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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
二年目
24/52

第一七話「熊野亮の憤慨」




 ときは七月中旬のある火曜日、場所はメルクリア大陸の第二二一開拓地。巽達は例によってそこで狩りをしているところである。


「Gogaaaaa!」


 巽達が戦っている相手はナックラヴィー。ケンタウロスのような半人半馬だが一つ目で豚のような鼻面。その上半身には皮膚がなく筋肉や血管が剥き出しになっている。醜悪であるだけでなく、怪力を有する凶暴なモンスターだ。

 ナックラヴィーは長い腕を振り回すが美咲は冷静に距離を測っている。ナックラヴィーの間合いの外に出た美咲が、


「月読の太刀!」


 その固有スキルを行使。不可視の刃がナックラヴィーの胴体を両断し、それが吐き出した魔核は美咲の刀に回収された。

 一方しのぶもナックラヴィーの眼前で固有スキル「隠形」を使用する。獲物を見失ったモンスターは右往左往するが、その間にしのぶはナックラヴィーの背の上へと移動していた。ナックラヴィーがしのぶの体重を察知して振り返ろうとしたその瞬間、しのぶの魔法剣がナックラヴィーの心臓を背後から一突きにする。心臓を完膚無きまでに破壊され、ナックラヴィーは一撃で絶命した。

 さらに一方、巽と熊野は二人がかりで一匹のナックラヴィーを倒そうとしている。が、苦戦中だった。


「でええいいっっ!」


 熊野が渾身の力を込めてハルバードを叩き込むが、ナックラヴィーの手がその柄を受け止める。両者が力比べをするがその均衡は長い時間続かない。押されたのは熊野の方だった。


「くそっ!」


 熊野がナックラヴィーの力を受け流し、モンスターが体勢を崩したところに巽が突撃。


「『疾風迅雷』!」


 固有スキルにゆかりの補助魔法も加え、巽の剣は矢のような速さでナックラヴィーへと襲いかかり――だが浅い。巽は剣をナックラヴィーの脇腹に突き刺したが、そこは急所ではなかったのだ。動きの止まった巽をナックラヴィーが殴り飛ばし、巽が地面を転がった。


「巽!」


 ナックラヴィーが倒れた巽を馬蹄で踏み躙らんとし、熊野がモンスターの前に立ちふさがり、その体当たりで熊野が跳ね飛ばされ、ナックラヴィーが巽へと迫り――


「死んでください」


 しのぶの魔法剣はナックラヴィーの首を大根か何かのように易々と断ち切っていた。生命と魔核を奪われたモンスターの身体が横倒しとなり、しのぶはその胴体から巽の剣を回収する。しのぶがその剣を持って巽の下へと向かうが、巽は自力で立ち上がろうとしているところだった。


「大丈夫ですか? 巽さん」


「ああ、どうってことない。すまない」


 巽はそう言いながらしのぶから剣を受け取る。安堵したしのぶが微笑むが巽は複雑そうな表情だ。熊野もまた既に起き上がっていて二人の下へとやってくるが、その表情は巽とよく似ていた。


「特に問題はなさそうです。このまま先に進みましょう」


「そうですね」


 美咲が一同を先導し、狩り場の奥へと進んでいく。その横にしのぶが並び、その後ろをゆかりが続く。そして三人の後ろには巽と熊野が位置していた。

 この日、巽達は第二二一開拓地でナックラヴィーを中心とした強力なモンスターを多数狩って、かなりの収穫で狩りを終える。だがそのほとんどは美咲としのぶが狩ったもので、巽と熊野のスコアは散々な有様だった。

 ……少し前から薄々と感じていて、目を逸らしていたことだが、否が応でも実感せざるを得なかった。巽と熊野は今日の狩りで一つの所感を共有している。

 ――力の差が大きくなっている。もう見ない振りはできないくらいに。











 場所は大阪キタの繁華街の一角、小さな雑居ビルの小さなバー。その夜そこには一〇人の冒険者が集まっていた。


「この間は妖刀型モンスターの緊急討伐、おつかれさま! 今日稼げた人も稼げなかった人も、また来週頑張りましょう! それじゃかんぱーい!」


 ブランデーがなみなみと注がれたグラスを掲げ、ゆかりが乾杯の音頭を取る。それを受けて九人の冒険者と一人の安全指導員が「かんぱーい!」とグラスやジョッキをぶつけ合った。


「今日は狩りの帰りなんですか?」


「ああ、第二一五開拓地でペリュトンをな。結構いい稼ぎになったぜ」


「もう長いことソロで?」


「ああ。手頃なパーティとはなかなか縁がなくてね」


 この飲み会の趣旨は「妖刀型モンスターの緊急討伐の慰労会」というもので、参加者はその緊急討伐に加わった一〇人、それに高辻だ。「慰労会である以上一〇人全員が集まらなければ意味がない」と日程を調整しているうちに二週間経ってしまったのである。

 とは言え、緊急討伐後の慰労会は義務でも慣例でも何でもない。結局慰労云々はただの口実で、「他パーティの美人さんともっと仲良くなりたい」と考えた人間が主導し、とにかく酒が飲めれば何でもいい人間がそれに乗っかって開催に至ったわけである。


「おねーさん! うちのパーティに来ませんか! いやいっそ僕の人生のパートナーに!」


「ごめんねー、わたしはもう巽君から離れられない身体に……」


「どちくしょー!!」


 そして主導者の思惑はゆかりに一言で撃破されていた。

 飲み会の中心となっているのは例によってゆかり、それにムードメーカーの鞍馬口天馬だ。その店はゆかりの知り合いのもので事実上の貸し切り状態。彼等は自制というものをどこかに放り捨て、乱痴気騒ぎに興じている。

 店の中央ではスポットライトを浴びた熊野と神ゴリ子が競うように互いの筋肉を誇示していて、周囲が声援を送っている。ゆかりを筆頭とする酔っぱらいどもは絶好調であり、宴会はいつ終わるともしれなかった。

 巽はテーブルの片隅にいて適当に相槌を打ち、会話に参加する振りをしていたが、


「てめーは自分がどんなに恵まれてるのか判ってんのか? それで誰が本命なんだよ?」


「いやその、三人とも美人で可愛いとは思いますけど、そんな風には……」


 質の悪い酔い方をした鞍馬口にからまれ、巽は辟易している。それでも巽は今回の飲み会をそれなりに楽しんでいた。

 一方、美咲としのぶはカウンター席に陣取り、二人で烏龍茶をすすっている。二人は場の空気になじめず、時間を持て余しているようだった。


「よう、お二人さん。楽しんでるぅ?」


 その二人のところに足下がやや覚束ない様子の高辻がやってくる。アロハシャツ姿の高辻はグラスを手にしていて、美咲の隣に座った。高辻の酒臭さに美咲は閉口したが、それを表情には出さなかった。


「……正直言ってこういう席はあまり好きではありません」


 本当に馬鹿正直にそう言う美咲に高辻は苦笑するしかない。


「まあ、酒が飲めなきゃ楽しさは半減かもしれんがねぇ。もう少し経って飲めるようになれば」


「そうなってもああはなりたくないと思います」


 美咲の視線の先には、巽の膝の上に座っているゆかりの姿があった。酔っぱらって悪のりしたゆかりが巽に酒を口移ししようとし、鞍馬口や熊野が血涙を流し、巽は顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。


「うん、あれは悪い大人の例だから」


 と高辻もゆかりのフォローをしようとは思わなかった。


「でもこういう席で顔見知りや仲良しを作っておくのも大事なんだぜぇ? 前にしのぶちゃんが高順位の忍者の人から話を聞ければ、って探してたことあったじゃん。もしかしたらこういう席でできたコネでそんな人が見つかっていたかもしれないし」


「横のつながりが大事なのは判ります」


 としのぶ。ただそう言いながらもコネを作るのはゆかり任せで、自分で動こうとは考えもしていない。一方美咲は、


「……」


 何か言いたそうにし、結局何も言わないでいる。会話が途切れ、その沈黙は思いがけず長く続いた。


「……妖刀に操られていた、藤森玄蕃という人ですが」


 話題に窮した美咲がかなりの時間を遣ってようやく見つけたのは、先日の緊急討伐で死んだ侍の話である。どうもっていこうと明るい話になる題材ではなく、高辻はやや困った顔をした。


「八年も冒険者をやっていた、国内では最古参ですよね。高辻さんの知っている人でしたか?」


「顔と名前くらいは。でもしゃべったことは多分一回もなかっただろうなぁ」


 そうですか、と美咲。また少しの間沈黙が流れ、


「八年も続けていたのに結局あんな死に方をするんだもんなぁ。あと二年で上がりだったのに」


 冒険者ってのは無情だね、と高辻が深々とため息をつくが、


「登録抹消を待つ必要があったのですか?」


 と美咲は不思議そうな顔をした。






「青銅になれないのなら早めに冒険者を辞めておけば良かっただけでしょう」






 空気に亀裂が入ったかと思われた。店内は一瞬前の喧噪が嘘のように音をなくし、息苦しいほどの静寂がその場を支配している。美咲は自分が失言したことを理解したが、取り消しようも取り繕いようもなかった。誰もが唖然としたように美咲を見つめ、それを一身に受けた美咲が焦ったように周囲を見回している。沈黙はいつまでも続くかのように思われたが、実際にはさして長続きしなかった。


「……このガキ!! 何様のつもりだ!」


 真っ先に激発したのは鞍馬口である。殴りかかるかのような勢いで美咲に詰め寄り、慌てた巽と熊野が二人がかりでそれを押し止めようとする。鞍馬口は巽と熊野を引きずって美咲の眼前までやってきて、美咲も立ち上がって彼と対峙した。怒りに燃える鞍馬口の視線と強い意志を宿した美咲の視線が空中で火花を散らしている。


「才能だけで順位を上げてきたクソガキが、人の苦労も知らずに勝手なことを……!」


「長く続ければ偉いのですか? 苦労をすれば偉いのですか?」


 美咲の反論に鞍馬口がさらにぶち切れる。暴れる鞍馬口を巽が抑えようとし、殴られて跳ね飛ばされた。


「てめえ!」


 鞍馬口が放った右拳を美咲が掌で受け止め、両者の力が拮抗する。


「順位が全て、ランクが全て――それが冒険者という職業でしょう。いくら時間や苦労を重ねても順位が上がらなければ意味などありません」


 美咲は静かに、だが毅然と言葉を重ねる。その一言一言が鞍馬口を痛打した。急所を狙った的確な打撃が鞍馬口に深刻なダメージを与え――ゆかりとしのぶを除くその場の全員が巻き添えを喰らっていた。


「そのくらいにしておけ」


 熊野が鞍馬口の右手と美咲の左手を掴み、両者を引き離した。その握力に美咲が顔をしかめ、熊野の手を振り払う。熊野はさりげなく鞍馬口の前に立ち、その巨体で鞍馬口から美咲のことを遮断した。


「順位が上がらなくても、青銅になれる見込みがなくても、それでも諦められない。冒険者を辞めたくない――それは悪いことなのか? 仮にそれでモンスターに殺されたとしてもただの自己責任、それもまた冒険者ってもんだろう」


 熊野が諭すようにそう言い、美咲は顔を背けた。


「わたしは間違ったことを言ったとは思いません。……ですが、この場で言うべきじゃなかったのも確かです」


 美咲は「済みませんでした」と深々と頭を下げる。数えたようにきっちり五秒後、頭を上げた美咲は身を翻した。美咲が風のように店から出て行き、しのぶが「待ってください」とそれに続く。さらにゆかりが、


「ごめん、わたしも行くね」


「ああ、任せる」


 巽がそう答え、店を出て行くゆかりの背中を見送った。美咲・しのぶ・ゆかりが去っていき……残った七人の冒険者の表情は様々だった。忌々しさ、苦々しさを噛み締めた顔、腹立たしさを噛みつぶした顔、ふて腐れたようになっている者。高辻は苦笑いしながら肩をすくめ、巽は美咲のことを心配しているような様子だった。

 そんな巽を鞍馬口が見とがめ「おい」と刺々しく声をかける。


「はい?」


「何でお前はここにいるんだよ。お前もあっち側じゃねーのか」


「いや、俺もこっち側ですから」


 鞍馬口は「そーかよ」とだけ言い、それ以上何も言わなかった。

 ……沈黙が店内を満たしている。酔いは完全に覚め、場は白けきっていて、もう飲み会や宴会といった空気ではなかった。このまま解散するしないように思われたが、


「それで、どうする?」


 熊野がその場の全員に問い、問われた方は怪訝な顔をした。


「どうするって?」


「『青銅になれないのなら早めに冒険者を辞めればいい』――確かにその通りだなって言って、それを受け入れるのか?」


 冗談じゃねぇ、と鞍馬口が吐き捨てるように言う。


「俺はもう五年目だが、青銅になるのをまだ諦めたわけじゃない。諦めが悪いってあのクソガキは嗤うのかもしれんが」


「わたしだってもう六年目だ。確かに最近は惰性で狩りを続けていたのかもしれないけど、もう一度本気で……!」


 と神ゴリ子が拳を握り締める。澱んだ空気が吹き払われ、代わりに熱気がその場を満たそうとしていた。


「三年以内になれなければ、青銅になれる可能性は極端に下がる――それは判っているよな」


 高辻の確認に鞍馬口は「もちろん」と頷く。高辻が提示したのは冒険者にとっての常識であり、過酷な、だが厳然たる事実だった。才能のある人間はほんの二、三年で青銅に上がっていく――逆の言い方をしたなら「ほんの二、三年でそこまで行ける天凛しか青銅になれない」となり、これが九割以上真として成立した。もちろん中には五年六年にしてようやく青銅になる人間もいるが、それは数少ない例外でしかない。


「あの子達との力の差が開いていた。もう一緒にパーティを組むのは難しいかもしれん」


 熊野は静かにそう言い、握り締めた自分の拳に視線を落とした。


「あの子達はこのまま順調に順位を上げて、年内には青銅になるんだろう。俺の限界はこの辺の順位なのかもしれんが……」


 熊野は美咲達と毎週同じだけ狩りに出、同じだけモンスターを狩ってきた。獲得してきたカルマにもおそらく大差はないはずである。だがそれでも力の差が大きくなっている。熊野の成長が止まる一方、美咲達は足を止めずどんどん先へと進んでいる。同じだけカルマを得ようと魂がそれを糧とし、成長につなげる効率には差があり、「それ以上カルマを獲得できない、魂が成長しない」という限界点にも差がある。つまりはそれが才能の差、天凛と凡人との違いである――そうであるのだが、


「だからってそう簡単に諦められるかっ、こっちにも意地ってもんがある」


「その通りだぜ、おっさん!」


 鞍馬口が熊野の背中を平手で叩き、景気のいい音がした。


「あのクソガキ共に目にものを見せてやろうぜ!」


「わたし達の時間も経験も決して無駄なもんじゃないと、判らせてやろう」


 鞍馬口が、神ゴリ子が頷き、熊野もまた意志を等しくする。鞍馬口のパーティメンバーもまた強く強く頷き、彼等の心は一つとなった。


「それで具体的にはどうする気だい?」


「このメンバーで狩りに行こうぜ! ル・ガルーを狩って一気に青銅に」


「いや、さすがにそれは無謀だろう。だが多少背伸びをしたモンスターを狙うなら……」


 熊野と鞍馬口と神ゴリ子が中核となり、一同は狩りの打ち合わせで盛り上がっている。一方巽はその一同の輪から少し外れたところいて、その横には高辻が佇んでいた。


「いいわけ? 巽ちゃん」


「何がですか」


「ここにいて、さ。美咲ちゃんやしのぶちゃん達の方に行きたいんじゃないの?」


 行きたくないと言えば嘘になりますが、と巽は言う。


「でも、俺もこっち側ですから」


「そうとは限らんとおっちゃんは見てるんだけどねぇ。ま、おっちゃんの目は節穴だってご近所でも評判だけど」


 そう言って高辻は笑う。巽は何も言わず、狩りの方針が定まるのを待っている。そうしながら、巽はある一つの決意を胸に秘めていた。









 ときは週末、場所はメルクリアン大陸ヴェルゲラン。


「ご予約のハナゾノ様ですね。どうぞこちらへ」


 巽はとあるメルクリアン商人の店を訪れている。これまで愛用していた青空市場の露天商ではなく、石造りの三階建ての住居兼店舗である。それはヴェルゲランに何十軒もある武器店の一つであり、その店では刀剣を専門に扱っていた。

 巽は商人の案内でその店舗へと入り、熊野が半ば野次馬でそれに付き添っている。ソファに着席した二人にメルクリアンの女性がお茶を出し、二人はそれをすすった。


「そうか、ついに魔法剣を買う決心を」


「ええ。なかなか決断できなかったけど、本気で上を狙うならここで思い切らないと」


 そんな会話をしているところに商人が一本の剣を携えてやってくる。商人はそれをテーブルに安置し、勿体ぶりながらビロードの包み布を外し、


「これは……見事だな」


 熊野が感嘆し、巽の口からもため息が漏れた。姿を現したのはレイピアのように細い長剣だが刀身には複雑な紋印が刻まれ、魔法の光を淡く放っている。金属の柄も同じような紋印を有しており、何らかの魔法効果があるものと思われた。仮に何の魔法効果がなくてもそれらの紋印は芸術的な美しさであり、工芸品として一級の価値があるだろう。


「刀身はなんと総ミスリル製! 剣の本体を打ったのはヴェルゲランでも指折りの工房ですし、魔法を付与したエルフのメイジは新進気鋭で最近かなり名を聞くようになった人です」


 商人が自慢げにその剣をアピールするが、それを手に取った巽は難しい顔をする。


「ちょっと細くて随分と軽いな。正直言って頼りない感じが……」


 思いがけない巽の感想にその商人は「いやいやいや」と心外そうに反論した。


「総ミスリルの刀身をさらに魔法で強化しているんですよ? 滅多なことでは折れませんし、大抵のものはバターみたいに簡単に斬れますよ」


「でもなぁ……もうちょっと重い剣はないんですか?」


 商人は気が進まない様子だったがそれでも別の剣を用意する。


「それならこちらはどうでしょう。ミスリルと鋼の合金です」


 芸術品とも見間違うミスリルの剣とは正反対の、実用一辺倒の無骨な剣だった。今使っている剣よりは若干軽く、重さは程良い。店の裏庭で試し斬りもさせてもらったが、大きな岩がまるで木材のような手応えで簡単に斬れてしまった。


「いいな、これ。重さも手応えも切れ味も申し分ない」


「ですがこちらの剣の魔法効果は切れ味に対するものばかりで、刀身の強化は申し訳程度です。頑丈さならミスリルの剣の方がずっと上なのですがねぇ」


 商人はあくまでミスリルの剣を薦めようとし、熊野が、


「それで、肝心のお値段は?」


 最も重要なことを確認する。商人は満面の営業スマイルをたたえ、


「私どもも最大限勉強させていただき――お値段なんと、四九七〇メルク!」


「無理です」


 巽は〇・一秒で即答した。


「こっちの合金の剣は?」


「そうですね。三千メルクで」


「こっちにします」


 もう選択の余地はなく、考える必要もなかった。その合金の魔法剣を購入した巽は武器店を出、


「ん? どうした巽」


 巽の背中が震えているのを見、熊野が問う。その震えは次第に大きくなり、


「論外の五千メルクと比較すれば随分安いような気がしてつい買ってしまったけど、三千メルク……!!」


 巽は頭を抱え、その場に崩れ落ちそうになった。だがかろうじて踏みとどまっている。


「今のレートで三三〇〇万円! 工場の時給が一〇二七円だから三万二千時間分、一ヶ月一六〇時間働くとして約二〇〇ヶ月、年にすると一七年近く!!」


「レベル三〇のモンスターなら百匹、レベル五〇なら六〇匹だろう?」


 熊野のもっともな指摘も巽の耳には入っていないようだった。あまり意味のない計算をして懊悩し続ける巽を引きずるようにし、熊野は転移施設への帰路に就いた。











 そして翌週の火曜日。巽達は朝早くからメルクリア大陸のマジックゲート社ヴェルゲラン支部へとやってきている。


「巽先輩、それ……」


「ああ。ローンを組んで手に入れた」


 巽は腰の長剣を抜いてその刀身を美咲達へと示す。巽が軽く魔力を込めると刀身に刻まれた紋印がわずかに光を放った。


「魔法剣、ようやく買ったんですね」


「いくらしたの?」


「三千メルク」


 巽の回答にゆかり達が「おー」と感嘆したが、


「うち二千メルクがローンだ。また借金を返すために狩りをする日々が……」


 巽は背に哀愁を漂わせ、遠い目をした。


「今より上のモンスターも狙えるようになりますし、すぐに返せますよ」


 としのぶが励まそうとし、ゆかりも、


「だいじょーぶ二千メルクくらい! ゴブリンの緊急討伐に七回くらい飛び入りで参加すれば」


 と言って美咲にハリセンで殴られている。


「ま、地道にやっていくさ」


 半分苦笑のその笑顔にしのぶや美咲が複雑そうな顔をした。


「巽さん、本当にあっちのチームに行くんですか?」


「巽先輩は石ころに安住して満足するような人じゃないと信じていますが……」


 美咲の言葉に巽は「当然だ」と強く頷く。


「クマさんも鞍馬口さんも、誰も石ころのままでいるつもりでやっているわけじゃない。力を合わせて上を狙う、今日はそのための狩りだ」


「それならわたし達と一緒でも」


 しのぶがそう食い下がるが巽は「いや」と首を横に振った。


「力の差が開いてきたのは事実だし、二人に頼りきりだと成長もできないしな」


「意地があるんだもんねぇ、男の子には」


 とゆかりが美咲としのぶの肩を抱く。


「ここは我慢して見送ってあげるのがいい女だよ?」


 とウインクするゆかり。巽は「ありがとう、ゆかりさん」と頭を下げた。


「それじゃ行ってきます」


 そう言って背を向ける巽を、


「行ってらっしゃい」


「ご武運を」


 としのぶと美咲が見送る。二人は巽の背中が人混みの中に消えていくのを見つめていた。

 そして巽の背中が見えなくなり、


「それじゃ少し離れます」


 しのぶが忍者らしく印を結んで固有スキルを行使、しのぶの姿がその場からかき消えた。しのぶが戻ってきて姿を現したのは数分後のことである。


「巽さん達は第二〇八開拓地でアンフィスバエナを狙うそうです」


「なるほど、それではわたし達も行きましょうか」


「はい」


 美咲としのぶが歩き出すが、その目的地がどこかは言うまでもない。ゆかりは苦笑しながら二人の後に続いて歩き出した。

 ……時刻はすでに昼に近い。場所は第二〇八開拓地の、砂と砂利ばかりの荒野。そこを冒険者の一団が歩いている。メンバーは巽・熊野の他、神ゴリ子、鞍馬口天馬とそのパーティメンバー、合計七名だ。鞍馬口のパーティメンバーの一人は二メートルにもなる鉄槍を二本担いで運んでいる。


「なかなか見つからないな」


「普通のモンスターも出てこないですね」


 ここまでで狩ったのはごく低レベルのモンスターをほんの数匹でしかない。彼等は全員モンスターの姿を探し求め、油断なく周囲に目を配っている。


「人数も増えているのに、このままじゃ赤字もいいところだぞ……っと、あそこに!」


 熊野が指し示す先には豚の顔と人間の胴体を持ったモンスターの姿があった。低レベルモンスターの中ではなじみ深く有名な、オークである。


「行きます!」


 と巽が走り出す。オークは冒険者から奪ったと見られる長剣を振りかざして巽を迎え撃たんとした。巽が剣を抜き、オークが剣を突き出し――巽の身体がその剣を、オークの身体を突き抜けた。


「Bugigigi?!」


 オークが焦ったように周囲を見回し、その背中が袈裟懸けに斬られる。オークから魔核を回収した巽は一同の下へと戻っていった。


「……今のはこの間の侍の固有スキルか。確か『蜉蝣』とかいう」


「ええ。実戦で使えるか一度試してみたかったんです」


 鞍馬口が面白くなさそうに問い、巽が言い訳するように答える。巽のフォローをするように神ゴリ子が、


「それで、真似してみてどうなんだい?」


「すごいテクニカルな固有スキルで、再現が難しいです。相手が格下なら失敗はまずないですけど、同格に近くなったら失敗する可能性が高くなる……って感じです」


「じゃあ格上なら?」


「レベルが上がるとそれだけ成功の可能性がどんどん低くなると思います」


 なるほど、と熊野達が納得の様子を示した。その中で鞍馬口が呆れたような……あるいは哀れむような顔をして。


「なんとゆーか、お前のその固有スキルって」


「はい」


「雑魚掃討用だよな」


 自分でもそう感じていたことを端的に、身も蓋もなく言い表され、巽は大いに凹まされていた。ただ表面上はいつもの仏頂面を保っている。


「雑魚の群れ相手に無双して蹴散らす分には無類の威力を発揮するだろうけど」


「……ええ、格上相手に一発逆転を狙うような力はありません」


 そう言って落ち込む巽の背中を、熊野が強く叩いた。


「なに、決定力に欠けているのは俺も同じだ!」


 巽がたたらを踏みそうになるが熊野はそれに構わず、自分に言い聞かせるように言う。


「足りない攻撃力は魔法剣や魔法付与の武器で補えばいい。モンスターを狩ってカルマを獲得して、少しずつでも成長していって地力をつけて。それでも足りなければ筋肉で補う!」


 と熊野が力瘤を作り、神ゴリ子も「その通り!」とポージングをした。そんな二人に巽が苦笑する。


「確かにそうですね」


「いや、素の筋力は必要だけどよ」


 と鞍馬口が何か言いかけたが、最後まで言えなかった。


「――そこに何かいる」


 一同の先頭を歩いていた斥候が警告を発したからだ。彼等は全員一瞬で精神を切り替えた。


「その岩の向こうだ。でかい何かが動いていた」


「出てくるぞ」


 七人の冒険者が散開し、モンスターを迎え撃つ態勢を取った。待つほどの時間もなく巨大なモンスターが岩の影から姿を現す。


「出てきたか、アンフィスバエナ……!」


 剣を抜いた巽はその切っ先を眼前のモンスターへと向けた。

 体長は五メートルにもなるだろう。トカゲの胴体から蛇の首が二つ延びていて、その背には蝙蝠の羽根。まるで二本首のドラゴンのような姿だが、これは決してドラゴンなどではない。レベル四桁が当たり前のドラゴン亜種ですらなく、レベル二桁の、ただのキメラ系モンスターである。ただそのレベルは七〇から八〇にもなり、今の巽達にとってはかなり背伸びした獲物だった。


「それでも、七人も冒険者がいるんだ。決して狩れない相手じゃない」


「そういうことだ」


 巽が、熊野が、鞍馬口が、神ゴリ子が、その得物の刃をアンフィスバエナへと向ける。アンフィスバエナは敵意に満ちた唸り声を出した。この七人を食い殺し、そのカルマを獲得したいと、その赤く輝く目が物語っている。


「もらうぞ、お前のカルマを」


 だがそれは巽も同じだった。こいつを倒し、俺は上へ行く――その意志を両掌に込めて魔法剣を握り締める。熊野も、鞍馬口も、同じ決意を共有している。


「Gyagyagyagya!」


 アンフィスバエナが咆吼を上げる。それは戦いの開始を告げる号砲だった。


「行くぞ!」


「まずは手筈通りに!」


 事前の打ち合わせに従い、熊野と神ゴリ子が突出する。二人がハルバードと長剣をかざしてアンフィスバエナへと突撃、モンスターが二人を迎撃した。アンフィスバエナが長い首を振り回して二人をなぎ払おうとし、二人が慌てて後退。その分モンスターが前進した。


「Gyagyagyagya!」


 アンフィスバエナが毒を吐いて攻撃した。いや、それは毒と言うよりは強酸だ。毒を浴びた地面が泡を噴いている。アンフィスバエナが首を曲げて神ゴリ子に毒を浴びせようとするが、


「『筋城鉄壁』!」


 その前に熊野が立ち塞がり、固有スキルで毒をはね返した。アンフィスバエナが忌々しげに熊野を睨み、唸っている。アンフィスバエナは蝙蝠のような羽根を広げ、それを羽ばたかせる。その巨体がわずかに宙に浮いた。


「行かせるか!」


 神ゴリ子がアンフィスバエナの尻尾を両手で掴み、さらに熊野がそれに続いた。


剛力パワー!」


 メイジが補助魔法で二人を支援、神ゴリ子と熊野が並んで尻尾を掴み、


「でぁりゃーっっ!!」


「うぉりゃーっっ!!」


 渾身の力を込めて振り回す。アンフィスバエナの巨体が横に流れて岩にぶつかった。大したダメージではない、だがそれは怒りを募らせている。


「Gyagya!」


 アンフィスバエナが尻尾を振り回し、今度は二人が振り回されて跳ね飛ばされた。だがそれも特にダメージはなく、二人ともすぐに起き上がる。両者の距離が開き、アンフィスバエナは翼を大きく広げた。そしてそのまま数メートルの宙へと浮き上がり、


「喰らえっ!」


「死ねや!」


 上空からの急襲がその飛膜を貫いた。墜落したアンフィスバエナが悲鳴を上げ、熊野は「やった!」と指を鳴らしている。

 上空という死角から敵に一撃を加えたのは「空中疾走」という固有スキルを有する鞍馬口、それに巽である。二人は長さ二メートルにもなる鉄槍を担いで上空へと駆け上がり、その重量と全体重をアンフィスバエナの右飛膜へと叩き込んだのだ。鉄槍はその飛膜を易々と貫き、地面に深々と突き刺さっている。アンフィスバエナは右側の翼を地面に縫い止められた形となり、飛べないだけでなく移動そのものを封じられている。


「Gyagyagyagya!」


 アンフィスバエナが怒りと屈辱で激しく暴れ回った。でたらめに、手当たり次第に毒を吐きまくり、熊野達は少し距離を置いてその攻撃をやり過ごす。

 暴れ疲れたのか、モンスターの動きが鈍ってきた。それを見計らって巽が突撃する。だがそれはアンフィスバエナの罠だったのかもしれない。モンスターは怒りに爛々と輝く四つの眼で巽を見据えている。巽は舌打ちし――さらに強く地面を蹴った。瞬く間に敵との間合いがゼロとなる。アンフィスバエナが鎌首をもたげて毒を噴射、巽は、


「空中疾走!」


 上空へとジャンプしてそれを避けた。巽の身体が空中で二回転三回転する。全身のバネを駆使し、渾身の力と魔力を魔法剣に込めて、


「月読の太刀!」


 巽が有する最大威力の一撃。巽の魔法剣はアンフィスバエナの首を断ち切っていた。その首と巽が同時に着地する。


「よくやった!」


 と鞍馬口が歓声を上げ――次の瞬間には巽の身体が吹っ飛んでいた。アンフィスバエナの尻尾に殴打された巽の身体が一〇メートル近く宙を飛び、地面を転がる。


「巽!」


 熊野の声に巽が反応、起き上がろうとし……だが起き上がれないでいる。まるで今の攻撃に全ての力を遣ってしまったかのようだ。


「後退して休んでいろ、残りは俺達で片付ける」


 熊野はハルバードを握り締めてアンフィスバエナと、その首の一つと向き合った。首を一つ潰してももう一つ残っている。その息の根を止めるには残った首も仕留めなければならないのだ。


「Gyagyagyagyaー!」


 アンフィスバエナが一際巨大な咆吼を上げた。飛膜が裂けて千切れるのも構わずに翼を持ち上げ、ついには縫い止めていた鉄槍を二本とも抜いてしまう。


「だがそんなボロボロの翼じゃ、もう飛ぶことも――」


 熊野はそこまで言って硬直した。アンフィスバエナはもう飛ぶことはできないが、地面を走ることはできるのだ。その巨体が全力で疾走、熊野に真正面からぶつかる。熊野はハルバードの柄でアンフィスバエナの牙を受け止めた。敵がそのまま毒を噴射し、熊野が「筋城鉄壁」で防御。だが一瞬間に合わず、熊野の服は強酸でボロ布と化す。皮膚にも火傷を負ったが、


「この程度がなんだ!」


 まだまだ充分戦える。熊野は気力と筋力を総動員してアンフィスバエナと力比べをした。両者の力が数秒間拮抗する。その間に、


「熊野そのまま!」


 鉄槍の一つを担いだ神ゴリ子が突撃。神ゴリ子はそのままその槍をアンフィスバエナの片眼へと突き刺し、それが断末魔の悲鳴を上げた。さらには、


雷撃サンダーボルト!」


 メイジが攻撃魔法を全力で撃ち放ち、鉄槍を伝った雷撃がモンスターの頭部の半分を吹き飛ばす。そしてとどめを刺したのは鞍馬口だった。


「往生せいやーっ!!」


 上空から流星のように降ってきた鞍馬口が鉄槍のもう一本をアンフィスバエナの脳天に突き刺し、串刺しとする。それでもなおアンフィスバエナの胴体は動いていたが、時間の問題でしかなかった。やがて力尽きたその胴体が横倒しとなり、それが吐き出した魔核が鞍馬口の腰の短剣に回収される。


「……はあ」


 安堵のため息をついた鞍馬口がその場に座り込んだ。しばらくの間誰も動くことができなかったが、やがて一同が鞍馬口の下へと集まってくる。


「やったな」


「やりましたね」


 皆が口々にそう言い、満足げな笑みを交わし合った。


「……しかっし、こんだけ苦労して稼ぎが百メルクにもならないんだよな。全然割に合わねーぜ」


 鞍馬口の軽口に神ゴリ子が「確かにね」と苦笑した。


「でも、このレベルのモンスターを安定して狩れるようになれれば今よりずっと稼げるようになる。そしていずれは……」


「そうだな。そしていずれは、だ」


 鞍馬口はそう言って拳を握り締めた。

 その一方、熊野は顔色の悪い巽の様子に眉を寄せている。


「おい、大丈夫か?」


「ええ、何とか。ちょっと加減が判らなくて、魔力を使いすぎたみたいです」


「そりゃ魔法剣だけじゃなく、あれだけ固有スキルも使っていればな」


 ええ、と頷いた巽は力尽きたようにその場に座り込んだ。用意していた魔力補充用のポーションをがぶ飲みする。


「確かに威力は段違いだけど、固有スキルと両立させて使うのは難しいですね。使いこなせるようになるまでどれだけかかるか……」


「だが使いこなせれば一〇歩も二〇歩も前進だ。頑張れ」


 熊野は簡単にそう言い、巽は天を仰ぎながらも「頑張ります」と応えた。


「正直言って、今日はもうこれで引き上げたいくらいですけど」


「気持ちは判るが、七人もいてこの程度じゃ足が出るだろう。無理をせずに、手頃なレベルのモンスターを狩って……」


 そんな会話が聞こえたのか、何物かが接近する足音がする。早速出てきたな、と鞍馬口が舌打ちして剣を構えた。

 一同が得物を構えてそれが出てくるのを待っている。やがて岩の影からモンスターが姿を現した。二本足で立って歩く、身長二メートルを超える、人間型のモンスターだ。その全身は獣毛で覆われ、鋭い爪と牙を有し、その頭部は狼のよう……


「る、ル・ガルー……」


 熊野は震える声でその名を呼んだ。


(ル・ガルー、人狼系モンスター)


(人狼系モンスターはレベル三桁が当たり前)


(ル・ガルーは人狼系モンスターの中でも最弱とされるが、それでもレベル一〇〇前後)


(青銅を獲るための登竜門と言われる、レベル三桁のモンスター)


(どうしてレベル三桁のモンスターがこんなところに)


(レベル三桁だぞ、逃げるしかない、逃げ切れるのか)


 いくつもの思考が熊野の脳裏で渦を巻くが、それは次の一言へと収斂されていった――レベル三桁。それを狩れる冒険者が青銅クラスと呼ばれる、熊野達にとってあまりに高いハードル。


「くそっ、どうしてこんなところにル・ガルーが……気が早いんだよ一年くらい!」


 今日のような狩りをくり返し、最も理想的に成長できたとしても青銅になれるまで一年は必要だろうと鞍馬口は考えていた。いずれはル・ガルーに挑戦するとしても、それは最短でも一年先だと考えていたのだ。それなのに……


「……Grruu」


 ル・ガルーが鞍馬口達を睥睨しながら唸り、誰かが「ひいっ」と小さく悲鳴を上げた。


「ど、どうするんだよ。逃げないと」


「に、逃げるったって、逃げ切れるのか」


 七人の冒険者は全員パニック寸前となっていた。下手に騒ぐと襲いかかられる――その恐怖が彼等の軽挙妄動を抑えているだけである。ル・ガルーはまるで品定めでもするかのように、静かに熊野達を見回していた。どれから喰らえば楽しめるだろうかと、迷っているかのようである。


「全員バラバラの方向に走って逃げれば六人は助かる……かもしれん」


「それしかないだろうね」


 熊野の提案に神ゴリ子が頷く。鞍馬口やそのパーティメンバーにも異存はないようだった。そして巽は、


「お、おい――」


 熊野が驚きに眼を見開いた。巽がかすかに笑いながら剣を抜いてル・ガルーの前へと進み出たからだ。ル・ガルーは興味深げに巽のことを見つめている(ように見えた)。


「よお、一年ぶりか?」


 巽は気安げにル・ガルーへとそう呼びかけた。一年と三ヶ月前、巽が冒険者となった初日。研修で赴いた狩り場で巽はル・ガルーに遭遇、そのときの巽達も全員バラバラの方向に散って逃げようとしていたのだ。


「冒険者として結構成長したつもりだったけど、実はそれほど強くなってないのかもな」


 巽の笑みの理由を熊野が理解できるはずもなく、熊野には巽が狂ったようにしか思えなかった。


「お、おい、何を考えている! 何をする気だ!」


「俺がこいつを引きつけます。その間にみんなは逃げてください」


 巽がル・ガルーへと剣を向ける。ル・ガルーもまた巽を獲物と狙い定め、その牙を剥いた。


「死ぬ気か! 馬鹿な真似は」


「俺が一番手札が多いし、一番威力のある剣を持っているし、いざとなれば上に逃げられる。俺が残るのが最善です」


 自己犠牲を気取っているわけではない。全員が生き残る確率が最も高い、それが最善の方策だと巽の理性は計算していた。そして巽の野生は――


「俺の成長をその身で確かめるか、ル・ガルー!」


 牙を剥いた巽が吠え、それに応えてル・ガルーもまた吠える。闘争本能を解放し、歓喜に笑うその顔はまるで鏡写しのようだった。


「うおおっっ!!」


「Grururu!」


 巽の魔法剣とル・ガルーの爪が激突し、火花が散る。巽とル・ガルーは二合三合と打ち合ったが、すぐに巽が押され出した。巽が後退し、その分ル・ガルーが前進する。ル・ガルーの豪腕が巽の体勢を崩し、おおきく振りかぶったル・ガルーの爪が巽の身体を引き裂――


「くそったれが!」


 ル・ガルーの爪を受けたのは鞍馬口の短剣だった。巽が「鞍馬口さん」と目を見開く。


「上に逃げるんだったらてめーよりも俺だろうがよ!」


 鞍馬口がそんな雄叫びを上げながらル・ガルーと斬り結ぶ。さらには、


「だぅりゃー!!」


「この馬鹿野郎が!!」


 神ゴリ子と熊野までが参戦。三方からの刃にル・ガルーは煩わしげな顔をし、若干後退した。冒険者とモンスターとの間に数メートルの距離が空く。


「神さん、クマさんまで」


「これでお前が死んだらゆかりさん達に会わせる顔がないだろうが」


「こうなったらもう力を合わせてこいつを倒すしかない。そして全員生き残る!」


 神ゴリ子の言葉に巽が、鞍馬口が、熊野が頷く。そんな四人を面白そうに笑うように、ル・ガルーが唸り声を出した。


「行くぞ!」


「応!」


 熊野の号令に巽達が応え、四人が突撃する。正面から、右から、左から、そして上から。四人が四方向からル・ガルーへと突貫した。


「だっしゃー!!」


 真正面からル・ガルーへと突っ込んだのは神ゴリ子だ。固有スキル「剛力招来」を全開で使用して筋力を六倍まで引き上げ、その全力を長剣に込めてル・ガルーへと叩き付ける。だがル・ガルーはその剣を掌で受け止めた。


「な、馬鹿な!」


 ル・ガルーの掌が切れて血が流れているがただのかすり傷だ。ル・ガルーは顔色一つ変えずに神ゴリ子の剣を握り締めている。神ゴリ子が全力で剣を押し、ル・ガルーがそれを受け止め、両者の力は少しの間拮抗した。


「姉御、そのままだ!」


 熊野がその隙を突くようにハルバードでル・ガルーを叩き斬ろうとし――ル・ガルーが剣ごと神ゴリ子を振り回した。熊野は神ゴリ子の身体で横殴りにされ、諸共に吹っ飛ぶ。

 上空から飛来した鞍馬口がル・ガルーの脳天を狙って短剣を突き通そうとする。だがル・ガルーは身体をひねってそれを避け、鞍馬口の短剣はル・ガルーの肩に突き刺さった。ル・ガルーが鞍馬口を捕まえようとし、鞍馬口は間一髪でジャンプ。その手から逃れて距離を取った。そしてその瞬間を狙い、


「てええいいっっ!」


 巽の魔法剣がル・ガルーの腕を切り裂いた。手首を半ばまで裂いてかなりの血が流れているが、ル・ガルーは痛みを感じていないかのようだ。ただ屈辱ではあるようで、不快そうな唸り声を出している。


「くそ、浅いか」


 巽は舌打ちした。だが魔法剣による攻撃は通用している、急所さえ狙えるなら倒せない敵じゃない――巽は高揚に血を沸き立たせている。


「あいつの後ろに回り込みます。正面から注意を引いてもらえますか」


 巽の依頼に、


「判った」


「そんなに長くは持たねーぞ」


「ここで決めろよ」


 神ゴリ子と鞍馬口と熊野がそれぞれの物言いで承諾する。三人は一、二秒視線を合わせ、頷き合い、そしてル・ガルーへと一斉に突撃した。それに四秒ほど遅れて巽もまた行動を開始している。


「空中疾走!」


 巽は最大出力の「空中疾走」でル・ガルーの頭上を一気に飛び越えた。ル・ガルーの後背一〇メートルの地点に着地した巽は次に「疾風迅雷」を使用、その距離を一瞬でゼロにする。その間に熊野達三人がル・ガルーに襲いかかり、腕の一振りで三人まとめてなぎ払われている。だがその背中はがら空きだ。


(この胴体はさすがに両断できない、狙うのはそこ――!)


 巽の眼はル・ガルーの延髄しか見ていなかった。魔法剣を振りかざし、持てる全ての力と魔力を魔法剣に込めて――そのときル・ガルーの上半身が回転する。だがやるべきことは変わらない、このままル・ガルーの首を切り落とすまで!


「月読の太刀!」


 金属が砕ける音がした。剣を振り抜いた体勢の巽が身体と心を硬直させる。あまりに軽い手応え、あまりに心許ない剣の重みに、巽は壊れたロボットのようになりながらル・ガルーの方を振り返り……ル・ガルーが何かを喰らっている。

 細長い、銀色に輝く、剣の刀身――それをル・ガルーが噛み砕いている。バラバラになったそれを吐き捨てている。そして巽の手の剣は……刀身の半分が失われていた。魔法剣の刀身が折れて、その長さが半分になっている。


「さ、さんぜんめるく……」


 巽の身体から力が抜けた。膝を突かなかったのはほとんど奇跡である。だががっくりと項垂れているその姿は、まるで死刑執行人に斬首されるのをただ大人しく待っているかのようだ。そして狼の顔をした執行人が刑に処すべく巽へと向かっている。


「何をしている! 逃げろ!」


 熊野の必死の呼びかけも巽の耳には届いていなかった。仮に聞こえていても魔力と体力を使い果たした巽はろくに動くことができなかっただろう。熊野は「くそったれ!」と罵声を上げながらハルバードを振りかざしてル・ガルーへと突進する。その熊野を、何者かが追い抜いた。


「巽さん!」


 しのぶが忍者刀でル・ガルーを攻撃、ル・ガルーが爪でそれを迎撃する。熊野は思わず足を止め、呆然とその光景を見つめた。


「しっかりしてください、巽先輩!」


 さらには美咲もしのぶに並んでル・ガルーと戦っている。二人の声に巽が顔を上げ、


「ど、どうしてここに」


「そんな話は後です。今はこいつを何とかしないと」


 説明しにくいことを何とかごまかした美咲がル・ガルーの爪を打ち払い、数メートル後退して距離を取った。しのぶもまた若干後退し、彼女達とル・ガルーが対峙する。


「ば、馬鹿! 早く逃げろ! 俺が注意を引きつけておくから」


「却下です」


「お断りです」


「ダメに決まってるじゃない、巽君」


 ようやく追いついたゆかりも加わり、三人が口を揃えて巽の言を退ける。巽は何か言おうとして言葉にならず、無為に口を開閉させた。


「年内にはこいつに挑戦するつもりだったんです。それが少し早くなっただけです」


 美咲はそう言ってル・ガルーへと斬りかかった。ル・ガルーが豪腕を振り回し、接近する美咲をなぎ払おうとする。美咲はそれを避け、あるいは剣で払い、ル・ガルーに対して一歩も引かずに戦っていた……十数秒の間は。


(速度も腕力も限界まで強化しているのに……!)


 ゆかりが補助魔法「加速」と「剛力」の重ねがけをし、美咲の速度と腕力は普段の二倍以上三倍近くとなっている。だがそれでも届かない。ル・ガルーの力と速度に押されている。美咲はじりじりと後退した。後退し続けていた。

 ゆかりは脂汗を大量に流し、苦痛に顔を歪めている。その表情に巽は焦りを募らせた。


「まずい、あれだけの補助魔法がそんなに長続きするわけがない。早く勝負を決めないと……!」


 せめて美咲の得物が魔法剣だったなら――そこまで考え、巽はあることに気が付いた。


「しのぶ!」


 巽の呼びかけにしのぶは即座に反応した。しのぶが忍者刀――魔法剣を投げ、巽がそれを受け取る。


「行くぞ、ル・ガルー!」


 巽は残った力の全てを振り絞ってル・ガルーへと突貫した。ル・ガルーはそれを見据えながらも美咲との戦いに専念している。巽が美咲の横を通り過ぎてル・ガルーに最接近、美咲はその隙に一気に数歩後退した。ル・ガルーは煩わしい巽を先に始末しようとし――


「『蜉蝣』!」


 巽の身体がル・ガルーの身体を突き抜けた。勢い余った巽がル・ガルーの背後で地面を転がっている。ル・ガルーが驚きに硬直、それはほんの刹那の時間でしかなかったが、


「月読の太刀――!」


 美咲が奥義を発動するにはそれで充分だった。持てる魔力の全てを注ぎ込んだ奥義に、しかも得物は魔法剣――しのぶの忍者刀だ。美咲の中にはもう魔力の一滴も残っていない。


「Gurruu……」


 ル・ガルーが訝しげな、あるいは満足したような、静かな唸り声を上げる。ル・ガルーの胴体からその首が転がり落ち……その身体がゆっくりと倒れた。


「た……倒したのか?」


「ええ、多分」


 信じられないような熊野の問いに美咲がそう答える。そう言っている間にその胴体が吐き出した魔核は美咲の手の忍者刀へと回収されていた。そのしのぶの忍者刀は巽が「蜉蝣」を行使する寸前に「百手の巨人」を使って美咲へと手渡したものだった。


「魔核は回収しました、もう立ち上がることはありません」


 美咲はそれだけを言い、その場に座り込んだ。


「大丈夫ですか、美咲さん」


「済みません、もう動けません」


「わたしもわたしもー」


「悪い、俺も……」


 美咲だけでなくゆかりや巽も魔力を根こそぎ使い果たして、動くこともままならない状態だ。熊野はその光景にため息をつき、


「すまん、ポーションがあったら回してくれ」


 とりあえず魔力の応急補充をしようとする。一〇人の冒険者が全員何とか動けるようになり、ヴェルゲランへの帰路に就いたのはそれからかなりの時間が経ってからのことだった。











「これが才能の差、天稟と凡人の違いというやつなんだろうな」


 熊野はそう考えながらため息をついている。そのため息の大部分は「諦念」と呼ばれる感情でできていた。


「あの子の暴言には腹が立ったが、言うだけのものはもう持っていたわけだ」


 後先考えずにゆかりに補助魔法を使ってもらい、しのぶの魔法剣を使い、巽に隙を作ってもらい――それでようやくル・ガルーを倒したわけで、青銅クラスに認定されるには美咲はまだ力が足りていなかった。だがその力を身につけ、彼女が青銅を獲るのはそれほど遠い先ではないだろう。もう既にこれだけの力を見せつけているのだから。

 美咲だけではない。しのぶも、ゆかりも、近いうちに青銅クラスに上がっていく。それに巽も――三人と比較すればその成長は遅いが、それでも巽がいなければル・ガルーに勝てはしなかった。おそらくは巽もまた青銅へと至るのだろう、少なくともその可能性の片鱗は見せている。


「いや、百回同じことをやったら九九回失敗します。百分の一の成功が運良く最初に来ただけです」


 ル・ガルー相手に「蜉蝣」を使ったことについて、巽はそんな風に言っていた。だが運も冒険者の実力のうちだし、決して運だけで百分の一の成功を掴んだわけではないのだ。


「青銅になるのを諦めたわけじゃない……だが同じペースで歩いていくのは、もう無理なんだろう」


 熊野はそう呟いてため息を吐き出す。ある決意を胸に秘めて。

 その日の夜、メルクリア大陸から大阪へと戻ってきたとき。熊野はゆかり達にパーティから抜けることを申し出た。




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