第一六話「鷹峯美咲の陰謀」
冒険者が森の中を進んでいる。彼等はマジックゲート社に所属する冒険者であり、このメルクリアの開拓地でモンスターの姿を探し求めて歩いているところだった。
冒険者は五人。一人は黒いローブのメイジ、一人は軽装鎧の盗賊、一人は金属鎧の戦士。そして残りは侍二人である。その二人の侍は、
「てめえ……喧嘩売ってるのなら喜んで買うぞ」
「へっ、そうこなくちゃな」
今にも斬り合いを始めようとしていた。
侍は二人とも和装だが真っ当なそれでなく、いかにもファンタジーな似非和装だ。着流しを着ているのは三〇手前の侍。桃太郎みたいな陣羽織の侍は二〇歳そこそこだろうと思われた。
この若い侍は竹田某という名前で、五人の中で彼だけがパーティメンバーではない。彼はある事情があって他の四人のパーティに臨時で入れてもらい、狩りに来ているのだが……その彼が年かさの侍を散々挑発し、喧嘩を売ったのだ。
二人の侍が若干の距離を置き、腰の刀に手をかけている。今にも流血沙汰になりそうな状況に他の三人は何もできないでいる。――いや、戦士は「我関せず」とばかりに素知らぬ顔で、盗賊は「やれやれ頑張れー」と無責任な声援を送っている。メイジの女性は、
「あ、あの、こんなところで……」
と何とか止めようとするがそれはあまりに力不足で、右往左往するばかりだ。正確には何もしようとしないのが二人、何もできないのが一人だった。
「それで、得物はどうする? 本身での斬り合いはさすがにまずいだろう」
「何を言っている? 真剣でなきゃ意味がないだろう」
若い侍の発言に年かさの侍が唖然とした。
「てめえこそ何言ってる。俺に人殺しをさせるつもりか」
「人を殺す度胸もねえのに侍を名乗っているのか? 腰のそれはただの飾りか?」
若い侍が口を歪め、年かさの侍をさらに挑発する。挑発された方は、
「……要するに、何でもありの真剣勝負がお望みか?」
若い侍が「ああ、もちろん」と強く頷き、年かさの侍は嘲笑を向けた。
「それなら手段を選ばず勝ちに行こうか」
年かさの侍が視線で合図を送り、戦士と盗賊が若い侍を包囲。さらにメイジが補助魔法を使うべく杖を構えている。包囲された方は舌打ちをした。
「勝負ってのは一対一でするもんだろうが。卑怯者め!」
負け犬の遠吠えに年かさの侍は「勝手に決めるな」とせせら笑うばかりである。
「本気の殺し合いなら一人を複数で袋叩きにするのも戦術のうちだろうが」
「とは言え本当に殺すのはちょっとまずいよな」
「もちろん死なないように注意はするが、仮に死んでも事故だろう」
包囲網がじりじりと狭まり、若い侍が殺気を飛ばして牽制する。だが彼等も何年もモンスターと生命のやりとりをしてきた冒険者だ。その程度で怯むことはなく、斬りかかるタイミングを窺っている。
両者の距離が事実上のゼロに近づき、次の瞬間には斬り合いが始まろうとした、そのとき。
「Bigigigigi!」
森の中から突然複数のモンスターが現れた。出現したのは二メートルを超える巨体を有し、全身毛むくじゃらの醜悪な容貌をした人型系モンスター、トロルである。トロルは三匹いて、三匹ともが粗末な棍棒を手にしている。
「ちっ、先にこいつ等を片付けるか」
若い侍が真っ先に走り出し、トロルの一匹へと斬りかかる。二匹は四人組の冒険者が担当する形になった。さらに戦士と盗賊がトロルの一匹を引き受け、残った一匹と年かさの侍が対峙した。
年かさの侍に対してトロルが真っ直ぐに突っ込んでくる。トロルが高々と棍棒を振り上げ、その侍は不敵に笑った。
「喰らいな! 奥義――」
その侍が固有スキルを行使。突進してきたトロルは侍の身体をすり抜け、通り過ぎてしまった。慌てたようにトロルが急停止し、後ろを振り返ろうとする。だがもう遅い。トロルは背中から心臓を一突きにされ、魔核を奪われて絶命した。
「なるほど、それが『蜉蝣』か」
後ろから声をかけられ、そちらの方へと振り返ろうとするその前に、
「が――」
年かさの侍が背中を袈裟掛けに斬られる。大量の血が噴き出し、その侍は地面に倒れ伏した。
「てめえ!」
怒号が、悲鳴が聞こえる。誰かと誰かが戦っている。誰かの断末魔が轟いている。だが年かさの侍は指一本動かすことができない。彼の意識は急速に遠のいていき……そのまま途絶えていった。
『それは冒険者の仕事なの? わたし達は便利屋じゃないんだけど?』
週末のある日。高辻は巽達のパーティにとある面倒な依頼をするためにゆかりへと電話する。予想通りゆかりの反応は決して芳しくなかった。
「いやまー確かに警察や憲兵の仕事なのかもしれないけどさー。メルクリアンの評議会が関わってきてもそれはそれで面倒じゃん?」
受話器の向こう側でゆかりが『むー』と唸っている。
「マジックゲート社としては可能な限り社内だけで片付けたいわけよ。モンスターの仕業である可能性も高いわけだし、だったらその対処は冒険者の仕事じゃん?」
『それはそうだけど……』
とゆかり。ほんの数拍ほどの沈黙があり、
『――みんなと相談するから一旦切るね』
通話が終了した。高辻のスマートフォンに巽からの電話が入ったのは数分後のことである。
『その仕事、俺達も手伝わせてもらおうと思います』
「巽ちゃんありがとー! いやー、毎回毎回面倒ばっかりかけて悪いねぇ」
『いえ、高辻さんにはいつも世話になっていますから』
そのとき、電話の向こうでゆかりの声とがさごそという音。『もしもし?』と言ってきたのは巽ではなくゆかりだった。
『引き受けた以上はやるけれど、ちゃんと安全確保は考えてくれるのよね?』
「もちろん! 他のパーティにも声をかけて、完璧とはいかなくても万全は期すから」
それならいいけど、ゆかり。その後電話での簡単な打ち合わせをし、後日顔を合わせての詳細な作戦会議が開かれる。作戦が決行されたのは数日後の火曜日のことである。
そして七月最初の火曜日の朝、場所はメルクリア大陸のマジックゲート社ヴェルゲラン支部。巽達はいつものようにそこを訪れ、狩りのために開拓地に向かうところだった。
「今日はトロルを狙って第二一四開拓地に行きませんか?」
「確かに手頃で悪くはないけど……もうちょっと上のモンスターを狙ってもいいんじゃないか?」
美咲の提案を巽は却下しようとするが、美咲は食い下がった。
「それもそうなんですが、やはりたまには長物を持った人型モンスターを斬りたくなるんです」
侍の性分は判るけど、と巽は苦笑。美咲が続けた。
「それに先日、どこかのパーティが一匹のトロルに奇襲されて、一人を残して全滅したと聞いています。冒険者のカルマを獲得して飛び抜けたレベルとなったモンスターがいるのなら放っておくわけにもいきません」
それもそうだな、と巽は考える。パーティメンバーのゆかり・熊野の顔を見、異存はなさそうだと判断した。
「それじゃ第二一四開拓地に」
「行くんだったら、同行しても構わねえか?」
不意に巽達に声をかけてくる男が一人。歳の頃は三〇手前。着流しを身にした、侍と思しき冒険者だ。
「あなたは?」
不審げな美咲の問いに、
「あんたがさっき言っていた、トロルに奇襲されて全滅したパーティ。その生き残りさ」
男は飄々とそう答え、美咲は息を呑んだ。
「ええっと、その」
と困ったように言葉を詰まらせる美咲に対し、
「なに、強い冒険者がモンスターから魔核を奪い、より強いモンスターが冒険者を食い物にする――メルクリアじゃ当たり前のことだろう? ただ、落とし前はつけてやらなきゃな」
男はそう言って肩をすくめる。美咲と巽は顔を見合わせた。
「パーティを全滅させたトロル、その居場所を知っているんですね」
「一週間も同じ場所に留まっているかは保証の限りじゃないが……」
「いえ、それで構いません」
こうして巽・美咲・ゆかり・熊野の四人はその男と共に第二一四開拓地に向かうこととなった。互いに冒険者メダルを見せ合い、それで知ったその男のデータは以下の通りである。
「藤森玄蕃/侍/ランク外/六五二一ポイント/五九九二位」
なお現時点の順位はしのぶが五七〇〇位、美咲が六一三二位なので、彼の順位ははしのぶと美咲の中間程度となる。冒険者歴はもう八年を超え、国内では最古参の冒険者の一人だった。
身長は巽より若干低い程度で、痩身。陰気な面差しにニヒルを気取った皮肉げな笑みを常に浮かべている。鎖帷子や籠手や臑当を装備し、その上から着流しを身にしている。得物はもちろん日本刀。長髪を無造作で後ろで括った、素浪人といった風情の人物だった。
……転移魔法を使い、中継地点をいくつか挟み、やってきた第二一四開拓地。ベースキャンプを出た巽達五人は森の中へ入っていった。
森の中を少しばかり進むと、いきなりトロルが三匹現れた。トロルのレベルは五〇から六〇。怪力を有する上に耐久力と再生能力も高い、かなり強力なモンスターである。
その三匹のトロルは美咲達を見るなり襲いかかってきた。三匹とも巨大な棍棒を手にしていて、それを大きく振りかぶる。前を歩いていた美咲と玄蕃の二人に棍棒が振り下ろされんとする。もし棍棒の直撃を受ければ生身の人間など西瓜のように砕け散ってしまうだろう。だが美咲も玄蕃も、騒ぎも慌てもしなかった。
「へっ、遅えよ」
玄蕃が一歩踏み込み、トロルの懐に飛び込む。トロルは玄蕃を両腕で締め潰そうとしたようだが、その前に玄蕃の刀がトロルの両腕を斬り落としていた。
「Bigigigigi!」
汚い悲鳴を上げるトロルの首を玄蕃が刎ね飛ばす。その身体が吐き出した魔核は玄蕃の刀に無事回収された。
玄蕃はもし苦戦しているようなら手助けするつもりで美咲の方へと顔を向け――二匹のトロルは既に地面に倒れ伏していた。美咲は懐紙で刀を拭っている。美咲は無言のまま先に進むことを促し、美咲に玄蕃が続く。さらにその後を巽達三人が続いた。
「……『月読の太刀』だったか。鷹峯流の奥義は」
独り言のような玄蕃の言葉に美咲は眉を跳ね上げた。
「見せてはくれないのか?」
「あの程度のモンスターに使う必要はありません」
静かに、だが鞭打つように美咲が断言する。玄蕃は嘲笑するように口を曲げた。
「そう言うあなたは、どちらの流派を」
「俺が前にいたのは嵐山流だ」
「嵐山流の奥義と言えば、確か『蜉蝣』……」
玄蕃は先回りして「見せねえぜ?」と言う。
「それは残念です」
と美咲は肩をすくめた。
「……なあ。あんたと俺、どっちが強いだろうなぁ?」
玄蕃はそう言って挑発するような目を美咲へと向ける。美咲は氷壁のような無表情でそれをはね返した。
「国内順位はあなたの方が上でしょう」
玄蕃は「は!」と短く、吐き捨てるように嗤った。
「八年も冒険者を続けてやっと五千番台! それに一年足らずで追いついて、今にも追い抜こうとしている奴が……さすが鷹峯流、お世辞も一流ってところだな!」
自嘲と言うにはあまりに攻撃的な物言いに美咲も鼻白んでいる。美咲は軽く深呼吸し、平静でいるよう努めた。
「それがお望みなら、ヴェルゲランに戻ってから試合でもやりましょうか?」
「鍛錬場でか?」
その問いに美咲が頷くと玄蕃は「ふん」と首を横に振った。
「そんなお遊戯で何が判る。どちらが上か雌雄を決するのなら生きるか死ぬか、何でもありの真剣勝負じゃなきゃ意味がない」
「何でもあり?」
訝る美咲に対し玄蕃は、
「不意打ち闇討ち夜討ち朝駆け。殺すためなら、生き残るためなら何をやっても構わないってことよ! 勝負ってのはそういうもんだろうが!」
高らかに謳う玄蕃に対し、美咲は白けた目を向けるだけだ。
「それなら毒矢や銃器を使うのも? 人を集めて一人を袋叩きにするのも?」
「もちろんありだな」
そう頷く玄蕃に対し、美咲は呆れたようにため息をついた。
「そんなもの、剣術家同士の勝負とは言えません」
「甘いな、鷹峯流」
玄蕃のその嘲笑を美咲は意に介さなかった。
「剣術家として、あるいは冒険者としての勝負なら逃げるわけにはいきませんが、そんな殺し合いに興味はありません。そういう土俵ならあなたの方が強い、あなたの勝ちで結構」
玄蕃は「けっ」と言い負かされたような顔をした。
「そう言えば嵐山流は剣術だけでなく武芸十八般全ての修行がありましたね」
玄蕃は「ああ」と苦笑した。武芸十八般とは江戸時代に習得すべきとされた一八種類の武器・武芸のことである。時代や流派によってその内容には差異があるが、大抵は一八の一つとして砲術――すなわち火縄銃の射撃技術が含まれている。
「俺も全部やったが、さすがに火縄銃の使い方を覚えるのは時代錯誤だろ。だから俺は度々渡米して本格的な射撃訓練を受けていたんだが、あいつ等それが気に食わなかったらしくてな」
玄蕃が肩をすくめ、美咲は興味がないような顔をしながらも耳を傾けた。
「素直に破門にすりゃいいものをそれすらせずにくだらねえ嫌がらせをしてきやがるから、稽古にかこつけてあいつ等全員ぶちのめして、自分から辞めてやったよ」
「確かに今の時代に火縄銃の撃ち方なんか習っても使う機会はないだろうと思いますが……」
玄蕃が嵐山流を辞めた経緯について美咲は何も論評しなかった。だが、
「それは銃器も同じではないのですか?」
美咲の問いに玄蕃はわずかに目を見開く。美咲は問いを重ねた。
「日本に住んでいる限り実戦で銃器を使う機会なんてまずあり得ません。それなのにわざわざ高い金を出してアメリカまで訓練を受けに行くんですか? 中東やアフリカに行って傭兵にでもなるつもりですか?」
「ああ、丸一〇年で登録を抹消されたならそうするのもいいかもな」
玄蕃は感慨を込めて独り言のようにそう言い、美咲がその横顔を見つめる。玄蕃の首が大きく捻られ、嫌な笑顔が美咲へと向けられた。
「そういうお前はどうなんだ? 鷹峯流」
「どうとは?」
「お前は何のために剣を習っている?」
足を止めた玄蕃が真剣な顔となって美咲に問う。美咲もまた立ち止まり、真正面からそれを受け止めた。
「今まで積み重ねてきたものは何のためだ? お前は剣を選んだが故に他のあらゆるものを諦めるしかなかったはずだ。それだけの腕を手に入れるのにこれまで何をどれだけ犠牲にしてきた? どれだけの血と汗を流してきた? どれだけの時間を費やしてきた? それは一体何のためだ?」
美咲は自分の内側を見つめるような目となる。玄蕃が口を閉ざし、美咲の答えを待った。
「理由はいくつかありますが……」
実家がそういう家だったため、親に言われたため、物心ついた頃にはもう剣を振るっていたため、長年の習慣になっているため、冒険者となるため、冒険者を続けていくため、青銅クラスに上がるため、金のため、生活のため、美容と健康のため――どの理由も嘘ではない。だが大きな理由ではなかった。
「わたしには目指すべき場所があります。目標とする人達がいます」
「それは?」
「まずは年内に青銅クラスになります」
美咲の断言に玄蕃は彫像のように固まる。それに構わず美咲が続けた。
「その次は、父が四〇〇位で冒険者を引退しているのでそれを超えるのが目標です。その次は『血の嵐』。そしていつかは『阿頼耶剣』――」
「……は」
玄蕃の嘲笑しようとして失敗したかのように、中途半端に息を漏らした。
「お前正気か……? 正気で、本気でそんなことを……」
「血の嵐」は白銀の中でもトップクラスの侍、「阿頼耶剣」は黄金クラスの侍、いずれもその二つ名である。未だ石ころに過ぎない美咲が白銀や黄金を超えようと言うのだ。大言壮語にもほどがあると笑い飛ばしても構わないはずだった。だが、玄蕃にはそれができないでいる。
「どこまで届くかは判りません。あるいは青銅にもなれないまま廃業しているかもしれない」
美咲はそう言って涼やかに笑い、「でも」と拳を握り締めた。
「追うべき背中がそこにあるのに、追わない理由が何かあるのですか? 手が届かないことも挫けることもあるでしょうが、そのときはそのときです。どうするかはそうなったときに考えます」
そう言いながら、美咲は欠片も疑っていない。自分がいつかその場所へとたどり着くことを。自分が近いうちに青銅となり、いずれは白銀へも手を届かせ、いつかは黄金へと到達する、その未来を。
玄蕃だって最初はそんな未来を思い描いていたはずである。だがすぐに自分の身の程を思い知らされ、黄金や白銀など夢のまた夢でしかないことを嫌と言うほど理解させられた。それでも「せめて青銅に」と順位を上げるべく必死に戦い続け……だが遅々として順位は上がらず、五千番台にしがみつくので精一杯。ちょっとでも気を許せばすぐに六千番台に落ちていく。そんな玄蕃を若い冒険者がどんどん追い抜いていき、青銅になっていき、
「何であんな奴が」
と悔し涙を流し、神を呪ったことも一度や二度ではない。近年はもう青銅になることも諦めて半ば惰性で冒険者を続けていて、若い冒険者が自分を追い抜いていっても何も感じることはなくなっていた。数え切れないくらいに踏みにじられたプライドはもう痛みを訴えることも忘れていた……だが久しく覚えていなかった痛みが、熱さが、胸の内でうずいている。
玄蕃は殺意に満ちた眼で美咲を凝視するが、美咲は玄蕃のことに何ら関心を払っていない。まるで路傍の石のように――ああ、そうだ。こいつにとって俺はまさしく石ころに過ぎないのだろう。今はほぼ同順位だがすぐにこいつは俺を追い抜いていく。俺を追い越し、踏みつけ、俺のことなど忘れ去り、そのまま青銅へと至るのだろう。道端に転がる石ころのことなど、自分が踏んで歩いた石ころのことなど誰も覚えてはいないように。
玄蕃は我知らずのうちに腰の剣に手をかけていた。その後ろでは巽や熊野が慌てて得物を構えようとし、それをゆかりが制止している。そして美咲は、
「――います。そこの茂みに」
そう警告を発して日本刀を抜き、構えた。その横で玄蕃が同じように得物の切っ先を茂みへと向ける。少しだけ間を置き、茂みを突き破って二匹のトロルが姿を現した。一匹が持っているのは例によって粗末な棍棒だが、もう一匹が持っているのは冒険者から奪ったと思しき長剣だ。
「一匹任せます!」
「判った」
美咲が依頼をし、玄蕃が引き受ける。二人が同時にトロルに向かって突撃した。が、玄蕃が不意に足を止め、その刀を美咲の背中へと――
「……何のつもりですか?」
まるで背中に目が付いているかのように、美咲は玄蕃の不意打ちを見破ってその剣を受け止めていた。玄蕃が受け持つはずだったトロルは突然姿を現した忍者の少女がその首を落としているし、美咲の受け持ちであるもう一匹は思いがけない速度で移動した戦士と斬り結んでいる。
「ちっ、読まれていたのか」
「読んだと言うか、最初から予定通りでした」
剣を持ったトロルは巽としのぶと熊野によって速やかに倒され、今は三人は玄蕃を包囲するようにそれぞれの得物を構えている。それを見回し、玄蕃は舌打ちした。
「武器を捨てて投降しろ。あんたには自分のパーティメンバーを殺害した容疑がかかっている」
巽の呼びかけに対し玄蕃は「投降すると思うのか?」とせせら笑った。
「この人数相手に勝てるとでも?」
「やってみなきゃ判るまい」
「『蜉蝣』……だったか。そんなにご大層な奥義なのか?」
巽の挑発に玄蕃はあえて乗せられてやった。無造作に巽へと向かって歩く玄蕃と、
「おおっっ!」
剣をかざして突撃する巽。数瞬を経て両者が交差し、剣と刀が激突し――
「何?!」
巽が驚愕に目を見開いた。玄蕃が巽をすり抜ける。巽が玄蕃をすり抜けてしまう。まるでその瞬間だけ玄蕃の身体が実体をなくして陽炎になったかのように、巽は玄蕃の身体を突き抜けてしまったのだ。そして両者の位置は、無防備な背中をさらしている巽と、それに向かって刀を構えている玄蕃。
「死にな」
冷ややかに言い捨て、剣を振るう玄蕃。だが巽は咄嗟に地面に倒れ伏し、その剣旋を間一髪で躱していた。玄蕃が追撃しようとするが、美咲の剣戟に玄蕃が後退する。その隙に巽は立ち上がって体勢を整えていた。
「ああ、やばかった。死ぬかと思った」
「確かに恐るべき奥義ですね」
巽は冷や汗を流し、美咲も内心で舌を巻いている。
「それで、どうですか?」
「最低あと一、二回」
美咲と巽が玄蕃には意味不明な会話を交わし、再び巽が突撃してくる。
「奥義『蜉蝣』……!」
玄蕃は固有スキルを行使してそれを迎え撃った。さきほどと同じように巽が玄蕃の身体を突き抜けてしまい、無防備なその背中を玄蕃が串刺しにしようとし、
「くそっ!」
それをしのぶによって邪魔された。しのぶの魔法剣を打ち払った玄蕃が大きく後退する。そこに美咲が突貫。全力で疾走した美咲が力任せに剣を振るい、玄蕃は「蜉蝣」を使ってそれをすり抜けた。反撃しようとする玄蕃だが、
「てめえ……」
美咲はそのまま走り抜けてしまい、玄蕃から大きく距離を置いている。玄蕃は忌々しげに唸り声を出した。
「知っていたのか、この奥義のことを」
「ええ。昨日父から話を聞いておきました」
美咲は悪びれもせずにそう答える。嵐山流の奥義「蜉蝣」は足さばきや身体さばきを駆使し、すり抜けるように相手の突進を躱す技だ。そうして敵の背後に回り込んで攻撃するまでがセットになっている。恐るべき奥義であり、初見なら、何も知らなければ美咲であっても玄蕃に屠られていたかもしれない。だが、
「いくつかの対策を父から授かっています」
初見でなければ、あらかじめ知っていれば、手の打ちようはいくらでもあるのだ。玄蕃は歯軋りをするが、それは負け犬の遠吠えに等しかった。
「もういいですか、巽先輩」
「できればもう一、二回」
美咲の問いに巽が遠慮がちに答える。それでようやく玄蕃も理解できた、巽は玄蕃の奥義を見たがっているのだと。
「てめえ、俺をなぶる気か!」
「いや、そんなつもりは」
そう言いつつも巽が気まずげな顔をした、そのとき。
「なぶってんのと一緒だろうがよ!」
突然頭上から降ってくる何者かの声。上を振り仰いだ玄蕃の視界を網の目が覆った。
「くそっ、これは?!」
投網に全身をからみ取られた玄蕃が地面に引き倒される。そのすぐ横に降り立ったのは軽装鎧の盗賊の男だった。
「鞍馬口さん」
「とっとと引導を渡してやれよ」
鞍馬口天馬がそう言って合図を送ると、周囲から何人もの冒険者が姿を現した。鞍馬口のパーティメンバーの他、神ゴリ子こと西陣織子の姿もある。巽達五人も合わせて総勢一〇名、それだけのメンバーが玄蕃を完全包囲していた。
「武器を捨てて大人しくしな。あんたはヴェルゲランでメルクリアンの裁判にかけられることになる」
ビキニアーマーの神ゴリ子が玄蕃に長剣を突き付ける。玄蕃は血が出るほどに唇を噛み締めた。
「卑怯者が! こんな人数を揃えて……!」
「人を集めて一人を袋叩きにするのも当然あり、なんでしょう? 自らの負けを認めて潔くしてください」
玄蕃が吠えても美咲は冷たくそう言うだけであり、玄蕃は折れるほどに歯を軋ませた。
「舐めるな!」
片膝立ちとなった玄蕃が剣を使って投網を斬ろうとする。鋼線を織り込んだ網が断ち斬られ、引き千切られ、玄蕃の上半身が投網から抜け出た。
「往生際が悪いぞ!」
だが下半身は拘束されたままでまだまともに身動きできる状態ではない。今のうちに無力化するべく熊野がハルバートで殴りつけようとし――玄蕃の姿が消えた。
「何?!」
驚愕に熊野が目を見開く。固有スキルにより投網をすり抜けた玄蕃が熊野に襲いかかり、熊野はかろうじてハルバードの柄で防御する。体勢を崩した熊野を放置し、玄蕃は美咲を獲物と狙い定めた。美咲へと突進する玄蕃と、それを迎え撃たんとする美咲。そして巽は美咲を支援するために横合いから玄蕃へと剣を振るった。玄蕃は舌打ちをし、突然方向転換をする。
「な、くそ!」
巽が上段から真っ直ぐに剣を振り下ろした。玄蕃は首と身体をひねって――
「……な」
驚くほど大量に噴き出した血が巽の鎧を真紅に染めた。戦慄が、驚愕がその場を支配し、誰も動けないでいる。玄蕃は首と身体をひねって「自分から巽の剣に当たりに行った」のだ。巽の剣は玄蕃の首を半分近く断ち切っている。頸動脈からの出血は止めようもなく、玄蕃の生命が尽きるのもあとわずかのことだった。
「ほ、本当は鷹峯流に……お、お前で我慢……」
切れ切れにそう言い残した玄蕃が事切れ、その身体がただの物体となる。巽は無意識のうちにその身体を抱き留め、右手で玄蕃の剣を掴んだ。その次の瞬間、
「が……があああっっっ!!」
巽が絶叫を轟かす。錯乱したように剣を振り回すが、それは玄蕃の使っていた剣だった。一同が一斉に後退して巽から距離を取る。
「巽君!」
「に、逃げろ……この剣、この剣が……」
巽が苦しげに、呻くように告げ、それで一同は状況を理解した。
「その剣が巽君を操ろうとしているのね?」
「妖刀、魔刀の類か」
「あいつもその剣に操られていたのか」
「ええ。藤森玄蕃だけじゃなく、その前の二人もね」
一同は一様にブリーフィングでの高辻の説明を思い返していた。
「藤森玄蕃の所属していたパーティが彼を残して全滅したとき、竹田某という侍が臨時メンバーとして加わっていたらしい」
「その竹田某の所属していたパーティは狩りに失敗して彼を残して全滅しているが、その狩りのときに木幡某という侍を臨時メンバーに加えていたと見られている」
「その木幡某という侍が元々所属していたパーティも彼一人を残して全滅している」
二回目までなら偶然かもしれないが三回目ともなれば必然だ。この事態を把握したマジックゲート社は原因の究明とその撲滅のため複数のパーティを緊急討伐に動員、それが巽達や鞍馬口達のパーティである。
「あの自殺まがいの行動も妖刀に操られてのことですか」
美咲が憐憫を込めて呟いた。わざとでなくても人一人を死なせた衝撃は決して小さくなく、その動揺の間隙を突いて妖刀は巽の心を、身体を支配しようとしているのだ。玄蕃の生命はそのためだけに消費させられたわけであり、哀れと言う他なかった。
「そしてあの妖刀は巽さんを操ってわたし達を全滅させようとしているんですね、これまでくり返してきたように」
「そうなる前にへし折ってやればいい」
一同の中からまず熊野が巽へと向かって突進した。熊野がハルバードを高々と振り上げ、
「少し我慢しろよ!」
「は、はやく……!」
巽は殺戮の衝動を必死に抑え、わざと無防備な頭部をさらしている。その巽の脳天に熊野がハルバードを叩き付けた。巽の頭部から噴水みたいに血が噴き出、意識を飛ばした巽が白目を剥く。
「よくやった!」
と指を鳴らす鞍馬口。だが安心するのはまだ早かった。
「くあ……kukekekekekeke!!」
巽は流血し、白目を剥いたまま怪鳥のような奇声を上げた。そして熊野へと突進する。
「な、速い!」
「疾風迅雷」を使った巽が熊野へと斬りかかり、熊野がそれをハルバードで受け止めようとし――巽が熊野の身体をすり抜けた。
「何っ?!」
熊野は咄嗟に固有スキル「筋城鉄壁」を行使、全ての力を背中の防御に投じる。「蜉蝣」を使って熊野の背後に回り込んだ巽はその背中へと斬りかかり、
「ぐっ……!」
熊野の背中がざっくりと切られ、血が流れた。
「クマさん!」
しのぶが巽へと斬りかかり、巽が後退。その間に熊野がゆかりの下へと撤退した。
「クマやん、背中見せて」
「済まん、失敗した」
ゆかりが治療薬を使って熊野の治療をする。「筋城鉄壁」を使っていたためにその傷は致命傷ではない。だが巽の斬撃は「筋城鉄壁」の防御力を上回っていた。
「ぶん殴って気絶させれば片が付くと思ったんだが……」
「まさかあの剣が気絶した巽君を操れるなんてね」
熊野の判断ミスとまでは言えないだろう。妖刀の能力が誰にとっても予想外だっただけである。
「kukekekekekeke!」
「てめえ、骨の二、三本は覚悟しろや!」
巽が鞍馬口に狙いを付け、鞍馬口もまたそれを受けて立った。
「空中疾走!」
「kukekekekekeke!」
両者が同時に同種類の固有スキルを行使。見えない階段を駆け上がるように一〇メートル近く上空まで駆け上がっていく。そして空中で斬り結ぶ鞍馬口と巽。両者は鍔迫り合いを演じていて、鞍馬口は驚きと忌々しさに目を見開いた。
「こいつ、俺と同じ高さまで……!」
空中戦では上を取った方が圧倒的に有利となる。鞍馬口の劣化コピーしか使えず、鞍馬口より高く上がれるはずのない巽が鞍馬口と同じ高さまで駆け上がり、互角の戦いをしているのだ。そして巽には鞍馬口にはない奥の手があった。
元々の自分の剣を巽が空中に投げ、それが宙に浮く。巽がそれを足場にしてほんの一瞬だが空中に留まった。
「この野郎!」
鞍馬口は思わず罵声を上げた。鞍馬口は既に時間切れになっていて自由落下していて、巽もそれは同じだが鞍馬口の上に位置しており――巽が鞍馬口に蹴りを入れた。それで体勢を整えた巽が無事着地し、一方の鞍馬口は体勢を崩して墜落する。追撃しようとする巽だが鞍馬口のパーティメンバーが彼を守り、巽は後退した。
「あの妖刀が巽さんの力を引き出しているんですか?」
「多分巽君の魔力を見境なしに注ぎ込んでいるのよ」
劣化コピーでしかない「つぎはぎの英雄」でオリジナルの固有スキルと互角に戦える理由について、ゆかりがそのように推測する。
「それじゃ」
「これ以上固有スキルを使わせたら魔力を根こそぎにされて、生命に関わることも……」
その巽は今神ゴリ子と「剛力招来」を使っての殴り合いをしているところだった。
「だっしゃー!」
「kukekekekekeke!」
両者は互角のように見えるが、それは今現在の話だった。巽が新たに手に入れた固有スキル「蜉蝣」を使って神ゴリ子の背後の回り込む。巽が神ゴリ子の胴体に手を回し、そのままバックドロップ。神ゴリ子は頭部から地面に突っ込み、そのまま沈黙した。
美咲は苦々しさと感嘆を半々にして唸っている。
「厄介な……一番厄介な人が操られていますね」
「でも何とかしてわたし達で止めないと」
「もちろんです」
美咲としのぶは決意と剣を握り締め、巽へと突貫。妖刀に操られた巽がそれを迎撃した。
「行きます!」
無策なまま特攻するかに見えたしのぶは巽の目の前で固有スキル「隠形」を行使。しのぶを見失った巽が左右を見回す。しのぶは「隠形」を使ったまま巽を攻撃し、その手から妖刀をはじき飛ばそうとした。だが、
「くっ……!」
巽は妖刀を腹に抱え込んで身体を丸める。しのぶは一旦身を引いて「隠形」を解除した。
「kukekekekekeke!」
妖刀に操られた巽が高笑いし、しのぶは「悪辣な」と歯軋りする。今度は巽の方からしのぶへと突撃し、しのぶも前に出てそれを迎え撃たんとした。両者が交差するその瞬間、しのぶは巽の姿を見失った。
「『蜉蝣』? なら背後から」
しのぶは背後からの攻撃に備え――だが攻撃は横から来た。巽は「疾風迅雷」と「空中疾走」と「隠形」を組み合わせ、「蜉蝣」を使ったように見せかけながらしのぶの死角に回り込んでいたのだ。しのぶは完全に棒立ちとなっていて巽の斬撃を避けようがない。巽は必殺の「月読の太刀」を行使し、しのぶが目を見開き――
「きゃぁっ!」
しのぶの身体が宙を飛ぶ。一〇メートル近くをふっ飛ばされたしのぶは地面を転がり、倒れ伏した。
「しのぶちゃん!」
ゆかりが悲鳴に近い声を出し、しのぶはその声に反応したのか起き上がろうとしている。とりあえずしのぶの生命があることに美咲とゆかりは心底安堵した。
(しのぶちゃん大丈夫?!)
(生きてます……まるで金属バットでお腹を殴られたみたいです)
ゆかりは固有スキル「一心同体・生助帯」を使ってしのぶと連絡を取っている。しのぶの苦痛もゆかり達に伝わってくるが全てではないし、この程度は許容範囲だった。
(ともかくよかった……下手したら胴体が上と下で泣き別れになってたよ)
(多分巽先輩が咄嗟に「月読の太刀」の収束を甘くしたんだと思います。操られていても何とか抵抗して――)
数瞬の間、美咲の時間が停止した。自分の推測にある思いつきを得、それが可能であると身体が確信している。美咲が再起動し、その血が高揚に沸き上がった。
「巽先輩……いや、妖刀」
美咲が静かに前へと進み出る。巽もまた美咲を難敵と見定め、妖刀を構えた。
両者が少しの間対峙し――緊張感が音もなく水位を上げていく。やがてそれが決壊し、両者が同時に前に出た。
「kukekekekekeke!」
美咲と巽は、互いに腕と剣をめいっぱい伸ばしても切っ先すら触れ合わない距離にある。だがその距離はもう二人の間合いの内だった。一歩踏み込んだ巽が「月読の太刀」を行使、不可視の刃が美咲へと襲いかかる。美咲は巽より刹那だけ遅れて、
「月読の太刀!」
全身全霊を込めて己が固有スキルを、流派の奥義を行使。不可視の刃は空気を切り裂き、巽の攻撃を突き抜け――そのまま妖刀へと叩き付けられる。鈴の音のような澄んだ音がして妖刀の刀身はわずかに曲がり、巽の手からはじき飛ばされた。妖刀は回転しながら長々と宙を飛び、先端から地面に突き刺さった。
「kukeke……」
魔力と体力を使い果たした巽がその場に崩れ落ち、倒れ伏す。美咲は安堵のため息をつき、力尽きたようにその場に座り込んだ。
「美咲ちゃん、今のは……」
「はい。奥義の収束を限界まで高めたんです」
最後の瞬間、両者の「月読の太刀」の威力は同等だったのかもしれない。だが巽のそれは収束が甘くまるで金属バットのようだった一方、美咲のそれは限界まで収束され、まるでカミソリの刃のようになっていた。力をより狭い範囲に集中させた美咲の技が巽の攻撃を上回り、文字通りそれを打ち破ったのだ。
「ですが、易々とは使えませんね。まさかここまで消耗するなんて」
美咲は最後の一撃に気力体力の全てを費やしており、もう指一本も動かしたくはなかった。だが、
「でも……まだ終わってないわよ」
「そうだな。何とかあれをへし折らんことには」
「ですけど、誰かがあれを持ったなら今度はその人が操られることに」
ゆかり達には地面に突き刺さった妖刀を遠巻きにすることしかできない。が、そのとき妖刀が地面から抜け、宙に浮いた。一同が息を呑んで後ろを振り返り、巽を注視する。
「ああ、くそ……」
巽は頭を振りながら何とか起き上がろうとしているところだった。熊野がもう一度ぶん殴るべくハルバードを振り上げ、ゆかりが「待って」とそれを制止。巽の様子にしのぶが目を見開いた。
「巽さん、意識が?」
「ああ。これだけ距離があればあれの支配力も充分には届かない。でも俺はこのくらいならできる」
巽が固有スキル「百手の巨人」を使って妖刀を操作、それの刀身を岩の上へと横たえた。巽は「後は任せた」と地面に大の字になる。
「判った、任された」
と前へと進み出たのは神ゴリ子だ。彼女は三百キログラムはゆうにありそうな大きな岩を持ち上げ、高々と頭上に掲げた。
「今日はいいところがなかったからね。せめて最後ぐらい……!」
刮目した神ゴリ子が岩を持ち上げたままわずかにジャンプ。「だぅりゃー!!」と雄叫びを上げながらその巨岩を、全体重を、固有スキルで強化した全腕力を、妖刀の刀身へと叩き付ける。岩同士がぶつかる音と金属が潰れる音がし、岩が転がってその下から四つ五つに砕けた妖刀が姿を現した。さらにそこから吐き出された魔核が神ゴリ子の腰の長剣へと回収され……ようやく全てが終わったのだと誰もが理解した。
美咲は安堵のため息を深々とつく。
「妖刀は折れましたし、これで一件落着でしょうか」
「そうね。でも家に帰るまでが遠足だから」
「一難去ってまた一難か」
戦闘不能は熊野にしのぶに美咲、鞍馬口天馬と神ゴリ子。だが五人とも応急処置もし、歩けないわけではない。一番ズタボロになっているのは巽であり、未だ起き上がることもできなかった。
その状況を見渡し、美咲は先ほどとは違う種類のため息をつく。一〇人の冒険者がヴェルゲランまで撤収する頃には、日はとっくに沈んでいた。
翌日の水曜日、美咲としのぶとゆかりはマジックゲート社大阪支部へとやってきている。今回の一件について昨日の夜に簡単な報告はしたものの、時間ももう遅かったため詳細な報告は今日に回してもらったのだ。なお巽は魔力を根こそぎにされたダメージが回復しておらず、自宅療養中である。
大阪支部のビルの一角、小さな応接室の一つでは美咲達三人が高辻と向かい合っていた。三人が妖刀型モンスターを退治した経緯を説明し、高辻がそれをノートに書き留めている。高辻が質問し、三人がそれに答える。一時間近くかけ、ようやく報告は終わるところだった。
「……それで、結局あれは何だったの? 妖刀型モンスターなんて聞いたことないんだけど」
「メルクリアでは今回が初めてらしいが、ディモンではいくつか前例あるそうだ。ヴァンパイア等に呪いをかけられた魔剣が人を殺しまくり、カルマを蓄積してモンスターになってしまった――あの剣もそうして生まれてしまったんだろう」
それを聞いたしのぶが顔色を悪くした。
「それじゃああいう妖刀がまた出てくる可能性も……」
「なくはないだろうなぁ」
高辻は頭をかきながら天井を仰いだ。そしてため息を一つつき、
「今回の一件は事故事例のデータベースに載せて、あと広報にも載せるよう上申する。全世界の冒険者に注意を促して、気に留めてもらって、今後は警戒してくれることを祈るしかないなぁ」
冒険者SNSには冒険者の事故事例データベースが設置されている。その内容は、要するに冒険者がどのモンスターにどのように殺されたのか、その一覧である。その九分九厘は身も蓋もない言い方をするならありきたりな、何の変哲もない死に様なのだが、中には他の冒険者が知っておくべき事例もある。例えば、
「ゴブリンがギガントタランチュラの毒を毒矢として使用し、それに気が付かなかったため矢がかすっただけで即死した」
このような事例は緊急討伐に参加する冒険者の全てが留意するべきことであり、広報を使って別途注意を促している。だが高辻やマジックゲート社にできるのはその程度であり、そこから先は、他者の教訓を生かすかどうかは冒険者一人一人の自己責任――それが冒険者という職業のあり方だった。
「確かデータベースには個人名は……」
「載せるわけないって」
高辻が当たり前にそう言い、美咲は安堵した。
「『彼等は強力なモンスターと戦って死にました』――藤森玄蕃の遺族にも、彼が殺したパーティメンバーの遺族にもその説明しかしていない。実際嘘じゃないしな」
美咲はやや複雑そうな顔をしながらも頷いた。確かにそれは嘘ではない、色々と省略しているだけである。
「彼等は妖刀型モンスターに操られたパーティメンバーに殺されました」
または、
「彼は妖刀型モンスターに操られてパーティメンバーを皆殺しにし、最期には急所への攻撃を自分から受けて自殺しました」
等と事実をありのままに、詳細に説明したところで誰の得にもならないだろう。
高辻への報告を終えた美咲達はJRを使って帰路に就く。その道中、電車の中で美咲はスマートフォンを操作し、冒険者SNSに接続していた。閲覧しているのは事故事例データベースだ。
「六月二〇日、第二一三開拓地でギガントタランチュラの毒を受けたメイジが死亡」
「六月二四日、第二二一開拓地で四人のパーティがジャージー・デビルに襲われ、二人死亡。この四人は今回が研修を終えての最初の狩りだった」
国内だけで、今年に入ってからだけでもう百人以上の冒険者が死者の列に加わっている。スクロールし続けても延々と連なる死亡事故例一覧に、美咲は気が遠くなる思いだった。近いうちにこのリストに藤森玄蕃の事例が加わるのだろう。だが彼の名前が記録されることはない。匿名の、顔のない誰かとしてこのリストに並ぶことになるのだ。
「冒険者はモンスターに殺されるもの……でしたか」
藤森玄蕃が辿った末路を、あるいは美咲もまた辿っていたのかもしれない。藤森玄蕃という侍のことを、今回の狩りのことを、美咲は決して忘れはしないだろう。だが彼の死は美咲が足を止める理由にはならなかった。
美咲はただ前へと進んでいく。振り返ることなく、ただ真っ直ぐに前へと。
ちょっと間が空きましたが、何とか書き上がりました。次はもうちょっと早く投下したいと思います。




