第二〇話「スキル・コレクター」
カレンダーが一枚めくられて暦は一一月、その初日。巽はマジックゲート社ヴェルゲラン支部へとやってきていた。
「おはようございます、高辻さん」
「おう、来たねー」
ヴェルゲラン支部の一角の、鍛錬場。そこで巽のことを待っていたのは高辻だったが、彼だけではない。五人ほどの冒険者がやや緊張した面持ちで列を作り、背筋を伸ばしている。彼等が期待に満ちた視線を巽へと浴びせ、巽は素知らぬ顔を保つべく最大限の努力を払っていた。
「それじゃ巽ちゃん、挨拶」
高辻に促され、巽はその五人の前へと進み出た。
「花園巽です。俺の固有スキルは他者の固有スキルをコピーするというもので、俺は固有スキルとそうでない普通の技能を見分けることができます。完全に目覚めていなくても、目覚めかけていれば判ります――ただ!」
過剰な期待を戒めるべく、巽は語気を強めて彼等を見回した。
「判るのは本当に覚醒に近い状態のものだけです。多少なりとも目覚めていなければ固有スキルも普通のスキルも区別できません。それに、その目覚めかけの固有スキルを俺の目の前で使ってもらう必要があります。例えば『自分の固有スキルは剣技に関するものだ』って思っていて延々とそれ見せられても、実は全く関係ない……例えば移動技だとかの固有スキルだったりすることも、もしかしたらあるかもしれません」
「ま、これで固有スキルが判ったら儲け物。判らなくてもあまり落ち込まないように、ってところだね」
高辻がへらへらと笑いながらいつもの軽薄な口調でそう言うが、五人の冒険者は真剣な表情をわずかも崩さない。まるで「ここで固有スキルを得られなければもう永久に手にする機会がない」と言わんばかりの、切羽詰まった面持ちだ。巽と高辻は似たような、困った顔を見合わせた。
「……ええっと、それじゃ行きましょうか。一人一人得意な技を見せてもらおうと思います」
巽が鍛錬場の中へと移動し、五人の冒険者がそれに続く。高辻がその最後尾をついていった。
……事の発端は二〇日ほど前にさかのぼる。御陵汐・蹴上王仁丸・山科環に対する一〇日間の指導を終えて、巽が高辻に研修の報告をしたときのこと。
「にしても、たった一〇日で固有スキルに目覚めたのが三人のうち二人。すごい確率だね」
神ゴリ子が「わたしのところには一人もいなかった」と言い、熊野が「俺のところもだ」と頷いている。場所はマジックゲート社ヴェルゲラン支部の事務室、その片隅で巽と熊野と神ゴリ子が高辻に口頭で簡単な報告しているところだった。
「やっぱり巽ちゃん、安全指導員に向いてるんじゃないの?」
「固有スキルを見つける、何かコツでもあるのか?」
「俺は何もしていないです。二人ともほぼ自力で目覚めて、俺はそれを見て『これ固有スキルじゃね?』って指摘しただけで」
熊野と神ゴリ子は「まあそんなものだろうな」と言わんばかりの顔をし……高辻は訝しげ目を巽へと向けた。
「ちょっと待った。巽ちゃんは固有スキルとそうでない技をどうやって見分けているわけ?」
「いや、見たら判るでしょう?」
「え?」
「え?」
高辻も巽も、互いの言っていることがすぐには把握できないでいた。
「そりゃ、見たらすぐに判る固有スキルも多いけどな。見ただけじゃ判らないのも同じくらい多いぞ」
「でも固有スキルって、なんかこう……独特の空気を持っているでしょう?」
なんだそりゃ、と神ゴリ子は笑うが高辻は笑いはしない。滅多に見ない真顔で真っ直ぐに巽を見つめている。
「ちょっと待って、ちょっと待って。……えーと、そうだ、試してみようか」
高辻は巽達三人を連れて事務室を出、建物の外へと移動した。
「姉御は固有スキルを使っていることが判らないようにしながら使うことってできない?」
「できなくはないよ。大した力は出せないけどね」
それでいいから、と高辻が言い、それじゃ、と神ゴリ子が巽と向き合った。
神ゴリ子が顔の前へと持っていった右拳を握り締める。数秒間力を込めたそれがジャブとして放たれ、巽はそれを掌でブロックした。
「今のは普通のパンチでしたね」
フェイントを見抜かれた神ゴリ子が面白そうな顔をする。「それじゃこれは?」と右・左・蹴りの連続攻撃を放ち、巽は三つとも難なく避けた。
「最後の蹴りだけ『剛力招来』を使っていました」
巽の指摘に神ゴリ子が目を見開く。横で見物している高辻と熊野は、
「今の判った?」
「いいや、全く」
という会話を交わしている。むきになった神ゴリ子が固有スキルを使った攻撃とそうでない通常攻撃を織り交ぜて放つが、巽はその全てを一つも間違えずに指摘した。
「いや大したもんだがよく考えたらこいつ、『見ただけで固有スキルをコピーする』って反則技の使い手なんだよな」
「コピーするには理解しなきゃいけないわけだから、固有スキルかどうかくらいは見て判らなきゃ話にならないんだろうね」
「こいつのスキルのことを思えば別に驚くような話じゃない気がする」
熊野達の感想に巽は「そうですね」と頷く。だが高辻は「いやいやいや」と大きく手を振った。
「自分の固有スキルが判らなくて悩んでいる冒険者が何千人いるか知ってる? 巽ちゃんのその目はそういう冒険者とって福音になるかもしれないんだよ?」
「いえ、ですけど俺が判るのはもう完全に目覚めているかほとんど目覚めかけているスキルだけで」
「それで充分だから! 目覚めていても自覚のない奴だって大勢いるんだから!」
高辻はそう言って巽を押し切ってしまう。そして各所に連絡して「固有スキルが判らなくて悩んでいる新人冒険者」を何人か集め、巽がそれを見出せるかどうかを試みたのが一一月初めのこの日。研修が終わって巽の身体が空いてすぐのことだった。
五人の冒険者が巽の前でそれぞれの得意技を披露し、また一人一人と巽が模擬戦をやり、それらが一通り終わった後。
「それでどう? 巽ちゃん」
「固有スキルを使っている人はいなかったです」
五人の冒険者は落胆を禁じ得ない様子で、巽は「済みません」と身を縮めている。高辻は手をあごに当てて考え込んだ。
「……模擬戦で判らないなら、実際の狩りに行ってもらうしかないかな」
「でも、今週分の自分の狩りはもう行きましたよ」
「大丈夫、自分の狩りとは別扱いで行けるようにするから。『技術向上研修』の枠を使って」
例えば新人研修が終わったばかりのひよっこを対象とし、ベテランのレンジャーやメイジが講師となって自分の技術を伝授するのが「技術向上研修」の典型である。受講料の相場は一メルクから三メルク程度。マジックゲート社は仲介はしても中抜きはせず、それを全て講師へと渡している。
講師となった巽が五人の受講生を連れて狩り場へと赴いたのが翌日、
「一人だけですけど固有スキルが判りました」
と高辻に報告したのはその夕方のことだった。
「斥候をやっていた人がモンスターを探知する固有スキルを使っていたんです」
「なるほどね、それは模擬戦では判らんわな」
と感心していた高辻だが、不意に表情を切り替えた。
「ともかく、巽ちゃんのその目で固有スキルを見出せることがこれで確認できたわけだ」
「でも五人のうちの一人だけですよ?」
「打率二割でも充分すごいって! 明日からもどんどんと研修をやってじゃんじゃんと固有スキルを見つけてもらうからね!」
気炎を上げる高辻に対し、巽は「はあ」生返事をする。高辻は「技術向上研修」のスケジュールを週二回で組み、参加者の割り振りを進めていった。できるなら毎日でも「技術向上研修」を開催したいところだが、それで疲労を溜め込んだ巽に万一のことがあれば責任の取りようがない。普段の狩りとは別の週二回の狩りは、研修の名目で許される最大限の数字だった。
巽としても、受講料を稼げる上に週二回普通より多く狩りに行けて、さらに固有スキルを見出せたならそれを遠慮なくコピーできるのだから文句などあろうはずもない。ただ、そうなると町工場にアルバイトに行く余裕などなくなってしまい、
「そうか、残念だな」
「長い間お世話になったのに、済みません」
場所はアルバイト先の町工場、その事務室。部長さんを前にした巽は深々と頭を下げている。九月の半ばから新人研修の準備が始まり、一〇月は研修に追われ、この工場に来ることができたのも一月半ぶりだった。もっとも、訪問の理由は正式にこの町工場を退社するためなのだが。
「まあそれでもお前が青銅クラスになれたのなら祝ってやらんとな」
「いえいえとんでもない。青銅なんてまだまだ先です」
と巽はあらぬ誤解をされないよう強く否定した。
「ええっとそのー、向こうで世話になっている人にサポート業務の方を手伝うように頼まれまして」
巽が四苦八苦しながら曖昧な説明をし、部長さんは理解したような素振りで「そうか」と頷いた。
「最近若い奴を一人入れたんで頭数だけは何とかそろったんだが」
「ああ、それは良かったです」
かける迷惑が最小限で済みそうなことに巽は露骨に安堵する。そこに、
「部長さん、旋盤が動かねーんですけど」
と事務室に顔を出す若い作業員。強いパーマのリーゼントを金と赤に染めた、どこかで見たような顔の……
「蹴上? どうしてここに」
驚いた様子の巽に対し、蹴上王仁丸の方は当たり前の顔をしていた。
「狩りだけじゃ食っていけねーでしょうが。生活のためっスよ」
「そうか。俺もここでバイトしていたんだ、今日で辞めたけど」
「知ってるっスよ」
だからバイト先にここを選んだんじゃねーか、という言葉は王仁丸の口の外に漏れることはなかった。
「花園、済まんな」
「いえ、こちらこそお邪魔しまして」
億劫そうに立ち上がった部長さんが工場内に向かおうとし、巽もまたお暇することとする。その二人に王仁丸も加え、三人が途中まで一緒に移動した。
「それじゃ蹴上、事故のないように。あと職場の人達に迷惑かけないようにな」
「何先輩面してんだよ」
そっぽを向いてそう言う王仁丸に対し、部長さんがその尻に蹴りを入れた。王仁丸はやや痛そうな顔をする。
「済まんな、次に会うときまでに教育しておく」
「ほどほどにしてやってください」
巽は工場の中へと消えていく王仁丸と部長さんの背中を少しだけ見送った。この工場の従業員には王仁丸の同類、つまり元ヤンキーや元暴走族などが大勢いるし、部長さん自身がその代表格のような人物だ。部長さんは王仁丸のような若者の扱いには慣れていて、実際王仁丸は既に部長さんに懐いているように見受けられた。つまりはこの工場は王仁丸向きの職場だということだった――仕事がきつくて筋肉を酷使するという意味でも。
「ま、頑張れ」
巽はそう言い残してその工場を後にする。工場の工員という、二足目のわらじを脱ぎ捨てた巽は冒険者稼業に集中することとなる。普段の狩りに加えて週二回の「技術向上研修」を開催し、巽の一一月は慌ただしく過ぎていった。
「それで何人の人の固有スキルを見出したんですか?」
「えーっと」
しのぶの質問に巽が指折り数えている。ときはもう一一月の下旬のある日、場所はメルクリア大陸ヴェルゲラン。巽はしのぶ・美咲・ゆかりの三人と会っているところだった。元の世界側では週に一、二回は一緒に夕食を食べたりしているが、こちら側で顔を合わせるのはパーティを抜けてからは初めてかもしれなかった。
「三〇人以上研修をやったけど、そのうち固有スキルを見つけられたのは五人かな」
「打率二割弱ですか。すごいですね」
と美咲が感心する。なお巽の「技術向上研修」は評判が評判を呼んで参加希望者が殺到していて、当初一メルクだった受講料が現在は四メルクまで値上げされている。それでも受講希望者が減ることはなく、順番待ちが長蛇の列を作っているような状態だった。
「それじゃ巽君は五つの固有スキルを手に入れたの?」
「いや、そのうちの一つは固有魔法で一つは探知技だったから、コピーできたのは三つだけです」
巽の固有スキル「つぎはぎの英雄」はあらゆる固有スキルをコピーできる……わけではない。メイジの固有スキルである固有魔法はコピーできず、高辻鉄郎の「超眼素破」のような探知系スキルもまたコピー不可能である。巽がコピーできるのは「身体か武器を使うスキル」に限定されているようだった。
「新人研修のときも含めれば五つもスキルを追加したのよね。見せてよ、見せてよ!」
と子供のようにせがむゆかり。巽は苦笑しながら「それじゃ」と三人を連れて鍛錬場へと移動した。
鍛錬場の片隅。巽はしのぶに一枚の枯れ葉を持たせ、そこから数メートルの距離を置いて立っていた。しのぶは腕を大きく伸ばし、枯れ葉と顔をできるだけ離している。
「あー、あー、あー」
軽く発声練習をした巽が咳払いをし、態勢を整えた。巽は大きく息を吸い込み、
「うーやーたー!!」
その口から発せられた大音声にゆかりと美咲が目を丸くする。大音声は衝撃波となってしのぶが持つ枯れ葉を粉砕。しのぶは葉脈だけとなった枯れ葉をまじまじと見つめた。
「口から超音波? 衝撃波?を発するスキルですか」
「うん。これ持っていたのは昔声楽やっていたっていう女の子で、その子はこれで吸血コウモリを撃ち落としていた」
「しのぶちゃん、手は大丈夫?」
ゆかりの問いにしのぶは手を振り、裏表を見回して確認。「何ともないです」と笑顔で返答した。
「まあ、今の俺じゃ蠅を撃ち落とすくらいが精一杯だから」
気まずそうにそう言う巽に対し、ゆかりはごまかすように「次いってみよー」と先を促した。
「ええっと、次は、手から熱線を出すやつです」
巽が両腕を突き出し、掌を大きく広げる。その掌が赤い光を放ち、三人は「おー」と感心した。ゆかりはその掌に顔を近づけ、指で少しだけ触ってみたりする。
「巽君、巽君」
巽に背中を向けたゆかりが突き出された掌に自分の肩を押し当てた。巽はそのままマッサージを開始し、ゆかりは「はぁー、きもちいいー」とだらけた声を出している。
「……何をしているんですか」
「美咲ちゃんもやってもらったら? 暖かくて気持ち良いよこれ」
美咲が咎めるように問うがそれで怯むようなゆかりではない。ゆかりはそのまま凝りがほぐれるまで巽に肩もみをさせた。
「いや、本気になれば火傷するくらいの温度は出せるんだけど、滅茶苦茶魔力を使うから。冒険者としてレベルアップすればこれでモンスターを倒せるようになるのかもしれないけど」
「そこまで成長するまでにとっくに青銅になっているんじゃないんですか?」
巽が「うん、まさしく」と素で頷き、呆れた美咲が肩をすくめた。
「それで三つ目が……」
「『口から超音波』『手から熱線』と来てるから、最後は『目からビーム』かも」
「うん、正解」
冗談のつもりだったゆかりは「本当に?」と目を丸くする。
「ただこれも今の俺じゃライト代わりにするのがせいぜいなんだけど」
そう言って巽は両手を双眼鏡を持つような形にして顔に当てた。
「セイッ!」
気合いと共に巽の両眼がサーチライトのような強い光を放ち、三人は咄嗟に目をかばう。そして巽は「うおっ、まぶしい!」と両目を押さえて呻き、
「あなたがまぶしがるんですか!」
と美咲がハリセンで突っ込みを入れた。
「……とまあ、これは諸刃の剣のスキルだから素人にはお勧めできない」
「使える人は二人しかいません」
「レベルアップして技の収束を極限まで高めて、魔力を無制限に注ぎ込めばもしかしらたドラゴンだって倒せるようになるのかもしれないけど……」
「遙かに遠い道ですね。普通に青銅を目指した方がいいんじゃないでしょうか」
巽が「うん、その通り」と肩をすくめ、美咲は呆れ果てたようなため息をついた。
「それで結局、使える固有スキルはなかったんですか?」
「新人研修のときに受け持った子が持っていたやつは即戦力として使える技だな」
巽と美咲はそれぞれ木刀を用意し、それを構えて向かい合った。一呼吸だけ置き、模擬戦が始まる。巽が美咲へと突進し、美咲はそれを迎撃する態勢だ。巽が上段から大きく剣を振りかぶり、
「阿修羅拳!」
木刀が三つに分身し、三箇所への同時攻撃が美咲へと襲いかかる。美咲は目を見開きながらもその二つを剣で防御し、一つを躱す。攻撃が不発に終わった巽は小さく苦笑した。
「まだ慣れてなくて大した威力は出せないけど、もっと練度を高めれば切り札の一つになる技だと思う。美咲には通用しなかったけど」
「いえ、出す技が判っていたから防御できただけです。不意打ちだったならどこまで対処できたか……」
それにしても、と美咲が腰に手を当て、刺々しい目を巽へと向ける。
「固有スキルのコレクションでもしているわけですか」
「いや、俺が上を目指すにはこうやって一枚でも使える手札を増やしていかないと」
「普通の冒険者は一枚しか手札がなくて、それでも何とか頑張っているんですよ?」
美咲の追及に巽は気まずそうな顔をした。
「そんなわけで今の『阿修羅拳』はわたしに譲ってください」
「何が『そんなわけで』なんだ?」
巽の突っ込みを美咲は無視し、さらにはしのぶも加わり、
「それならわたしは『蜉蝣』、あれがほしいです」
「ああ、確かに。そっちの方がいいかもしれません」
「『疾風迅雷』も『空中疾走』も『百手の巨人』も、使えたなら色々と捗りますよね」
そんな話で盛り上がっている。取り残された巽は途方に暮れたような顔をした。
「ま、巽君の『つぎはぎの英雄』はわたし達から見ても羨ましくて仕方ない反則技で、普通の冒険者からすれば垂涎と嫉妬の的ってことね」
ゆかりがそう話をまとめ、巽は「判っているつもりです」と頷いた。
「今回の『技術向上研修』で巽君の評判はまた広がってるだろうし、思いがけないところでやっかみとか逆恨みとかされてるかもよ?」
「気を付けます」
巽は一応そう返答するが、理解や実感が及んでいるわけではなかった。まさしく「判っているつもり」でしかなかったのだ。
このときのゆかりの忠告を嫌と言うほど思い知ることになるのは数日後のことである。
一一月末のその日、「技術向上研修」を開催する巽は五人の受講生を連れて第二一三開拓地へとやってきたところだった。第二一三開拓地はギガント系のモンスターが多く出没する狩り場だが、そのレベルは一〇から高くても二〇程度。受講生は全員同程度のレベルになるように調整をしていて、今回はこの辺が適正レベルだった。
ベースキャンプを出、森の中へと足を踏み入れようとしたとき、
「ああ、あんた達。ちょっと待ってくれ」
それを待ち構えていたかのように一人の男が姿を現した。革鎧を着た、レンジャーと思しき男である。
「ギガントタランチュラの大きな群れがこの近くをうろついている。低順位の連中は先に進まない方がいい」
「群れの規模は?」
「二〇匹以上いただろう。さすがに一人じゃ潰しきれなくてな」
その男の言葉に受講生達は顔色を変えた。ギガントタランチュラは彼等の適正レベルよりも大分上にいるモンスターであり、またわずかな量で即死する猛毒を有している。一匹や二匹ならともかくそれが二〇匹以上となると、今の彼等にとってはあまりに荷が重い相手だった。
「俺はこれでも五千番台だ。同じくらいの奴がもう一人いれば掃討は難しくないと思うんだが」
「判りました、行きます」
その男にそう申し出た巽は受講生にベースキャンプ内で待機するように指示、
「一時間くらいで戻ります」
そう言い残し、その男と共に森の奥へと踏み込んでいった。
「俺は上鳥羽戒、レンジャーだ」
「花園巽、戦士です」
上鳥羽と名乗るその男は二〇代の半ば。平均程度の身長で、痩身。青白い肌の、不健康そうな男だった。
「悪いな、付き合わせて」
「いえ、構いません」
「ところであんたが連れていたのはどういう奴等なんだ?」
上鳥羽の疑問に巽は事情を簡単に説明、上鳥羽は「ああ」と納得したようだった。
「話には聞いているが、あんたがそうか。固有スキルをコピーできるっていう」
巽は「この人も俺のことをパクリ野郎とか言うんだろうか」と上鳥羽の顔色を伺いながら、ややためらいがちに「ええ、まあ」と返答した。
「俺の固有スキルもコピーする気か?」
「許可がもらえるのなら。許可も同意もなしにはやりません」
巽はそう強調して言う。以前他人の固有スキルを勝手にコピーしてちょっとしたトラブルに見舞われたことがあったため、「コピーされたくないのならそう言ってほしい」という意思を明確にしたわけだが、
「別に構わんぜ」
上鳥羽がそう言い出し、巽は思わず「え?」と問い返した。
「別に構わんと言っている。できるものならな」
上鳥羽がそうくり返して不敵に笑う――まるで巽を嘲笑するかのように。巽はその顔に不快よりも不審を覚えた。頭の片隅で何かが警報を発している。
森を奥へと進み、道が二手に分かれた場所までやってきた。その分岐点に立った上鳥羽が「ふむ」と左右を見回し、巽は周囲よりもその上鳥羽を見つめている。
(……この人の固有スキルは探知系か)
巽の目は「今、彼が何らかの探知系スキルを行使している」と識別していて、巽は「せっかく許可をもらったのに」とちょっとがっかりした。
「こっちだ」
と上鳥羽が先導して枝分かれした道を歩いていく。巽がそれに続いた。
数分歩いたところで二人はギガントタランチュラを見つけた。ただしその数は三匹だけだ。
「群れからはぐれたんでしょうか」
「判らんが、とりあえず片付けておこう」
ギガントタランチュラはそれなりの大きさだがそれでもレベルは三〇に満たず、今の巽なら固有スキルを使うまでもない相手だった。巽が剣を抜いて獲物の前へと進み出ようとし、
「あんたはここで見ていろ」
上鳥羽がそれを押し止めた。
「いい機会だから俺の固有スキルを見せてやる。思う存分コピーするといい」
上鳥羽がそう笑いながらギガントタランチュラの前に進んでいく。巽は「何を言っているんだろうこの人は」と思いながらもその場に止まった。
上鳥羽の接近に気付いたギガントタランチュラが一斉に突進してくる。上鳥羽は「さて」と一呼吸置き、剣を抜いた。振り回されるギガントタランチュラの節足を紙一重で躱し、剣を口内から脳天へと突き通す。吐き出された魔核は無事に剣へと回収された。巽は驚愕に目を見開いている。
ギガントタランチュラの攻撃を躱し、急所へと剣を一突きし、魔核を回収する。それが三度くり返され、ギガントタランチュラは瞬く間に全滅した。上鳥羽は汗をかいた様子もなく巽の下へと戻ってくる。上鳥羽の薄い笑みに対し、巽の目はこぼれ落ちそうなままになっていた。
「それでどうだ? コピーできそうなのか?」
「え……ええ。多分」
「ちょっと見せてみろよ」
上鳥羽に促され、巽は剣を抜いた。巽はジャグラーのように超高速で剣を振り回す。その高度な演舞に今度は上鳥羽が目を見開く番となった。
「……とまあ、こんな感じです。これ、『加速』の補助魔法と同じような効果の固有スキルですよね」
「まあな。あいつは『奥歯のスイッチ』と呼んでいた」
固有スキル「奥歯のスイッチ」は思考速度や反射神経を倍速、三倍速にする固有スキルである。ただし筋肉の反応速度そのものは加速できず、これを使ったからと言って(ある程度は高速で動けるとしても)必ずしも倍速・三倍速で行動できるわけではない。それでも一瞬一瞬が生死の境目となるモンスターとの戦いの中では極めて大きなアドバンテージとなる固有スキルだった。
非常に強力な、これまで手にした中でも三指に入る切り札となる固有スキルをコピーできたことを、巽はもっと喜んでもいいはずだった。だが、喜べない。喜びよりも不審が、疑念が巽の中で渦を巻いている。
「あいつって言うのは……」
「これの本当の持ち主のことさ」
かなりの時間、沈黙が続いた。問うべきことはたくさんあるが、まず何から問うべきかが定まらない。
「探知系と、『奥歯のスイッチ』。固有スキルを二つも持っていたのは、二つともコピーしたものだったから……?」
「そんなようなもんだ。俺は自分の固有スキルを『スキル・コレクター』と呼んでいる。勝手に言っているだけで登録もしていないが」
上鳥羽はそう言って肩をすくめ、
「さあ、このスキルはコピーできるのか?」
嗤いながら挑むように巽に問う。巽はできるともできないとも言えなかった。
「固有スキルをコピーするにはそれが使われているところを自分の目で見る必要があります。最低でも二、三回は見ないと」
「TVや動画で見てもコピーは無理ってことか」
「ええ」
なるほどな、と上鳥羽は感心しつつ、明後日の方向へと視線を向けた。
「一回だけなら見せてやれると思うぜ。俺が固有スキルを使うところを」
――不意に、白刃が閃いた。上鳥羽の剣の切っ先が巽の腕をかすめる。かすったのは防具のない手首の部分で、服の袖が切られて穴が空いた。
「……何の真似です」
巽が声まで蒼白にして問い、上鳥羽は「てめえ」と忌々しげに巽を凝視する。上鳥羽の剣はさきほどギガントタランチュラの口を切り裂いたところで、剣にはその猛毒が大量に付着していることだろう。その切っ先が素肌を傷付けたなら、かすっただけでも死は免れない。毒消しのポーションを使う間もなく即死する――そのはずだった。
「そうか、毒を無効にする固有スキルまでコピーしているのか。なんて奴だ」
上鳥羽は吐き捨てるようにそう言って舌打ちした。正確には巽が使ったのは「筋城鉄壁」、素肌であろうと金属鎧と同等以上の防御力となる固有スキルだ。嫌な予感を覚えた巽がこっそりとそれを使っていたから生命拾いをしたわけだが、ほんの一瞬でも発動が遅れていたなら巽の生命はなかったのは間違いない。
「どういうつもりですか」
「言っただろう、固有スキルを使うところを見せてやると。俺の『スキル・コレクター』はな、相手を殺してその固有スキルを奪うスキルなんだよ」
上鳥羽は巽を、あるいは自分を嘲笑するようにそう告げる。巽は息を呑み、次いで歯を軋ませた。
「その固有スキルで今まで二人も……」
「わざとじゃなかったんだ……少なくとも一人目は」
上鳥羽は顔を俯かせた。二〇代半ばの彼が今はまるで疲れ切った老人のようだ。
「そいつは新人研修で同期だった奴で、そいつと何人かでパーティを組んでいた。まだまだ駆け出しのときに俺は適正レベルより大幅に上のモンスターを無理して狩ろうとして、あいつは俺をかばってモンスターに殺された。俺はパーティを追い出されて、次の狩りにソロで行ったときに気が付いたんだ――『あいつと同じ固有スキルが使えるようになっている』って」
「それじゃ二人目は」
「探知系のスキルを使えるようになった俺はあるパーティに入れてもらった。『奥歯のスイッチ』はそこのメインアタッカーが持っていたものだ。あいつは本当に強くて才能があって、いずれ青銅になるのは確実だと誰もが思う奴だった。
『あいつのあの「奥歯のスイッチ」、あれが俺にもあれば』
……気が付けば俺はずっとそればかり考えるようになっていた。そしてギガントホーネットの群れと戦っていたときに、あいつの背中を預かっていた俺は自分でも気が付かないうちに隙を作ってしまって、ギガントホーネットが後ろからあいつに襲いかかって、助けようとしたときにはもう手遅れで……」
上鳥羽は重苦しいため息をついた。一人目はよくある事故であり、偶然だった。二人目は乱戦の中で絶好の機会が得られ、つい魔が差してしまったということだろう。
「もうこんなことは二度とやるまい、そもそもやる必要はない、そう思っていたんだ。こんなに強力な固有スキルが手に入ったんだから、俺はこれで青銅になれるって。……でも、俺は五千番台で壁にぶち当たって、三年以上そこで足踏みして、どうしてもそこから上に行けなかった」
上鳥羽が異様に光る眼を巽へと向け、巽は怖気を振るった。上鳥羽の歪んだ口から妄執が紡がれていく。
「たった二枚じゃ話にならない、俺が今より上に行くには手札を増やす必要がある。弱い手札じゃダメだ。強い手札、使える手札を手にしないと――」
「それで俺の固有スキルに目を付けて……」
「それが理由の一つだ。だがそれだけじゃない」
思いがけない言葉に巽が首を傾げる。何も判っていない巽に対し、
「何なんだよ、てめえは……!!」
ギガントタランチュラの猛毒に匹敵する悪意を浴びせられ、巽は石像のように硬直した。
「こんな固有スキルを持っているなんて誰にも言えず、固有スキルを二つも使えるのがあまりに不自然だからパーティにも入れず、ずっとソロでやるしかなくて……それでも六年かけてたった二つしか手にしていないのに、てめえはいくつの固有スキルを持っているんだよ! なんでてめえの固有スキルはそんなに恵まれていて、俺のはこんなのなんだよ! 自分のせいで相手が死んだらそいつの固有スキルを手に入れられるって、そんなのただの呪いじゃねえか!」
巽は上鳥羽のことを哀れに思ったし、彼に比して非常に恵まれた固有スキルを自分だけが持っていることを申し訳なくも感じている。だが、
「俺に寄越せ、その固有スキルを……! 今度こそその力で俺は青銅になる。何の気兼ねも遠慮もなく他人の固有スキルを手に入れられるその力で!」
「勝手なことを言うな」
上鳥羽の要求を巽が受け容れるかどうかは別問題だった。長剣を抜いた巽がそれを上鳥羽へと向け、上鳥羽もまた剣を構える。二人の冒険者が、同種類の固有スキルを有する冒険者が剣を向け合い、対峙した。
突然空気が爆ぜた。上鳥羽が巽へと突進し、巽もまた走り出し、剣と剣が激突し火花を散らす。剣戟の音は一回だけでなく一〇回、二〇回と打ち鳴らされた。ただそれはあまりに短時間で連続したため常人には一つながりの音にしか聞こえなかっただろう。
二人ともが固有スキル「奥歯のスイッチ」を行使していて、両者とも目にも止まらぬ速さで斬り結んでいる。だが限りなくオリジナルに近い上鳥羽の「奥歯のスイッチ」に対し、巽のそれは劣化コピーでしかない。巽が上鳥羽に勝てるはずがないのだが、
「くそっ、てめえ……!」
巽は上鳥羽と対等に戦っていた。「奥歯のスイッチ」は反射神経や思考速度を加速するが、筋肉の反応速度そのものは加速できない。だが巽には「疾風迅雷」という高速移動用スキルがあるのだ。巽はその二つを組み合わせることにより上鳥羽を上回る機動を可能としていた。
「くっ、まずいっ」
だが上鳥羽の剣にはギガントタランチュラの猛毒が付着したままで、彼は巽を殺す気でそれを振るっている。一方の巽は、上鳥羽を殺す覚悟など持っていなかった。このため巽は防戦する側になっていて、次第に旗色は悪くなっていく。巽は後退し続け、上鳥羽はそれを追い込んでいく。ついには、
「へっ、これまでのようだな」
巽は大木を背にし、これ以上逃げようがなかった。巽は顔を青ざめさせるが上鳥羽はそれ以上に血の気を失い、まるで土色だ。巽の眼差しが真っ直ぐに上鳥羽を見つめていて、上鳥羽はそれから目が離せなかった。
「……死ねっ!」
上鳥羽は未だ残る良心や躊躇を噛み殺すように押し潰し、大きく剣を振り上げた。そのまま力任せに巽の身体を両断し――
「セイッ!」
サーチライトのように強力な光が上鳥羽の網膜を焼く。目を眩まされた上鳥羽が「くそが!」と罵声を上げながらそのまま剣を振り下ろすが、その刃は木の幹に食い込んだだけだ。その間に巽は上鳥羽の背後に回り込んでいる。
固有スキル「目からビーム」で視力を奪われたのは巽も同じだが、心構えをしていた分上鳥羽よりもわずかに早く視力を回復。それはほんの紙一重の差だったが、巽が死地から逃れるにはそれで充分だった。巽が長剣を上鳥羽の籠手へと振り下ろし、上鳥羽が悲鳴を上げながら剣を取り落とす。さらに巽はその剣を全力で蹴飛ばし、上鳥羽の剣は茂みの向こうへと飛んでいった。
「てめえ……」
左手で傷口を押さえた上鳥羽が憎悪で赤くなった目を巽へと向けた。グローブのおかげで切断までは至らなかったが、右手の甲がざっくりと切れて大量の血が流れている。骨も砕けているのは間違いないだろう。
巽は剣を鞘に納めた。怪訝な顔の上鳥羽に対し、巽はボクサーのようなファイティングポーズを取る。上鳥羽は一瞬で激高した。
「舐めるな!」
上鳥羽が巽へと突進、その勢いのまま殴りかかった。だが「筋城鉄壁」を使う巽は気色悪い笑みを浮かべてそれを全て受け止め、跳ね返す。息切れした上鳥羽に対し、
「阿修羅拳!」
巽の拳が三発同時に上鳥羽の顔面へと叩き込まれる。上鳥羽は意識を途切れ途切れにさせながらも、まだ戦意を失ってはいなかった。だが、身体がもうついていかない。上鳥羽の手を簡単に払いのけた巽がその襟首とベルトをつかみ、彼の身体を頭上高くまで持ち上げ、
「剛力招来!」
腕力を倍以上に増幅した巽が全力で、上鳥羽の身体を頭部から地面に叩きつける。上鳥羽の頭部は半ば地面にめり込み……彼はそのまま沈黙した。
「……はあ」
気力を使い果たした巽は大きなため息をつき、その場に座り込んだ。そして気絶した上鳥羽の姿を見つめ、「どうしよう、これ」と途方に暮れる。
「技術向上研修」の受講生が巽を救援するつもりで森へと入り、この場へとやってきたのはそれから一時間近く後のことだった。巽は彼等の力を借りて上鳥羽の身柄を拘束。巽と5人の受講生は上鳥羽を伴ってヴェルゲランへと帰還した。
上鳥羽戒はヴェルゲランで、メルクリア評議会の下部組織である憲兵隊に引き渡された。巽もまた事情聴取を受けることとなる。エルフの探知系魔法により巽の証言に嘘がないことが認められ、上鳥羽は殺人未遂で告発される運びとなった。
「ただ、メルクリアンに被害があったわけでもないからねー。国外追放にしてメルクリアン的にはこの話は終わりかな」
ときは翌日、場所はマジックゲート社ヴェルゲラン支部。上鳥羽戒の扱いがどうなったか、巽が高辻に話を聞きに来たところである。
「マジックゲート社としては当然登録抹消。警察に引き渡して、後は警察と裁判所のお仕事だね」
「え、警察沙汰にするんですか」
そう驚く巽に対し、高辻は「当然だろ?」と逆に驚いたように言う。
「巽ちゃんも警察の事情聴取を受けたり裁判所に呼び出されたり、色々面倒はあるだろうけどそれも市民の義務だから」
慰めるようにそう言う高辻に対し、巽はうんざりとした顔を隠せなかった。
「……なんか巽ちゃん、この上鳥羽って奴に対してあんまり怒ってないみたいだね」
「まあ、やられた分はやり返しましたし、冒険者でなくなったのならもう誰かを殺す理由もないわけですし。……それに、俺も似たような固有スキルを持っています。何歩か間違えたら俺がああなっているかもしれません」
「いやいや、それはない」
と高辻は大きく手を振った。
「上鳥羽戒の『スキル・コレクター』と巽ちゃんの『つぎはぎの英雄』は全然似てないって。固有スキルは人生の軌跡であり魂の形だ。上鳥羽戒って奴は結局『殺して奪い取る』ってあり方をしていて、巽ちゃんが関わらなくてもそれは変わりはしないんだよ」
高辻の言葉に巽は考え込んだ。「つぎはぎの英雄」が示す魂の形はどのようなものなのだろう。その軌跡の行く先は望む場所へとつながっているのだろうか――
「それで今後はどうする? こんなことがあったんだから『技術向上研修』を止めてしまっても誰も責めないと思うけど」
その問いに巽は少しだけ考え、「いえ」と首を横に振った。
「俺の力が少しでもみんなの役に立つのなら続けるべきだと思います。……それに、良い収入源にもなっていますし」
それは大事だね、と高辻は笑った。
「それじゃまた明日も研修の予定を入れておくから、よろしくねー」
「判りました」
高辻と別れ、巽は一人で歩き出した。その行く先に何が待っているのかは誰にも判らない。だが巽はこれからも歩き続ける、この道が約束の場所へと続いていると信じて。




