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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
一年目
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第二話「一〇年目の冒険者」




 一乗寺ひかりがモンスターに殺され、一乗寺はじめが冒険者を廃業したのは先週のことだが、花園巽は今日もメルクリア大陸にやってきてモンスターを狩っている。

 場所はとある開拓地近くの森林の中。


「てええいいっっ!」


 巽は巨大なメイスを振り回し、オウド・ゴギーを叩き潰した。オウド・ゴギーは老婆の顔を持った毛虫のモンスターだ。体長は一メートルから二メートル、おぞましい外見をしているがレベルはさほど高くない。巽は危なげなく何匹かのオウド・ゴギーを退治し、魔核を回収した。


「いやー、やるねー巽ちゃん。前より強くなったんじゃないの?」


 と声をかけるのは三〇代半ばの男。レンジャーと見られる軽装の防具に、武器は二本の小太刀。短めの髪を脱色し、無精髭を生やしている。


「さあ、どうでしょう」


「メイスは使ってみてどうなの? 長剣よりも使いやすいわけ?」


「そりゃ長剣と比べれば取り回しは悪いですけど、一長一短ですね」


 と巽はため息をついた。


「この破壊力は魅力的ですけど……」


 巽の言葉に男は「なるほどね」と頷く。


「廃業した仲間の遺志を継いで、ってのも悪くはないけどさ」


 その言葉を巽は「別にそういうつもりじゃ」と否定する。その巨大なメイスは一乗寺はじめが使っていたものであり、彼女の廃業に際して、


「あげる。要らなかったら転売して」


 と譲り受けたものだった。


「冒険者をやっていれば知り合いや仲間の廃業なんて日常茶飯事だ。そのたびに武器をもらってたら武蔵坊弁慶になっちゃうぜぇ?」


 それに対して巽は何も言えないでいる。男は一つ苦笑し、話を切り替えるように、


「さて、もう少し進もうか」


 巽は反射的に「はい」と応えてから、


「あの……高辻さん」


 と躊躇いがちに質問した。


「どこまで一緒に来るつもりで」


「なにー? 巽ちゃんと一緒に行っちゃダメなのー? おっちゃん一人じゃ寂しくて死んじゃうのにぃー」


 高辻という男は大げさに嘆いて見せ、巽は「いえ! そんなつもりは!」と焦って言う。


「ただ、俺みたいなひよっこと一緒に狩りをしても意味がないんじゃって」


「狩りは道連れ世は情け、って言うじゃん? おっちゃんは可愛い巽ちゃんと一緒に狩りをするのは楽しいぜぇ?」


 と高辻は笑う。巽は苦笑未満の中途半端な笑みを頬に貼り付けるだけだった。

 今の巽は冒険者歴三ヶ月半、国内順位一万一四四〇位。それに対して自称おっちゃんこと高辻鉄郎たかつじ・てつろうというこの男は冒険者歴一〇年、国内順位六二六九位。今の巽から見れば高辻鉄郎は雲の上の人物に等しかった。

 今日、巽が高辻と共に狩りをしているのはヴェルゲラン支部にやってきたときに偶然会い、高辻がそのままくっついてきたからだが、二人の最初の出会いは三ヶ月以上前に遡る。


「いやー、おっちゃんは巽ちゃんの研修を受け持ったときから『見所がある』って思って目をかけてたんだよー?」


 ありがとうございます、と応える巽は三ヶ月前のことを思い出していた。










 マジックゲート社は試験に合格した新人冒険者をいきなり狩り場に放り出すわけではない。まず一ヶ月間、ベテランの冒険者と行動を共にさせ、狩りのイロハを習わせるのである。一人のベテランが受け持つのは五人から六人の新人・研修生で、期間は一〇日。なおこの研修期間には「狩りは週に一度だけ」という制限は緩和され、三日に一度の狩りが許されている。研修生の側から見たなら五人から六人一組で一〇日間研修を受け、一〇日ごとに指導員が交代し、班は再編成されることとなる。

 そして巽の研修を受け持った指導員の、三人のうちの一人が、最初の一人目がこの高辻だったのだ。


「よおーし、それじゃ行こうか」


 高辻は巽の他五人の新人冒険者を引き連れ、狩りに出発する。ベースキャンプから一時間ほど歩き、彼等はとある狩り場へとやってきた。遺跡が崩れ、瓦礫がちょっとした丘を作っている場所である。


「見ろ、あれが単位さんだ」


 と高辻が指し示す先には、長剣と盾で武装した骸骨が小さな群れを作っていた。


「あれが骸骨兵……」


 と誰かが呟き、高辻が頷く。


「アンデッド系のモンスターで、人間系種族を見かけたら自動的に襲ってくる。AIで自動化したドローンみたいなもんで知能はほとんどなく、どんなに不利になっても逃げ出したりはしない。痛みも感じないから動けなくなるまで徹底的に破壊する必要がある……と聞くと厄介なようだが、動きも鈍くて力も大したことはなく、特別硬いわけでもなく、もちろん魔法も使えない。


 前近代の、農村から徴兵されて二、三回は実戦経験があるくらいの、ごくごく平均的な歩兵と同程度の強さと言われている――つまりはレベル一だ。こいつの魔核を回収すればマジックゲート社は一メルクで買い取ってくれるし、一メルクは換金すれば百ドルになる。


 モンスターはそれぞれ魔核を有しているが、その価値はモンスターごと、個体ごとによって全部違う。例えばゾンビ兵の魔核には骸骨兵二体から三体分くらいの魔力量があるから、二メルクから三メルクの金になる。でもその分骸骨兵の二、三倍の強さがあるから、そのレベルは二から三となる」


 その説明は冒険者である以上は常識に属することなのだが、こうしてモンスターを目の前にした上で説明されれば決して聞き流すわけにはいかなかった。全員真剣な顔で耳を傾けている。


「ジャック・オー・ランタンはレベル一〇で骸骨兵一〇匹分の魔核、ミュルメコレオンはレベル五〇で骸骨兵五〇匹分」


 新人の一人が骸骨兵を指差し、


「だから『単位さん』とか『目盛りさん』とか綽名されているんですね」


 その言葉に高辻は「そういうことね」と頷く。


「つまり、骸骨兵一〇匹を倒せたならレベル一〇のモンスターと戦える?」


「全然違う」


 静かに、だが恐ろしいほどの鋭さで高辻がそれを否定し、新人達は全員息を呑んだ。


「そんな勘違いをしているとすぐに死ぬぞ。……極言すれば、レベルってのはステータスポイントだ。レベルが上がって得られたポイントを何に振るのか、力か硬さか、または速さか魔力か、あるいは賢さか――その辺はモンスターの種類ごとの特性、もしくは個体ごとの個性で全く変わってくる。レベル一〇のゴブリンで、単純な腕力ではレベル一のゴブリンと変わらなくても、魔法が使えたり人間並みに賢かったりする奴もいる。……例えばそうだな、お前がボクサーだとしてだ」


 と高辻が巽を指差し、巽は「はい」と頷く。


「他の条件が全く同じで、お前の速さだけが敵より二割増し三割増しだったとする。敵が二人三人だとして、お前は負ける気がするか?」


 巽が少し考えて「いえ」と首を横に振り、高辻は「そういうことだ」と頷いた。


「レベルでいえば一未満、〇・二とか〇・三とかでも二倍三倍の敵を相手に無双できるんだ。レベルが一上がるってのはそういうことなんだと、まずは理解しろ」


 高辻の言葉に全員が真剣に頷いた。「さて」と高辻が態度を急変させる。彼は元のゆるい笑顔で新人達に指示を下した。


「相手は八体。作戦は何もなしだ、全員で突っ込んで全部蹴散らしてこい」


 その指示に巽を含めた全員が硬直する。


「で、でも、そんな……」


 と誰かが抗弁しようとした。動画や書籍で知識は蓄えてきたが、実物のモンスターを見るのは今日が生まれて初めてなのだ。そこでいきなり「戦え」と言われて急に身体が動くはずもない。そんな一同に対し、高辻は苦笑した。


「ここが地球なら俺だってこんなことは言わないよー? でもここは魔法世界メルクリアで、お前等は何千人もの受験者の中から選ばれた冒険者だ。レベル一程度のモンスターにゃ負けないくらいの力はもう持ってるんだよ」


 それでも動けない巽達に対し、高辻はため息をついて見せる。


「お前等だって冒険者になったからには『最低でも青銅、いつかは白銀』くらいに思ってるんだろ? 石ころのままで終わるつもりはないって」


 高辻は一同の先頭に立ち、骸骨兵へと向かってのんびりとした歩調で歩き出した。


「そう言うおっちゃんは石ころのまま丸一〇年を迎えそうなんだけどねー。残りたい奴は残っててもいいよー? やる気のある奴だけでやっちゃおうぜ」


 そう言い残した高辻が一同から離れていく。意を決した巽がまずその後を追い、結局全員が巽に続いた。


 茂みを抜けて開けた場所に出、彼我の距離は十数メートル。そこでようやく骸骨兵の群れは巽達に気が付いたようだった。ガチャガチャと滑稽な音を立てて巽達に迫ってくる。


「……っっっ!!」


 巽の全身から冷や汗が噴き出た。骸骨兵と言えば雑魚の中の雑魚、ゴブリンと並ぶ雑魚の代名詞として一般人にもよく知られている。「気合いの入ったヤンキーが金属バットで武装していれば勝てないこともない程度」のモンスターであり、冒険者となった自分がそれをこんなに怖がるなどと、巽は想像もしていなかった。

 動画や書籍で理解できるはずもない――髑髏の空洞の眼が自分の姿を捉え、まっすぐに向かってくる怖さなど。錆びた剣を振りかざし、自分を殺そうとしてくる恐ろしさなど。巽は両手で長剣を構えるが身体は彫像のように硬直するだけで動こうとしない。長剣だけが目障りにガタガタと揺れている。


「行けッ!」


 その巽の背中に高辻が張り手を加えた。巽は頭の中を真っ白にしたまま、脊髄反射だけで身体を動かしている。錆びた剣を振り下ろす骸骨兵の横をすり抜け、長剣を横薙ぎに払って骸骨兵の背骨を砕き、その身体を両断した。


「はは……はははは!!」


 敵を一体屠り、巽のテンションは一瞬で針が振り切れた。次の獲物に目星を付けて無造作に走り出す巽。敵の剣を躱し、長剣を骸骨兵の顔面に突き刺し、


「よし、二匹目!」


 このときの巽は骸骨兵のしぶとさを全く理解していなかった。頭部を破壊された骸骨兵はわずかな時間動きを止めたが、それだけだ。骸骨兵の手が巽の腕を掴む。


「な……! こいつ!」


 巽は骸骨兵の胸に膝蹴りを叩き込むが、何のダメージにもなっていない。体勢を崩した巽が後ろに倒れ、骸骨兵はそのままのし掛かってきた。骸骨兵はそのまま両手を巽の首へと回し、首を絞めようとし、巽はその手首を掴んでそれに抵抗する。


「く、くそ!」


 両者の拮抗はそれほど長くは続かなかった。マリオネットの糸が切れたように突然骸骨兵が崩れ落ちる。勢い余った巽は地面の上でじたばたと暴れ、すぐに跳ね起きた。


「て、敵は?!」


 剣を掴んで立ち上がった巽は左右を見回す。だが骸骨兵の掃討はもうほとんど終わっていた。今まで巽を拘束していた骸骨兵は四肢を断たれ、魔核を回収されている。見ると、その横には二本の小太刀を携えた高辻が立っていた。


「あ……ありがとうございます」


「いーよいーよ、研修生のフォローもおっちゃんの仕事だからねー」


 とお気楽な態度で手を振る高辻。骸骨兵を全滅させたことを確認し、一同は次の狩り場へと移動を開始した。


「……あの、高辻さん」


「んー? 何かな巽ちゃん」


 その道中、巽は高辻にこっそりと質問した。


「その……例えばこっち側で怪我をしたりした場合、元の世界にある俺の身体ってどうなるんですか?」


「基本はどうにもならないよー、小さな怪我ならね。でも例えばこっちでモンスターに脚を食われた場合、向こうに戻ったら脚が全く動かず歩けなくなった、って話は聞いたことがある。だから大怪我をしたなら借金してでもこっちで治癒魔法を受ける必要があるわけだ。よほどの大怪我でない限りはその日のうちに治せるからねー」


 その説明に巽は「なるほど」と頷く。


「こっちに蘇生魔法もあったなら死者の数も大幅に減るだろうにね……」


 高辻のその慨嘆に、巽は何も言うことができなかった。


「それじゃその……こっちで粗相をした場合は」


「なにー? 巽ちゃんびびってちびっちゃったわけー?」


 にやにやと笑ってからかう高辻に対し巽は「ちびってねーですし!!」と断固として否定。一同の注目を集めてしまった。


「いや、あの、ちびってねーですから!」


「うん、判った判った。仮にだけどそういうことがあったとしても心配する必要はないよー。基本的に、元の世界に戻ったときに反映されるのは転移直前のこちらでの状態だから」


 へえ、と巽は感心する。


「今、元の世界でおっちゃんや巽ちゃん達の身体がどうなっているのか、偉い学者さん達が色々仮説を立てているけど定説はまだないんだ。棺桶の中は時間が止まっているんじゃないか、っていうのが有力説らしいけどね。


 おっちゃんは若い頃に一月とか二月とかずっとこっちにいて狩りをしたことがあるけど、その後地球に戻っても身体には何一つ支障はなかったぜぇ? 昔は週に一度なんて縛りもなかったしね」


 地球で集められた冒険者がメルクリアに移動する際に使われる「シュレディンガーボックス」。外部からの観測を一切不可能とし、異世界とつながるこの「魔法の箱」は、地球とメルクリアとの往来を実現した――とは言っても物質は一切通せず、行き来できるのは「情報」だけである。巽達が元の世界で棺桶に収まり、「魂」という情報だけがメルクリアまで送られ、ヴェルゲランの棺桶部屋にある棺桶の中身に憑依し、ただの土くれが人間と化す――主観的には身体一つで世界を渡ったようにしか思えないし、事実も限りなくそれに近いが、実際には原子のただ一つたりとも世界の壁を越えてはいないのである。

 ……高辻から様々な話を聞きながら移動し、半時間が過ぎた頃。


「さて、この辺はコリガンやオウド・ゴギーがいるはずなんだが」


 次の狩り場に到着した巽達は適当に間隔を取って周囲を警戒する。そこに茂みががさごそと音を立て、そこから何物かが姿を現し――


「ル・ガルー?! 何故こんなところに……!」


 高辻が蒼白となった。そこにいたのは体長二メートルを超える、二本足で立って歩く、巨大な狼だ。巽も頭の中が真っ白となっている。


「……じ、人狼系モンスターはどれもレベル三桁だって」


「ル・ガルーは人狼系の中じゃ最弱だがそれでも青銅クラスの獲物だ。石ころじゃ手も足も出ん」


 ル・ガルーはあちこちに手傷を負い、苛立っているようだった。ル・ガルーが牙を剥き、低い唸り声を上げる。研修中の冒険者達は「ひっ……!」と悲鳴を呑み込み、嗚咽を噛み殺している。高辻は震えながらも小太刀を両手に構え、ル・ガルーの前に立ちふさがった。


「全員バラバラの方向に散って逃げろ。それで六人のうち五人は助かる……かもしれん」


 そう指示を受けながらも巽達は身動きできないでいる。ル・ガルーの方も動かないまま高辻を見据え……一体どのくらい時間そうしていたのか。巽には何十分も経ったように思えたが、あるいはほんの十数秒のことだったのかもしれない。

 不意に、ル・ガルーが素早く身を翻した。茂みの向こうへと姿を消し、そのまま遠ざかっていく。高辻が訝しげに思っていると、その理由が姿を現した。ル・ガルーのやってきた方向から現れたのは何人かの冒険者だ。上等そうな装備から全員順位はかなり高いように思われた。


「あんた達、ル・ガルーを見なかったか?」


 その問いに高辻がもう一方の茂みを指差す。彼等は「よし」と頷いた。


「追うぞ。絶対に逃すな」


「ああ。あいつを狩れたなら俺達だって青銅クラスだ!」


 彼等はル・ガルーを追って茂みの向こうへと突き進み、去っていく。少しの時間を経て、その場には巽達だけが残された。体内の空気を全て吐き出す勢いでため息をつき、高辻がその場に座り込む。それは巽達も同じだった。


「……モンスターはそれぞれ縄張りを持っていてそこから動くことは基本、ない。だからそれさえ把握していれば自分の実力に応じた狩りができるわけだが……何事にも例外はある。今回みたいに襲ってきた冒険者から逃げ出して、自分の縄張りから外れて、はぐれになってしまったモンスターのように」


「そういうモンスターに出遭ってしまった場合、どうすれば?」


「神に祈れ。幸運と冥福、どっちにするかは自由だが」


 高辻は自分の物言いに自分で笑う。だが巽は追従でも全く笑うことができなかった。










 大きなアクシデントと言えばこのル・ガルーとの遭遇ぐらいで、高辻による研修はその後は特に何事もなく続けられた。……ただ、他の研修生の高辻に対する態度がわずかに変化している。高辻のことを軽んずる態度が微妙に漂っていた。


「偉そーにしてるけどさー、結局石ころなんだろ?」


 その日の研修を終えて解散となった後、巽を除く研修生の面々はそんなことを言い合っていた。


「一〇年も冒険者をやっていて青銅になれなかった、落ちこぼれじゃん」


「もうすぐ強制廃業なんでしょ?」


「ああはなりたくねーよなー」


 と彼等は軽侮を口にし、笑っている。巽はその輪の中に入っておらず、入るつもりもなかった。


「ル・ガルーなんて青銅に上がるための登竜門みたいなもんだろ。一人で狩れなくてどうするんだよ」


「そう言うお前はあれを一人で狩れるのか?」


 巽がその研修生に問い、彼は数瞬言葉を詰まらせた。


「そ、そんなのそのうちに――」


「それができるようになってから大口を叩いたらどうだ。もうアマチュアじゃないんだから」


 巽はそれだけを言い捨てる。彼等は何一つ反論することができなかった。

 ……そして翌日。空気はさらに微妙なものになっていた。

 研修期間の狩りは三日に一度だけなので、それ以外の日は座学であったり、冒険者同士の模擬戦であったり、あるいは町に出てメルクリアンとの付き合いを実地で学んだり、といった内容となる。高辻はヴェルゲランの町を一同に案内しながら、おしゃべりがてら様々な講義をした。だが高辻の話をちゃんと聞いているのは巽くらいで、他の面々は話を聞き流している。単に同じ場所にいるだけで、「研修を受けている」とはとても言えない状態だった。


「……いいんですか、あれで」


 だらだらとおしゃべりをしているだけの四人を横目で見、巽はこっそりと高辻に問うが、高辻は飄々とした態度で「いいんじゃね?」と言うだけだ。


「研修生であっても巽ちゃん達はもうプロの冒険者なんだから、生きるも死ぬも自己責任。この貴重な研修期間をどう使おうと他人がとやかく言うことじゃない、ってことよ」


 あるいはそれは指導員としては冷淡に過ぎる態度なのかもしれないが、正論ではあった。それに他の研修生に対してどうにも好意を持てず、わざわざ忠告してやる義理もない。結局巽は彼等四人が大事な研修期間を無為にするのを見過ごしたままだった。「自分はああはなるまい」と熱心に指導を受け、高辻もそんな巽が可愛くないわけがなく、二人は事実上のマンツーマンで研修を行うこととなる。

 低レベルを中心としたモンスターの特徴、弱点、有効な戦術、毒を受けたときの対処方法、怪我をしたときの応急処置、救援を求めるときの方法など、教育の内容は多岐にわたっていた。また、それは狩りに関する知識だけではない。


「上に行きたいんだったらやっぱりパーティを組まないとねー。ソロじゃ限界があるって」


 「冒険者」という職業、「冒険者」という生き方についての、ベテランならではの含蓄のある話も多く聞くことができたのだ。


「若いうちは貯金よりも装備を調えることが優先だよー?」


「その話はよく聞きますね。やっぱりそうなんですか」


 その問いに高辻は「もちろん!」と強く頷く。


「冒険者やってるとさー、ひよっこの低レベルでも二〇メルク三〇メルクって当たり前に稼げるわけよ。昔は週に一回なんて縛りがなかったから毎日二〇万円三〇万円なんて収入があるってことで、『自分へのご褒美にちょっとばかり遊んじゃおー』ってなるわけね。で、ソーホーにくり出して豪遊して」


 ソーホー?と首を傾げる巽に対し、高辻は「ロンドンの盛り場だよ」と説明した。ロンドンに世界最初の転移門が設置され、設立されたばかりのマジックゲート社が冒険者を大々的に募集し出したのはちょうど一〇年前のことである。


「おっちゃんは古美術品の輸出販売なんて仕事を親から引き継いだんだけど会社を潰しちゃってねー。借金抱えて途方に暮れてたところに『冒険者』なんて商売が突然現れてね。一も二もなく飛びついたわけ。


 運良く冒険者になれて、金も稼げるようになって、借金も完済した。そうなると遊びたくなるのも人情じゃん? それにモンスターと生命のやりとりなんかしているとやっぱりそーゆーお店のお世話になりたくなるわけよ」


 はあ、と巽は曖昧に頷いた。


「江戸っ子じゃないけど『宵越しの金は持たねーぜっ』て感じで、遊びまくったね。素寒貧になってもまたこっちに来ればいくらでも稼げるんだから」


「いい時代だったんですね……毎日狩りができるなんて。それだけ金が稼げるなら装備だって」


「そう! それが大事!」


 と高辻がいきなり大声を出し、巽は目を丸くした。


「おっちゃんもさー、やっぱり後悔があるわけよ。あのとき金を無駄遣いせずに装備に回していたら、もっと上に行けたんじゃないかって。だからひよっこのうちは貯金なんて小賢しいことは考えない! 借金してでもいい装備を手に入れて、討伐実績を上げる! そうでないといつまで経っても下でくすぶることになっちゃうからねー――おっちゃんみたいに」


 と高辻は笑う。巽はとりあえず真面目な顔で頷いておいた。……なお、これらの話は近くにいる他の研修生も耳にしている。自分の失敗談を交えた貴重な教訓なのだが彼等はそうは受け止めず、高辻を軽んずる理由がさらに増えるだけのことだった。


「ロンドンにいたときはあのアルジュナと一緒に狩りに出たこともあったんだぜぇ?」


 自慢げに言う高辻に対し、巽は「おおー」と目を輝かせた。


「あの『黄金のアルジュナ』と……! あの世界最高の冒険者と」


 「黄金のアルジュナ」ことアルジュナ・ソムナート・バンキムチャンドラは世界最初の冒険者であり、現在世界最高の冒険者と言われている。どうやってそれを実現したのか未だ明らかにされていないが、世界の壁を乗り越えてメルクリアンと接触し、彼等と交渉し、「冒険者派遣」という契約を結んだのは彼であり、冒険者を集めるためにマジックゲート社を設立したのも彼である。マジックゲート社の所有者であるアルジュナの総資産は百億米ドルを優に超え、千億に届くとすら言われている。


「あのアルジュナを交えて、ソーホーで朝まで馬鹿騒ぎをしたこともあったなぁ……。一体どうしてここまで差が付いたんだろうなぁ……」


 と高辻は遠い目をする。巽は「いやまー」と何とかフォローを試みた。


「『黄金のアルジュナ』なんて最初から別世界の人間なんですから、比べることに意味なんかないんじゃ」


「確かにそうだけどね。あの頃仲間だった冒険者のうちまだ現役なのは、おっちゃんとアルジュナだけかもしれんねー。他の奴等は適当に金を稼いで引退したか、身体を壊して廃業したか、モンスターに殺られちゃったか。一〇年てのは長いようであっと言う間だなー」


 と高辻は慨嘆した。


「日本政府が熱烈に誘致運動をして、東京と大阪に二番目・三番目の転移門が設置されたのが八年前。おっちゃんはそのときに大阪に戻ってきたのよ。おっちゃん最初期からの冒険者だからね、東京と大阪を行き来して偉そうに指導したもんよ? ……日本も含めて徐々に色々な体制が整ってきて、冒険者のクラス分けやら順位付けやらするようになって。知ってる? 黄金クラスって最初は『黄金のアルジュナ』と同レベルの冒険者、って意味の言葉だったんだぜ?」


 巽は「聞いたことがあります」と頷く。


「まず最初に黄金クラスが成立して、それになぞらえてその下に白銀と青銅ができて、マジックゲート社がそれを公式に採用して。ランク外が石ころと呼ばれるようになったって」


 なお「石ころ」という呼び方――蔑称をマジックゲート社が公式に使用している事実はない。


「三つのクラスが成立して、自分がランク外の石ころだって判ったときは、そりゃショックだったよー? おっちゃんは最古参の冒険者で、あの『黄金のアルジュナ』に見込まれてパーティに加わったこともあるんだぜぇ? ふざけんな!てなもんよ。まー、あのときは荒れたね」


 高辻はそう言いつつ、自嘲を漏らした。


「……でも結局、クラス分けは実力、順位は実績が全てなのよ。おっちゃんあのとき反発して、『俺の実力を見せちゃる!』って無理してル・ガルーを一人で狩ろうとして――ル・ガルーってぎりぎりでレベル三桁だから、青銅クラスを獲るつもりなら狙い目のモンスターなのね。で、死ぬ寸前の大怪我して、何ヶ月も狩り場から遠ざかって、復帰してからもなかなか前のようには動けなくて」


「……それは、大変でしたね」


 巽はそれだけを言うのが精一杯だ。


「本当に大変だったのはその後だけどねー。思い通りにならなくて酒に逃げたり借金こさえたり借金取りから逃げ回ったり結局捕まって大阪湾に沈められそうになったり」


 そう笑う高辻に対し、巽は形式的な相槌を打つこともできなかった。


「狩りで金を稼いで何とか借金を清算して、狩りに集中して、全盛期の動きを取り戻すために頑張って……ようやく最近成果が出てきたところかな。で、結局それで六千番台、それがおっちゃんの実力だったわけ」


 高辻は大きくため息をついた。


「無駄遣いをせず、回り道もせず、まっすぐに上を目指したとして、それでも多分おっちゃんは青銅クラスになれなかったんだろーね」


「あの……」


 と巽は躊躇いがちに訊ねる。


「高辻さんの固有スキルってどんなのですか?」


「ふふん、知りたいかぃ?」


 と高辻は勿体ぶった態度を取る。巽が「教えてください」と殊勝な態度を取り、


「そこまで言うなら教えちゃおうかなー」


 とうきうきした様子を見せた。


「おっちゃんの固有スキル……その名も」


「その名も?」


「『超眼モンスター・スッパダカーズ素破・スペシャル・アイ』!!」


 高らかにその名を名乗る高辻に対し、巽は途方に暮れたような顔をした。


「これがどういうスキルかって言うとだな」


「モンスターの力を見抜けるスキルですか?」


 高辻は「よく判ったな」と驚いた顔をし、巽は「半分は勘です」と適当なことを言った。


「もうちょっと詳しく言うと」


 と高辻が得々と説明する。


「敵モンスターの力量、戦闘力――今の言葉だと要するにレベルだね、それを見ただけで正確に見抜けるのよ。『黄金のアルジュナ』の狩りに同行したのも、この固有スキルを買われてのことなわけ」


「それはすごい便利ですね」


 と感心する巽に高辻は「そーよー?」と胸を張った。


「例えばゴブリンとかによくある話だけど、あいつ等大抵はレベル一、たまに高いやつがいてもレベル二がせいぜいだけど、稀にレベル一〇のやつが混じっていたりする。ひよっこが雑魚相手に無双していて、運悪くその中に飛び抜けたレベルのやつが混じっていて、油断していて殺される、なんて話は珍しくも何ともない。おっちゃん結構最初から固有スキルが使えたからね、危ない橋を渡らずに狩りをすることができたわけよ」


「すごい力ですね」


 と巽はお世辞半分で言うが、高辻はそれを見抜いたように苦笑した。


「確かに最初のうちはこのスキルに文句はなかったんだけどさ……いくらレベルが見ただけで判ったところで、結局レベルの高いモンスターは狩れないんだよね。おっちゃん神様を恨んだよー、『何でこんなスキルなんだ』って。『もっと戦闘力を高めるスキルの方が良かったのに』って」


 と高辻がため息をつく一方、巽は「自分の固有スキルは一体どんなものだろう」と想像の翼を広げた。


「巽ちゃんにだって当然固有スキルはあるはずだよ? メルクリアンが毎回何千人っていう受験者の中からどうやって冒険者を選んでいるのか未だに謎なんだけど、選んでいるのは固有スキルを持っている人間だ、とも言われている。冒険者は全員それぞれ固有スキルを持っている――ただ、それを目覚めさせる方法は判っていない」


「高辻さんはどうやって使えるようになったんですか?」


「ん? おっちゃんは何回目かの狩りのときに『あれ? 俺何でこんなこと判るんだ?』って目覚めてたことに気が付いた」


 何の参考にもならない回答に巽はちょっと失望した。


「固有スキルの目覚め方には何パターンかが報告されている。まず『こっちに来たら普通に使えました』――おっちゃんもこれに近いパターンね。次に『生命の危険の中で目覚めました』ってパターン、俗に言うイヤボーンってやつだね。それと『気が付いたら使えるようになっていました』。人より何か得意なことがあって、それがどんどん上達して、『お前それ固有スキルじゃん』って言われてようやく気が付く――冗談みたいだけどこのパターンはかなり多いのよ。あ、あともう一つ多いのもあったな、『結局最後まで判りませんでした』。固有スキルに目覚めないまま廃業する冒険者はかなりの割合になるはずだ」


「やっぱり固有スキルがあってこその冒険者、ってことですよね」


「『目覚めたけどなんかしょぼかった』ってパターンも多いよね。おっちゃんみたいに」


 と高辻は笑うが、巽には笑えなかった。


「『黄金のアルジュナ』の固有スキルって知ってる?」


「はい、もちろん。『千輻星眼サハスラーラ・ターラー』――確か未来予知の一種でしたよね」


「間違ってないけど……あれはそんな生易しいものじゃないよ。俺が間近で見たのは一回だけだけど」


 と高辻はまるで感慨に耽るように首を振った。


「あのときアルジュナが狙ったのはフェニックスで、レベルは八〇〇〇を超えていた。フェニックスは炎を吐く、って言われているけどありゃ炎なんてもんじゃない、レーザーだ。射程が何十メートルもある超高熱のレーザーを吐いて、四、五メートル程度の岩なら一撃で穴を空けるんだぜ? あんな化け物、後にも先にも見たことがない……けど、アルジュナはそれ以上の化け物だったんだ。


 フェニックスがどれだけレーザーを吐いてもアルジュナには当たらない。アルジュナは普通に歩くくらいの速度で動いて、ときたまスキップするみたいにレーザーを躱して。周りの地面だけが黒こげになって、ひどい臭いが漂っていた。最後には手を伸ばせば触れられるような距離になって、フェニックスが自爆するような勢いで滅茶苦茶にレーザーを吐いても、それでもアルジュナには当たらないんだ。力尽きたのか諦めたのか、動きの止まったフェニックスの首をアルジュナが一撃で刎ね飛ばした。それで狩りは終わりだ」


 高辻は夢を見るようなため息をつき、それは巽にも伝染した。


「結局俺のスキルなんて何の意味もなかったけど、あの狩りに同行した経験を、俺は心から誇りに思うよ」


 その言葉に巽は深く頷き賛意を示した。


「アルジュナの他に直接知ってる黄金クラスは、シャドウ・マスターとか鉄仮面とかかな。黄金クラスは別次元だけど、彼等だけじゃない。白銀クラスも青銅クラスも、上まで行った人間はみんなそれぞれすごいものを持っている。固有スキルはもちろんだけど、それ以外も」


「それ以外って?」


 巽のその問いに、高辻は適切な言葉を探しているようだった。


「オーラと言うか、存在感と言うか、そんなもんだ。なんか『人間として別格』って感じがするんだよ、青銅から上は。固有スキルが何なのかは諸説あるけど、少なくともそれは単なる得意技なんかじゃない。『人生の軌跡』とも『魂の形』とも言われている。それがこの魔法の世界に来て具現化したものだ、と」


「魂の形……」


 巽は夢想をする、自分の魂の形は一体どのようなものなのだろうと。子供の頃から憧れた黄金クラス、白銀クラスの冒険者達、彼等のそれのように輝かしいものを――巽は願わずにはいられなかった。……だが、


「結局、青銅から上と石ころは別物なんだよ」


 高辻が巽に「冒険者の現実」を突き付ける――そんなつもりはなかったのだろうが。


「一〇年間冒険者を続けて青銅になれなかったら冒険者登録を抹消する――そういう規則があるのは知ってる?」


 無言で頷く巽に高辻が続ける。


「冒険者という商売が世の中に現れてようやく一〇年、おっちゃんはこの規則の適用第一号になりそうなんだよねー。他の連中は上に行くか、そうでなければ見切りを付けるかしてて、一〇年も石ころで燻ったままの阿呆はそれほど多くないらしい。……前は『何でこんな規則があるんだ』って恨みもしたけど、今は『それなりに意味はある』と思うようになっている」


 と高辻は透明な笑顔を見せた。


「おっちゃんみたいなダメ人間はありもしない希望に惰性でいつまでもすがりつくから、他者がそれを切って捨てる必要があるのよ。結局、上に行ける人間は最初からそれだけのものを持っていて、そうでない人間はどれだけ頑張ったところで最後まで石ころのままなんだから。このメルクリアがどんなにファンタジーっぽい世界だろうと、どこまで行こうとここはままならない現実そのものなんだろうね」


 巽は高辻に対して言うべき言葉を何も持たなかった。巽は冒険者となって数日しか経っていない研修生で、駆け出しのひよっこですらないのだから。

 巽はまだ何も知らない――自分の力も、冒険者の現実も。「何千人もの受験者の中から選ばれたのだから、子供の頃からの夢だった冒険者となれたのだから、自分の未来は薔薇色だ」と疑いもなく信じている。

 ――そして高辻の指導が終わり、一ヶ月の研修が終わり、巽は冒険者として独り立ちをする。ひよっこ冒険者となって二ヶ月半、高辻の語っていた「冒険者の現実」を巽は肌身で実感するようになっていた。











「よし、これで片付いたかな」


 出会い頭で遭遇した何匹かのコリガンを、巽は危なげなく始末した。コリガンは体長一メートル弱。全身に毛の生えた、猿に似た姿のモンスターだ。


「いやー、巽ちゃんは真面目だねー。あんなレベル一以下の雑魚も見逃さないんだから」


 まるで揶揄するような物言いだが、高辻がそんな人間でないことは巽も理解している。


「金欠ですし、多少なりとも金になるんですから」


 その回答に高辻は感心したように「うんうん」と頷いた。


「巽ちゃんが先週臨時パーティを組んだって言う、一乗寺姉妹だっけ。話に聞くだけでもその二人が才能に溢れているって判るよ。戦士職の子の方はもう固有スキルも使いこなしていたんだよね」


 ええ、と頷く巽はメイスを振るうはじめの姿を回想していた。メイスを手に触れずとも自在に操る「百手の巨人」。あんな固有スキルが自分にもあれば、と巽は羨望せずにはいられない。


「運に恵まれればその子達もあっと言う間に青銅まで駆け上がっていたのかもしれない。でもなまじ才能があった分足下を固めるのが疎かになり、結局ゴブリンごときに殺されて廃業してしまった……まあ、よくある話だけどね」


 と高辻は肩をすくめる。


「『こいつはすげぇー!』って思ってた奴がぱっとしないまま廃業したり、その逆に『こいついつまで続くかな?』って半分見捨ててた奴がいつの間にかおっちゃんを追い抜いていったり、そんな話はいくらでもしてやれるぜぇ? 巽ちゃんがどんな冒険者になるのか、今の時点では誰にも判らない。アルジュナの固有スキルだって見通せない。でも、最後に笑うのは真面目にコツコツやってる奴なんだよ、きっと。巽ちゃんは飛び抜けた才能は持っていないようだけど、真面目に頑張っていればいつかは報われるから」


 そうでしょうか、と巽は呟くように応える。高辻は笑顔を見せるだけで何も言わなかった。


「――さて、おっちゃんはこっちだから」


 そこから少し進んだ先の分かれ道で、巽が左に進もうとする一方で高辻が右の道を差し示した。そうですか、と巽はちょっと残念そうに言う。左側は低レベルモンスターの縄張りだが、右の道を進んだ先にいるモンスターは今の巽では戦える相手ではなかった。


「それじゃあな、頑張れよ」


 高辻はそう言い残して右の道を進んでいく。巽は少しの間だけその背中を見送るが、やがて自分の道を歩き出した。


「さて、この辺までは研修で一回来ているけどここから先は初めてだから注意しないと。この先にいるのは確かガイトラッシュやアウフホッカー……」


 巽の足が止まる。しばらく前にマジックゲート社が出していた注意報、ル・ガルーが低順位向け狩り場の近くをうろついているという話。あれはこの辺りのことではなかったか。あれは右の道の先のことではなかったか。


「てっきりもう討伐が終わっていると思っていたのに……!」


 よくよく考えれば注意報が解除されたという話は聞いていない。その確認もせずに、ル・ガルーが出てくるかもしれないこんな場所に狩りにやってきた巽は「迂闊」とたとえ千回罵倒されても何も反論できなかった――だが今の問題はそれではない。


「高辻さん……!」


 巽はY字路まで元来た道を引き返し、右の道へと足を踏み込んだ。高辻を追って全速力で走っていく巽。途中二回ほどレベル二〇を超えるようなモンスターの姿を見かけ、巽は必死に身を隠して全力で息を殺した。その甲斐あって死ぬことなく道を進むことができたが、その間に高辻はずっと先まで行ってしまったようだった。


「く……くそ、一体どこに」


 かなりの時間走り、巽は高順位向け(今の巽から見て)の狩り場の直中に足を踏み入れていた。そこはレベル三〇を超えるような化け物が普通にうろついている場所であり、それを狩る冒険者も七千番台に達する、それ以上の化け物ばかりだ。今の巽にとっては雲の上の世界であり、場違いなこと甚だしかった。

 そして、そんな化け物でも手も足も出ないのがレベル三桁に達するル・ガルーなのだ。それから見れば今の巽など塵芥と同じである。


「……さすがにこれ以上は」


 早く引き返すべきだと理性が最大音量で警報を発し、それでもずるずると前に進み続け、高辻の姿は見当たらない。息が切れて巽の足が止まり、そこでようやく巽は引き返す決断をすることができた。巽がきびすを返した、まさにそのとき。


「お、お前どうして」


 巽を見かけた高辻が大急ぎで駆け寄ってくる。巽もまた高辻に向かって再度走り出した。


「高辻さん、ル・ガルーを狩るつもりなんでしょう?」


 巽の問いに彼は一瞬言葉をなくした。巽は言葉を重ねる。


「帰りましょう、高辻さんの順位じゃ無茶です」


「うるせーよ! たった三ヶ月の駆け出しが誰にものを言ってやがる!」


 高辻が鋭い怒気を発する。だが巽は怯まず、まっすぐに高辻を見つめた。少しの間両者が無言でにらみ合うが、先に目を逸らしたのは高辻だった。


「……丸一〇年までもう時間がないんだ。ル・ガルーが狩れれば俺だって青銅クラスだ。無茶なのは判っているが、今無茶をせずにいつするんだよ」


「で、でも、それで死んだら……六千番台の適正レベルって四〇でしょう?」


「たったの二倍ちょいじゃねーか、何とかなるなる」


 と高辻はふざけて笑うが、巽にはそれは虚勢にしか見えなかった。


「伊達に一〇年も冒険者をやっていたわけじゃねーよ。そしてこんなところで終わりにするために続けてきたわけでもない。俺はまだまだ戦える、冒険者を続けられるんだ」


「でも」


「でももストもなしだ、お前はさっさと帰れ……って一人で帰すのも危険だな。どうするか」


 と迷う高辻。だがその時間もほとんどないまま事態は急変した。百メートルほど先の茂みががさごそと音を立て、その中から何者かが姿を現そうとしていた。高辻は一瞬で木陰に身を隠し、巽が大慌てでそれに続いた。木陰から様子を窺う二人の目に入ったのは、二本足で立って歩く、巨大な狼の姿である。


「ル・ガルー……!」


「お前は絶対に動くなよ」


 巽が震える身体を必死に抑えている一方、高辻は両手に小太刀を握り締めた。高辻の手は小さく震えているが、それだけである。ル・ガルーは早くも遅くもない速度で移動、巽達がいる木立の方向に向かっている。

 ル・ガルーは一秒ごとに二人に接近していた。巽の身体は硬直すると同時に振動している。歯がガチャガチャと音を立てているのが喧しく、衣擦れの音が煩わしく、心臓の鼓動の音が耳障りだった。ル・ガルーにこの音が聞こえるではないかと――ル・ガルーがこちらを見つめた。


「――!」


 巽の息が止まる。ル・ガルーが二人のいる場所に金の虹彩を向けている。こちらを見続けている。二人の存在に気が付いている、そうとしか思えなかった。巽は生きた心地がしていない。もう殺すなら殺せ、とそんなことすら考えている。


「Ggrruu……」


 ル・ガルーは小さく唸るが、それは巽のことを鼻で笑ったかのようだった。ル・ガルーは二人のすぐ前を悠々と歩いていく。すぐ前を通り過ぎ、やがて背を向けて遠ざかっていく。まるで、雑魚そのものの巽には食指が動かない、と言わんばかりに。


「た、助かった……?」


 油断するにはまだ早い。ル・ガルーの背中は手を伸ばせば届きそうなくらいにすぐそこなのだから。安心するのはもっと遠ざかってからだが、巽も少しは周囲を気にする余裕を取り戻していた。――そして思い出すのだ、自分が何をしにここに来ていたかを。


(高辻さん――!)


 高辻が下手にル・ガルーに仕掛けたなら自分も危うくなるのは間違いない。巽は彼のためではなく自分のために高辻を止めようとし、


「……っ」


 高辻の額は汗でずぶ濡れになっていた。二本の小太刀を、指が折れそうなほどに強く握り締めている。全身を屈め、バネのように力を溜め、ル・ガルーを襲撃するタイミングを計っている――だがル・ガルーは遠ざかる一方だった。襲撃の機会は刻一刻と失われていく。巽は怪訝に思いながら高辻を見つめている。

 そして少しの時間を経て――まるで一時間も二時間も過ぎたように思えたが、実際には一、二分のことだったのだろう。ル・ガルーは完全に姿を消し、見逃された二人は地面に座り込んでいた。


「はは……」


 高辻の手から小太刀が滑り落ち、地面を転がった。


「――巽ちゃんには前に言ったよね、おっちゃんの固有スキルが何なのか」


「はい、見ただけでモンスターの強さが判るっていう」


「うん、モンスターのレベルを正確に把握できるってスキル。おっちゃん見ただけで判っちゃうんだよねー、自分に狩れるモンスターかどうかが。もちろんあのル・ガルーも」


 と高辻は天を仰いだ。


「このスキルがあったからこそ今まで死なずに済んだけど、レベルを無視した冒険もしなかった……いや、できなかったかな」


 固有スキルの力で一〇年間冒険者を続けてきたのなら、その固有スキルで丸一〇年のとどめを刺されるのも、そういう運命なのだろう。固有スキル「超眼素破」は高辻鉄郎という男の「魂の形」であり、「人生の軌跡」なのだから。

 高辻が先に立ち上がり、巽の手を引いて立ち上がらせる。高辻はまるで憑き物が落ちたかのようにさっぱりとした様子だった。


「さて、帰ろうか」


 巽は「はい」とだけ返答する。そして二人は何事もなくベースキャンプまで帰還し、ヴェルゲランを経由し元の世界の日本へと戻ってくる。

 ――高辻が冒険者となって丸一〇年を迎え、冒険者登録を抹消されたのはその週のことである。











 翌週の火曜日、巽は狩りをするためにメルクリア大陸へとやってきていた。ヴェルゲラン支部へと到着し、その建物を出たところで、


「あれー、巽ちゃんじゃないのー」


 背後からかけられたその声には、馴れ馴れしいその口調には聞き覚えがあり、巽は大急ぎで振り返った。するとそこにはよく知った人物の姿が。


「よっ、一週間ぶり」


「た、高辻さん……どうしてここに」


 廃業したはずの高辻の姿に、巽は目を丸くしていた。高辻はそんな巽の様子を面白がっている。


「何、冒険者は廃業させられたけどマジックゲート社とは別の契約をしたんだよ。新人の研修やら講習やらを専門にやる、安全指導員ってやつ」


 マジックゲート社はモンスターを狩る冒険者の他、そのサポートをする人材も数多く抱えている。治癒魔法を専門とするメイジの医者などがその代表だが、安全指導員も高辻一人の話ではなく既にそれなりの数を揃えていた。

 これからは後進をビシバシ鍛えるよー、と笑う高辻と一緒に巽も笑っていた。


「そうなんですか。これからも頑張ってください」


「巽ちゃんもねー。なかなか順位が上がらなくても、真面目にコツコツ頑張っていれば報われるから。多分きっとめいびー」


 ありがとうございます、と頭を下げて高辻と別れ、巽は一人歩き出した。向かう先は狩り場であり、巽は一歩一歩を踏みしめて歩いていく。そこにどれほどの困難や試練が待ち受けていようと。目指すべき場所がどれほど遙か彼方でも――




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[良い点] 効率の良いレベル上げの手段があっても仲間がチートなら実戦経験値なんてたまりませんからね パワーレベリングされていて敵に勝てないのは余程ステ振りミスったのでしょうね 強い人のスピードについて…
[良い点] こういう話好きです。
[良い点] そして、100%勝てる戦いだけした冒険者が2タイプ紹介される。黄金のアルジュナとおっちゃんである。 うーん現実は厳しい。
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