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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
二年目
26/52

第一九話「巽の新人指導日誌」その1




 メルクリア大陸、第二一四開拓地。石ころと雑草ばかりの荒野の中で、スパルタ団の四人はトロルの群れと戦っていた。


「疾風迅雷!」


 二〇匹近くになる群れの直中に飛び込み、巽は剣を縦横に振るう。巽は装備を変更していて、身にしているのは金属鎧ではなく革鎧レザーアーマーだ。スパルタ団の中で斥候をやれるのが巽だけだったため役職に装備を合わせたのが理由の一つ。もう一つの理由は、長剣を買うために金属鎧を売るしかなかったことだった。

 金属鎧と比較すれば格段に軽いため革鎧の巽はよりはやく動けるようになっている。巽は目にも止まらぬ速さで当たるを幸いとトロルを斬りまくった。だがさすがに二〇匹は多すぎ、複数のトロルが一斉に巽に襲いかかる。防御に回ったなら革鎧など紙と変わらないが、


「円の極意!」


 巽の身体が竜巻のように高速回転、トロルの攻撃を全て受け流した。さらに「空中疾走」を使って文字通り一足飛びで後退し、仕切り直しをする。トロルの群れが集団で向かってくるが、


「お前等の相手はわたし達だ!」


「巽ばかりに稼がせてはいられんしな!」


 神ゴリ子と熊野が暴風のように得物を振るい、トロルをなぎ払った。その横では円山が本家「円の極意」でトロルの攻撃を受け流し、巽はそれを盾にして身体を休めている。


「よし、行くか」


 一息入れた巽が再び群れの直中へと飛び込み、モンスターの血飛沫が舞う。トロルの群れは見る間に制圧され、掃討されていった。

 スパルタ団として四人でパーティを組むようになってもう一月。四人での狩りにも慣れ、連携も取れるようになり、収穫も少しずつだが増えている。それに伴い巽のローンも少しずつ、だが着実に減っている。

 焦りがないと言えば嘘になる。だが巽はそれを抑え込み、少しずつ一歩ずつ、地味に地道に前進を続けていた。











 九月中旬のある日のこと、場所は梅田にあるマジックゲート社大阪支部ビル内の、喫茶店。そこで巽達スパルタ団の四人は高辻と会っていた。


「何でも頼んでいいよー、ここはおっちゃんのおごりだから」


「会社の経費で落とすんだろう?」


 神ゴリ子がそう言うと高辻が「まーね」と答える。そういうことなら、と巽は遠慮せずに注文することにした。

 注文したコーヒー等の飲物やサンドイッチ等の軽食がテーブルに所狭しと並び、巽達はまず飲み食いすることに専念する。高辻は乾いた笑いを浮かべながら四人の腹具合が落ち着くのを待った。


「新人の研修、担当する気はない?」


 四人の腹が一応膨れたところを見計らい、高辻が前置きもなしに本題を切り出す。巽は目を数回瞬かせた。


「……それは安全指導員になって、試験に合格したばかりのひよっこの面倒を一〇日間見る、ってことですか」


 熊野の問いに高辻が頷き、巽と神ゴリ子が腕を組んで唸った。


「あまり気が進まないね。面倒事は山ほどあって責任重大なのに、見返りは大してなさそうじゃないか」


「確かにその通りなんだよねー。それでなり手がなかなかいなくてさー」


 と天を仰ぐ高辻。


「日当は出るんですよね」


「もちろん、一日一メルク出すよぉ」


 高辻が威張って言うが、巽はその金額に落胆の表情を浮かべた。高辻がそれを見、


「ゴブリン一匹分じゃんって思うかもしれないけどさ、巽ちゃんのバイト先って一日で一メルク稼げる? それを考えれば悪くないんじゃない?」


 確かに、と巽は頷く。一メルクは換金すれば百米ドルとなり、今の円ドル相場から一万一千円となる額だった。


「それにもし新人に固有スキルを持ってる奴がいたらどうよ? パクっても文句言われる心配ないじゃん? 他の三人はともかく巽ちゃんには充分見返りがあるんじゃない?」


 高辻の言葉に巽の心は大きく揺れた。最初はどう言って断るか、だけ考えていたのに今はメリットとデメリットが綱引きを演じている。


「研修中に新人を連れて狩り場に行っても、それとは別に普段の狩りにも行けるんですよね」


 熊野の確認に高辻が「ああ」と頷く。


「マジックゲート社としては禁止にしたいところなんだけどねー。それをやると本当に安全指導員のなり手がいなくなるから仕方なしに容認しているってところかな。ただ研修の狩りと自分達の狩りが連続しないように、スケジュールを提出して日程の調整はさせてもらうけどね」


 高辻の確認に熊野が「それくらいは」と頷き、高辻が「それと」と付け加えた。


「研修での指導の狩りであっても自分が回収した魔核は自分の稼ぎになる。稼ぐ機会が少しでも増えるのは巽ちゃんには嬉しいんじゃない?」


 むぅ、という短い唸りが巽の口から漏れる。この話を受けるか受けないかの天秤は受ける方にもう一つ重りが加わり、そちらへと傾きつつあった。


「……でも、俺に新人の指導なんてできるんでしょうか? ブランクを含めても一年半しか経験がないのに」


「確かにそこまで長くないけど、ただだらだら長く続けていればいいってもんでもないからねー」


 と高辻は軽く手を振る。


「それに、たった一年半でも巽ちゃんほど色々経験している冒険者ってそう多くないと思うぜぇ?」


 高辻の言葉に巽は首を捻っている。良くも悪くもいろんなイベントに巽ほどぶち当たっている冒険者は国内の一万二千人の中でも数えるほどなのだが、巽自身はそれに全く気付いていなかった。

 質疑応答が終わり、熊野や巽や神ゴリ子が視線で意見交換している。パーティを代表して熊野が


「皆と相談して遅くとも今日中には連絡します」と高辻に告げ、高辻は笑ってそれを了解した。


 大阪支部のビルを出た巽達四人はビル前の公園みたいな場所の一角に集まっている。四人の中でまず円山が一同に申し出た。


「申し訳ないですが私は病院の仕事がありますので指導員をやることはできません。それと皆さんが指導員をやることに反対する理由はない、と言っておきます」


 それを受けて神ゴリ子が「ふむ」と頷き、腕を組んで熊野の横顔を見つめる。


「どうするつもりだ、リーダー。どうやらこの話を受ける方向で考えているようだが」


「まあその通りだ」


 と熊野はあっさりと認めた。


「色々と思うところがあってな。高辻さんの話は渡りに船と言ったところだ」


 熊野はその「思うところ」について何も話さなかったが神ゴリ子には感じることがあったようだった。神ゴリ子は肩をすくめて、


「そうか。それならわたしも一回くらいはやってみることにしよう」


「お前はどうする? 巽」


 熊野の問いに巽は短くない時間迷うが、


「……俺も一回くらいはやってみようと思います」


 ついに意を決してそう宣言。巽としては清水の舞台から飛び降りるくらいの決断だったがそれを聞いた方は「そうか」と軽く頷くだけだった。

 その翌日から、巽の生活が急に慌ただしくなった。


「勝手なことを言って済みませんが、しばらく休ませてください」


 巽は安全指導員として一〇月の一月は完全に拘束されることになる。アルバイトに行く時間はないので、まずはアルバイト先の町工場に長期欠勤を申し出た。欠勤は一〇月からではなく九月後半から取っている。研修する側にも色々と準備や用意があるからだ。


「思ったよりも面倒なんだね」


 と神ゴリ子が嘆息する。場所は大阪のビジネス街の某ビル。巽達三人はそこで開催されている「ベテランビジネスパーソン向け新人・若手育成研修」というセミナーを受けているところだった。周囲はスーツ姿のサラリーマンばかりの中で、巽達はシャツにジーンズというラフな格好だ。居心地が悪いことこの上ない。

 いくらキャリアが長く経験豊富な冒険者だからと言って、それと新人の指導が上手いかどうかは別問題だ。だから巽達三人は新人の指導をする前にまず「安全指導員の新人研修」を受けなければならず、このセミナー参加もその一環だった。一般のサラリーマンと冒険者ではその業態はあまりにかけ離れていて共通点が何一つないくらいだが、新人指導の基本については何も違いはないからである。

 「安全指導員の新人研修」第二幕はメルクリアに渡って、実際の狩り場で行われた。


「やっとそれらしくなってきたね」


 と神ゴリ子。巽や熊野も退屈で堅苦しいセミナーから解放されて露骨に安堵している。


「よーし、それじゃ行こうか」


 と一同を先導するのは高辻だ。この場の高辻は「新人安全指導員の指導員」という立場であり、巽達に研修のイロハや注意点について叩き込んだ。

 そうやって九月が瞬く間に過ぎ去り、一〇月。九月試験の合格者の新人研修がついに開始された。











 一〇月二日、巽にとっての研修一日目。場所はメルクリア大陸ヴェルゲラン、マジックゲート社ヴェルゲラン支部。今、巽の前には三人の新人が整列している。普通の指導員は一人で五人から六人の新人を指導するが、巽は年齢が若くキャリアが短く、指導員としてもド新人だ。その点を高辻が配慮し、今回受け持つのは三人だけとなったのである。


「花園巽だ。今日から一〇日間、君達の指導を担当することになった。よろしく頼む」


 巽の挨拶に三人の新人が、


「よろしくお願いします!」


「よろしくお願いします」


「うぃーっす」


 とそれぞれ返事する。巽はちょっと困ったような、半端な笑みを顔に貼り付けた。


「それじゃそっちの君から自己紹介を」


 三人の経歴はそれぞれ頭に叩き込んでいるが、今日から一〇日間はこの三人でパーティを組んで行動を共にするのだ。相互交流を促すのも指導員の役目の一つだった。

 巽の指示に一人目の少女が「はい!」と元気良く返答する。


御陵汐みささぎ・うしおです! 職業はレンジャーです、よろしくお願いします!」


「御陵は空手をやっているんだって?」


「はい、インターハイで優勝したこともあります!」


 巽の問いに汐は自慢げに、だが朗らかに答える。装備はいかにもレンジャーな軽装の革鎧。身長は女性の平均程度で、スレンダーな体格。ショートの髪がよく似合う、ボーイッシュな体育会系少女だ。その顔立ちも、美咲達とはまた別の魅力のある可愛らしさだった。


「得物は何を選んだんだ?」


「これです」


 と彼女が示したのは中華風の柳葉刀だ。


「本当はメリケンサックか何かにしようと思っていたんですけど」


「そっちの方が慣れているのは判るけど、やっぱりある程度リーチは必要だろ」


「はい、だからこっちにしました」


 とその柳葉刀を軽く振り回す汐。武道の経験者だけありその姿はなかなか様になっていた。


「なんか美咲に似てるかも」


 この少女と話していると自然と美咲のことを想起させられる。可愛らしい武道経験者というだけではない。彼女は一八歳の誕生日を迎えてすぐに冒険者試験を受けて、それに合格すると高校を中退して冒険者となったのだ。その経歴もまた美咲そのままだった。

 汐の自己紹介を終え、巽が二人目に視線で促す。その彼は、


山科環やましな・たまきです。職業はメイジとなります」


 やや緊張した様子で、眼鏡の位置を整えながらそう名乗った。服装もメイジのそれである黒いローブだ。


「メイジがパーティに加わるなんて、幸先が良いわね」


 と汐は喜ぶが、山科は申し訳なさそうな顔をした。


「あの……私が使えるのは治癒魔法だけなんです」


「それだけ? 加速とかの補助魔法は?」


 山科が「今のところ全く使えません」と正直に答え、汐は「なんだ」と失望する。それきり汐は山科に対する関心を失ったようだった。

 身長は巽より若干低いくらいで、それなりの長身とかなりの痩身。線の細い、神経質そうな印象の青年である。武道の経験がないことは経歴書を見なくてもすぐ判ることだった。京都市内の大学に通っていて、学年で言えば巽と同じになる。


「得物は何を?」


「私はメイジですから、これしか」


 と彼は杖を掲げる。巽はためらうがそれも数瞬のことだ。意を決し、残酷な事実を彼に突き付けた。


「支援魔法が使えないメイジを入れてくれるパーティは、滅多なことじゃ見つからないぞ? 入れてくれたとしても多分誰も守ってくれない。狩りに行きたいなら最低限自分の身は自分で守る必要がある」


「狩りに行く必要があるの? そこの病院で働いたらいいじゃない」


 汐が遠慮会釈もなしにそう言う。巽は彼女をたしなめるべきかどうか迷うが、言っていることは必ずしも間違いではなかった。


「今は使えませんが、冒険者として成長すれば他の魔法も使えるようになるかもしれません。それに固有スキルに目覚めるためにも狩り場に行く必要があります」


 と山科。巽は彼の決意が固いことを理解し、それ以上覚悟を問うようなことは言わなかった。


「後で何か得物を買いに行くとして、俺のパーティメンバーにも治癒しか使えないメイジがいるから今度その人を紹介しようか。色々と相談に乗ってくれるかもしれない」


「よろしくお願いします」


 山科は深々と頭を下げ、感謝の意を示した。


「……えーっと」


 巽は最後の一人と向かい合う。彼はがに股のうんこ座りの体勢のまま、


蹴上王仁丸けあげ・おにまる、ヨロシクぅ!」


 そう名乗り、喧嘩を売るように巽をにらみつけた。


 身長は、あまり高い方ではないだろう。髪は強いパーマのリーゼントで、ものすごいボリュームがあった。リーゼントの鶏冠とさかと顔が同じくらいの大きさだ。その上その髪を金と赤で染め分けている。今時流行らない、絶滅危惧種に属する古いタイプのヤンキーである。

 服装もまたそれっぽく、ニッカボッカのようなズボンで上半身裸。腹に白いさらしを巻き、短いマントを羽織っている。得物は身長ほどもあるメイス……と言うよりは金棒だ。六角形の鉄製の混で、全面が凶悪な突起物で覆われた、「鬼に金棒」のそれである。


「その、君の職業は?」


「んなもん冒険者に決まってるだろうが! 俺はこれで食ってくんだよ!」


 彼――王仁丸が大威張りでそう答え、巽は途方に暮れてしまった。


「ばっかじゃない? パーティの中での職種を訊いてるのが判らないわけ?」


「んだとオラァ!」


 呆れたような汐の言葉に王仁丸が一瞬で激高、立ち上がって汐を威圧した。額が接するほどの至近に立ってメンチを切っている。冒険者になる前の巽なら間違いなく逃げることを選んだその威嚇を前にし、だが汐は一歩も引かなかった。

 両者はそのまま一種即発の態勢でにらみ合う。巽はため息をつき、


「山科」


「はい?」


「何をしている? 仲裁に入らないとダメだろ」


 ダメ出しをされた山科は「ぃいええぇぇ?!」と声を裏返した。その素っ頓狂な声に汐と王仁丸のにらみ合いが中断している。


「いえ、あの、それは花園指導員が……」


「たった一〇日間でも君達三人は一つのパーティで、三人がパーティメンバーだ。二人が揉めたら残った一人が仲裁するのが当然だろ」


 それでもなお「いえ、でも……」と言う山科に対し、巽は肩をすくめた。


「気の合う者同士で組んでいるパーティでだって揉め事は起こるもんなんだ。メイジにはそれを仲裁する役目も期待されることになる。それに、この程度でびびっていたらモンスターとは到底戦えないぞ?」


 山科は息を呑んだ。巽に促された彼は意を決して「あ、あの……」と仲裁に入らんとする。が、そのときには二人ともしらけた顔でそっぽを向き合っていた。


「え、えっと……」


 困惑した目を山科から向けられ、巽は苦笑した。


「まあ、そのうち模擬戦の機会を作るからそのときに思う存分殴り合って発散するといい」


 汐は「判りました」と物わかりのいいところを見せて引き下がるが、王仁丸の反応はまた違っていた。


「あんたともやれんのか?」


 王仁丸が好戦的な笑みで巽に問い、巽は少し考えて「ああ」と頷く。王仁丸の笑みが歓喜に歪んだ。


「俺ぁこんな小娘よりあんたとやりてぇ。本職の冒険者がどんなもんか、見せてくれよぉ」


「勝てるわけないでしょ、相手はベテランの高順位なのに」


 呆れたように汐が言うが王仁丸は「やってみなきゃ判らねぇよ」と言うだけだ。


「冒険者になったのが去年の四月からで、今は五八二八位。ベテランとか高順位とか言われるほどじゃないんだけど」


その前置きの上、巽は迷うことなく返答した。


「それじゃ今からやろうか」


 こっちだ、と巽が歩き出す。王仁丸は喜び勇み、汐と山科は少し慌てて巽に続いた。

 ヴェルゲラン支部の一角にある鍛錬場のさらに片隅の、屋外闘技場。今、そこでは巽と王仁丸が向かい合っている。二人とも素手で上半身裸だが、王仁丸達三人は巽の身体に瞠目していた。鋼のように鍛えられた分厚い筋肉――だがそれだけではない。巽の身体には数え切れないほどの傷が刻まれている。まさにそれは歴戦の勇者の姿だった。


「……へっ、面白ぇじゃねえか」


 王仁丸は無理にでも笑って自分を奮い立たせた。そして「行くぜ、おるるらぁぁ!」と雄叫びを上げ、巽に襲いかかった。渾身の力を込めて拳を撃ち込み――巽はそれを避けない。王仁丸が三撃、四撃、五撃と殴打をくり返し、巽は顔色一つ変えずにそれを受け止めた。


(……うーん)


 いや、内心では眉をひそめている。昨日冒険者になったばかりのド新人ならこんなものかもしれないが、それにしても彼の攻撃はあまりに物足りなかった。子供に殴りかかられているようなものであり、固有スキルを使うまでもない。


「て、てめえ……調子こいてんじゃねーぞ」


 王仁丸は一方的に殴り続け、疲れて肩で息をしている。一方的に殴られただけの巽は蚊に刺されたほどの痛痒も見せていなかった。


「ま、今日はこのくらいにしておこう」


 そう言って巽は拳の一撃を王仁丸の顔面に食らわせる。できるだけ手加減はしたがそれでもその一撃は彼の意識を飛ばすに充分以上のもので、王仁丸は地面に大の字になって昏倒した。

 治療頼む、と山科に指示をし、巽は汐と向き合った。


「それじゃ次は君だ」


「はい、よろしくお願いします」


 汐は緊張した面持ちで一礼し、若干の距離を置いて巽と対峙した。汐は身体を半身にし、手は手刀の形。対する巽はボクサーのような構えだ。


「シッ!」


 汐が裂帛の気合いを込めて一気に距離を縮める。思いがけないその速度に巽は咄嗟に腕でブロックした。汐の連撃が続き、巽が防御する。


(すごいな、この子。こんなところも美咲によく似ている)


 巽は内心で舌を巻いた。はっきり言って攻撃力自体は王仁丸と五十歩百歩で、一方的に殴られたところでどうと言うことはない。だが彼女の速度は刮目に値した。出会った頃の美咲よりも疾く動いているかもしれず、また武道の術理に則って動いていることもあり、今の巽でも彼女の速度について行くのは一苦労だった。それに、


「おっと」


 汐の攻撃の中におかしな打撃が混じっていて、それが巽を惑わせる。巽は数歩後退して仕切り直しを図った。汐もその間に呼吸を整えている。


「いける……! わたしの技が通用している、五千番台の冒険者を倒せる!」


 高揚した彼女の顔が雄弁にそう物語っているのを見て取り、巽はちょっと困った顔をした。


(ここで舐められでもしたら今後の指導に差し障るし、増長して向上心がなくなっても問題だし)


 力の差を見せておかないと、と巽は決意する。巽は自分の人生経験や指導力の不足を自覚しており、まず模擬戦をすることにしたのはそれが最大の理由なのである。すでに九枚にもなる手札の中からどれを使うか吟味し、「君に決めた!」と巽は一つを選び出した。


「君はかなりの力があるようだ。だから俺もちょっとだけ本気を出すことにする」


「望むところです!」


 汐は一回だけ息吹をし、全身に気合いと力を溜めた。そしてそれを一気に爆発させる。刹那で巽との距離をゼロにした汐が必殺の上段突きを巽の顔面へと――


「え」


 汐の拳が巽の顔面を突き抜けた。さらに身体をも通り抜けて、汐はその向こう側へと行ってしまう――まるで巽の身体が幻か陽炎となったかのように。たたらを踏んで慌てて振り返る汐だが、その額に穴が空くほどの痛撃。巽のデコピンを喰らった汐が涙目になって痛がり、しゃがみ込んでいる。


「花園指導員、今のは一体……」


 唖然とした山科の問いに巽は「俺の奥の手の一つだ」と不敵に笑い、それ以上は答えない。回復して一緒に観戦していた王仁丸もあっけに取られていたが、同時に不満げな様子だった。


「さあ、最後は君の番だ」


 巽にそう言われ、山科はまたもや「ぃいええぇぇ?!」と悲鳴を上げた。


「で、ですが私はメイジで」


「最低限自分の身は守れるように、って言っているだろう。狩り場では適正レベルを大幅に上回るモンスターが出てくることだってある。俺に勝て、なんて言わない。でも生き延びて見せろ」


 巽の断固たる言葉に山科は息を呑み、「あ、あの……」と問う。


「花園指導員と今の私の差は、ガンダムで言えばどのくらい……?」


「んなもん、ズゴックのシャアと雑魚マシンのウッディ大尉くらいに決まってんだろうがよ!」


 巽の代わりに王仁丸がそう答え、巽は「決まってるんだ」と目を丸くしていた。

 さて、と巽が模擬刀を用意して一振りし、山科は三度悲鳴を上げる。巽は細心の注意を払って最大限の手加減はした――だが一切の容赦はせず、ほんの五分に満たない模擬戦が終わる頃には山科は三人の中で最もズタボロになっていたと言う……。


「ところで御陵、君が使っていた空手の技だけど」


「はい」


 模擬戦が一区切りつき、闘技場の片隅。汐達三人は座り込んでひとときの休息をむさぼっていたが、巽の質問に汐は立ち上がって返答した。


「一番得意なやつをもう一度見せてほしい」


「判りました」


 汐は若干の距離を置いて今一度巽と向かい合う。呼吸を整えた汐が刮目、ジャブのように速く鋭い三連撃が放たれ、巽はそれを全て掌で受け止めた。一発くらいはヒットするかと思っていた汐は悔しそうに舌打ちし、


「……どうかしたんですか? 花園さん」


 巽の様子に首を傾げる。目を見開いた巽が自分の掌と汐の顔を見比べるようにしていたからだ。


「君、これ……固有スキルじゃ」


「はい?」


 呆然とそう言う巽に対し、汐はさらに首を傾げた。そこに山科が口を挟む。


「確かに普通のパンチとはちょっと違っていたように思えました」


「なんか手が増えてなかったか?」


 王仁丸までがそう言い出し、汐は丸い目をさらに丸くした。


「ほ……本当に?」


「まだ完全に目覚めているわけじゃないと思う。でも目覚めかけている」


 巽の言葉がゆっくりと汐の脳に浸透し……汐の顔が歓喜に光輝いた。


「すごい……すごい! まさかこんなに早く固有スキルが判るなんて!」


 まだ目覚めたわけじゃないぞー、という巽の言葉も汐の耳には届かない。汐は疲れなど完全に忘れ去り、一心不乱に正拳の三連突きをくり返した。巽はそんな汐を放っておいて王仁丸と山科に戦い方を指導している。やがて日が暮れ、今日はこれで終わろうかと考えていた頃、


「花園さん花園さん! 見てください!」


 まるで遊んでほしがっている犬のように、汐が巽の下に駆け寄ってくる。巽は微笑ましくも生温かい心地で「うん、何だ?」と返答した。汐の表情が真剣なものとなり、その体勢が空手の構えとなる。巽も無言のまま防御に重点を置いた体勢を取った。


「シッ!」


 汐が必殺の三連突きを撃ち放ち、巽が両腕でそれをブロックする。三連突きはあまりに高速のためまるで三発同時のように――いや、そうではない。実際に三発が同時に撃ち込まれたのだ。


「すごいな、たった一日で覚醒したのか」


 汐の才能に嫉妬しつつそれを隠し、複雑な表情となった巽が称揚する。汐は屈託のない笑顔で「はい、ありがとうございます!」とそれを受けた。


「これも花園さんのおかけです! 明日からの狩りでは」


 不意に汐は顔を曇らせた。


「……でもこの固有スキル、無手で使うものですよね。せっかく刀を買ったのに」


「いや、そんなことはないだろう」


 巽はそう言い、どこかに行ったかと思うと自分の長剣を持って戻ってきた。さらに長い木の枝も用意している。不思議そうな顔の汐や王仁丸達の前で、巽はその木の枝を頭上へと放り投げた。落ちてきたそれが巽の間合いに入ったその瞬間、


「セイッ!」


 巽の抜き放った剣が一閃――いや、三閃。一本だった木の枝は地面に落ちたときには四等分になっていた。唖然とした三人を前にし、


「見ての通りだ。御陵もちょっと練習すればこのスキルを剣でも使えるようになる」


「いや、あの、どうしてわたしの固有スキルを……」


 やっとの思いでそれを問う汐に対し、巽はさりげなさを装い答えた。


「ああ、俺の固有スキルは他者のそれをコピーするものなんだ」


 汐達三人は開いた口がふさがらない様子で、言うべき言葉もなくしている。巽はやや気まずい顔をして「今日はここまでにしよう」と宣言。早口で明日の予定を述べ、三人の前から早々に立ち去った。


「……ちょっとやり過ぎたかな」


 一人になった巽はそう後悔している。これだけ力の差を見せつければ三人とも巽のことを軽侮したり、その指示を無視したりはしないだろう。ただ心配なのは自信や意欲まで潰してしまわなかったかだが……


「まあ仕方ない。そのときはそのときだ」


 この程度のことでやる気をなくして冒険者の道を諦めるなら、それはそれで賢明な選択というものだった。冒険者などという職業は物好きの馬鹿だけがやっていればいいことなのだから。




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