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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
二年目
22/52

第一五話「深草しのぶの消失」




 五月も終わりに近い日曜日の夕方、少し早い時間にアルバイトを終えた巽はアパートに帰宅し、シャワーを浴びているところだった。浴室から出てきた巽はパンツ一丁で窓辺に仁王立ちとなり、涼しい風を全身で受けながら麦茶を飲み干している。


「――ん?」


 狩人の目となった巽のそれがある方向を射貫いた。巽が見つめる先には、百メートルほどの距離を置いてしのぶ達三人のシェアハウスが建っている。一階部分の照明が点っているのは判るが二階部分のそれは消えていて、巽から見える範囲には人影はなかった。


「気のせいか」


 と深く考えることなく、巽は服を着てアパートを出る。向かう先はそのシェアハウスであり、これから夕食の準備をするところだった。

 一方そのシェアハウスの二階の一角、巽のアパートに面している部屋。大慌てで畳の床に伏せたしのぶは変な体勢になっている。


「あ、あぶなかった……」


 立ち上がったしのぶは高性能の双眼鏡を机の引き出しに片付け、自室から出ていく。階段を下りて玄関に向かうと、


「こんにちは」


「お帰りなさい、巽さん」


 ちょうど巽がやってきたところだった。


「そろそろ来る頃じゃないかなって思っていました」


「すごい勘だな」


「それほどでもないです」


 そんな会話を交わしながら台所へと向かう。台所では、


「ああ、お帰りなさい」


 美咲が既に夕食の準備を始めていた。巽は自分用のエプロンを着け、美咲の横に並ぶ。


「今日はカレーにするんですよね」


「ああ。しのぶはサラダを頼む」


「判りました」


 ……夕食はいつものように和やかに終わり、後片付けも済ませ、巽達四人はシェアハウスの居間に集まってゆったりとした時間を過ごしている。……いや、その中でしのぶはノートパソコンの画面に釘付けとなり、難しい顔をしていた。


「何見てるの?」


 とゆかりが横から画面に覗き込む。画面に表示されているのはたくさんの剣の画像と、値札である。


「冒険者SNSのネット市場です。そろそろ装備を更新しようかな、と」


「新しい剣を買うんですか?」


「確かに、普通ならとっくに買っててもおかしくはないよな」


 と美咲や巽も集まってくる。四人はしのぶを中心として卓袱台のノートパソコンを囲んだ。


「この間ゆかりさんの借金を返済するために積立残高を確認したでしょう? それで思ったよりも貯まっていたんで、いい機会だからと……」


 なるほど、と頷く美咲と巽に対し、ゆかりは素知らぬ顔を装ってそっぽを向いている。


「魔法剣を買って攻撃力をアップさせれば、わたしも前衛として巽さんや美咲さんと並んで戦えますし」


「おお、ついに憧れの魔法剣を」


 と巽がパソコンの画面を覗き込み、


「よ、四千メルク……」


 とがっくり肩を落とした。四千メルクは換金すれば四〇万米ドルとなる額である。


「さすがにこの辺はちょっと手が出ないです」


「予算はどのくらい?」


「お、思い切って、三千メルク」


 ためらいながらもそう言い切るしのぶに対し、一同は「おー」と感嘆の声を上げた。


「一戸建てが買えますね」


「この辺ならちょっとした豪邸が建てられるよな」


「毎日毎晩浴びるほど飲んでも、一年以上……!」


 そう目を光らせるゆかりに対し、美咲は「一年しか持たないんですか」と化け物を見るかのような目を向けている。


「剣一本に家が買えるほどの金を遣うんだもんな、下手な買い物はできないよな」


「ですがその剣一本に生命を預けるのが冒険者わたしたちです。金を惜しんで安物を選び、それでモンスターに返り討ちにされては悔やんでも悔やみきれないでしょう」


「どうせ買うならローンを組んで、青銅になっても使える業物を選んだらいいんじゃない?」


 ゆかりの提案に巽は「それも一理あるんだけど」と解説した。


「魔法剣は使用者の魔力を吸って威力を発揮するから、自分のレベルよりも大幅に上だと使いこなせなくて剣に振り回されることになる。だから自分のレベルよりちょっと上の、頑張れば使いこなせるくらいがちょうどいいって言われている」


「要するに適正レベルより少し上のモンスターを狙うのと同じことです」


 と美咲が補足した。

 三人が横で色々言うのを黙って聞いていたしのぶだが、


「攻撃力が上がれば今よりもモンスターを狩れるようになりますし、元を取るのも難しくないと思います。わたしのレベルが上がって使えなくなったら転売すればいいだけですし」


 まさにそうやってどこかの冒険者が転売した魔法剣が無数に並んでいるのが、今しのぶ達が見ているネット市場なのだ。しのぶはその中の一つを選び、クリックした。


「え、買っちゃったの?」


「いえ、予約しただけです。明日ヴェルゲランに行ったときに実物を見せてもらって、買うかどうか判断します」


 一仕事を終えたしのぶが天井を仰ぎ、ため息をつく。そこに美咲が「ちょっと貸してください」としのぶと席を交替した。


「せっかくですからわたしも装備を更新します」


「え、美咲も魔法剣を?」


「いえ。何らかの方法で防御を補いたいと、前々から考えていまして」


 ああ、と巽は納得の声を出した。パーティを組んだときの最初の狩りで巽は美咲のことを「紙装甲」と評したが、美咲の装備はその時点から大きく変わっていなかった。


「それじゃー美咲ちゃんの次はわたしね!」


 とゆかりまでが言い出している。ノートパソコンを囲み、ああでもないこうでもないと賑やかにしゃべっている三人に対し……その輪から外れた巽は彼女達のことを羨ましげに見つめていた。

 そして翌日の月曜日。巽達四人に熊野を加え、一同はメルクリア大陸のヴェルゲランへとやってきている。まず最初に訪れたのはマジックゲート社ヴェルゲラン支部の一角、装備品の売店だ。バックヤードを持たない、在庫イコール店頭品のその店はそれなりの百貨店ほどの広さがあった。


「済みません、忍者刀の予約をした者なんですが」


 しのぶは店員から予約した忍者刀を受け取り、鍛錬場に移動して使い心地を確かめている。美咲と軽く模擬戦をして重さや長さに問題がないかを確認し、その後ゴーレムを試し斬りして実際の斬れ味を見極めた。


「……驚きました」


 と元々大きい目をさらに丸くするしのぶ。


「魔法剣ってこんなにすごいんですね。石のゴーレムがまるで豆腐みたいな手応えで」


 ここにあるゴーレムはエルフのメイジが魔法で作った、試し斬り用のただの人形だ。だが剣で石を断つのは簡単にできることではない。


「奥義を使えば斬れるでしょう」


「剣を折っていいのなら、何とか」


 美咲でも固有スキルを使う必要があり、巽でも剣を折る覚悟をしなければならない。普通の剣を使う限りはしのぶには不可能だったことが、魔法剣ならごく容易くできてしまう。


「これなら三千メルクでも安い買い物です」


 しのぶはためらうことなく、即金でその魔法剣を購入した。また、美咲やゆかりも町中の武器屋に行って品定めをし、三千メルクを出して装備を更新している。


「ふむ、着心地も悪くありません。確かにこれなら三千メルクも惜しくはないですね」


 美咲が購入したのはミスリル銀を織り込み、魔法防御の術式を付与した鎖帷子だ。打撃・斬撃・攻撃魔法など、一定以下のあらゆる攻撃を完全無効にする効果を有している。


「これ、固有スキルを使った俺よりも防御力があるんじゃないのか?」


 と熊野が驚嘆するくらいである。美咲は、


「毒や状態異常攻撃には効果がありませんけどね」


 と説明して熊野のフォローをした。


「んー! いい感じいい感じ!」


 ゆかりが購入したのは総ミスリル銀製の杖である。はしゃいだゆかりがバトントワラーのようにそれを振り回している。


「魔法の収束効率が今までとは比較にならないわ。何でもっと早く買わなかったんだろ!」


「本当にそう思います」


 その言葉にしのぶもそう頷いていた。

 そして夕方。買い物を終えたしのぶ達はマジックゲート社ヴェルゲラン支部へと向かっている。明るい声でおしゃべりをしているしのぶ・美咲・ゆかりの後ろを少し離れ、巽と熊野が並んで歩いていた。


「……クマさんは装備を更新しないんですか」


「しばらく前にしたばかりなんでな。今は借金で首が回らない」


 と熊野は肩をすくめた。


「そう言うお前はどうなんだ、巽」


「冒険者をやっていなかった期間があるせいで、みんなほどお金が貯まっていないんです」


「そういうときのためにローンがあるんだろう。今のままじゃ置いていかれるぞ」


 熊野の助言に巽は何も答えない。二人は口数も少ないまま、ただ歩き続けていた。

 その翌日の火曜日、巽達にとっての狩りの日。その日の狩りはしのぶの独壇場だった。

 この日やってきたのは第二一二開拓地。主に狩ったのは、雄牛のような角を持った巨大な蛭のモンスター、ウイーウィルメクだ。前衛を買って出たしのぶは群れとなって押し寄せてきたそれを草を刈るように無造作に切り捨てていく。固有スキルの「隠形」は使うまでもない。ウィーウィルメクの半数をしのぶ一人で狩り、この日の狩りも大収穫で終わろうとしていた。


「今日はポイント獲得の最高記録を更新したかもしれませんね」


「ゴブリンの緊急討伐のときを除いての話だがな」


 狩りを終えた一同は上機嫌でベースキャンプの帰路に就いている。


「しのぶちゃん大活躍だったもんね」


 とゆかりがからかうように言い、しのぶは「はは……」と苦笑いした。


「済みません、巽さん……」


「別にいいさ。今日はろくに貢献できなかったし、このくらいはな」


 巽の言葉をしのぶは「そんなこと……」と否定しようとする。調子に乗って魔法剣を使いすぎたしのぶは魔力を使い果たしてしまい、巽に背負われて移動しているところだった。なお「魔力」は生きとし生けるもの誰もが有していて、その中で魔力操作の才能のある者がメイジとなる。魔法剣を使う他、固有スキルを使っても魔力は消費され、魔力を使い果たしたなら体力が底をついたときと同じように行動不能となってしまうのだ。


「まあしのぶくらいなら軽いもんだし、そんなに気にいなくていい。ゆかりさんなら大変だろうけど」


 軽口を叩く巽に対し、ゆかりが「どういう意味かなっ」と借り物のハリセンで突っ込みを入れた。


「剣に振り回されるって、こういう意味なんですね。今度から注意しないと」


「今日は一人で突っ走りすぎただけだし、慣れれば力の配分もできるようになるさ。俺も最初に装備を更新したときには増長した覚えがある」


 しのぶは小さく「ああ」と応える。パーティがまだ巽としのぶの二人だけだった頃、ガントレットを手に入れたときの最初の狩りのことを言っているだろう。


「『安全第一・生命を大事に』、ですね」


 そういうこと、と巽が頷いた。

 そんな話をしているうちにベースキャンプが巽達の視界に入ってくる。五人は転移魔法を使い、ベースキャンプからヴェルゲランへと戻っていった。











 装備を更新した巽達のパーティは順調に討伐実績を上げている。

 六月に入って最初の火曜日、この日訪れたのは先週に引き続き第二一二開拓地。午前中は主にウィーウィルメクに狙いを定めて狩りをしていた巽達だが、昼を過ぎた頃に縄張りを外れた厄介な群れと遭遇していた。


「フンッ!」


 上方から滑空してきた敵めがけて熊野がハルバードを一旋する。だがそのモンスターはハルバードの刃をすり抜けて飛んでいった。熊野が忌々しげに舌打ちする。


(クマやん、後ろ!)


 ゆかりが警告を発するのと同時に熊野が悪寒を覚える。振り返る時間も惜しみ、


「ぬおおーっっ! 『筋城鉄壁』!」


 熊野が固有スキルを使用してモンスターの攻撃をはね返す。宙を飛ぶそれは一瞬体勢を崩すがすぐに立て直し、熊野から離れていった。

 彼等が戦っているのはギガント系モンスターのギガントホーネット。体長八〇センチメートルを超える、巨大な蜂である。複数のそれが熊野の間合いのわずかに外を飛び交っている。熊野は悔しげに歯軋りした。


「くそ、遊んでいるのか」


「ギガントタランチュラより強いだけあるわね」


 ギガントホーネットは「雀蜂が単に巨大化したモンスター」でありながらそのレベルは六〇を超えている。彼等を強力なモンスターたらしめているのは、その速度だ。普通の蜂が何十倍もの大きさとなり、その移動速度もまた正比例している――そう考えれば理解できるだろうか。「あらゆる風より速い」とされるハルピュイアには敵わないはずだが、それと比べればかなり小型であるため体感的にはハルピュイアに匹敵する速度のように思えるのだ。

 ギガントホーネットの速度に翻弄され、熊野は疲労と苛立ちを蓄積していく。


「クマやん、落ち着いて。わたしを守ることに専念して」


 ゆかりの言葉に熊野は目を見開く。熊野は深呼吸を一つし、一歩下がってハルバードを握り直した。


「済まん、頭が冷えた」


「こいつ等はクマやん向きの獲物じゃないわ。掃討はあの子達に任せましょ」


 そうだな、と頷く熊野が、ゆかりが十数メートル先を見つめる。そこでは巽が、美咲が、そしてしのぶが二〇匹を超えるギガントホーネットの群れと戦っているところだった。


「空中疾走――からの」


 巽が見えない階段を駆け上がるように何メートルもの上空へと跳躍し、ギガントホーネットの上を取る。そこから、


「疾風迅雷!」


 最速を誇る固有スキル、ゆかりの補助魔法、それに重力を利用して巽は最大限に加速する。巽の速度はギガントホーネットのそれを上回り、巽は複数の敵をまとめてなぎ払っていった。


「我が剣閃は冥府の月光――」


 敵がどれほど小賢しげに飛び回ろうと、美咲が成すことはいつもと何も変わらない。抜刀術のように横に構えた剣を、


「月読の太刀!」


 目にも止まらぬ速度で抜き放ち、不可視の刃が複数のギガントホーネットを一撃で両断した。だがその瞬間を狙ったようにギガントホーネットの一匹が背後から突貫してくる。ギガントホーネットはその毒針を美咲に突き立てんとした。ギガントホーネットの毒そのものはそこまで強くなく、大きな問題ではない。だがその毒針は長さが二〇センチメートル近くにもなり、その大きさ自体が圧倒的な脅威となっていた。

 出刃包丁のような毒針が美咲の背中に突き立てられ――毒針が砕け散った。少し前であれば毒針はそのまま根本まで深々と刺さり、美咲は致命傷を負っていただろう。だが今の美咲はミスリル銀の鎖帷子によって守られているのだ。毒針を失い、狼狽えたように滞空するそのギガントホーネットは振り返った美咲によって無造作に叩き斬られ、墜落した。

 そしてしのぶは、まるで剣舞を舞うようにしてモンスターを次々と斬っていた。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」――これまでのしのぶは「蝶のように舞」うことはできても「蜂のように刺」す術がなかったが、今は違う。魔法剣を手に入れたしのぶは紙を切るような容易さで次々とギガントホーネットを屠っていく。

 二〇匹以上いたギガントホーネットの群れは十数分で壊滅し、残っているのはわずかに二匹。その二匹をしのぶと巽が左右から挟み撃ちにしようとしていた。いや、そう思っているのはしのぶだけのはずだ。「隠形」の固有スキルを使っている間はしのぶの姿は仲間でも捉えられないのだから。だが、


(え?)


 「疾風迅雷」を使っていた巽がそれを解除する。巽はギガントホーネットを追い立てることに専念し、自分の方に逃げてきたその二匹をしのぶが斬り捨て、掃討は終わった。


「おっと、危ない」


「す、済みません」


 勢い余ったしのぶが刀をかざしたまま巽の胸に飛び込むが、巽は危なげなく刃を避けてしのぶの身体を抱き留める。すぐに巽の腕から抜け出たしのぶがくり返し頭を下げた。


「ごめんなさいごめんなさい、大丈夫ですか?」


「問題ない。最後にちょっと気が抜けたか?」


 巽はそう言って笑い、ゆかり達の下へと向かう。その後にしのぶが続いた。


「……あの、巽さん。今のはどうしてわたしのことを」


「え? だって普通に見えていたぞ」


 しのぶはその言葉の意味が判らないかのように首を傾げた。


「でもわたしは『隠形』を……」


「使っていたな。それも含めて見えていたけど」


 何気なくそう言い、巽は歩いていく。だがしのぶは息が止まったような顔でその場で足を止めてしまっていた。











 朝六時、目覚ましに起こされた巽は歯を磨きながら窓を開け放って空気の入れ換えをする。大きく伸びをしながら明るい朝日と清々しい空気を全身に浴びて……


「ん?」


 ふと視線を感じてその方向へと目をやれば、その先にあるのはしのぶ達三人のシェアハウスだ。その二階の窓が開いていて、しのぶが顔を出している。

 おはよう、と言うように巽が手を振り、おはようございます、と返すようにしのぶも手を振った。巽は朝食の準備を始める。

 朝七時、巽は自転車でアルバイト先へと向かっている。信号待ちで停まっているときに視線を感じて振り返ると、そこには野良猫が一匹いるだけだ。巽は深く気にすることなく、信号が青となったので再び自転車を漕ぎ出した。

 朝一〇時、巽はアルバイト先の町工場で仕事中である。引き続き誰かの視線を感じているが、仕事中は無視する他ない。巽は視線のことを忘れて自動車部品を次工程へと運ぶ仕事に集中した。

 昼一二時の休憩時間。巽はスマートフォンを操作してゆかりへとメッセージを送っている。


『どーも誰かに見られているような気がする件』


 ゆかりからの返信はすぐに来た。


『巽君は気のせいじゃないって思ってるのね?』


『前に比べてモンスターの気配にも敏感になりましたし、こっちでもそういうのが判るようになっても不思議じゃないでしょう?』


『敵意や悪意がある視線なんですか?』


 と訊ねてきたのは美咲である。


『そういう感じはしないけど……俺を見張る理由がある連中って以前の乱闘事件のチンピラくらいしかいないんじゃ』


 自分でも考え過ぎだと思いながらもそう送信すると、ゆかりからも『それは考え過ぎなんじゃない?』と言われてしまった。


『でも一応警戒するべきなんじゃ』


 と送信すると、美咲からの返信があった。


『わたしの方は何も感じません。しのぶ先輩はどうですか?』


『は、はい。いつも通りです』


 少し時間差を置いてしのぶにもそう言われてしまい、巽も「やっぱり考え過ぎか」と思い直していた。


『でもそれならあの視線は……』


『きっと恋する女の子が巽君のことを昼も夜も見守ってるのよ!』


『かなり内気で自分の気持ちを打ち明けられず、今はただ見ているだけで満足している人なんでしょう』


 等とまるで見てきたようなことを言われ、巽は苦笑する。


『いや、そんな物好きいるわけありませんて』


『そんなことないと思います』


 卓球のスマッシュみたいな速さと勢いでしのぶからメッセージが返ってくるが、巽は『ありがとう』とそれを社交辞令として流してしまった。そして昼休みが終わり巽は仕事へと戻っていく。その午後、巽が視線を感じる回数と時間は大幅に減じていた。

 ……そしてその日の夜、しのぶ達三人のシェアハウス。巽がいつもより若干早く自分のアパートに戻った後のこと。


「以前に比べて固有スキルの効果が弱くなっているみたいです」


 しのぶが意を決して美咲とゆかりに相談を持ちかけるが、二人の反応は今ひとつ鈍かった。


「巽先輩のレベルが上がったせいで相対的に弱くなったように感じるだけでしょう」


「しのぶちゃんのレベルだってちゃんと上がってるよ」


 二人の言葉にしのぶは「いえ」と首を横に振る。


「ここしばらく魔法剣に頼って『隠形』の固有スキルを疎かにしていたのかもしれません。やっぱりわたしは忍者として、自分のスキルにさらに磨きをかけないと……!」


 そう言って拳を握り締めるしのぶに、二人は生温かい目を向けた。ストーキングを続けるのに支障があるから、という動機はともかくとして、


「魔法剣に頼り切りにならないよう固有スキルを研鑽するべき、というのはまさしくその通りです。わたしも見習うべきでしょう」


 と美咲が頷く。そこにゆかりが小首を傾げて、


「それでどうやって固有スキルに磨きをかけるの?」


 そのもっともな問いにしのぶは「うーん」と唸って腕を組んだ。


「……どうすればいいんでしょう」


「しのぶ先輩はどうやって固有スキルを会得したんですか?」


「わたしは最初から『隠形』を使えたんです。むしろスキルが制御できなくて仕方なく何ヶ月もソロで狩りをしていたんですけど……」


 それはすごい、と感心する美咲だが、そこに固有スキル強化のヒントを見出すことはできなかった。


「忍者の修行ってやっぱりあれじゃない? 滝に打たれたりとか、木を植えてそれを毎日飛び越えるとか、あと採石場で崖の上から大きな岩を転がして」


「最後のは多分違うと思います」


「正直、どれも意味があるようには……」


 しのぶの否定的な見解に二人も「うーん」と唸っている。ふと美咲が、


「他の忍者の人ってどんな修行をしているんでしょう。話を聞いて何か参考にできれば」


「他の忍者の人とは全然付き合いがなくて……忍者だけじゃないですけど」


 しのぶが申し訳なさそうにそう言う。せっかくの建設的な意見だったが、巽達パーティメンバーを除けば知り合いと言えるような冒険者はしのぶにとってはゼロだった。だが、


「わたしにも忍者の知り合いはいないけど、それならいそうな人に当たってみればいいんじゃない?」


 そう言ってゆかりはスマートフォンを取り出してどこかへとメッセージを送る。その返信はすぐに届けられた。


『まー、おっちゃん顔が広いから忍者の知り合いだってそれなりにいるけどねー』


 ゆかりが連絡したのは高辻である。しのぶと美咲もそれぞれスマートフォンを取り出し、そのメッセージを読んでいる。


『例えばシャドウ・マスターなんて名前の忍者は知ってる? あいつに話してみようか?』


「おー、そりゃすごい。是非是非お願い」


 と返信しようとするゆかりの手から、しのぶがスマートフォンを奪い取った。


『黄金クラスの方に石ころの相談に乗ってくれ、なんてそんな恐ろしいこと言えません。夜分に済みませんでした』


 しのぶはそう送信し、高辻とのやりとりを打ち切ってしまう。その後ゆかりがこっそりと、


『石ころの上位か青銅の忍者を紹介してくれたら助かるな』


 と送信。高辻からは『りょーかい』と返信があり、その夜はそれで話は終わった。


「……さて、と。――もしもし、はっちゃん?」


 高辻はその後すぐにシャドウ・マスターこと東山迅八に電話で連絡。そこでどんな話がされたのかは余人の知るところではなく……


『招待券?』


『そう、旅館のね』


 ゆかりに二人の悪巧みが判るはずもない。ときは翌日夕方、場所はシェアハウスの居間。畳に寝転がっていたゆかりは高辻からの電話に「よいしょ」と起き上がった。


『手頃なレベルの忍者はまだ捕まってないんだけどさ。昨日知り合いにこの話をしたら「そーゆーことなら」って旅館の招待券譲ってくれたのよ。「自分は使わないから」って。伊賀上野の、結構上等な旅館だぜぇ?』


「確かに、伊賀上野って言えば忍者の本家本元だけど……」


『何かのヒントが見つけられればそれに越したことはないし、それがなくても気分転換の小旅行になるんじゃね?』


 まあ確かに、と頷きながらもゆかりは腑に落ちないものを感じ、首を傾げている。もし高辻以外の誰かがこの話を持ってきたならゆかりは「都合が良すぎる、何か裏があるに違いない」と断言しただろう。だが高辻が自分達を騙すことなどあり得ず、何か裏があるとも考え難く、「考え過ぎかな」とやや強引に自分を納得させた。

 その夜、ゆかりは巽と美咲としのぶにこの件を報告する。


「それで招待券は何人分なんですか?」


「あいにく三人分しかなくて、期限がこの週末までなんだって」


 だから無償ただでもらえたんだけど、とゆかり。巽達は顔を見合わせた。


「ちょうどいいから三人で行ってきたらどうだ? 俺はこの週末はバイト先に『必ず来てほしい』って言われていて、ちょっと休めないし」


「そうなんですか、残念です」


 早々に「行かない」と結論を出した巽が自分のアパートへと戻っていき、残された三人は小旅行の計画を立て始めた。


「ここから伊賀上野までなら軽くドライブになるわね! またレンタカーを借りて」


「電車だと二時間くらいですか。結構かかるんですね」


「近鉄線を使えば少しだけ早く行けるみたいです」


 いや、訂正。「あのー……」と何か言いたげなゆかりを無視し、美咲としのぶが二人だけで小旅行の計画を立てている。


「でも乗り換えが面倒そうです。そこまで急ぐわけでもありませんし」


「それもそうですね」


「旅館まではちょっと遠いですし、ここはタクシーを使いましょうか」


 二人が計画を立て、ゆかりはやけ酒を飲み、ふて寝し、その夜は更けていった。

 そして翌々日の土曜日。JRを乗り継いで伊賀上野へとやってきた三人は、上野城、忍者博物館、テーマパークなどの観光スポットを見て回り、ご当地グルメの伊賀牛に舌鼓を打ち、と休日の一日を楽しんだ。


「どう? しのぶちゃん。固有スキルを高めるための何かヒントは見つかった?」


 ゆかりの問いにしのぶは「いえ」と首を振る。ときはその夜、場所は旅館の客室。夕食を終え、一風呂浴びたしのぶ達三人がそれぞれ寛いでいるところである。


「見つかるわけないです。一日観光していただけなのに」


「ちゃんと忍者の修行だってしたじゃない」


「テーマパークのアトラクションじゃないですか」


「滝にだって打たれたし」


「温泉の打たせ湯じゃないですか」


 しのぶはため息を一つつき、苦笑した。


「確かに楽しかったし、気分転換にもなりましたけど」


 しのぶは立ち上がり「もう一回お風呂に入ってきます」とその部屋から廊下へと出た。

 各部屋に備え付きの甚平を着、その上にはんてんを羽織ってしのぶは静かな通路を歩いている。旅館には人気がなく、まるでしのぶ達三人以外は客がいないかのようだ。

 本館から渡り廊下を渡って温泉のある別館へと向かっているところで、


「?」


 あることに気が付いたしのぶが渡り廊下から外に出て庭園へと足を踏み入れた。そこは松の木や草花が茂る日本庭園で、しのぶはその遊歩道を進んでいく。庭園の中心部の、ちょっとばかり土を盛り上げている場所。そこへとやってきたしのぶは街灯に照らされて輝くそれを見つめた。


「どうしてこんなところに……」


 まるでエクスカリバーのように地面に突き刺さっているのは、一本の忍者刀だ。しのぶがそれを抜いて刀身を検分する。刀匠が一本一本手打ちしたわけではなく、どこかの町工場で作られた模造刀だろう。だが鋼鉄の刀身はずっしりと重く、刃はよく研がれている。その重さと鋭さは人を殺傷するに充分すぎるほどであり、その意味でこの忍者刀は紛れもなく「本物」だった。


「――!!」


 突然、しのぶの脊椎が冷気に凍り付く。本能のままに身体が勝手に動き、しのぶは木陰へと身を隠した。〇・一秒前までしのぶがいた場所に苦内が突き刺さる。しのぶの額を冷や汗が伝った。


(誰?! どうして――)


 大きく動揺するしのぶだが、敵はその隙を突くように攻撃してくる。放たれた苦内をしのぶは刀で切り払った。間一髪だった、としのぶは安堵し……だがそれも一瞬でしかない。刺すような鋭い殺気に、しのぶは身を翻して逃げ出した。

 ほんの一〇メートルほどを這うように移動し、しのぶは植え込みの中に飛び込んで身を隠す。しのぶはゆっくりと呼吸し、事態の把握に努めた。


(冷静に、冷静に……「隠形」は現実世界でも使える。気配さえ断てば敵だって)


 そう考えた瞬間を狙ったように、明確な殺気がしのぶを襲う。しのぶの全身が総毛立った。


「くっ!」


 慌てて逃げ出すしのぶ、その足下に苦内が突き刺さる。ジグザグに走り、また植え込みの一つに飛び込み、甚平が汚れるのも構わずに地面に伏せた。


(石……今のわたしは石……)


 しのぶは全神経を集中して「隠形」を行使する。ここまで真剣に、本気で「隠形」を使ったのはメルクリアンのヴァンパイアと戦ったとき以来だろう。


(気配を完全に断って、逆の敵の気配を掴んで、反撃に移れば)


 しのぶは自分の気配を完全に消し去っていた。昼間であっても、しのぶの姿が完全に外に出ていても、常人ならしのぶのことに気付かずそのまま通り過ぎてしまうに違いない。だが今しのぶが対峙している敵は「常人」などでは決してなかったのだ。

 殺気が冷気のように流れてくる。その冷気はまるで生き物のように蠢き、しのぶの全身を包み込んだ。


(ど……どうして)


 会心の出来の「隠形」も敵には通用していない。敵にはしのぶの姿が丸見えになっているとしか思えなかった。理不尽そのもののような事態にしのぶが唇を噛み締めている。

 敵が姿を現した。いや、その姿が目で見えるところに出てきたわけではない。ただ敵がその気配を露わにしただけである。だが互いに対人レーダーを使って決闘しているような二人にとっては、それは目視できるようになったのと何も変わらなかった。ついに決着をつけるつもりか、としのぶが忍者刀を握り締める。

 しのぶは「隠形」の行使を中断し、全神経を敵の気配を掴むことに集中した。彼我の距離は一六メートル、その松の木の向こう側、手に持っているのは多分何本かの苦内……


「――え」


 しのぶがこぼれんばかりに目を見開いた。敵の気配が消えていく。なくなっていく。まるで空気に溶けるように。そこから一歩も動かないままに、敵は姿を消していく。

 しのぶは背骨が凍り付いたかのような悪寒を覚えている。敵はしのぶの目の前で「隠形」を行使し、その気配を完全に断ってしまった。その「隠形」の見事さはいっそ賛嘆したいくらいだった。敵のそれに比べればしのぶの「隠形」など子供のかくれんぼと何も変わらない。


「――!」


 背後から急襲する殺気。しのぶが大急ぎで振り返るのと、忍者刀で苦内を打ち落とすのはほぼ同時だった。次の瞬間にはしのぶは走り出し、木の陰に身を隠している。偶然そこは先ほどまで敵が佇んでいた場所だった。


(落ち着いて……落ち着いて、「隠形」で気配を殺して)


 先ほど敵がそうしていたように、気配を殺して、空気と同化して――


「え」


 としのぶが目を見開く。生命を狙われていることも忘れ、しのぶは光の速さで思考を巡らせた。


(もしかしてわたしはとんでもない思い違いを……今までわたしは「隠形」を使うときは自分が石になったつもりで、石と同化するつもりで使っていた。でも石が動くわけがない、動く石の気配を読むことなんて誰にでもできる。そうじゃなく、空気になったつもりで、空気に同化するつもりで「隠形」を使えば……)


 空気であれば風のままに流れ動いても何も不思議はないだろう。しのぶは目を瞑り、全神経を集中。心を静め、心を無にする。そのまま自分が空気となったように――


「……色即是空、空即是色」


 ――自分がからとなり、風となったような感覚。体重がゼロとなり、風のままに漂うような感覚。しのぶは自分の「隠形」が一歩も二歩も進化し、自分が忍者として一段階も二段階もレベルアップしたことを理解した。

 敵が「隠形」を解除してその存在を露わにし――いや、それは「敵」などではない。その人はしのぶを指導し、レベルアップを手助けしてくれたのだから。


「あなたは一体……」


 しのぶの問いにその人物は何も応えなかった。彼または彼女が身を翻し、その場から立ち去っていく。結局しのぶはその人物の姿どころ影すらも見ることができなかった。ただ気配を感じていただけであり、その気配も風のような速さで遠ざかっていく。しのぶはそれを察知していながら何もできないでいる。彼または彼女を追うこともなく、呆然としたかのように長い時間ただその場に立ち尽くしていた。











 その翌週の火曜日。狩りを終えた巽達五人はメルクリアからこちら側へ、マジックゲート社大阪支部へと戻ってきたところである。


「ああ、いたいた。高辻さん」


「おう、巽ちゃーん」


 支部のビル前で待っていた高辻と巽達は合流した。時刻は夕方、夕陽の赤がビルの一面を真紅に輝かせている。


「今日の狩りはどうだった?」


「主にペリュトンを狩ったんですが、しのぶが大活躍でしたよ」


 巽の言葉に高辻は「ほう」と面白そうな顔をし、しのぶはちょっと困った様子となる。


「ペリュトンってキメラ系モンスターで空を飛ぶやつだったな。結構レベル高くなかったか?」


「ええ、でも飛ぶ前のあれをしのぶ一人でばったばったとなぎ払って」


「しのぶちゃんが何をしているのか俺達にも判らなかったからな」


「やっぱり伊賀での忍者修行が良かったのよね!」


 よってたかって誉められたしのぶは居心地が悪そうな顔となり、ごまかすように、


「そう言えばこれ、お土産です」


 用意していた菓子折を高辻へと手渡す。高辻は「こりゃどうも」とそれを受け取った。


「あの……高辻さん。あの旅館に招待してくれた方ですけど」


「ん? 気になるか?」


 高辻は意味深ににやにやと笑う。しのぶは少し迷っていた様子だが、結局「いえ」と首を横に振った。


「今はまだいいです。いずれ紹介してください」


「判った、あいつにもそう言っとくよ」


 それじゃ、と挨拶を交わし、巽達が去っていく。


「……『隠形絶影』の境地はまだまだ遠いぜぇ」


 高辻はその中の一番小さな背中を、しのぶのことをずっと見送っていた。


 ――その夜。シェアハウスから自宅のアパートに戻ってきた巽は布団に寝転がってスマートフォンを操作しているところである。


『巽さんはまだ誰かの視線を感じているんですか?』


『そー言えば最近感じなくなった件』


 しのぶのメッセージに巽が答え、しのぶが『それは良かったです』と返信してきた。


『結局なんだったんだろう、あれ』


『見られていることを気付かなくなっただけかもしれません』


『今このときも巽君のことを熱い眼差しで見つめてるかもよー?』


 と美咲とゆかり。


『それはちょっと気持ち悪いですね』


 巽が苦笑しながらそう送信するとしのぶが少し間を置いて、


『……ほどほどにしないとダメですよね』


 と言ってくる。巽は「そういう問題だろうか」と思いながらも特に何も言わなかった。


『そろそろ寝ます。お休みなさい』


『おやすみー』


『お休みなさい』


『お休みなさい、巽さん』


 巽が照明を消し、布団をかぶる。ものの数分もしないうちに静かな寝息が聞こえてきた。……巽が横になっている布団から、ほんの二メートルも離れていない場所に位置する押し入れ。冬用の布団と衣装ケースしか入っていないその中で――


「……お休みなさい、巽さん」


 しのぶは膝を抱え込んで小さい身体をさらに小さくしていた。膝の上にはスマートフォンが乗っている。幸せそうに微笑みながら口の中だけで呟くしのぶは「隠形」を行使し続けることも忘れない。

 忍者として一段階も二段階もレベルアップしたしのぶはストーカーとしても度し難いほどの悪化を遂げていたのであるが、それは東山氏の関知するところではないのだった。




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まさかのすぐそば。。。
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