだが、巽の速度はそれを優に上回っている。巽は七面鳥撃ちのような容易さで、瞬く間に二〇匹以上のギガントホーネットを掃討した。


「ふう」


 巽はため息をつき、魔力補充のポーションを一気飲みする。木製の小さな容器はすぐに空となり、ちょうどそれを投げ捨てたところに椥辻がやってきた。


「怪我はないようだな」


「ええ」


「少し休んでから前に進むとしよう。私が警戒をする」


「はい、ありがとうございます」


 その言葉に甘えて巽は地面に座り込み、また「ふう」とため息をついて天を仰いだ。二人の間に会話はなく、沈黙が風に乗って流れていく。


(……き、気まずい。何か話を……)


 そう思う巽だが共通の話題が見つからない。椥辻には「会話をしよう」という意志がそもそもないようで、彼はただ周囲の警戒に専念し、


「五分だ。行こう」


 時間になったらそう言って前進を促す。巽は立ち上がって彼と共に歩き出した。

 その後も二人は順調に狩りを続け、この日はかなりの大漁で狩りを終えることができた。巽のレベルが上がっている上に優秀なメイジの補助魔法があるのだ。このパーティはかなりの大物を狩ることも可能だった。パーティメンバーが二人だけである点も今のところ問題にはなっていない。人数が少なければ魔核の配分がそれだけ多くなるわけで、借金返済を急ぐ身としては非常にありがたい話だった。……ただ、


「それではまた来週に」


「はい、お疲れさまでした」


 精算を終え、巽から背を向けて椥辻が立ち去っていく。その背中を見送りながら巽はこっそりとため息をついた。


「冒険者のパーティは仲良しサークルじゃない、とは言うけど……」


 椥辻には巽と仲良くやっていこう、という意識が皆無だとしか思えなかった。業務上以外の会話がほとんどなく、狩りの後に一緒に飯を食いに行ったり飲みに行ったりということもない。共に狩り場に行って魔核を稼ぐビジネスパートナー、それ以上のことを巽には求めていないようだった。

 巽も人付き合いは苦手だが椥辻ほどに割り切るのは難しい。せめてあと一人二人パーティメンバーがいればこの気まずい状況も変えられるのではないかと思い、椥辻にもそれを提案。


「確かにもう少し人数がいた方が危険も減らせるだろう。ただメンバーは厳選する必要がある。上に行ける人間でなければ入れる意味がない」


 椥辻もそこまで積極的ではないが反対もしなかったため巽は新メンバー探しに動くこととなる。新メンバーの条件は、巽と同程度の実力があり、着実に順位を上げていること――前者はともかく後者の人間がそう簡単に見つかるはずがなかった。今の巽は国内順位四千番台に突入したところで、その辺の順位なら誰でも巽と同等以上の力はあるだろう。だが彼等の多くは冒険者歴がもう三年を超え、または四年を過ぎ、あるいは五年以上となっている。統計的に見れば彼等が青銅になれる可能性は非常に低く、そのような人間を選択肢から排除すればメンバー探しが難航するのは当然だった。

 巽と椥辻のパーティは二人だけのまま年を越し、一月を過ごし、二月を迎えることとなる。一月余りの間に巽は順調に順位を上げ、四千番台の前半を狙えるところに位置しようとしていた。

 そして二月月初のある日の午後。巽は今、ある団地の部屋の前で立っているところである。巽の住むアパートからさほど離れていないが、巽は一度駅前に行って手土産のケーキを買ってからそこを訪れている。

 スマートフォンの時計で約束の時間から二分ほど過ぎたことを確認、巽は呼び鈴を押した。それを待っていたかのように鉄製のドアが開かれる。


「うぃっす。どうぞ」


 顔を出したのは蹴上王仁丸であり、彼に招かれて巽はその家へとお邪魔した。


「ああ、久しぶり。花園君」


「お久しぶりです、石田さん。これお土産」


 ありがとう、と石田と呼ばれた女性がケーキを受け取り、巽は彼等の家の居間へと案内される。こたつを挟み、巽は王仁丸と向かい合って座った。少しの時間を経て、彼女がケーキとお茶をお盆に載せて運んでくる。


「せっかくだから早速食べさせてもらうわね」


「ええ、食べてください」


 三人はそれぞれお茶を飲み、ケーキに舌鼓を打った。


「今日は悪かったわね、わざわざ来てもらって」


 そう言って笑う彼女は石田桜という名で、巽より何歳か年上。巽が以前アルバイトをしていた町工場で同僚だった人物である。


「いえ、結婚おめでとうございます。びっくりしましたし、ちょっと早いように思うけど、まあめでたいのはめでたいってことで」


「ガキができちまったからな。仕方ねえ」


 と王仁丸。結婚どころか女性と親しい付き合いすらしたことのない巽としては王仁丸に二歩も三歩も先を行かれたことは小さくないショックなのだが、それは笑顔で覆い隠していた。


「でも、結婚もおめでたもいいとしても、冒険者の方はこのまま続けるつもりなのか?」


 巽の問いに王仁丸が沈黙する。それは未だ迷っているようにも見えたが、


「いや、冒険者は廃業だ」


 王仁丸はきっぱりとそう言った。沈黙は迷いではなく、ただの未練である。そうか、と巽は安堵したようなため息をつく。


「あんたくらいに上に行けるんなら続けたかったけど、三ヶ月経ってもコリガンやオウド・ゴギーを狩るので精一杯だ。このまま続けてもろくに順位を上げられないままどこかの狩り場でのたれ死んで終わり……俺一人ならそれでも良かったんだけどな」


「いいわけないじゃん」


 石田桜が王仁丸の頭を叩き、王仁丸は痛そうな顔をした。


「真面目に頑張れば正社員にしてやる、って部長さんも言ってくれてる。ここからは心機一転! 生まれ変わったつもりで」


「ああ、判ってる」


 そう強く頷く王仁丸の顔は冒険者のそれではなく、父親の顔だった。巽は眩しげにその顔を見つめた。


「あんたには世話になったからな。辞める以上はけじめをつけないと」


「そうか。これからは色々と大変だろうけど頑張れよ」


 そう言う巽に対し王仁丸は「へっ」と皮肉げに笑った。


「才能がなく、順位も上がらないまま続ける冒険者より辛いことなんかそんなにねえよ」


 ……その翌日、「技術向上研修」を終えた巽はヴェルゲラン支部の付属病院へと足を運ぶ。そこにはスパルタ団の円山鷲雄が勤めていて、巽経由で円山と知り合いになった山科環もまたそこをアルバイト先としていた。


「蹴上が冒険者を廃業するって聞いて様子を見に来たんだ」


 巽の言葉に山科は途方に暮れたように「はい」と返答する。


「相変わらず私は治癒の魔法しか使えません。蹴上さん以外に私と組んでくれるような物好きはまず見つからないでしょうし、そうなると一人でも続けるか廃業するか……」


 と山科は悩み迷っている様子である。巽は山科に話を続けさせた。


「私には才能がありません、青銅にはまずなれないでしょう。それならせめて治癒メイジとしてマジックゲート社と契約したい。そのためには治癒魔法がもっと上手く使えるようにならなければならず、そのためにはモンスターを狩ってカルマを獲得しないと……と考えているのですが」


「それも決して容易な選択ではありませんよ」


 と円山が話に参加する。治癒メイジのあり方については何も知らない巽は円山に助言を任せることとした。


「山科君は治癒メイジとしても特別優れているわけではありません。君よりも治癒魔法が使える者は今後どんどんと現れてくるでしょう。君はその中でどうやって自分の席を確保しますか?」


 沈黙する山科に代わり巽が、


「円山さんは向こうでは柔道整体師をしていて、その技術はこっちでも使えるんですよね」


「ええ。この技術と治癒魔法の相乗を色々と研究しているところです。こちらでの席を確保したいのなら他人に負けない何かが必要、ということです」


 山科は俯きしばらく沈黙していたが、


「固有スキルさえ目覚めれば……一人でも狩りを続けて固有スキルを手に入れて、それが使えるものならそのまま……でもそろそろ就職活動も考えないと」


 その独り言に対し、巽はつい口を挟まずにはいられなかった。


「普通に就職したいなら冒険者なんか続けずにそっちに専念した方がいい。はっきり言って君には才能がない。それでもこの世界に関わるのなら他人の何倍も頑張らなきゃならないのに、そんなどっちつかずのやり方じゃどこかでモンスターに殺されてそれで終わりになるだけだぞ」


 突き放すようなその忠告に山科は何も反論できない。彼が冒険者を廃業し、付属病院のアルバイトも辞めてしまったのはそれから何日か後のことだった。











「出会いと別れは冒険者につきもの、とは言うけれど」


 冒険者の成長速度は一様ではない。実力が同等の冒険者が集まってパーティを組んでもやがて力量に差が開き、パーティは解散となり、また同レベルの人間が集まってパーティが再結成される。離散集合は冒険者の常であり、しのぶ・美咲・ゆかりの三人のように最初期メンバーでそのまま青銅まで駆け上がることの方がごくまれな例である。解散しないパーティとは停滞したパーティのことであり、どこかの順位で安住してしまい、それ以上上に行けない冒険者達のことだった。


「鞍馬口天馬のパーティもそういう停滞し、石ころに安住してしまったパーティだった」


 と椥辻は言う。


「かけだしでごく低順位だった私を引き抜いてくれたことも、魔核の配分を優遇してくれたことも感謝している。おかげで普通よりかなり早く順位を上げることができたが……石ころに安住したパーティにこれ以上居続けることはできなかった」


 椥辻が組んでくれたおかげで稼ぎも順調であり、ローンの完済ももう目前だ。そうなればまたローンを組んで魔法剣を買って、より上を目指せるようになるだろう。会話のろくにない、ビジネスライクな関係にも大分慣れ、このまま二人で青銅を目指すのも悪くないと思うようになっていた。

 二月最初の火曜日、狩りを終えて椥辻と別れた巽は転移門をくぐって大阪支部へと戻ってくる。棺桶部屋を出て通路を歩いていると、


「あの、花園さん」


 声をかけられた巽が振り返ると、そこに立っていたのは一人の少女だ。


「御陵か、久しぶりだな」


 そう彼女に笑いかけ、そこで巽はようやく気が付いた。御陵汐は精気を失い、今にも泣きそうな顔で俯いている。姿形は変わっていないが以前とはまるで別人のような様子だった。

 どこかで晩飯でも食うか?との巽の誘いに彼女は無言のまま付いてくる。大阪支部を出た巽は駅側へと向かって歩き、途中で一本横道へと進んで適当な喫茶店へと入った。

 喫茶店でサンドイッチといった軽食を頼み、コーヒーで喉を潤し、


「それで、何があったんだ? パーティメンバーと喧嘩でもしたのか?」


 巽の問いに汐は首を横に振った。


「喧嘩じゃないです……パーティを追い出されました」


「何があったんだ?」


 巽が改めて問い、汐はぽつぽつと話し出した。


「……九月試験の合格者の中で特に力のある冒険者が集まってパーティを結成して、わたしはそれに誘われて参加したんです。わたしはその中でもメインアタッカーとして活躍していました……少し前までは。モンスターのレベルが二〇を超えた辺りから急に戦えなくなって……」


 汐の瞳に涙がたまり、それがテーブルにこぼれ落ちた。


「他のみんなは順調に成長してレベル二五、レベル三〇のモンスターを狩れるようになっているのに、わたしだけずっとレベル二〇で足踏みしていて……それで今日、とうとう『レベルが低いから一緒にやっていけない』って言われて」


 汐が両手で涙をぬぐい、巽は「それはひどいな」と一応同情を示す。だが汐は、


「いえ……『レベルが上がらないなら冒険者を続ける意味なんかない』ってずっと言ってきたのはわたしです。それで喧嘩になったことも何度もありました。『弱っちいパーティメンバーに足を引っ張られるのはゴメンだ』――わたしが前に言ったことをそのまま言われて、何も言えなくて……」


 巽は思わず「ああ」と納得の声を漏らしていた。彼女は研修のときから高い実力を有していたが、力のない人間を見下す傾向がありそれを隠そうともしていなかった。おそらくは彼女自身が自覚する以上に、パーティの中で余計なことを何度も口にして周りから反感を買ってきたのだろう。


「パーティを追い出されるときも、わたしをかばってくれる人が一人もいなくて」


「人間関係ってのは積み重ねだ。お互いがお互いに貢献して、気を遣って、優しくし合って……御陵はこれまでそういう方向ではろくに積み重ねてこなかったんだろう。それはもう仕方ない」


 逆方向、マイナス面での積み重ねはしてきたのだろうが、そこまでは言わないのが武士の情けというものだった。


「失敗は失敗として謙虚に受け止めて、今後は同じ失敗をしないようにすればいい。人間関係は一旦リセットしたものと思って、新しい場所で」


「新しい場所……?」


「入れてくれる別のパーティを探してもいいし、しばらくソロで続けてもいい」


 それに対して汐は何も言わず、虚ろな目でただ俯くだけである。かなりの時間が過ぎてから、


「……わたし、順位を上げられるんでしょうか。青銅になることが……」


 今度は巽が沈黙する番だった。神様でもなければ「絶対に無理だ」と断言することはできないだろう。だが「頑張れば青銅になれる」と言うのも無責任な立場からのきれい事でしかない。

 冒険者には「どれだけカルマを獲得しようと魂がそれを糧としない、それ以上は魂が成長しない」という限界点がある。それがどこかは個人ごとに大きな差があり、実際にそこにまで至らなければ知ることはできないが……汐の成長の限界点がここである可能性はそれなりに高かった。

 そうして二人ともが沈黙したまま一時間以上過ぎ、二人はようやく喫茶店を出た。二人は夜の梅田の町を、その裏通りを駅へと向かって歩いている。歩きながらも二人は無言のままだった。


「あれ、駅はこっちじゃなかったか」


 普段通らない道なため間違えたらしい。巽は汐を連れて引き返そうとし、汐が立ち止まって巽のコートの袖を引いた。


「御陵?」


 汐は足を止めて進もうとせず、コートの袖を掴んで巽をその場に引き留めている。彼女は深く俯いていてその顔を伺うことができない。こんな裏通りで、変な連中に絡まれたら、と巽が周囲を見回すと――






「休憩 3,000円~

 宿泊 5,000円~」






 そのとき巽に電流走る――! ざわざわざわ……!

 まさしく稲妻のような速度で巽の脳内を様々な思考が駆け巡った。「奥歯のスイッチ」を使ったときよりさらに高速で無数の計算を行っている。


(誘われている……! 誘ってるんだよな? 行っていいのか? 大丈夫なのか?)


 性欲が巽の背中を強く押す一方、何らかのためらいが巽の足を縫い止めていた。それを振り払うつもりで俯いたままの汐の顔をのぞき込み……


「……はあ」


 巽のその気は一瞬で霧散した。涙を流しているわけではないが、その顔は泣いているようにしか見えなかったからだ。傷心につけ込んで身体を奪うような真似を巽が是とするはずもない。


「御陵、その……」


「奇遇ですね巽さん」


 聞き慣れた声に顔を上げると、そこに立っているのはしのぶ・美咲・ゆかりの三人だ。巽の頭は真っ白となった。


「どうしたんですか? こんなところで」


 彼女達の顔は笑っているがその目は笑っていない。「いや、その」と巽は大いにうろたえた。


「気分でも悪くなったんでしょうか」


「それならわたしが送っていくわね」


「わたし達は先に帰ります」


 ゆかりが汐を家まで送っていき、巽はしのぶ・美咲と共に帰路に就く。ほんの七、八秒でそれが決定し、即座に実行に移された。ゆかりが汐を巽から引き離し、しのぶと美咲は左右から巽を挟み込んで連行するように歩いていく。自宅のアパートに到着するまでの小一時間、巽は神経をやすりで削られるようなひとときを過ごしたという……。











 汐がゆかり相手に色々と話をし、相談をし、彼女がマジックゲート社に廃業届を出したのはその週の週末のことだった。


「まあ相談相手なら俺よりゆかりさんの方がずっと適任だろうし」


 汐の出した結論に対して言うべきことは何もない。ただ彼女の決断を尊重するだけである。ここ数日刺々しかったしのぶと美咲の態度もいつの間にか元に戻り、巽は安堵している。それがゆかり経由で汐の事情を聞いたためだとは、巽は考えもしなかった。

 そしてその週の週末。いつものように「技術向上研修」を開催し、それが終わった後。


「君とのパーティを解消させてもらおうと思う」


 巽に会いに来た椥辻は何の前置きもなしにそう告げる。巽は数回目を瞬かせた。


「……あの、俺に何か至らないところが」


「いや、君に問題があったわけではない」


 と椥辻は首を横に振った。


「ただ、三千番台が集まったパーティに誘われただけだ。彼等の冒険者歴は君ともそれほど変わらない。人数の多い向こうの方がより安全だと判断した」


「俺もそこに、ってわけには……」


「そこにはもう前衛ばかりが四人いる。私が入って五人、これ以上人数を増やしたくないと言われている」


 パーティを組んでたったの二ヶ月足らずで解散と、巽を振り回す結果となったことに椥辻も多少は気まずい思いを抱いているらしいと、その態度から知ることができた。だがだからと言ってその結論を変えるとは到底考えられなかったし、無理に変えさせようとは巽も思わなかった。


「残念ですけど、仕方ないですね。新しいパーティでも頑張ってください」


「ああ、君も頑張ってくれ」


 簡単な別れの挨拶を交わし、椥辻早海が去っていく。それを見送る巽の顔には――笑みが浮かんでいた。ただそれは半分以上自嘲である。


「はは……ああそうだ、仕方ない。人間関係ってのは積み重ねなんだから」


 損得勘定だけでスパルタ団を捨て、椥辻とパーティを組んだ。ビジネスライクな関係に甘んじ、椥辻との間に何も積み重ねようとはしなかった。その結果として椥辻はより「得」を提示できる相手を選び、巽を捨てた――ただ、それだけのことだった。


「ああ、結局ソロか」


 冒険者となって二年近く。いくつもの出会いがあり、同じだけの別れがあり、結局巽は一人である。だがこの二年で何も手にしなかったわけではない。


「今の俺にはコピーしたいくつもの固有スキルがある。二年分の経験があり、人脈がある」


 それに約束があり、待っていてくれる人がいる。巽はただ一人で歩き出した――彼女達の待つ約束の場所へと向かって。

 冒険者歴一年一〇ヶ月、国内順位四五九七位。花園巽はソロになろうと変わらずに青銅を目指す、石ころ冒険者である。




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