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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
二年目
25/52

第一八話「花園巽の約束」




 場所はマジックゲート社大阪支部ビル前。時刻はすでに夜だがLEDの街灯が木々の緑を明るく照らしている。公園のようになっているその場所で、巽はしのぶ・美咲・ゆかりの三人と対峙していた。

 三人は笑顔だがその目は笑っておらず、「ゴゴゴゴゴ……」という怪音とおどろおどろしいオーラを全身から発している(ような気がする)。一方巽は蛇に睨まれたウサギのように身を震わせていた。

 ときは七月下旬の火曜日。巽や熊野が神ゴリ子・鞍馬口天馬及びそのパーティというメンバーで第二〇八開拓地に狩りに行って、ル・ガルーと戦う羽目になった日。その狩りを終えて元の世界の日本の大阪に戻ってきたとき、


「力の差が開いてきた。これ以上一緒に狩りに行くのは難しいし、無意味だろう。パーティを抜けさせてもらおうと思う」


 熊野がそう言い出し、ゆかり達は「残念だけど仕方ないわね」とそれを承諾。そして巽も便乗して「俺もパーティを抜ける」と言い出し――三人の形相が一変したのだ。


「……どういうつもりですか、巽先輩」


「わたし達に何か不満でもあるんですか」


 巽が「いや、そんなわけは」と慌てて言う。


「じゃあ今のままでもいいじゃない」


 ゆかりがそう言うが巽は「いや」と首を横に振った。


「パーティを組んだままなら美咲達が俺に合わせてレベルを落とすか、俺が美咲達に無理して合わせるかになる。俺に合わせたなら三人に低いレベルで足踏みさせることになるし、俺が無理して合わせにいっても狩りには貢献できずにお荷物のお客様になるか、下手を打ってモンスターに殺られるか……」


 巽の説明にしのぶ達は反論できなかった。力の差が開いてきたのは事実であり、美咲やしのぶ達も感じていたことなのだから。だがそれと感情的に納得できるかは別問題である。


「少しくらいの足踏みや回り道も構わないじゃないですか。せっかくずっと一緒にやってきたのに」


 としのぶが食い下がり、美咲やゆかりは何も言わない――少なくとも反対しないでいる。その様子に熊野は、


「俺のときとは対応が全然違っているよな」


 と背中に哀愁を漂わせていた。


「しのぶ」


 巽が困ったようにその名を呼んでしのぶをたしなめる。しのぶは叱られたように顔を俯かせた。


「誰も彼もが青銅になるために、少しでも上に行くために生命を懸けて戦っている。しのぶだってずっと見てきただろう」


「確かに、冒険者のパーティは仲良しサークルではありません」


 と美咲。美咲はそんな物言いで巽の決意を認め、受け入れたことを示した。そこにゆかりが、


「でも巽君。二千メルクのローンはどうする気?」


 痛恨の一撃を喰らった巽が膝を屈する。まるで膝から下がいきなり砂か何かになって崩れ去ったかのようだ。そのまま手も突き、巽は失意体前屈の体勢となった。


「一千メルクの貯金が吹っ飛んで二千メルクの借金……それに新しい剣を買わないと狩りにも行けない」


 嫌な汗が大量に流れるのは蒸し暑さのためではなかった。流れ落ちる汗の雫が石のタイルを濡らしている。巽が泣いているとしのぶや美咲は勘違いして焦るが、実際それは巽の涙だった。泣くに泣けない巽に代わり、巽の血肉が涙を流しているのだ。


「今のレートで二二〇〇万円! 工場の時給が一〇二七円だから約二万一四〇〇時間、一ヶ月一六〇時間働くとして約一三四ヶ月、年にすると一一年以上!!」


「どうしてアルバイトで買う計算をしているんですか」


 美咲の突っ込みに巽は気を取り直したようだったが、


「……確かにそうだ、ゴブリンの大規模な群れを二つも潰せば二千メルクくらい。俺の固有スキルは雑魚掃討用だ」


 立ち上がってそんなことを言い出す巽を「だから落ち着いてください!」と美咲がハリセンで殴る。巽は痛そうな顔をするが少しは冷静になったようだった。


「そんな恥知らずな真似は止めてください。必要ならわたしがいくらでも融通しますから」


「いくら窮していてもやっていいことと悪いことがあります」


 しのぶと美咲に諫められ、巽はさらに頭を冷やした。そしてゆかりは「あれー?」と首を傾げている。


「まあローンの利息なんてないも同じだ。お前なら地道に稼げばそれほどかからず完済できるだろう」


 マジックゲート社の冒険者向けローンは「冒険者がより良い装備でより上のモンスターをより安全に狩れるようにする」ことを事業の目的としている。要するに冒険者に対する支援の一環であり、採算や利益は二の次三の次だ。全世界的な低金利が続いていることもあり、ローンの利息は限りなくゼロに近かった。

 熊野の言葉に巽が「そうですね」と乾いた笑いを浮かべる。どう議論しようと結局「地道に狩りをし、真面目に稼いで少しずつ返済していく」しか方法がないわけで、それがローンについての結論となった。


「でもぶっちゃけて言っちゃうけど、わたし達から離れたら今ほどは稼げなくなるわよ?」


 ゆかりの言葉に熊野が「確かにな」と同意する。


「フリーのメイジなんて滅多なことじゃ見つからないし、見つかったとしてもゆかりさんほどの力があるわけがない。この先メイジの支援は受けられないと考えた方がいいだろう」


「巽さん、やっぱりわたし達と一緒の方が……せめてローンを完済するまではそうしたらどうですか?」


 しのぶが言葉にゆかりも「うんうん」と頷き、美咲も反対はしていない。


 ――それじゃ、済まないけどよろしく頼む――


 そんな台詞が巽の舌先まで出かかった。そうしたらいい、そうするべきだと巽の一部が声高に主張している。


「つまらねー見栄張ってる場合かよ! ローンは二千メルクもあるんだぞ! これを完済しないことには新規ローンは組めないし、新しい魔法剣は買えないし、攻撃力は不足したままだし、これ以上順位を上げられないし、つまりは青銅に上がれない! 一日でも早くローンを返すには金を稼げるパーティにいるべきで、要は今までと同じようにゆかりさんや美咲やしのぶと一緒に狩りをするのが最善だろうが! 攻撃力に多少の不足があっても俺の固有スキルは何でもできる、その力はみんなにとっても絶対に助けとなる! 決してお荷物やお客様にはならない――!」


「そうやってみんなにおんぶにだっこで、みんなの足を引っ張って、それで本当に青銅になれるのかよ?! 俺が青銅になれないだけならまだいい、でもそれにみんなを巻き込むんじゃねーよ!!」


 巽の内面がパーティ離脱派と残留派の二つに分裂し、激しい舌戦をくり広げた。ついには、


「そ、それじゃ……それ」


 パーティ残留派が巽の言語中枢を占拠、巽をして残留の意志を表明させようとする。パーティ離脱派が大慌てで反撃、巽の内側で激しい戦いが展開した。両派の内訌の余波で巽の身体がねじれてよじれ、愉快奇怪なその姿にゆかり達がドン引きした目を向けている。


「そ……そういうわけにもいかない……」


 長く苦しい死闘の末にパーティ離脱派がかろうじての勝利を収める。巽は狩りを終えたときのように息を荒げていた。


「でも巽さん」


 それでもなお食い下がろうとするしのぶを、ゆかりと美咲が制止する。


「以前にもあったよね、こんなことが。あのときと同じだよ」


「そうですね。わたし達は先に行って、巽先輩は少し遅れてそこに行くだけです」


 そういうことだ、と巽は意地で笑う。


「すぐに追いつくから先に行っていてくれ」


「はい。次にパーティを組むときは青銅クラスで」


 美咲が屈託なく笑ってそう言い、巽もこのときだけは「ああ、約束だ」といつものように笑って見せた。

 ――それから少し後。ちょっと用事があるから、と巽はゆかり達三人を先に帰し、その背中を見送る。三人の姿が人混みの中へと消えていき……その途端、巽の膝が折れた。


「あああぁぁぁあああー……」


 怒濤のように押し寄せる後悔が巽の身体にのしかかり、巽は再び失意体前屈となる。巽はその体勢でひたすら唸り続けた。


「ああ、どうしよう……どうする。メイジの支援もなしに二千メルクもの借金……返せるのか?」


 そんな巽に熊野は肩をすくめる。ゆかり達の前では見栄を張ったその意地を認めつつも、


「まあ頑張れ」


 熊野は他人事のようにそう言うだけだった。











「よし、巽! これが新生スパルタ団の第一歩だ!」


 ゆかり達三人から離れ、巽と二人だけのパーティを組むこととなった熊野は張り切った様子を見せた。それは空元気や見かけだけというわけでもなく、熊野は結構なハイテンションとなっている。そしてそんな熊野に、巽は共感を覚えないでもなかった。


「ここしばらく、あの三人におんぶに抱っこでしたからね。ここからは自分の足で歩いていかないと」


「そういうことだ」


 うんうん、と頷く熊野に巽は現状の問題点を指摘する。


「パーティメンバーが二人だけなのはちょっと心許ないですね。できればもう一人二人、贅沢を言うならうち一人がメイジなら」


「ふっ、その点には抜かりはない。さすがにメイジは無理だが団員候補を一人既に確保済みだ」


「へえ。どんな人ですか? 順位は?」


 巽の問いに熊野は「お前もよく知っている人だ」と勿体ぶった態度を取った。


「誰です?」


「神ゴリ子の姉御だ」


 巽は二呼吸ほど置き「……ああ」とため息みたいな返答をした。


「なるほど、すごく納得です」


「とりあえずこの三人が中核となって、見所がある奴を集めていく。そしてスパルタ団の名をメルクリアに轟かすのだ!」


 熱く拳を握り締める熊野に対し、巽は「はあ」という生返事しかできない。


「SNSでメイジの募集をかけておきますね」


「普通の団員もな」


 その日の打ち合わせはそれで終わり、後日神ゴリ子が正式にスパルタ団入団を表明した。さらには、


『わたしの知り合いでスパルタ団に入りたいって奴がいるんだけど』


 神ゴリ子の紹介した人物を熊野が面接し、その彼の入団が許可される。面接に立ち会わなかった巽がその新団員と初顔合わせをしたのは次の火曜日。つまりそれは狩りの日で、新生スパルタ団として初めて狩りをするその当日だった。

 ときは七月最後の火曜日、場所はメルクリア大陸のマジックゲート社ヴェルゲラン支部。その建物の前に巽、熊野、神ゴリ子の三人が集まっていて……注目の的となっていた。


「うむ! やはりこうでなくては!」


 熊野の武装はハルバードとラウンドシールド。その装備はマント・グローブ・ブーツ・赤パンツ――以上。無駄によく鍛えられたその筋肉は惜しみなく人目にさらされている。


「ああ、気持ちはよく判る」


 とポーズを取っているのは神ゴリ子。彼女の武装は長剣と、籠手と一体となった小型の盾。その装備はマント・グローブ・ブーツ・ビキニアーマー――以上。面積の小さいビキニアーマーの下は、繊維の全てが腱のような筋肉が全身を余すことなく覆っている。

 限りなく裸に近い二人と並ぶ羽目になり、巽は人目に付かないよう身を縮めている。その巽の武装は大分くたびれてきた金属鎧と、魔法剣でも何でもないただの長剣。予算が全然足りなかったり追加でローンを組む決心がつかなかったりで長剣の入手が間に合わず、その剣はマジックゲート社のレンタルサービスを利用して用意したものだった。


「新団員はまともな人だといいんだけど」


 と巽は願い……あいにくそれは聞き届けられなかった。


「団長、皆さん」


 と野太い男の声。巽達がそちらへと目を向けると――裸マントに赤パンツの男が歩み寄ってくる。巽は悟りに近い境地に達していた。


「……ああ、そうだよな。普通の感覚なら避けるよな、こんなパーティ」


 その新団員は巽より若干背が高いくらい。体重は、巽にしのぶを加算したくらいだろうか。胴回りは巽二人分もあるかもしれない。髪は丸刈りの五分刈り、頬から顎にかけて濃い髭が生えている。年齢は計りがたいがどんなに若くても二〇代後半、普通に見れば三〇代である。


「どうも、初めまして。円山鷲雄まるやま・わしおです」


 円山というその男が笑顔で軽く会釈する。それを受けて巽達も「どうも」と軽く挨拶をした。


「わしお……『わっさん』というのはどうだろうか」


「ええ、そう呼んでください」


 神ゴリ子が円山の綽名を決定し、円山はニコニコしながらそれを受け入れる。そんなことより、と言わんばかりに巽は円山の前へと進み出た。


「円山さんはメイジだって聞きましたけど本当ですか?」


「ええ。ですが、私が使えるのは治癒魔法だけなんですよ」


 巽が一呼吸置いて「ああ、そうなんですね」と答える。熊野から聞いていた話を再確認しただけなのだがそれでも「メイジならもしかして」という思いを捨て切れず、失望を抑え切れず、落胆を隠し切れていなかった。

 メイジが冒険者の間で奪い合いとなり、刃傷沙汰にすら発展することがあるのは、メイジの補助魔法がそれだけ効果絶大だからである。メイジ一人がいるのといないのとでは挑めるモンスターのレベル差が一〇近くにもなり、パーティの稼ぎに天地ほどの差が生まれる。だからこそ研修を終えたばかりのド新人でも、使えるのが「加速」という初歩的な補助魔法一つだけでも、メイジとなれば「殺してでもうばいとる」と言わんばかりの青田刈り合戦となるのだ。だが、


(使えるのが治癒魔法だけって……それメイジって言えるのか?)


 モンスターとの戦闘で怪我をしたとしても治療薬を使えばいいし、それは青空市場に行けばいくらでも買うことができる。ゆかりも治癒魔法は使えるし、巽達は度々負傷していたが、ゆかりに治癒魔法を使ってもらったことは一回もないはずだ。ゆかりの役目は補助魔法による支援であり、怪我の治療などパーティのメイジに求められるものではないのである。


「私は普段はそこの病院に勤めています」


 と円山はヴェルゲラン支部の付属病院を指し示した。


「元の世界でも病院勤め――柔道整体師をしているそうだ」


 と熊野が補足する。


「冒険者として成長すれば他の魔法も使えるようになるかも、と思って続けているのですが、これがなかなか……」


 なお円山は冒険者歴四年、国内順位は八千番台である。


「治癒しか使えないメイジなんかメイジじゃないだろう、という人達ばかりで入れてくれるパーティもそうそうありません」


 円山の嘆息に巽は気まずそうな顔をするが、それでも言わずにはいられないことがあった。


「ですが、支援のできないメイジのために直衛を一人つけるのは……」


「いえ、直衛は不要です」


 と円山は両手に持っている二枚の大きなラウンドシールドを掲げて見せた。その直径は一メートルを超え、凶悪な突起物が全面を覆っている。


「この盾は攻撃にも使えます。それに私の固有スキルは防御技です、自分の身は自分で守れます」


「納得できたか? 巽」


 熊野の問いに巽は「そうですね」と一応首を縦に振った。


「あとは実際に狩りに行ってみて確認しないことには」


「そういうことだ。それじゃ行くか」


 熊野が先導し、四人が転移施設へと移動する。新生スパルタ団は転移魔法を使い開拓地へと、モンスターの狩り場へと向かった。

 ……そうしてやってきた第二一五開拓地。熊野達は世間話をしながら野原を進んでいる。


「柔道整体師ってことはやはりずっと柔道を?」


「ええ、これでもインカレでは結構活躍したんですよ」


 と円山は言う。円山のような、あるいは神ゴリ子のようなフィジカルエリートが冒険者の道を選ぶのは珍しいことではないが、彼等の成功が約束されているわけではない。青銅まで上がっていく者ももちろん多いが、ぱっとしないまま中堅や低順位で燻っている連中は人数に応じてそれ以上に多かった。


(その一方で、しのぶやゆかりさんのようにスポーツと縁のなかった人間が青銅に上がろうとしている。不思議なもんだよな)


 だがだからと言って「フィジカルに恵まれない人間の方が冒険者として大成しやすい」というわけでは決してない。しのぶやゆかりの背後には「フィジカルに恵まれず、最後まで低順位のまま石ころで終わった」冒険者が何万といて、それが普通で順当なのである。結局、冒険者として上に行くために何が必要なのは未だ明確ではないのだった。


「みんな、何かいる」


 先頭を歩いていた巽が手で合図をし、熊野達は即座に戦闘態勢を取った。背の高い草むらに隠れるようにしてそこにいるのは一匹のペリュトン。鹿の頭部と脚、鳥の胴体と翼を有するキメラ系モンスターだ。


「kekekeke!」


 巽達に気付いたペリュトンが突撃してくる。巽はそれを迎え撃たんとしたが、ペリュトンは巽の頭上を飛び越えてまず熊野達へと襲いかかった。


「見よ! 我が筋肉は鋼鉄の城塞!」


 熊野は固有スキル「筋城鉄壁」を行使しペリュトンの突撃をはね返す。ただその運動エネルギーまでは受け止められず、熊野は尻餅をついていた。一方ペリュトンも体勢を崩していて、


「死にな!」


「成仏!」


 神ゴリ子と円山が攻撃を加えた。円山が大型のラウンドシールドを使ってペリュトンを殴りつけ、ペリュトンは悲鳴を上げている。さらにそれに熊野も加わり、巽が手を出すまでもなくペリュトンは倒され、その魔核は神ゴリ子の長剣へと回収された。


「よし、まずは一匹」


 と熊野が小さくガッツポーズ、神ゴリ子も悪くない出だしに頷いていた。一方円山は首を傾げている。


「一匹だけですか。ペリュトンは群れを作ることが多いと聞いているのですが」


 巽は嫌な予感に押されるように上を振り仰ぎ――


「くそっ……!」


 息を呑むのと同時に己の迂闊さを罵倒する。彼等の頭上一〇メートル弱の位置で羽ばたき滞空しているのは、十匹近いペリュトン。巽に数瞬遅れて熊野達もそれを目にし、一瞬狼狽えた。


「馬鹿な、こんな近くにいたのに気付かないなんて」


「ペリュトンには影がない、それで気付くのに遅れたんだ!」


 彼等が精神的に体勢を整えたのとペリュトンの群れが襲ってきたのはほぼ同時だった。巽は固有スキル「空中疾走」を使ってペリュトンのさらに上へと飛ぶ。目算ではこのまま二匹くらい始末するつもりだったのだが、


「くそっ! 遅い、身体が重い!」


 ついゆかりに「加速」の補助魔法をかけてもらうことを前提としてしまったが、ゆかりはもうここにいないのだ。それでも何とか一匹の首を刎ねて巽は着地する。その間に熊野達三人は、ペリュトンと乱戦になっていた。


「神さん後ろ! クマさんはわっさんのフォローを!」


 巽が指示を出してももうその時点で状況は変わっている。円山は何匹ものペリュトンに囲まれて絶体絶命に見えたが、


「『円の極意』!」


 左足を曲げて右の片足立ちとなった円山がバレリーナのように回転した。回転は目にも止まらぬほどの速さで、ペリュトンの攻撃は全てそれに弾き返されている。巽の眼はそれを固有スキルだと理解し、コピーのために自動で記録を始めていた。しかし、


「……しかし、また」


 微妙な固有スキルだった。少なくとも今の巽が切望する、攻撃力を向上させる種類のものではない。だが円山はこの固有スキル「円の極意(Ultimate Rotation)」を攻撃にも応用していて、


「成敗!」


 円山が長いチェーンでつながれた二枚のラウンドシールドを振り回し、それで殴られたペリュトンが血を噴き出している。ついでに熊野もそれで殴られ、吹っ飛ばされていた。

 ……戦闘は思いがけず長く続いた。結成したてのパーティのため連携が非常にお粗末なことがまず理由の一つ。味方への攻撃フレンドリーファイアも一度や二度ではなく、安全のために四人がてんでばらばらで戦っている有様だ。メイジの支援がないために決定力に欠けるのが二つ目で、三つ目は「ペリュトンは不利になれば空へと逃げる」ことだった。上に逃げたそれを攻撃できるのは巽だけで、結局キルスコアの半数は巽が稼いだものである。


「つ、疲れた……死ぬほど疲れた」


 群れの掃討が終わったとき巽は地面に這いつくばっていた。固有スキルを使いすぎて魔力が底をつきそうだ。


「以前にもペリュトンの群れを狩ったことがあったけど、こんなに苦労しなかったぞ」


 だがそのときは魔法剣を持ったしのぶがいて、無類の攻撃力を誇る美咲がいて、メイジであり司令塔でもあるゆかりがいた。現状とはまさに雲泥の差と言う他ない。


「怪我はないですか、花園さん」


「ええまあ何とか」


 円山に声をかけられて巽は立ち上がる。そこに熊野や神ゴリ子も集まってきた。


「良い稼ぎになったな」


「一〇匹もいたペリュトンを倒すなんて、わたし達ってかなり強いじゃないか」


「ええ、皆さんすごい冒険者です」


 熊野達三人はそう言って笑い合っている。その姿は巽にとって小さくない衝撃だった。


「それじゃ先に進むか」


「すみません、もう少しだけ休憩を」


 巽はそう言って魔力補充用のポーションを飲む。


「なんだ、この程度で。筋肉が足りないんじゃないのか?」


 神ゴリ子がそう言って巽をからかうが、巽は反発する気にもなれなかった。


「ゆかりさんなら誰が何匹倒したか把握できるんだろうけど……」


 あの乱戦の中で、夢中で戦っている当事者の神ゴリ子がそこまで判るわけもない。巽にしても判っているのは自分が五匹倒したことだけなのだから。

 そして四人は狩りを再開、この日の狩りは決して悪くない成果で終えることができた。だが巽はこのパーティに対して、その先行きに対して暗澹たる思いを抱かずにはいられなかった。











 ときは週末、少し早い時間に町工場のアルバイトを終えた巽は近所の業務用スーパーで買い物をしているところだった。


「おつかれさまです、巽さん」


「よう、こんにちは」


 そこに声をかけてくるしのぶ。


「しのぶもここで買い物か?」


「ええ、夕飯の用意に」


 買い物籠を手に提げた二人が並んで買い物をする。なおパーティ離脱と同時に巽は三人のシェアハウスに毎日行くことも毎日食事の用意をすることもやめていて(数日に一回はやっている)、しのぶと顔を合わせたのも何日かぶりである。


「今日は何にするつもりなんだ?」


「いえ、その、ちょっと手を抜いて親子丼を……」


「ああなるほど。それも悪くないかも」


 と巽は精肉コーナーへと向かい「卵はまだあったよな。出汁はあれとあれを組み合わせて」と料理の算段を進めている。一方しのぶは自分の買い物籠にこっそりとレトルト親子丼(税抜七八円)を放り込んでいた。

 買い物を終えて二人で歩いて自宅へと向かっている途中、巽のスマートフォンに美咲からの着信があった。


「もしもし?」


『巽先輩、うちに来ていただけませんか。今うちに――』


 通話を終えた巽は食材を持ったまま大急ぎで三人のシェアハウスへと向かった。シェアハウスに到着しその玄関を開けると、


「お帰りなさい、巽」


 細い眼鏡をかけてスーツを着込んだ、非常に小柄な体格の、OLのコスプレをした小学生みたいな女性が腕を組んで仁王立ちになっている――巽の母親である宮乃だ。宮乃は何故か怒っている様子であり、巽は一瞬言葉を詰まらせた。


「……その、ただいま」


 勝手知ったる他人の家と巽がスニーカーを脱いで上がろうとする。が、宮乃はそれを押し止めて自分が靴を履いた。


「それではお邪魔しました」


「いえ、また来てください」


 戸惑ったままの美咲を放置し、宮乃が玄関から出る。「ほら、行くわよ」と宮乃に促され、巽は首を傾げながらもその後に続いた。


「それでどうしてここに」


「どうせあなたのことだからお盆も帰ってこないんでしょう?」


 それ以外にほとんど会話らしい会話もないまま二人は巽のアパートへとやってきた。

 ……そして一、二時間ほど経て、夕食とその片付けも終えてようやく人心地ついた頃。


「あなたに話があります」


 卓袱台を挟んで宮乃が正座する。巽は面倒くさそうな顔をしながらもあぐらで宮乃と正面から向き合った。


「あなたの近況についてはゆかりさんから全部聞いています」


 宮乃の右ストレートに巽は上半身を仰け反らせた。次いで掌で顔を覆い、思わず唸る。


「ゆかりさん……でもあの人に口止めは無意味か」


 ついでに言うなら宮乃はゆかりの口を滑らかにするために地元の地酒を賄賂として渡していて、ゆかりはもうそれを飲み干して今は鼾をかいているところだった。


「ゆかりさん達から離れて別のパーティに移籍したことについては、わたしからとやかく言うつもりはありません。でも、二千メルクもの借金――あなたはこれをどうするつもりなんですか?」


「今のパーティだってそれほど悪くない。真面目に狩りをして地道に稼いで、少しずつ返済していくしか……」


 巽は自分に言い聞かせるようにそう言う。そう、新生スパルタ団は石ころのパーティとしてはそこまで悪くない。熊野や神ゴリ子はそれなりの順位だし、円山だって少なくとも足手まといにはなっていない。ただパーティにメイジがいないのと、比較対象のゆかり達との落差が大きすぎるだけである。


「どのくらいで完済できる見通しなの?」


「順調に行けば来年の三月には」


 狩りで稼いだメルクを全て返済に回せるのならその半分、三分の一の期間で完済できるだろうが、そうもいかないのが現実だった。いつまでもレンタルサービスを使っているわけもいかず、魔法剣でなくてもまともな長剣を手に入れたいし、金属鎧もこまめな補修が必要だ。ポーションやら治療薬やらは狩りのたびに消耗するし、狩り場に行くために転移施設を使うこと自体が無償ではないのである。

 はあ、と宮乃は大きなため息をついた。そしてバッグから何かを取り出し、それを卓袱台の上に差し出す。


「預金通帳?」


「あなたの通帳よ」


 小学生の頃にお年玉を預金するために通帳を作った覚えがあり、多分それだろうと巽は考えた。巽がそれを手にして開き、残額を確認し、


「え?」


 巽は最初見間違えだと思い、もう一度見直す。「十、百、千、万……」と桁を数え、何度見直しをしても同じだった――通帳残額が二千万円を超えている。


「母さん、これ」


 そうして宮乃の顔を見、ようやく巽は「宮乃が自分の貯金をその口座へと移動させたのだ」と理解。次の瞬間、巽はその通帳を卓袱台へと叩き付けた。


「いらねーよ! こんなの!」


「いいからそれで借金を清算しなさい」


「いらねーって言ってるだろ!」


 我知らずのうちに巽は立ち上がり、宮乃もそれに対抗して立ち上がった。卓袱台を挟んで親と子が対峙する。


「この金は母さんがずっと苦労して貯めてきたもんだろうが、そんなもの受け取れるか!」


「お金なんてまた稼げばいいだけでしょう!」


 そう言い返した宮乃が悲しげな顔を俯かせた。


「……本当を言えばそのお金で借金を清算して冒険者を辞めてくれるのが一番なんだけど、あなたはそれこそ死んでもそれを選ばないでしょう?」


 当たり前だと巽は頷く。巽は口に出して返答する必要すら感じていなかった。


「借金を返すために無理をして、それで死んだらどうするのよ。あなたの生命は二千万じゃ買えないのよ」


 巽は宮乃の顔を目にすることができず、顔を背けた。巽はそのままで呟くように言い返す。


「……また稼げばいいのは俺だって同じだ。確かに二千メルクは小さくはないけど半年かそこらで稼げるんだ。それと母さんのその金を一緒にはできない」


「借金を清算すればまたローンを組めるんでしょう? そうして良い武器を手に入れてお金を稼いで、そのお金はそれで返せばいいだけじゃない」


 確かに宮乃の提案には一理も二理もあり、反論はすぐには出てこなかった。少しの時間を経て、巽はある言葉を思い出す。


「……『easy come easy go』、これを翻訳すると?」


 脈絡のない巽の問いに宮乃は目を瞬かせたが、


「『悪銭身につかず』」


 小学校の教員である宮乃にとってこの程度の問題はまさに小学生レベルである。巽はその回答に肩をすくめた。


「でもこの英文って直訳すると『簡単に手に入ったものは簡単に失われる』って意味で、善悪は関係ないんだよな。親の金で借金の清算、って悪銭じゃないかもしれないけど『easy come』ではあると思わないか?」


 巽の言葉に宮乃は「むう」と唸った。


「母さんに金を出してもらって魔法剣を買って、またそれを折ったら今度はどうすればいいんだよ。剣を折ったのは、借金を背負ったのは俺が弱くてヘボだったからだ。借金を返済しながら経験を蓄積してカルマを獲得して少しずつでも成長して、次は同じ失敗をしないようにするんだよ」


 ……それでも宮乃は巽にこの通帳を受け取るように言うが、巽はそれを断固として拒絶。結局巽は自分の意志を貫徹することとなる。ゆかり達のシェアハウスに泊まるために宮乃がアパートを去っていき、巽が一人となり、


「……くそっ!!」


 振り上げた拳はどこにも持って行きようがなかった。可能なら不甲斐ない自分自身を力の限りぶちのめしたいが、分身の固有スキルをコピーでもしない限りそれは不可能だ。巽はやり場のない怒りと憤りを腹に抱えたまま毛布をかぶり、眠るしかなかった。

 そして次の火曜日の、狩りの日。スパルタ団の四人は先週に引き続き第二一五開拓地にやってきている。四人は緑濃い森の中を進んでいた。


「見つけた、オークが二匹!」


 斥候役の巽が報告と同時に走り出す。オークが棍棒を振り上げて巽を殺そうとするが、その前に巽の剣がオークの胴体を両断。二つの魔核が巽の長剣に回収される頃にようやく熊野と神ゴリ子と円山が巽に追いついた。


「何をしてるんですか。早く行きますよ」


「お、おう」


 返事を待たずに巽が先へと進む。何か言いたげな三人がそれに続くが、彼等は何も言えなかった。

 時刻はすでに昼を過ぎているが、これまで出現したモンスターのほとんどは巽一人で狩っている。巽は苛立ちや怒りといった空気をあからさまに放っていて、熊野がそれとなく注意をしても聞く耳を持たなかった。


「くそっ、低レベルの雑魚しか出てこない。この調子じゃ今日の稼ぎは……」


 巽は今日獲得した魔核のレベルを勘定し、それを四で割って自分の取り分を計算する。さらに毎回の狩りが今日と同程度だった場合の、借金完済までの期間を暗算した。


「だーあっっ!!」


 巽が奇声を発して頭を抱え、熊野達は目を丸くする。巽の歩速がさらに速くなり、熊野達は慌ててそれを追った。


「下手をすると一年かかるぞ。借金の返済だけで一年も使ったら残り時間が……美咲達に追いつくどころの話じゃない」


 三年以内になれなければ、青銅になれる可能性は極端に下がる――それは統計が示す冷厳たる事実だった。巽は冒険者となって(途中三ヶ月のブランクを挟み)もう一年半近く。巽にとっての残り時間はあと一年半しかないのだ。


「巽! おい待て!」


 熊野が声をかけるが巽は煩わしげな顔をするだけで勝手に先に進んでいく。巽の苛立ちはパーティメンバーへも向けられた。


「ただでさえ少ない稼ぎを四等分しなきゃいけないなんて……今日の狩りは俺一人でやってるようなもんなのに。もういっそソロでやった方が」


 その思いつきに、巽は目の前の視界が開けたような気がした。


「そうか、メイジもいないのにパーティを組まなきゃいけない理由はない。ソロでやればいいんだ。それなら三ヶ月ぐらいで、いやもっと短い期間で返済できる」


 そうだそうするべきだそうしよう――巽は心を固めてしまう。その決断を待っていたかのように、モンスターの群れが出現した。木々が倒れて森が少しばかり開けた場所で、


「ギガントホーネット、こんなところに」


 それは体長八〇センチメートルを超える、巨大な蜂のモンスターだ。一〇匹余りのギガントホーネットがそこで飛び交っている。ギガントホーネットはレベル六〇超でペリュトンとそこまで変わらないが、その速度からレベル以上に危険とされているモンスターだ。


「全部倒せば六〇〇メルク、借金が三分の二に!」


 だが今の巽にとってそれは金貨袋が飛び回っているようにしか見えなかった。巽が剣をかざしてその群れへと突撃、


「あの馬鹿!」


 と吐き捨てる熊野達がそれを追った。


「もらうぞ! お前等の魔核とカルマを!」


 「空中疾走」からの「疾風迅雷」で群れの直中へと飛び込み、「月読の太刀」へとつなぐ連続技コンボを発動。巽は一瞬で三匹のギガントホーネットを屠り――だが巽の快進撃もそこまでだった。


「くそっ、こいつ等……!」


 巽は剣を振り回すがモンスターに当たらない。ギガントホーネットは巽の剣を巧みにすり抜けてしまう。ギガントホーネットが出刃包丁のように巨大な毒針を突き立てんとし、巽は無様に転げ回ってそれを避けた。噴き出す汗が巽の額を濡らしていく。


「でもどうして、前に狩ったときはここまで強くは――」


 追い詰められた今になって巽はようやく思い出していた。前にギガントホーネットを狩ったときはゆかりの支援魔法を一身に受けて、それでようやく美咲やしのぶと同程度のスコアだったことを。だが今は支援魔法なしで、巽本来の実力だけで戦わなければならない。そしてその結果が、この有様だった。


「ぐあっ!」


 ギガントホーネットの一匹が背後から急襲、その毒針が巽の脚部に突き刺さる。毒針は金属鎧の膝関節の隙間を貫き、深々と食い込んでいる。肉がざっくりと切られ、大量の血が流れてブーツの中を濡らした。


「くそが!」


 自分の脚に喰らいついているモンスターに、その脳天に長剣を叩き付ける巽。そのギガントホーネットは真っ二つとなり魔核を吐き出した。これでようやく四匹。だがギガントホーネットはまだ七匹もいて、巽は怪我でまともに動けず、さらに、


「くそ、毒が……」


 巽は震える手で毒消しのポーションを飲もうとするが、ギガントホーネットがその隙を見逃すはずもない。何匹ものギガントホーネットが一斉に巽へと襲いかかり、巽は一瞬「逃げられない、これで死ぬ」と絶望した。


「ぬおーっっ!! 『円の極意』!!」


 眼前に突然竜巻が発生したかのような光景に、巽は目を見開いた。円山鷲雄の固有スキル「円の極意」がギガントホーネットの群れをはね返し、はじき飛ばしている。


「一人で先走るからだ!」


「後で説教だ、覚悟しとけ!」


 そしてはじき飛ばされてふらついているギガントホーネットを神ゴリ子がはたき落とし、熊野がとどめを刺している。ギガントホーネットは標的を熊野へと変更するが、


「見よ! 我が筋肉は鋼鉄の城塞!」


 熊野の固有スキル「筋城鉄壁」はその毒針をものともしなかった。さらにその間に、


治癒ヒーリング!」


 円山が巽に治癒魔法を行使。傷口の出血は止まり、ポーションを飲むまでもなく毒の効果は消し去られる。


「あ……ありがとうございます」


 未だ状況を把握できず呆然としているかのようだが、それでも巽は礼を言う。円山は「話は後で」とそれを受け流した。


「まずはこの群れを何とかしましょう」


 円山が二枚のラウンドシールドを構えて敵と対峙、長剣を握った巽がそれに並んだ。

 出血を止めたと言っても傷は深く、飛んだり走ったりできる状態ではない。巽は足を止め、敵を追って仕留めるのではなく、襲い来る敵を迎え撃つことに専念した。速度でギガントホーネットに対抗できないのは神ゴリ子も同じで、熊野と円山の固有スキルは防御技だ。結果として四人全員が足を止めて迎撃に徹することになったが、それが正解だったのだろう。


「『筋城鉄壁』!」


「『円の極意』!」


 ギガントホーネットの攻撃は熊野と円山が受け止め、敵が体勢を崩したところを狙って神ゴリ子と巽が攻撃し、息の根を止める。地味で地道な防衛戦をかなりの時間続け、


「これで、ラスト!」


 神ゴリ子の長剣がギガントホーネットの胴体を貫き、そのまま地面に叩き付けられる。それが吐き出した魔核は長剣へと回収され、ギガントホーネットの群れは何とか一掃された。


「終わった……」


「さすがに疲れたね」


「まあいい稼ぎにはなりましたが」


 力尽きた熊野達三人がその場に座り込む。巽もその場に座りたかったが、立ったままでいた。怪訝な顔をする熊野達に対し、巽が深々と頭を下げた。


「済みません……勝手なことをして、一人で先走って」


 それだけを口にし、頭を下げ続ける巽。神ゴリ子が立ち上がり、


「歯ぁ食いしばれ!」


 鉄拳を巽の顔面に叩き込み、巽をぶっ倒した。神ゴリ子は肩をすくめ、「説教は任せた」ともう一度座り込む。バトンを渡された熊野はちょっと困った顔をした。


「説教なんて柄じゃないし、充分反省しているようだし、くどくどと小言を言うつもりはないんだが……一つだけ」


 熊野が座ったままでそう言い、巽は上体を起こして「はい」と神妙な顔をした。


「今のお前がゆかりさんのパーティメンバーとして相応しいのか? しのぶちゃんに釣り合う冒険者なのか? 美咲ちゃんから先輩と慕われるのに値するのか?」


 熊野の諫言が巽を打ちのめし、巽は倒れ伏しそうになった。神ゴリ子に殴られる方がずっとマシである。


「まあ、今回の失敗は教訓として次に生かせばいいだけです」


 円山はニコニコしながら巽のフォローをした。


「失敗は誰にでもあります。試行錯誤がなければ成長はありません。同じ失敗をしないようにし、明日へとつなげていきましょう」


「はい、ありがとうございます」


 巽は心からの言葉を円山に告げる。円山だけではない。熊野も神ゴリ子も、巽にとっての人生と冒険者の先輩であり、得難いパーティメンバーだった。

 巽の怪我があり、またギガントホーネットの群れを狩って充分に稼いだこともあり、少し早いが今日はもう引き上げることとなった。ヴェルゲランへと戻ってきた巽は病院で治療を受けてから大阪へと転移する。大阪に戻ってきたときにはもう日は沈んでいたが、夏の直中でありまだまだ空気は蒸し暑かった。


「あっちは涼しくて過ごしやすいのに、こっちはたまらんな」


「ええ、本当に」


 まとわりつくような暑さと湿度に熊野と巽は閉口する。マジックゲート社の敷地を出たところで、巽は見慣れた三つの背中を見つけた。ゆかり・美咲・しのぶの三人が巽達の前方を歩いていて、彼女達も狩りを終えて帰るところなのだろう。今はまだ声をかければ届く距離だ。だがその背中は遠ざかっていく一方だった。


「……いいのか?」


 熊野の問いに巽は首を縦に振る。


「ええ、今はまだ」


 今はまだ一緒に歩くときではない。だがいつか、いつの日か――巽はその約束を胸に秘め、彼女達とは違う道を歩き出した。いつの日か、その道が一つに交わると信じて。




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